ラブラブワールドでの必然
暗闇の廊下。
それはいつか見た闇――月眼の間の外側の領域――と同じ色合いをしていた。上下左右が曖昧で、とても深い闇。独りで過ごしていたら寂しくて頭がおかしくなってしまいそうになる。
加えて言うなら、ここはとても静かだ。無音。
先程通ってきた「月眼の間」に通じる扉こそ背後にあるが、他には何も無い。
(まさかここが楽園ってことはないだろうけど……今からどうすればいいんだろコレ)
フェトラスはそう思ったが、よくよく目を凝らしてみると、前方にうっすらと光が見えた。
テクテクと歩みを進めてみると、光の輪郭がはっきりと見え始める。それは長方形の線。少しだけ光がこぼれている扉だった。
ここはどうやら月眼の間と楽園の連絡通路らしい。扉と扉で区切られた領域。まるで凶暴な動物を管理する檻のようにも思えた。
「……じゃ、行ってみますかね」
緊張感を含んだつぶやき。だけど瞳には相応の好奇心を込めつつフェトラスは扉をあけた。
先程とはうって変わってまぶしい。
空には晴天が広がっていた。
「は?」
扉の先は大通りだった。
人。人。人。魔族。魔獣。人。人。動物。
多種多様なイキモノが楽しげに、無愛想に、はしゃぎながら、少しだけ寂しそうに、幸せそうに、色んな表情を浮かべつつも歩いていた。
くぐってきた扉を確認すると、そこは周囲の風景に溶け込んだ、普通の扉だった。
帰る時もここを通ればいいのかな? なんて思いつつ、フェトラスは周りの風景に目を奪われた。
「……へぇ。これが楽園なのか」
晴天。人通り。建物は少し古めかしいデザインの物が多いようだが、きちんと手入れされている。まさしく『理想的な街』のようだった。
通りすがるオジサンと、魔族の若者が仲良さげに会話をしている。大きなトカゲ型の魔獣が他者の邪魔にならないようにゆっくりと歩いている。
それはセラクタルでは絶対に見られない光景の一つだった。
昔と違って、人間と魔族は多少歩み寄りを果たしたようだが、こんなにも近しい距離で、しかも楽しげに過ごすのはもうしばらく無理だろう。たぶんあと二百年ぐらいかかる。そんなことを考えながらフェトラスはニッコリと笑った。
「うん。いいね。素敵な場所だ」
ロキアスさんの不気味な楽園とは大違い、なんて感想をこっそりと思ったフェトラス。彼女はキョロキョロと辺りを見渡して、軒先で果物や野菜を売っている店に目をつけた。
「さてさて。……こんにちはー!」
「はい、いらっしゃいお嬢さん。今夜のメニューはなんだい?」
人懐っこい笑みを浮かべたおばちゃん。ただし肌の色は紫。どこからどう見ても魔族だ。
「えっと、私この街に来たのが最近なのでよく分からないことが多いの。だからちょっと色々と教えてほしくて」
「なんだい。客じゃないのかい」
露店のおばちゃんは苦笑いを浮かべたが、嫌悪感のようなものは見当たらない。きっといい人だ。そう判断したフェトラスはまずここから始めることにした。
(初めての楽園。異なる世界。そこで初めて出会った人物……慎重に行こう)
恐怖は薄い。緊張感は無い。フェトラスはワクワクしながらも笑顔を浮かべた。
「うん。実はお客さんじゃないの。今からここの……そうだな……リンゴにしよう。このリンゴを十個くらい売ってみせるから、そうしたら色々と教えてくれませんか?」
「……? どういうことだい? リンゴを売る?」
「うん。私がこのリンゴを売ってみせる」
「呼び込みでもするつもりかい」
「似たようなものかな。それで、どうかな。一瞬だけ私を雇ってくれない?」
「……いいよ。何をするのか知らないけど、興味がわいた」
ククク、と笑いながらおばちゃんは「好きにしな」と言った。
「ありがとう! ではさっそく」
