停止した殺戮機構
殺戮をしないまま、魔王城に飾られた絵を眺め続ける日々。
そして魔王城を何周かした後で、私はふと名案を思い付いた。
――――ここは元々、絵の保管場所でしかなかったが今ではその本来の用途以外の使われ方をしている。ここを住居にしている魔族がかなり多くいるのだ。それに気がついた時、私も自然とここを魔王城と呼ぶようになった。
別に「住むな」と命令した覚えもないし、今更出て行けと言うつもりもない。
ただ家賃をいただく分には問題無かろう。
というわけで、私は全ての魔族に絵を描かせる事にしたのだった。
これはかなり名案だと、自分で自身のアイディアに喜んだ。
もしこれが成功すれば、私が足を止める理由が分かるかもしれない。
分からないとしても、私が足を止めるということは理由、転じて価値があるはずだ。
価値があるという事はきっと良いことなのであろう。
それが収穫出来れば儲けものだ。出来なかったとしても、多少失望するだけで損は無い。
私は久方ぶりに気分が高揚し、穏やかに嗤った。
そして速やかに部下を集め、こう宣言した。
「皆で絵を書け。そして私の歩みを止めてみせよ」
簡潔で分かりやすい命令だ。その点においても私は満足感を覚えた。まさかこの私が、何かを伝えるためにこんなに気を遣えるとはな、と。
――――後で知ったことではあるが、私の命令を一部の魔族は「歩みを止められなければ、貴様等の息の根を止める」という脅迫として受け取ったそうだ。
年老いた魔族達は泣きながら筆をとった。
「あの魔王様の歩みを止める絵なぞ、我々に描けるわけがない。あの御方が蒐集した絵は数多いが、見捨てられた絵はその何百倍もあるのだから」
「遺書の代わりに絵を描く、か。……まさか我の末路がこのようなモノだとはな」
「魔王様が未だ立ち寄っていない人間の国を襲って、そこの美術品を奪う方がまだ生き残る可能性があるような気がするのぅ……」
「与えられた猶予はたったの一週間……ああ、そんな短時間で何を作れと仰るのか……」
そして若い魔族達――凶悪な殺戮者としての私を知らない若い世代――は首を傾げていた。
「何考えてんだ魔王様は」
「絵って、なに描きゃいいんだ?」
「わかんね。でも魔王様がお望みだし」
「とりあえず何か描くか」
「〆切っていつ? え、一週間後? そんなにいるかなぁ」
「だよな。一枚書く程度なら二時間ぐらいで十分じゃね?」
その結果、名画と駄作と意味不明な絵が数多く量産される事になった。
その頃には魔族達の数もかなり多かったため、展示するには広さが足りない。魔王城の外にそれらは並べられていった。
はっきり言ってしまえば、足を止める価値のある絵は殆ど無かった。さもありなん、魔族達は今までに本気で絵を描いた事が無かった。落書きならまだマシだ。中には、適当に色を塗っただけのゴミも多々あった。
――――だが。ここに並べられた全ての絵が私のために描かれたのかと思うと、ほんの少しだけ感慨深かった。
珍しいことに絵ではなく、石像を造り出した若い魔族がいた。元々そういうのが得意だったらしい。
なぜ絵ではなく石像なのかと問うと(年老いた魔族達が震え上がっている事をさほど気にも留めず)若い魔族は朗らかに笑った。
「いや、こっちの方が魔王様の足を止められるかな? みたいな。っていうか、これで魔王様の足を止めてみたいな、って思ったんで!」
それは別に構わない。私は「絵を書け」と命じてはいたが、重要なのは「足を止めてみせろ」という点だったからだ。
彼が造ったのは、私の姿を模した石像だった。
……自分ではない自分がそこに在るという感覚。数年前ならば不愉快だと感じて即座に粉砕していただろうが、私は長く歩みを止めた。
「ふーむ。造形は良い。しかしそれはさておき……私はいつもこのような表情をしているのか?」
「そっすね」
形作られた私が浮かべていたのは退屈そうな顔だった。全てに興味を抱いていない顔。
だけど今はどうだろう。私はこの石像に興味を抱いている。きっと今の自分は、このような顔をしていない。
