憂鬱の終わり
こうして、ミレーナは【憂鬱の魔王パーティル】に勝利しました。
誰もいなくなった廃墟。精神が壊れかけのミレーナ。
そして憂鬱の魔王パーティルに残されたのは「敗北した」という純然たる事実だけでした。
しかし。
「――――納得がいかない」
そう言ってパーティルはピキピキとした笑顔を浮かべました。
「そもそも運だけで勝ち負けが決まるってオカシイじゃないか。こんなので勝敗が決まるほど甘い世界で僕達は生きていない。そうだろう?」
ただカードを引いただけで、勝敗が決するわけがない。そんな意味のクレームをパーティルは発しましたが、ミレーナはニヤニヤと笑うばかり。
「ん〜悔しいでちゅよね~。よちよち。初めての負けを受け入れがたいのは分かるけど、あんまりグダグダ抜かすのはダサいでちゅよ~。……ああ、本当にダサい。その辺のガキにも劣るみっともなさだ。ダサすぎてウケる。まさに敗北者って感じ」
「……僕は! 負けてない!」
「いいや、負けたのさ」
くたりと首を傾げていたミレーナはスッと居住まいを正して、宣言を重ねる。
「お前はあたしの勝負に乗って、ルールに則って、言い逃れ出来ないぐらいはっきり負けたのさ」
「僕は!」
「あーあー。もういい。もういい。うるさいなぁ。そんなに駄々こねるってんなら、もう一回だけやってあげるよ」
トランプを再びミレーナは扇状に広げて差し出します。
「後でグダグダしたくないから、改めてルールをちゃんと説明してやる。次も数の大きいヤツの勝ちだ。最強はA。ジョーカーは引いたら負け。以上だ。ガキでも分かる、単純明快なゲームだろう? なんか質問はあるかい」
「……僕が勝ったら、引き分けってことになるのかい?」
「あー……そうだね、先に二勝した方が勝ち、ってことでどうだい。お前が二連勝したら、お前の勝ち。でもその前にあたしが一回でも勝ったら、お前の負けだ」
「……上等だ!」
顔を真っ赤にした憂鬱の魔王パーティルは、ムキになった様子でカードを引き抜いた。そして対照的に、ミレーナは退屈そうにカードを選び取る。
「ショウダウン」
「……Kだ!」
「残念。あたしはAだよ。はい、お前の負け。雑魚。クソ雑魚。マジで雑魚すぎて本当に時間の無駄だった。あたしに負けるために生まれたお前の存在価値は今やゼロだ」
「う、う、ううううううう!」
「お前を完膚なきまでに叩きのめしてやれて、あたしはとってもハッピー。――――ほら、殺せよ。それでお前の負けを、永遠に覆らない汚点にしてやれる」
勝負をしている間だけは煌めいていたミレーナの表情は、すぐに無に戻る。
退屈で。諦めていて。それは取り返しがつかない絶望のように見えた。そんな少し人間離れした表情を浮かべていたミレーナは、殊更残忍に笑った。
「お前が何と言おうとも、どう足掻こうとも、今の勝負はあたしの勝ちなんだよ」
だが。
「――――もう一回だ」
「……はぁ?」
「もう一回だ。やっぱり、ただの運で負けたと言われるのは心外だ」
「…………へぇ」
「ここで僕がお前を殺せば、勝ち逃げが成立するって? ははは。いいとも。実に面白い命乞いだ。……だ、だけど僕は殺戮の精霊・魔王。そしてこの世界で最強の存在と呼ばれる者だ。だから僕が負けるはずはないのさ。……ただの人間風情がよく吼えた。その愉快な立ち回りに免じて、お前の企みに乗ってあげるよ」
ミレーナが浮かべていた無の表情に、どろりとした愉悦が混じり込む。
「いいとも……ああ、いいね。とてもいい。
お前いま、本気でそう言ってるな?」
「……なんのことかな」
「今世代最強の魔王サマは、存外に負けず嫌いでいらっしゃる」
壊れた精神に一筋の光が差す。魔眼に赤い意思が宿る。それは苛烈にして獰猛な、血塗れの獣のような視線だった。
「上等だ。基本的にあたしは同じ相手とは一日に二回以上勝負をしない主義なんだが……いいだろう。お前が憤死するまで負かしてやるよ」
「ツッ」
「ああ、愉快愉快。たぶんお前が逆ギレしてあたしを殺すのが早いんだろうけど、それでもいいさ。その時は地獄でお前の無様さを、世界中の人間と一緒に笑ってやる。……だからいつでも殺していいでちゅよ~?」