フェトラスは精霊服の中に収めていたペティナイフを取りだした。そして適当なリンゴをひょいと手に取って、それをじっと観察する。
「うーん。美味しそう。匂いもいい。味は……ちょっと酸っぱい系のリンゴかな?」
食べずともリンゴのステータスを読み取ったフェトラスは、鼻歌を奏でながらリンゴにナイフを当てる。
「美味しい~リンゴを~もっと美味しくする魔法~」
しょりしょりと、リズミカルにリンゴの皮を剥ぎ出す。
しょりしょり。しょりしょり。
その様子を見ていたおばちゃんは、ポカーンと口をあけた。
「あ、あんた何をしてるんだい?」
「見ての通り~。リンゴの皮を剥いてるんだよ~」
手は止まらない。ペティナイフは踊り続ける。指先がリンゴを進化させる。
「剥くって言ったってアンタ……そ、そんなに細長く剥く必要あるかい?」
そう。フェトラスの皮むきはまるで曲芸のようですらあった。その皮は異様に細く、薄い。糸のよう、とまではいかないけれど、少し伸びた爪ぐらいの細さではあった。
それが途中で切断することもなく、延々と伸びていく。
そしてリンゴが半分ほど素肌をさらした辺りで通行人の一人が足を止めた。
「すげぇな嬢ちゃん! リンゴ切るの上手いな!」
「うまいでしょ~。でもこのリンゴも美味いんだよ~」
フェトラスは軒先にあった台に片足を乗せて、膝上に皮を落としながら気楽に答える。皮が自重で切れないようにするための配慮だ。
そんな彼女の様子を見て、おばちゃんは愉快げにつぶやいた。
「なるほど。そうきたかい」
そしてついにリンゴは真っ白な裸体をさらした。
皮は一度も途切れることなく続いていた。
「はい、完成」
『おおおお~!』
パチパチと拍手が巻き起こる。歩みを止めた通行人は十人を超えていた。
「すげぇなお嬢ちゃん! ちょっと感動しちまったよ!」
「ふふっ、ありがと。おばちゃん、ちょっとこの台とお皿借りるね」
そしてフェトラスは正確な包丁さばきでリンゴを美しくカットした。そのスピードはあまりにも速く、そして正確だった。まるで鏡映しのようにリンゴは切りそろえられて、人々の口からは再び「おおお~」と歓声がもれる。
ついでに切った皮で彩りを演出し、これにて調理完了。
「というわけで私、フェトラスによるリンゴ解体ショーでしたー! ささ、みなさん一つずつどうぞ」
はい、はい、はい、とリンゴを手渡していくフェトラス。通行人は嬉しそうにそれを受け取り、口に入れる前にしげしげとリンゴを眺めた。
「はー。綺麗なもんだな。リンゴってこうやって切るもんだったのか……」
「俺達、だいたいいつもボリボリかじるだけだもんな。しかも皮ごと」
「ちげぇねぇ」
「いただきまーす」
むしゃむしゃ。うん。美味ぇな。
皆の笑顔を見届けたフェトラスは幸せそうに微笑む。
「どうかな? 美味しい?」
「おう! 最高だぜ嬢ちゃん!」
にっこり。
「じゃ、みんなこのリンゴ買っていってくださーい!」
「やるねぇ、アンタ」
「リンゴの質が良かったからだよ」
一瞬でリンゴはその在庫を半数以下にまで減らしていた。ギャラリーの人達が義理堅くも購入していってくれたのだ。
「いや実際見事だったよ。あんた何者だい? どっかの剣士様かい?」
「剣士? な、なんでぇ? 料理人だよぅ……」
まさかの武人認定。フェトラスは狼狽えながらもペティナイフを精霊服でこっそりとぬぐって懐にしまい込んだ。
「いや刃物の扱いがとっても上手だったから……料理人ならあんな曲芸みたいなマネしないだろう?」
「盛り付けたり、こうやって食材を魅せることも立派な料理だよ」
「なるほどねぇ。じゃあ次はこのスイカも売ってくれるかい? そろそろ熟れすぎる頃合いなんだ」
「ぺ、ペティナイフじゃ無理かなぁ」
腰には割と大ぶりのシェフナイフを仕込んではいるが、フェトラスはそれを黙ったまま微笑んだ。