気がつけば私は長々と足を止めていた。
若い魔族は子供のように満面の笑みを浮かべた。
「どうやらコレは魔王様の足を止める事に成功したみたいッスね?」
不遜極まりない、気安い発言。
全くもって度しがたい。
だが、この者の作品は確かに私の足を止めた。
「――――良かろう。この像を魔王城に置くことにする。そしてお前には褒美を与えよう。何を望む」
「え。マジすか!? やったぁ! んー……そしたら…………あ。思い付いた。えーとですね、ここにいるみんなを殺さないで欲しいっす」
「……殺すな、と?」
殺戮の精霊に何を願っておるのだコイツは、と反射的に思った。
しかし振り返ってみると、私の足を止められなかった数多くの魔族は「余命十秒」というような表情と涙を浮かべていた。逆に若い魔族達は「ちぇっ、次は上手くやってやる」といった使命感のようなもので燃えていたり、あるいは「なんだったんだこのイベント?」なんて表情で首を傾げていた。
殺戮の精霊に「殺すな」という願い。
しかし私は殺戮の精霊でありながら、誰も殺さずにただ絵を書かせたわけで。
「よかろう。殺さぬ」
「マジかよやったぜ。……ポーテンス様って結構話しが分かる魔王様なんッスね!」
不遜が過ぎる。
だけど私は何だか愉快な気持ちになって高らかに嗤った。
これもまた後で知ったのだが、その魔族は仲間内の中で「勇者」として尊敬され、彼が寿命で亡くなった時はほぼ全ての魔族が葬儀に参列したそうだ。
さて。そんな魔族による写生大会では、数は多くないがいくつかの成功例を産み出した。
石像は物珍しさというややレギュレーション違反があったとはいえ、足を止めること自体には成功している。他にも数点「おや」と思う絵があった。
これは非情に喜ばしいことだ。
なにせ新しい価値が創造されたのだから……大変に素晴らしい事だ。
味を占めた私は、毎週その大会を開いた。
――――のだが繰り返す内に例の勇者が「マジでもう勘弁してください。みんな限界です。出来ないヤツにやらせるより、出来るヤツに任せた方がまだマシです。一生懸命頑張りますから、あんまみんなをイジメないでやってくださいよ。……もう食料庫が空なんです!」と言われたので、私は素直にそれに従った。
ゴミを眺める時間が無駄だと思ったからだ。
こうして、絵を書くことを本業とする者と、生活を支える者達という役割分担が発生した。
そうやって何度か写生大会(石像でも武器でも宝石加工でも何でも有り。とにかく私の足を止めてみせよ。〆切はお前達が自分で決めろ)を繰り返した結果、多少は満足のいく結果を覚えた。一部の魔族達は芸術を解し始め、やがては洗練されていったのだ。
時が流れるにつれて絵が増えて、魔王城は更に巨大化していった。
しかしある日。
「勇者」が死んで、その葬儀を遠くから眺めている時に私は強い虚しさを覚えた。
彼は『私の足を止める』という点において才覚があった。
だがそれは他の者が持たないとても希有な才覚だった。
石像が得意ではあったが、絵は不得手。しかし彼は石像だけでなく箱庭を作成したり、瓶に花を活けたりして私の足を止めてみせたのだ。これは他の魔族では持ち得ない感性だった。……初作品で私の足を止めたという成功体験で調子に乗っていただけなのかもしれないが。ついでに言うなら実際やりたい放題だった。
そんな男は見事、寿命で死んだ。多くの魔族が彼の死を嘆いたが、一番ショックを受けていたのはもしかしたら私だったのかもしれない。
一部の魔族達の芸術感は確かに洗練されてはいったが、まだまだ十分なレベルにはない。よくて三十秒程度しか私の足は止まらない。そう考えると『勇者』の得がたい才能が失われた事に対しての感傷が強くなっていく。彼は最長で一時間、私の歩みを止めたこともあったのだ。
そして、そういった才覚に再び出会うまで待ち続けるというのは、殺戮の精霊たる魔王にはとても難しいモノだった。
望めば全てが手に入るはずの魔王なのに、
手に入れられないモノがある。
