月の証明・後半
[お父さん、少し落ち着いたら?]
「……そ、そうは言うけどな。あいつに何かあったらだな」
[不安な気持ちは分かるけど、そうやってウロウロしてても疲れるだけだよ]
「そ、そうは言うけどな」
お父さんは扉の前をウロウロしている。
もう何時間もずっとだ。
……ちょっぴりジェラシー。
そして少しだけ怖い。
数年前、お父さんはシリックさんと結婚した。
シリックさんを愛してるって。だから結婚したいって。お父さんは私にそう言った。
彼女を愛してる。――――それは私への気持ちとは種類が違うらしいけど、少しだけ大人になった私は案外あっさりとそれを受け入れた。そもそも私の願いはお父さんが幸せになることだ。
私もシリックさんが大好きだったし、お父さんと同じくカタチは少し違うけど、愛してるって言っても過言じゃなかった。だから私は二人を祝福した。少しだけ、ほんの少しだけ心にざわめきとモヤモヤとした感じを覚えることもあったけど、どちらかと言えば素直に笑うことが出来た。
シリックさんのことを本名で呼ぶことには違和感があった。
だけど、彼女のことを「お母さん」と呼べるのは嬉しかった。
私は新しい宝物を手に入れたのだ。
でも、もうすぐ子供が産まれる。
お父さんとお母さんの子供だ。
私にとっては、血の繋がらない弟か妹が生まれてくる。
少しだけ、なんて嘘。
本当はすごく怖い。
私はお父さんの娘。
だけどもうすぐ、お父さんの血を分けた実の子供が産まれてくる。
怖い。とっても怖い。
お父さんがシリックさんと結婚した時とはワケが違う。
もうすぐ産まれてくる子は、私と同じ属性を持つのだ。
私だけのお父さんは、もうすぐ私だけのお父さんじゃなくなる。
簡単に負けてやるつもりは当然ないけれど、それでも怖いものは怖い。
絶対に変わらないモノがある。
だけど、この世の中では変わってしまう事の方が多い。
(お父さんは……私よりも、その子の方を強く愛するのかな……)
そんな不安は、シリックさんのお腹が大きくなるのと同じ速度でゆっくりと私を蝕んだ。
赤ん坊のことを考えると、リリムくんのことを思い出してしまう。カフィオ村で出会った、シールスさん一家の長男。とても小さな男の子。
彼は私のせいで死んだ。私が魔族を呼び寄せたから。
……やっぱり私は魔王だから、無垢な赤ん坊と過ごすのは難しいかもしれない。
この星に産まれてくる全ての命は、魔王という存在を忌避している。それは神々によって組み込まれた本能だ。
そういったことも踏まえて。今更魔族が私に近寄ってくるとは思えないけど、やはり産まれてくる赤ん坊への影響は計り知れない。
私は魔王フェトラス。
殺戮を知るもの。
――――考えが、悩みが、思考が、泥沼に飲み込まれていく。
もしかしたら赤ん坊がある程度成長するまでは、私は家を出た方がいいのかもしれない。
きっとお父さんとお母さんは赤ん坊をとても大切にする。きっと愛してしまう。
そして私はその生活の中でお父さん達からの『愛のサイズ』を気にしたり、嫉妬と羨望を抱いたり、我慢したり我慢出来なかったりを繰り返すんだと思う。
そんな現実を突きつけられて寂しい思いをするくらいなら、いっそ――――。
自分の中に生じた明確な『嫉妬』の心。
それをこんなに強く感じたのは産まれて初めてだ。
私は意外と独占欲が強かったらしい。
だけど、そんなモヤモヤをお父さんに知られるわけにはいかなかった。
これがバレたら、お父さんはきっと悲しい顔をする。だったらこれは絶対に知られてはいけない。秘密にしなくちゃいけない。
私は出来るだけ心を静かに保って、感情が揺れないように努めた。
それは他の人から見ると、まるで私が成長したかのように見えたらしかった。
「フェトラスはまだ赤ん坊が産まれてもないのに、すっかりお姉さんっぽくなったなぁ」
[……ふふっ、それってどういう意味?]
「んー。なんていうか、色んな意味で大人になったな、って」
嬉しそうに微笑むお父さん。
泣き叫ぶ私の心。
私はずっと、お父さんの子供でいたいよ。
私だけのお父さんでいてよ。
そんな言葉を隠して、私は「フッ」と失笑してみせる。
[当たり前じゃない。何歳になったと思ってるの?]
