自己紹介(蹂躙)
「出られない、っていうのはどういうことなの?」
[そのままの意味だよ? ここから出ることは出来ないんだ]
パーティル様はきょとんとした表情でそう言った。
[ここには全てがあるんだから、そもそも出る必要性が無いんだよね。僕はずっとここにいたい]
「わたっ、わたしはそうじゃないよ!?」
[しらなーい]
パーティル様は本当に興味が無さそうな顔をして、今しがたプレイしていたボードゲームの駒を回収していた。
[さぁそんなわけで次のゲームの準備に移るとしよう。ハンデを更に付けてあげる約束だったね……あ、そうだ。負けた分の支払いを先にしてもらわないと]
「何を……」
[手料理とやらだよ。食べさせてくれるんだろう?]
駒が盤上から全て取り除かれる。あとは再配置をするだけ。
[君が提示した対価だ。支払ってくれないと、取り立てることになる]
それはどこかの本に出てくる借金取りのようなセリフだった。
「でも、ここにはキッチンが無いよね……そもそも食材ってあるの?」
[どっちも無いよ]
ほんの少し、ほんの少しだけパーティル様の口角が上がる。
[まさか『話しが違う』とは言わないよね。この月眼の魔王に勝負を挑んでおいて、無事に済むとでも?]
「ツッ……」
ロキアスさんは言っていた。
彼とギャンブルだけはするなと。
……そもそもギャンブルの定義とは何だろう?
賭けること。奪い合うこと。勝つことと負けること。
パーティル様が口にした単語を拾い直す。
対価。支払え。取り立てる。
わたしは「勝負に勝ったらパーティル様のことを教えてほしい」と言った。
そして「負けたら手料理をご馳走する」とも言った。
それらを別の言葉で言い換えてみよう。
「勝ったら情報をよこせ」
「負けたら食料を渡す」
馬鹿げたような、そして本当にささやかな要求。でもそれは交換じゃない。わたしは既に賭けてしまっている。
――――ああ、なるほど。
わたしは敗北したのだ。
彼の「言葉遊び」という遊戯に。
緊張と不安でどくんどくんと高鳴る心臓。
パーティル様は引き続き無表情に近い。だけどその瞳にはわずかに好奇心が宿っているように見えた。
試されている――――そんな感覚をわたしは覚えた。
取り立てる? なにを? どうやって? 料理の代わりになるようなものをわたしは持っているだろうか。……新しいゲームでも考案してみる?
いいや。きっとダメだろう。わたし如きが思い付くゲームじゃ、きっと彼は満足しない。だとしたら何が出来る。何を支払わなくてはならない。
月眼。遊戯の魔王パーティル。戦闘能力は未知数だが、まさかわたしより弱いということはないだろう。何故ならここは彼の楽園だからだ。
(ど、どうしよう……どうしよう……)
[さぁ、罰ゲームの時間だよ]
(どうしよう……どうしよう、お父さん……!)
『うーん。ロキアスに比べるとマシだが、こいつもコイツでいい性格してやがるな。……だけど、まぁいいじゃん』
(何がいいのよ……! だって、この状況じゃ……!)
『料理してやればいい。別に何を作れとかは指定されてないんだろ?』
(え、と……)
『お前が胸ポケットに仕舞ってるビーフジャーキーでも食わせとけよ』
不意に爽やかな風が吹いたような気がした。
わたしの脳内お父さんは空想が洗練されまくっていて、時々わたしでは思い付かないような道を示してくれる。
わたしはパーティル様に向かって不敵に微笑んだ。
「なにかお皿はあるかな?」
[ダイスを投げ入れるための器ならあるけど]
「それに料理を盛ったら怒る?」
[そこまで狭い心の持ち主じゃないよ。好きに使うといい]
パーティル様はそう言って戸棚に置いてある真っ白な陶器の器を指さした。
「ありがと。……ちなみにまな板ってあるかな?」
[あはは。それは流石に無いかな]
パーティル様はおどけた様子で笑ってみせた。
「むぅ……あ、そしたらこのテーブルちょっと借りていい? 魔法で傷とか汚れが付かないようにするから」
[……へぇ。そんな魔法が使えるのかい?]
