本編突入
こうして俺は斬空剣を手に入れた。
ミレーナとの勝敗の行方はこの際どうでも良かろう。今や斬空剣はこの手にある。それが結果だ。
さて。聖遺物に触れた事が無いわけではないが、流石に「所持」にまで至ったわけではない。
というわけでさっそく訓練に使ってみるかと考えたのだが、ミレーナがそれをやんわりと窘めた。
「ガッドル。それは代償系の魔剣だ。使えば使うほど、あんたの生存確率が下がる。だから訓練なんてやめておきな」
「しかしそうは言っても、ぶっつけ本番で使いこなせるほど甘いモノではなかろう」
「必要に応じて使う、っていうのが結局は一番正しいんだ。訓練で代償を捧げるなんて不毛な真似はするべきじゃない」
「むぅ」
というわけで斬空剣における訓練は、腰にブラ下げることが精一杯だった。せめてこの重みに慣れよう、というわけだ。
――――自警団の上司や同僚には「なんだその物騒な剣は!?」ともれなく驚かれたが、俺は「縁があってもらい受けた」という旨の言葉を繰り返し続けた。このご時世、聖遺物は余り気味なのだ。
そうしてしばらくは日々が流れる。
ミレーナはこの街にあるかもしれない裏の聖遺物を探し。
そして俺はパトロールを続ける日々。
それはきっと、平穏な時間だったのだろう。
事が動いたのは雨の降った夜だった。
パトロールを終えた俺はいつものように帰宅し、ミレーナの仕事が終わる時間まで筋トレをしたり、室内戦闘の訓練をしたり。
やがて彼女を迎えに行く時間が訪れた。
ここ最近ではすっかり俺がミレーナの「いいひと」であることがバレてしまっている。まぁミレーナも隠そうとしてないし、それは俺だって同じだ。
快活な彼女に惚れ込む輩はそれなりにいたようだが、ミレーナは自衛も出来る。なおかつ自警団のツレであるという肩書きも加わって、彼女に無体を働く者は激減していた。
だから俺はその肩書きを維持するために、毎晩彼女を迎えに行っているのだ。
だがその日。雨が降った夜。
彼女は俺の迎えを待つことなく、一人で帰って来たのであった。
「うん? どうしたミレーナ。今日は早いな」
「ああ……うん……そりゃそうだよ……うん…………」
「……ミレーナ?」
彼女の瞳は輝きを失っていた。
怪我をしているようには見えないが、尋常ではない様子だ。
「どうした。何があった」
傘も差さずに帰って来たのだろう。至る所からポタポタと水滴が垂れている。貴重品が無造作に突っ込まれているはずのズダ袋も雨をたっぷり吸っており、とても重そうだ。俺が慌てて彼女に駆け寄ると、ミレーナはドスンと膝から崩れ落ちた。
「…………会ったよ」
「…………誰にだ」
「あたしの思い人に」
「思い人……」
誰だろう。故郷の男か? それとも顔がタイプな男と出会ったか? 白馬に乗った王子様のような? ――――そんな現実逃避を俺は描いた。
「優越の魔王に、会った」
俺はそっと彼女の両頬を手で包んで、その顔を上げさせた。
輝きの無い瞳。絶望の微笑み。空っぽの覇気。嘘をつく気力なんて残っていない。
「どこだ」
「何の変哲も無い、ただの裏路地さ」
「分かった」
俺は近くに安置していた斬空剣を手に取り、そして帽子を被った。装備は後だ。まずは自分が何者なのかを正しく再認識する。
我が名はガッドル・アースレイ。自警団の一員にして貴族。そして今となっては聖遺物の担い手。即ち人類を守護する者なり。
そう。我こそが殺戮の精霊を抹殺する者である。
だけどそんな激情のような矜持は、足下にすがりついてきたミレーナに止められた。
「だめ……行かないで……」
「いいや。行く」
「落ち着きなって……きっと、もう街からは離れてる。あいつはただ下見に来ただけだったから」
「下見……だと?」
言われてみれば確かに。魔王と遭遇を果たしたミレーナが生きている。それは注目すべき事柄だろう。彼女がヤツに遭遇した事に関して「嘘なのでは?」とか「何かの間違いでは」なんてことは一秒も思わない。
