嘘の代わりに沈黙を/幸せな嘘をつきまくる
フェトラスが案内されたのは城の中庭だった。
オシャレなテーブルに大きな傘がついている。上位貴族の庭なら大体置いてあるアレだ。
現在この城は人払いが完璧になされている。なのでエクイアとフェトラスはまず厨房に行って、自ら茶と菓子の用意をしていた。
[自分で湯を沸かすのは久々だけど……【負隔】]
それはいかなる魔法だったのか。ポットに入れた水が瞬時に沸騰を果たした。
フェトラスはそれを見て目を丸くする。
「今の魔法って……え、どういう理屈?」
[どうと言われても困るけど……お湯を沸かせただけよ?]
「そうなんだけど、ちょっと呪文と結果に齟齬があるような……。それにただお湯を沸かせるだけなら、もっと簡単な魔法で良いんじゃないかな、と思って」
[私の属性は隔絶だから……どうしたって、物事を隔絶させることが基本になるのよ]
答えになっているような、なっていないような。
フェトラスが黙り込むと、エクイアは人の良さそうな笑みを浮かべた。
[そういえば新人って言ってたわね。魔法は無意識に使っていたタイプ?]
「無意識というか、ノリで使うことが多かった感じです。自分で唱えておいて何だけど、二度と再現出来ない魔法とかも結構あったり」
[虹の属性……光の……いいえ、極虹……ふぅん? どうやら中々に独特な属性のようね]
戸棚から甘味をいくつか取り出しつつ、エクイアは何やら意味深に呟いた。
「そもそも、わたしって魔王の知り合いが少ないし。魔法についても独学だからあんまり上手じゃないのかも」
[魔王なんて、独学で魔法を学ぶしかないわよ]
どうやら準備は終わったらしい。エクイアは可愛らしいお盆に諸々のセットを載せて微笑んだ。
[まぁ魔法なんてつまらない話は置いておいて、早く中庭で楽しいお話しをしましょう?]
そうは言ったものの、やはり直前の話題は気になるもので。
フェトラスはお茶が出来上がる前に手短に魔法について尋ねた。
「さっきエクイアさんは隔絶の属性持ちだから、どうしても魔法がそっちに依るみたいなこと言ってたけど……どういうことです?」
[あら。そんなに気になることかしら]
「わたし、虹を意識して魔法を使ったことってほとんど無いんです。というか大体の属性が使えるような……」
[得意な魔法は? 光系統の魔法じゃないの?]
「いいえ、これと言って特に……得意もないけど、不得意も少ないって感じです」
[……たぶん、それが貴女の特性なんでしょう。光であり、色でもあり、波長であり、全ての彩りを含む現象。でも闇だけは例外かしら……いえ、それもまた違うわね。夜空に輝く極光。むしろ闇があって、光がある……]
ぶつぶつと考察を披露したエクイアだが、やがては退屈そうに肩をすくめた。
[たぶん様々な色を表現できるから、色々な魔法が使えるんでしょう。以上説明終わり]
(雑ぅ……)
[ねぇねぇ、そんな事よりもお話ししましょう。聞かせて欲しいの]
「お父……夫のことですよね。ええもちろん」
[まずその人とはどこで出会ったの?]