「使ったことないけど、まぁ何とかなるでしょ」
[…………ふぅん]
少し考えて、テーブルの上に虹色の光を展開させる。
「【虹帯】」
帯状となったそれはまるでテーブルを守るクロスのようだった。汚れはもちろん傷からも保護してくれることだろう。
本当は嫌だ。
すこぶる嫌だ。
ただビーフジャーキーを切って盛るだけで「料理」と呼称するのは、わたしのコックさんとしてのプライドを少しばかり傷つける。
でも仕方が無い。ここにはビーフジャーキーしか無いのだから。
陶器の器があって良かった。白だから多少は見栄えがよくなってくれるはずだ。パセリなんかがあればもっと彩りが良かったんだろうけど。あと黒コショウも欲しいなぁ。お酒やクラッカーがあればなお良い。
でもここにはない。乾いた牛肉。ナイフ。お皿。それだけ。
あとわたしが用意出来るものといえば、技術と愛情ぐらいだ。
いざ、腕の見せ所。
「できましたよー。どうぞ、ビーフジャーキーです」
[すごい]
そっとパーティル様の前に器を差し出すと、彼は目を大きく開いてパチパチと拍手してくれた。
[素直にすごいと思う。懐からお肉が出てきた時もちょっと笑ったけど……いや、まさかこんなことが出来るなんて]
パーティル様は無邪気な様子で[珍しいものを見た]と喜んでいた。
「さぁどうぞ召し上がれ」
[うん。いただくよ。……わぁ、向こう側が透けてみえそうだ]
器に入ったビーフジャーキー。端的に言ってしまえばただ切っただけ。
――――ただし、極薄にしてある。
極めて薄い肉。削り出しという技術だ。海辺に近い街とかじゃお魚を乾かして、それを紙みたいに薄くして煮込み、出汁を取ったりする。
本来なら専用の削り出し機とか使うんだけど、ナイフでこしらえるのにはかなり苦労した。ビーフジャーキーでこぼこしてるし。
「プライドを込めて作ったよ」
[うん。すごいと思う。もぐもぐ……うーん……ちょっと物足りない気もするけど……もぐもぐ……ああ、でもこれぐらい軽いとゲーム中でもつまめそうだね……もぐもぐ……]
大した量じゃないが、削り出したせいでこんもりとしている。パーティル様はちょっと微笑みながらそれを食べ続けた。
[……うん。美味しい。いいよ。一本取られた気がしないでもないけど、僕はこれを手料理と認める]
「よしっ!」
小さくガッツポーズ。そして虹色のテーブルクロスを消してナイフを精霊服でぬぐった。
[じゃ次のゲームといこうか。条件はさっきと同じでいい?]
「待って。あとはもうクッキーぐらいしか持ってないの。残念だけど手料理はまた別の機会に」
[……クッキーも持ってるのかい。変な魔王だねきみは]
ほんのりと、毛色の違う好奇心。
「おや。ちょっとはわたしに興味がわいた?」
[うん。さっきの虹色の魔法も綺麗だったよ。……極虹の魔王、だったっけ]
パーティル様の瞳に淡い輝きが足される。
[…………いいね。少し興味がわいた。それじゃあゲームを再開しよう。僕が勝ったら、きみのことを教えてもらおうかな]
「ようやくスタートラインに立った気分だよ」
そう言って苦笑いを浮かべたわたしは、椅子に座り直した。
「それじゃ、わたしが勝ったらパーティル様のことを教えてもらうね。……次は勝つ」
[ふふっ]
もぐもぐとビーフジャーキーを食べ続けるパーティル様。
[いいよ。おいで]
そこから怒濤の七連敗を決めたわたしは、洗いざらい自分のことを語り尽くしてしまったのであった。
「くそぅ、くそぅ……なぜ……なぜ勝てないの……」
最終戦においてパーティル様は、駒の七割ぐらいが欠落した状態でプレイを始めていた。このゲームにおける最大級のハンデだ。それなのに、勝てなかった。
[いや結構危なかったよ。軽く感想戦をするとね、この十五手目の駒の動きが……]
ひょいひょいと駒を再配置して、解説までしてくれるパーテイル様。お優しい。
[ここでもしきみが将軍駒を逃がさず突撃させていたら、盤面は大きくひっくり返ってたはずだよ]
「でも負けた……! それが全て……! くそぅ……!」
頭をかかえてわたしは叫ぶ。
「もう渡す情報なんてほとんどないよ! わたしの自己紹介はこの辺で限界!」
お父さんのこと。友達のこと。月眼への経緯。家族のこと。属性のこと。コックさんになってからの話し。お父さんと再会するという目標。
……演算剣カウトリアのことは話していない。あれはチップに変えられない。
というわけでわたしはパーティル様のことをほとんど何も知れずに勝負を終えたのであった。
[じゃあ次のゲームといこうか]
「……もう話すことほとんど無いんだってば」
[個人的には彼の話をもう少し聞いてみたいな。ディアウルフ君だっけ?]