……それから一時の間、私はまるで青年期の頃のような暴虐を尽くした。
人間領域に舞い降り、何もかもを殺戮しかけた。
だけど、それが無意味な行為だと気がつくのも早かった。
当然のように自分でも絵を描いてみた。
真っ白なキャンバスを前にすると気分が高揚したが、線を一本書くだけで絶望を覚えた。……まぁそれは後年の話しだ。最初の頃は手当たり次第に筆を走らせていたような気がする。
世界最高と呼び名の高い道具を使っても。
病的なまでに純白なキャンバスを用意しても。
多種多様な、それこそ宝石を砕いて混ぜたような絵の具を使っても。
私が作り出した作品は、いかなる労力を費やしても等しくゴミであった。
――――納得出来なかったので、数十年間アトリエに籠もった。
魔族達と交流もせず、ほとんど食事も摂らず、ただ筆を取り続けた。
その間に魔族達の世代は完全に入れ替わることになる。時には「何故魔王様は人類を殺戮しないのだ?」という議題が酒場で上がっていたらしいが、先代魔族達の「決して魔王様の邪魔をするな」という忠告に彼等は従っていた。
さもありなん。殺戮はもう無益に思えていたが、訪れる英雄の迎撃には躊躇わなかった。弱い英雄なら魔族達で対処出来るが、そうではない英雄は全て私が片付けていた。その際に発揮した私の戦闘力は十分に魔族に知れ渡っていたのだ。
「魔王様! 流石でございます!」
「ポーテンスフ様! お手数をおかけいたしました……!」
「ポーテンスフ様!」
「魔王様!」
「ポーテンスフ様!」
「ポーテンスフ様!」
喝采など無用。
私が必要としていたのは静けさだ。
聖遺物を破壊した後の処理を魔族達に任せ、私はすぐにアトリエに戻った。
そんな風に静けさを求めていた私であったが、その環境で創作活動に邁進し続けていく内に英雄が押し寄せる機会が増えていった。
魔族達が撃退出来ればそれで良し。
だが時にはやはり、外が騒がしくなることもある。
最初期の頃は無造作に殺戮した。
途中からはまるでピンポイントに私の弱点を突くような聖遺物達が増えた。
後期では、最早ヤケクソのような代償系の能力を持った聖遺物達が押し寄せてきた。
私はそういった聖遺物達を砕き、ついでに英雄達の両足を砕いて、その上で絵を描かせてみたりしていた。
たまに英雄を石像化してみた事もある。こちらに刃向かう姿勢が端正だったので、それを保存してみようと思ったのだ。
ああ、そうだ。中にはとても美しいと思える聖遺物もあったな。今でも名前を覚えている。残像糸アディヴァ。凝視しても見えず、ただ光を当てると角度によっては煌めく無影の聖遺物。束ねるとまるで星々のようにそれは輝いていた。……私はそれを魔王城の一角に飾った。
逆にとても醜いと思える聖遺物と出会ったりもした。今でも名前を覚えている。屍山矢オクジュール。量産品の弓が放つ『一矢』が聖遺物の本体だった。かなり最悪の部類に入る聖遺物。一目で分かる邪悪さと醜悪さと唾棄すべき臭いを放つ物だった。……私はそれも魔王城の一角に飾った。
まぁいずれにせよ聖遺物は魔王の天敵だ。生理的嫌悪感を抱く絵は嫌いではないが、聖遺物が放つ気配は鬱陶しさに由来する嫌悪感だったので、やがてはどちらも破棄したのだが。
アトリエに籠もっておそらく数万日以上。
創り上げた作品は、納得のいくものがゼロで、ゴミは三万点以上。
何度見返しても、価値が見いだせない。
私は完成した作品の置き場が無くなると、古い順から窓の外に投げ捨てるようになった。
――――そんなゴミを、魔族達はせっせと飾るようになったらしい。
気がつけば魔王城は美術館のようになっていた。
別にどうとも思わない。私は「そのゴミを燃やせ」と命令しなかった。
英雄達を殺すか、絵を書くか。そんな時間が長く続いたある日、気まぐれで「久々に散歩でもしてみるか」と廊下に出てみると、絵が区分けされていた。
美しい絵と、醜い絵が壁の左右で分かれていた。
私は何故かそれが理解出来た。
ゴミとしか思えなかった自作の絵。
