寂しさに寄り添う世界
「よいしょ、っと」
ロキアスさんにセラクタルに戻してもらって、到着と同時に周囲の光景を見渡す。どうやら森のようだが、わたしが送られてきたのはいつものように見知らぬ景色だった。ロキアスさんが[特定の座標に送るのは無理だ。式が複雑過ぎる]と言っていたので仕方が無いんだけど。
【異層転移】は現状でロキアスさんにしか使えない魔法だ。セラクタルと月眼の間を繋ぐほぼ唯一の手段と言ってもいい。
月眼という資格を得た魔王をカミサマ達が招くこともあるが、現在わたしの月眼は未完成品。なのでロキアスさんを頼るしかない。
まぁ何の問題もない。わたしの資格は永久に完結しないけど、永遠に枯れることもない。
セラクタルを離れて三ヶ月と少し。この間にお父さんが生まれ変わっていたら大変なので、わたしは月眼を起動させて呪文を唱えた。
[もう産まれてて欲しいような、でもどうせなら産まれた瞬間に立ち会いたいような……まぁいいや。では早速。……【全域透化】――【刻印示返】……ッ]
まるでかくれんぼでもしている子供を探すみたいに、世界中に向けて「もーいいかい?」と尋ねる。そんな魔法だけど「まーだだよ」すらも帰ってこない。沈黙。いつも通りの結果。
[…………残念。まだかなー。まだなのかなー]
わたしは毎日この魔法を唱えてお父さんを探している。
だけど返事は来ない。まだ来ない。
――――お父さんがまだお父さんだった頃、わたしはあの人にお願いごとをした。
『ねぇねぇお父さん。お願いがあるんだけど……あのね、お父さんの寿命を十五分だけもらってもいい……?』
『いいぞ。というか十五分と言わずに、好きなだけ持っていっても構わんぞ?』
『そんなのわたしが耐えられない。本当は一秒だってイヤ。だけど……どうしても必要なことなの』
『そうかい。じゃあ持ってけ。……ところで何をするつもりなんだ?』
『あのね……お父さんが生まれ変わったらすぐに見つけられるように……魂っていうのかな? とにかくそういうのに目印が欲しいというか……そう、印を付けておきたいの』
『マーカー……マーキング? そりゃアレか。犬が自分の縄張りを、いや、ごめん、なんでもない。お前は真面目に言ってるんだもんな。例えも適切に使わないと失礼だよな。ごめんって。そ、そんなに怒らないで』
『……本当はこういうズルはしたくない。でも、お父さんが産まれた直後にもしものコトが起きてしまうかもって考えると、何もしておかない事も耐えられない。ごめんね』
『別にいいってば。来世でもよろしくな』
『………………』
『泣くなよ。心配すんな、まだ死なねぇから』
お父さんの魂の一番奥の、そしてど真ん中を探る。
魂の情報を抽出。そして刻印を施す。削り取られた十五分の寿命。
……気合いで十三分に短縮。
それをわたしの内面に保存。
そして情報が摩耗しないように複製を用意。
魂が劣化しないように保護。
ここまでフォースワードを六回使った。
そして世界のどこで産まれても把握出来るように、自分の足で世界中を巡った。おかげでわたしの頭の中にはかなり正確な世界地図がある。
あとはその脳内地図を利用した魔法を唱えて、更にマーカーに呼びかける魔法を唱える作業。
『探すのばっかりに没頭しないよう、一日一回だけにしろよ』なんてことをお父さんは笑いながら言っていたけど、結局は朝昼晩唱えてしまっている。
でもまだみたい。
何度唱えても返事はかえってこない。
寂しい。きっと今のわたしの、全ての感情はそこから始まっている。
寂しい。
楽園に入っていれば、こんな思いをせずにすんだのに。
歴代の月眼達のように、わたしも幸せしかない世界で生きられたかもしれないのに。
「お父さん……」
何度呟いても返事は、彼は帰ってこない。
まだかなぁ。
会いたいなぁ。
まだかなぁ。 発狂しそう。
生まれ変わりは確実に存在する。
これはカルンさんに調べてもらったり、カミサマやロキアスさんにも確認したから間違い無い。
まず聖遺物が一番分かりやすい。
