死ぬまで遊べる楽園
結論として言えば、敗北してしまったフェトラスだったが何も失ってはおらず、ダメージを負ったわけでもなかった。
だから[さぁ、次のゲームは何がいいかな。またボード? それともカード? トークもいいよね。ここは狭いから種類は限定されるけど、身体を動かす系の遊びでもいいよ]と言われて、フェトラスは真剣な表情を浮かべた。
先程自分達が行ったゲームは、ただのチュートリアルだ。
この楽園がどんなものか、遊戯の魔王パーティルがどんな個性を持っているのか。……言ってしまえば自己紹介の一種だ。
そしてそれを、自己紹介を続けること自体がパーティルの望みに近いのかもしれない。
相手のクセを見抜いたり、どんな判断基準を持っているのか推察したり、いかような立ち振る舞いを好むのか実感したり。
そんな風にして相手の性格を知る事は、相手が次に出すカードを知る事にもつながるのだ。――――彼にとっては、全てが遊戯に繋がっている。
それはつまり同時に、ゲームを繰り返せば繰り返すほど自分の勝率は下がっていくという事でもあるのだろう。その事をフェトラスは悟った。
だから悠長に自己紹介なんて、自分の情報なんて開示しない。
次で勝つ。――――そんな決意をフェトラスは抱いたのであった。
「ゲームを決める前にルールというか、取り決めをしておきたいんだけど」
[うん? どういうこと?]
「……そもそも、なぜわたしがここに来たのか、パーティル様は気にならないの?」
[あー。まぁ改めて言われればそうかもね。別に僕にとっちゃ重要じゃないけど]
パーティルくん改め、パーティル様は本気でどうでもよさそうにそう言った。
[十三番目の月眼、だっけ。僕が発生してからどれぐらいの時間が経ったんだろう。僕は十一番目だから、間に一人いるみたいだけど……まぁどうでもいいかな……天外の狂気ってのも相変わらず来てないみたいだし]
パーティル様は懐からトランプを取り出し、美しい動作でそれをシャッフルし始めた。
[でもその天外の狂気じゃなくて、まさかプレイヤーとして月眼の魔王が来るなんて考えてもみなかったよ。そうだ、サラクルちゃんは元気してた? 月眼の間にいた管理の高等精霊なんだけど]
「元気だったよ。たぶん彼女は、あなたが知ってる彼女のままだと思う」
[そりゃ良かった。いつかまた彼女ともゲームがしてみたいなぁ]
スッ、スッ、スッ、と交互にトランプが配られる。その数は五枚。
[ところでポーカーのルールは知ってる?]
「…………いや、まだ全然話しが進んでないんだけど」
[ただ話すだけのどこが愉しい? 遊びながら話そうよ]
「ヤだよ。また罰ゲームで悩みたくない」
そう答えると、パーティル様はとても不愉快そうに表情を歪めた。
[――――君はここに何をしに来たのかな?]
苛立ち。その感情の発露に、わたしは少しだけ臆してしまう。
「だ、だからその説明を今からしようと……」
[ここは十一番目の楽園、死ぬまで遊べる部屋なんだよ。逆に言えば遊ぶことしか出来ない。それ以外のモノは全て不純物だ。……理解したならカードを取って]
それは命令だった。
相手に嫌われることは本意じゃないし、そもそもパーティル様の言う通りここは彼のための楽園だ。侵入者であるわたしは本来、発言権を持たない。
だとしたら、やはりこのゲームも乗らざるを得ないのだろう。
[チップはお互いに十枚。全賭け(オールイン)は一度だけ。チップの無くなった方の負け、ということでいいかな]
「……負けたほうはどうなるの?」
[どうしたい?]
「……わたしとしては、そういう所のルールをはっきりとさせておきたいだけ。ゲームに負けたからって、片腕や命を取られたりするのは嫌」
[なるほど。じゃあ罰ゲームとかそういうの無しにする? ただ遊ぶだけだよ。どうだい?]
それはわたしとって、利益しかない提案だった。
遊ぶだけ。つまりリスク無しで観察し放題。穏やかな時間。楽しいだけの空間。
「そうしたい!」
[うん。じゃあ単純に遊ぼう]
ニコリと笑って、パーティル様は自分のカードを手に取る。
[さて、それじゃあゲームスタートだね。……おっとこれは初手から難儀なカードだ。どういう手に成りたがってるのか全然分からないや――――ワクワクするね!]
