愛のない結婚
エクイアは強い魔王であった。
幼年期を経て、完成された殺戮の精霊として猛威を振るい、何もかもを孤立させてきた。物理的に、精神的に、全てを引き裂いていった。
だがある時、エクイアは戯れに襲った街で一人の男性と出会う。
それは街を襲いきった後の話し。目の前に転がる瀕死のそれは、聖槍を持つ英雄だった。どうやらこの地に住んでいたようだが、彼の帰る家はもうこの世に存在しない。
『妻を……俺の妻を、どこへやった! 答えろ魔王!』
『さぁ? 飛ばした先は空の上か、岩の中か、海の底か……運が良ければ生きてるんじゃないかしら』
『貴様ァァッ……! 絶対に、絶対に許さない……!』
『重傷のくせによく吼えるわね英雄。……いいわ。見せてみなさい。貴方の運を、いえ、運命とやらを』
『どっ、どこへ行く!』
『見逃してあげるわ。その妻とやらを探すも良し、私に復讐するも良し。――――貴方達の行動理念がよく分からないから、まぁ実験ね』
人々の行動理念。即ち愛。それが理解出来ないエクイアは、何故人々が自分を倒そうとやっきになっているのかが本当に分からなかったのだ。
誰かを護るために? 誰かの仇を討つために? これ以上自分と同じような悲しみを誰も抱かないように? 自分の命以外のために、この魔王に挑むのか。――――全くもって解せない。人間達の行為は、いくら言葉で飾ろうとも結局の所は自殺に等しい。
『私に勝てるはずがないのに、どうして貴方達は聖遺物を手に取るの? そんなに私を殺したい? そんなの、まるで殺戮の精霊と同じじゃない』
『人間を……舐めるなよ……ッ! 必ずだ! いつか必ず、貴様の首を落とすッ!』
『あらあら。妻とやらは探さないのね。それはそれで結構。ではごきげんよう』
魔族を従えて、エクイアは去る。その街は建物のほとんどが大きく欠損していた。そして残骸はとても少ない。
燃やしたわけでも、斬ったわけでもない。まるで消滅したかのような有様で、建物は死んでいた。
絶望的な隔離。森羅万象を遠く遠くに引き裂く、最悪の魔王。
それがエクイアであった。
[そんな風に産まれて、その通りに暴れ回って、殺して、殺して……そして何年経ったかしら……まぁそこそこの時間が経って、私はその英雄と再会したのよ]
フェトラスは身体をカチコチに緊張させて私の話しを聞いていた。
可愛らしい子だ。私がちょっと乱暴だった時期の話を聞いて、素直に怖がっている。
まぁそんな彼女の情緒はさておき、私は私の愛の発見を語る。
[最初は分からなかったわ。戦場で、ただ変な老人がいると思っただけ。だけどその聖遺物には見覚えがあった]
『ようやく会えた。久しぶりだな、魔王エクイア』
『……初めましてではないわね。その聖槍、見覚えがある。……どこで会ったのかしら』
『はっはっは。実験動物のことなぞいちいち覚えてはおらぬか。まぁそんなものだろうよ』
『実験動物? ……ダメね。全然覚えてない。そして興味も無いからもう死んでいいわよ』
『まぁ聞け。というか聞いてくれ。こっちは、ある意味お前のために生きてきたようなものだからな』
場所は戦場。
周囲には死体が散乱している。人も魔族も死ねば同じ肉塊だ。
そんな場所で、老人は手にした聖槍をエクイアに向けず、代わりに笑顔を向けてきた。
魔王として力を付けすぎたエクイアは、人類をほとんど滅ぼしかけていた。
出歩けば殺し。見かければ殺し。なんとなく人間が隠れてそうだ、と思った建物を吹き飛ばしたりしていた。
何人の英雄を屠っただろうか。
いくつの聖遺物を粉々にしただろうか。
だれもエクイアに傷をつける事すら叶わなかった。
たまにヒヤッとするような能力を持った聖遺物もあったけれど、エクイアはそれを観察したり、戦況を愉しんだり、試すようなマネは一切しなかった。
ただただ無駄なく、そして圧倒的に殺し続けた。
健気に抗戦を続ける人間達を、エクイアは何の感慨もなく殺戮し続けていた。最初期は殺戮に囚われていたが、あまりにも長くそれを続けたため、エクイアが付与されていた殺戮の資質は劣化しかけていたのだ。
その理由の一つに、エクイアは何事にも興味が薄いタイプだった、というのがある。
執着が無い。好悪に鈍い。何もかもがどうでもいい……。そんな生来の気質が、殺戮の資質にも影響を及ぼしていた。
例えばエクイアがお菓子が好きだったとしたら、それを奪うために殺戮しただろう。
あるいはパズルを解くことを好んでいたら、それを作らせるために殺戮の力を振るっただろう。