現代社会において最悪の部類である優越の魔王は、この街に降臨したのだ。
「まずは問う。時間はあるのか」
「まぁ、一晩ぐらいは大丈夫だろうさ。真夜中に攻め込んでくるほど熱心な殺戮者には見えなかったよ」
「……そうか。では何があったか教えてくれ」
いつものように賭場を開いて、わたしは笑顔を浮かべる。
「やぁ、待たせたみたいだね」
集まった人々に声をかけると、楽しそうな声がいくつか返ってくる。
常連さんが三割、見たことある顔が五割、初めて見る顔が二割。割合的にはいつもと似通っている。
「さぁさぁ、今夜はどんな勝負になるかねぇ」
軽く声をかけると、何名かが不敵に笑ってみせた。
「そりゃ熱い夜になるに決まってらぁ。へっへっへ。ガッドルの旦那にゃ悪いが、今夜こそお前を持ち帰ってやるぜ」
一番の常連である「おハゲさん」が最高の笑顔を向けてくる。
それに対してわたしは獰猛な笑みを見せつけた。
「はいはい。一度でも勝ってから言いなよ。ただし」
最後の三文字で語気を強めると、おハゲさんは両肩をすくめてみせた。
「もちろん。受け付ける対価は聖遺物関連の情報のみ、だろう?」
その通りである。普通の勝負なら普通に受けるが、これでもわたしは一途なのさ。というわけで、ガッドルといい仲になったわたしの身柄は値上がりしたので、抱きたきゃ聖遺物関連の情報を寄越せと持ちかけている。
「今夜は冷鉄剣って聖遺物の情報だ。早速だが挑ませてもらうぜ」
この賭場きっての常連であるおハゲさんはそう言いながら誰よりも先にテーブルに着く。
この勝負も何度目だろうか。
このおハゲさんは不思議な人物だった。聖遺物の情報についてえらく詳しいのである。魔眼を起動させて、その情報が「真」である事は確認済み。彼は一切のブラフを使ってこなかった。
そして今夜もそう。きっと冷鉄剣という聖遺物は実在するのだろう。
――――名前からして優越の魔王の天敵にはなり得ないのだろうが、万が一ということもある。
どうせ負けないし、今夜も勝負と行こうか。
そしてあっさりと勝利を得たわたしは、対価を払えと片手を差し出す。
「うう……冷鉄剣は、王国騎士じゃなくて野良の英雄が持ってる聖遺物だ。氷のように冷え切っていて、その刃で傷つけられたモノは傷口を凍らせる。炎系の魔王の天敵と言えるだろうさ」
「ふむ……現在所在地は?」
「隣りの大陸だ。ヤサを変えてないなら港の街に住んでるんじゃねぇかな」
「なるほどね……」
炎。炎か。優越の魔王は火属性の魔法も結構使っていたし、使い道はあるかもしれない。そんなことを薄らぼんやり考えていると、おハゲさんは――――今までに見たことがないくらい、静かな表情を浮かべていた。
「……早速で悪いが二戦目と行きたい」
「はぁ? あんた、まだ聖遺物の情報握ってんの? 一体何者なのよ」
「ただのハゲだよ。文句あっか」
「いやそこには何の文句も無いけど……まぁいい。それで、次は何を賭けてくれるんだい?」
「うーん…………それじゃあ、計算剣って聖遺物の情報はどうだい?」
それは初めてのことだった。
この賭場を開いて結構な日数が経っているが、おハゲさんが初めて嘘をついたのだ。
だが、それを指摘するわけにはいかない。この魔眼の情報が知られてしまっては、そもそもこの賭場が成立しない。
どうやら流石のおハゲさんも種銭切れらしい。
少し(残念だな)と思いながらわたしは目を細めた。この人のことは嫌いではなかった。だけどその付き合いも今夜までらしい。
「――――それじゃあ、またポーカーでもするかい?」
少しだけ感情が乗ってしまったのか、いつもと違う声色が出た。そしてそれを耳にし、わたしの表情を目にしたおハゲさんは「フッ」と笑ってみせる。
「――――いいや。やっぱり止めた」
「ん?」