無人島で拾われました。
育ててもらいました。
一緒に過ごして大好きになりました。
愛した結果、月眼になりました。
フェトラスは最も重要な点―カウトリア―を省きつつ、簡単に事情を説明した。なぜカウトリアのことを省いたのかと言うと、シンプルに言ってしまえばフェトラスの「意地」である。矜持と呼んだ方がいいのかもしれない。
ロイルとの関係性を語るにあたり、まず「ロイルと結婚した」というエピソードは事実ではない。つまりは嘘だ。
本当は嘘なんてつきたくない。だがエクイアと楽しく会話するためにはこの嘘は必須である。これが無ければおそらくエクイアの警戒は解けなかっただろう。
しかし、カウトリアの事を話すのならば嘘は許されない。それがフェトラスの矜持だった。
エクイアと、何よりカウトリアに対して不誠実であるという認識は強くあったけれど、フェトラスはどうしてもカウトリアに関して嘘を含ませることが出来なかった。
あれを汚すことは絶対に赦されない。
神様にも侵させはしない、不可侵領域。
だからカウトリアの事は口にしたくなかった。
そもそも、わたしの月眼は四人の魂で構成されている。
お父さんと、演算剣カウトリアと、演算の魔王ちゃんと、わたしだ。
そこにはいかなる嘘も含めたくない。
彼女達のことを安く語るなんて、わたしには出来ない。
だからせめて、口を閉ざす。
そんなフェトラスの激情に気がつくことなく、エクイアはフェトラスが口を開くたびに「!?」という表情を浮かべていた。
[それは本当にあった事なの? 本当に? 本当にただの人間が魔王を拾って育てたの?]から始まり、全ての思い出に[それは流石に嘘よね]と繰り返し尋ねてきた。
どうせ幸せな嘘をつくなら、楽しく盛大に。
そんなわけでフェトラスはニッコリと笑いつつ「ほんとだよ」と繰り返した。
[というわけで、私は彼と結婚したのです。うふふ。ご静聴ありがとうございました]
ある程度の話し(事実+妄想)が終わり、フェトラスはニヤニヤと笑いながら自分の両頬に手を添えた。その瞳は月色に輝いており、幸せそうである。
[いえ途中で何度も話の腰を折らせてはもらったから、ご静聴には遠く及ばないけど……そうなのね……本当のことなのね……]
[はい。私は彼を心から愛して、彼もまた私を愛してくれたんです]
[疑う余地は無いわ。その月眼の輝きを見れば分かる。貴女は本当にロイルさんの事を愛しているのね]
エクイアはそう言いつつ、ほぅ、と艶っぽいため息をついた。
[なるほどねぇ……人間を愛する、かぁ……確かにそれは、私の楽園に来てみたくもなるわよね。私だって人間と結婚した事があるし]
少し含みのある言い方。自然とフェトラスの月眼が鎮まる。
人間と結婚したことがある。過去形だ。
ならば、今は?
(でもこれ聞いていいのかな……あんまり踏み込むのよくない気がする……)
禁則事項以前に、ロキアスさんが言っていたような。あれこれ質問するのは良くないって。
フェトラスがウズウズしていると、エクイアがクッキーを手に取りながら微笑む。
[あら。何か聞きたいことでもあるの?]
「……それはもう、たくさん。でもわたし新人だから、あんまりマナーがよく分からないんです。聞いたらダメな質問とかもあるだろうし…………」
[ダメな質問? ……ダメな質問……]
そう繰り返すエクイア。目を閉じて空を仰ぎ、やがては大きく頷く。
[そうね。失礼な質問は好ましくないわよね。そしてその線引きが出来るほど私達はまだ親しく無いわけだし]
「ですよね」
[でもそういう謙虚さは好きよ。きっと私たちはお友達になれるわ。その時は、また質問してちょうだい]
その言葉にフェトラスはティーカップを落としそうになった。
「お友達! いいんですか!」
[ええ、もちろんよ。貴女とは境遇がとても良く似ている。そして私は結婚の魔王エクイア・セッツ。……結婚した月眼だなんて、私達以外にはいないのではなくて? だったら仲良くなれるに決まってるわ]
「わぁ、やった。うれしい。……他ならぬ月眼の魔王とお友達になれるなんて……ロキアスさんはやっぱり友達じゃないし……」
[私もそう思うわ。そもそも他の月眼と交流なんてほぼ不可能でしょうし。……ロキアスとだけは直接会ったことがあるけど、あれと仲良くなるなんて無理ね。あいつは見たいモノを見るためならば、こちらの事情なんてお構いなしの変態だもの]
「ふふっ。そうですよね。……あれ? 他の月眼と会ったことは無い、の?」
[無いわよ。機会が無いし、そもそも興味が無い]
そう吐き捨てるエクイア。
[貴女は十三代目って言ってたわね。私は十代目だから……間の二人のことは、名前すら知らないわよ]
「そうなんだ……」
[この楽園を用意してもらった代償、天外の狂気……だったからしら。それについても何も知らないわ。戦ったことなんてないし、それに世界もカミサマもどうでもいい事だもの。私の全てはここにある。だから――――この楽園を脅かすというのなら戦うだけ」
ほんの少し感情の乗った言葉。冷酷さと柔和さを持ち合わせたエクイアが初めてみせた、激情の片鱗。
それをさっと消し去ったエクイアは苦笑いを浮かべた。
[大体、どうせ他の月眼もロキアスみたいな自己中なんでしょう? 会いたいとすら思わないわ]
「……ま、まぁ。月眼だし。基本的にはそういうタイプかもしれないけど……うーん」
[そもそもわかり合えると思えない。必要性もないわ]
「そっかぁ。月眼ってやっぱり厄介な精神性なのかな……あ、でもエクイアさんは別だよ。こうやってわたしとお話ししてくれるし」
[私達は似た者同士だもの。フェトラス、貴女とだったら今後もお付き合い願いたいわ]
そう言った途端。
エクイアの表情が曇った。
[…………貴女の旦那さんは、今、フェトラスの楽園にいるのよね?]
