一転、二転、三転、そして着地
さて。月眼の間に戻り、僕は少しだけ考え事に集中することにした。
お題は『いかにしてフェトラスを全ての楽園にブチ込むか』である。
最終的な目的は『大魔王テグアの観察』だ。これは僕こと「観察の魔王ロキアス」の個人的な愉しみのためとかではなく、「月眼の魔王」としての義務感に近い。
殺戮の精霊・魔王として産まれて。
観察の魔王として生きた。
僕が僕であり続けるためには、大魔王テグアの観察は使命と呼んでも差し支えが無いだろう。
まぁ言ってしまえばフェトラスは全部の楽園を回る必要はないのかもしれない。もしかしたら次か、その次ぐらいの楽園でとんでもない覚醒をしてしまうのかもしれない。
だけど相手は伝説の大魔王だ。自己領域が理論上最高値に至ったとしても勝てるかどうか。――――なので、やっぱり全クリを目指してもらうことにしよう。
当初と結論は変わらないが、モチベーションというかテンションが全然違う。はっきり言ってしまえばやはり愉しいのだが、今となっては緊張感と責任感の方が強い。
さっきまではシンプルにわくわくしてたけど、冷静に考えてみたらコレはそういう案件じゃなかったわけだ。
失敗すれば、僕は自身の存在意義によって溺死する。
[フェトラス。立て続けに楽園を巡って疲れただろう? しばらく休憩するといい]
「休憩というか……普通に帰りたいかな……」
[セラクタルに?]
「うん。お家でゆっくりしたい。それにお父さんの代わりに世界平和を守らなきゃ」
[別に君が頑張る必要は無いんじゃないかなぁ。それなりにあの世界の守護者達も頑張ってるみたいだし]
管理者がいなくなった世界。バランスを整える者がいなくなった世界。
水槽で例えるならば、その水は濁り、酸素の供給は途絶え、エサを求めて共食いを始める世界。きっと終末では死骸しか存在しない状況になるだろう。
そんな中で、平和のために活動している者達が守護者だ。僕が便宜上そう呼んでいるだけだが、主に英雄、魔女、魔獣、魔族、そして一部の魔王がメンバーだったりする。ちなみにそれぞれ仲が良いわけじゃない。ソロ活動してるヤツの方が多いぐらいだ。
ちなみに最強の守護者はカルン・アミナス・シュトラーグスである。
ついでに言うなら守護者達の教祖はザークレー・アルバスだ。ロイルは歴史に名を遺さなかったが、ザークレーは伝説になった。
閑話休題。
[あの世界のことは、あの世界の者達に任せるべきだよ]
そんな事を言ってはみたのだが、フェトラスは「わたしの楽園なんだから、わたしができる限り責任を取らなくちゃ」と言って聞かなかった。
「というわけで帰ります! ヴァウエッドさんの手料理にはちょっと未練が残るけど、命を賭ける程じゃないし。ではさよーならー!」
[……いや、待ってほしい]
「ヤだ! これ以上言いくるめられてたまるか!」
[お願いだ。少しだけ、待ってほしい]
真剣にそう言うと、フェトラスもまた真剣な表情を浮かべた。
「……どうしたの?」
[……説明が難しい]
観察が愉しいから観察したい、というのが僕の生存理由だ。
だけど、現在僕が抱いている感覚は「観察しなければならない」という、存在理由に根ざした強迫観念に近い。
だけどこれは、どう伝えればいいのだろう。
『結局は自分が愉しみたいだけじゃん!』と拒絶される未来しか見えない。
僕はうなる事もせず静かに口を噤み続けていたのだが、フェトラスは何も聞かずにじっと待ってくれていた。
……ほんっとに。優しい娘だよ。
どうやって交渉するか。
あるいはどう命令するか。
いっそ脅迫してみるか。
どれもこれも違う。
僕に出来ることは懇願だけだ。
どうかお願いだから、大魔王テグアと戦ってくれ、と。
[――――焦燥感があるんだ]
「どんな焦りなの?」
[それが説明出来ないから困っている。僕はキミにお願いするか、あるいは自分の命を賭けなくちゃいけないらしい]
自分で口にして驚いた。
自分の命を賭ける?
