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我が愛しき娘、魔王  作者: 雪峰
我が愛しき楽園の在り方
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高潔なる挑戦者




 何の合図もなく、一瞬で目の前の光景が切り替わる。


 何度目かの瞬間移動。それはとても不気味で、現実味が無くて、わたしに不安を抱かせる。


 しかもその全ての恐怖が後から盛り上がってくるタイプだ。余計にタチが悪い。


 呪文を唱えた様子は一切無かった。指を鳴らすとか、そういう分かりやすい仕草も無い。


(予備動作なく相手をどこかに移動させるって、ものすごく凶悪な攻撃方法なんじゃないかなぁ……)


 例えば火山の内部。大量のマグマの中に出現してしまったら、対処出来る者はかなり限られる。

 例えば深海の底。光も届かないソコから帰還出来る方法はちょっと思い付かない。

 例えば宇宙の果て。どうしようもない。


(まぁ楽園での限定的な技みたいなモノだと思うけど……心臓に悪いなぁ……)


 遅れてやってきた不安がどんどん強くなる。ただ、ここは先程までいたカタストロフィ地点に比べるとかなり空気がマシだった。


 油の匂い。土の匂い。紙の匂い。絵の具の匂い。ホコリの匂い。


 美術館の空気が清廉だとするのならば、ここの空気は「雑多」だった。でもわたしの好きな匂いだ。


 そこの主であるポーテンスフは優雅に一礼をして見せた。ピエロ姿とはいえ長身の彼が片手を広げながら見せたそのポーズはとても様になっている。……どうやら先程の狂乱ぶりは見事に消えているようだ。イヒヒヒヒ! って嗤ってたくせに。


[ようこそ、私のアトリエへ。ここに足を踏み入れたのは貴女が史上初です]


「踏み入れたというか、招かれたというか」


 そう答えながら周囲を見渡す。


 そこはわたしの知っているアトリエとは、かなり雰囲気が違っていた。


 年期の入った木造の床と壁。カーペット類は見当たらない。すごく大きなログハウス、みたいな感じだ。天井が高い。階段が見えるので二階が(もしかしたら三階以上も)あるんだろう。そして大きな窓がいくつか。陽差しがよく差し込んでいて、とても明るい。


 ……かと思っていたが、どうやら陽差しではなかったらしい。何故か部屋の中に薄暗い所が点在していた。


(作った物を明るい所と薄暗い所で見られるように調整したって感じかな)


 つまり謎光線。まぁ楽園ではよくある事だ。


 造りはしっかりしているようだが、汚れていたり、なんなら床の隙間から雑草が生えていたりもする。だけど廃墟というわけじゃない。…………無理矢理説明すると、ここは『廃墟だった場所を手入れして、住めるような形にした屋敷』のようだった。


「……貴方はここで絵を描いているの?」


[絵を描いて、像を造り、装飾品も拵えます。武具も鋳造しますし、箱庭も組み立てます。……楽器を試したこともありますが、音楽はあまり私の琴線には触れませんでしたね]


「ふぅん……」


 色んな物を制作しているらしい。


 だけどキョロキョロと辺りを見渡してみても、このアトリエには何も飾られていなかった。


 きっと作った……造るメイク? それとも創るクリエイト? それらの違いはよく分かんないけど……とにかく。そう、とにかく制作物は美術館かカタストロフィ地点に送られているんだろう。


 制作途中の物も見当たらない。


だけど道具らしきものが沢山あることにわたしは気がついた。特に筆や絵の具の類いが多く見える。


「やっぱり絵を描くことが多いの?」


[そうですね。分かりやすいので]


 ポーテンスフの返事は明瞭だ。ハキハキと喋ってらっしゃる。……もしかして、ちょっとウキウキしてる?


