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 月眼に恋する少年・2

前回のあらすじ。


ティザリア少年は絶対にしてはいけない恋をしてしまった。





 好きだ! と思ったわけではない。


 まだまだお子様なティザリアは、ただ(この人のそばに居たいなぁ)と思っただけだ。だけどそんな淡い願いとは裏腹に、少年の身体は素直に緊張を示す。


 そばに居たい。だがしかし、どうすることも出来ない。


 ウブな少年はモジモジと身体を動かしつつ、頭を働かせた。


(えっと……どうしよう……ここにいてもいいのかな……)


 分からない。何か会話の切っ掛けが欲しい。話題とか無いかな。秘密の任務中って言ってたけど、質問とかしてもいいのかな。


 グルグルと思考は巡るのに正解が見つからない。不自然な沈黙が続いてしまい、結局ティザリアは撤退を選んだ。


「えっと、それじゃあ……ごゆっくり……」


「え~。もう帰っちゃうの? まだ来たばかりなのに」


 女性は意外そうな声を出して首をかしげた。


「せっかく登ってきたんだから、もう少しゆっくりしていけばいいのに」


「……僕がここにいたら、任務の邪魔じゃないですか?」


「別に?」


「……えっと、だったら……ここにいてもいい?」


「もちろん! 実はちょっとヒマだったから、話し相手になってくれると嬉しいかも」


 少年の心の中にある花畑が満開になる。


 ティザリアは何も考えずに、女性の隣りに座った。


「えっと、そしたら色々と聞いてもいいですか?」


「お行儀の良い子だね。別に敬語じゃなくていいから、普通に喋ってよ」


「……うん。分かった」


「そうそう。その調子」


「ところで本名は言えないって言ってたけど、だったら僕はお姉さんの事をなんて呼んだらいいの?」


「うーーん…………あ、いつも使ってる偽名とかでもいいかな?」


「うん」


「じゃあアミナスで。実は最近じゃ、本名よりもアミナスって名乗る事の方が多いぐらいなんだよね」


 苦笑いを浮かべた直後に、彼女は「あ」と言って自分の口元を抑えた。


「偽名の宣言なんて面倒な事せずに、ただアミナスって名乗れば良かった……ま、いっか」


 ふりふりと手を振って「まぁそんな感じで、よろしくねティッ君」と彼女は微笑んだ。


「アミナスさん。……いつか本名も教えてくれる?」


「んふふ。どうかな。仲良くなれたら教えてあげるかも」


 相変わらず彼女の喋り方は柔らかい。その優しい雰囲気にほだされて、ティザリアは少しずつ気を緩めていった。同時に違う何かも昂ぶってくるが、まだまだ幼い少年はその感情の正体を知り得ない。


「どうして本名は言えないの?」


「ティッ君が絶対に私のことを秘密に出来るかどうか分からないからね。直感的には良い子だと思えるけど、まだ出会って五分と経ってないわけだし」


「確かに」


 そりゃそうだ、とティザリアは頷いてみせる。


「じゃあ、任務のことも聞いちゃダメ?」


「ざっくりな説明でよければ。――――そうだね、一言でいえば『監視』かな。ちょっと普通の人じゃ対応出来ない事件が起きるかもしれないから、念のためこの辺りを見回ってるの」


 割と物騒な内容に聞こえる。そう感じたティザリアは慎重に質問を重ねた。


「危ないことが起きるの?」


「あはは。私がいるから大丈夫」


 軽い口調の返答だったが、そこには絶対の自信が見え隠れしていた。どうやらアミナスは強い・・らしい。武器を持ってるようには見えないが、どういうことだろう?


 でも彼女はゆったりとした様子で危機感が全くないように見える。自分が岩場を登ってきても無警戒みたいだったし、本当に大丈夫なのだろう。


 ティザリアは視線を前の方向に移した。


 岩場は森の中腹より少し下ぐらいの場所にある。気温は少し低いが、陽差しは温かい。そんな陽光に照らされて、村の様子がはっきりと見える。


 自分の家。貴族様のお屋敷。友達の家。大通りと市場。週に二回だけ通う学舎。街に沿って流れる河。遠くの山。


 なるほど、監視に向いている。だけど村の様子をうかがうということは、つまり村で何か事件が起きるということなのだろうか?