そうやって煽られたパーティルは、ますます顔を赤くしました。だけど歯を食いしばって、深呼吸を一つ。
「……僕は、負けない。負けるはずがないんだ。不完全な聖遺物しか持ってない、ただの人間のくせにあまり調子に乗るなよ?」
「グチャグチャとうるせぇ負け犬だね。勝者には敬意を払うべきだ。その方が格好いいからね。それが出来ない時点で、あんたは勝負云々の前に色々終わってる」
クスクスと笑い続けるミレーナは、どんよりとした視線で憂鬱の魔王パーティルをながめました。
「来いよダサい負け犬。――――遊んであげるからさ」
そうして、十五年の時が流れました。
十五年。一言で語るには長すぎる期間です。
でも十五年間、二人は勝負をし続けました。
カードがメインで数年間。ミレーナが「いい加減カードは飽きた」と言って、ルールを教え込んでのボードゲームをプレイしたり。古今東西のクイズを出し合ったり、複雑なルールのカードゲームに戻ったり。
……多種多様なゲームがあって、幾百幾千のゲームが繰り返され。
共通事項はただ二つ。ただダイスを放り投げて出目を競うようなゲームは採用されず、そして全てがミレーナの勝ちであった事だけ。
ゲームの種類によっては一瞬だけパーティルが勝ち星を得る事も当然ありましたが、そういうゲームはトータルで勝敗が決すものでした。つまりどう足掻いてもパーティルは負け続け、ミレーナは笑い続けました。
ゲームを変えて。場所を変えて。土地を変えて。食べる物の種類が変わって。
生きるためにミレーナはパーティル以外とも勝負をして。
結果的に二人で生きて。
だけど十五年経ったある日。チップを用いたポーカーで、憂鬱の魔王パーティルは初めてミレーナに勝利を収めました。
十五年。
戦い続けて、通算だいたい八万敗。ようやく掴みとった一勝。
「……勝っ、た…………?」
「…………」
「えっ。うそ。本当に? 勝てた? ミレーナに勝てた?」
「…………そうだねぇ。どう見ても、あんたの勝ちだね」
苦笑いを浮かべたミレーナ。その頭髪には白髪が交じり始めていて、目元にもシワが生じている。
だけどその苦笑いは、パーティルが見てきた笑顔の中でも上位に位置する美しさでした。
「やった」
「…………」
「やった。やった。やったぁぁぁ! 勝ったー!!」
「………………フッ」
ミレーナはチップを放り投げて、パーティルの方に寄越しました。
「……ああ。負けちまったかぁ…………ま、あたしにしては十二分に粘った方かもしれないね」
「勝った! 勝った! やったー! 勝ったぞー!」
「やかましいね」
無邪気に喜ぶパーティルを見つつ、ミレーナは口元に手を当てました。
「…………ゲホッ! ガハッッ!」
そして、彼女は大量の血を吐き出します。
「ミレーナ!? ど、どうしたんだい。負けたのがそんなにショックだった!?」
ふ、ふふ。と笑いながらミレーナはシャツの袖で口元の血を乱暴にぬぐいました。
「アホ魔王め。そんなワケないだろうが。……普通に寿命だよ」
「じゅみょう? でもミレーナ、まだ四十年ぐらいしか生きてないじゃないか。人間はもっと生きるものだろう?」
「まだ三十八歳だ。…………病気さ。内臓が半分腐ってる」
「病気……?」
「そうだよ。まぁアンタには縁の無い話しだろうけど、人間の大半は病気で死ぬんだよ。あたしの場合は、まぁ、酒とかストレスとか、そういう感じのが原因だろうねぇ。まぁどうあれここら辺があたしの限界さ。つまり寿命さね」
「ちょ……ちょっと待て。待て。待ってくれよ。全然気がつかなかった」
「そりゃそうだ。隠してたしね。というかあたしはアンタ相手に本音で喋ったことは滅多にない」
そう言うと、パーティルは普通にショックを受けたような顔で目を見開いた。
「……全然、気がつかなかった」
まさかそんなに落ち込むとは予想外だと、ミレーナは内心で驚きました。ただ分からないのは、自分が病気だった事に対して落ち込んだのか、それとも本音で喋った事が無いという事に対してなのか。
それを確認するのが何だか気恥ずかしくて。だからミレーナは誤魔化すように咳払いをしました。
「…………ああ。まぁ、なんだ。この数年は嘘をつくことも無かったように思えるよ。隠し事は三つぐらいしか無い」