[知性あるモノが絵を描くのは、それが巧拙を問わなければ簡単・・だからです。そして材料の用意がとても容易い。地面や壁、なんなら肌にさえ絵は描ける。更に言えばそれを描く筆の用意も容易い。極端な話し、指でも絵は描けるのですから]


「まぁ、確かに。上手いか下手かはさておき、子供だって絵は描けるよね」


[それに対して像の作成は少し難しい。アクセサリー等も同様です。だけど私が求めるモノ・・・・・・・に必要なのは難易度や道具の種類ではなく、試行回数でした。だから私は絵を描くことが多い。……多いだけですけどね]


「……今までに何枚ぐらい描いたのか覚えてたりする?」


[数をかぞえたことは無いですね。まぁそんなことはさておき、貴女をこのアトリエに招待した理由は先程申し上げた通りです。私が作った物を改善してほしいのですよ。もちろん改悪でも構いません]


「うう。さっきも言ったけど、責任重大すぎる……」


 続く「遠慮したい」という禁句は流石に省く。


 わたしは「ふぅ」と鼻からため息を吐き出して、顔を上げた。


『あんまり期待しないでね?』ということを伝えるつもりだった。


 だけどそのセリフは完全に手遅れだった。


 ポーテンスフが幸せそうな顔でニコニコしていたからだ。



[あぁ……愉しみです……今まで無数の作品をつくってきたつもりですが、アレらがどんな風に変化するのか……ふふっ、愉しみです]



 期待されている。

 それもかつてない程に。


 ポーテンスフがこの楽園に収まってからどれぐらいの時間が経ったのか、どれぐらいの作品を描いてきたのか。そのどちらもわたしには分からないけれど、彼がいますごく久しぶりに興奮しているのが見て取れた。


 過剰な期待と言ってもいいだろう。重すぎる責任だと嘆いても許されるだろう。


 だけど、イヤな気持ちにはならなかった。


 ポーテンスフが初めて見せた種類の微笑み。それが本当に無邪気な表情だったから。



 ――――このヒトは殺戮者で、きっと今まで会ったどんな魔王よりも命を奪ってきた存在で。はっきり言ってしまえば凶悪だ。


 ――――――――だけど。だけどそれでも。独りぼっちの楽園で幸せを感じられないのは、やっぱり可哀相で。



 わたしは魔王だ。わたしはお父さんの娘だ。そして傲慢だ。

 例えばわたしが何か赦されない事をしたとしても、わたしを罰することが出来るのはわたしだけ。何故ならわたしは月眼の魔王。セラクタルの存在意義そのもの。だからきっとわたしがポーテンスフさんに干渉することは罪ですらない。


 ……まぁ、罰に関して言えば流石にお父さんだけは例外だけど。


 でもお父さんはわたしに怒ったり説教したり、酷い時には『今日はもうフェトラスとは口をきかん!とか言ったりするけどそれは罰じゃない。愛の鞭だ。(ついでに言えばお父さんは『口をきかん!』と怒鳴った後で『そんじゃ、また明日な。おやすみ!』と怒りながらも言ってくるのだ。嗚呼かわいい……)


 えへへ。話しがそれました。


 まぁようするに。


 わたしがポーテンスフを幸せにしたところで、誰に怒られることも無いのだ。


 彼の罪ははるか過去。そして今の彼は誰も害していない。

 

 だからわたしは全ての事情を棚に上げて、その微笑みに報いようと思ったのであった。


(彼のワクワクしてる姿を見たから感化されちゃった、なんて……我ながらチョロすぎかな?)


 そんな葛藤もあったけど、わたしは悪くない気分で頷いた。


 作品の改善、もしくは改悪……ね。


「分かったよ。約束は出来ないけど、頑張ってみるね」


 素直な気持ちでそう伝えると、ポーテンスフは子供のように全身で喜びを表現した。


[では二階に案内しますね。私が作ったものは全部そこに置いてあります]


「えっ。さっきまで居た場所に飾ってるんじゃないの?」


[まさか。私が製作した物で、飾るに値するものは一つもありません]


 朗らかな笑顔で苛烈なことを言うポーテンスフ。


 そしてわたしはこの楽園の名前を思い出した。


『アトリエと展示会場』


 ……アトリエの方が先にある。それはつまり、彼にとってアトリエの方が重要だということ。


 なのに、展示出来る物が何一つ無い。


 それが示す事実――――ここが楽園であるにも関わらず、彼はここに居場所が無い。


 まるでわたしだ・・・・・・・


 わたしは心がギュッとなったけど、その重たい痛みを「……頑張るぞ」の気持ちに変換させた。




 二階。廊下があって、床と同じく木製の扉が三つ並んでいる。


[製作した物は美しさを目指した物、醜さを目指した物、判断がつかない物、の三つに別けています]


「なるほど」


[というわけで選んでください。まず・・どちらの部屋に行ってみたいですか?]