彼らの中には源泉に帰還した後でも自己を保つモノが存在する。再び発生する際には色や形を変えている事が多いらしいが、前世の記憶を不完全ながらも保持する聖遺物は実在する。(なお聖遺物と意思疎通が出来るカルンさんにしか確認出来ない情報だった。カミサマ達ですら確信は抱けなかったらしい)
前世。
それは人の魂とて同じ事。源泉から産まれたモノは源泉に還るという理に従えば当然の事だろう。
記憶が残ることは本当に極小だが、たまにはそういう人間も存在するらしい。
わたしにとって問題なのは、その魂がいつ帰ってくるのか不明だということ。十秒後なのか、十年後なのか。それとも百年、千年かかるのかは誰にも分からない。
聖遺物ならば源泉から強制的に呼び出す召喚という技法があるらしいが、生き物では無理っぽかった。めちゃくちゃ勉強したり、学者に依頼して挑戦してもらったり色々試したんだけどね。
だからわたしに出来ることは、気長に待つことだけ。
ちなみにお母さんと、ティザリアとキトアにも印は施している。わたしの最初の家族はやっぱり特別なのだ。
お父さんが人間ではなく花や動物、いっそ聖遺物や魔王に生まれ変わる可能性も実は否定出来ない。
カミサマ曰く、人間に産まれる可能性が一番高いらしいけど。
まぁいいんだ。姿形はもう問わない。ただ会いたいだけ。幸せにしてあげたいだけ。
「まだかなぁ……」
三ヶ月も空けたのだ。今日こそはと思ってたんだけど、どうやらまだみたい。
長い間わたしはそこに立ち尽くして自分の中の激情をなだめた。
(落ち着けー。落ち着くんだわたしー。……なんかいつもより情緒の乱れが激しいなぁ。三ヶ月も期間を置いたのに、っていう苛立ちのせいかなぁ)
「……ま、いいか。お父さんのお産婆さんになれる可能性もあるわけだし」
そう呟くと、不意に嵐のような突風が吹いた。というか実際にこれは嵐のカケラだろう。
その風に乗ってわたしの弟みたいな存在、ディアウルフが空から落下してきた。
ちなみに彼も魔王だ。昔、山奥で拾った。その辺の話はまた別の機会に。
「よう姉貴」
「よくここが分かったねディア。というかここどこ?」
世界地図が頭の中にあるとはいえ、流石に森の一角までは覚えちゃいない。というかそもそも環境は変動していくものなので、そこまでの対応は出来ない。
わたしが尋ねるとディアは何気なく答えてくれた。
「アガタリヤ大陸の北方だよ。んで、いつもの魔法使っただろ? 急にそんなデカい存在量を感じ取ったから、興味本位で見に来たら姉貴がいたってわけ」
「それにしちゃ早すぎるよ。全速力にもほどがある。……もしかして、わたしが帰ってくるのずっと待っててくれたりした?」
苦笑いの後にからかってみると、ディアは一瞬だけぴくりと肩を震わせた。
「ば、バッカ。んなわけあるかよ。たまたま偶然近くにいただけだっつーの」
ディアはツーンと顔をそらして誤魔化している。かわいい反応だこと。
ディアは発生して結構な時間が経つのに、まだまだ子供みたいな体型だ。成長がかなり遅いタイプ。大器晩成型というヤツらしいが、ずっとこのまま可愛い弟分であってほしいものだ。
「偶然ねぇ……はいはい。そういう事にしておきましょう。……ところで何か変わったことはあった?」
「別に? いつも通りなんじゃね」
「まぁ三ヶ月ぐらいじゃどうにもならないか」
「強いて言うならどこぞの賢いバカが、燃える石とかを利用して爆発する変なアイテム作ったから王国が取り締まったぐらいかね」
「つっ」
ふと、パーティル様と遊んだゲームを思い出す。確か近未来兵器で、爆弾とか呼ばれる危ない道具があったっけ。
「……やっぱり完璧な管理は無理か…………」
思わず小声でそう呟いてしまう。
――――この世界には複数の結末が用意されている。
その中の一つに【人類による自滅】というものがある。カミサマ達による管理放棄のため文化が成長、というか武器類の進化が始まってしまい、その果てでセラクタルを丸ごと炎上させたり、毒をまき散らしてしまうのだ。
王国騎士団にお願いしてその辺は厳しく取り締まってもらってはいるが、人々が自分のお家で何をしているのかまで監視するのは不可能だ。