「……本当に大丈夫なの?」


 危機感は薄かったが、そんな確認を入れてみる。するとアミナスはぷくっと頬を膨らませた。


「むむ。私のこと信じられない?」


「……だってまだ出会って五分ぐらいしか経ってないし」


「確かに」


 意趣返しのように、先ほどとは逆転したやりとをしてみせる。それに気がついたアミナスはケラケラと笑った。



 それから二人は色々なことを、たわいの無いことを沢山話した。


「アミナスさんはどこから来たの?」「北の方からかな」


「ティッ君はどの家に住んでいるの?」「あそこが僕のお家だよ」


「ティッ君は何歳なの?」「十歳。アミナスさんは?」「……レディに年齢聞いちゃダメなんだよ」「そ、そうなんだ」


「いつまで監視するの?」「たぶんあと一週間ぐらいかな?」


「アミナスさんは、英雄だったりする?」「あはは。それは無いかなー」



 本当にたわいの無い会話だ。二人で並んで、雲の動きを見ながらそれを繰り返す。


 それはティザリアにとって楽しい時間だった。


 屈託なくお喋りするのは久しぶりなように思える。ここ最近はずっとキトアの事で悩んでいたからだ。


 そんな事実に気がついて、ティザリアは少し驚いた。



 アミナスとの会話が盛り上がるのは、自分にとって不自然・・・な事なのだと。



 そんな機微を読み取ったのか、アミナスが首をかしげる。


「……うん? どうしたの?」


「……えっと……その……」


 言えない、と少年は自覚した。だからアミナスとの距離感が混乱する。


 ティザリアはそのまま黙り込んだ。


 自分の中の感情が最高速度で乱れていく。


 アミナスに対する興味、そして好奇心は強い。だけどそれは自分が近づいてはいけないものだ。何故なら――――。


「なにか悩み事でもあるのかな?」


 ふと顔を上げると、アミナスは微笑みを浮かべていた。


「…………」


 まるで無視してるみたいに何も答えられない僕。なのに、どうして彼女はこんなに優しい表情を向け続けてくれるんだろう。


「ここで出会ったのも何かの縁。良かったらティッ君の悩み事を聞かせてほしいな」


 この優しくて綺麗な人に、すがりつきたくなった。まとまらない自分の感情を、まとまらないままブチ撒いてしまいたかった。だけどそんな格好悪いこともしたくない。


「…………」


 視線と共に身体の重心が、少しだけアミナスとは反対の方向に傾く。精神的にも物理的にも、彼女から離れるべきだと思ったから。


 だがそんなティザリアの葛藤を見抜いたのか、アミナスはいきなりティザリアの両肩に腕を回してきた。いわゆる密着である。


「なっ、ちょ」

「ふむふむ」


「…………」

「ふーむ? なるほど」


 やたらと近い距離でアミナスはニッコリと笑った。離れたいような、離れたくないような。ティザリアの緊張感だけが高まっていく。


「ティッ君、ほら見て。あの雲」


 彼女が反対側の手で指し示したのは、少し大きめの雲。


「なんか蛇みたいに見えない? もしくは踊り子さん」


「えっ」


 ただの雲にしか見えない。だけど言われるがままにその雲を見つめていると、ティザリアにはそれが「河から生える樹」に見えた。


 だけどそれは妄想に近い光景だ。河から生える樹なんて存在しない。そんな絵面は説明が困難だったので、ティザリアは「……そうだね」と答えるだけに留めた。


 だけどアミナスは意地の悪い声をだす。


「そうだねって、どっちに見えるの? 蛇かな、それとも踊り子かな」


「……僕には蛇に見えるかなぁ」


「そっか」


 ずっと肩を抱かれたまま。居心地が良すぎて心が全く落ち着かない。いよいよティザリアは耐えられなくなって、ゆっくりと立ち上がった。


 するりと解かれた手。肌寒い空気。


「……僕、そろそろ帰るね」


「そっか。じゃあまた明日・・・・


「えっ」


 アミナスの言った言葉が理解出来なくて、ティザリアは目を見開いた。


「また明日、ここで会おうよ」


「……ど、どうして?」


「ふっふっふ。理由は明日教えてあげる」


 なんだその理不尽さは、と思った。


 だけどアミナスが浮かべているのは可憐な、それでいて、いたずらっ子のようなスマイル。そして彼女はこう言った。



「もし明日ここに来たら、きっとあなたの悩みは解決出来るよ」



 そう言った彼女は、見た目よりも長い年月を生きているように思わせた。


 乱れた心が一瞬で漂白される。


「また明日、ここで。――――約束ね」


 一方的に宣言された約束。ティザリアは曖昧に頷いて、彼女に背を向けたのだった。




(すっごい綺麗な人だったな……)


 ぼんやりと家路について、森を出る。


(アミナスさんとのお喋りは楽しかった……な……)


 素直な気持ちである。しかし、自分にそれを楽しむ資格があるのだろうか?