「…………まだ十歳にもなってねぇなぁ」
嘘はバレなかった。
秘密は露呈しなかった。
そして今夜、新しい命が産まれる。
カウトリアを使ってもお父さんの心は落ち着かなかったので、私はお父さんの相棒を没収していた。延々と祈る事にしか使えないからだ。それにどうあがいてもこれは武器。命の誕生の際には必要の無いものだ。
座って、とお願いしてもお父さんはウロウロ歩き回るのが止められなかったので、私はひっそりとため息をついてカウトリアに話しかけた。
(ねぇ演算の魔王ちゃん。もうすぐ赤ちゃんが産まれるよ)
演算剣は何も答えない。
(……あの時のあなたに比べると、いま私が抱いている感情はとてもちっぽけなモノなんだと思う)
演算剣は何も答えない。
だから、覚悟は自分自身で決めるしかない。
(初志貫徹。私は、お父さんの幸せを願うだけ)
演算剣は、何も答えてはくれなかった。
やがて扉の向こうで、少し慌ただしい雰囲気が発生する。
シリックさんの悲鳴。お産婆さんの優しい怒鳴り声。
誕生は近い。
私は死の鳥ディリアのことを思い出した。
泣き声が聞こえてきた。
とてもか弱く、だけど必死な赤ん坊の泣き声が。
「ふふふフェトラスッ! 産まれた! 産まれたっぽい! もう入ってもいいかな!?」
[まだダメでしょ。たぶん今が一番忙しいと思うよ]
「すげぇ……! お前冷静だな! 頼もしい!」
お父さんは駆け寄ってきて、私の手を握りしめた。
「い、一緒に入ろうな。うわぁ、ドキドキする。大丈夫かな。母子共に健康かな」
[すごい早口だね]
思わず笑みがこぼれる。それぐらいお父さんは慌てふためいていた。
やがて赤ん坊の泣き声は静まり、扉が開かれる。
表れたのは清々しい顔をした、汗だくのお産婆さん。
「おめでとう。立派な男の子だよ」
「――――ッ!」
お父さんがシリックさんの、お母さんの本名を呼びながら部屋に突っ込んでいく。まるで引きずられるように私も中に入って、その光景を見た。
すごく顔色の悪い、だけど「やってやりましたよ」という達成感と満足感と多幸感と、溢れ続ける愛を表情に浮かべたお母さんがいた。
「だ、大丈夫か?」
「はい……いや、本当はちょっと死にそう……。つ、疲れたというか……呼吸が止まりそうな気分……」
フッ、と。繋がれた手が解かれる。お父さんはお母さんに駆け寄って、泣き始めた。
「何も出来なくてごめんな。ありがとう。本当にありがとう。お前が無事で良かった」
「ふふっ……ほーら、パパですよー…………ロイル、抱いてあげて?」
「お、お、おう。任せろ。いや、やっぱっりちょっと待って。お手本見せて」
ブルブルと震えるお父さんの背中を、お産婆さんが「バチーン!」と叩いた。
「落ち着きな。ほら、こうやるんだよ」
お母さんからお産婆さんへ。そして、お産婆さんからお父さんへ。
「首がすわってないから気を付けな。そして絶対に落とすんじゃないよ。気を付けるのはそれだけだ。後のことはすぐに理解出来る」
「は、はい」
布にくるまれた小さな命。顔がよく見えない。
だけど少しずつ、お父さんの顔に浮かんでいた緊張感が、だらしなくほどけていくのがよく見えた。
言葉に出来ない気持ちを、言葉にする必要性がない。お父さんはただ幸せそうに泣いた。
「…………」
ふと、お産婆さんがじっと私を見つめている事に気がついた。
元英雄で、王国騎士を引退してお産婆さんになった人だ。ザークレーさんの紹介で、半ば拉致するような勢いで今回のお産を手伝ってもらっている。
[……あっ、どうもありがとうございました]
「いいさ。これが今のアタシの生業さね。…………しかしまぁ、不思議だねぇ」
[なにがですか?]
「月眼の魔王、か。…………初めて見た時は心臓が爆発したかと思ったんだけどねぇ」
[あ、あははは……]
「――――大丈夫。今のアンタなら、大丈夫さ」
[……?]
お産婆さんはクールな笑みを浮かべて、ポンと私の肩に手を置いた。
「そんな顔して家族を見守れるのなら、あんたは何があっても大丈夫」
[えっ……?]