「すまん。計算剣なんて聖遺物は存在しない。いや、もしかしたら本当にどっかにあるのかもしれんけど、俺は知らん。というわけで別の聖遺物の情報にしよう。魔眼クレバースって聖遺物なんだが」
「まがん?」
その単語をギャラリーが拾った。そしてそのギャラリーの呟きに誰かが言葉を重ねる。
「おいハゲ。とち狂ったのか? 魔眼って何だよ魔眼って。武器じゃねーじゃん。おとぎ話の魔獣みたいに、見ただけで相手を石にするってか?」
「おいハゲ。負けすぎて正気を失ったのか。そもそも計算剣ってなんだよ。そろばんの代わりでも務めてくれるのか?」
がははは、と笑いが起こる。
だけどわたしは凍り付いていた。
魔眼クレバース。
わたしの片目のそれは、きっと。
「いいよ。じゃあ勝負だ」
さっきみたいに声が震えてしまわないだろうか? そんな事ばかりが気になった。
そしてわたしは一切の容赦なくイカサマを駆使してロイヤルストレートフラッシュを決めた。こんなの絶対に使ってはいけない手だ。
だけどそれこそが、わたしから彼に送る返答だった。
「…………すまないね。とんでも無い手が出ちまった。どうやら今夜の運を使い切っちまったらしい。大変申し訳ないけど、今日の賭場は……ここまでだ……」
「えー」
「えぇー」
「そんなぁ」
「悪いね。恨むならこのおハゲさんを恨んでくれ」
「くたばれハゲ!」
「性欲の塊がッ!」
「お前のせいだぞブラント!」
ブラント、と呼ばれたおハゲさんが苦笑いをしながら片手をあげる。
「ここまで運命の女神に嫌われた俺に、もう少し同情しようっていう優しい人間はいないのか?」
「黙れハゲが!」
「荒野に帰れ!」
「転んで膝小僧すりむけ!」
「次はもっと優しい世界に産まれたい」
そう呟いておハゲさんはしょぼんとうなだれた。
「――――それで、どうする? 魔眼クレバースの情報は」
「…………もうすぐ雨も降りそうだしね。今まで散々巻き上げてきたんだ。ロイヤルストレートフラッシュなんて手に免じて、今夜はわたしが一杯だけ奢ってやるよ」
「マジかよ。ありがとう俺の女神様」
「一杯だけだ」
そう念を押して、わたしと彼は路地裏を後にした。
どこかの店に入ることもなく、別の路地裏。
わたしは明確な敵意を持っておハゲさん……ブラントを睨み付けた。
「あんた何者だい」
「……何者なんだろうなぁ。まぁスケベなことが大好きなハゲだよ」
そんなふざけた返事にキレそうになる。
だけど、彼が浮かべた表情には強い哀愁が漂っていた。
「今の俺には、きっと肩書きが無い。本当に何も無いのさ。お前と違ってな」
「わたしと……?」
そう呟き返すと、ブラントは突然わたしの両肩を掴んでその身を寄せてきた。
「なっ、なにすんだい!」
すかさず反撃。遠慮無く金的をブチかまそうとするが、それは彼の自然な動作――戦闘訓練を受けた者の動き――によって防がれる。
そしてわたしは、キスされるんじゃないかと勘違いするぐらい顔を寄せられた。そして瞳をのぞき込まれる。
「……やはりクレバースか」
用事が済んだ途端、瞬時に解放される。
ちょっと動揺してしまったわたしを放っておいて、彼は壁に背を当ててズリズリと座り込んだ。
「ははっ……そうかぁ……こういう運命もあるんだなぁ……」
「……あんた、何者だい?」
「さっきも言ったろう? 俺には何も無い。強いて言えば……昔は英雄やってたって感じか。本当に強いて言えば、というレベルなんだが」
「元英雄?」
魔眼は示す。彼が一切嘘をついていないことを。
そしてわたしは目を見開く。
「あんた、まさか……」
「そうだよ。魔眼クレバース。そいつの持ち主の仲間だった男さ。……ミレーナ。そういうお前は、トフの街の生き残りだな?」
トフの街。懐かしい、故郷の名前。
わたしが働いていたアクセサリー屋さんがあった場所。
「優越の魔王……」
