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シリックさんがお見合いして、それをロイルが邪魔する話

ロイルがフェトラスに「ただいま」と言ってから、数年経ったあとのお話です。






 神理狩りを終えて、つまり俺がユシラ領に本格的に住み着いてしばらく経った。


 庭先の畑を感慨深げに眺めていると、いつものように遊びに来たシリックが「ロイルに相談があるんですけど」と話しかけてきた。


 時節は初夏。


 草木が色差しを強める、活性の季節である。



「……お見合い?」


「そうなんです。お父様こと領主サマのご意向ってやつです」


 シリックは自分で入れた紅茶を飲みながら、実に優雅に我が家の庭先にあるベンチに座っている。対して俺はボケーっと突っ立ったまま、わりと高級品であるコーヒーに口を付けていた。


「突然だな。どうしてそうなったんだ?」


「私もとっくにお年頃ですしね。領主サマ曰く、最近のお前はとても穏やかでイイ感じ・・・・だから、その雰囲気だったら絶対に上手くいく! と乗り気なんですよ」


「……イイ感じとはまた、何とも曖昧な表現だな。どんな感じだって話なんだが」


「昔と違って、切羽詰まった生き方をしなくなったからじゃないですかね? 社交場にもそれなりに出るようになりましたし」


『恥知らずになりたくない』と豪語していた彼女は事も無げに「パーティーに出るのは面倒ですが、出ないのも面倒なんですよ。あー、どこか遠い所に旅立ちたい」と素直な本音をブチ撒けて微笑んだ。


「それで、どう思います?」


「どうって?」


「私がお見合いするって事について」


「………………」


 俺はシリックにばれないように、そっとカウトリアに指先を這わせた。


「…………」


「……ロイル?」


「………………まぁ、相手がどんなヤツか次第だろ。変なヤツなら止めるが、高収入・好青年・将来性抜群で、顔も性格も良い男なら、まぁ、うん」


「煮え切らない返事ですね」


 シリックはそう言ってコロコロと笑った。


 そしてカップを脇に置いて、両手を組み合わせてグッと背伸びをした。


 上等な生地の服は形を崩すことなく、けれども彼女の意に従う。ここ最近のシリックは何だかオシャレだ。以前なら「機能性第一。ファッション性は二の次です」とか言ってたのに。


 黄色い髪は入念な手入れが施されており、綺麗にまとまっている。フェトラスとは異なる髪質だがその美しさに遜色は無い。


 俺が少しぼんやりとシリックの挙動に見とれていると、彼女は苦笑いを浮かべた。


「まぁ会うぐらいなら別にいいかな、とは思ってるんですよ。何事も経験と言いますし」


「そっか。なら一回試しにしてみるのも悪くないと思うぞ。領主への義理も果たせるし」


「そうですね。……ちなみに、そのまま私が結婚することになったら、どう思います?」


 ヘルプミーカウトリア。


「……お前が幸せになるのなら、賛成する。でもちょっとでもダメそうなら邪魔したいかな」


「どうして邪魔するんです?」


「そりゃお前、俺の大切な仲間の未来がかかってるんだ。妙な男にくれやるわけにはいかない」


「…………フッ」


 シリックは謎の微笑みを浮かべた。


「それなりに調べたんですが、お見合い相手の方はかなり立派な方のようです。私よりも十歳ほど年上ですが、若々しくて凛々しい、カリスマ性の高い男性らしいですよ?」


「へぇ」


「しかもアースレイの家系だそうです。というかガッドル団長の親戚ですね。前歴、地位、人格、お顔立ち、全てが申し分の無い方のようで」


「………………断る理由が見当たらないな」


「そうですね」


 そよそよと、優しい風が吹く。


 引き続きシリックは謎の微笑みを浮かべならがら、こう言った。


「ところでロイル。お願いがあるんですが」


「なんだ?」


「来週そのアースレイの方が実家に来るんですよ。お見合いのリハーサルみたいな形で、面談が行われるんです」


 なんで直接会うのにわざわざリハーサルなんてするんだ? という疑問はあったが、貴族というのは体面を気にするから、そういう事もあるんだろうと俺は一人で納得した。だから実際に俺の口から出る言葉はとても短い。


「そうなのか」


「そうなのです」


 ふと空を見上げた。太陽は今日も元気いっぱいだ。


「なのでお願いなのですが、当家の執事として潜入してその方の人となり・・・・を見てもらえませんか?」


「……は? ごめん、なんて言った?」


「ウチの執事として潜入して」


「はい」


「その人がどんな人物なのか、ロイルに確認にしてほしいんです」


「…………なんで俺が?」


「私の幸せを願ってくれるんでしょう?」


 シリックは謎の微笑みを解除し、今度はイタズラっ子のようにニンマリとした笑顔を浮かべた。


「その人が私と結婚するに値するかどうか、ロイルが見定めてください」






 というわけで俺は執事になった。


 執事としての正装を身に纏った俺を見て、領主は眉間にしわをよせ、口を「あぁぁぁ」と開き、そしてその後に「はははは」と情けない笑い声を上げた。


「……ロイルさん。まぁ、ウチの娘が変人だというのは今更言うまでもないし、貴方が見合い相手の人間性を計るのにもさして意見はありません。ですが、しかし、どうなんです?」


「どうとは?」


「………………言葉を選んで言うと、貴方はあやつの幸せを願っていますか?」


「そうじゃなきゃこんな格好して此処に立ってませんよ」


「……結構。では今回の面談への同席を認めます」


「ちなみに言葉を選ばないと、どんな台詞が飛び出すんですか?」


「それは……いえ、私にも父親としての意地がある」


 シリックのパパはそう言って、唇をキッと一文字に結んだ。


「だから余計な事は言いますまい。我が娘の幸せを願う、という言葉だけを信じます」


 シリックのパパはそんな意味深な言葉だけ吐いて「ああ、もう」とだけ呟いた。



 さて。俺は事前に入手出来た情報を頭の中でおさらいしてみた。


 今回のお見合い相手、アースレイの者。ガッドル団長の親戚らしい。魔族生息地が近い辺境に住んでおり、そこを守るために日夜戦っていたそうだ。だがここ最近は何故か魔族が大人しくなったため、戦闘が激減。それ故に結婚を考える余裕が出来たとのことで。……まぁぶっちゃけ俺のせいだな。こちとら世界平和のために戦ってきたわけだし。