お父さんが生まれ変わって幸せになれるような文化や技術の進化は嬉しいのだけれど、残念ながらそれだけに収まらないのが進化だ。
最近、たまに思う。
いっそ世界征服とかして、現状の維持を徹底させる……みたいな事を。
でもそれはかつてお父さんと思い描いた世界征服じゃない。本気で文明の進化を禁止させるのならば、もっと現実的な方法を採らざるを得ない。
まぁ簡単にいうと恐怖政治だ。
『みんな仲良くしてね!』
『はーい!』
ではなく。
『考える事を止めろ』
という命令だ。
返事は求めない。逆らう者は全て粛正するのみ。
(全然健全じゃないけど……でもわたしならそれが出来ちゃうから問題なんだよなぁ……)
海で自由に泳ぐ魚の全てを、超巨大な水槽にぶち込むようなものだ。めちゃくちゃ面倒くさいけど、不可能ではない。なんなら文明進化を禁止する事より簡単かもしれない。
採れる手段がある。だったらいっそ、致命的なブレイクスルーが起きるまえに、やってしまおうか。なんて。
思わず魔力が漏れ出してしまう。ほんの少しだけ音を立てて、双角が密度を増す。
……だめだ。三ヶ月もセラクタルを離れたせいで、心がすこし荒んでいる。
というか原因は月眼の魔王達だろう。あんな好き勝手に暮らしてるヒト達と触れあってしまったせいで、わたしの人間性が揺らいでいる。
なんでわたしは寂しいのに、あなた達は――――。
そんな風に思考が煮えて、感情が凍り付いて。
それと同時に、ディアが半歩だけ後ずさったのが分かった。ザッ、と。分かりやすく。
「姉貴」
その呼びかけには強い緊張感が含まれていた。
なので、反射的にわたしは自分のほっぺたをかなり強く叩いた。
「いったぁい!」
「………………」
「……ああ、ごめんごめん。なんでもないよ」
大丈夫だ。寂しいけど、大丈夫なんだ。
この寂しさがあるから、再会出来た時の喜びは多いはずだから。
よし。
それはさておき――――こういう時は気分転換をしよう!
さっき食べたばかりだからお腹はすいてないけど、とりあえずご飯だ!
「ディア。お腹すいてる?」
「あー。……まぁ、それなりに」
「じゃあお姉ちゃんがご飯作ってあげよっか」
「……激辛の肉炒めが食いたい」
「りょーかい」
わたしがおどけたポーズでそう答えると、ディアは全然違う方向を見ながら「……それ食ったあと、久しぶりに手合わせしてくれよ。身体動かしたい気分なんだ」なんてリクエストを付け足した。
かわいいなぁ。
ディアはわたしの■■の発散に付き合ってくれるらしい。隠したつもりではあったけど、やっぱりバレてたみたい。……それにしても、あんなに乱暴者だったディアがこんな風に気を遣えるようになるなんて。お姉ちゃんは嬉しいよ。
「よしよし」
わたしが満面の笑みでディアの頭をなで回すと、彼は「さっ、さわんな!」と激しくその手を振り払ったのであった。
「というわけでまずは激辛料理だ! ちなみにどんなレベルの辛さをご所望かな?」
「肉の一切れで、汗が噴き出るぐらい」
「わぁ暴力的。んー、だとしたら少量でもめっちゃ辛いアレを使うかな」
「野菜は入れんなよ」
「却下だねぇ」
わたしは頭の中で『肉だけ激辛に炒めて、別に炒めた野菜の上に乗せてみるか』なんてゆるいレシピを思い浮かべながら、先日習得した【飛虹】を唱えた。
足下に現れるのは虹の床。ついでにディアにも同じ魔法を施して、二人で飛ぶ。
「……ナニコレ」
「空中にて最強の機動力を誇るわたしの魔法」
「……わけわかんねぇ。風でも反重力でもないのに、なんで飛べるんだよ…………」
「ダブルワードだけど、編んだ式は結構複雑なんだよ」
あんまりスピードは出ないけど、焦ることはない。
だってお腹空いてないもん。
そのまま少し空の旅を続けて、北方から西方へと移動していく。
目指すは大都会。以前お料理修業をしたレストランが残っていたらそこを訪ねるつもりだ。
空中散歩の合間、ヒマだったのかディアが話しかけてきた。
「なー姉貴。今回はえらく長い間留守にしてたけど、何してたんだ?」
「……観光したり、遊んだり?」