「そうだ。あの日、俺達はそろってあいつに吹き飛ばされた者同士ってこった」
魔眼クレーバスの本来の持ち主。その仲間。元英雄。
「あんた、あの時の……」
「まぁそういうこった。ヤツに挑んで仲間は全滅。聖遺物はロスト。街は守れず。恐怖とストレスとトラウマで、プライドはおろか髪の毛まで失ったのがこのブラントさんってわけだよ」
わたしはゆっくりとその言葉を飲み込んで、彼と反対側の壁に背を預けて、同じように座り込んだ。
「…………おつかれさま」
「おう、おつかれさん」
なんの労いにも成らない言葉。だけどかけられる言葉が他に見つからなかった。
やや沈黙が流れたが、ブラントは「へっ」と笑ってから顔を上げた。
「ミレーナ。お前、その魔眼を解放させているわけじゃないんだよな?」
「解放? そんなこと出来るもんか。むしろ」
「使いこなせていない、か。まぁそうだろうな。クレバースを行使すると、目がほんのりと赤く染まるんだよ。銀眼ならぬ赤眼だな」
「………………」
「魔眼・赤透眼クレバース。物事を見通す目だ。トランプの裏側、壁の向こう側、そして誰かの心の中を盗み見るエッチな魔眼だ」
「なんだいその言い方」
「シラフで真面目に語れっかよ、こんな話し。俺にとっちゃトラウマを呼び起こす悪夢のトークテーマだぞ?」
「だけどあんたは勝負に負けた。なら、あんたには語るべき義務がある」
「あんな鬼のような仕掛けをしておいてか? なんだよロイヤルストレートフラッシュって。確率を考えろバカめ」
「この眼のことを知ってるなら、そんな駆け引きに意味はないだろう?」
「まぁそりゃそうだ」
そう言いながらブラントは懐からシガーケース……タバコを取り出す。一瞬のためらい、その後に慣れた手つきでタバコに火をつけた彼は、派手に咳き込んだ。
「うーーわ、辛っ。なんだこの味……てか、ああ……吸っちまった……禁煙してたのに……」
「………………」
「いやな、これダチの遺品なんだよ。その魔眼の持ち主だったヤツ。再会を祝してみたんだが、カッコ付けるもんじゃねぇなぁ」
彼は「からい、からい」と言いながらタバコを吸い続けた。
「それで、なんだったっけか……ああ、そう。クレバースの話しだったな。赤透眼をコントロールしてるのかと思ったけど、その逆で使いこなせてないんだっけか」
「真名すら今知ったってレベルだよ」
「そいつは適合系だ。条件は失明していること。そしてよく知らんが、適合させる際に強い思いがいるとか何とか」
「……そうかい。寿命を代償とする、みたいなヤツじゃなくて良かったよ」
「まぁ語れる事と言ったらそれぐらいだな。他に何か聞きたいことはあるか?」
聞きたいこと。なんだろう。何かあるだろうか。
この魔眼の持ち主だった人のこと? 聞いてどうする。
あんたが聖遺物に詳しかったのは、元英雄だからか。
どうしてわたしに勝負を持ちかけ続けた? 負けると分かっていたんじゃないのか? ……その割には結構な金を巻き上げ続けてきたような気がするけど。
「…………あんたは今、何をしてるんだい?」
「別にぃ? 日雇いのバイトして、毎日ダラダラ生き延びてるよ」
「……いつ、この魔眼に気がついた?」
「昨日かな。あんまりにも負け続けて、こいつ絶対イカサマしてるだろとか思って。そんで連鎖的にクレバースの事を思い出したってだけだ」
「……そう」
「ちなみに、以前ガッドルの旦那が持ちかけた『真剣勝負』の意味はさっき気がついた。あいつスゲーな。初見でお前のソレに気がついたって事だろ? なんか同じ男として嫉妬するわ。俺はクレバースの事を知ってたのに、全然気がつかなかった」
彼の口調にわたしを咎めるような雰囲気は一切無かった。
散々イカサマで巻き上げてきたことが白日の下にさらされたというのに、なんと潔いことか。
「……そもそも、どうしてあんなに熱心に勝負を挑んできたの?」
「そりゃおめぇ、べっぴんさんをモノにしたいと思うのは男のサガだろ」