 バルザロス・アースレイ。


 英雄ではないが、人々のために戦う貴族だ。辺境伯というやつだな。字面で勘違いしそうだが、この場合の辺境とは田舎という意味では無い。そこはつまり人類領域の最前線であり、とても重要な拠点だ。防備のために多くの人員が割かれており、下手な街より栄えている場合が多い。そこの軍勢の幹部というのだから、その者の実力と地位は保証されているに等しい。


 まぁそんな情報はさておき、実際に会ったことのある人物がいるのだからそいつに聞くのが一番手っ取り早いだろう。そう思った俺は情報収集の一環として、まずガッドルに会いに行った。



「んでガッドルよ。そのアースレイ君はどんな男なんだ?」


「お前よりも年上だぞ。君付けはよせ。……あいつは俺よりも若いが、尊敬に値する男だ。現役のアースレイの中でもかなり優秀な部類と言えるだろう」


「……お前が賞賛するレベルかぁ」


「戦場にて豪放磊落(ごうほうらいらく)。大胆かつ冷静に敵を打ち倒す勇者だ。だが社交場では所作しょさの美しい紳士と評されておるな。顔もいいぞ。美しいわけではないが、凛々しくて非常に男らしい顔立ちだと俺は思っている。何より眼差しが一途だ。男女問わずに人気が高いと聞くな。戦場では男衆の目を奪い、社交場では淑女の艶のあるため息を呼ぶそうだ」


「欠点ねぇのかよ」


「欠点かぁ。強いて言うなら、あやつは戦いを人生の主幹に置いておる。なので意外と女性慣れしておらぬな。強者は色を好むというが、あやつはクソ真面目だからの。確か『常に死ぬ覚悟をしている。そんな自分には女性を愛する余裕と器が足りぬのです』とかぬかしておったわ。よわい三十にしてまだまだウブと聞く。アースレイとしては完璧に近いが、オスとしては物足りぬな」


「それ欠点か? 貴族としては微妙かもしれんが、一般人である俺とっちゃ凄まじい優良物件に聞こえるんだが」


 強く、真面目で、誠実で。まさに紳士という言葉がぴったりだ。


 俺が微妙な表情を浮かべると、ガッドルはニヤリと笑った。


「バルザロスに結婚願望は無かったが、此度の見合い相手……つまりシリックが英雄であると聞いて興味がわいたらしい。そしてシリックがどんな女性なのかを調べ、その人間性に惹かれたそうだ。『その者が真に誠実なものであるのならば、もしかしたら自分のような人間でも愛を知ることが出来るかもしれませぬ』なんて言い放ったらしく、あちらさんの家族は大喜びしたらしいぞ。ようやくバルザロスが女に興味を持ったぞ、と」


「シリックは別に英雄じゃないぞ」


「魔王テレザムを殺して、その聖遺物を所有しているのだ。真実がどうであれ人々には英雄にしか見えぬだろうよ」


「……まぁな」


「それで? なぜお前がバルザロスの情報を欲しがるのだ?」


 ん? ん? とガッドルは非常にオッサン臭い、下世話な笑顔を浮かべて身を乗り出した。俺はその分だけ身を引いてうんざりとした様子を見せつける。


「そのシリックに頼まれたんだよ。その見合い相手が自分に相応しいかどうか、判断してほしいそうだ」


「ほほう。ほほう。ほっほぅ!」


「まぁあいつは大事な仲間だからな。下手な男にくれてやるわけにはいかない」


「なるほどなるほど。うむ。うむ。うーむ」


「……さっきから何だよ! 反応が気色悪いぞ!」


 俺がうんざりした様子でそう言い放つと、ガッドルはスッと微笑みを消した。


「バルザロスは良い男だ。俺が保証する」


「……そうかい」


「それで? お前はどうする?」


「どうするもこうするも。あいつの幸せを願うだけだよ」


 それが嘘偽りのない、俺の本音だ。





 そしていざお見合い当日。


 俺はしれっと部屋の中で待機して、バルザロス・アースレイが来るのを待った。


 家督的には相手の方が相当に上位だ。領主であるシリックパパはカチコチに緊張しており、逆にシリックママは柔和な微笑みを浮かべていた。


 そしてシリック本人はというと。


(……すげぇな。どこからどう見ても貴族のお嬢様だ)


 それは未だかつて俺が見たことのないシリックだった。


 淡い緑色のドレス。上品なレースが奥ゆかしく施されている。それはまるで畑に生えた作物の新芽のように……これは微妙な例えだな……まぁとにかく、美しくも可愛らしい。


 髪の毛はいつも以上に美しくセットされており、まるで別人のように見えた。


 彼女の表情はとても穏やかだった。……少しだけ楽しそうに見える。


 俺は執事の格好なので、流石にカウトリアは置いてきたわけだが。もしかしたら背中辺りに仕込んでおいた方が良かったかもしれないな。



 やがてメイドの一人が報告に現れる。


「領主様。バルザロス様がお見えになりました」


「来たか。丁重にお通ししろ」


 格上である上級貴族の来客。通常ならば領主は玄関にスッ飛んで言って迎え入れなければならないが、今回はお見合いではなく『突然で申し訳ないが、近くを通ったから親交を深めにきた』という体である。なので使用人が迎え入れることになっている。……貴族というのは実に面倒臭い。


「ふぅ、いよいよか……おい」


 ますます緊張感が高まってきたシリックパパは、シリックのことを本名で呼んだ。


「お前、本当にちゃんとしてくれよ? 頼むぞ?」


「大丈夫ですよお父様。最近の私はとても『イイ感じ』なのでしょう?」


 余裕というか、泰然している。今からやって来る相手はかなりの人間だというのに。



 そして執事長に連れられて、その男は現れた。


 室内に居たユシラの者は一斉に立ち上がり、頭を垂れる。


「ようこそお越し下さいました、バルザロス様」


「いえ、そのように畏まらないでいただきたい。当方は戦しか知らぬ粗忽者そこつもの。今回の面談でもかなり粗相をしてしまうと思いますので、どうか気軽に接していただければ」