命がけだったけど。
そんな言葉を飲み込んでいると、ディアは少しふくれっ面になった。
「どこに行ってたのか知らないけど、優雅なことで。……楽しかったか?」
「興味深かった、とだけ言っておくよ」
「ふぅん」
「なによー。なんか言いたい事あるならはっきり言えー」
「いや別になんもねぇよ。ただの世間話」
クールにそう言い捨てる彼だが、その顔には『フェトラスお姉ちゃんは何か隠してるけど、口を割りそうにないなぁ。ちぇっ』と書かれている。そんなキュートな表情を見てしまったわたしは、デヘヘと笑みをこぼす。
「もう。ディアったら本当にシスコン。そんなにお姉ちゃんの動向が気になる~?」
「ブッ飛ばすぞ」
のんびり飛んで、都会に到着。
偽装工作が面倒臭かったので、人気の無い路地裏に急降下。こうしてわたし達は無事に人間領域に忍び込むことに成功した。
まぁ言い方がちょっと物騒になったけど、日常茶飯事だ。
「はい、ここから先は魔法禁止ね」
「言われるまでもねぇよ」
二人揃って、双角を限りなく短くして髪の中に隠す。
これは普通の魔王だとめちゃくちゃ難しい行為なのだが、ディアには強制的に修行させたので問題無い。
「よし。じゃああっちの方向だよ。レッツゴー」
ん、と片手を差し出してみたがディアは軽くスルーして一人で大通りを目指し始めた。
「ガキ扱いすんな。もう手なんて繋ぐ歳じゃねぇよ」
「見た目完全に子供のくせに。一人でフラフラしてると誘拐されちゃうぞ?」
「この俺様を誘拐出来る人間がいてたまるか」
「そりゃそうか。わたしが五秒で奪還、お仕置きしちゃうもんね」
「そういうことじゃなくて……」
あんまりからかい過ぎたのか、振り返ったディアの顔はちょっと怒気をはらんでいた。
だけど。
彼はわたしの瞳を見つめて。
「…………もういいや」
何を感じ取ったのか。ディアは素直にわたしの隣りに並んで、手を取ってくれた。
「……ほら、さっさと行こうぜ」
ウチの弟分は可愛いなぁ。
目的地であるレストランに行ってみると、スタッフもお客さんも顔ぶれが変わっていた。そういえばここに来たのは何年前の事だったっけ?
カウンターの側で給仕をしていた女の子が愛想の良い笑顔を浮かべてこちらに駆け寄ってくる。
「いらっしゃい! 二人でいいのかな?」
「えっと、わたし達お客さんじゃなくて……料理長のボブブさんはまだいますか?」
「ぼぶぶ?」
大きく顔をかしげた女の子は、厨房に向かって声をかけた。
「ベックさーん! ボブブって人知ってますー!?」
『あ!? ボブブなら十年前に死んだぞ! 今更ヤツの名前を聞くとは思わんかったわ!』
「なんか知り合いっぽい人が来てるんスけどー。ちなみに超美人さんですー」
『なら詐欺師だな! ボブブはゲテモノ好きだったから、美人の知り合いなんていねぇ!』
とんでもない暴言が飛び交っている気がする。
だが厨房の奥から響いてくるのは、何だか聞いたことのある声だ。…………あ。
「もしかしてベグドトーリアス?」
わたしが何となく思い当たった人物の名前を口にすると、給仕の女の子がパッとこちらを振り返った。
「なんだ。今の料理長も知ってるんスね。お名前は?」
「フェトラスです」
「ベックさーん! フェトラスさんって人が訪ねてきてますよー!」
そんな呼びかけに返ってきたのは言葉ではなく、重たいフライパンを地面に落とす音だった。
そして顔を真っ青にした初老の男性が飛び出てくる。
「フェフェェフェフェェーー!?」
「やっほーベグドトーリアス。おひさ~」
「フェーーッ!」
ベグドトーリアスはコック帽を地面に叩き付けて「すまんみんな! 緊急閉店だ! 今日のお代は要らないし、次来たときもタダにすっから今すぐ帰ってくれ! ほんとすまん! だから逃げてぇぇぇ!」と絶叫した。
とは言われても、みんなの食事を邪魔するわけにもいかない。
わたしは殊更かわいく「お・ち・つ・け☆」とウィンクをしつつ、ベグドトーリアスをカウンター席に座らせた。そして振り返り、唖然としているお客さん達に向かって微笑む。
