22 「月眼」
思考するよりも先に「終わった」と身体が嘆いた。
いや、身体だけじゃない。このセラクタルと呼ばれる世界の全てが今、終わったに等しい。
もうダメだ。もう逆に笑えてくる。ははは。あははは。
月眼。つまり死そのもの。
能力が暴走して、高密度の走馬燈が見える。俺は産まれてから死ぬまでの思い出を丁寧になぞった。人生一本分の記憶。もちろん、そんな所に打開策は無かった。
だから俺は走馬燈の再上映ではなく、必死に能力を制御して思考を落ち着かせた。
(これは……酷い。酷すぎる)
俺は内心で舌打ちをした。いや、ぶっちゃけ舌打ちだけじゃすまない。絶望しかない。
どうやら、状況は最悪の最低の最悪の最低の方向に転がったようだ。地獄の一番深いところにある扉をくぐって、更に墜ちていくような。
体感で数ヶ月ぐらいの時間が経ったような気がする。
それぐらい、今の状況を受け入れることが出来ない。
「げ、月眼…………?」
カルンが絶望に満ちた声でそう呟いた。
月色の瞳。魔族すら怯えさせる、死の気配。
この世の中で、究極とも言えるほどの絶望。
今までに月眼を抱いた魔王は五体といない。
しかもテキストに載ってる大魔王以外は、ただのおとぎ話だ。いずれにせよ、この数百年、その存在は確認されていない。
言ってしまえば、今の状況は嘘臭い。
幻覚だと信じたい。
まさか月眼なんて冗談が本当に存在していて、なおかつ目の前に降臨しているなんて。なのに……はははー。あーすげー。嘘臭いのに、信じがたいのに、説得力が違う。
目の前の娘は、いつか必ず世界を滅ぼす。
見れば分かる。これはもう、終わってる。
ダメ押しのように、螺旋の双角がバリバリと音を立てて伸び始めた。
「違う……違うのです……私は魔王様の敵ではございません…………」
「そう。カルンさんは魔王の敵じゃない。でも、わたしの敵。フェトラスの敵なんだよ」
敵認定。カルンは、いまだかつて俺が聞いたことも無いような悲鳴をあげた。幾多の戦場にも、拷問部屋にすら存在しないであろう、断末魔よりも沈痛な遺言。
「違います、違うのですッッ!!」
「嘘をついたよね。たくさんたくさん、嘘をついたよね。これからもつくよね」
「嘘など一つもついておりません!」
「そしてお父さんは、魔王の敵なんだよね。フェトラスのお父さんだけど、わたしの敵なんだよね」
突然話しをふられたが、俺は数秒考えて、冷静に答えた。
「――――俺は殺戮の精霊なんて知らない。もしいたとしたら、敵だろうな」
「お父さんは鳥を殺して、カルンさんはわたしに嘘をついて」
フェトラスは俺とカルンを交互に見渡して。
「魔王の敵と、フェトラスの敵……。もう分からない。わたしは誰の正義で、誰の悪なの?」
そう口にした。
恐るべき月眼が、敵意に満ちた口調で、そう言った。
「ひ、ヒィィィィッッッ!!」
隻腕。隻翼。バランスの悪い体を引きずってカルンは駆けだした。その方向は森。
「たっ、助けて! 誰か助けて! 死にたくない! 助けて!」
カルンから全ての虚勢が剥がれ落ちていた。
その救いを求める声色は、幼く、そして必死だった。
「馬鹿っ、止めろ!!」
「助けて……いやだぁぁぁ! 死にたくない!」
慌てて声をかけたが、カルンは止まらない。
「戻ってこい! カルン!」
(なんで俺はアイツを止めようとしてる?)