「というわけで、お賃金がわりに色々と教えてくーださい」
世間話を交えつつ、フェイクを入れつつ、フェトラスは情報を収集した。
まずこの楽園は、基本的にセラクタルでの設定が流用されている。
使用されている通貨。
時間、重さ、長さ、そういう単位も独自性があるものではない。
商品の相場も、だいたい常識通りだ。
(ふむふむ……少しだけ時代遅れな造形の建物だったり、お馬さんがひいてる荷車の形を見る限り、文明レベル的には私の知ってるセラクタルよりも遅れてる感じかな……でもまぁ、基本的にはそんなに変わらないみたいだね)
ただ道行く人のファッションセンスは良い。みんなオシャレさんだ。そしてそういう人達が平和に暮らしている様子。
きっとここは良い楽園なのだろう。
ロキアスさんの言っていた通りだったな、とフェトラスは心の中で感心する。
ただし、人間と魔族、そして魔獣すらも仲良く過ごしているという光景だけは見慣れなかった。
フェトラスとしては「いつかそうなるといいな」という願望があったけれども、実際に目の当たりにするとなんだか苦笑いが浮かんでしまう。先を越されたような、非現実的なような。はっきり言ってしまえば嘘臭いような。
おばちゃんとの世間話は続く。
「それでねぇ、亡くなったウチのじいさんの畑を継いで、こんな店をやってるってわけさ」
「そうなんだ。おじいさん、何歳ぐらいまで農業をしてたの?」
「うーん。死ぬまでやってたからねぇ。六十年ぐらいじゃないかい?」
「…………そっかぁ」
さりげなく寿命を尋ねてみると、予想外の答えが返ってきた。
楽園は不変属性を持っているので、もしかしたら住民全員が不老不死の可能性も考えていたが、どうやらそこまではないらしい。普通の命、普通の生き物だ。
ただ、この楽園では魔族でも人間と同じくらいまで生きることが分かった。それは特筆すべきことだろう。
(セラクタルの魔族は短命だもんね……)
※ただしカルンを除く。
「それで私の旦那……私の家族と違って人間なんだけど、これがまた軟弱な人でねぇ。体力がないのよ、体力が。もう農業やめたいって毎日ぼやいてるってわけよ。あははは」
「えっ、おばちゃん人間と結婚したの!?」
人間と、魔族が――――結ばれる?
世間話の合間、いきなり衝撃の事実を知ってしまいフェトラスは目を見開いた。
逆に怪訝な表情を浮かべたおばちゃんの目が細くなる。
「そんな珍しいことじゃないだろう。誰だって、誰とでも結婚出来るんだから」
「ツッ……えっと、そんな意味じゃなくて。ほら、私のお父さんも農家で……農作業って大変だからさ。もっと丈夫な人と結婚すればよかったのに、って」
「別に仕事云々で結婚するわけじゃないからねぇ。私の人生の目的は仕事をすることじゃなくて、愛する旦那と過ごすことだし」
おばちゃんは真っ直ぐに愛を語った。
それを受けて、フェトラスはたまらずに口角を上げる。
「……そうだね! 私もそう思う!」
「だろう? ああそうだ。フェトラスはどんな人と結婚したんだい?」
その質問を聞いた瞬間、フェトラスの脳裏にロキアスから教わった「禁則事項」が思い浮かんだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「いいかいフェトラス。エクイアの楽園では絶対にやっちゃいけない事がいくつかある。それさえ守れば安全だが、守らないと大変なことになる」
「即死する?」
「いや流石に即死まではいかないだろうけど……まぁ厄介なことにはなるかな」
そう言いながらロキアスはどこからともなく紙とペンを取り出して、さらさらと何かを書き始めた。
「君の場合、あんまり厳密にルールを教え込むと逆にボロが出るだろう。なので感覚派な君でも理解しやすいようにルールを説明してあげるとしよう」