だが彼女には生きるモチベーションというものがほとんど存在しなかった。だから殺戮にも意味を見いだせなかった。
万象を散り散りにさせて、飛ばして、消して。形在るモノを崩すことしか出来ない自分。殺戮に酔いしれる事はあっても、他には興味をひくものがない。
自分は何がしたいんだろう。
そんなぼんやりとした気持ちで殺戮を続け、やがて自分の存在理由も薄れ初めて。
そして今、何やら珍しいモノが目の前に現れたというわけだ。
見覚えのある聖槍。向けられた笑顔。実験動物。
『……いいわ。聞いてあげる。どうせヒマなんだもの』
『ヒマか。……言って無駄だろうが、一つだけ。どうしてお前はこんなマネをする?』
『こんなマネ、とは』
『殺戮だ』
『それが出来るから。それしか出来ないから』
『……そうか。殺戮以外で、何か楽しいことや、好きなことはないのか?』
『あったらそっちに取りかかってるわよ』
『それもそうだな。すまん。無駄な話をした。本題に戻ろう。お前の実験成果についてだ』
『そうね。興味深さが失せて、あと五秒モタモタしていたら貴方は死んでたわよ。さぁ語りなさい?』
『お前は昔、ワシの妻をどこかへと飛ばしたのだ』
『私にとっては日常的なことね。それで?』
『そして復讐を誓うワシを、お前は見逃した』
『……私が? まぁ長く生きたし、そういう気まぐれも起こすでしょうけど……それが実験?』
『ああ。お前はこうも言っていた。人間が魔王と戦う理由が分からない、と。どうせ勝てないのになぜ抗うのか、それが知りたいから好きに生きるがいい、という旨の言葉をな』
『確かに私が口にしそうな物言いね。貴方達の行動原理は今も分からないままだし。まぁどうでもいいんだけれど』
『そんなお前の疑問に答えるために、ワシはここにいる。なぁ魔王エクイア。ワシの■は、無事に完遂出来たよ』
『……?』
『お前によって飛ばされた妻は、はるか西の草原で目を覚ましたそうだ。運が良かったのだろう。そして更に幸運なことに、その地域の遊牧民によって救われたそうだ』
『ふぅん。飛ばされた位置が絶妙な高低差だったのでしょうね。それで?』
『ワシはお前を殺す事を誓ってはいたが、それよりも何よりも妻の身を案じていた。だから、探した。まさしく生涯をかけて』
『うんうん。それで妻とは再会出来たのよね。おめでとう。それで? 貴方は今、どうしてここに居るのかしら?』
『そう結論を急ぐな。ワシの人生という物語だ。せめて味わって欲しいものだが』
『今の所まったく美味しくないもの。この調子だと私、飽きるわよ?』
『……妻と再会出来たのは五年前だ。彼女は、別の……素晴らしい男性と再婚していたよ。子供はおろか、孫まで紹介されたものだ』
『さいこん、していた? なによ、そのサイコンって』
『結婚の事だよ。まぁ魔王には無い風習だろうが……魔族にはあるんじゃないか? ■する者と番になることだ』
『結婚……聞いたことがあるような無いような……子供はポコポコ産まれるみたいだけど』
『別に子を成すことが結婚の全てではない。まぁ人にもよるんだろうが』
『ねぇ』
『なんだ』
『別に私は親切じゃないから、次に飽きた時は警告しないわ』
『……まぁいいさ。重ねて言うが、ワシの■は完遂した。だからここにいる理由は、実はもうほとんど無い。実験成果の報告なぞただの戯れ言だ』
『結局のところ、死にに来たというわけね』
『それもまた違う。ただあの時、ワシはお前に見逃された。傲慢なりし隔絶の魔王よ。ワシはお前に恨みと恩がある』
『――――恨みはともかく、恩ですって?』
『ああ。西の大陸で妻を初めて見かけた時、彼女は孫達に囲まれて、幸せそうに笑っていたよ。もう会わずに帰ろうかと一瞬思う程に、その笑顔は眩しかった。お前によって乱されたこの世界で、死にかけたこのセラクタルで、妻は笑っていたんだ』
『――――。』
『悔しかったよ。再会の際に「俺よりも良い男を見つけるとは、流石だな」なんて言ってはみたものの、そんな皮肉に妻は……彼女は「でしょ?」なんて言いやがる。しわくちゃのババアのくせに、今まで一番綺麗な笑顔で、見たこともない美しい涙を流しながら』
『――――。』
『一晩だけ、その遊牧民のテントで過ごさせてもらった。彼女と、その夫と、子供達も一緒にだ。彼等はワシのような部外者にも優しくしてくれたよ。事情を説明したらみんな泣いてくれた。あんなに気持ちの良い人々を、ワシは他に知らない』
『――――。』
『翌日、早々にワシは立ち去る事にした。そして別れ際に「■してる」と言ったら彼女、なんて言ったと思う?』
『――――。』