先程とはうって変わって上機嫌。幼い見た目どおりの振る舞いをし始めた彼を見て、わたしはこっそりと安堵のため息をついた。
自分の手札にはツーペアの役があった。運が良ければフルハウスもあり得る。
[ん、どうやらフェトラスは良い手が来たみたいだね。それじゃあ僕もちょっと挑戦してみるとするかな。……僕からゲームを進めてもいい?]
どうぞ、と言うとパーティル様はチップを一枚出して、カードを二枚交換した。
わたしも似たような動作を繰り返す。チップは一枚。カードは一枚交換。
(わ。フルハウスになった)
これは強い、と思わずニヤニヤしそうになったけど、いけない。ここはポーカーフェイスだ。わたしは不自然なくらい満面の笑みを浮かべた。
[なに、その表情]
「わたし、感情が顔に出やすいらしいから、こういう時は全力でニコニコするようにしてるの。良い時も悪い時も」
[普通のポーカーフェイスといえば感情をシャットダウンさせるものだけど……まぁそういうのもアリだよね。それじゃ一戦目だし、様子見もかねて賭金追加はしないでおこう]
「じゃあこのままで。せーの」
手札開示。
[フラッシュ]
「フルハウ、ええええ!? フラッシュ!? 強くない!?」
[ふふふ。僕がレイズしないから油断しただろー]
「いきなりすぎる……」
せっかく良い役がそろったのに、なんて思いながらも同時に(まぁ負けても何もないみたいだし)と、わたしは大人しくパーティル様にチップを差し出した。
[では二戦目。次はフェトラスからどうぞ]
「じゃあ……」
チップを払う。カードを変える。手札を見せる。
その合間で少しのお喋り。
ただ遊ぶだけ。本当のそれだけの時間を過ごした。
そして結果から言えば、ほとんど完封された。
[残念。キングとジャックのツーペアだよ]
「強すぎませんかぁー!?」
こうしてわたしのチップは全部パーティル様に取られてしまい、すっからかんのオケラ状態になったのであった。
「こ、ここまで綺麗に負ける事ってあり得る……?」
[ふふふ。どう? 僕は強いでしょ]
「イカサマを疑うわけじゃないけど、ことごとく勝負手が届かない……なんでぇ?」
[降りる時は降りる。ポーカーのコツはそれだけだよ]
手早くカードを回収して、再びシャッフル。
[さぁ、次のゲームは何がいい?]
「……悔しいからもう一回! もう一回ポーカーしよ! 次は勝つから!」
わたしの頭からは、綺麗にとある決意が失われていた。
『次は勝つ』
そう決めていたはずなのに、わたしは性懲りも無くパーティル様に挑み、次も、その次も、そのまた次も敗北を重ねることになったのであった。
「なんでぇ?」
[うーん……別に弱いわけじゃないんだけどね……でもこれは、うーん……]
カードにおいて十連敗。
ポーカーだけではなく、その他色々なゲームでもわたしは負けに負け続けた。
そして負ける度に悔しがる姿をさらしていたわたしだが、パーティル様は苦笑いを浮かべてこう言った。
[それで、次のゲームはどうする? そろそろカードはやめて、別のタイプに挑戦してみる?]
「その方がいいかも……でもなんで勝てないのかなぁ……運? 運なの? 一回ぐらい勝ってもいいじゃない……」
[……そうだね。それなりに白熱した勝負もあったけど、結果だけみればフェトラスの惨敗だ。ゲームは真剣であればあるほど愉しいけど、こうも負け続けるとその愉しさも半減しちゃうよね。だから]
パーティル様はそう言いながら戸棚に近づいた。
[次はもうちょっと複雑で、戦略性のあるゲームにしよう]
「……たった今シンプルなゲームでボロ負けしたのに。複雑なヤツだともっと勝ち目が無さそうじゃない?」
[複雑なゲームだったらハンデがつけてあげられ易くなるんだよ]
「あー、そういうこと。手加減してくれるの?」
[手加減なんてしないよ。僕は遊戯において常に真剣だ。だから正しく言うなら難易度調整かな。魔力とかで例えるなら、君の魔力を百点に設定して、僕の魔力を十点にするとか。それならお互い全力で仕掛け合えるだろう?]