だけど美しいと、醜いが、理解出来た。
価値を見いだせないゴミではなく、その光景自体が私の足を止めた。
……だが一応、念のため。私は近場にいた掃除夫に声をかけた。
「おい」
「……えっ!? ぽ、ポーテンスフ様!? やべぇ初めて見た」
「――――これはどのような意図で仕分けたのだ?」
「あっ、えっと。……ポーテンスフ様の絵は、見る者で好き嫌いが分かれますからねぇ。なんとなくそんな感じで分けてます。はい」
不遜。
昔であればそのような口を効いた魔族の頭部を粉々に握りつぶしている所だが、私はその衝動を覚えなかった。
英雄を迎撃すること以外の、つまりただの無意味な殺戮をしていた頃から、もう七十年以上の時が流れていた。
「好き、嫌い。ふーむ…………」
「へぇ。ああでも、それぞれに熱狂的なファンもいるんですよ。毎日のように特定の絵を見に来るヤツも結構います。ビックリしたのが人間もポーテンスフ様の絵には心を奪われるようでして。食料としてツブされる前に、冥土の土産としてアトリエを案内してやってるんですよ。……絵を見て涙を流すようなヤツがかなり多いんです。面白い生態ですよね」
瞬間、強烈に【妬ましい】と思った。
圧縮された感情。
発散の仕方も分からない、未知の憤り。
私の絵だ。私の創作物だ。
なぜ私が欲するモノを、お前等は勝手に得る。
許せない。
久方ぶり、いいや、もしかしたら生まれて初めての複雑な殺意を抱いた私は魔族に命じて、まだ生きている人間を界廊に連れて来させた。
そして、無数の絵を見せ続けた。
とある人間は一枚の絵を前にして涙を浮かべた。
「なぜ泣く」
「■しい家族を思い出したからだ。逆に聞きたい。ポーテンスフ、なぜお前は殺戮の精霊でありながら、こんなにも優しい絵が描けるのだ――――」
「……知らんな」
握りつぶして殺した。
とある人間は、一枚の絵を前にして腰を抜かした。
どうやら既に発狂しているらしい。その人間は絵の前で小便を垂れていた。
「このこのこの絵はすば素晴らしいいいい。ゴミっゴミのような死者をこんなにも丁寧に描くなんて。ここにはここでは命への賛歌と、喪失の哀しみと、全ては塵に還るというシン理が含まれている。一切合切がまるで――――ああああ。殺戮の精霊が■を知っている――――」
「……汚らわしい」
蹴り殺した。
私は酷く興奮していた。何らかの絶望感を覚えていた。
そうやって五人の人間に絵を見せた。
なにぶん作品数はとても多い。やがては全てが泣いた。だから全てを殺した。
聞けば、魔族も私の絵を前にして足を止める事があるらしい。
各々が、それぞれの理由で、衝動的に立ち止まる。
それを聞いた時、私は自分の価値が分からなくなった。
殺戮もしない。満足のいく絵も描けない。だったら私は何なんだ。存在意義はどこにある。――――いいや。きっと私の存在意義なぞ無いのだろう。
だけど私以外の者は、私のゴミに価値を見出す。
まるで私だけが違う星にいるような。
もしも私が炎の魔法を得意としていたら、きっとその瞬間にセラクタルごと全てを燃やしていたんだと思う。
だけどそうではなかった。
だからそうはならなかった。
私は生まれて初めての立ちくらみを覚えたが、なんとか踏ん張って、そして魔族に命じた。
どうしても確かめたいことが出来たのだ。
「――――最も年老いた魔族が、一番……一番好む絵と、例の『価値ある絵』を持って来い。そしてそれを魔王城の外に並べて展示しろ」
昔、私が初めて美しいと思った絵。とても長く足を止めた絵。
あの時の私は持って帰らなかった絵だ。
しかしその十数年後に、配下の魔族が気がついたら運び込んでいた。
「はぁ。……ところで『価値ある絵』とは?」
「……分からないのか?」
ややあって気がついたが、私は作品にタイトルを付けなかった。ただ窓から投げ捨てていただけ。そして以前蒐集していた作品にも、特にタイトルを掲示した覚えはない。
――――だとしたら、今の世代の魔族達は『価値ある絵』の作者が私だと誤認している可能性が高いのか?
