5-34 三年後の世界にて
「ここか」
俺は神様からのタレコミに従って、とある魔族の集落を訪れていた。崖の多い山岳地帯。そこには多数の洞窟があって、あまり戦闘意欲が高くない一族が住んでいるらしい。そしてその中の一名が【神理】に至りそうだとかなんとか。
洞窟の穴がたくさん見える。そんな村の入り口で俺は大声を張り上げて自分の姿をさらした。
「さて、お仕事の時間だ。――――お邪魔しまーす! 人間でーす!」
今回はどんな対応だろうか。会話から入るか、あるいはいきなり攻撃されるか。
そして間も無くドタドタと魔族が飛び出すように姿を現し、今にも魔法を撃ち出して来そうな気配を放ってきた。数は六名。戦闘向きではないと聞いていたが、良い練度だ。
しかし待てども待てども攻撃は放たれない。どうやら慎重な種族らしい。
(つーことは、前々回のパターンが流用出来るな)
俺はカウトリアを鞘に入れたまま掲げて、ついでに片手も上げた。武器を所持した上でのバンザイ。そしてしばらく動かないでいると、一人の魔族が声を発した。
「貴様、何者だ!」
その固い口調の問いかけに、俺はやんわりと答える。
「人間だよ。ここにベルパールって魔族はいるか?」
相手方はピリピリとした緊張感を放っているが、俺は平然とした様子を見せ続ける。すると一人の魔族が堂々と俺の方へと歩み寄ってきた。そして彼が立ち止まったのは、およそ十メートルほど先の位置。
「……何故人間がベルパールを知っている」
ベルーパールとやらの関係者だろうか。彼は強い眼差しで俺を睨み付けた。それを受け止めて、かすかに微笑んでみせる。
「その名前を持つ魔族が困ってるって聞いてな。助けに来た」
「……は?」
目の前の魔族――枯れた木のような肌を持つ者――のぎょろりとした目が俺を見つめる。
「……質問は三つだ。お前は誰だ。誰から聞いた。アレをどうやって助けるつもりだ」
「質問に答えるよりも早い納得の方法があるんだが、試してみるか?」
「……良かろう」
一秒後。俺は魔族の背後に立ち、カウトリアの鞘でポンと肩を叩いた。
「なっ!?」
「こんな感じだ。んで、普通の魔族はこれを五回ぐらい繰り返すと納得してくれる」
「人間がぁッ! 気安く触れるなッ!」
振り返りざまに魔法を放とうとする魔族。俺はすぐさま五メートルほど退避して声をかける。
「ええと、君の名前はドロイアス君か。この村でも結構強い部類に入るっぽいな。ちなみに俺は戦う気が無い」
「貴様、聖遺物使いか……!」
「ご名答。どうする? あと何回ぐらい試す?」
「…………【炎閃】ッ!」
彼が詠唱のために口を開いた瞬間。再び距離を詰めて、彼の肩をまるでチームメイトのように抱いてやった。
「どうだろう。とりあえず俺の話しを聞いてくれないか?」
そう言った後で、魔族の放った魔法が大地を少しえぐった。タイムラグが酷すぎて魔族の表情に不安の色が強く混ざり込む。
「な、な、な……」
「その表情の意味を俺はよく知っている。お前の次の台詞を当ててやろう。『私ごとこの人間を殺せ!』だ」
「…………私ごとこの人間を殺せ!」
素直なヤツだなぁ、と少しだけ笑ってみせる。俺は魔族を抱きかかえてその場から退避。その直後、五つの魔法がその場所を爆破した。
そっと魔族を地面に降ろすと、彼は固くつむっていた目を開いた。そして自分がまだ生きていることを知った彼は戸惑ったように周囲を見渡して、更なる戸惑いが生まれたようだった。
「……ど、どういうことだ」
「別に戦いに来たわけじゃないんだよ。ベルパールってヤツを助けに来ただけ」
「人間が、何のためにそんな……」
「ごめんな、実は一個だけ嘘ついてた。目ん玉かっぽじってよく見てみろよ。俺が人間に見えるか?」
「……………………!?」
魔族の乾いた瞳が、驚愕に染まった。
「な、何なのだお前は?」
「さてね。とりあえずお前だけでいい。俺を信用しろ」
その魔族だけを連れて、俺はベルパールが監禁されているという洞窟に近づいた。他の魔族からの強烈なプレッシャーは無視する。
「この先の牢屋にベルパールはいる」
「そうか。じゃあ俺が先に進むから、お前は後ろから付いてきてくれ。ちなみに俺は魔法の気配を感じることが出来るから、不意打ちは無駄だ」
「……試してみてもいいか」
「どうぞ」
俺がトコトコと進むと、本当に後方から魔法が放たれる気配が見えた。