「なるほど」
魔力。
そういえば、パーティル様はどれぐらい強いのだろう。
今の雰囲気からは全然伝わってこないけど、彼もまた殺戮の精霊だった者。
無数の命を奪い、消し去り、殺し続けてきた者だ。
魔力。筋力。知力。
月眼の魔王としてのパーティルはどれぐらい強いのだろう。
ゲーム的な意味ではなく、殺し合いという意味で。
[別の例えだと、ターン制の戦略ゲームとかで僕だけユニットや駒を減らすとか。あとは縛りプレーとかでもいいかもね。カミサマから教わったゲームで麻雀ってのがあるんだけど、知ってるかな? それの二飜縛りみたいな感じの]
この何を言ってるか全然分からない月眼の魔王は、とても無邪気そうにも見える。
だけどそんなはずがない。
この魔王は命の軽さを知っていて、だけどその重さを知らない。
遊戯を愛した魔王。
遊戯だけを愛した、月眼の魔王。
遊戯以外のその他一切の存在は考慮されない。関心という情動は持っていても、それはあまりにも小さなモノでしかないだろう。
「……どうしてパーティル様は遊戯を愛したの?」
[そりゃ愉しいからに決まってるよ。ところでルールがちょっと複雑だけど、ボードゲームでいいかな? 今度はダイスによる運任せじゃなくて、完全に戦略性を求めるものにしようと思うんだけど]
「……じゃあそれで」
遊ぶこと。戯れること。それが合わさったもの。
愉しむこと。ふざけること。そんな概念みたいなもの。
単なる言葉遊びではなく、彼にとって戯れることは本当に重要なことなのだ。
殺戮の精霊として誰かを殺してしまう事に飽いたのか、嫌悪したのか。いずれにせよ興味はもう無いだろう。
そして割とここが重要なのだが――――彼はこの部屋に対戦相手を設定しなかった。
彼は独りぼっちだ。
それはこの魔王が心から願った事で、心から幸せなことなんだろう。
だったらわたしは、いまこの部屋に滞在を許されているわたしは、彼にとって何なのだろうか。
[……急に良い表情をするようになったね]
「まぁね。――――あの、一つだけ提案というかお願いがあるんだけど」
[なーに?]
「わたしが勝ったら、もっとパーティル様のことを教えてほしい」
[いいよ。勝負だね。じゃあ僕が勝ったら何をしてくれるのかな?]
「わたしのことを教えてあげる」
それは例えるなら、本の貸し借りみたいなものだ。
わたしが勝ったらレシピのたくさん乗った料理本を。
パーティル様が勝ったら、ゲームのルールブックを。
ほんの少しだけ試すような気持ちを添えてそう言ってみると、パーティル様は渋い顔をした。
[うーん。それを対価に示すのってどうなんだろう。僕、別にそこまで君の個人情報には興味が無いんだけど]
やっぱりか。
そりゃ彼はレシピ本になんて興味を示さないよなぁ……。(はっきりとフェトラスに興味無いとか言われて少し寂しいけど、それはまぁいいや)
だとしたら何が対価に相応しいんだろう。
分からない。分からないけど、分かることもある。
この月眼の魔王は、きっと遊戯において公平だ。
だったら任せてしまった方が確実だろう。
「じゃあ逆に聞くけど、もしパーティル様が勝ったらわたしに何をしてほしい?」
[む。とても難しい質問がきた]
ボードゲームを丁寧にテーブルに置いて、彼は腕を組んだ。
[うーーん? どうしようかな。そもそも僕の願いはもう叶ってる。この楽園にいられるならそれで大体オッケーなんだよ。強いて言うなら僕が遊ぶのを邪魔しないで欲しいぐらい……かなぁ……]
「………………」
[…………他には思い付かないなぁ]
「そこまでぇ?」
徹底してる、と苦笑いを浮かべるわたし。
「じゃあ美味しいご飯はいかがですか? こう見えてわたし、コックさんなのです」
[料理。料理かぁ……別に僕は食事を摂らなくても平気なタイプなんだよね。最後に食べたのはいつだっけ……]
楽園内でのエネルギーは循環している。なのでここにいれば食事はほとんど不要に近い。しかしそうは言っても、美味しいモノを食べて不幸だと感じる者はいないだろう。
「大丈夫。とっても美味しいから。お父さんのお墨付きだよ」
[お父さん? なんだそれ……。まぁいいか。とりあえずただ遊ぶよりは、勝負の方が燃えるのが当然だ。いいとも。その賭け、乗った]
パーティル様はにっこりと笑って、テーブルに置いていた箱を手に取った。
[じゃあルール説明をしてあげるね]
ゲームの準備。それもすらも愉しそうに、愛おしそうに、パーティルは対戦相手であるフェトラスに向かって微笑むのであった。