「すいません何でもないでーす! みなさんはお食事を続けてくださーい!」
店中の人間が首をかしげていたが、やがて食事は再開される。ときおり「ベックがついにボケた」「発狂してたな」「マジうける」なんて軽口が聞こえてきた。どうやらこのお店は相変わらずみんなに愛されているらしい。
しかしベグドトーリアスは椅子に座らせた途端に腰が抜けて、ついでに魂も口から半分抜け掛けているような有様だった。しばらくは使い物にならないだろう。
ひょいと厨房をのぞき込むと、作りかけのオムレツが地面に散乱していた。
「しょうがないなぁ」なんて呟きながらわたしは髪を後ろにまとめ、厨房に入る。
中にはオロオロしている若い料理人が一人。急に料理長が壊れたので動揺しきっているようだ。
「お邪魔しまーす。ベグドトーリアスの代理でーす。とりあえずまだ作ってない料理のオーダー、こっちに回してくださる?」
食器や食材は変われども、調理器具の配置はあまり変わっていない。
わたしは腰に隠し持っている相棒――大ぶりのシェフナイフ――を取りだして、目の前の光景に意識を集中させた。
いざ。
ランチタイムの終わりがけということもあって、残されたオーダーは四つ程度だった。材料の準備とかも済んでいたので、あとは作るだけみたいな感じ。
手早くそれを作って、給仕の女の子に回して。
ついでにベグドトーリアスにお水を出して、片付けを済まして。
「ご来店ありがとうございましたー!」
最後のお客さんを見送って、任務完了。
四品しか出してないけど、みんな満足してくれたみたいで良かった。
充実感と共に店内を振り返ると、ベグドトーリアスは呆けたまま。ディアは何やらジュースを飲んでいる。給仕の女の子は空いた皿を厨房に運び続け、そして若い料理人は帽子を脱ぎながらこちらに歩み寄ってきた。
「あ、あの……すいません。手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ。というかわたしがベグドトーリアスを驚かせちゃったせいだしね」
「はぁ……え、えーと……ベックさんのお知り合いなんですか?」
「そうなんだよ。ベグド……まぁ愛称でいいか。ベックー? いい加減正気に戻ってー?」
そう声を掛けると、彼はギギギギとやたら硬い動きでこちらに視線を寄越してきた。
「ふぇとらす」
「そうだよー。おひさー」
ヘラヘラと手を振り返すと、ベックは「嗚呼」とため息をもらした。
「マジかよ本物かよ。くそったれ。…………何しにここへ?」
「ご飯食べようと思って」
「なんでわざわざココに来るかなぁ……」
彼はしきりに「はぁ」だの「ふぅ」だの「はぁぁぁ」というため息を繰り返した後で、給仕と料理人に声をかけた。
「…………お前ら、今日は閉店だ。ディナーも無し。片付けもしなくていいから帰っていいぞ。というか今すぐに帰るんだ。お願いだから帰って」
「片付けぐらいするよー?」「帰れ」
「あ、あの……僕も残ります」「いやマジで帰って」
こうして無理矢理帰された二人。
静まり返る店内。そしてベックは「はぁぁぁぁぁぁぁ」と今日で一番長いため息をついて椅子から立ち上がった。
「……すまんな。面倒かけた」
「別に四品だけだし、大した手間じゃないよ」
「……マジで本物のフェトラスかぁ」
「いいかげん認めてよ」
笑いながらそう答えると、ベックはようやくニヤリと笑った。
「いや普通に信じられるかよ。十数年ぶりだぞ?」
「そんなになるかぁ。しかしベックは老けたね」
「当たり前だ。お前と違って、こちとらただの人間だぞ」
彼のそんな言葉に反応したのは、大人しくしていたディアだった。
「あれ? この人間、姉貴のこと知ってるの?」
「うん。ちょっと色々あってね」
色々あったのだ。
さて。……ベックのようにわたしが魔王であることを知っている人間は、少しだけど世界中に存在する。
いや結構多いか? お父さんの系譜と、王国騎士団の上層部、あとは個人的な知り合い。
減ったり増えたりする人間関係を何となく思い出していると、ベックの顔からまた血の気が引いていた。