 もしかして全部の部屋を、全ての作品を見せるつもりじゃないだろうなポーテンスフ。

 ……それはちょっと遠慮したいな。


 禁句(遠慮)を口にしないよう気を付けて、わたしは本音を告げた。


[全部の作品に口を出すのは、ちょっと違うと思うんだけど」


[おや]


「わたしが頑張るのはきっかけ作り。作者は貴方。だから……自分が一番自信のある作品を見せてほしいな」


[…………難しいことを仰るのですね]


 ポーテンスフは思いっきり眉間にシワをよせて考え始めた。


[一番自信のある……? そんなこと考えたことない……全て無価値だ……だけどその中で優劣を付けろと? ゼロしかないのにイチを与えろとは、まさに禅問答]


 ブツブツと呟いたあと、ポーテンスフははっきりと落胆を表明した。


[どのゴミがマシか、と問われるとは思ってなかったですね。私が期待したのはゴミを彩ってもらうことです]


「それはゴメンね。でもわたしはずっとここにいるつもりは無いんだ。わたしには帰らなくちゃいけない場所がある。だからわたしはキッカケを与えられたらいいな、って思ってるんだ」


[ですが……]


 食い下がろうとしたポーテンスフにわたしは苦笑いを浮かべて見せた。


「わたしがいないと完成しない楽園なんて、前提がちょっとズレてると思わない?」


[…………しかり。まったくもって仰る通り。非情なまでに正論であると言えるでしょう]


 よし、通じた。わたしは心の中でガッツポーズを取る。


 対照的にポーテンスフのテンションはガタ落ちだった。さっきまでルンルンしてた反動もあって、すごくションボリ気味。


[ふむ。しかしそれはさておき、一番自信のあるもの……ううむ……この問いは解答不可能と言わざるを得ない…………]


「そ、そんなに難しいなら別のでもいいよ」


[それは有り難い。では条件を提示してください]


「例えば……ええと…………わたしが好きそうな絵とか?」


 ただの思いつきだったが、そう言うとポーテンスフは目を丸くした。


[貴方が好きそうな……ふーむ]


「うん。さっきちょっと思ったんだけど、わたしが遠慮してるとか、醜い絵が嫌いとか、そういうの見抜くのが上手だな、って」


[ふーむ。確かに]


「だからそれの延長で考えてみてほしいな。わたしが好きそうな絵ってどんな絵だと思う?

 ちなみにわたし自身もソレの正解は知らない」


[再び難問ですね。ですが今回の問いには明確な答え・・・・・がある]


「あるんだ!?」


 わたしは少しビックリしてしまって、思わずマヌケな表情を晒した。


 ポーテンスフは淡々とした様子で片手を上げた。


[ではご案内しますので……そうですね。目を閉じて頂きたい]


「あっ、はい」


 言われるがままに目を閉ざす。それとほぼ同時に(今度は移動の合図送ってくれるんだ)なんて事を考えた。


[………………]


「………………」


[………………]


「……え、えっと?」


 ちょっとした沈黙が続いたので、わたしは怖々と声を出す。


[……ああ、すいません。…………ガラにも無く、というか……そうですね。生まれて初めての事なんですが、どうやら私は緊張しているらしい]


 いきなり人間味のある言葉。しかし同時に「生まれて初めて緊張している」だなんて、よく考えたら人間として通常あり得ないセリフ。


 わたしはフッと笑って「わたしはしょっちゅう緊張してるよ」と言ってあげた。


[そういうものですか。……では、どうぞ目を開けてご覧になってください]