駒がたくさんあります。
お互いの陣地に、(最初は相手に見えないように)駒を好きなように設置します。
設置が終わったらいざ開戦。布陣を公表して、交互に駒を動かして、相手の駒を取っていきましょう。
相手の陣地の「玉座」に駒が攻め入るか、もしくは特定の駒を複数取れば勝利になります。
そんなゲーム。駒の動きは独特だし、役割も綺麗に別れています。
パーティルが言っていた通り、複雑なゲーム。定石を知らない初心者が手を出せば、熟練者によって蹂躙されてしまうであろう遊戯。
ハンデと称して数体の駒を抜いたパーティル相手に、フェトラスは覚えたてのルールと、駒の動かし方が書かれた表を片手に必死で戦いました。
その合間に二人は会話を重ねます。
「ところでこの……部屋? にはいくつぐらいのゲームがあるの?」
[いくつ。……いくつだろう。トランプだけでもプレイ出来るゲームは無数にあるし、この駒だって積み木に見立てて全然違う遊びをすることだって出来る。そう考えたら無限と言っても差し支えないんじゃないかな]
駒が動く。視線が動く。
「無限、か……とりあえずわたしが知ってるゲームは全部あるんだろうなぁ」
[君が知っているゲームって言ったら、どんなのがある? 出来れば難しいヤツの名前やルールが知りたい]
フェトラスはつらつらと、知っているゲームの名前を挙げた。それを聞いたパーティルが退屈そうに肩をすくめる。
[やっぱり目新しいゲームは無いみたいだね。残念]
「わたしはそんなに熱心にゲームしてたわけじゃないから、ってのもあると思うけど……な、なんか期待に添えなくてゴメンね」
[いいさ。カミサマ達が管理してる世界だし、いまさら初期設定情報はそんなに変化しないだろうさ]
「初期設定?」
[――――再生されたセラクタルには、初期から設定が存在するゲームがいくつかある。ポーカーとか、チェスやリバーシ、すごろくとか……要するに一般的知名度を誇っているゲームの事だね。カミサマが【月眼を蒐集しやすい状況を再現した】から、そういうのは時代が変わっても存在するんだ]
「ああ、それでお互いに知ってるゲームが多かったんだ。……神経衰弱とか、よく考えたら変なネーミングなのに共通してたっけ」
[セラクタルの再生……カミサマに教えてもらったけど、それはある日とつぜん再開される。初期設定された人間、魔族、他の命や精霊は多少のランダム性こそあるけど、基本的には似た者が生まれる事になる]
「…………」
[昨日を持たない人間や魔族が、唐突に今日を生き始める……偽りの記憶を与えられて、それに誰も疑問を抱くことが出来ない。ファーストと呼ばれる世代だ]
トン、トン、と駒が動く。
それと同時に展開される知らなかった情報。
フェトラスはゲームへの集中力が欠け始めた。
[目が覚めて、与えられた役割をこなして、子供を産む。それがファースト達の本能だ。いくらゲームに対しての知識があっても原材料が同じなんだから、派生するゲームも似たり寄ったりになるのはしょうがないよね]
そのパーティルの言葉には嘲笑が含まれていた。
[そんな世界を真面目に生きるのは、僕にとって拷問のようだったよ]
「……あなたにとってファーストって人達は、造りモノでしかないと思う?」
[んー、そもそも命って構造自体が造りモノじゃないかな。造るから生まれる。それだけの話さ。卵からだろうが、腹からだろうが、カミサマが造ろうが、結局は同じだよ。それに命はどこから産まれたかじゃなくて、どう生きるのかって事の方が重要なんじゃないかなぁ]
気がつけば盤面に不気味さが漂い始めていた。
駒の数はまだフェトラスの方が多いのに、陣形が偏り始める。
[ただし記憶に関しては、僕もちょっと思う所があるかな。……例えば君が五分前に造られた存在だとしよう。今までの記憶は全部フェイクで、君が大切に想っているモノですら全てが偽りだったと。そう言われたらどう思う?]
「……どうと言われても。わたしはわたしだよ。いくら懇切丁寧に『お前は五分前に我が造った』みたいなことを誰かに言われたって、相手を嘘つき扱いして終わり」
[だよね。それくらい僕たちの自我は強固だ。これは月眼とか人間とかは関係無く、当たり前の話なんだと思う。ただしファーストは違う。彼等は本当に造られたてだ。誰も禁忌を犯してなくて、神理にも至れない。……それをカミサマから聞いて、僕はまず何を考えたと思う?]