カラッとした言い方だった。そんな彼の言葉に思わず笑ってしまう。
「重い過去を背負ってる割には、どうしようもない理由だね」
「過去から逃げて、明日を投げ捨ててる俺には今日しか無いんだよ。……で、お前が聖遺物の情報を集め出したのは何故だ?」
「そりゃ普通に復讐でしょ」
「優越の魔王に?」
「それ以外に誰がいるっていうのよ」
「――――お前は凄いヤツだなぁ」
シガーケースをひとなで。そしてブラントは舌打ちを一つ。
「惨めったらしくうずくまってる自分が、とんでもねぇダサ男に思えるわ」
「……そんなこと」
「いいや。そうなのさ。実際俺はもう心が折れちまってる。あんなのとは二度と会いたくねぇし、復讐する気なんてサラサラない。どうか見逃してくれ、どっかで野垂れ死んでくれ。そんな感情しか俺は持ってねぇんだよ」
ちらりとこちらを見て、彼は嘆息した。
「どんな理由であれ、あんなのに挑もうだなんて、正気の沙汰じゃねぇぞ?」
「同感だね」
全くもってその通りだ。
本当は逃げ出してしまいたい。ずっとそう思っていた。
でも優越の魔王に全てを奪われたわたしには、復讐しか残ってなかった。
――――ガッドルと出会って、それ以外の道がようやく見つかるかもと思ったんだけど。
でも彼はわたしから逃げ道を奪った。一緒に死んでくれるんだってさ。
本気でそんな事言われたら、惚れちゃうよね。
だからわたしに残された道は、この復讐に殉じる事だけ。
「……あーあ。ほんと、イヤになるぜ」
「……わたしがクレバースを勝手に使っていること?」
「違うさ。単純に、投げ捨てたはずの過去が急に襲ってくる、っていうのは心臓に悪いもんなんだよ。しかしまぁ、それはさておき。俺がイヤになってんのはお前が眩しいからだ」
「眩しい……まぶしい、ねぇ」
「そりゃそうだろ。自信を持っていい。そんなに美人でさ、しかも心も強い。クレバースが不完全ながらお前に力を貸してるってことは、お前が思っている以上に重大なことなのさ」
「……クククッ。褒められてるのやら、口説かれてるのやら」
「ああちくしょう。ガッドルの旦那に嫉妬しちゃう。俺もああいう男になってみたかった」
「……残念ながら、ガッドルはあんたの想像以上だよ」
「惚気てくれるねぇ」
「マジな話しさ。あいつ、わたしが持ってた代償系の魔剣をかっ攫っていきやがった。……一緒に優越の魔王と戦ってくれるんだってさ」
「――――眩しすぎて眼が潰れちまいそうだ」
本当ならブラントは「バカじゃねーの?」とか「現実を知らないんだな」みたいな事を言っても良かった。それは優越の魔王と対峙した経験を持つ彼だからこそ許される侮蔑だ。
でも彼はそんなことを口にはしなかった。
折れても、枯れても、燃え尽きていたとしても。彼は潔い男だった。
ぽつりと雨が鼻先に当たったような気がした。
一杯奢る約束だったね。
わたしはそんな言葉を口にしようとした。同じトラウマを持つ者同士、そして魔眼クレバースが繋いだ縁に免じて三杯ぐらいなら奢ってやってもいい。
そんな気分だった。
本当にそんな気分だったのだ。
「ふーん。こういう事もあるんだねぇ」
即座に臨戦態勢を取ったのはブラント。
彼は懐からナイフを取りだし、身を低くして構えた。
「…………………………ああ、嘘だろ」
「こんばんわ。どうやらまた会ったみたいだね?」
「…………本当に、嘘だと言ってくれよ」
「まぁ俺は全然覚えてないけど。ともあれこれでようやく謎が解けたよ。俺が感知出来なかった聖遺物は、やっぱり君が持っていたんだねミレーナちゃん」
ぽつり、ぽつりと雨が降り始める。
その男は路地裏に詰まれていた木箱の影から出てきた。
紺色のコート。フードで顔が隠れている。声色は若くて穏やか。
――――得られた情報はそれだけ。
なのに、全身がガタガタと震えるのはどうしてだろう?