「やれやれ。アタシゃ疲れたから、休ませてもらうよ」
そう言ってお産婆さんは客室へと消えていった。かなりの高齢なのに、お母さんに半日以上付き添っていたのだからその疲労具合はたまらないものだろう。
私はその後ろ姿にぺこりと一礼して、お父さん達の方へと向き直った。
「やべぇ……か、可愛すぎる……なんだこれ……」
いままで見たこともない表情で顔を蕩けさせているお父さん。
胸の奥が「きゅう」となる。
嫉妬と、不安と、恐怖。
――――だけどそんな仄暗い感情は、次の瞬間に消し飛んだ。
「ほら、見ろよフェトラス! お前の弟だぞ!」
輝いていた。
お父さんの瞳が、表情が、言葉が、全身が幸せだと訴えていた。
[これだ]と。その瞬間に、私は悟った。
これこそが、私の見たかったモノなのだと。
《――――えっ?》
気がつけば私は加速していた。
お父さんから預かっていた演算剣カウトリアが、ほんの少しだけ光を放っていた。
何故? どうして? 私は魔王なのに、どうして応えた?
演算剣の言葉は聞こえない。
だけど、その光は私を抱きしめるかのように包み込んだ。
《――――――――。》
(……ああ、そうか。お父さんは私じゃない誰かを愛していいし、私も誰かを愛していいんだね)
《――――――――。》
(私も、お父さんも、この赤ん坊も。誰もが誰かを愛していいんだ)
《――――――――。》
(お母さんとか、友達とか、この子とか、世界中を)
にっこりと。カウトリアが笑ったように思えた。
一瞬後、お母さんが私を見つめていることに気がついた。
「フェトラスちゃん。あなたもその子のことを抱っこしてあげて」
[……いいの?]
私、魔王なんだけど。
「当たり前よ」
あなたの家族なんだから、と。お母さんの目はそう言っていた。
「いやもうちょっと待ってくれ。この軽さと重さがヤバいんだ。どうしよう」
「もう、はしゃぎすぎよロイル」
「仕方ないだろ。だって、ほら、ヤバい」
[ヤバいのはお父さんの語彙力だと思う]
ふふっとお母さんと笑い合って、私はそっと手を伸ばす。
[私にも抱かせて]
「お、おう。首がすわってないから気を付けろ。あと絶対落とすな。あとはすぐに理解出来る」
[それ、お産婆さんの台詞を繰り返しただけじゃない]
苦笑いを浮かべて赤ん坊を受け取る。
こんにちは、私の弟。
――――お父さんをとっちゃう人間。
そして私は彼と対面した。
それはちょっとビックリする生き物だった。
頭に毛は無く、歯も無い。
顔は真っ赤で、シワだらけだ。
動きも緩慢で、全身は極めて柔らかい。これでは生き物としてあまりにも脆弱すぎる。あと一年ぐらいお腹の中にいるべきではないだろうか。
「な、な、な!? めっちゃ可愛いよな!」
お父さんが大興奮でそう言ってくるが、正直に言うと私は戸惑っていた。
(……か、可愛くはないかなぁ)
むしろちょっと不気味ですらある。この腕の中にある命は、あまりにも生々しい。
だけど何故だろう。
このあまりにも軽い身体に収まっている命は、あまりにも重すぎた。
見た目――可愛らしくはない。
スペック――弱すぎる。
他に言うべきことは見当たらない。
だけど私は怖くて震えた。
この子を抱き続ける責任は、セラクタルよりも重い。
[お、おとっ、お父さん]
何故か上手に喋れない。
私の焦りはお父さんに伝播して、彼もまた私と同じくらい慌てふためく。
「ど、どうした」
どうした。どうしたんだろう。私は。
命だ。この世界にたった一つしかない命が、その未来と運命の全てを委ねて私の腕の中に収まっている。彼が歩むであろう人生の全てが、これから続いていく。
絶対に彼を落としてはいけないという覚悟が決まる。
そして、感情が溢れかえった。
[……ヤバい]
ああ、違う。そうじゃない。そんなことを言うつもりじゃない。
[えっと、なんだろう。なんだっけ。えっとね、ええっとね?]
「お、おう。どうした」
腕の中に命がある。
お父さんとお母さんの子供が。
私の弟が、ここに居る。
[可愛すぎてヤバいんですけど]
ぽろりとこぼれ落ちた言葉は、究極の真実だった。
[えっ、ちょっと待って。なにこれ。すごくない? やだ。かわいい。すごく愛おしい。なにこれ。目元がお父さんにそっくり。でも口元はお母さんかな? ……ほっぺったすごく柔らかいよ!?]
「そうだろ!? そうだろ!?」
「あなた達……あんまり赤ん坊の近くで叫ばないでね……」
[あ、うん! というかちょっと待っててね!]
私は素早く赤ん坊を包んでいた布を剥ぎ取って、それをぽいと投げ捨てた。
「な、なにしてんだ!?」
[こんな布きれより精霊服の方が良いに決まってるでしょ!]