わたしが七連敗した結果、彼はわたしの近しい関係者の名前を知ることとなった。その中の一人が気になるらしい。
ディアウルフ。ある意味でわたしの弟みたいな子。
「……ディアとはもうずっと会ってないし、話すことも特にはないよ」
[そうか。ちょっと残念。彼ともゲームをしてみたいんだけど]
「無理でしょ。ディアはたぶん……ルールを覚える当たりで面倒臭くなって寝ちゃうと思う」
あの子の何が琴線に触れたのやら。……いや、確かに色々ユニークな子ではあるけど……とりあえずわたしは肩をすくめて会話を流した。
「うーん。別のゲームにした方がいいのかな……もう勝てる気が全然しないよ……」
[練習と思ってたくさん勝負したら、いつか成長出来ると思うよ。こういうボードゲームは定石を知ってるか知らないかで全然違うカタチになるからね]
「あなたに勝つの何年必要だと思う?」
[…………二十年ぐらい?]
「長すぎるってば」
なんだか疲れてしまった。甘いものが食べたい気分。でも空腹ではない。ここではエナジーが循環しているからだ。そういう仕様らしい。
でもそれはそれとして、食事とはお腹を満たすためじゃなくて心を満たすためにもある。
というわけでわたしは虎の子であるクッキーを懐から取りだした。紙包みをはいで、黄金色したそれを天にかざす。かわいくて綺麗な色だ。
「パーティル様も一枚食べる?」
[……え、いいの?]
「うん。美味しいよ」
[…………それを対価にすればいいのに]
「こういう美味しいモノは奪われるよりも、分け与える方が良いんだよ」
[………………斬新な意見だ。じゃあ、えっと……ありがとう?]
「うん」
ひょいと手渡して、早速自分のクッキーを口に運ぶ。あまーい。バターの香りとちょっとの塩分。いい卵と、いい小麦。優しい焼き加減。ああ芸術。ロキアスさんのレシピを再現しつつ、わたしなりに分量をアレンジした逸品だ。
「ああ、しあわせ」
[…………ふーん]
わたしはパーティル様のことを何も知らないに等しい。
でも彼はわたしのほとんどを知った。
それは遊戯の魔王の何を変化させたのだろう。
クッキーを食べ終えたパーティル様は、少し考えた後で嗤った。
[きみとやってみたいゲームがあるんだけど]
「……次はわたしが勝てそうなゲームにしてよね」
[それはどうかな。与えられた勝利できみは大喜び出来るのかな?]