叫びながら自問したが、答えはすぐに出た。
色々あったが、俺はカルンに同情してしまっていたのだ。月眼を抱いた魔王から睨まれるなんて、どんな拷問よりもエグい。可哀相すぎる。
そしてカルンは――――浜に至る道は一つではない。間違いなくカルンは、林の全域にモンスターを配置しているだろう。だから――――カルンの絶叫はすぐに聞こえてきた。
「…………バカが。そんな体で森に入ったらモンスターに襲われて当然だ」
残された障気だけが、カルンが残した最後の気配だった。
だが。
「………………フェトラス」
今はそれよりも重要なことがある。
目の前にいるフェトラスは、もう俺の知っているフェトラスじゃない。
「資格を持つ魔王」は敵を前にしたとき、銀の瞳をたずさえる。それが銀眼。
その銀眼を抱ける魔王ですら、数万体に一体だ。ギィレスだって銀眼には至れなかった。
そして歴史上、確実に存在したとされる月眼はたった一体の魔王だけ。
確率なんて考えるのも馬鹿らしい。
古今東西、人間が作ってきた物語には多くの魔王が登場する。けれど月眼を取り扱った物語なぞほぼ無い。だってそれは、あまりにも絶望が深すぎるし、どれだけ言葉を重ねても嘘臭い。
“月眼”
それは、もう、言葉では説明出来ないものだ。
とりあえずこの星、セラクタルは終わる。
(つーか、伝説の大魔王って本当に実在したのかね。居たとしても、どうやって倒したっていうんだ? こんなの、絶対勝てるわけねーよ)
テキストに載っていた「大魔王」のページを思い出す。
「英雄」の名前も、「使用された聖遺物」の名前も完璧に思い出せる。
でも倒し方は書いてなかった。
まぁそりゃそうだな。
俺は延々とループする絶望に飽きたので、呼吸を整えて居住まいを正した。
「……カルンさん、死んじゃった?」
「たぶんな。モンスターに襲われたんだと思う」
「カルンさんはモンスターを操れたの?」
「ギィレスの話しをした時にもちょっと言ったと思うが……ほら。みんな仲良く、ってやつ。アレな、実は操るというか、まぁ大体が脅迫みたいな感じなんだよ。力や魔法、特殊な言語。いずれかの方法でモンスターを奴隷のように扱う魔族もたまにいるんだ。魔物繰りとか呼ばれてる」
「そうなんだ……」
「だからこそ、手負いのアイツが襲われるのは道理だ。……圧政を強いられた民衆が、国を相手取って反乱を起こすように」
彼女は興味なさげに「そう」と呟いて、すぐに話題を変えた。
「わたしってもうフェロモンを押さえられてるの?」
「さぁな。でも、もし出ていたとしても近寄ってくるモンスターなんてこの世にはいないだろうな」
理由なんてただ一つだ。
「お前に勝てる生き物はたぶん存在しない。正しくは――――存在しちゃいけない」
「ふぅん……そっか…………」
俺の言葉に納得する彼女。既に自覚があるのだろうか。だとしたら。
「……いまから何が始まるんだ?」
俺は彼女にそう尋ねた。
そして彼女は静かに答える。
「自分が何なのか、それを知るの……」
月眼に純粋な殺意が浮かぶ。
愛憎はおろか、喜怒哀楽すら無い。何も無い。
そこには殺す意志しか宿ってなかった。
「カルンさんと、お父さん。どっちかを……この手で殺してみようと思ったの」
「フェトラス……馬鹿なことを言うな」
彼女はゆっくりと首を横にふった。
「わたしは自分が何なのか、よく分からなくなったの。でもそんなわたしでも出来ることがある。わたしは、誰かを殺せる。その力がある。だからどっちかを殺してみようと思った」
「でもカルンは、恐らくもう……」
「そうだね……だから」
「……俺を殺すのか」
彼女はその後で得る感情を知りたいのだろう。俺が殺した後で自分がどんな気持ちになるのか。それを知るために、俺を殺したい……いや、殺す必要があるのだろう。
「…………うん。わたしは今からお父さんを殺す。そうしないと、自分が分からない」
(…………本気か)
確認するまでもない。今のフェトラスは月眼だ。
本気の決意。必ず実行するという意志。肉体まで作用する鋼の感情。
文字通り、フェトラスは全力で俺を殺そうとするだろう。
「逃げたかったら、逃げてもいいよ。追いかけたりしない」
フェトラスはまるで野良猫に話しかけるみたいに、優しく言った。
「だって……」
静かな溜め。彼女の声が震えた。
「ほ、本当は殺したくなんてないんだもん……!」
月眼に涙は溢れない。だけど彼女の声は泣いていた。
「でもね、分からないの! わたしは何なの!? どっちなの!? 分からないの!」
「フェトラス……」
「でも、わたしは殺せる。殺すための力を持ってる……! 花は咲くために、鳥は飛ぶために、魚は泳ぐために、果物は美味しくなるために! 生き物は、生きるために! わたしは――――殺すために!!」
彼女は高らかに自分の存在を宣言した。
「魔王。殺戮の精霊! 総て、全て殺す者! きっと世界の終わりには私たち魔王しか残されない!」
でも、殺したくない。
彼女は最後にそう呟いて黙り込んだ。
それに対して、俺は出来の悪い生徒を叱る時みたいな声を出した。
「お前は本当にアホだな。殺したくないなら殺さなきゃいい。簡単だろ?」
「お父さんは、魔王でもフェトラスでも無いから分からないんだよ……」
「……は」
(なんだコイツ。
そんなに不安だったのか。
一人ぼっちだと、そう感じていたのか)
確かに俺は魔王でもフェトラスでもない。当たり前だ。お前だって俺じゃない。
成長が早すぎるっていうのは、難ありだな。大切な何かを取りこぼしている。
(魔王の体か。フェトラスの心か。なぁ、魂ってヤツはどっちに宿ると思う? ……コップが無いと水はこぼれるけど、水があってこそのコップだ)
「お前の気持ちは分かった」
不安は彼女の敵だ。俺はその敵から彼女を守る。
だったら話しは簡単だ。ああ、とても簡単なことだ。ただ彼女を守ればいいんだから。
自分が分からないだって?