 少年の心に空虚な風が吹く。


(僕の心にはきっと穴が空いてるんだ。空っぽなんだ。このバッグみたいに)


 ……空のバッグ? はて、なんで僕はこれを持ってきたんだっけ。


 そしてようやく枯れ枝を一本も拾っていない事に気がついたティザリアは、慌ててきびすを返したのであった。


 思考がうまくまとまらない。


 空を見上げて雲を見るたびに、それが何の形に似ているか考えてしまう。



 自覚無き初恋が、ティザリアをニヤニヤと半笑いで追い詰めていった。





 翌日。


 ティザリアは昨日と同じく岩場を前に立っていた。


 だが苦労して岩場を登るには理由・・が足りない気がする。


 なぜ僕はここに来たんだろうか。


 ……この上にはアミナスさんがいるはずだ。昨日はアレコレ考え過ぎて知恵熱が出そうになったけど、ここを登らないと今夜も頭がグルグルになりそうだ。


 だが、しかし。


 登ってもいいものだろうか。


 アミナスさんに会ってどうする? 僕の悩みが解決出来る? どうして? というか僕は「悩んでます」なんて一言もいっていない。僕は今から何をしにいくんだ?


 分からない。


 自分はこの岩場を登る資格を持っているのだろうか。もっと素直に言うのならば、僕はアミナスさんに近づいてもいいのだろうか。


 身体が凍り付いたかのように動かない。だけど僕はこの岩場までやってきた。ここを目的地と定めて家を出て、誰にも内緒で独りでここまでやってきた。――――そこまでしておいて「登らない」なんて選択肢は採れない。


『約束ね』


 やくそく。ヤクソク。やくそく……僕は一体何を約束したんだろう。


 ――――この岩場に訪れるまでは、ほぼ自動的にティザリアの足は動いていた。様々な疑問こそあれど、アミナスに会うつもりでいた。


 だけど少年の足は止まってしまう。自分の行動があまりにも不自然・・・だと気がついてしまったからだ。


 不自然だ。変だ。妙だ。おかしい。正しくない・・・・・


(……正しいって、なんだろう…………)


 アミナスは言った。悩みを解決してみせると。


 どうやって? この心のモヤモヤを晴らす方法なんてあるのか?


 ――――そもそも、僕は一体何に悩んでいるんだろう。


 そう自問した瞬間に、妹のキトアが笑う光景と、憎たらしい顔の両方が脳裏に浮かんだ。



 ここに来て少年は、ようやく己の悩み・・・・に輪郭を与えることが出来たのだった。



 自分が何に悩んでいるのか、それがようやく分かったのだ。


(どうすればいいのか。そればっかり考えていたけど……そっか……)