 わたしは大人しく目を開けた。



 目の前の光景を見た瞬間。ギュウッ!! と心臓が握りつぶされたような感覚に陥った。


 視線を下から上へ。

 顔を左から右へ。

 瞬きをする余裕も無かった。


 それは巨大な絵だった。


 いや、いくらなんでもデカすぎる。


 ちょっとした山と同じサイズ・・・・・・・だ。


 言葉を発することも出来なかった。目の前の絵の大きさが理解出来ない。美術館の廊下とは比べ物にならない。掛け値無しに遠近感が狂う。巨大というよりは、広大な絵。山と同じサイズの絵。


 本気で立ちくらみがしてきた。


「な……に、これ……」


[私が製作した物のなかで、一番大きな絵です]


 自然が描かれている。建物が描かれている。生き物が描かれている。きっとこの絵が描いているのは『世界』そのものだ。


 大きすぎて絵の端が見えない。上下左右どちらも。


 一度ギュッと目を閉じてから、わたしは後ずさった。


「……これ、どれぐらいの大きさなんですか?」


[大きさ。ふーむ……計ったことは無いんですが、おおよそでよければ。おそらく横が1キロメートル、縦が30チェーン程度でしょう。つまり約60ヘクタールということになります]


「ぜんぜん分かんない」


[……ふーむ]


「とりあえず大貴族が持ってる領地と同じサイズ・・・・・・・・感だってことは理解したよ」


 わたしは目を開けて、絵以外の部分に注目してみる。ここは真っ黒な空間だった。なんだか雰囲気的には月眼の間の《外》に似ている。


 ポーテンスフは強ばったような無表情でわたしを見つめていた。それはまるでこの絵の感想が聞きたくてしょうがないけど、それと同じぐらい「聞きたくない」という感情が混ぜ合わさったような無表情だった。


「えっ、と。えとね」


[はい]


「…………ちょっと言葉に出来ない。えーと、ごめんなさい、ちょっと待って」


 わたしはもう一度絵の方向に振り返る。


 馬鹿馬鹿しい大きさだ。執念なんてレベルじゃない。いっそ妄執とか怨念に近い発想力がいる。そして書き込み具合もかなり酷い。緻密すぎるのだ・・・・・・・。一枚の葉ですら躍動感がある。動物に至っては次の瞬間に動き出しそうなぐらい。まさに超絶の写実。


 これは月眼の魔王にしか、否、ポーテンスフにしか描けない絵だ。


 いや、もうポーテンスフさん・・と呼ぼう。


 このヒトの性格や経歴はともかく、この魔王が作り出した物は尊敬にあたいする価値がある。


「すごすぎる」


 本気でそれ以外に感想が出なかった。


「すごすぎる」


 その言葉を繰り返すたびに、なんだか飛び跳ねたくなるような気持ちになった。


「……めちゃくちゃすごい!! なにこれ!? ポーテンスフさん、すっごく絵が上手じゃん!」


[上手、ですか]


「最高だよ! え、待って。やだ。すごい感動しちゃってる。……ちょっと飛んでじっくり見てきてもいい!?」


[どうぞ]


 やったぜ、と快哉を上げるみたいにわたしは【飛虹】を唱えたのであった。



 ここは上下左右の奥行きが実感し辛い謎空間。わたしはまず飛び上がって、絵の全体像が見えるぐらいに後退した。


 そして呆れた。


 呆れ果てた。


 大きな絵という簡素な表現は不適切。まさしくこれは『山よりも大きな絵』だ。そしてそれは精密にして複雑な絵であるくせに、遠目で見ると「陸と海と空」が描かれた一枚の絵のように見える構成になっていた。だけど近づくと、絵が分解されて風景の一コマになる……ああ、間違い無く、これを描いたヒトは頭がおかしい。つまりポーテンスフさんは最高に頭がおかしい。


 こういう絵って、なんていうんだっけ。モザイクだっけ? ……例えば一部分を切り取って額にいれたとしても、それは「完成した絵」になるような気がする。


 人間の営みが描かれていた。魔族が踊っていた。動物は無邪気に群れをなしていた。朝と昼と夜が隣り合っていて。法則性はよく分からないけど世界があった。


 そして美しいものと同じくらい、醜いものがあった。


 死体があった。戦場があった。血なまぐさい生存競争があった。炎上する建物もあるし、不気味な怪物が闊歩している森もあった。


(…………全部見るのにどれぐらい時間がかかるんだろう?)