[……そうか。その手があった。なんだ、僕はアホか? そうだよ。別にフェトラスは関係無い。この衝動は僕のものなんだから、僕が自分で直接観察すりゃいいんだ]
呆然とそう呟くと、僕よりももっと呆けた顔でフェトラスが首を傾げた。
「え、えっと。なに。本当にどうしたのロキアスさん?」
[お前のせいだ]
満面の笑みでそんな宣告をする。
[お前のせいで、僕は大魔王テグアに真剣に興味を抱いてしまったぞ]
「…………わたし関係なくない?」
[確かにね。今のはただの恨み言だよ。ははっ。いやー、寝ぼけてたのかな? まさかこの月眼の魔王が自己保身に走って、己の愛を見失うなんて]
「わ、分かんない。ロキアスさんが何を言ってるのか全然分かんない……」
[はははっ、あははは!]
楽しくて笑ってしまう。
[成長……何かの能力が上昇したとか、そういう話しじゃない。僕は自分の限界を知ったんだ。だから後はこれを超えるだけ。……ありがとうフェトラス]
フェトラスは眉間にめちゃくちゃシワをよせつつ、低い声でこう言った。
「本気で理解出来ないんだけど……ついに頭がおかしくなった感じ?」
[そうとも言えるし、目が覚めたとも言えるね。まぁキミ風に言うと、これは口にすると変質してしまうタイプの感情だよ]
「はぁ。そうですか」
[というわけでフェトラス、ついでにカミサマ。僕の遺言を聞いてほしい]
「!?」
[理解されないのは承知の上。だけど、まぁ、せめて聞いてくれよ。僕は今からテグアの楽園に侵入する]
「なぜ!?」
〈何故!?〉
フェトラスとカミサマ達の声がハモる。
僕は楽しくてずっと笑っていた。
[まずはカミサマ。長い間世話になったな。まぁこっちも世話してたようなモノだけど。……僕達の協力関係は今日で最後になるかもしれない。とても愉しい日々だったよ。ありがとう]
〈……何を、言っているんだ?〉
[次にフェトラス。無茶ぶりばっかりして悪かったよ。キミを観察するのはとても愉しかった。ありがとう]
「……本気でどうしたの?」
いよいよ真剣に心配されてしまったが、この身に刻まれた焦燥感は自身を省みることを許してはくれない。
[ずっと、ずっと観察を続けていたかった。未だ見ぬ天外の狂気も、これから現れるであろう月眼の魔王達も、フェトラスの行く末も、キミとロイルが再会するであろう日も、僕は観察したかった]
「な、ならすればいいじゃない。大魔王テグアさんの楽園に行くって……そんな自殺みたいなマネしなくても:……」
[いいや。しなくちゃいけないんだ。そうじゃないと僕は僕でいられない。……なぜなら、僕が先程あげた観察希望対象は、全部予想出来るものなんだよ]
天井をあおいで大きく息を吸う。そして吐く。それだけの行為で頭と胸がスッキリするような感覚を覚えた。
[今まで僕が対処してきた天外の狂気は、常識の外側で産まれたモノ達ばかりだった。きっと次に来るのだとしたら、今までと同様に理解不能なものだろう。では月眼の魔王はどうだろう? そうだね。きっとたくさんの種類の、そして理解不能な愛が産まれるんだろうね。フェトラスの行く末? まぁ幸せになるんじゃないかな。――――眼を閉じて考えれば、色んなパターンが想像出来るものさ。そして恐らくそれはいつか実現する]
「…………それで?」
[だけどテグアだけは違う。アレはカミサマを造った神様だ]
〈…………。〉
[僕はいつか、その神様を作った神様に会ってみたい。欲を言えばソレすらも作った神様にも]
身には焦燥感。
だけど心は、穏やかだった。
[それが僕の願いなんだよ]
【全てを観察したい】。それが初めて月眼の間に至った時に抱いた僕の願いだ。
だけど今、僕は楽園では叶わない渇望を得てしまった。
全てを観察したいと言いつつ、観察出来ないモノについては思考が及んでいなかった。実感が足りなかった。
つまり、僕の観察への愛は不十分だったのだろうか?
――――いいや、少し違うか。僕の気持ちはフェトラスのせいで進化してしまったんだ。
だから。だからこそ。
[僕はテグアに……大魔王テグアを観察しなくてはならない]
「……たぶん死んじゃうよね」
[でもそうでもしないと観察出来ないよ。……たった一つだけ、安全策があるけど]
「安全なプランがあるなら、それを採用すればいいじゃない」
[フェトラスに全ての楽園を経験させて、めちゃくちゃレベルアップさせて、キミにテグアと戦ってもらう、っていう。…………どうかな。中々に恥知らずなプランなんだけど]
「全力でお断り!」
[だよね。だから僕が直接行くしかないんだよ]
たった一つの本質を満たすために、全ての余分な執着を捨てる。
[もうダメなんだ。気がついてしまった。興味を持ってしまった。心と目を奪われてしまった。僕は今後何を観察しても『テグアを観察しなくちゃ』っていう衝動に苛まれて、愉しさよりも虚しさを覚えてしまうだろう]
俗な例えをするならば、僕はこれからも毎日色んな美味しいパンが食べられるけど、本当はステーキが食いたくてしょうがないのだ。でもパンしか無いのだ。やってられるか。
[だから、さよならだ]
「…………」
[もちろん生きて帰るつもりではあるけど]
〈Ω・ならば提案がある〉
そんな声をかけてきたのは、否定の権限を持つオメガ。
[へぇ。どんな提案だい?]