「うん」
素早い返事。思考停止の肯定。
[だとしたら何故、楽園を出てここに来たの? 必要が無いのでは?]
それは極めて正論だった。
「えと、それは」
[完成された楽園。余分なモノが無い、究極の理想郷。――――そうよ。貴女は、貴女の楽園から出る必要性が無いはず。……なぜ? 貴女は愛する夫を放っておいて、いまここで何をしているのかしら?]
「えと、それは」
どうしても同じ言葉を繰り返してしまう。何故なら質問を重ねるエクイアの顔がとてつもない真顔で、はっきり言うと少し怖かったからだ。威圧されている。
[何か事情でもあるのかしら]
「いえ、その……あの……」
どうしよう。何て答えればいいんだろう。エクイアさんのお顔が怖い。
(た、助けてお父さん……!)
心の中で叫んで見ると、脳内お父さんは苦笑いを浮かべた。
『まぁ、なんつーか……別に正直に言えばいいんじゃないか?』
(言ったら何が起こるか分からないの!)
ダメだ。脳内お父さんじゃ頼りにならない。本当のお父さんに会いたい。
他の楽園なんて来るんじゃなかった。エクイアさんは普通に怖い。そして、わたしが恐怖を覚えるのなんてどれぐらいぶりだろうか。
――そういえば、わたしが一番最初に怖いと思ったことはなんだっけ。
――――ああ、そうか。あの浜辺でお父さんと殺し合った時か。
会いたいなぁ。
こんな怖い状況を過ごすんじゃなくて、お父さんと一緒にいたいなぁ。
会いたいなぁ。
そう考えるだけで、フェトラスが感知する全ての事象が置き去りにされた。
「…………会いたい」
[……?]
お父さんに。
[会いたい]
ポロポロと、月色の涙がこぼれ落ちる。
[え、ちょ、どうして泣くの?]
[エクイアさんのお顔が怖いから、なんか、不安になって、それで、会いたく、なって]
うわ、と自分でもビックリしながら涙をふく。
[ご、ごめんなさい。ちょっと動揺しちゃって]
[……旦那さんとケンカでもしたの? 楽園においてはあり得なさそうだけど]
[ケンカなんてしょっちゅう……。でも絶対仲直りするから、してもいいの]
[……それは素敵ね。ええ。ケンカした後のキスは最高に燃えるわ]
キス。ああ、口にキスはしてもらったことないな。
[うらやましい]
フェトラスが素直にそう言うと、エクイアは困り顔になりながら首を傾げた。
[だ、大丈夫? ごめんなさい。なにか気に障ることを言ったかしら]
[ううん。違うの。エクイアさんは悪くないよ。これはわたしの問題。――――スゥ……はぁ……」
気持ちを落ち着けて、涙と月色を共にひっこませる。
その様子を見てエクイアは不思議そうに呟いた。
[貴女の月眼はやけにオンとオフが激しいわね……もしかしてコントロール出来るの?]
「ああ、うん。訓練したよ。でも訓練っていうよりも、自動的にそうなっただけって感じだけど」
[……可能なの? いいえ、やはりおかしいわ。月眼とは愛を知った殺戮の精霊。自己矛盾を踏み潰して、我が道を征く者。それを自分から否定するなんて……]
テーブルの上に置いていた手を、強く握りしめるエクイア。
[これを言うと殺し合いになるかもしれないけど…………貴女の愛は、気分で揺らぐモノなの?]