 バルザロス・アースレイ。


 一目見た瞬間に浮かんだ感想は「こいつ強いな」だった。


 まず身長が高い。そしてブ厚い身体をしている。相当に純度の高い戦士だ。歩く動作にも力強さが表れており、不意打ちで飛びかかってもビクともしないだろうという予感を俺は抱いた。


 観察眼を使うまでもなく、こいつは間違いなく強い。脂の乗った現役の戦士だ。


 だが同時に、地位も高いと聞いている。……もしかして、最前線で戦う司令官なのか? なんだそりゃ。おとぎ話に出てくるヒーローかよ。


 そして驚くほど顔が格好いい。


 美男子とかハンサムという部類ではないが、人の目を引きつける魅力的な顔立ちだ。


 気配は絹のような白さではなく、入道雲のように雄大な白さ。


 似合う花は薔薇ではなく向日葵ひまわり


 佇まいは絵画の美しさではなく、まるで鋼の剣のような。



 そんな男が、そっと微笑みを浮かべる。


「やぁ。君がシリックさんか」


 優しく、そして渋い声。何から何まで格好いい。おう、素直に認めるわ。男として完璧に負けた気がする。


 俺は表情を変えない代わりに、腹筋に力を込めた。


 そしてシリックはそんな男を前にして、まずは優雅に一礼してみせた。


「お初にお目にかかります、閣下。ですがその質問に『はい』と答えていいものか。それはいわゆる偽名のようなものですので」


「多少は聞き及んでいる。だが私が興味を持ったのは、ユシラ領のお嬢さんではなくシリック・ヴォールという名の女性だ。差し支えなければシリックさんと呼んでも?」


「閣下のお好きなように」


「ありがとう。ではシリックさんも私のことはバルザロスとお呼びくだされ」


「かしこまりました、バルザロス様」


「様はいらない……と言ってもそれはまだ先の話か」


 そう言いながらバルザロスはようやく着席した。


 そしてぐるりと室内を見渡して、ニッコリと微笑んでみせる。


「落ち着きがあって、良い部屋だ」


「……そ、粗末な部屋で申し訳ありません」


「ああ、いえ。違うのですよユシラさん。簡素だと皮肉を言ったのではなく、純粋に良い部屋だと申し上げたのです。過度な成金趣味は性に合わないので」


 恐縮するシリックパパに対し、はっはっは、と大らかに笑うバルザロス。


「これでもか、というくらいピカピカした燭台や、大きな絵が飾ってあったらどうしようと少し不安だったぐらいです。いや、実に好ましい」


「そ、そう言ってもらえれば幸いです」


「さて。そんな中で一際目を惹くのはやはり貴女だ、シリックさん」


「……そうでしょうか? 私はしがない田舎者にして、令嬢でありながら武器を振り回すことを生業としている無作法者ですが」


「私も似たようなものさ。…………一つ、正直に言っても?」


「もちろんです」


「実はめちゃくちゃ緊張している」


 バルザロスは片手を上げて、手の平を見せつけてきた。ややあって、その指先がカタカタと震え出す。


「いい年して何ですが、こうして改まって女性と対面するのは私にとって大変珍しいことですので……いや、お恥ずかしい」


 それを見たシリックは、たまらず「フフッ」と微笑んだ。


「バルザロス様は大変奥ゆかしい御方ですのね」


「戦ってばかりでしたので、こういうのに慣れていないのですよ」


 そう呟いてバルザロスは天井を仰いだ。


「しかし最近、当家の周辺は大変穏やかでしてね。というのも魔族共の動きが奇妙なのです。誰かが勝手に不可侵条約でも結んだかのように戦闘が激減しました。非公式ではありますが、一部の民が魔族と交易を開始したという噂が流れた程です。……その真偽はともかく、平和なのは事実。それなりの休暇が得られるようになりましてな。最初はガッドル兄に会うだけのつもりだったのですが……」


 そして天井から、シリックに視線が戻る。その瞳は真っ直ぐに彼女を見つめていた。


「シリックさん。聞くところによると、貴女は英雄であるとか」


「いいえ、違います」


 凜とした返事だった。シリックパパはため息をつき、ママは「おほほ」と笑う。


「私は英雄ではありません」


「……まぁ、そう言うであろう事は知っていましたよ。ささやかながら調べもついております」


 そう言いながらバルザロスは頭をかいた。


「ですが、貴女は聖遺物を所有しているのでしょう?」


 ここでシリックは「うーん」とスッ惚けたような声を出した。


「所有しているというか、寄り添っている……という方が正しい気がします」


「ほう?」


「マスター、担い手、所有者、色々な呼び方はありますが、あの子との関係を考えるに、どれも相応しくはないので」


「…………魔槍と聞きましたが」


「ええ。やはり興味がありますか?」


「もちろんです。よろしければ、拝見させていただきたい」


 バルザロスが真剣な表情でそう言うと、シリックは少し悩んだ後で、俺に合図を送った。


「あの子をここに」


「かしこまりましたお嬢様」


 シリックパパの「ねぇ、これお見合いだよね? なんで話題が聖遺物なの?」という困り顔は無視する。


 俺は部屋の隅に立てかけてあった布の塊を手に取り、それをシリックの元に届ける。そしてうやうやしくそれを献上してみせた。


 シリックの指が、布をほどく。


 表れたのは赤と黒のカラーリングをした、刃の短い槍。


 追跡槍ミトナス。魔王殺害特化の一振り。


「…………なるほど、確かに聖遺物だ。基本データやスペックは、王国騎士が管理している情報と一致していると考えても?」


「ええ。おそらくご存じの通りだと思います」


「…………手に取ってもよろしいでしょうか」


「ふふっ。武芸者の方は皆そう仰います。――――ですが申し訳ありません。それは承知しかねます」


「はぁ!? なぜ断る!?」

「あなた、お静かに」


 上級貴族の要請を一蹴。それに対するパパの驚きを、ママが制した。かく言う俺も少し驚いてしまったが。


「――――理由をお聞かせ願えますか?」


「この子は、ミトナスはとても繊細な子です。尊大に振る舞ったり、仰々しい言葉遣いをしたりするのですが、その本質は少年のように純粋なのですよ」


「……ふむ」


「ですので、興味本位で彼に触れることはご遠慮いただいています。特に戦いに秀でた方には。……『我は見世物ではないぞ』とミトナスが不機嫌になってしまうので」


「なるほど。よく分かりました。シリックさんはミトナスをとても大事になさっているのですね」


「苦楽を共にした仲間ですから」


 その苦楽という言葉にバルザロスは反応を示した。


「テレザムという魔王と戦ったそうですね」


「ええ」


「まさにそれがキッカケです。ガッドル兄から『ウチの部下に面白いヤツがいる』という自慢を聞いて、私はシリックさんの事を知りました。魔王テレザムとの交戦記録も読ませていただきましたよ。とても興味深かった。私は貴女に会ってみたくなった」