『その答えは魔王、お前が死にかけた時に教えてやるよ』
そう言って老人は聖槍を構えた。静かな構えだ。そして同時に、恐ろしく硬い構えだった。
“例えこの首がもげようとも、我が槍は貴様の命を奪う”
隙というものがまるで見当たらない。老練、それは一つの極地だった。
『……ねぇ、一つだけ教えて欲しいのだけれど』
『なにかな、魔王』
『あんまり理解出来なかったから、もう一度聞くわ。……どうして貴方は私の前に現れたのかしら?』
『恨みと恩があるからだと言ったろう? お前のせいでワシは■しい妻との時間を奪われた。憎悪に値する。だが……そのおかげで、妻は、どうやら幸せになれたらしい。偶然の産物だろうがな。だけどあんなに幸せな笑顔を見せられたら、そしてあんなに美しい涙を見られたのだから、ワシにもう悔いはない』
『…………もう一つだけ聞きたいのだけれど』
『なんだ』
『その結婚? っていうのは、貴方にとって意味のあることだったの?』
『意味……意味か。分からん。それを説明する事が出来る言葉をワシは持っておらん。――――だが、人生の全てを賭して後悔がまるでない。きっとそれは答えの一つだろう』
『………………そう。いいわね、貴方』
『………………』
『………………』
『……フッッ!』
『――・―【絶隔】』
戦いにすらならなかった。
老兵が振るう聖槍による一刺し。その速度とタイミングはエクイアが今まで見てきた中でも最高の一撃だったのは間違いない。
だがエクイアは強すぎた。そして何より理不尽だった。
隔絶。攻防一体の呪文は何人もエクイアに近づかせない。
老兵の下半身が致死的に消し飛んだ。
だけど老兵の残った上半身は空中で、力強く身体を捻らせた。
そして老兵は全身全霊の力を込めて槍を投擲する。
その瞳は“必ず貴様を滅ぼして、彼女達の世界を護る”という意思で血走っていた。
絶殺。
そのために全てを込めて。
――――だけどそれでも、エクイアは理不尽だった。
『【隔壁】。……誰も私には触れないのよ』
聖槍はエクイアの眼前で急停止。穂先がガタガタと震えて障壁を突破しようとしていたが、やがては力尽きて大地に落ちてしまう。
そして、血飛沫を撒き散らしながら老兵も地に伏した。
『……不思議。即死してないのね』
『ガッ、ひゅ……ひゅー……ひゅー……』
『……分からない。どうして貴方達は、死を怖れているのに私の前に立つの?』
『ひゅー……ひゅっ……くくく……』
『遺言を聞いてあげる』
『――――お前も誰かを■すれば分かる』
そう言って老兵は息絶えた。
『……なんて安らかな顔で眠るのかしら』
周囲の肉塊に視線を送る。
顔が残っているものは半分以上。だがそのほとんどが無表情だった。時間が経ちすぎて表情が消えたのだろうか。あるいは何も遺せなかったのだろうか。
『誰かを……なにすれば、分かるって?』
遺言は聴き取れなかった。
否、何かが、聴き取れなかった。
老兵はナニカを求めて、ソレを得た。……いいえ、得られてはいないのかしら。結局妻とやらは他のオスと番になったらしいし。……それでも悔いが無い? どういうことなのかしら。
彼は自分の人生に満足していた。
だけど私の前に現れた。絶殺を誓っていた。だけどそれは殺戮の理ではなく、なにかを護るためのように見えた。
彼はいったい、何を見たのだろうか。
『……結婚、か』
それをすれば、この意味の無い人生は彩られるのだろうか。
[まぁそんな感じで、結婚に興味を持ったのよ]
「………………」
フェトラスは引き続き固まっていた。
[後付けだけど、私の属性が隔絶だったせいで性格もそっちに寄っていたのでしょうね。孤立すること。離ればなれになること。全てに意味は無いということ。だけど……あの老兵は、私を否定した。私と違って幸せそうに見えた。だから彼の言葉がずっと心に刺さったままだった]
懐かしい話だ。この楽園に入ってセラクタルが何巡したのかは知らないが、気が遠くなるほどの昔話。だけど未だに色褪せない、私の大切な切っ掛け。
[というわけで、まず私は人間を一人拉致したわ]
「……拉致!?」
[ええ。とりあえず結婚すれば何か変わるのかしら? と思って。結論から言うと最初の結婚は大失敗ね。そもそもアレは結婚したと言ってもいいものか……その人間、発狂しちゃったし]
「なんて……いや……ごにょごにょ……」
フェトラスは思いっきり言葉を濁した。どうやらこの子は過分に私を怖れているらしい。実に不思議な月眼だ。
(天外の狂気と戦う必要性が無くなったから、非戦闘向けの月眼まで蒐集しているということかしら……?)