 僕は自分が『どうしたいのか』が分からなかったのか。



 例えば旅行に行くとして。


 海に行くのが正解か。それとも山に行くのが正解か。僕はずっとそれを考えていた。


 だけど違う。重要なのは正しさ云々じゃなくて『僕がどっちに行きたいのか』を考えなくちゃいけなかったんだ。


 海と山。どっちに行くのが正しいのか。

 海と山。どっちに行くのが楽しいのか。


 きっとこの二つは同じことなんだと思う。


 でも僕は「どっちが楽しいかな?」とは考えられないでいた。そんな発想が無かった。


 ――――だって僕は「どっちにも行きたくない」と思ってしまっているんだから。


 だったら答えなんて出るわけがない。答えるつもりが無いんだから。



 ティザリアは岩場を見上げ、ゆっくりとそれを登り始めた。


 悩みを解決させるためではなく、ただ答え合わせをするために。




「やぁティッ君」


 ひらひらと手を振るアミナス。まるで昨日からずっとそこにいるみたいに、彼女は同じ場所に腰掛けていた。


「こんにちはアミナスさん」


「はいこんにちは。約束通りに来てくれたね」


「うん」


 素直に返事をする。だけどティザリアは彼女の横に座ろうとはしなかった。


「それで、どうかな? 悩みは解決した?」


「解決っていうか……何に悩んでいるのか、なんとなく分かったって感じかな」


「おめでとう。それが解決への第一歩目だよ」


 よいしょっ、なんて声を出しながらアミナスさんが立ち上がる。


 ふわりと黒いスカートが風に流されて、彼女の姿が少しだけ大きく見えた。


「やん」


 なんて声を出しながらアミナスがスカートの裾を抑える。


「うー。やっぱり下はズボンにしておけば良かったかなぁ」


「…………………………」


「って、どうしたのティッ君。すごい顔になってるけど」


「え。ぼく、どんなかおしてますか」


「な、なんか……いやごめん、なんでもないや。気のせい気のせい」


 少し照れたように笑って、アミナスは両腕を組む。


「さて、それじゃあ改めて聞かせてもらおうかな。ティッ君は何に悩んでいるの?」


 何でも言って。何でも聞くから。


 彼女の笑顔にはそんな器の大きさが漂っていた。


 ――――うん。聞いてみよう。この綺麗な人に、優しい人に、教えてもらおう。


 ティザリアは勇気をふりしぼった。



「僕が悩んでいるのは、妹のことなんだ。キトアっていうんだけど」



「ふむふむ」


「歳は二つ離れてる。いっつもケンカしてたんだけど、最近はあんまりしてないかな」


「そうなんだ。それで? 妹さんがどうかしたの?」


「――――僕はキトアのことが好きで、大切なんだけど、それでも僕はキトアと仲良くすることが出来ないでいる」


「好きなのに、仲良く出来ないの?」


「好きだけど、仲良くしたくない・・・・・・・・んだ」


 そう口にして、ティザリアは驚いた。


 ああ、そうだったのか。コレが僕の悩みだったのか――――だなんて。先ほどよりも明確に自分の悩みが言語化されていく。


 それは新鮮な驚きだった。そしてその気付き・・・が、情報が、自分の中で連鎖して増殖していく。


「僕は悩んでばっかりだ。自分が何に悩んでいるのか見当がつかないくらい、たくさんたくさん悩んでる。それは全部同じ悩みのようにも思えるし、かと思えば全部違う悩みみたいに感じる」