小声でそう叫んで、私は自分の精霊服――レインと名付けた私の大切な相棒――の左腕部分を変化させた。するりと解けたそれが、ベビー服となって赤ん坊を包み込む。
[よし。高速反応かつ高防御、それでいて圧倒的柔軟性。ついでに自動洗浄機能付き。……頼んだわよレイン。この子をしっかり護ってあげてね]
白い精霊服がしっかりと弟を包み込む。私はふんだんに魔力を注ぎ込んで、ちょっとありえないくらいの防御を施した。
「流石フェトラス! 頼もしい! レイン、マジで頼むぞ!」
[これならおもらししても安心だよ! やったね!]
きゃいきゃいとお父さんと喜びを共有する。
[どうでちゅかー? 気持ちいいでちゅかー? ほーら、さらさらでしょう? レインはとっても優秀なんだからねー?]
ベロベロバー、とおどけて見せるが、弟くんは反応を示さない。たしか生まれ立ての赤ん坊は、まだ目が見えてないに等しいとは聞くけど。
[…………うわぁ! この子の瞳、すっごく綺麗!]
「マジでマジで!? まだお目々はまだ見てねぇんだよ! 貸して!」
[やだ! でも、ほらほら見て! お母さんとおんなじ、青みのかかった紫! 宝石よりも綺麗!]
「うおおおお……やべぇ……なんだこいつ……くぅぅぅ!」
お父さんはパッと私達から離れて、お母さんの元に駆け寄った。そしてそっと彼女を抱きしめる。
「ありがとうな……本当に、本当にありがとう……」
「もう……でも、ちょっと安心した」
「んあ? 何がだ?」
「ロイルがそんなに子供好きだとは思わなかったから」
「いやこんなん見たらしょうがないだろ」
お父さんは少し照れながらそう呟いて、お母さんにそっと唇を重ねた。
「愛してる。本当にありがとう」
「…………ふふっ。痛い思いをした甲斐があったわ」
そう言って絵本に出てくる女神様みたいに微笑んだお母さんは、静かに横たわった。
「流石に限界だから……ちょっと寝るわね……」
「おう。ゆっくり休んでくれ。この子のことは俺が面倒見とく」
「うん……よろしくね……」
そう言ってお母さんは、まるで気絶するかのようにすとんと眠りに落ちた。顔色は悪かったけど、呼吸は確かだ。
「さて、さて……フェトラス。その子をこっちに。俺が面倒みとくから」
そう言って両手を伸ばしてきたお父さんに対して、私は半眼になった。
[何言ってるのお父さん? 私は地上最強の魔王様なんだよ? どう考えてもこの腕の中が史上最高の安全地帯]
「……いやいやいや。俺はスペシャルなチューンナップを施された天使だぞ? 迫り来る危機への対処速度は俺が世界一位だ」
[あははは。この子を包んでる精霊服は優秀だから大丈夫。それに魔力を注ぎ続けないと、この子を護れない。あー大変だー。私がずっと抱っこしてなきゃー]
「ずるくない?」
[それにほら、赤ん坊は異性に抱かれると安心するって言うじゃない? つまりどう考えても私が抱っこすることが最善策]
「い……いや、そんなことないだろうよ……ほら、俺お父さんだし……」
[はーい弟くーん。おねぇちゃんですよー。あなたはとっても可愛いでちゅねー。――――何があってもお前は私が護る。この魔王の腕に抱かれ、安心して眠るがよい]
「いやそんな急に魔王ムーブされても」
お父さんはずっと両手をこちらに差し出し続けている。
からかいすぎたのか、その口元は「へ」の字に歪んでいた。
「お、俺にも抱っこさせてくれよぅ……」
その余りにも情けない声に、私は思わず吹き出した。
「なんて声だしてるのよお父さん」
「いやだってぇ……俺の息子ぉ……」
「はいはい……って、これ渡す時すごく緊張するね……」
「べっ、ベッドの上でやろう! なんか怖いし!」
「そだね!」
私は恐る恐る弟くんをお父さんに手渡して、近くにあった椅子にすとんと座り込んだ。
「いやぁ……大変だ……見た目はお世辞にもキュートとは言えないけど、完璧に可愛い……なんてこった……私の弟くんはヤバい……」
「本当になぁ……これはビビるなぁ……」
「……良かったね、お父さん」
「おう。なんつーか、めっちゃ安心した。あとは母さんの産後をしっかりと見守っておかなくちゃな」
「うん。私も協力するよ!」
私がそう言って微笑むと、お父さんは嬉しそうに目を細めた。
「……お前にもありがとうだな」
「なにが?」
「……あれ?」
「ん?」
「……お前、月眼が鎮まってるぞ」
「え」
パチパチと瞬きをしてみる。
「そうなの? あんまり自覚無いんだけど」
「いや、黒い目に戻ってる。なんかすげぇ久々に見たな」
「えぇ……? なんで急に…………」
理由が全く分からない。本当に月眼が鎮まったのだろうか?