「そうだったんですね。ですが、既にご存じとは思いますが私はテレザムと戦った時の記憶がほとんどありません。なのでお恥ずかしい話ですが、その件に関してはあまり語れることが無いんですよ」


「でしょうね。そして魔槍……追跡槍ミトナスのことも、その際に知りました。手に取らせていただけないのは残念ですが、見れば分かる。それは間違い無く聖遺物だ」


 そしてバルザロスは目をスッと細めた。


「――――だがそうだとすると、少しばかり不可解な点があるな」


「と、仰いますと?」


「代償系にして、魔王殺害特化の聖遺物。魔槍ミトナス。――――貴女がそれを所持し続けている理由はなんだ?」



 一瞬にして、部屋中が不穏な空気に包まれた。



「変化した魔族の動向。一斉に姿を消した強大な魔王達。全くもって理由は不明だが、世界は確実に平和へと向かっている。だがそうは言っても、魔王の脅威が消え去ったわけではない。今もなお魔王によって苦しめられている人々が存在するというのに、なぜその強力な武器であるミトナスを、貴女はこんな片田舎で所持し続けているのですか?」



 貴族の表情はすでに消え去っている。


 そこにいたのは戦う者。アースレイの集大成みたいな男だった。



「私が最大に興味を持ったのはそこだ。王国騎士に献上するわけでもなく、されとて徴収されてもいない。その魔槍は複数人によって運営されるべき武器だ。だというのになぜ王国騎士達は動かない・・・・のか――――是非、その理由をお聞かせ願いたい」



(まさかこんな展開になるとは)


 これは見合いじゃない。ヒマを持てあましたアースレイの正義感・・・だ。


『強い聖遺物がある。積極的に運用すべきだ。だけどそれが成されてない。何故だ?』


 なるほど確かに、それは不思議な話だろう。そして目の前の男はその真偽を確かめられる地位にいる。


 シリックパパは顔面を真っ青にしており、パクパクと池の魚みたいに呼吸していた。可哀相に。今のパパなら多斬剣テレッサが使えるかもしれない。


「ガッドル兄も理由を教えてくれないし、王国騎士に問い合わせても回答は無かった。ただひたすらに不思議だ。自身が英雄でないと断言したシリック・ヴォールよ。君がその魔槍と寄り添う理由は何だ?」


 真摯な表情でそう問いかけるバルザロスに、シリックは優雅な微笑みを見せつけた。


「――――建前はどうあれ、確かバルザロス様はお見合いの下見にいらっしゃったのですよね?」


「もちろん。私は貴女に正しく興味を持ちました。言ってしまえば、魔槍ミトナスのことはオマケです。語ると長くなるので、詳細には述べませんが……うん。私はシリックさんに希望を見いだしたのですよ」


「といいますと?」


「とてつもなく強大な代償系聖遺物を、王国騎士すら差し置いて所持している女性。――――なんてミステリアスな、そしてロマンを予感させる話だろう、って。正直に申し上げると私はワクワクしたんですよ」


 バルザロスが浮かべたのは、少年のような笑顔だった。


「もしも貴女が、私の想像した通りの人物ならば。……そうであるのなら、きっと私は貴女を心の底から愛せると思ったのです」


「……ああ、なるほど。お見合いではなく、好奇心からの調査でしたか」


「それはお見合いと呼んでも差し支えないのでは?」


「ふふっ、そうかもしれませんね」


 シリックはそう答えて、ミトナスを手にしながら立ち上がった。



「では手っ取り早く、打ち合ってみますか」



「は?」

「え?」

「もうヤダこの娘」




 薄緑のドレスの格好のまま、シリックは表に出た。


 その表情は明るく、まるで鼻歌でも奏でそうな雰囲気だ。流石に靴だけは履き慣れたブーツに換えたようだが、マジでどういうつもりなんだコイツ。そして俺は執事の格好をしている手前、彼女に詰め寄ることも出来ない。あれよあれよと言う間に、場は整ってしまった。


「し、シリックさん……その、本気で私と手合わせをするおつもりか?」


「ええ。私がミトナスと一緒にいる理由を知りたいのでしょう?」


「ですが……打ち合うと言っても……」


「バルザロス様」


 シリックは彼の言葉を遮って、ニッコリと笑ってみせた。


「どうせお互い口下手のようですし、身体で語り合いましょう」


 後ろからシリックパパが膝から崩れ落ちる音が聞こえた。


 シリック以外の全員が戸惑っていたが、やがてバルザロスは表情を晴れ晴れとしたものに変えた。


「うん。やはり良いな。シリックさん、ますます貴女に興味がわいてきましたよ。どうかこのお見合いについて、前向きに検討してほしい」


「私に勝てたら、いいですよ?」


 マジかよこいつ。アースレイ一族を挑発しやがった。


「……よろしい。どうやらコレは本気を出すに値する試練らしい」


 自身の従者に命じて、バルザロスは自分の剣を持ってこさせた。そして運ばれてきたそれはバスターソード。斬撃と刺突を可能とする片手剣だ。しかしサイズが通常のそれよりも大きい。バルザロスのために造られた業物なのだろう。