〈Ω・先程お前が口にしていたではないか。フェトラスをレベルアップさせると。お前も同様にレベルアップを試みればいい〉
[時間の無駄だな。僕の自己領域はほとんど完成している]
〈Ω・だが、このままでは確実に死ぬぞ。全力で観察に挑んだとしても、おそらく数秒で〉
まぁそうだろうな――――そんな返事は口にしない。
何故なら僕にとって価値があるのは生死ではなくその数秒だからだ。
〈Ω・テグアに殺されるのだとしたら、テグアを創った神に会うことも叶うまい〉
[それは……まぁ……そうなんだけど……]
だけど僕はもう決めてしまったんだ。大魔王テグアを観察すると。
ついでに言うなら【カミサマを造った神様を創った神様】とかもう言葉遊びの領域だ。正直に言ってしまえば現実味が無い。
今はただ、扉の向こうにあるご馳走の事しか考えられない。
〈Ω・月眼蒐集において、お前が協力してくれることは非常に効率が良い。なので失うのは惜しいのだ。……いいや、もうはっきりと言ってやろう。お前がいないと困るのだ〉
[困るだけだろ? それにオメガ、お前的にはもう月眼は戦力的に十分なはずだ]
そう返すと、別のカミサマが声をあげた。
〈α・それはオメガとDの意見だな。少なくとも我々は月眼蒐集を存続、続行させる。これこそが総意だ〉
[はいはい。まぁその辺の話は本題からズレてくるから一旦置いておこう]
ひらっと手を振ってアルファを黙らせる。
[ともあれ、ともあれだ。僕にはどうしても叶えたい願いがあると自覚してしまった。だからそれを遂行する。以上だよ]
別にカミサマもフェトラスも無視して速攻で突撃してもいいんだが。まぁ、僕もそれなりにビビってるわけだ。命を賭けるなんて行為はいつだって馬鹿げてる。
そんな内心はさておき、結論は口にした。
そしてフェトラスは。
「はぁ…………」
深い、とても深いため息をついたのだった。
「あのさぁ、ロキアスさん……」
[何かな?]
「何から言えばいいのやら……要するに、わたし風に言い直すと『どうしても食べたいご馳走があるから、他のご飯を全部無視してそれを食べに行く』って話しだよね?」
[軽んじてくれるなよ。フェトラス風に言うならば『ロイルに会うためならば神様だって殺してみせる』に等しいぐらいの覚悟がある]
「あう。それはごめんなさい。例えがちょっと普通すぎた」
[……まぁ、別にいいよ。似たような事を僕も考えたし]
そう答えるとフェトラスは眉間にしわを寄せた。口は「へ」の字だ。
「うーん……うーーん…………」
[……ど、どうしたんだい]
「なんていうか、潔すぎるなぁ、って」
表情はずっと苦悩に満ちていた。
「あのさ……ロキアスさんなら、わたしを上手に騙すことだって出来たんじゃない?」
その言葉の意味を、僕は理解出来なかった。
[……どういう、ことかな]
「さっき自分で言ってたじゃん。安全策。わたしをレベルアップさせて、大魔王テグアと戦わせるってヤツ。……それ、あなたが本気出せば叶ったんじゃない?」
なぜ、そんな質問をする?
[……その結果キミが死んでしまったら、流石の僕も良心が痛むよ]
「ははっ、良心なんて無いくせに」
[ではこう言い換えよう。転生したロイルに殺されてしまう。……それが因果ってヤツだろう?]
「それはそう」
[だろ? でもどうせ死ぬなら、意味のある方がいい。――――まぁゴチャゴチャ言葉を並べたけどさ、結局はシンプルな事なんだよ。僕は観察がしたい。だから命を賭ける。以上]
「……他のことは、もう観察しなくていいの?」
[いや、それはもうしたくてたまらないけどね。カルンとか]
共通の知り合いの名前を出すと、フェトラスは困ったようにクシャリと笑顔を浮かべた。
「はぁ……ヤだなぁ……ほんとヤだなぁ……」
[……さっきから一体何なんだい?]