「…………ところで、こちらのお坊ちゃんは?」
「ディアのこと? わたしのご同輩だよ」
「コイツも魔王かよ! なんて日だ!」
カウンターをバンと叩いてベックは嘆いたけど、腰を抜かしてディアから距離を取るようなマネはしなかった。それどころかディアに向かって苦笑いを向ける。
「フェトラスのこと姉貴って呼んでたっけか。…………アンタも苦労してるんだろうなぁ」
それはディアにとって予想外の一言だったのだろう。彼は目をパチパチとまばたかせて、フッと笑った。
「いつも尻拭いが大変だよ」
「違ぇねぇ。俺にも覚えがある」
「君たち失礼だよ?」
とりあえずディアのリクエストに応えるか、と思ってベックに断りを入れてわたしは再び厨房に戻った。
用意するのは豚肉と、葉野菜と、根野菜。あと隠し味にフルーツを少々。
「ベックも食べる?」
「当たり前だ。どんだけ腕が上がったか見せてくれ」
「別にそんな大したモノを出すわけじゃないんだけど」
そんな会話をしながらも、どうやら採点されるらしいのでちょっぴり本気を出す。
魔法による超火力での炒め物だ
あとはもちろん、愛情をこめて。
「はいお待たせー」
「速すぎねぇか?」
「時短レシピだよ」
「……あっ。さてはお前魔法使ったな? 魔王のそういう所マジで憎たらしいわ」
ベックは憤慨しながらも、目の前に料理を置いた途端に黙った。
「ディアは激辛。ベックはちょっとマイルドにしてあるよ。さー食べよう」
三人で仲良く並んで座って、いただきます。
ディアは最初にお肉だけ食べ続けていたけど、やがては野菜にも手を伸ばし始めた。ふっふっふ。辛いだろう。野菜で中和したいだろう。全てはお姉ちゃんの手の平の上よ。
こっそりと観察し続けてみたが、どうやら口に合ったらしい。良かったよかった。
だけどそんなパクパクモグモグと口を動かしているディアの横で、ベックは皿を持ち上げて料理をじっと眺めていた。
「……なんかそんなにジロジロ見られると恥ずかしいんだけど」
「…………このニンジン。綺麗な切り口だなぁ。サイズも均一。葉野菜だって形が美しい」
見た目を絶賛されている。ちょっと照れるな。
「褒めてくれてありがとう。ところで味の感想も知りたいんだけど」
「……おう」
ようやくベックは皿をテーブルに置き直して、フォークを動かし始めた。
それから彼は何も喋らなくなった。
黙って、一定のスピードで、とても美味しそうにわたしの料理を食べてくれたのであった。
ディアは割と大盛にしてたんだけど、あっさりと完食。
似たようなタイミングでベックもフォークを置いて、幸せそうな吐息を漏らした。
「ごちそうさま姉貴。美味しかったよ」
「……美味かった」
「お粗末様でした。じゃーちょっと片付けるかな。二人はゆっくり座っててよ」
そう声をかけると、ベックは目を丸くした。
「初対面の魔王と二人きりにさせんのか……うーん。こんな経験した人間って歴史上いるのかなぁ……」
ベックは困ったように笑っていたが、イヤでは無さそうだった。
ディアもディアで、彼はある意味で危険人物だが、わたしの弟分だ。引き続き大人しく座っていてくれることだろう。
「世間話でもしておいてよ」
「おう。じゃあフェトラスの恥ずかしいエピソードでも語っておくわ」
「あはは! さっきまで腰抜かしてたくせに、良い度胸してるよ」
料理をするということは、準備をして、調理して、片付ける、までがセットになっている。一つでも欠けたらそれはわたしにとって料理じゃない。
人に任せることもあるけれど、手を抜くことはダメダメな事なのだ。
勝手知ったる厨房でもあったので、片付けはすぐに終わる。ついでに魔法で洗浄しておこう。頑固な油汚れは熱で溶かして、水に含ませて、凝固させて、圧縮してゴミ箱にポイ。
ついでに刃物も研いでおくか。魔法でさっさっさと。
そんな作業の合間に、ベックが喋っている内容を盗み聞く。
「フェトラスは昔、この店で修行をしてたんだよ。俺の方が先輩だったけど、アイツの方が料理上手で肩身が狭くてなぁ。めっちゃ嫉妬してたもんだよ」