それは私にとって幸運なことだった。
「人間が作った作品」と「魔王様が作った作品」という差異は無い方が良い。純粋に絵としての価値が問える。
「…………おそらく最も古い美術品が飾られている領域に飾られている。神と天使が描かれた、象牙色がメインの絵。通常の絵よりも大きめのサイズだ」
「了解です。ちょっと探して来ますね」
やがて私の指示通り、魔王城の外に二枚の絵は展示された。
外に出て驚いたのだが、魔王城の大きさは異様なまでに膨れあがっていた。
最早一つの城とは呼べない。それはまさに大きな国であった。
広場に全ての魔族達を整列させるつもりだったのだが、魔族達の数が多すぎて無理だった。いっそ一帯を荒野にして並ばせようかとも思ったが、その時の私は強い虚無感のせいでその気力が沸かないでいた。
ただ、答えが欲しい。
そんな切羽詰まった気持ちを抑えることが出来ず、また抑える必要も無い。何故なら私は魔王だから。
私はその場に座り込んでしまいたくなるような気持ちを抑えて、とりあえずその広場がいっぱいになる程度の魔族を集結させた。数えてはいないが、おそらく五百名以上。
知っている魔族の顔なぞ、もちろん一つもない。そもそも覚えてすらいない。例外といえば「勇者」と数名の「掃除夫」ぐらいだ。
見覚えのない私の国民。そして彼等の前に展示された二枚の絵。
『価値ある絵』と、年老いた魔族が選んだ私の絵……選ばれたのは『キャンプファイアーの周囲で楽しそうに踊る魔族達』の絵だった。
見知らぬ国民達に私はこう尋ねた。
命令ではない。ただの質問だ。
「……ここには二つの絵がある。『象牙色の絵』が好きな者は右へ。そして『踊る魔族達の絵』が好きな者は左に別れよ」
ほとんど全ての魔族が首を傾げた。
「俺、ポーテンスフ様って初めて見たけど……なんだこの集い?」
「わかんねぇ。どっちの絵が好きかだって?」
「英雄をブッ殺してる時のポーテンスフ様を見たことあるけど、相変わらず覇気の無い顔してんなぁ」
「覇気……無いかな? わたし、ちょっと鳥肌立ってるんだけど」
「あ。分かる。太陽墜ちてきたらこんな気分になるかも、みたいな感じ……」
「俺はぜんぜん分からん。とにかく、えっと、なんだっけ。絵を選べ?」
小声でざわつく、大きな集団。
わずかな好奇心と、大きな戸惑い。
だけど私が他に何の指示もしない事を悟ると、とある者が先陣を切って絵の前に立った。そしてその者はじっくりと二枚の絵を眺めて、やがては移動を開始。それに続くように次々と魔族達は絵を眺め、足を進めるようになった。
かなりの時間を要した。
だが私は目を閉じて、答えが出るのを待ち続けた。
やがて選別が終わったのだろう。横で控えていた魔族が「ポーテンスフ様。どうやら終わったようです」と声をかけてきた。
目を開ける直前。恐怖を覚えた。なぜかは知らない。だけど目を開けたくないという葛藤が確かにあった。
それでもわたしはめをあけた。
「…………。ふーむ。象牙色の方が多い、か」
割合は七対三。
納得いくような、納得いかないような、不思議な感覚。
予想通りではあるが、不十分な結果。
どこからどう見ても「象牙色の絵」の方が価値があるはずなのに、三割の国民が私の絵を支持した。
なぜだ?
貴様等の目が曇っているからか?
左手の最前列にいた魔族に「なぜこの絵を選んだ?」と問うと、やや高齢の魔族は「孫のような世代の者達が楽しそうにしている姿が素敵だったからです」と答えた。
「ふーむ。なるほど。個人的な感傷が理由か」
「みんな色んな笑顔を浮かべているのが、とても……そう、幸せな事ではないかと。そういう風に思えて仕方が無いのです」
絵の感想ではない。この者はただ過去と理想を合わせた夢を見ているだけだ。そんな風に思った私は「もうよい」と制してその魔族を黙らせた。
次は逆側の列。右手の最前列にいた魔族に象牙色の絵を選んだ理由を問うと、その若い魔族は「いや、特に理由は無いんですけど……なんとなく……」という身も蓋もないコメントを発した。
絵は見ているようだが、これは感想では無い。
私はますます分からなくなった。
いっそ全員が「価値ある絵」の方を選んでほしかった。そしてそれが当然の結末だとも思っていた。
そうすれば自分が無価値であると断じて、とっととこの存在意義のない命を終わらせることが出来たはずなのに。
ああ、そうか――――私は死んでしまいたいのか。
そんなことを薄らと思った。
絵を書き続けた。それは……なぜだ……?
昔、絵を書き始めた。それは、どうしてだ?
遠い昔。絵を眺め続けていた。それは……価値の正体を知りたかったから?
もっともっと、遙か過去。ログハウスの絵の前で私は歩みを止めた。
その理由を、私は知りたい。
……価値のある絵が書きたかった。
…………ゴミばかり量産する自分が哀しかった。
だけど三割の魔族は、私の絵を選んだ。分からない。何も分からない。個人的な感傷で選ばれたというのなら、私の感傷はどこにあるというのだ。
殺戮しか出来ない私は、満足のいく絵が描けない私は、いったい何のために。
「あっ。でもこの象牙色の絵より、もっと好きな絵があるんですよ」
若い魔族が、突然そんなことを言った。
「ポーテンスフ様が何年か前に書いたヤツだと思うんですけど、花の絵です。本物より綺麗な感じの、あり得ないほどカラフルなやつ。この象牙色の絵より、アレの方が好きですね」
その瞬間に、私は気がついた。
自分が長らく、魔王様とは呼ばれていないことに。