「ではどのように戦うのだ? 武器を落としたら負けなのか、それとも戦意を失うまでやりあうのか。私としては貴女に傷を付ける気なぞ毛頭ないのだが」


「ああ、ご心配なく。傷なぞつきませんから」


 シリックは不敵に笑い、ミトナスの柄を大地に突き刺した。そしてその槍から金属のようなものがペリペリと産み落とされていき……やがて彼女は、薄緑のドレスごと鎧に包まれた。だが獣の様相には至っていない。


負けたと・・・・思った方が負け・・・・・・・、ということでいかがでしょう?」


 その光景を見てバルザロスが呆けたような顔をみせる。


「……その槍は、魔王を前にしないと発動しないのでは?」


「付き合いが長いですからね。これが私がミトナスと一緒にいる理由の一つでもあります。つまり――――私以上に、ミトナスと心を通わせられる人間はいないということです」


「……なるほど。代償も支払わずに使いこなせるというわけですか」


「正確にはツケ・・ですね」


「えっ」


「後日、ミトナスに身体を貸してあげる約束です。この子、近所の子供達と遊ぶのが好きなんですよ」


「…………魔王殺害特化の代償系聖遺物という触れ込みはどこに行った…………」


 やや冷や汗を浮かべていたバルザロスは深呼吸を一つ。そして己の表情を作り替えた。


「どうやら手加減は不要のようだ」


「もちろん。ですが、別に殺し合いというわけではありません。せいぜい楽しく・・・やりましょう」



 それは彼女なりの自己紹介だった。


 互いに貴族でありながら、戦う者。


 そして二人は「戦う」ことに重きを置いている。それを認知した上での自己紹介だ。


 まさしく身体で語り合うというヤツだな。その攻撃の一つ一つに、今までの自分が明瞭に浮かぶとシリックは知っているのだ。そして同時に、バルザロスがそれを正確に理解するであろうという確信を彼女は持っていた。



「――――ハッ! 最高だなシリック・ヴォール!」


 自己紹介を受けて、アースレイが吼える。


「しばし紳士の振る舞いは引っ込めるとしよう! シリック! 私が勝ったら嫁に来い!」


「愛のない結婚なんてお断りです」


「その点なら心配無用だ! 俺はお前の在り方を愛おしく思うぞ!」


 ギラついた瞳でバルザロスが獲物を見定める。こいつのどこがウブだ。まるで猟犬じゃないか。


「情熱的ですね。……まったく…………ルも……ぐらい……まったく……」


 シリックはなにやらブツブツと言ったあとで、笑顔を浮かべた。


「では、最後に一つだけお願いがあります」


「何でも申せ!」


「バルザロス様。……どうかお許しください・・・・・・・


「……む? 何をだ?」


「ずるい私を許してほしいのです」


「ほう。何やら卑怯な手でも使うつもりか? 別に構わぬぞ」


「ありがとうございます」


 シリックは麗しく一礼し、そしてはっきりと俺の方に視線を送ってきた。


「ロイル」


「――――。」


「…………フッ」


 なんの微笑みなんだそれ。


 俺が目を丸くしていると、あっという間にシリックは視線をバルザロスに戻した。


「では参ります。真剣に戯れるとしましょう」


い! 昂ぶってきたわ! これだけでも遠征の甲斐があったというもの! いざやいざや、我が名はバルザロス・アースレイ! 推して参る!」


「シリック・ヴォール。では、いざ尋常に――!」


 戯れと言いながら、二人の宣言は真剣勝負のそれだった。




 バスターソードとは器用な武器である。


 片手でも両手でも使えて、敵によってその攻撃方法を変えることが可能だ。防御が薄ければ斬撃を。刃が通らぬのならば刺突を。複数の魔族生息地に近い辺境で戦っているということから、戦地でも対応力が必要だったのだろう。


 バルザロスが使う剣技は訓練によって洗練されたものではなく、戦場にて「弱肉強食」と「適者生存」の理によって選択された最適解であった。


 豪腕から繰り出される初撃は重い。シリックはミトナス本体でそれを受け止めようとしたが、思わず後退してしまったようだ。いくら鎧を着込んでいるとはいえ、まともに食らえば骨が折れてしまうかもしれない。


 初撃はあっという間に連撃に至る。


 左右からの大ぶり。かと思えば鋭い突きがシリックに襲いかかる。防御していても身を削ってくるような、獲物を追い詰める戦い方だ。本人はフェイントの一環のつもりなのだろうが、普通に強打である。


 対してシリックは、初撃の重さを受け止めた後は回避に専念し始めた。まるで踊るように、その鎧の下は動きにくいドレスであるにも関わらず、優雅に舞った。


 そして受けに回っていたシリックが突如攻勢に転じる。


 大地から天空へ。股下から脳天を切り裂くような挙動でミトナスが振るわれる。バルザロスはとっさに後退してそれを避けたが、天空を突いた穂先が今度は大地に向けて加速する。


 バルザロスはそれを後退で回避せざるを得なかった。バスターソードで受けるには、槍の動きが速すぎるからだ。


 そして距離をとってしまえば槍の方がどうあがいても優位に立つ。シリックは冷静にバルザロスの四肢を狙い、乱撃を放った。


「ぬっ……! ぬぉりゃぁ!」


「チッィ……!」


 強引にバスターソードで槍の軌道をずらし、バルザロスがシリックめがけて踏み込む。その刃はミトナスの柄の上を走り、シリックの両手を切り裂かんとした。


(ツッ……!)