そんな疑問を抱いたが、これはどうでもいい事だ。忘れよう。
[発狂死した人間を見て、私は『実験が足りない』と思ったわ。だからとりあえず、自分じゃなくて魔族達を適当に結婚させてみた]
「……その魔族達はどういう反応を?」
[多種多様だったわねぇ。喜んだ者もいれば、絶望した者もいた。命令だからと淡々としていた者もいれば、嫌がっていたはずなのに気がつけば幸せそうにしてる者もいたかしら]
フェトラスは無言で造り笑顔を浮かべた。
[そんな様々な反応を見て、私は興味深いなぁ、と思い続けた。気がつけば殺戮から遠ざかっていた。誰かを十人殺すよりも、十組結婚させる事の方が多くなるみたいに。……そんな腑抜けてしまった私を見た一部の魔族達が『なんか最近のエクイア様は隔絶の魔王っていうか、もう結婚の魔王って感じだよな』ってウワサするようになってしまってね]
「……その魔族は、だいぶ命知らずですね」
[そうでもないわ。それを聞いてしまって私、思わず笑ってしまったの。上手いこと言うなぁって]
「懐が深いというか、器が大きい……」
[だからそのウワサを口にしていた魔族に興味を抱いた私は、彼を引っ捕らえて]
「えっ」
[その魔族と結婚したわ]
「ハイスピード過ぎませんか?」
[その頃の私はだいぶ丸くなってたし。それに相手は魔族だったからか、発狂はしなかったわ]
「……よ、良かったですね」
[それがダミル・セッツ。私の本当の意味での、最初の結婚相手]
「……セッツ?」
[ええ。彼の苗字をもらったの。魔王エクイアから、エクイア・セッツになったのよ]
それは何百、あるいは何千年前の思い出なのだろうか。
エクイアは陽光を浴びながら神々しく微笑んだ。
薄い翠色の髪が風に流されて、彼女はそっと指先でそれを整える。
[ダミル・セッツとの新婚生活は……まぁ不憫なモノだったわね。彼は発狂こそしなかったけど始終怯えていたぐらいだし。そして当の私も具体的に何をしたらいいのか全然分からないまま共同生活を送っていたわ]
「は、はぁ……」
[試しにとキスぐらいはしてみたのだけれど、心は全く躍らない。意味も無く「殺そうか」と思った回数は星の数。ずーっと首を傾げながら生活していたわね]
「……彼を愛していた?」
[いいえ、ちっとも]
エクイアはそう言ってクスクスと笑った。
[いま思えば、ダミルには悪い事をしたわね。もしかしたら彼だって結婚したい相手がいたかもしれないのに]
フェトラスは沈黙という返事をした。それに対してエクイアは(やっぱり距離感を計るのが上手い子ね)とひっそりと感心しつつ、それに対しては言及しないまま話しを続けた。
[……魔族は短命だから、私達の結婚生活はあまり長くは続かなかった。そして老衰で死にかけたダミルを看取っている時に、彼は私にこう言ったの]
――――申し訳ありませんエクイア様。どうやら自分はこれまでのようです。もう間も無く、この命は尽きるでしよう。ですから、最後に御無礼を働かせていただいてもよろしいでしょうか。
――――では、遠慮無く。おいエクイア。はっきり言うけどお前は俺と何をしたかったんだ? 一体何だったんだこの数年間は……。結婚したいから、結婚したってだけじゃないか。ぶっちゃけそれ本末転倒だからな。そりゃ意味なんて見つからんわ。