「…………何を隠してたっていうんだよ」
「病気のこと。魔眼のこと。……そして今のあんたが、昔ほど嫌いじゃないって事かな」
――――勝負に夢中になるあまり、パーティルは殺戮よりもゲームに没頭していました。
ただゲームを繰り返す日々。ミレーナにとって最強の魔王は片手間にひねるような雑魚と化し、さらには赤透眼クレバースというイカサマも駆使しながら常勝無敗を謳っていました。
殺戮を忘れたパーティルをただの子供扱いして。
そして長年子供扱いし続けた結果、ミレーナは憂鬱の魔王パーティルの過去の罪を、その存在理由を、その性能を、その哀れな生態を……許すことは出来ずとも、ふんわりと忘れる事が出来たのです。
パーティルはただのガキで、とても負けず嫌いで、複雑なゲームを好んで、だけど一番熱中するのはシンプルなゲームで、意外と甘いモノが好きで、藍色みたいな落ち着いた色が好きで、夏よりも冬が好きで、賑やかな場所よりも静かな所を好んで……そして何より、ルールには誠実であるということが長い付き合いのミレーナには分かっていました。
だからミレーナにとってそんなパーティルは、いつの間にか復讐相手というよりもただのプレーヤーに思える時間が増えていたのです。
彼がゲームに対しては真剣だったから。
笑えるくらい、そして時々泣けるぐらい――パーティルは一生懸命でした。
ミレーナはやがてその心意気に応じて、魔眼を使うのをやめていました。使うと言ったらせいぜい「今晩は何を食べたい?」と尋ねるのが面倒な時ぐらい。
勝負に使うことは、ほとんど無くなっていました。
『十分だ。もうあたしは、コイツになら負けてもいい』
そんな気持ちが彼女にはあったからです。
そして。だからというわけではないのでしょうが、魔眼は、赤透眼クレバースは数年前から完全に沈黙。結局適合条件は最後まで分からないまま。視力だけは少しだけ残りましたが、最早聖遺物としては機能せず。
だけどミレーナはその事実に気がついても、ただ微笑むばかり。いや、ちょっぴり苦笑いも浮かべましたが。
だってミレーナは、もうパーティルの事を知っていたのです。
二人はそれぐらい長いあいだ戦い、語り合って、相互に理解を深めていっていたから。
そんな彼女が発した「昔ほど嫌いじゃない」という発言。
それを耳にしたパーティルは「あっ……」と声をもらして、深くうつむきました。そうだった。彼女は本来、僕に復讐したいはずだった、と。
完全に忘れていた気まずさとか、今までの思い出とか。
二人の間に沈黙がおります。
「…………」
「…………」
「……さて、あんたの勝ちだ。あたしは今まで散々あんたを負かしてきた。めちゃくちゃに罵倒してきた。最強である憂鬱の魔王の名に、泥とケチを付けまくってきた。でもここで終わりだ」
「…………」
「ここ数年は何も賭けてこなかったけど、まぁ、なんだ。あんたの勝ちだ。――――心置きなく殺すといいさ」
「……………………」
「なぁパーティル。殺戮の精霊よ。殺したくて殺したくて殺したくてしょうがなくて、あたしに勝ちたくてあんたはずっとあたしに挑んできた。そしてようやくその日が来たんだ。嗤えよ。本願成就の日だ。実にめでたい。晴れ晴れとした気持ちで殺すといい」
「………………………………」
「…………なんだい、その顔は」
「…………僕はいま、勝ったよな」
「…………そうとも」
「じゃあ、お願いごとをしてもいいだろうか」
「……好きにすればいい。ああ、ただしあんまり痛いのは止めてくれると嬉しいかな」
「しなないでほしい」
「…………あ? ……なんだって?」
「死なないで」
パーティルの表情は真剣で。
だからミレーナはパーティルの言葉を笑い飛ばす事が出来ませんでした。
「……そりゃまた、ずいぶんと無茶な要求だね。人は必ず死ぬよ」
「いやだ」
「そう言われてもねぇ。そもそも、あんたあたしを殺したいんじゃなかったのかい」
「いやだ」
使えなくなった魔眼。見通せなくなった心。
理解していたつもりの魔王の衝動。
この殺戮の精霊はいま何と言った?
――――ありえないことを口にした。
だとしたら。
このガキはいま、何と言ったんだ?