君が何を言いたいのか、理解出来ない。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
脳内お父さん、どう思う?
『そりゃお前……ロキアス本人の問題なんだから、好きにさせときゃいいだろ』
だよねぇ。
『でも――――このまま送り出すのも、後悔しそうだよな』
だよねぇ。
出来たらハッピーエンドの方が、いいよねぇ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
フェトラスはスッと短く深呼吸して、手早くそれを吐いた。
「まぁいいや」
[???]
「分かった。ロキアスさんの人生だもん。好きにすればいいよ。……でも、せめてさ、わたしがヴァウエッドさんの手料理を食べるとこまでは観察していけば?」
ドクンと心臓が高鳴ったような気がした。
この娘は今、自ら、しかも本気で、月眼に挑むと口にしたのだ。
[……いいのかい?]
「何だかんだ言って、あなたが協力してくれた方が早いし安全なんでしょう?」
[そりゃ最善は尽くすけど……]
困惑が隠せない。
[ああ、あれかな……相互利用の関係……僕が死ぬ前に、僕を利用し尽くそう的な?]
「馬鹿じゃないの? ソレ、本気で言ってる?」
そう言いながらフェトラスは少しだけ顔を赤くした。怒りの表情じゃない。
照れている。
「だーかーらー…………死んで欲しくないって言ってるの……」
[何故????]
友達ですらないこの僕に、一体何を。
「そんなの、友達だからだよ」
[は? それなんの冗談? 友達じゃないってエクイアに宣言してたじゃん]
「あーもー、うるさいなー! じゃあ今から友達でいいよ! はい、これでお友達!」
強引に僕の右手をとって握手するフェトラス。
僕は本気で意味が分からないでいた。
「っていうか関係性とかもうどうでもよくない? 先輩とか後輩とか、知り合いとか、同族とか、そういう段階飛び越えるぐらい会話したりケンカして来たんだから! だったらもう、これもお友達の一種でしょ! そういう事にしとこ! ね!?」
[う、うん。まぁキミがいいならそれで全然構わないんだけど……]
「というわけでわたしはお友達に死んでほしくありません! なので、出来る限り協力します! だけど無理そうだったらゴメンね!」
[…………協力、してくれるのかい]
「うん」
[何故……なぜなんだい?]
「何回それ聞くのよ……冷たい表現と、あったかい表現のどっちが好き?」
[両方頼むよ]
「じゃあ、あったかい方で。色々あったけどさ、何だかんだ言って……ロキアスさんが死んだら寂しいからだよ」
[…………そうか]
じわりと、胸の中に何かが広がる。
なにか。何か言わなくては。そんな事を想ったけど、言葉が上手に出てこない。
[ありがとう]
そんな事しか、僕は言えなかった。
「…………ちなみに今までの会話が全部、わたしをそっちに誘導するための演技だったって事は?」
[そんな部の悪い、というか頭の悪い賭けはしないよ。それにこれは僕の問題だ]
「……じゃあ、改めて。せめてわたしがヴァウエッドさんの手料理を食べるまでは生きてね」
[了解だよ。テグアの事を抜きにしても、真剣に安全なプランを考えてみせるさ]
愉しい愉しい楽園観察。
でも気がつけばいつの間にか、僕たちは真剣な表情を浮かべる事になっていた。
[ヴァウエッドは戦闘系の魔王だ。だから先に非・戦闘型の魔王がいる楽園を巡るのは価値があると思う]
「なんで?」
[自己領域が拡大するから]
「……むぅ。その自己領域ってのが相変わらずよく分かんないんだけど……」
[簡単に例えるなら、魔法が使えるようになった瞬間、世界に色が溢れていると気がついた感動、自分が超常のモノであるという自覚……エクイアの楽園で、相性の良い飛行魔法を習得しただろ? あんな感じだよ]
「ふーん……」
[楽園を巡れば巡るほど、きっとキミの自己領域は拡大する。愉しみだね]
「ねぇ。めちゃくちゃ満面の笑みなんだけど気がついてる?」
[もちろん。だって超愉しいもん]
嘘偽り無く、僕はそう答えた。
[ああ、あの月眼の魔王達がキミによってどう変質させられるのか、歪められていくのか、取り返しの付かない事になっていくのか……! 考えるだけで鳥肌が立ちそうだ! やっぱ自殺行為なんて試みるもんじゃないな! この世界には楽しい事がいっぱいだ!]
なんて思いつつ、僕の心は「ありがとうね」という言葉でいっぱいだった。
だってキミは僕のことですら心配してくれるんだから。
そんなフェトラスは。
「早速後悔しそうだよ」
と、困ったように笑っていた。