「う……お、お願いします」
「危険度の高いものから書いていくから、少なくとも冒頭のルールだけは絶対に守るように」
①魔法の使用は厳禁。
②エクイアのパートナーに色目を使うな。というか見るな、話しかけるな。でも無視はよくない。
③エクイアに意見するな。常に肯定しろ。
④フェトラスは結婚している、という設定を貫け。
⑤夜は出歩くな。野宿する場合は絶対に人目につかないようにすること。
⑥自分が魔王であるという事は隠すように。人間のように振る舞え。
「……こんな所かな」
「ロキアスさん、字が上手だね」
「どうもありがとう。さて解説していこうか。まず一つ目。魔法の使用は厳禁だ。いかなる魔法も絶対に使うな」
「それはどうして?」
「エクイアの楽園では、魔法を使えるのはエクイアただ一人だ。他の誰も使えない。そういう世界なんだよ」
「うえー。地味に面倒だなぁ……まぁいいけど」
「もし魔法なんて使ったら速攻でエクイアに捕捉されるだろう。そしていかに温厚な彼女といえど、異物排除のために初手で最大攻撃を放つ可能性は否定出来ない」
「わ、分かった。……どんな状況でも使ったらダメ?」
「基本的には。ただ……エクイアと敵対する確率はかなり低いが、もし戦闘になったら仕方が無い。その時は思いっきりやっていいよ」
「えっ。ケンカしていいの?」
「君がエクイアのパートナーを攻撃したりしなければ、まず負けることはないと思うよ。出来れば殺さないでほしい」
「殺すわけないじゃん……私のことなんだと思ってるの……」
「最悪の状況に陥ったら、この言葉を口にするといい。『あなたのパートナーを巻き込んだら申し訳ないから、二人っきりで戦いましょう』だ」
「そもそも戦いたくはないんだけど」
「ちなみにパートナーに応援されるとエクイアの戦闘性能は推定で五百倍ぐらいになるから気を付けてね?」
「ぜ、絶対に戦わない」
「そして二つ目だ。エクイアのパートナーに色目を使うな。そもそも見るな。話しかけるな。でも話しかけられたら淑女らしく対応しろ」
「あのさ、そもそも色目ってどんな目?」
黒と銀と月以外の色? なんてボケをフェトラスはかます。
「ここは詳細に教えておこう。五秒以上見つめるな。目が合ったら目を閉じて会釈して回避だ。あとはパートナーのことを過剰に褒めるのもよくないかな。社交辞令はそこそこにしておけ」
「う、うん」
「会話は基本的に長引かせない方がいいね。話しかけられた時だけ、手短に返すんだ。でもあんまり冷たくあしらうのもよくない。無視なんてもっての他だ」
「うわー。なんか面倒くさいね?」
コロコロとフェトラスは笑ってみせるが、ロキアスの顔は真剣だった。
「距離感的には……そうだな……ほら、僕と君がめちゃくちゃ不仲な時期があったじゃん。あれぐらいの距離感に、親切心と尊敬をプラスした感じで」
「ふむふむ。とりあえず了解」
「そして三つ目。エクイアに意見するな。常に肯定しろ。理由は言わずとも分かるな?」
「え、分かんない……。なんでなの?」
「……君には想像力というものが無いのか?」
ロキアスは「はぁ」とため息をついて苦笑いを浮かべた。
「……君が向かうのは楽園だ。それは完成された世界なんだよ。受け入れがたい価値観や、明らかに間違っている何かがあったとしても、それはエクイアの愛によって構成されている。あそこは君のための世界じゃなくて、エクイアのための楽園なんだ。あの内部の全てが、例え路傍の石ころ一つでさえも、彼女にとっては宝物に等しい」
「……なるほど」
「例えるなら一枚の絵だ。『これが世界で最高の絵だ!』と言っている作者に向かって『でもこれってデッサン狂ってね? 色味もなんか変。ところで、ここに生えてる雑草になんか意味あんの?』と言ったところで反発しかされないだろう?」