――――死なないで、だとさ。
まぁ、そう願われる程度の存在には、なれたんだろうよ。
ミレーナは、強く目をつむりました。
自分が泣いてしまいそうなのか、それとも笑ってしまいそうなのか、その違いがミレーナ自身にも全然分からなかったから。
「…………そっか」
ミレーナは懐から小箱を取り出しました。
その中には、新品のトランプが。
「――――あたしとのゲームは楽しかったかい?」
「たのしかった」
「そうかい。なら、殺戮なんてつまんない作業は止めて、次の対戦相手を探しな。あたしより強いヤツは滅多にいないだろうけどね」
「滅多に……いや、そもそも、ミレーナよりゲームが強い人なんてこの世に本当にいるの?」
「うーん。たぶんどっかに居るんじゃないかね。まぁ探してみなよ。……ゲホッ、ゲホッ! ……あたしはホレ、この通り」
限界なんだよと、ミレーナは再び吐いた血をパーティルに見せつけました。
そして耐えきれなくなったように、ぷつりと糸が切れたように、ミレーナの右手がだらんと下に降りる。それを見てパーティルは焦った声を出します。
「ま、待って。お願い。逝かないで。だって、だって、僕は勝ったじゃないか。ようやく勝てたんだ。散々きみのお願いごとを聞いて来た。だったら、今度は、僕のお願いごとを聞いてくれよ」
「死なないでって? ――――悪いね。そりゃ無理だ」
「なんでだよ!」
「代わりにコレをあげるからさ」
彼女が手渡してきたのは、先程懐から取りだした新品のトランプ。
「これで次の誰かと遊ぶといい」
「そん、な……」
「ああ、ただしギャンブルはほどほどにね? 熱くなるのも勝負の醍醐味だけど、その熱はいつか身を滅ぼす。だから……出来たら楽しく遊ぶ程度に留めるといい。その方がきっと、幸せだよ」
「…………」
「…………振り返ってみれば、ああ、なんてこった。復讐に身を捧げた期間よりも、あんたと遊んでいる時間の方が遙かに長かった」
「………………」
「思えばこれも悪くない人生だった。……ああそうさ。■しい日々だったよ」
「えっ……」
「ここから先は、本当は話す気が無かった事だ。――――よく聞きなパーティル。あたしは十五年の時間を稼いだ。その意味が分かるかい?」
「......わからない」
「そもそも、なぜあたしが延々とあんたとの勝負に乗り続けたのかってことだ」
それは十五年前、ミレーナが『冥土の土産』と言って、パーティルが『命乞い』と呼んだ始まり。
「あたしは、ただ待っていたのさ。人類が憂鬱の魔王という存在を打破しえるだけの力を準備出来るのを。――――あたし等が延々と勝負を繰り返してる間に、人類は聖遺物をかき集め、銃を進化させて、爆弾を山ほど拵えてきた」
ミレーナがパーティルとのゲームに興じ続けた理由。それは時間稼ぎ。人類が憂鬱の魔王を討つために彼女は戦い続けていました。
だけどいつしか目的は薄れ、ただ目の前にいるプレイヤーをおちょくる日々が続いて。アドバイスしたり、一緒に考えたり、知らないゲームを研究したり……単純に遊んだり。
憂鬱の魔王はガキと呼ばれるようになり、やがてパーティルと呼ばれ。殺戮の精霊はただのプレイヤーになった。
「でもはっきり言おう。あたしは、あんたとの時間が楽しかったよ」
そう。時の流れは、二人から憎しみと殺戮を奪い去っていったのでした。
目の前に居るのは今世代最強の魔王。
ただし、もう何万回も負かしてやった後だ。ほら見ろ、今だって子供みたいに涙を瞳にためている。
その様子がなんだか愛おしくて、ミレーナは苦笑いを浮かべました。
「ライフルをあんたに撃ち込んだ事もあったけど、全く効かなかったよね。......だけど十五年だ。あの時の銃と今の武器はレベルが違う。英雄と戦えばあんたは絶対に勝つだろうけど、人類と戦争をすれば必ず負けるんだよ」
「…………」
「だからもう殺戮から降りろ。――そんで、楽しく生きろ」
「…………」
「今までみたいに。あたしと過ごした時間のように。......そのカードで、たくさん遊ぶといいよ。その方がきっと幸せさ」
「…………」
「ね?」
「…………いやだ」
「マジで本当に聞き分けがないなお前」