「栄えてる街に聖遺物の反応が多いのはいつもの事だけど、君の片目に収まってる聖遺物だけは見つけられなかったんだ。だから今回の下見は慎重になっちゃったよ。しかし赤透眼か。興味深い聖遺物だけど、不完全な代物。……どうやらそれも俺の天敵にはならないらしい」
あはっ、という軽い嗤い声。
そしてブラントが悲痛な声で叫ぶ。
「優越の魔王……ッ!」
わたしの身体はガタガタと震え続ける。だけど何も理解出来ない。
魔王? 誰が? 目の前のこいつが? 全てを優越する者?
――――わたしの人生を奪ったクソ野郎?
そいつはフードをゆっくりと頭から外した。
現れたのは魔王らしい、端正な顔立ちの男。
「ははは。さぁ、怖れ戦き恐怖せよー。俺こそがこの世で最も偉大なる者、優越の魔王だぞー」
ふざけた口ぶりだった。だけど怖い。怖くてたまらない。
なぜなら彼は口元こそ嗤っているが、その両目が全く笑っていなかったからだ。
あの日に盗み見た性根と同じ。優越の魔王は退屈そうに、口だけ嗤ってる。
「……こんな所で、その偉大なる魔王様が何やってんだ? 男女の内緒話に聞き耳を立てるなんてイヤらしいヤツめ」
「内緒話って言うほどヒソヒソしてなかったよね? まぁこの街で一番多く聖遺物を所有しているミレーナちゃんをストーキングしていたのは事実だから、その侮辱は両手を広げて歓迎しよう。そうとも。俺はイヤらしいヤツなのさ」
「ははっ。やっぱりお前も聖遺物が怖いってか?」
「いいや全然? 全くもってこれっぽっちも」
優越の魔王は表情を崩さない。
「俺は、俺の天敵をじっっくり探してるだけさ」
(天敵を……?)
ぼんやりと思考は出来るが、わたしは身体ばかり震えていて、喉を震わせることが出来ない。別にそれをくみ取ったわけじゃないんだろうけど、ブラントが勇敢にも対話を試みてくれる。
「天敵を探す……先手を打って破壊するためか?」
「違う違う。その逆だよ。俺は天敵と戦うために、ソレを探してるんだ」
「なっ……」
「いきなり襲撃して壊しちゃったら勿体ないだろう? だから最近じゃ、殺戮をする前に聖遺物の情報を集めるようにしてるんだよ」
「なんなんだ……お前は一体、何がしたいんだ……?」
「俺はね、負けてみたいんだよ」
頭のなかでその言葉を繰り返す。
負けてみたい。敗北したい。――――なんて傲慢な言葉だろうか。
そんな動機で殺戮を繰り返しているのか? ふざけてる。
反射的に復讐心が呼び戻され、少しだけヤツを睨み付ける。だけどそんな行為は一秒も保たなかった。目が合っただけで心がへし折られる。
これまた反射的にうつむくと、やや苦笑いを浮かべたような声色が続いた。
「まぁ負けてみたいっていうのは、簡潔ではあるけどちょっと表現が正しくないかな? んー…………殺すか殺されるか。生きるか死ぬか。勝つか負けるか。『そういう不安を覚えてみたい』っていう切実な理由だよ、と伝えれば理解してもらえるだろうか」
不意に優越の魔王がコツコツと足音を立てながらわたし達に近づいてきた。
「でもまぁこの街もハズレだったみたいだ。この街にある聖遺物は六つ。ミレーナちゃんが持っていた戦闘系の剣が二振りと、サポート役の杖が一本。下見に邪魔な弓が一張り。貴族が観賞用に壁に飾ってる破壊用の斧が一挺。そして最後の六つ目。その居場所だけがずっと分からなくて不気味で愉しくてゾクゾクしてたけど……魔眼とはね。珍しいけど、珍しいだけ。しかも過去に対峙した俺が既に一蹴してて、更に現在は不良品気味というしょーもない聖遺物」
そして優越の魔王はわたし達を素通りした。
「所在が全く分からない聖遺物に少しは期待してたんだけど……結論から言えば、今回も全くもって退屈な街だったなぁ」
