それが嘘だなんて、誰にも言わせない。
紅茶の香りが漂う。穏やかであり鮮烈なそれが、静謐な月眼の間に柔らかな色味を与えてくれる。
私は少し感心した。ロキアスはクソだが、どうやら紅茶を淹れるのは私よりも上手いらしい。
だけどロキアスのような変態に「なんの茶葉なの?」なんて質問をする気にはなれない。だってどんな反応が返ってくるのか想像するのも気持ち悪いくらいだから。
[それで? 確認したい事があるって言ってたけど、何なのかな?]
いそいそと自分の分の紅茶まで用意して、ロキアスが私にそう問いかける。
(いきなり本題か。コイツのことだからどうでもいい会話を延々と繰り広げるかと思ったけど……そういえば観察の魔王だったっけ。私の事もよく見抜いてるみたいね)
もしロキアスが自分の欲望のままに口を開いたのなら、つまり[久しぶりだねエクイア。最近どう?]みたいな事を言った瞬間に、きっと私は彼を攻撃していただろう。何故なら私はロキアスと会話する気が無いからだ。
しかしどうやらコイツは、世間話に混ざりにきたのではなく司会役のようなものを勤めるらしい。……実に排除しづらい。いやらしい。ずる賢い。こいつほんとキライ。
だがこいつは「役に立つ姿勢」を見せた。そして実際に役には立つのだろう。
なので一旦私は思考を切った。ロキアスのことは喋るカカシぐらいに思っておこう。
「まず最初に私が確認したい事というのは、フェトラスのお父さんについてね」
[ロイルの? ……まぁそうだね。フェトラスの事を知るのなら、それはイコールでロイルの事を知るということだ]
「さっきまでは私も頭に血が昇っていたし、フェトラスも……まぁ、私のせいで興奮状態だったからね。それでも私は会話してみたいと思ったから、この月眼の間を利用させてもらうことにしたのよ」
[良い判断だと思うよ。ここは心が落ち着く場所だからね]
ロキアスがにこやかにそう答える。やっぱり腹立たしい。私はコイツとお喋りに来たわけではないんだってば。
「ねぇフェトラス。聞かせて欲しいの。貴女は一体何を愛したの?」
そう尋ねると、彼女は紅茶を一口飲んでから「えっと」と口を開いた。
曰く。
無人島で発生しました。
聖遺物を特殊に発動させていた英雄に拾われました。それを食べました。
彼はわたしを保護してくれて、わたしは彼を「お父さん」と認識しました。
「………………それは、本当のことなのよね」
楽園で聞いていたエピソードと基本的には同じ流れだ。
だがしかし、追加された情報が酷すぎる。あり得ないことが多すぎる。
「聖遺物の遠隔発動……? 出来るわけないじゃない。不可能よ。しかもその状態の人間を食べたとか……よく殺されなかったわね……」
「……実は、その聖遺物のことはあんまり言いたくなかったの。――――演算剣カウトリアは、わたし達にとって特別な存在だから」
「……そう。まぁ分からなくもないわ。誰にだって、そういう言葉にしたくない事柄はあるもの。口にすると変質してしまいそうになるから」
ちらりとロキアスに視線を送る。
「というわけで出番よロキアス。演算剣カウトリアって何よ。解説なさい。あなた好きでしょ、そういうの」
[ダメだね。僕も彼女のことを容易く語りたくはない]
「えっ」
思わず目が丸くなった。
[僕もカウトリアには思い入れがある。ただ一言だけ言わせてもらうなら、彼女はこの世で最も偉大なモノの一つだと僕は思っている]
「…………そ、そう」
少しどころじゃない。かなり驚いた。この男が観察以外に何かを尊重するなんて、思ってもみなかったからだ。
かなり興味をそそられたが、二人は静かに想いを馳せている。
なんとなく「踏み込んではいけない」というフレーズを思い付いた。だけどそれはきっと(自分で言うのもなんだけど)優しい気持ちから発生した感情だと思う。
彼女達の心の中には綺麗な花畑があって、それを踏み荒らすのは上品な行いではない。ここはそっと見守ってあげるとしよう。
「では質問を変えるわ。どうしてそのロイルという人間は、貴女を殺さずに保護出来たの? ただの人間ですら魔王には忌避感を抱くのに……英雄だったらなおさらのはず」
「それもカウトリアのおかげだったの。……って言っても、よく分かんないよね。わたしとお父さんの事を話すなら、絶対に避けては通れない話題だし」
フェトラスは静かに微笑んだ。
「あのね」
「……いいえ。言わなくていいわ」
私は静かに首を横に振る。
「言いたくないなら、言わなくていいのよ」
「ううん。言いたくないわけじゃないの。でも分かってもらえるかどうか不安で」
「不安?」
思わず聞き返した。
「うん。わたしがカウトリアのことを話して……それで、エクイアさんが冗談でも彼女に対して、否定的な言葉を口にしたとしたら」
月眼でもなく、銀眼でもなく、漆黒の瞳で彼女は言った。
「きっとわたし達は、友達になれない。傷になる」