「それはそうだね。たぶん怒られちゃう」
「というわけで、エクイアの意見には全肯定したまえ。これは全楽園に共通するルールの一つだ」
「りょうかい!」
「続いて四つ目。エクイアの楽園では、フェトラスも結婚している……という設定で行くべきだ」
「エクイアさんが結婚の魔王だから?」
「まぁそんなところだ。あの楽園では子供以外の者はだいたい結婚している。……全員じゃないにせよ、いつかは誰かと結婚する事になる」
「ふぅん……」
「君みたいに立派な成長した者が『未婚です』ともらしてみろ、エクイアどころか通行人ですら見合いを勧めてくるぞ。かなり具体的に」
「待った。たしかエクイアさんは重婚否定派なんだよね。そしてほとんどの人が結婚している……のなら、その見合いが出来る人も限られてるんじゃない?」
「そろそろ大人になる子供とか、パートナーを失った人とか、そういう手合いが薦められるだろうね」
「な、なるほど。あ、一個気になったから話しの腰を折らしてもらうけど、離婚する人とかっているの?」
「かなり珍しいけど、存在はするみたいだね。そして速攻で再婚するってわけだ」
「そっかぁ……。とりあえず分かったよ。私には旦那さんがいるって設定ね」
「旦那を紹介しろ、とか言われたらちょっと出稼ぎに行ってますとでも答えておくといいさ」
「うん。そうするね。お父さんと結婚したら、って想像しながら話すとするよ」
ロキアスは一瞬虚をつかれたが、デレデレになりながら夫・ロイルのことを語るフェトラスの姿は簡単にイメージ出来た。
「……ソレはさぞ解像度が高い想像だろうね。それならバレる心配も無さそうだ」
「歴が違うよ、歴が」
ふふっと笑うフェトラス。
それを見たロキアスは眩しそうに目を細めた。
「そして五番目のルール。夜は出歩くな。野宿する必要が出てくるだろうけど、それも人に見られないようにすること」
「なんで夜はだめなの?」
「昼は普通に働く人々だが、夜は家に帰って休むものだ。それなのに一人でうろついてたら心配されるぞ」
「心配されちゃうんだ」
「ああ。根掘り葉掘り事情を聞かれたり、どんどん人が集まってきて君のことを助けようとするはだろうね。大きなお世話をガンガンに焼かれる」
「……夕方になる前に寝床を探すようにしておくよ。って、そういえば魔法も使えないから、空を飛ぶのもダメなんだよね。宿屋とかないの?」
「一人で宿屋に泊まったら、怪しまれるぞ」
「旦那とはケンカ中なのよ! って言ってみるとか。もしくは出稼ぎでちょっと一人行動中……みたいな」
「あの楽園では結婚がメインテーマだ。それを差し置いて一人旅するヤツは極めて珍しいと思う。ケンカはあり得るだろうが......家出するまでのレベルだと、とても心配されるだろうね。助け船がどんどん出航し始めて、やがて面倒事は拡大していくってわけだ」
「良い人ばっかりなんだね!? うう、楽園への恐怖はなんだか薄れつつあるのに、面倒臭い感ばかりが高まっていく……」
「そして最後のルール。魔王であることは極力隠せ」
「楽園に魔王は一人だけでいい、ってことかな」
「そういうことだ。エクイアの楽園には精霊すらいない。魔法を使ったり、角を生やさなければバレることもないだろうけど、一応ね」
「精霊さん、いないんだ」
「いない。人々はエクイアが月眼の魔王であることを認識しているだろうけど、エクイア以外の魔王が存在するだなんて想像も出来ないんじゃないかな」
「……そのエクイアさんにはバレるんじゃないかな」
「それは流石にバレるさ。まぁ彼女の性格上、いきなり殺しに来たりはしないだろうけど。でも凄く警戒されるだろうね。……その際、対応だけは間違えないように。パートナーを見ない。肯定する。ちょうどいい距離感を保つ。これらの事は確実に守るように」