 思わず呼吸が止まりそうになる。(止めるべきだ)と反射的に思ったが、シリックの顔は平然としたものだった。


 そしてシリックは槍を握る手を開き、手の平を回転させてその攻撃を避けた。ともすれば曲芸。だがアースレイの剣は彼女の思い通りにそらされる。それはまさしく芸術的な受け流しであった。


 そうやって剣の軌道をそらした後に、彼女は片手でバク転しながら距離を取ったのだった。


「ほう! 見事な腕前だ! 相当に錬られた槍術だな!」


「必死で訓練しましたからね。それにミトナスから直々に槍での戦い方を教わりました。我流ですが、聖遺物直伝です。中々やるものでしょう?」


「うむ! 嫁にも欲しいが、部下にも欲しいぞ! お前と共に戦場を駆けられたのならとても幸せだろうな!」


「まぁひどい。バルザロス様は淑女を戦場に立たせるのですか?」


「ハッ! 戯れ言を! 貴様は必要とあらば死地に飛び込む覚悟がある女と見た! ならばその際、その背中を護ることは男の本懐と言えよう!」


 嬉々として剣を構え直すバルザロスを見て、シリックはクスッと笑った。


「紳士の振る舞いは引っ込めると仰ってましたが……なるほど。あなたはやっぱりガッドル団長にどこか似ています」


「然り! これぞアースレイの血統だろうさ! 昂ぶりが収まらぬわ!」


 そう叫んだバルザロスが、一気に距離を詰めてくる。


 そしてシリックはそれを迎え撃つ。

 それを受けてバルザロスが豪快な連撃を放つ。


 しばしの間、剣戟の音が派手に鳴り響いていた。



(こいつらガチでやりあってる)


 そう判断した俺は、さきほどこっそり回収した演算剣カウトリアを背中から取りだしていた。これも聖遺物なんでバルザロスに見られるのは避けたかったが、どちらかが怪我をしそうになったら流石に止める必要がある。


 しかし見事な戦いっぷりだ。


 はっきり言えばバルザロスの方が圧倒的に強い。彼は自身のギアを少しずつ上げていき、時間が経過するごとにその一撃の重さと速さ、そして技量が増していくようだった。


 手加減しているというか、段々と攻撃のレベルを上げているって感じだな。


 対してシリックは軽やかに広場を飛び回っている。槍のアドバンテージである中距離を保ちつつ、攻撃と回避をきちんと使い分けている。冷静な戦い方だ。


 重と軽の戦い。力と速度の争い。


 だがいかに魔槍といえど、その槍が本来突き立てるべきは魔王。


 そしてシリックはこの数年でかなり槍捌きの腕前を上げたようだったが、辺境伯にして生粋のアースレイであるバルザロスを前に段々と劣勢に追い込まれていった。


 こっそりとカウトリアを灯らせながら、俺は慎重に状況を観察した。


 一手、二手、三手、四手、五手。その先まで予測し、致命的な事故・・が起きないように戦況を見守る。


 一つ確実なのは、このままだとシリックは負けてしまうということだ。


 バルザロスの余力が計り知れない。というかコイツマジで強い。もしこいつが聖遺物を持っていたら、歴代でも上位に入るほどの英雄に至れるだろう。


 ほらまた、新しい攻撃方法が追加された。今度はバスターソードの両手持ちによる、鎧ごと敵を粉砕する叩き付けだ。


 シリックの回避は間に合わない。彼女は穂先での受け流しを試みたようだが、膂力りょりょくが違いすぎる。


(そのままミトナスを大地に打ち落とすつもりか。いや待て、まともに受けたらシリックの指か手首が骨折するんじゃないか?)


 粉砕骨折――――重大な事故である。


 瞬間、愛しい娘の笑顔が思い浮かぶ。



『お父さんがいながら、シリックさんが怪我したの? へぇ?』



 ピキピキと。双角が伸びる幻聴が聞こえてくる。


 あかん。


 そろそろ止めた方が。



『どうかこのお見合いについて、前向きに検討してほしい』

『私に勝てたら、いいですよ?』


『私が勝ったら嫁に来い!』

『愛のない結婚なんてお断りです』



 だがしかし、乱入すれば全部台無しだ。普通にシリックの敗北が確定・・する。部外者である俺が助けに入るということはそういう事だ。


 そうするとあの猟犬みたいなアースレイは何が何でもシリックをめとるだろう。そのぐらいの本気があの太刀筋には込められている。


 だけどこのままじゃ、シリックが怪我をする。


 だけど乱入すれば、シリックが盗られ・・・ちまう。



 ――――ああ。



 そっか。



 盗られる・・・・ときたか。






◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 傷つけるつもりは無かったが、シリック・ヴォールは真の戦士だった。