「……これは純粋な質問なんだけど……私が言うと思う?」
「たぶん言っちゃうと思う」
フェトラスはクスクスと笑ってそう答えた。
「だって当事者であるわたしですら、ちょっとどうかと思うもん」
そう言い切った瞬間に、ロキアスが「パン」と両手を叩いた。
[フェトラスはかなり特殊な月眼だ。その成り立ちも、在り方も。そのほとんどにカウトリアがかかわるが、それを語るにはそれなりの理由が僕たちにはいるんだよ。……とりあえずエクイアとしては『奇跡が起きた』と思っておけばいい]
「……そう。分かったわ」
興味はつきないが、ここで無理矢理聞き出しても意味は無いだろう。どうしても気になるようだったら後日聞けば良い。
(……後日、か)
自分でもびっくりだ。私が楽園の外と繋がろうとするなんて。
改めてフェトラスを見てみる。
綺麗な子だ。魔王らしい外見もそうだが、何より心根が綺麗。「美しい」と「可愛い」のちょうど真ん中にあるような。
「?」
「……ふふっ。なんでもないわ。話しを続けましょう」
こうして月眼の間で、心が安まる場所で、私はロイルという人間の話を聞き続けた。
かなり長い話しだった。
要所要所で欠落したエピソードがあると感じられたけど、それはきっと演算剣カウトリアに関わる部分だったのだろう。
遠隔発動。初めての月眼覚醒。そして本格的にフェトラスが月眼に至った際の出来事。
……奇跡が起きたと言ってはいるけど、一体どんな色の奇跡だったのやら。五つか六つは起きてると思うんだけど。
「……というわけで、わたしとお父さんは楽園に入らずに、セラクタルで生きることになったの」
「……なるほどね。ロイル。それが貴女の愛した人か」
ブッ飛んだ話だった。
天使って何よ、天使って。
しかも楽園を拒否するとか。元々はただの人間だったくせに、色々と超越してる。
「聞けば聞くほどユニークな方なのね。会ってみたいわ」
笑いながらそう言うと、フェトラスは「いつかね」と答えた。
[それで、どうだろう。エクイアが確認したいことは確認出来たかな?]
「というか、確認したい事が逆に増えたというか。結局そのロイルという人は、フェトラスではない別の人と結婚したのよね……」
[ロイルは世界で一番フェトラスの事を愛してはいたけど、あくまで娘としてだからね]
「わたしはお父さんが幸せなら何でも良かったし、お母さんのことも大好きだったから」
「……そう。ようやくフェトラスの言っていた意味が分かったわ。私と貴女の愛が似ている、という意味が」
「でしょう? だから見学してみたかったの」
「そうね。相手を思いやる、という意味においては私の楽園以外ではありえない。だけど、だからこそ」
ここからが真の本題だ。
「私は結婚の魔王エクイア・セッツ。幸せを願う者。そして幸せというのは、得てして勝ち取るもの。だから私はフェトラスに問うわ」
フェトラスがピリッと緊張感を抱き、背筋を伸ばす。
「どうして貴女は、ロイルが別の女性と結婚する際、抵抗しなかったの?」
「――――。」
「愛しているのなら、勝ち取れば良かったのに。彼と結婚すれば良かったのに」
そうは尋ねてはみたものの、答えは分かりきっている。
「だって、そっちの方がお父さん幸せだと思ったから」
そうね。きっと貴女はそう答える。
「貴女ならもっと彼を幸せに出来たとは、そう思わないの?」
「うーん。どうかな。分かんない。……もしかしたらそうかもしれないけど……でも、わたしはお父さんと結婚しなくて良かったと思うよ」
「どうして?」
「だってお父さんがお母さんと結婚しなかったら、わたしはティザリアとキトアには出会えなかったから。だから後悔なんて全然してない」
「――――――――そう」
「これ結婚の魔王であるエクイアさんにとっては微妙な返答かもしれないけどさ、わたしとしては結婚が全てじゃないと思ってるの。……ごめんね?」
「あらあら。もしかして宣戦布告されたのかしら」
「ふふっ。怖い冗談。でもわたしには好きがたくさんあって、愛してるモノもいっぱいあるんだ。だから、色んな形があっていいと思う。例えるならロキアスさんは観察を愛してるけど、観察と結婚なんて出来ないでしょう?」
「その通りね。概念と結婚するのは、難しい。それに私の楽園にだってルールはあるわ。重婚は認めてないし、何より愛のない結婚はタブーだわ」
誰でも構わず結婚させるような思春期は、何千年も前に終わらせている。
そういうことを言うと、ロキアスが手を挙げた。
[実は前から聞きたかったんだけど、たしか種族、性別、近親を問わずエクイアの楽園では結婚可だったよね。どうして重婚はダメなんだい?]
キラリとロキアスの月眼が光っている。わくわくしてる。
答えたくはなかったが、まぁ、大人しく司会役を務めているようだしこれくらいはサービスしてあげるか。
「私、浮気者ってキライなのよ。だからダメ」
[シンプルな理由だなぁ。……離婚が許されてるのも、その辺から?]