「いやだ。死なないでくれよ。僕とずっと遊んでいてくれよ。殺戮のことなんて忘れるくらいに、ずっとたのしかったんだ」
「楽しかったんなら、続けりゃいい。別にあたしとじゃなくてもゲームは成立する。たまには一人で遊ぶのも悪くはないね。そういう遊びも、色々と教えてやったろ?」
「ぼくはミレーナと遊んでいたいんだ」
「そりゃお前さんがあたし以外と遊んでこなかったからだ。他にも面白いヤツはいるし、あんたの知らないゲームだってこの世にはまだまだある。なんだったら自分で作っても……ゲホッ……いいんじゃないかな……」
「………………死ぬの?」
「死ぬねぇ。あと一週間か、半年なのかは知らないけど」
「……痛い? 苦しい?」
「正直に言うと、時々このまま死ぬんだろうなってぐらいキツい時がある」
「痛くしないで殺してあげようか」
「――――勝者たるお前が、そう望むのであれば」
◇◆ ◇◆ ◇◆ ◇◆
ミレーナはそれから三ヶ月後に死んだ。
本格的に体調を崩してた彼女と遊べなくなって、それから一週間もせずにベッドから起き上がれなくなって、更に二週間も経てばご飯も食べられなくなって。
でも苦しそうではなかった。僕は彼女の病と、痛みの感覚だけを殺戮していたから。だけど壊れた臓器を修復することは出来なかった。
彼女と遊んだ道具の数々をテーブルの上に並べてみる。
楽しい日々だったと思う。
少なくとも殺戮にはもう興味が無い。そもそも、僕はとっくの昔に殺戮衝動をコントロールしている。黒鉄色をした瞳になれば、世界の見方を変えることが出来たから。
そういえば、時々ミレーナが何かを口にしていたっけな。
一番の好物を食べた時とか。すごく上等なお酒を飲んだ時とか。お気に入りのゲームを紹介する時とかの感想だ。
『あたしはこれを■しててねぇ。なぁ、あんたもどうだい?』
■を語る時、彼女は常に笑顔を浮かべていた。
きっと彼女は楽しかったんだと思う。
だけどその言葉だけじゃ何か足りないような。
聴き取れなかったあの言葉には、どんな気持ちが込められていたんだろう。
「……ねぇミレーナ。遊び続けたら、僕も君みたいになれるのかな」
ベッドの上で眠る彼女の額にそっと手を当てる。冷たい。どうしようもなく死んでいる。
今まで何人の人間を殺してきただろう。
人の命なんて雑草と同じぐらいの価値しかなかった。だけど今、僕はミレーナの死がとても悲しい。
「――――対戦相手を探せ、って言ってたっけ」
遊び道具を全部鞄に詰め込んで、それから僕はミレーナの遺体ごと家屋を焼き払った。炎属性の魔法なんて滅多に使わなかったから手間取ったけど、人間はそうやって弔うものだと聞いていたから。
そうして僕は歩き出した。
『別の誰かと遊びな』
そんなミレーナの遺言に従った。
歩きながら考える。確か自分は、天敵を探していたはずだ。
憂鬱の魔王。
相手を弱体化させて、常に相手より上回るもの。
そんな僕は誰よりも強くなれた。他人の努力を嘲笑い、神が授けたとかいうふざけた武器を蹂躙し、何もかもを殺戮してきた。
だから全てが下らなく思えていた。どんなに尊いモノも、僕が対峙すれば無価値になる。この世界に価値のあるものはどこにも無い。だから殺戮にも躊躇いはなかった。……同時に動機も無かったわけだけど。
満足感が欲しかった。充実感が欲しかった。生きる事が楽しくあってほしかった。
自己の殺戮衝動に『憂鬱』を与えることでナニカが変わるかとも思ったけど、何も変わらないまま。僕は更に強くなり、世界はずっと無価値で、僕を楽しませてくれるようなものはなくて。
そんな生を死ぬまで繰り返すことが憂鬱で。
だけどあの日、ミレーナに負けた日。
初めて僕の心に火が付いた。負けたくない。生まれて初めてそう思った。
その衝撃はぬるりと僕の心を侵食して、負けたくない、勝ちたい、ぎゃふんと言わせたい、予想外の一手で驚かしたい……そんな風に僕の心を侵し続けた。
そのニヤニヤした自慢げな顔に一矢報いてやるとか。
意外性のある一手で驚いた顔が好きだったりとか。
あと一歩で追い詰められるというシチュエーションに燃える彼女の表情とか。