「……まぁ、なんとなく想像出来る。めちゃくちゃなレシピを考案したりしただろ」
「そうなんだよ。別の大陸の料理とかをまかないで作りやがって、当時の料理長がそういうのにハマっちまってな。おかげさまでこの店のメニューはかなり変わっちまったよ。家庭的な料理が売りだったのに、いつの間にか珍味の店だ。それがとある貴族の目に止まって……まぁ、色々な事件が起きたわけだ」
「例えばどんな?」
「フェトラスを気に入った貴族の坊ちゃんが……ちょっと言葉は濁すが、アプローチをしてきたわけだ。そこの料理人、召し上げてやるから大人しく我が屋敷に来い、みたいなさ」
「ククッ、とんでもない命知らずがいたもんだ」
「んでフェトラスが『料理勝負で勝てたらいいよ?』とか言ってケンカ売るもんだから、貴族の坊ちゃんがえらく腹を立ててな。金に物を言わせて隣国の有名シェフをわざわざ呼びつけたんだよ。そのシェフに金貨を三十枚も積んだって聞いて、俺は血の気が引いたもんさ」
「……ふぅん? でも姉貴なら、普通に勝っちゃうんじゃないかな」
「ところがどっこい、だ。貴族の坊ちゃんはわざわざ野外に調理場をこしらえて、住民にも見物させてたんだが……まぁ、悪質なまでに徹底的でな。いざ料理勝負となってみたら、用意されたこっちの材料はグズグズ。しかもかまどの薪は芯がまだ湿気ってるモンを宛がって来やがったのさ。ヒデぇ話だろ?」
「――――たぶんその時、姉貴は笑ったんじゃないかな」
「お。流石は弟さん。よく分かってるじゃねぇか」
「ついでにこうも言ったんじゃないかな。『ま、いっか』って」
「その通りさ。あの時の笑顔は……しばらくのあいだ夢に出てきたなぁ……」
「…………」
「一瞬だったよ。本当に一瞬だったんだ。でも俺と、当時の料理長は見てしまったんだ。銀色に輝くフェトラスの瞳を」
「ははっ、ご愁傷様」
「そっからフェトラスは開き直ったんだろうな。腰を抜かし掛けた俺らに『ごめんねぇ』なんて謝りながら包丁を抜いた。……まぁ普通に皆殺しにされると思ったわな」
「それからどうなった?」
「まずフェトラスは包丁を研いだ。動物の骨もスパスパ切れちまうような改造だ。そして湿気った薪は一瞬で炭になった。半分腐ってたと思われる魚は、いつの間にか生きた魚に変えられていた。まるで空から降ってきたんじゃないかと思ったぐらいさ」
「へぇ、珍しい。人前で魔法を使ったんだ」
「その通りだ。そして、いざ調理となると手際が良すぎたよ。有名シェフが一品作る間に、フェトラスは三つこしらえた。そして出来上がった料理をシェフの前に持っていって『さぁどうぞ』と言ったのさ」
「貴族じゃなくて、シェフに?」
「……シェフはおずおずと料理に手をつけた。一口ずつ食べて、その場で負けを認めたよ。そして貴族の坊ちゃんに金貨が入った袋を押しつけて『これ以上恥をかきたくない』と言って帰っていった。ありゃ潔い男だったな。ところが貴族の坊ちゃんは真逆の反応。ギャースカギャースカ叫んで、悪態つきまくって、最後には『どれ、フェトラスが作った料理とやらを俺が直接採点してやろう!』とか言いだしてな」
「愉快な貴族だね。道化師に転職すればいいのに」
「まったくだ。住民の冷めた視線も気にならない点では肝が太いとも言えるが、ありゃ単に空気が読めてなかっただけだな。んでフェトラスが『貴方に食べさせる料理はありませんね』と言って料理を引っ込めて、住民が拍手喝采して話しはお終いさ」
わたしは研ぎ終えた包丁を握りしめて、ゆらりとホールに立った。
「包丁研いでおいたよ。気を付けないとまな板も切れちゃうから注意してね」
「誰がそこまでしろと言った!? 使いやすい程度におさめてくれよ……」
「いやぁ、ペラペラと喋ってるから、つい」
リクエストに応じて刃を丁度良いレベルに研ぎ直して、わたしはハイとベックに手渡した。彼はそれをかかげたり、刃を爪に当てたりしてため息をついた。
「ありがとよ」
苦笑いばかり浮かべるベック。だけどその表情は朗らかだ。なんだか少し嬉しくなる。
そんなわたしに向かってディアが片手を上げた。