「そうね。両者が幸せになるための離婚なら、ありだと思う。哀しいことだけど、生き物は過ちを犯すから。そして離婚という制度があるからこそ、貫かれた結婚生活は尊く思える。そんなところよ」
[なるほどなるほど。では仮にどこかの誰かが人妻に横恋慕したとしよう。もしそれが愛のためだとしたら……それは許される行為なのかな?]
「調子に乗るなロキアス」
サービスタイムは終了だ。報酬が欲しければもっと働け。
「ロキアスのせいで思いっきり話がそれたわね。ロキアスのせいで。それで何の話だったか。……そう、ロイルとフェトラスの関係性の話よ」
身体を動かして視界からロキアスを消す。
「貴女はロイルが別の女性と結婚するのを良しとした……でも、こうも言っていたわね? いつか必ずするつもりだと」
「言った。割と本気」
「……どういう手段を取るつもりなのかしら」
奥さんが死ぬのを待つ? あるいは離婚するまで我慢? 重婚は認めないわよ。
「来世に期待します」
「……えっ?」
「だからお父さんが生まれ変わったら、その時は絶対結婚します」
「…………えっ」
私は震えた。
冗談めかして言っているが、フェトラスが本気なのは完全に伝わった。
でも理解出来ない。怖い。あり得ない。
「貴女は……ロイルが、死ぬことを、許容しているの……?」
瞬間、フェトラスの瞳がうるんだ。
「……死なない生き物は、いないよ」
「でも、だって、貴女はロイルを愛して……ら、楽園にいけばそれは永遠に……」
「――――楽園で得られる幸せは、限定的だからね」
私は思わず席を立った。
「どうして……どうして!? 理解出来ないッ……!」
「あはは。やっぱりカウトリアの事を話さなくて良かった」
不気味な緊張感が私を包む。ここは月眼の間のはなずなのに。
「いいんだ。理解してもらおうとは思わない。だけどわたしはこの決断を後悔していない。……さっきエクイアさんも言ってたじゃない。離婚が可能だからこそ、貫かれた結婚生活は尊く思えるって。それは命や幸せについても、同じことだよ」
「終わりがあるから尊い……でも、終わらせたくないからこその月眼で、楽園でしょう? どうして……どうして……」
「たくさん泣いたよ」
そう言ってフェトラスは涙を流した。
「……今でも泣いちゃうけど」
「ツッッ!」
「……あーあ。お父さんに……会いたい……なぁ…………」
ずっとフェトラスは涙を流し続けた。
ずっと。
ずっと。
[……なぜフェトラスがセラクタルではなく、この月眼の間にいるんだと思う?]
ロキアスがそう問いかけてきた。
答えは分かりきっている。
彼女の楽園はもう無いのだ。
フェトラスは言った。後悔していない、と。
ではその涙は何なのだ。
悲しんでいるじゃないか。苦しんでいるじゃないか。
それは後悔とどう違うのだ。
私には分からない。理解出来ない。
月眼でありながら、永遠を許された身でありながら、一体何故。
私が絶句していると、フェトラスは涙を精霊服の袖で拭き取り、不器用に笑った。
「やれること、やりたいこと、全部やったよ。だから、良い。これでいいの」
「……それは、嘘よ。だって…………」
はっと私は自分の口元を抑えた。
今私は、言ってはいけない言葉を口にした。
「……謝罪するわ。ごめんなさい。嘘かどうかだなんて、私が決めていい事じゃなかった」
「そういうこと。それにね、ちゃんと約束したから大丈夫」
「約束?」
「また会おうね、って。……セラクタルの全ての人間にお父さんの系譜が含まれる頃には、きっと叶うんじゃないかなぁ」
「そ、れは……」
「わたしはあの日、願ったんだ。お父さんが幸せであってほしいって。そして同時に誓ったの。お父さんの幸せを、可能性を、わたしは絶対に諦めないって」
私とフェトラスが口にする「永遠」という言葉は、全く違うモノであるという事を私は悟ったのであった。
私にとっての永遠とは、保証されたもの。
だけど彼女の永遠は、それこそ「勝ち取るもの」だった。
なぜだろう。胸がきゅぅとなる。
この感情は何かしら。同調? 感動? 尊敬? どれも近くて、全然遠い。
もしかしたら私は、彼女を「愚かだ」と見下しているのだろうか。あるいは理解不能な思考に対する嫌悪感? それとも自分とは違うカタチの愛に嫉妬しているのだろうか。どれも近くて、全然遠い。
――――ああ、これはきっと口にすると変質してしまう類いのものだ。
「フェトラス」
時間と共に消えてしまう儚い虹ではない。
夜空でフワフワとたなびくオーロラでもない。
もっと確かで、鮮烈で、尊いもの。
極虹。
これが十三代目の月眼の魔王、フェトラスなのか……。
「あなたと友達になりたいわ」
こうして私はその綺麗なものに心から惹かれてしまったのであった。
結婚の魔王エクイア・セッツ
楽園『ダーリンとのラブラブワールド』
攻略完了。