「なるほど確かに。それは奪い取った方が気分が良さそう」
さっきのクッキーとは違う。勝つか負けるか。それは分かち合うものではない。
[次のゲームに必要なのは、まずは運。次に選択。そして演技力だ]
「……演技力?」
[うん。ずばりTRPG。テーブルトーク・ロールプレイング・ゲームだよ]
「なにそれ。聞いたこと無いんだけど……」
[どうやらきみは、とっても個性的で、面白い性格をしている。僕たちならきっと良いセッションが組めるはずだよ]
「……あー、なんかこの楽園にきて最初に紹介されたゲーム?」
[そうそう。よく覚えていたね。アレをやろう。きみがどんなプレイをするのか、ちょっと見てみたくなったんだ]
「新しいゲーム、つまりまたルールの覚え直しかぁ……まぁいいや。それって楽しいの?」
[とても愉しいよ。本当は四人ぐらいいるともっと愉しいんだけど、別に二人でも出来る]
パーティル様はまるで天使のような微笑みを浮かべて両手を広げた。
[きみが僕のシナリオを突破出来たら、僕のことを全部教えてあげる]
提示された対価は、わたしの七連敗に匹敵するぐらいの情報量。
「……わたしが負けたら?」
[あれ。僕が決めてもいいのかい? それはよくないね。法外なものを求められるかもしれないよ?]
「そう言われても、それに匹敵する何かなんてわたしには思い付かないよ……でも確かに、勝手に決められたらマズいってのは流石にわたしも理解した所だし」
うーんと悩む。
うーーんと唸る。
うーーーーんと頭をかかえる。
パーティル様の全情報。対価としてふさわしいモノとなると、わたしの持ってる全て。その中でチップに変えられるものといったら何だろう?
「…………ここから出たら、わたしの全身全霊のフルコースをごちそうするっていうのはどう?」
[――――ここから出たら、かぁ]
そうつぶやいてパーティル様は視線をわたしの奥へと移した。扉がある場所だ。
[――――外はもうイヤかなぁ]
感情が籠もっていないような。あるいは逆に籠もりすぎて、それがあまりにも大きすぎるから感じられないような。彼の口からこぼれたのはそんな音色だった。
だからわたしはシンプルに別の回答を用意する。
「それじゃあ作ってここに持ち込むよ」
[……だから、死ぬまで出られないんだってば]
「わたしが『ここからの脱出』を求めて、そしてゲームに勝利すれば出られるでしょう?」
そう言うと、パーティル様の表情が凍り付いた。
「……あ、あれ? 違った?」
[…………違わない。そうだね。きみがそれを勝ち取ることが出来たのなら、それはきっと叶うと思うよ]
「そもそもなんで出られないの?」
[試してもいいけど、その扉は内側から開かない。そういう魔法がかけられてるんだ]
「……結界……領域魔法みたいな?」
[ちょっと違うかな。無理矢理名付けるなら『世界魔法』が一番近い。現実と法則を歪めて、固定させてる。ついでに言うと、きみは一度も試さなかったけど、ここでは攻撃的な魔法は一切無効化されるよ]
「うわぁ……なにそれ……何単語使ったの……?」
[フォースワードを十五回ぐらい重ねたかな。独自言語もりもりで]
「じゅっ、十五!? 八単語魔法より難しそう……」
[まぁそんなわけで、この部屋にはルールがある。そしてそれを破ることは出来ない。だから出られないってわけ]
「確かに突破は無理そう。攻撃的な魔法が無効化されるなら、無理矢理出るのも出来ないんだろうなぁ」
[…………ここまで言っても、きみはそれを試そうとはしないんだね]
呆れたようなつぶやき声。苦笑いのそれ。
「パーティル様が嘘をつくとは思えないし。……それにそういう目的で来たわけじゃないからね。だいたいこの楽園を荒らすのは最悪のマナー違反でしょ? それこそ殺されたって文句は言えないよ」
例えばわたしがお父さんと楽園に行ったとして。そしていつの日かお客様が訪れて、ソレがお父さんを害そうとしたのなら、わたしはソレを必ず滅殺する。
そんなことを考えていると、パーティル様はニヤリと嗤った。
[ああ、いいね。やっぱりきみとのセッションは愉しそうだ。やろう。ぜひやろう。早速やろう]
「いいよ。やろう。でも対価はさっき言ったので良いの? わたしの全身全霊のフルコース、ただし外に出た後で。……つまりは後払いなわけだけど」
[いいとも。とりあえずやろう。僕は早くゲームがしたい]
まるで子供のようにワクワクした表情で、遊戯の魔王は笑顔を浮かべつづけた。
とても愉しそうに、嗤い続けていた。