神速で魔族の背後に立つ。彼からすると俺がいきなり消えたようにしか見えなかっただろう。俺はそんな彼の肩に手を置いて「まぁ、こういう感じだ」と親しみを込めて言った。
「……どういう、どういう聖遺物なのだそれは? あまりにも一方的すぎるではないか」
「教えてやらない」
「……では一つだけ答えてほしい。なぜ私達を殺さないのだ?」
「殺す理由が無いからだよ」
俺はもう一度彼の肩を叩いて、真っ直ぐに洞窟を進んだ。
もう魔法が放たれる気配はしない。
ベルパールちゃん(♀)は洞窟の奥でしくしくと泣いていた。
背後にいる魔族と同じく、枯れ木のような肌。かなり乾いているらしく、目や口元は濁っていた。
口から零れるのは「どうして?」という言葉ばかり。少しだけ耳を澄ますと、それが禁忌的な問いかけであることに気がついた。このままでは【神理】に至ってしまい、確実に手遅れになるだろう。
振り返って後ろに立つ魔族の顔を見ると、少し苦しそうな表情をしていた。彼女が口にする言葉に当てられて頭痛がしているようだ。
「耳を塞いでおいた方がいいぞ。この子の言葉は毒だ」
「……答える気が無いようなので、お前が何者なのかはもう問わぬ。だがどうやってこのベルパールを救うつもりなのだ。そもそも、彼女に一体何が起きているのだ?」
「基本的に俺は何も説明しない。そして出来れば命令もしたくない。ただ穏便に済ませたいだけだ。ああ、忠告はしておこう。この子のようになりたくなければ耳を塞いでおけ」
しばし見つめ合う。そして彼は大人しく耳を塞いだ。
人間が禁忌に触れすぎると「魔王崇拝者」と呼ばれるようになる。極めると【神理】に片足を突っ込んでしまい発狂度合いが跳ね上がる、もしくは死へ直行だ。
では魔族がそうなってしまった場合は何と呼ばれるのか。答えは「気が触れた者」だ。つまりは特別な名称が無い。魔族が禁忌に触れることは滅多に無かったからだ。【神理】に触れる者はなおさら少ない。
しかし現在のセラクタルは神様の管理から外れている。なので少しずつだがベルパールちゃんのような症状が増え始めていた。
ベルパールちゃんは虚ろな目で涙をこぼしながら「どうして」と繰り返す。
「こんんちはベルパールちゃん」
「……誰?」
「お前らの大嫌いな人間だよ」
そうやって刺激を与えると、彼女の視線に理性が少しだけ戻った。
「なぜ人間がここに。それにどうしてドロイアスは耳を塞いでいるの?」
「君を助けに来たって言ったら信じるかい?」
「助ける……? この牢屋から出してくれるの?」
「ああ。こんな所で一人きりでいたら、ますます頭がこんがらがっちまうからな」
そう言って俺は地面に腰を降ろした。
「さてさて。早速だけどコレを見てほしい」
懐から取り出したるは指揮者が持つ棒みたいな聖遺物。
その名も消却杖オビオン。消費系の聖遺物であり、その能力は「相手の記憶消去」だ。ちなみに自分の記憶の一部を消費する、ほとんど代償系に近い危険物でもある。まぁ俺はオビオンを解放させられるのでその辺は問題無い。
カルンの私物だが、借りパクしている。だってこれめちゃくちゃ便利なんだもん。絶対に返さんぞ。
俺はカウトリアに「いつもの事だが、これは浮気じゃないぞ」と一言告げて、消却杖オビオンを解放させた。
指揮者棒のような聖遺物がほんのりと緑色に光る。
「さぁ、何か気になることがあるんだろう? 話してみてくれ」
「……ど、どうして私たちは短命なの?」
「はい忘れて」
「どうして身体の成長が他の生き物よりも圧倒的に早いの?」
「それも忘れよう」
「まるで私たち魔族は、この世界から受け入れられてないような」
「そんなことは無いぞ。あとドロイアス君。ちゃんと耳を塞ぎなさい」
「私たちは何のために生きているの?」
「幸せになるためだよ。誰かを愛するのが一番良い方法だ」
「どうして私たちは、魔王に惹かれるの?」
「それは忘れよう。そして是非、好きな人に惹かれてくれ」
的確な問題点を無理矢理消していく。彼女の【神理】値はどんどん減っていったが、どうやら最後の一歩が踏み出せないようだ。
「何かとても気になることがあるみたいだけど、それは何かな?」
「……どうして人間なんかにそれを言わないといけないのよ」
ピリッとした空気。理性が戻るにつれ、敵意も蘇ったようだ。治療が進んだ証拠でもある。
「いいから、言ってみな。俺が答えてやるから」
俺が優しくそう告げると、ベルパールちゃんは少し間を置いて本音を語った。