 我ながら分かりにくい説明だと思う。だって僕はほとんど何も考えずに喋っているようなものだから。


「キトアのことは好きだよ。でも仲良くしたくない。――――僕は今さっき、それを自覚した」


「…………ティッ君の悩みは、少年らしからぬ重みがあるね」


「あはは、違うよ」


 力なく笑ってみせる。


「全然重くないよ。これはすごく単純な話しなんだ。僕はキトアに嫌われたくないだけ」


「……?」


「僕にはお姉ちゃんがいるんだけどさ、その人がとんでもない人なんだ」


 アミナスはちょいちょいと手招きをして、ティザリアを呼んだ。


「長い話しになりそうだし、こっちで一緒に座らない?」


「ううん。このままがいい。この距離がいい」


「――――そっか。話しの腰を折ってごめんね。それで、お姉さんがどうしたの?」


「僕のお姉ちゃんは……めちゃくちゃなんだ」



 彼女は僕のことを「大好き!」と言ってはばからない。時々は「愛してるぜブラザー!」なんて冗談っぽく本音を叫ぶ。


 そんな彼女の愛し方は、とてつもなく鬱陶しい・・・・ものだった。


 家にいる時はずっと喋りかけてくるし。

 しょっちゅうベタベタと触ってくるし。

 疲れていても「ボードゲームしようよ!」と言って付き合わせてきたり。

 深夜なのに「新作の料理を作ったから味見して!」と言って無理矢理食べさせたり。

 気がついたら僕を自分のベッドまで拉致して一緒に寝ていたり。

 お出かけの際には「お姉ちゃんに『行ってらっしゃいのチュー』をしなさい」と命令してきたり。

 お土産と称して色々買ってくるけど、そのことごとくが微妙なアイテムだった。変な色したシャツとか、格好良くない帽子とか。サイズが全然合わない靴とか。


 べらべら喋って、べったりくっついてきて、好きとか愛してるとか平気で言っちゃう姉。


 幼い頃はとくに疑問に思わなかった。


 ただ時々は「めんどうくさいな」とか「そっとしておいてほしいな」と思うことがあった程度だ。


 だけどここ最近は違う。純粋に面倒臭くて、ウザかった。


 でも――――お姉ちゃんは僕のことが「好き」らしい。


 世界で一番大切な弟だと、普段から言ってくれる。


 それが『苦痛』だった。



 そこまで語るとアミナスは、真面目な顔をして顎に手を添えた。


「……ティッ君はお姉さんのことが嫌いなのかな?」


「ううん。たぶん好きなんだと思う」


「たぶん、なんだ」


「……僕の好きって気持ちと、お姉ちゃんの好きはたぶん違う種類のものなんだ」


「そうなの?」


「お姉ちゃんは仕事に行くとき必ず『家族と離れるのは辛い』ってウジウジしてるんだけど……僕は違うんだ」


「そうなんだ」


「ずっと一緒にいたいわけじゃない。だけど、ずっと離れていたいとも思わない。僕が分からないのは、その……距離感? っていうヤツなんだと思う」


「へぇ。まぁその感覚はちょっと分かるかな」


 同調を示したアミナスの言葉で、ティザリアの瞳が揺れ動く。


「ぼ、僕は……きっと僕は、変なんだ」


「…………」


「きっと、お姉ちゃんの言ってる『好き』が普通のことで、僕の『好き』は違うんだ」


「……どう違うのかな?」


「だって僕は妹が、キトアのことが好きだけとお姉ちゃんみたいにベラベラ喋りかけたり、ベタベタ触ったりしたくない。キスもハグもイヤだ。――――だけど普通は、そうするべきなんだ。好きだったら話しかけるし、触れたりもする。大好きだよって口に出すのが、普通のことなんだ」