 その眼差しは勝利を求めている。彼女はただ致命の一撃を放ってこないだけで、その戦い方はまさしく一流の動きだ。


 欲しい。何がなんでも欲しい。


 嫁とうそぶいたが、別に嫁でなくとも構わん。


 報告書では分からなかったシリックの人となりが一挙一動で伝わってくる。どれほど鍛錬したのか、どれほど苦しんできたのか、全てが悟れそうな気がする。


 傷つけるつもりは無かった。



 だが手折たおらねばこの花は手に入らぬ。



 俺のような無骨者にはきっと高嶺の花だろう。


 だがこの身とて研鑽を積んだ身。その高みに俺は至る資格がある。



 許せ、という懺悔の代わりに裂帛の気合いを込める。


 この一撃にて聖遺物をへし折るつもりで、彼女の手首ごと粉砕してくれようぞ。



「ちぇりゃああああ!」



 だが俺の最後の一撃であるはずの上段振り下ろしは空を切った。



「なっ」



 見ると、執事の姿をした男がシリックを抱えて後退していた。


 なんだ、今のは。



「――――お前、今シリックの手首を折ろうとしたよな?」



 誰だ、お前は。



「容赦の無い、そして何より愛の無いヤツだ。そんなお前にシリックをくれてやるわけにはいかない」



 なんだ、その剣は。



「確認するが、負けたと・・・・思った方が負け・・・・・・・なんだよな?」



 その瞬間、俺の背筋が氷ついた。


 目の前にいる男は執事。だがその視線は一般人のものではない。無数の死線を踏み越えて、ありとあらゆる修羅場を駆け抜けてきた異常者のソレだ。


 声を発することが出来ない。視線を外すわけにはいかない。



 今俺は、魔王クラスに危険な者の殺気にさらされている。



 そしてその男は無造作に俺に近づいてきた。


「勝負に水を差して悪かったよ。サービスだ。今から一分間、好きなように攻撃するといい」


 既に間合い。


 男の気配は異常だが、その肉体はさほど強者のオーラを放ってはいない。


 俺は躊躇いなく、それこそ殺すつもりで剣を振るった。


 一撃。二撃。三撃。四撃、五、六、七、八――――。


 全てが、かすりもしなかった。完璧な見切りですらない。まるで当たらない運命を押しつけられたかのようで。


「ぬあああああああ!」


 本気の殺意を剣に乗せる。


 だがそれは俺にとって攻撃ではなかった。


 それはまるで、命乞いだった。




「一分経ったわけだが」



 その言葉と共に。


 俺の眉間に、男が持つ剣の切っ先が突きつけられていた。


 紙一重で刺さっている。あと少し押し込めば血が流れ出るだろう。


「………………」


「どうする。次の一分で、俺の攻撃に耐えられるかどうか試してみるか」


「………………我が名はバルザロス・アースレイ。この名には重責がある。おめおめと腹をみせて降参するわけにはいかないのだ」


「そうかい」


 シュッ、と。剣閃の音がした。


「だったら、お前は負けを認めなくていい」


 まずシャツの両肩を切り裂かれた。次に手首の周りにあったカフスボタンを斬り落とされた。靴紐を全て切断された。ベルトがバックルの部分だけがカランと地に落ちた。


「俺はお前達の勝負を台無しにした、ただの乱入者だ。そして貴族に剣を向けた大罪人でもある。――――だけどシリックは渡さない」


 俺の右手からは、愛剣であるバスターソードが消失していた。


 いつの間にか、執事に奪われている。


 彼は俺の剣を地面に、まるで墓標のように突き刺した。


「シリックが欲しければ、あいつを必ず幸せにしてみせるという気概と、一生大切にするという証拠を持ってこい」


 そして執事は音も無く俺のバスターソードを、切断したのであった。


 両断されたバスターソードが地面に落ちる。そこでようやくカランとした音が響いた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 バルザロスは膝から崩れ落ちた。