「姉貴が人前で魔法使うのってかなり珍しいと思うんだけど、やっちゃったんだ」
「まぁねぇ。愛人になれとか面白いこと言ってたのに、やってることがセコすぎて思わず」
「思わずで銀眼になるなよ。よくベックは発狂しなかったな」
「一瞬だけだよ。ほんとうだよ。信じてよ」
わたしが両手を組みながらそう言うと、ディアは「はいはい」と素っ気なく返した。
「それで? その貴族の坊ちゃんとやらにはどんなお仕置きをしたんだ?」
「その時は別になにもしてないよ。ボブブとベックに事情を説明して、翌日には旅立ったし」
「その時は?」
ディアが繰り返した言葉に、ベックが答える。
「フェトラスが消えちまって、八つ当たり先がこのレストランになったんだよ。嫌がらせが三日ほど続いて……四日目からはピタリと止んだ。後日その貴族の坊ちゃんを見かける機会があったんだが、髪の毛が半分ぐらい抜け落ちて、ガリガリに痩せてたよ。なぁフェトラス、実際あの坊ちゃんに何をしたんだ?」
「十五分ぐらいお話ししただけだよぅ」
わたしの必殺技、自己紹介である。
人間相手で、しかも加減を間違えると本当に「必殺」になってしまうので、滅多に使わないけれど。
わたしがそんな告白をすると、ディアとベックは「そりゃひどい」とゲラゲラ笑ったのであった。
「それじゃあご飯も食べた事だし、ベックの顔も見られたし! ボブブのお墓参りして帰るとするよ」
「ああ、墓参りにも行ってくれんのか。だったらアイツも喜ぶだろうさ」
「……また来るからさ、ベックは当分死なないでね」
「無茶言うなよ。お前の顔見ただけで寿命が半分は縮んだぜ?」
「あはは」
「…………ああ、もう。嘘だよ嘘。そりゃビックリしたけど、嬉しかったよ。だからそんな顔するな」
「……あはは」
「お前の料理、美味かった。俺もあのレベルを目指して修行するとするわ」
「ベック。なんか素直になったね」
「こちとらもうジジイ一歩手前だぞ。言葉の使い方ぐらい覚えたわ」
「そっか。ありがとう。また来るね」
「おう。いつでも来い。んで、えーと、ディアだっけか」
「ん。なにかな」
「…………うーん。なんて言ったらいいのか分からんなぁ」
ベックはそう言ってボリボリと頭をかいた。
「悪い。なんでもねぇや。お代はいらねーから、次は俺の料理も食っていってくれよ」
「ん」
ディアは短く返事をして、お行儀良く一礼してみせた。
「お邪魔しました」
「おう。二人ともまた来いよ」
そう言ってベックは、満面の笑みを浮かべてくれたのであった。
墓参りを済ませた後、ディアがぽつりと呟いた。
「……さっきの人。彼は強い人間だね。姉貴が気に入るのも分かるよ」
「でしょー。ああいう人がたまに居るんだよ。だからこの世界は面白い」
そう言ってわたしはグッと背筋を伸ばした。
『世界中のみんなから、お前が愛されますように』
お父さんの願い。わたしの願い。
その難易度の高さに気がついたのは、お父さんが旅立ってからしばらくしてからの事。
難しいなんてもんじゃない。実はちょっと無理だと思ってる。
実際、例の貴族の坊ちゃんは心を壊しかけた。まぁあの時はわたしが彼に怒ってたせいでもあるんだけど。
わたしを全人類に理解してもらうのはとても難しい。難しすぎて投げ出してしまいたくなる。
それに比べると――――お父さんが帰ってくるのを待つのは、少しだけ易しい気がする。
そしてわたし達が揃えば、あの無理難題もいつかきっとクリア出来ると信じているんだ。
お父さんはちょっと留守にしているけど。
ここは幸せだけの世界じゃないけど。
それでも、大切なモノと思い出は増え続けた。
そしていつか必ずわたしはお父さんと再会してみせる。
月眼の間に居た頃に比べると、段違いの安らぎだ。
「……【全域透化】――【刻印示返】」
返事はまだない。でも大丈夫。
しばらくはセラクタルで癒やされるとしよう。
――――やっぱりここがわたしの楽園なのだから。
「それじゃディア。ユシラ領に……お家に帰ろっか」
「うん」
空を舞う。
そこに広がった光景は、寂しくて、だけど優しくて厳しくて、美しいものだった。