 普通、普通とティザリアは繰り返す。



 ティザリアがキトラと距離をおいた理由。


 過干渉の姉に愛されてきた。そしていつの頃からか、ティザリアは「そっとしておいて欲しい」と願うようになった。


 放っておいてくれ。静かにしてくれ。


――――人はそれを孤独癖こどくへきと呼ぶ。


 まだまだ子供とはいえ、もう十歳。己の性根は定まりつつある。そして少年は一人でいることを望んだ。


 そしてその願いは自身だけではなく、他者にも適用される。ティザリアはキトアを「そっとしておく」ことにした。――――自分がされて嬉しいことをしようとした。


 いつかケンカした日。キトアを無視したのもそんな理由からだ。


 だが実際はどうだ。自分が良かれと思ってしていることは普通じゃないらしい。


 例えば、姉は周囲からの評判がすこぶる良い。「理想的なお姉ちゃん」だとか「家族愛がすごい」とか「あんなお姉さんがいて羨ましい」とか言われたり。


 姉の過干渉が愛情表現であることは理解している。


 好きだから構っている。それはとても普通の好意で、一般的なんだろう。


 だけど自分はそうじゃない。そっとしておいてほしい。


『一人でいることが好きな自分は、変なのだろうか』


 そんな悩みが、ティザリアを蝕んでいた。



「小さな頃から、お姉ちゃんに愛されてきた。そしてあの愛し方が普通なんだと思う。だけど、僕は違う。僕はそんなことしたくない」


「……だったら、ティッ君はどうしたいの? どういう愛し方をしてみたい?」


「本当は、ほんとうは――――僕の知らないところで、キトアが世界で一番幸せに暮らしてくれることを望んでいる」


 そう言い切ると、アミナスはゆっくりと首をかしげた。


「僕の知らない所で……?」


「そう。どこか遠いところで」


「…………そういう愛もあるのかぁ」


 ぽつりと、アミナスが呟く。

 そしてティザリアは肩を落とした。


「……やっぱり僕は変だよね。好きだけど、一緒にいたくないんだ。僕は変なんだ。普通じゃない。どこか壊れてしまってる」


 気がつけばティザリアの瞳から涙がこぼれていた。


「僕はお姉ちゃんみたいに、普通にキトアを愛してあげることが出来ないんだ」


 涙と共に本音がこぼれ落ちる。


「面倒臭いと思われたくない。ウザイって言われたくない。嫌われたくない。――――そして同じくらい面倒臭いし、ウザイし、嫌いたくない。だから近づきたくない」


 ティザリアの乱れた真意が言葉に変換される。



 即ち自分は――――正しい愛し方・・・・・・を実行できない。



「――――でも、彼女の幸せを願っている?」


「当たり前だよ!」


 少年は泣き叫ぶ。


「キトアだけじゃない。お父さんも、お姉ちゃんも大好きだよ! でも、分からないんだ! 出来ないんだ! 僕は普通にはなれない!」


「……お母さんは別なのかな?」


 アミナスがそう指摘すると、ティザリアは涙を袖でぬぐった。


「……お母さんは、お母さんだもん。特別なんだ」


「どこが違うのかな」


「どこって……」


「もしかしたらそこに解決の糸口があるかもしれないよ?」


「…………だって、お母さんは」


 言語化出来ない、というよりは意識したことが無かった話題。


 ティザリアにとってユリファとは一体なんなのか?


「……うん。お母さんはすごいんだ。厳しくて優しい。ちゃんとしてくれる。必要以上に距離を詰めてこないけど、絶対に離れないって思わせてくれる」


「…………そうなんだ」


 声色の違う相づち。含まれるのは慈愛。


 ティザリアが視線を上にあげると、アミナスは極上の笑顔を浮かべていた。


「ぼ、ぼく何か変なこと言ったかな……」


「ううん。逆だよ。とっても素敵だな、って思っただけ」



 乱れていた心が漂白される感覚。


 空っぽの心に何かが満たされていく。


 ティザリアの初恋がどうしようもない領域に向かって突き進む。



 顔が赤くなることを自覚したティザリアは、そっとアミナスから視線を外した。照れくさくてどうしようもなかった。


「と、とにかく、お母さんはすごいから、特別なんだ」


「それは凄いというよりも、よく見てるからだろうね。ティッ君のお母さんは、あなたが何を望んでいるのかを一生懸命に考えているんだと思うよ」


「……僕の望み?」


「そう。あなたがどうしたら喜ぶのか。どうすればイヤな気持ちにならないのか。献身的とも言える、素晴らしい愛し方だと思う。――――だからティッ君もお母さんみたいに家族と付き合えばいいんじゃないかな?」


「僕には無理だよ」


「どうして? そんな近くに凄いお手本があるんだから、マネしてみればいい」


「だってマネなんて出来ない……」



「出来るよ。相手が望んでいるものが何かを考えて、それを与える。簡単でしょ?」



 ね? と微笑むアミナス。


 ティザリアは恋心とは違う感覚を覚えた。


「……なんかアミナスさんは……少し、僕のお姉ちゃんに似てる気がする」


「えー? 無茶苦茶って言われちゃうような人と似てるの?」


 クスクスと彼女は笑って、それから両手を大きく広げてみせた。


 広い世界で、自分はここにいるんだと誰かに証明するみたいに。


 そして彼女は愛を謳う。


「知ってた? 愛って実は種類がいっぱいあるんだよ?」


「……そう、なの?」


「うん。ティッ君は自分のことを『変』だって言ってたけど、とんでもない。あなたには資格・・がある。だからどうか、自分の思うままに、色んな人を愛してほしいな」


「……でも、ぼくは…………お姉ちゃんみたいには……普通には……」


 言葉が小さくなっていく。


 変じゃないよと言われても、自分が変だと思って生きてきたのだ。


 ティザリアの自己評価は確立してしまっている。


 だけど、そんな確立したはずの意識は。少年の自我は。



「大丈夫。普通なんて言葉は無視しちゃえ。あなたはティザリアなんだから、あなたの愛し方をすればいいの」



 ゆっくりと近づいてきたアミナスに抱きしめられた瞬間、彼の悩みは星の彼方へと吹き飛んでいった。






 気がつくとティザリアは家に帰っていた。


「え」


「え、じゃないわよ。ご飯の時間よ」


「…………」


「なに、どうしたのティザリア」


 ユリファが心配そうに息子を見つめる。


「……なんでもないよ」


 そう答えつつ、自分が呆けたまま帰宅したことを思い出した。


 アミナスと色々話して、抱きしめられて、そこから何故か号泣してしまい……そして気がついたら岩場から降りていた。しかし無意識に降りられるような岩場ではない。きっとアミナスが降ろしてくれたんだろうが、一体どうやって……抱きかかえて? いや無理だろそんなん……。