「えっ。……えーと…………不気味、とか?」
[違うね。そういう世界じゃ、新しいゲームが作られないじゃないか、と思ったんだ]
「……? そうかな。時間が経てば誰かが作りそうだけど」
[突然再開する世界。偽りの記憶。デフォルトで備わっている知性。さっきも言ったけど、つまり材料が同じなんだよ。新しいゲームを作ろうとしたって、それはカミサマが与えた知識の流用だ。種が同じなら、咲く花も同じ。分かるかなぁ……ゲームとはこういうものだ、という固定観念が強すぎるんだよ]
「うーん……お料理で例えると、みんな基本的なレシピは知ってるけど、独創性に富んだ料理は作れない、みたいな?」
[そうそう。そういうこと]
「でもでも、わたしが知ってる世界だと、日々新しい料理が作られてるよ。ちゃんとオリジナリティー満載で、奇をてらいすぎて全然美味しくないのとか」
[君にとっては独創的でも、たぶん僕にとっちゃそうでもない。僕が生きていたセラクタルは文明がかなり発達していたから、君の知らない料理を僕はもう知っているんだよ]
タン、と。殊更大きな音を立ててパーティルは駒を動かした。
[ところで。これで僕の勝ちが確定したわけだけど]
「え?」
[詰みだよ。きみはもうおわっている]
「……は? いやいや。まだ全然…………」
[会話に乗った僕も悪かったから、三十秒あげる。全力で集中して]
ハッとなってフェトラスがパーティルの表情を伺うと、彼は氷のように冷たい笑みを浮かべていた。
[お喋りに夢中になりすぎるのは良くないね。別に無言でやれとまでは言わないけどさ、この部屋では遊戯に命を賭けてよ]
瞬時にフェトラスは盤面を凝視した。
駒の数。位置。どう動いて、どう動かされるか。
詰んだと言った。お前の負けだと言われた。わたしはそれを理解しないといけない。それがこの楽園のルールだからだ。
今の一手で決まった? なら今の一手が今後どういう役割を果たすのかを考えないといけない。これはきっと攻撃の始まりだ。敵に一撃入れて、二撃に繋げて、果ての無い連撃をたたき込むお父さんのように。
「…………………………」
[…………………………]
「……………………あああああ!?」
[ふむ?]
「えっ、これ……えっ? 負け? これで負けてるの?」
[良い反応]
クスクスとパーティルは嗤った。
[いいよ。四十五秒かかったけど、ちゃんと集中してくれたみたいだし赦すよ]
「でもごめん、一応確認したい! これって、この駒が――――」
フェトラスはトン、と駒を一つ動かす。
パーティルがそれに応える。
「だよね。……でもこれをこうしたら?」
[悪手だなぁ。それを動かしたらこうなるよね。そしたら君はこの駒を動かすしかない]
「あっ……」
[それでこう。こう、こうなって、こうやって、ここでコレが動いて]
「あっ、あっ、あっ」
[そしたらここを守るしかない。だからこっちを攻める。こう、こう、こう。はい終わり]
いったい何手読まれたのだろうか。
ゲーム中盤かと思っていたら、瞬時に終結させられた。
[君がもっと集中していれば、こんな結末にはならなかったかもね]
「……すご」
[いいかなフェトラス。さっきも言ったけど、この部屋では遊戯に――――]
「すごーい!!」
[遊戯に……]
「えっ、待ってすごくない!? てんさい? 天才なのパーティル様!? なんで!?」
[…………]
目をキラキラと輝かせるフェトラスを見て、パーティルは押し黙ってしまった。
「わたしゴールすることばっかり考えてた。パーティル様は駒が少ないし、単純なゴリ押しで行けるとは思ってなかったけど、ここまで鮮やかに絞め殺されるとは思ってなかったよ!」
[…………]
「わぁ。悔しいというか、ちょっと感動しちゃった。このゲーム面白いんだね」
フェトラスの無邪気な感想を聞いて、初めてパーティルは心からの笑顔を浮かべた。
[分かってくれた?]
「うん。ごめん、もう一回やりたい。今度はちゃんと」
[もちろん! うんうん。じゃあハンデとして、僕の駒をもう少し駒を減らしてあげるね。それなら勝ち目も見えてくるんじゃない?]
「いいの? やったぁ。次は勝つんだもん!」
[ただその前に、負けの代償を払ってもらわないとね。ツケは良くない]
「あ、お料理。そうだった。えーと、ここにはキッチンとか無いよね」
[あるように見えるかい?]
「だよねー。じゃあ、ちょっと外で作ってくるね」
[うん?]
「……え?」
[出られないよ?]
「なんで?」
[……この楽園の名前、知ってる?]
「……死ぬまで遊べる部屋?」
[そうだね。だから死ぬまで出られないよ?]
「えっ?」
[えっ?]
こうして二人は同じ声を発しながら、全然違う表情を浮かべたのでした。