「何しに来たんだ、って聞かれたらどう答えたらいい?」
「そこは普通に話していいよ。カミサマとロキアスから許可が出たから、見学に来たって」
「言っていいんだ」
「というか言わないと逆にダメだろ。……例えば君の弟、ティザリア君がまだ小さい頃を想像してみてくれ。家で君はティザリア君と遊んでいる。幸せな時間だ。そんな時に突然見ず知らずの男が無言で家に入ってきたら?」
「空の彼方までブッ飛ばすかなぁ」
想像よりも苛烈な返事。まったく月眼らしい。そう思ったロキアスはちょっと笑ってしまった。
「つまりはそういうことだ。己の愛を護るためならば、魔王の名に相応しい力が振るわれる。僕たちはそういう風に出来ている」
「なるほど。分かりやすいね。そりゃ変な人が来たらエクイアさんも身構えちゃうよねぇ」
「わざわざ無害をアピールする必要性はないと思うけどね。君は……まぁ……うん。素で接して大丈夫だ。取り繕う方が逆に怪しいまである」
「……ほめられてる?」
「まぁね」
「むふふー」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうなのよ? フェトラスぐらい美人さんだったら、旦那さんも良い男なんでしょう?」
おばちゃんはニコニコと楽しそうだ。フェトラスは改めて「禁則事項」を思い出して、イメージを固めた。
(えっと、この場合はルール④を適用だ。私は結婚してる。私は結婚してる。お父さんと結婚してる。……ロイルと結婚してる)
「ふへっ」
「……な、なんだい急にだらしない顔して」
「いや、夫のことを思い出してつい。ええ。すごく良い人なの。世界で一番愛してる」
「へぇぇ。こりゃ熱いね。ウチも大概だと思ってたけど、ラブラブ具合は相当に高いと見た。どんな人なんだい?」
おばちゃんはワクワク顔を隠そうともせず、ロイルがどんな男なのかをフェトラスに尋ねた。それを受けてフェトラスは「え~しょうがないなぁ……ちょっとだけ説明するとね」と前置きをする。
「えっとぉ、優しくて、臆病で、とっても強くて、一生懸命で、私のことを凄くすごく愛してくれてて……。それからねぇ、時々イジワルもしてくるんだけど、本当に嫌なことは絶対にしないの。あと『ありがとう』ってちゃんと言ってくれる所とか、ご飯を作ってあげるとすごく幸せそうに食べてくれる所が大好き。あ、大好きな部分は本当に多すぎて語り尽くせないんだけど、とにかく私は心の底から愛してるの]
「………………」
[私のために無茶する所があって、それはちょっと控えてほしいなぁって思ってたんだけど想像も限界も世界の理も超えて私の所に来ちゃうから……思い出が多すぎて、なんか具体的に言い出したら止まらなくなりそう…………いけない……なんか、会いたくなって来ちゃった]
えへへ、と笑うフェトラス。
しかして、おばちゃんは固まっていた。
[あ、あれ? ノロケ過ぎちゃった?]
「げ……」
[げ?]
「月眼…………!?」
[げっ]
そう。ロイルへの愛を語ってしまった。それはフェトラスにとって日常的なことだったが、今回ばかりは違う。
彼女は「夫としてのロイル」を想像してしまっていたのだ。
それはフェトラスにとって未知の領域。だがしかし、それは同時に彼女にとって「当然のように最高で幸福な未来」の一つであった。
温かい陽差しの中、月眼は煌々とその存在を謳い、知らしめる。
「げ、月眼だー! 大変、どうすればいいの!? え、エクイア様ー!」
こうして早速フェトラスは禁則事項⑥「魔王だとバレないように」を華麗に突破したのであった。
ロキアス「やwらwかwしwたwww」
カミサマ「早すぎる……」