 分からない。というかこの絵の全て・・を見ることは不可能なのかもしれない。


 わたしの好きな風景があった。わたしの嫌いな光景があった。心に残る景色があった。心に傷を与える場面があった。


 大きすぎる絵。きっと右から左へと全てを見ていったら、最初の光景の印象が変わってしまう。そういう意味で、この絵の全てを見ることは不可能なのだ。


 わたしは素直に「面白い」と思った。それと同じくらい「美しい」と「醜い」を感じて、興味深くて、嫌悪を覚えて、目をそらしたくなって、けれども見入ってしまって。もうぐっちゃぐちゃ。


 ――――どれぐらいの時間をかけただろう。


 わたしは夢中になって絵を眺め続けて、正直ポーテンスフさんのことを忘れていた。




「……すいません」


[なんの謝罪でしょうか?]


「…………長々とお待たせしてしまって」


[構いませんよ]


 ようやく我に返ったのは絵を二周してしまった後。かかった時間は自分でもさっぱり分からない。


 わたしが恐る恐るポーテンスフさんの元に戻ると、彼は相変わらず無表情だった。


[それで、いかがでしたか?]


 感想を求められたと思ったわたしは、あふれ出る笑顔をそのまま広げて口を開いた。


「最高。なんか、すごかった。それが素直な感想。語ろうと思えばずっと喋れそう」


[すごかった。ふーむ…………失礼、私はこの絵をどう改善、あるいは改悪するかを尋ねたつもりだったのですが]


「えっ」


 自分の目がまん丸になったのが分かった。


 この馬鹿げた素晴らしき絵に、干渉する?


「これはもう完成・・してると思うんだけど」


[…………そうでしょうか]


「そうだよ!」


 わたしは思いっきり両手を広げて熱弁する。


「この絵はすごいよ! もう十分すぎるほどに!」


[…………そうでしたか]


 そう言って彼が浮かべた表情は、とても柔らかだった。

 これもまた初めて見た表情。


[なるほど。第一の希望は叶いませんでしたが、第二の希望は叶ったようで何よりです]


「第二の希望?」


[貴女が好む絵を紹介しろ、というリクエストが遂行出来たようですので]


 何を今更。

 わたしは絶叫した。


「それは間違い無く!! わたし、この絵大好き……というか、好きって言葉だけじゃ足りないかも! すごくすごく最高に感動した!」


 わたしが全力の身振り手振りで興奮を伝えると、ポーテンスフさんは[フッ]と嗤った。


[――――嗚呼、なんでしょうね、この気持ちは]


 そう呟いた彼は、なんだか泣きそうな顔をしていた。




[それはさておき。時間も経った事ですし、改めてこの絵を改善・改悪するためのアイディアをください]


 ポーテンスフさんはブレずにそう言った。


 なのでわたしは改めて「無理ッ!」と満面の笑みを返した。


「ごめんなさい。これは、本当に無理。手を入れたくない。ポーテンスフさん的に言えば干渉したくない」


[それは、何故でしょうか]


「最高だから」


[…………最高、ですか]


「わたしこの絵が大好きだよ。そしてそれ以上の気持ちがある。あんまり言葉にしたくないし、この気持ちを上下させたくない」


[ふーむ………………むぅ…………]


「いや本当にすごいんだよ。めっちゃ感動したんだよ。これを超える絵って、もうこの世に無いんじゃないかな……あっ! 閃いた! ねぇねぇポーテンスフさん! これよりもわたしが気に入りそうな絵って心当たりある!?」


[在りません]


「くっそぉぉぉぉぉ!!」


 まさかの断言にわたしは地団駄を踏んだ。


「無いか! まぁ無いよね! あってたまるか!」


[…………]


「いや本当にマジでめちゃくちゃ感動しちゃったんだよ……一周半目で、ちょっと泣きそうになっちゃったもん……」


 ブツブツとそんな感想を唱えていたら、ポーテンスフさんが微妙な表情を浮かべていた。


[……そこまで気に入って頂けたなら、この絵にも価値があったという証左でしょう。しかし、相変わらず私にはこの絵の価値が理解出来ない]