でも、大したことじゃない。だから私はこう言った。
「……ま、いっか!」
「いいのかよ。え、でもマジで鎮まってるよな。なんで?」
「分かんないけど……うーん……ちょっと待ってね……」
スッと意識を鎮める。
深呼吸を一つ。
[……どうだ!]
「おお、月眼になった」
[………………どうだ!」
「黒い目に戻った!?」
「やった、コントロール出来た。流石は私。やれば出来る子。お父さんの子。そしておねぇちゃん」
ふふふ、と笑みをこぼすとお父さんが首をかしげた。
「どうやってコントロールしたんだ? オメガさん達が知ったら大興奮ものだぞ」
「んとね、なんていうのかな……説明が難しい……感覚的な表現になるけどいい?」
「そら全然構わんが……」
「ラベルとボトルの話があったじゃん」
私は近くにあった水差しを手に取った。
「私は魔王。フェトラス。お父さんの子。全部ひっくるめて十三番目の月眼。極虹の魔王」
「そうだな」
くるくると手の中で水差しをもてあそんで、そっと元の位置に戻す。
「容れ物があって、中身がある。ラベルは分かりやすくするため。でもさ、もう十分なんだと思う」
「……つまり?」
「月眼じゃないと愛を証明出来ない、みたいな。そういう焦りが無くなったのかな」
「……?」
「ほら月眼って、愛の証みたいなものじゃない?」
「まぁ確かに。魔王が愛を知った時、その瞳は輝きを放つ」
「でも弟くん抱っこして、分かったの。カウトリアも少し手伝ってくれたし。そして何より、お父さんの情けない声のおかげ」
「カウトリアが……っていうか、俺の情けない声ってなんだよ。あれか? 抱っこさせてくれーって所か?」
「そう。あの情けない声を聞いて、ふふっ、嫉妬してた自分がバカみたいだなって思えて」
「お、おう」
「弟くんを抱っこした時、私はこう思ったんだ」
――――この子を護るためなら、私は何でもする。
「出会ったばっかりかもしれない。でも、本当の気持ちなの」
「……そうだな」
「お父さんは私を一番に愛さなくてもいいし、私もお父さんを一番に愛さなくてもいい」
「――――。」
「だって愛の証なんて無くたって、愛してる事実は変わらないんだから。きっと今の私達にとって順番なんてささいな事なんだよ。ずっと一番だけど、時々は違う。でもそれでもいいんだって……そんな風に思えたのかな? だから月眼でいる必要も無くなった。……そんな感じ!」
「……そっか」
「きっとラベルもボトルも、もう私達には関係無いの。だって言わなくたって分かるでしょう? 既に証明は終わっている。だから、もう大丈夫」
宇宙のような黒い瞳に、月が浮かぶ。
[愛してるよお父さん]
「俺もお前を愛してるよ」
「……月眼じゃなくても、この気持ちは変わらないって信じられる?」
「あったりめぇだ」
「それが確信出来たから、コントロール出来たんだと思う」
これは余裕の気持ちだ。
世界で一番愛してる。だけど一番が複数あっても間違いではないのだ。
友愛、親愛、恋愛、相愛、慈愛。たくさんの愛を私達は持っていいんだ。
「ねぇお父さん」
「おう」
「弟くん抱っこさせて?」
「交代早くないか!?」
「だってめっちゃ可愛いんだもん!」
「……確かに! 名前なんにしようかなー! なぁ、お前はなんて呼ばれたい?」
幸せだ。
ふふっ、と笑みがこぼれる。
月が見えなくても、月は変わらずそこにある。
見えなくなったからといって不安になる必要はない。
満ちては欠けてを繰り返すそれは、きっといつまでも在り続けるのだから。
こうして私は、「とんでもないブラコンだな」とからかわれつつ、色々と幸せな人生を送るのであった。
月は沈まない。
見えなくなることはあるかもしれないけど、きっと変わらずに寄り添ってくれる。
そんな風にして、私はまたこの世界で別の愛を見つけたのであった。
「ところでこの子。天使の子供で、月眼の魔王の弟で、何よりお母さんの子なんだけど」
「……どうしよう。絶対に普通の人生が歩めそうにない」
私達は顔を見合わせて、幸せな苦笑いを浮かべた。
EX・月の証明
おしまい