先程とは逆だ。今度はエクイアが緊張していた。なにせ月眼の愛を疑ったのだから、それはエクイアにとっても口にするべきではない問いかけであった。
だがエクイアはする。
自分と似た者が、果たしてどの程度の愛を構築しているのかを知りたかったから。
だがそんな彼女の緊張はさておき、それを聞いたフェトラスは「ふふっ」と笑みをこぼした。
「わたし達の愛は揺るがない。だからこそ、満ちたり欠けたりするんだよ」
それは大人になったフェトラスが抱く『結論』だった。
[満ち欠け……]
「うん。相手に失望したり、怒ったり悲しかったりすることも沢山あるよ。でもいいんだ。その逆で、良い事もい~っぱいあるからね」
[……そう]
「それに……永遠不変っていうのは魅力的な言葉だけど、わたし達の愛は変わっていくモノだって思っているから」
そう言い切ると、エクイアは静かに頭を垂れた。
[……まず最初に、失礼な質問を口にしたことを謝罪します]
「ううん。いいの。こっちこそいきなり泣いちゃってごめんなさい」
[……だけど、ごめんなさい。その上で質問を重ねるわね。更に失礼な質問を]
エクイアの更なる緊張感が伝わってきたが、フェトラスは朗らかに笑ってみせた。
「大丈夫だよ。何を言われたって、もう何も怖くない」
結論はもう、この胸の中に。
[…………貴女は人間を愛したと言ったわね。でも今までの言動から考えるに……貴女が愛したのは、そのロイルという人間ではなく、そもそも人間自体を愛したのかしら?]
考えるまでもない問いかけだった。
「どっちもだよ。色々、全部、丸ごと、一切合切。わたしはロイルだけじゃなくて、その周りの環境ごと彼を愛したの」
もう結論は口にした。そんな態度でフェトラスは微笑む。
だがやがてその顔は赤味を増していく。
「……なんかここまで真剣に愛を語るのって、照れくさいね」
[……ふふっ。そうね。お互い初対面なのに]
緊張感のある出会い、そして対話。
自己紹介が進み、二人は相互理解を深めつつある。そして空気が弛緩していく。
[そっかぁ、そうなのね。貴女の愛はそういう形か。でもだからって、少しケンカしただけなのに『息抜きに他者の楽園に行こう』って? はっきり言うけどフェトラス、貴女は頭がおかしい]
「うーん。剛速球」
[これは心からの助言だけど、私以外の月眼と会うのはオススメしないわ。控えなさい。私は他の月眼をよく知らないけど、どうせロクなもんじゃないから]
「ロキアスさんが言うには、戦争の魔王アークスさんの楽園には行っても大丈夫らしいけど」
[戦争の魔王の楽園ってフレーズだけで、どう考えても危険地帯でしょうが。貴女本当に大丈夫? さっきロキアスに騙されてるって自覚したばかりじゃないの]
「そう言われると何も言えません」
あっはっは、と笑いながらフェトラスはお茶を口に含んだ。
「――――それで、どうでしょうか。なんかわたしばっかり喋ってるんだけど、エクイアさんの話も聞いてみたいんですが」
お茶と一緒につばをごくりと飲み込む。大丈夫だ。まだ踏み込んでない。踏み込む許可をお伺いしてる最中だ。そんなハラハラした心境のフェトラスだったが、エクイアはふわっと笑った。
[ええ、そうね。私の話しも聞いてもらおうかしら。それじゃあどこから語ろうかしら……まぁやっぱり、私が最初に『結婚』という概念に触れた時のことかしらね]
そして、エクイアは己の半生を語り始めたのであった。
その静かな狂気に苛まれた、殺戮の精霊・魔王としての半生を。
『わぁ、やった。うれしい。……他ならぬ月眼の魔王とお友達になれるなんて……ロキアスさんはやっぱり友達じゃないし……』
『私もそう思うわ。そもそも他の月眼と交流なんてほぼ不可能でしょうし。……ロキアスとだけは直接会ったことがあるけど、あれと仲良くなるなんて無理ね。あいつは見たいモノを見るためならば、こちらの事情なんてお構いなしの変態だもの』
ロキアス「なんて酷い言い草だ……というかだな、エクイアはともかくフェトラス。あいつ僕が観察中だってこと忘れてないか?」
カミサマ〈…………。〉
ロキアス「ぼくは ひどく きずついた ぞ」
カミサマ〈…………。〉
ロキアス「なのでフェトラスが帰って来たら嫌がらせをしようと思う」
カミサマ〈……ヤメテアゲテ〉
ロキアス「ふふっ……ふふふふっ……あー……すげぇ愉しみ……」
カミサマ〈……オマエガ ソンナン ダカラ ダヨ……〉