――――口調くらい許せよ。どうせもうすぐ死ぬし。俺は一応お前の夫だし。気に入らないなら殺してもいいけど、どうせ俺は今にも死んじまうぞ。
――――まぁそんなわけで遺言だ。俺はお前を■しちゃいなかったけどさ、でも……あの最悪の魔王と呼ばれていた頃のエクイアに比べると、今のお前はだいぶマシだよ。あと五十年ぐらいあったら、もしかしたらちょっぴりくらいは■せたかもしれない。
――――人間を滅ぼしかけて、俺達は最初喜んでたんだ。俺達の魔王様は最高だ! って。……だけどその後、思ったんだ。考えてしまったんだ。
――――もし人間がいなくなったら、次はエクイア様は何を殺戮するんだろうってな。
――――だけどその先についてはあんまり考えが及ばなかった。どうにかなるんじゃないかって、根拠の無いナニカを信奉していた。
――――でも最近のお前は、どうやら殺戮以外のことが楽しくなったみたいだな。そうだよ、結婚の事だよ。かつて人間を攫ってきて結婚した時は頭がおかしくなったのかな、ってみんなでウワサしてたけど、きっとお前はナニカを探してたんだろうな。
――――どうだろう。夫らしいことなんてほとんど出来なかったけど、俺との結婚でお前はそのナニカを見つけられただろうか?
――――ふふっ。冷たすぎる。これが俺の嫁とはな。
――――ではしがない夫からアドバイスだ。結婚ってやつは、俺達みたいなのがするもんじゃない。■し合う者がするものだ。まぁ時には政略結婚やら、片方が望まない結婚もあるだろうし、そもそも結婚という概念を持たない種族だっている。
――――けど結局のところ、歪だろうが一方通行だろうが、誰かの幸せを願って行うのが結婚なんじゃないかって、俺は思う。
――――ああ、そうだ。幸せのためだ。■のためだ。そして結婚に興味を持った今のお前は、時々だけど殺戮の精霊に見えない時がある。
――――いいんじゃないかな。俺がガキだった頃のエクイア様は怖くて頼もしくて、まるで神様みたいに俺達を率いていたけど……前ではなく、隣りに立つのなら、今のエクイアの方が俺は好きだよ。
――――だから……そうだな。もう一度言うけど、俺の命があと五十年ぐらいあったら、この好きって気持ちは■になれたかもしれない。……ゲフッ! ゲフッ!
――――そんなわけで、いよいよ最期の言葉だ。首をかしげずに聞いてほしい。これならきっと、少しはお前に届くと思う。
――――ありがとう、エクイア。
[その時のダミルの表情は、私がかつて殺した老練の英雄と同じだった。そしてその時、理解したの。ほとんど直感的に]
「……何をですか?」
[老練の英雄が妻と再会して、そしてまた別れる時に。彼の「■してる」って言葉に対して――――きっと奥さんは「ありがとう」って言ったんだろうな、って]
「……うん。きっとそうだと思う」
[でもあの頃の私は「愛してる」が理解出来なかった。でも他の事は理解出来たの。幸せであること。想い合う事。好きってこと。ありがとうの意味。……だから次の日、部下を集めてとある質問をしてみたの。……さてクイズ。私はなんて質問をしたんでしょう?]