わたしもブラントも、身動き一つ取れなかった。
足音は止まらず背後へと流れていく。
「というわけで、明日にはお掃除することにするよ。一つずつ丁寧に潰していけば、いつかは俺の運命の相手と出会えるって寸法だ。俺って合理的だろ?」
優越の魔王の声が遠ざかっていく。
「しかしまぁ、期待は薄い。……この世界は本当に退屈だな」
「以上がわたしと優越の魔王の、二度目の邂逅のあらましだよ……」
ミレーナの語りにずっと耳を傾けていた俺は、ここでようやく思考を走らせる。
明日にはお掃除。
戦うために天敵を探している。
退屈だ。
どれもこれも、圧倒的強者が口にすると意味合いが酷すぎる。
「明日。……明日か。日付が変わるのは約四時間後。だがその口ぶりからして、夜中に襲撃があるとは確かに思えない……」
「普通に寝て起きて、優雅に朝食でも摂ってから来るんじゃないかな……」
「――――選択肢は二つだ。街ごと逃げるか、それとも戦うか」
「三つ目があるでしょ……」
弱肉強食に従い皆殺しにされろ、と。
そんな言葉を耳にした俺は一瞬黙って、それからニヤリと作り笑顔を浮かべた。
「らしくないなミレーナ。お前の思い人がすぐ近くにいるというのに」
ハッパをかけるつもりで軽口を叩くと、ミレーナは一層深い表情を浮かべた。
「わたしは何にも分かっちゃいなかった。……あれと戦う? 冗談を通り越して、気が狂ってるよ」
「ミレーナ……」
「見れば分かる。あれは、終わってる。……ヤツが横を通り過ぎた時、わたし、盛大に漏らしちゃったよ。あはは。雨が降ってて良かった」
思わず俺は彼女を抱きしめた。それが引き金になったのか、彼女の身体は大いに震え出す。
魔眼を使うまでもない。彼女は全身全霊で「怖い」と俺に訴えかけてきたのであった。
逆に、俺の心は静まり返っていた。
成すべき事は明確だ。
打破する敵も明確だ。
問題なのは、それらを達成するための手段が不明なこと。
では大きな問題は解体するとしよう。
結局のところ、それらに対してまず必要な事は何か。
魔王討伐の基本。それは聖遺物を準備する事か? 天敵を用いる事か?
否。魔王討伐の基本とは――――リンチである。
「おいミレーナ。俺の心を読め」
「……?」
「その魔眼で。しょーもないとバカにされ、不良品と嘲笑された聖遺物で、俺の心を見透かしてみろ」
その瞳は赤く染まらない。
だけど冷え切った彼女の眼差しが俺を捉え、やがてその瞳には一筋の輝きが戻った。
「……………………」
「……………………」
それは超高速で行われる意思疎通。
自問自答は共有され、彼女の畏怖は俺の強引な意思に、すり切れるまで引きずられる。
「……………………」
「……………………」
やがて彼女は「はっ」と笑い。
そして最後には顔を少し赤く染めて、そっぽを向いた。
「ガッドルのばーか」
「……よろしい。では、始めるとしよう」
「その前にキスさせろ」
「無事に勝てたらな」
挑むのだ。
ガッドル・アースレイの生き方は、常にそうだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「本当に今更なんだけど……」
[なにかな?]
「わたしガッドルさんの奥さんとすごく仲が良かったから、ガッドルさんとミレーナさんが仲良くなっちゃったの、めちゃくちゃ微妙な気分に……」
[バッ、やめろ! せっかくイイ感じに集中出来てたんだから、自分で自分に水を差すな!]
「う、うん。……まぁ、お父さんの設定を持ち出さなくて良かったと思う事にするかな」
[……それはそれで興味あるから、次はロイルをキャラクター化してやってみないかい? いや、まぁそれはいい。とりあえず続きといこう]