「えっ。なんで」


[……何故。……ふーむ…………何故…………この絵を見ても、私の心が動かないからでしょうね。砕いて言えば、私のテンションが上がらないからです]


 ポーテンスフさんは苦悩に満ちた表情でそう言った。


 苦しそうに。胃が空なのに吐き気を催したように。悲しそうに。


 わたしは思わず目を丸くしてこう言った。



「それは、割と当たり前・・・・のことなんじゃないかな……?」



[えっ]


 虚を突かれたような彼の表情に、わたしは逆に戸惑いを覚える。


「わたしも絵を描くの好きだけど、ここまで気合いの入った絵は描いたことないし、描ける気もしない。……そして、お料理を作るのは好きだけど、ここまで突き詰めたこともない」


[………………ふむ]


「もちろん出来た料理が上手に作れたら嬉しいけど、本当に嬉しいのはその後。わたしにとって重要なのは料理の出来映えじゃなくて、その料理を食べてる人が嬉しそうかどうかだよ」


[………………]


「ポーテンスフさんは自分の書いた作品でテンションが上がらないって言ってたけど……わたしからすればそれは当たり前で……ええと、つまりね?」


 わたしはポーテンスフさんに伝えたい気持ちがある。けれど上手に言葉に直せない。だけど、ここではきちんと言葉にしないといけない。伝えないといけないし、理解してもらわないといけない。何故ならば、わたしがこの絵に感動したからだ。



「……自己満足で書く絵より、自己満足で作る料理よりも。――――それ以上に自分を満足させてくれるのは、他人からの評価なんじゃない、かな」



 伝わっただろうか。


 あまり言葉を重ねすぎるのもよくないけれど、伝わらないのならば意味が無い。……だけどうっとうしい長話は相手の心に届かない。


 そんな二律背反。もしかしたら矛盾の一種。でもどちらも『伝わってほしい』という願いが根源にある。そんなわたしの言葉に、ポーテンスフさんは困ったような表情を浮かべた。


[……すいません。あまり理解出来ないですね。…………私は他者のために絵を描いたことが無いので]


 それはそうだ。ここは無人の楽園。幾千幾億の絵を描いても、見せる相手は誰もいない。だからわたしの言葉は届かない。悔しいけど仕方の無い話しだ。


 そして同時に理解した。彼は美術品愛好家ではなく、製作意欲に取り憑かれたナルシストな芸術家でもなく。


 彼はきっと挑戦者・・・だ。


 答えの無い迷路に入って、行き止まりにたどり着いたヒトだ。


 だけど何も諦めていない。故に道を見失ってしまった、哀れなヒト。


 そして同時に「高潔だな」とわたしは思った。


 だってそうじゃないか。ここは楽園。自らが望んだ希望が全て叶う、愛の花園。


 だけど彼は花が咲き誇る庭園を求めずに、自ら花を咲かそうとした。



 だとしたら、この楽園に必要なのは作品の数でも質でもない。



 どうか届いて、とわたしは傲慢な願いを抱きながら口を開いた。


「絵を描いて、それを誰かが喜んで笑顔を浮かべたら、それもポーテンスフさんの作品と呼んでいいんじゃないかな」


[……?]


「見たヒト自体が、変化するキャンバスみたいな。――――いや、これはちょっと語弊があるかな…………えっとね、わたしこの絵がすごく好き。これを書き上げた熱意は尊敬に値するし、その出来映えは賞賛に値するし、もっと色んな人に見てもらいたと本当に思う」


[はぁ]



「だから貴方は、ごめんだけど、自分が満足するよりも、他の誰かを満足させる方が向いてると思う」



[――――すいません。今までで一番理解出来ませんでした。もう一度分かりやすくお願いします。あるいは命乞い・・・をお勧めします。言葉の使い方の如何によっては、貴女は私の楽園を強く否定したのですから]



 オーケー。


 わたしは覚悟を決めた。


 この高潔な狂人を幸せにするために。




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