そういったものに、殺戮しか知らなかったはずの僕は惹かれた。
命のやり取りをしない殺戮の精霊、だなんて。きっとこの世には僕ぐらいしかいないだろう。
......ミレーナこそが僕の天敵なのかと思っていた時期がある。
殺したくて殺したくてたまらなくて。
だけどそれ以上に負けることが何より悔しかった。彼女を殺すならゲームに勝ってからでないといけない。それが僕自身が定めたルールだ。それに勝った後で殺した方が絶対に満足感が高いに違いないから。
あまりにも負け続けた僕は、いつの頃からかただの人間を天敵だと思っていた。聖遺物を所持はしているけど不完全だったし。
でもそこから更に負け続けて、彼女に初めて勝ったり、負けたり、ギリギリ勝ったり......長い時間をかけたせいか、いつの間にかミレーナは天敵以外のナニカに成っていた。天敵なんて言葉で表せられるほど彼女の存在は単純じゃない。
最後にしたゲームのことを思い出す。
一番最初にしたゲームと同じルールだ。カードを引いて数の大きい方が勝ち。
横になっている彼女の体調に気を遣って、少しだけやった。
結果は僕の勝ち。三勝二敗。
「また負けたねぇ」と笑う彼女の表情は、とても優しくて、とても美しくて――――それをじっと見ていたら「何泣いてんだ」と苦笑いされたっけ。
あんな表情を、あんな気持ちを、僕も得られるだろうか。
答えは時々彼女が口にしていた「■してる」という言葉にあることが何となく僕には分かった。
ミレーナはもういない。
だけど彼女が教えてくれたことは全部この胸の中にある。
殺戮しか知らなかった僕。
だけど今は、色んなゲームのルールを知っている。
「たくさん遊ぼう」
そんな誓いを立てながら、僕は荒野を進んだ。
遭遇した人間と勝負をし続けた。
ギャンブルをするなとは言われていたけど、時々は食料や情報、そして新しいゲームを得るために勝負しまくった。……新しいゲーム用品や、ルールを教わる事が最優先だったけど。
僕は長すぎる双角を自分でたたき折って、人間社会に紛れた。
最初は名うてのギャンブラーとして。
そして外見を偽装してからは、遊び好きのおじいさんとして。
ゲームをして、遊びをして、ギャンブルをして、だけどミレーナの遺言に従って必要以上には熱くならないように気を付けて。全ては遊びで、戯れで。
負けず嫌いな僕は常に勝ってきた。相手が子供であっても容赦はしない。時々はゲームをコントロールして、ギリギリの勝利を演出したりもしてきたけど、基本的には無敗だ。運ゲーだけは肌に合わない。たぶんミレーナとの日々のせいだろう。
だけどそんなある日、僕は近所の子供に負けた。シンプルなゲームで、一瞬の隙を完璧なタイミングで突かれてしまった。
「やったぁ、勝ったぁ! パーティルおじいちゃんに勝ったぁ!」
「――――」
負けることは悔しかったはずだ。
絶対に認めたくないモノだったはずだ。
だけど、そうやって喜ぶ子供を見て、僕は思わず笑ってしまった。
嗚呼、きっと――――あの時ミレーナは、こんな気持ちで笑ったんだろうな。
「ああ……僕の負けだねぇ……」
意図的に、あの時の彼女の言葉を真似てみる。
その瞬間に心に湧きあがったのは、かつてない満足感だった。
負けたのに何故か喜びがあった。やっぱり少しは悔しかった。だけど笑顔を止めることは出来ない。
どこにも悲しみはない。怒りもない。八つ当たりするまでもなく、僕は既に満足している。
嬉しくて、悔しくて、楽しくて、喜ばしくて、少し恥ずかしくて。
『楽しく遊ぶといい』
うん。そうだねミレーナ。
きっと僕は、ずっとこんな気持ちが欲しかったんだ。
僕はとても、とても愉しくなって、嗤った。
「――――喜んでるところ悪いけど、勝ち逃げはさせない」
「......え?」
「それじゃあ、次のゲームといこうか?」
そして。
やがて長い時間をかけて、憂鬱の魔王は遊戯の魔王に至ったのでした。
憂鬱の魔王。
相手の攻撃力を弱体化させる。【憂虚甲種】
相手の積み重ねてきた努力を嘲笑う、【憂鬱公爵】。レベルダウン。
相手の精神を浸食する【憂鬱殴浸】
自分の限界を取り払う【憂鬱弔種】
性格・煽り耐性ゼロ