 シリックパパは「はー! もー! 好きにせぇ! ワシは知らん!」と泣いている。


 シリックママは「うふふふふふふ」と笑ってる。


 周囲の使用人達の反応はまばらだが、全員がドン引きしているように見える。



 そしてシリックは。



「ロイル」


「……お、おう」



「面倒なことになる前に、逃げちゃお!」


「えっ」



 彼女は俺の手を取って走り始めた。


 シリックが身に纏っていた鎧が、キラキラと光りに還っていく。



「バルザロス様! あとお父様! ごめんなさい、私はとっても恥知らずな悪い子なので、色々と諦めてください! それとお母様、後のフォローは任せます!」


「ちょっ」


 ドタドタと俺達は駆けていく。


「あははははは!」


 何が楽しいのかシリックはずっと笑い続けていて、意味が全然分からない。


 だけどシリックがとても楽しそうなので、まぁ、いいや。











「はぁ……はぁ……はぁ……あー、疲れた」


 シリックはドレスが汚れることも気にせず、俺の家の庭先に座り込んだ。そして丁寧な動作でミトナスを地面に安置する。


「……………………」


「暑ぅぃ……もうすっかり夏の気配がしますね」


「そうだな」


 俺はコホンと咳払いを一つして、黙ってシリックの隣りに座り込んだ。


「――――それで、なんでロイルは乱入してきたんですか?」


「それは」


 なんでと言われても。


「私が負けると思ったんですか?」


「負けるというか……怪我するというか……」


「本気でやり合ってるんだから、そりゃ怪我ぐらいはするでしょうよ」


「……そんな状況を見過ごしたら、フェトラスに怒られちまうなぁ、って」


 俺が言い訳を口にすると、シリックは「こ、この期に及んで……!」とプルプル震えだした。


「……全く。ロイルは全然男らしくありませんね。どこまで臆病さんなんですか」


「おい、誰が臆病だって? アースレイの者に、あんなに勇敢に立ち向かったっていうのに」


「そうですね。じゃあもう一回聞きます。なんで乱入してきたんですか?」



 あいつに盗られたくなかったからだ。

 俺の方がお前を幸せにする自信があるからだ。



 反射的にそう思った。


 だがしかし。これは、言っていい台詞なのだろうか。


 割と致命的な台詞のような気がする。っていうか実質プロポーズだ。


 シリックは相変わらず謎の微笑みを浮かべている。


 その微笑みにタイトルを付けるのならば「確信」だということに俺は気がついた。



 これはもしかして、今の今まで全然そんな気は無かったのだが、もしかしてもしかすると。



「……お前がアイツと結婚したら、フェトラスが寂しがるだろうなって思って」


「そうですかね? 私は彼女と離れるつもりはありませんけど」


「そうは言っても、実際に結婚したら色々と変わっちまうだろ」


「うーん。どうなんでしょう。結婚したことないから分かりませんね」


「そうか……」



 少しずつ、シリックがこちらとの距離を詰めてくるような錯覚を覚える。もうすぐ手が触れてしまいそうな、そんな勘違い。



「フェトラスちゃんが寂しがると言いましたけど、ロイルはどうです? 私が誰かのお嫁さんになったら寂しいですか?」


「……どうだろう。考えたこともなかった」


「では今考えてみましょう。はい、どうぞ」


「………………」


「カウトリア使ってるくせに、なんですかその沈黙は」


「いや、なんて言ったらいいのか分からんのだ」


「普通に思ったことを言えばいいのでは? 別に難しい質問じゃないでしょう」


「お前がどこかの誰かと結婚したら…………」


 思ったことを、素直に。



「ちゃんと幸せに暮らしてるか、定期的に監視すると思う」



 そう告げると、シリックは俺の背中を強く叩いた。


「あっ、思わず手が。ごめんなさいロイル」


「…………いや、別にいいけどさ」



 だめだ。


 これはもうどうしようもないくらいに、詰んでいる。


 助けてカウトリアとか言ってる場合じゃない。


 むしろ俺は――――。



 俺はカウトリアをそっと地面に置いて、両手で自分の体重を支えた。



「お前が幸せになってくれるなら、何も言うことはない」


「ふぅん? ねぇロイル。幸せって何ですか?」


「うーん。俺の場合はアレだな。フェトラスと飯食ってる時が一番幸せかもしれんな」


「ああ、それは分かります。私もあの子と一緒に居るときは幸せですよ」


「そっか。……俺以外で、フェトラスが生まれて始めて会った人間がお前で本当に良かったよ」


「ふふっ」



 初夏の風が二人の間を通り抜ける。



「ちなみにフェトラスちゃんは今どこに?」


「遊びに行ってるよ。アイスが食いたいってぼやいてたから、セストラーデ辺りまで飛んで行ってるかもな」


「あら素敵。今度私も連れて行ってもらおうっと」


「そうだな。――――また三人で旅するのも面白いかもな」


「ええ。それは楽しそうです。とても幸せです。――――約束ですよ?」


「ああ」



 太陽に雲がかかって、周囲の色が変わる。


 シリックが着ているドレスが、存在感を示す。



「どこに行きます?」


「北の方に、寒いけど景色が綺麗な場所があるんだ。魔獣の巣みたいな所だけど」


「普通に危険地帯じゃないですか」


「俺がいれば大丈夫だ。なにせ人間辞めちまった【天使】様だからな」


「…………ロイルは変わらずロイルのままだよ」



 彼女の言葉遣いが変わる。


 さっさと投了したい気分に陥ったが、そうじゃない。


 これは非常に勇気のいる告白なのだから。



「あの、さ」


「はい」


「俺はフェトラスを愛してるわけだ」


「知ってます」


「あいつが世界で一番大切だ」


「そうでしょうね」


「しかしそれはだな、あー、なんというか、あくまで娘としての意味であってだな」


「はい」


「だから、その……なんだ…………」


 反射的にカウトリアに手が伸びそうになる。


 だけどシリックはその気配を察知したのか、俺の相棒を「えいっ」と少し離れた場所にズラした。


「ロイル」


「お、おう」


「…………回りくどいよ?」



 グッ、と。変な声が漏れた。


 よっしゃ。いいぜこの野郎。俺の剛速球をくらえ。



「さっきの見合い相手、バルザロス。アイツは良い男だ。完璧と言っても差し支えないくらいの勇者だと思う。あいつと結婚すれば、きっと幸せに暮らせるだろうよ」


「はい」


「でも」


「はい」


「――――俺の方が、お前を幸せに出来る」


「はい」


「俺はお前を幸せにしたい」


「はい」


「だから――――その……何というかだな……」


「ロイル」


 シリックはゴニョゴニョと歯切れの悪い俺の手を取って、真っ直ぐに俺を見つめた。


 そして美しく、そっと髪をかき上げて彼女は微笑んだ。



「私は次の問いかけに『はい』と答えます」



 参った。


 こんな女を逃がしたとあっては、フェトラスにボコボコにされちまう。


 いや、そんな事は関係無い。


 こいつは、俺が幸せにしたい。



 だから言ってみよう。勇気を出そう。


 セラクタルが滅ぶ可能性とか、行く末である楽園のこととか、考えることは色々あるけれど。これはフェトラスが俺にくれた『幸せになれる可能性』の最たるものだ。


 だから、俺はそれに挑んでもいいんだ。



 だから。だから――――俺はシリックがくれた保証・・を捨てた。



「次の問いかけに『はい』と答えると言ったな」


「…………」


「なら、こう聞く。お前は幸せになりたいか?」


「………………はい」


 少しの迷いの後、彼女は宣言を遂行した。


 だから俺は勇気を振り絞った。


 ありがとうから始まって、本当にたくさんの事を彼女に伝えてみたい。


 ――――まだあの言葉を口にするのは難しいけれど。


 でもいつかきっと、心の底から言える日が来ると確信して。



「俺がお前を幸せにしてやりたい。だから俺と結婚してくれ」



 はい、とは言われなかった。


 だけど彼女は「……うん」と小さく頷いた。




 こうして俺は、世界で最も美しい笑顔を見たのであった。













[たっだいまー! 遅くなっちゃった!]


「あ、あー。お帰りフェトラス」


[はいお父さん、これお土産! 生ハムの原木!]


「おお……すげぇな……高かったろうに」


[遭難しかけてた商人さんを助けたらくれた!]


「そっか。えっと、それはまぁ置いておいて、あのな」


[……? どうしたのお父さん。モジモジプルプルして。なんか可愛いんだけど]


「……あー。うん、えっとな…………お、俺はお前のお父さんじゃん?」


[うん]


「それで……あー、くそ、なんだこの感情は。ちくしょうめ」


[???]


「……フェトラス。お母さんほしくないか?」


[シリックさん以外ならお断りかな]


 即答だった。


 予想していたスピードの百倍は速い。


 だけど俺はそれに戸惑うことはなく、むしろ少し笑えるような気持ちになった。


「……そっか。ええと、そのシリックとなんだが、その……けっ、結婚しようかな~……って……」


[……お父さんと、シリックさんが?] 


「う、うん」


[お父さんとシリックさんが、結婚するの?]


「お、おう。そうだ。俺はお前とシリックの三人で、幸せに暮らしてみたい」




 こうして俺は、世界で最も綺麗な笑顔を見たのであった。





 満点の星空に、極光オーロラが浮かぶ。


 喜びのあまり大興奮したフェトラスが夜空を駆けて、衝動的に世界に光をもたらしたのだ。


 天変地異の前触れかと騒がれたけども、その美しさは人々の心に残ったそうな。





 こうして、とある農家の男と貴族のお嬢さんが結婚しました。彼等は連れ子と一緒にいつまでも楽しく暮らしたそうです。


 だけどそれは言い方を変えると、貴族のお嬢さんが「人間を辞めた天使」と「月眼の魔王」と家族になることを選んだわけで。

 


 彼等の共通の友人はこんなことを言ったそうです。


「――――昔は魔王を拾って育てたロイルのことを極めつけの異常者だと思ったものだが。……シリック、君はその上をいく。最早私は君という存在を形容する言葉が思い付かない」


 ともあれ。


「――――結婚おめでとう」



 彼等はたくさんの人々から祝福されたのでしたとさ。




         おしまい。




 

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― 新着の感想 ―
[一言] 一気に完結まで読んで楽しませてもらいましたが、寝不足が続いて辛かったです。 さらなる後日談を期待するのも野暮かもしれませんが更新されたら必ず読ませていただきます。
[良い点] ボリュームが多い! [一言] もう書籍化しても良いんじゃ無いかな
[一言] 久しぶりに読み応えのある良い作品に出会えた事に感謝します
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