だったら。
「お前が何なのか、俺が教えてやる。かかってこい」
真っ直ぐに言葉を投げた。
その言葉を受け取った彼女は、おずおずと言葉を投げ返す。
「……わたしが怖くないの? お父さん」
「アホか。自分の娘にビビって逃げ出すような父親はな、父親じゃない。ただのクソだ」
「お父さん、下品」
「下品上等。そもそも、怖いって。怖いってなんだ。まさかお前如きが俺に勝つ気か?」
あんまりにも自信満々に言い切ったせいか、フェトラスは苦笑いを浮かべた。
「すごいね。お父さんは本当にすごいや」
「ふん……。ああ、それと言い忘れてたが。お前とケンカするのは初めてじゃねーぞ」
「え?」
「お前を森で拾ったばかりのころだ。お前、俺のことを毎日食おうとしてたんだぞ」
「……ほんと?」
「マジだ。その都度、屈服させてきたんだがな」
「屈服って……児童虐待?」
「ははは! 人聞きの悪いことを言うなぁ、お前は。気を抜けば俺は指を食われるところだったんだぞ。エサ扱いされてたんだぞ。……自分で言っておいてなんだが、エサってなんだ。エサって。俺は食料かッッ!」
フェトラスはちょっと申し訳なさそうな顔をした。
「そうなんだ……でも、何で殺さなかったの? 食べられそうになった時に殺しておけば、お父さんはわたしに殺されずにすんだのに」
「大した自信だな。でも絶対にお前は俺を殺せない」
はっきりと断言した。その自信に根拠はある。
「カウトリアに比べれば見劣りするけど……この剣でも十分だ。愛娘の反抗期くらい、コイツで乗り切ってやるぜ」
俺は、そう言って俺はもはや相棒とさえ呼べる鉄の剣を見せつけた。
「…………カウトリア……聖剣?」
フェトラスがピックアップした単語。聖剣。
「話したよな。魔王ギィレスの物語」
魔王がいて。聖遺物があって。英雄がいた。
「聖剣カウトリアを使ってアレを倒したのは、何を隠そう俺だ」
「すごい嘘だね」
薄いリアクションしかなかった。
「......言っておくがマジだぞ? 革命の話しも本当だ。だから島流しの刑を喰らったんだっつーの。魔女の言ってた償いってのは、また別の話だけど」
「え……本当のことなの?」
「おおよ。腐っても英雄だからな。死刑だけは免れた」
「…………信じられないよ」
フェトラスは胡散臭そうに俺を見た。
「ま、その証明はこれから見せてやる。なぁに、あのハゲた魔王に比べたらお前なんて雑魚もいいとこだ。そのハゲを倒した俺とお前を比べると言ったら……それはもう、モンスター肉と牛肉くらい違う」
「牛肉」
「そうだ。安心して、全力で来い。お値段と味と格の違いを教えてやる」
そう言うとフェトラスは「あはははは」とお腹を押さえながら笑った。
伝説と呼ばれる月眼を持ってるくせに、いつもみたいに脳天気に笑った。
「ダメだよ。お父さんとお話ししてたら、本当に安心しちゃう」
「そうか」
「でもダメなんだ。だからこそ、自分が分からなくなる」
「……オッケー。お喋りは俺のお仕置きが終わってからにしよう」
「うん。―――出来るものならね」
闇が衣を生み出す。彼女の精霊服は、魔王の礼装に変化した。
白地に黒いラインの入った長いジャケット。それが漆黒のコートになる。ショートだったズボンも足の全てを覆うほどに伸び、厚手の靴まで創造される。
威圧感と絶望が更新されたんだろうけど、それは「海」に「巨大な湖」が足された、ぐらいのことでしかない。とっくに把握出来るレベルではないのだ。
(絶対死ぬな……っていうかもう五回くらい死んでてもおかしくねぇわコレ……)
だけどやるしかない。何度も呟いただろ? 彼女は俺が守るんだ。
身支度を調えたフェトラス。
「じゃあ……行くよ……!」
構えるは月眼を抱く魔王。
それを待ちかまえるは、かつて英雄と呼ばれた者。
魔王を屠った聖剣使い。――――今は聖剣持ってねぇけどな!!
それでも構うものか。今から戦うのは魔王に非ず。ならば聖剣なんてご大層な物は不要だ。
「かかってこい、フェトラス!!」
俺はそれだけ言って、魔王に、娘に、フェトラスに剣を向けた。
彼女はクスリと笑って、人間に、父に、俺に、飛びかかった。
むかしむかし、世界には大魔王がいました。
銀眼を超える、月色の瞳をもつ魔王でした。
世界は終わりを迎えました。
でも、大魔王は倒されました。
世界は、終わってしまったのに。