「えっ。……うーん…………この中で今、結婚したい相手がいる人はいますか? みたいな?」
[当たらずとも遠からず。私はね、こう聞いたの]
イタズラな微笑みを浮かべてエクイアは告白する。
[この私、魔王エクイアと結婚したい者はいるかしら? と]
ヒュッとフェトラスは息を呑んだ。きっと魔族達の顔面蒼白な顔をイメージしたのだろう。実際その通りだ。かなり多くの魔族を立ち並ばせていたけど、返事はおろか完璧な静寂が広がっていた。
[ふふっ、誰も何も言わないから「あれ、実は私って嫌われてる?」とか思っちゃって。その時はいっそ全員殺戮してやろうかとも考えたんだけど、同時になんか面白くなっちゃって笑ってしまったわ]
「それは、えと、その……なんて言えばいいのか……」
[そうよね。答えづらいわよね]
クスクスと笑ってみせると、フェトラスは少しだけ緊張を解いたようだった。
[そして、次にこう尋ねてみた。それこそさっきフェトラスが言った通りよ。この中で、結婚したい相手がいる者はいるか、と]
「みんなの反応は?」
[風の音しか聞こえないぐらい静かだったわねぇ。みんな身動き一つ取らないの。丸くなったとウワサされていたけど、やっぱり私は魔王だったし]
「そ、そうですか……」
[でも私は待ったわ。ずっと待った。縋るように、救いを求めるように、ずっとずっとナニカを待った。そしてようやく……一人の女の子が手を挙げてくれたわ]
周囲の魔族の視線がその子に突き刺さる。手を挙げた女の子の横にいた緋色の魔族は腰を抜かしていた。その子が注目を集めたせいで、何らかの被害に巻き込まれると怯えたのだろう。
女の子は恐怖でブルブルと震えながら、それでも真っ直ぐに手を伸ばしていた。
魔法を一つ。一瞬でその女の子と距離を詰めた私は、静かに問いかけた。
「……貴女は誰と結婚したいのかしら?」
「わっ、わたし、わたしはぁ……幼馴染みのアールと結婚したいです!」
「それはなぜ?」
「だっ、だ……大好きだからですぅ!」
「アール。集合」
静かに命令を発すると、地割れのように人垣が動いてとある魔族が浮き彫りになった。
命令は下されている。アールとやらは半泣きになりながらも駆け寄ってきた。
「あ、アールです。招集に応じました」
「この子が貴方と結婚したいそうだけど、どう思う?」
「はっ……あの……はい……」
「したい、したくない、どっち」
「したいですっ! 自分も、エルルと結婚したいと思ってました!」
「それはなぜ?」
「あっ、え、その……■してるからです!」
ここだ、と思った。
私には聴き取れないナニカがある。理解出来ないナニカが。
でも確かに存在する、ナニカがここにある。
「……結婚することによって、貴方のソレは完遂出来るかしら」
「出来ると思います! いえ、してみせます!」
魔王の問いかけに、強く宣言してみせるアール。そんな彼を見て女の子は感極まったように彼の名を叫ぶ。そして二人は強く抱きしめ合った。
「アール!」
「エルル! ■してる……! この後生きてたら結婚してくれッ!」
「…………貴方はこの後、死ぬ予定でもあるの?」
「ありませんッ! 失礼しました!」
「では結婚なさい」
「いい話ですね」
[そうね。今の私からすると、とても微笑ましいエピソードだわ。当時の私ではあまり理解出来なかったけど]
「……まぁ、殺戮の精霊ですし……」
[そういう経験を得て、魔族達を無作為に結婚させることは止めたわ。希望者のみを募るようにしたら、これが大成功。どんどん夫婦が増えていったの]
「いい話ですねぇ」
[代わりに人間が更に激減していったわ。当然ね。魔族の勢力が拡大していくのですから]
フェトラスからの返事は無い。
まぁ彼女からすると当然だろう。
[ところで、どうして殺戮の精霊・魔王達は魔族を配下にするのか、ひいては人間達を殺戮しがちなのかはご存じかしら?]
「あ、そういえばそうですね。何か理由があるんですか?」
[魔族、というか魔法が使える者は、精霊の力を宿している。半受肉体とも言える……つまり純粋な命じゃないのよ。短命なのもそのせいね。――――そして殺戮の精霊の本能は、純粋な命を狙いがち。そういう事情なわけ]
「へぇ……そうなんだ……」
[最悪の魔王と呼ばれた私がいた。増え続ける魔族達がいた。だから人間は、復興不可能領域に突入する。個体数はまだ残ってはいたけど、状況的には絶滅というやつね」
「……それがエクイアさんのいた、セラクタルなんだね」
[そうね。これは後でロキアスから聞いた話しだけど、もうその頃にはカミサマ達はセラクタルの管理を放棄していたの。私が強すぎたせいで、既に月眼蒐集システムとしては破綻していたから]
「そ、そんなに強かったんですか?」
[強いというか、基本的に攻撃を受け付けないというか……そんな感じね。でもカミサマ達に誤算が生じた。魔王は本来なら人間を滅ぼした後で、魔族を滅ぼし始める。だけど私が急に殺戮を控え始めたから、一抹の期待を覚えたのよ。もしや魔王エクイアは、月眼に届くのだろうかと]
「…………そしてそれは叶った」
[ええ。人間の絶滅という終末まで至って……私はようやく、愛を識ったの]
そう言って、かつて殺戮の化身であったエクイアは、穏やかに笑ってみせたのであった。