 ただ別れ際のことは覚えている。


『また明日ね』


 彼女はそう言ったんだ。


 そしてフワフワとした頭でフラフラと帰り着き、ずっとアミナスのことを考えていたら、夜が来ていた。


「ねぇ」


 ティザリアはユリファに額を軽く指で押されて、とても驚いた。


「えっ!? な、なに!?」


「それはこっちのセリフよ。具合でも悪いの? なんか心ここに在らずって感じだけど……」


「べ、別になんでもないよ!」


 パッと母から距離をとって、ティザリアは額をゴシゴシと腕でぬぐった。


「大丈夫。ちょっと考え事してただけ」


「……なにか悩みがあるなら聞くわよ?」


 少し声量を抑えての、問いかけ。


 ティザリアが母の顔を見ると、そこには色々な感情が見えた。


『ティッ君のお母さんは、あなたが何を望んでいるのかを一生懸命に考えているんだと思うよ』


 そう言われてみて、初めて気がついた。


 ユリファはティザリアに何も押しつけない。


 姉のように前に立ってグイグイと手を引っ張ったりしない。

 妹のように横でギャーギャーとわめかない。

 父のように後ろで見守ったりするわけでもない。


 お母さんは太陽とは異なる形の星のように、僕に寄り添ってくれているんだ。


 そう気がついたティザリアは自然と「ありがとう、お母さん」と口にしていた。


「あら。なんのお礼かしら」


「んと……お母さんが僕のお母さんで良かったなぁ、って」


 ユリファは驚いたように目を開いたが、すぐに微笑みを浮かべた。


「お願いがあるんだけど……ちょっと抱きしめてもいいかしら?」


「うん」


 どうぞ、と両腕を広げると、ユリファの瞳が分かりやすく潤んだ。そしてそのまま二人は抱擁ほうようを交わす。


「…………愛してるわよ、ティザリア」


「うん。僕も」


 言葉にするわけではない。だけど、同意を示す。


 やがてユリファは満足そうな笑みを浮かべて離れた。


「ところでもう一回聞くけど、悩みがあるなら聞くわよ?」


「それは解決……というか、解決中だから大丈夫」


「……そう。ならいいわ。ご飯の時間だから手を洗ってきなさい」


「はーい」




 食事中、キトアが僕に話しかけてきた。


 僕は普通に返事をした。


 話題としては本当にささいなものだ。


「お父さん、そろそろ帰ってくるよね?」

「だと思うよ。どんなお土産買ってきてくれるかな……キトアは何が欲しい?」


 ただそれだけの会話だ。


 なのにキトアはすごくビックリしたような顔をして、僕のことをじっと見つめてきた。


「な、なんだよキトア」

「……ううん! なんでもない!」


 幸せそうな笑顔で、そう言った。



 食後、キトアは無意味にティザリアの近くに座ってみたり、あれこれと話しかけたりしてみた。今日の兄は何か雰囲気が違う。そう感じとったキトアは、ある意味で観察のためにティザリアに近寄ったのだ。


 そして彼は妹の行動を受け入れた。話しかければ返事をしたし、なんならティザリアの方から話題を振りさえした。ここ最近ではイエスかノーぐらいにしか口を開かなかったのに、今日は少しだけ会話に彩りがあった。


 キトアがえいと脇腹を突っついてみれば「やめろよ」と言いながら反撃もしてくる。昨日までのティザリアだったら無言で立ち去っていたのに。


 そんなわけでキトアは嬉しくなった。


 お兄ちゃんが構ってくれる。


 そんな単純なことが嬉しくて、幸せだった。


 気がつけば彼女はティザリアの服を握りしめたままソファーで眠りに落ちてしまう。


 そんな、よだれをたらしながら半目で眠ってしまった妹を見てティザリアはつぶやく。


「…………ものは試しにと我慢してみたけど、やっぱウザいなぁ」


 ある種の暴言である。


 だけど彼が浮かべていたのは、幸せな苦笑いだった。



 何かが変わり始める。


 きっかけはもちろんアミナスだ。


 ティザリアが変わって、それを受けてキトアが変わり、連鎖して全てが変化していく。


 それは彼等にとって新しい物語の始まりだった。



 だけど何かが始まるということは。


 何かが終わるのとイコールだった。





 そして数日後。


 少年は絶望に襲われる。





 そんな少年に起きた事件を知った、とある神様はこう言ったという。


〈――――あ、あまりにも可哀相では??〉


 全ての神が同意した。誰しもが少年を憐れんだのであった…………。







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