「…………どうして私は、魔王になれないの?」
「意外と過激な性格だったんだな!?」
自分の種族に対する疑問はいいとして、自身が魔王になることを望む『逸脱希望』。これはかなり危うい【神理】だ。人間で例えるなら『お腹が空いたから人間を食べましょう』と本気で言っているようなもの。その発想は確実にこの世界を乱す。
「だって魔王になれば、みんなにもっと」
「忘れろ! お前はお前だ!」
消却杖オビオンを使って、彼女の【神理】値をかぎりなくゼロに近づける。
これで大丈夫だろう。とんでもない才能があればまた発症するかもしれないが、だいたいこの症状は『閃き』に近い発想力がいる。先天的に持っていたスコア自体を下げているので、再発したケースは未だ無い。
ベルパールちゃんはキョトンとした表情を浮かべて首を傾げた。
「……どうしてドロイアスは、あなたを攻撃しないの?」
「俺が敵じゃないからさ」
そう言って立ち上がる。俺は振り返って、耳を塞いだままの魔族に「もういいぞ」とジェスチャーした。
「彼女に何をした……?」
「さてね。聞きたきゃ彼女自身に聞いてみろよ」
俺がそう言うと、彼はおずおずと牢屋に近づいた。
「ベルパール。具合はどうだ」
「ねぇドロイアス、この人間なに? なんでこんな所に……あれ? そもそもなんで私は牢屋に入れられてるんだっけ?」
「ベルパール……お前……」
「うわ! 私ホコリ臭い! シワの間に汚れがいっぱい! ど、ドロイアス! お水! お水ちょうだい!」
「ベルパール!」
彼は牢屋の柵に飛びついて、おいおいと泣き始めた。
さて。俺が一人で洞窟から出ると確実に攻撃されてしまうのでドロイアス君には付いてきてほしいのだが。
しかしそこはかとなく良い雰囲気を感じたので、俺は黙って彼等が落ち着くのを待ったのであった。
ドロイアス君に連れられて村の入り口まで戻る。他の魔族は敵意と「何しに来たんだコイツ」という視線をジロジロと叩き付けてくるが、全部無視した。
そして最後に、ドロイアス君がぽつりと呟く。
「……礼を言うべきなのだろうか」
「別に感謝されたくてやってるわけじゃない」
「では何を望む。対価を言え」
「対価なぁ……んじゃあ、もしも他の魔族で似たようなヤツがいるって話しを聞いた時は『そいつに近づくな』と『その言葉に耳を貸すな』って警告してやってくれ。たぶんそう遠くない内に俺が治療しに行く。――――ああ、ついでにあんまり人間を襲うなとも言っておいてくれ」
「……最近人間の動きが奇妙だとは聞いていたが、お前に関係しているのか?」
「俺だけじゃない。世界丸ごとが関係している。いつか人間と魔族で宴会をしてみたいってのが俺の最近の夢だ」
「全く分からん。お前はいったい何なんだ。……だが圧倒的な事実として、お前はベルパールを助けてくれた」
魔族は凜と背筋を伸ばして、それから俺に頭を下げた。
「ありがとう」
「いいってコトよ。二人で仲良く幸せに暮らしてくれ。んじゃ、用も済んだし俺は帰るわ」
「待て。最後に……お前の名前を教えてほしい」
「あんまり名前を広げたく無いんだよな」
俺がそう答えると、ドロイアス君は少しだけ残念そうな表情をした。
「だから誰にも言わないでくれよ? ロイルだ」
一瞬の驚き。
そしてドロイアス君は、綺麗に苦笑いを浮かべて見せたのであった。
魔族の村を後にした俺は地図を開いた。次の場所はそこそこに遠い。場所を確認しつつ俺は岩陰に潜ませておいた魔獣に声をかけた。
「よう。待たせたなイリルディッヒ」
《早いな。もう終わったのか》
「いい加減慣れたからな。イレギュラーさえ無ければ、対応のパターンというか、コツはもう掴んでいる」
《ふむ。実際の現場をあまり見たことがないので何とも言えないが、そういうものか》
「まぁな。次は西の方面……ん……? これカルンの故郷っぽいぞ……」
《ほう》
イリルディッヒは興味深そうに首を伸ばした。
《ならばアイツも同行させるか?》
「うーん、悩むなそれ。めちゃくちゃ面白そうではあるんだが」
クックックと意地の悪い笑い方をしながら、俺は顎に手を当てた。
「でもちょっと遠回りになるんだよな。大丈夫か?」
《別に大した問題ではない。……まさか鍛えに鍛えたこの身体で、運び屋の真似をするとは思わなかったが》
「まぁまぁ。俺達の目標は世界平和なんだし、気にするな。俺はその鍛錬に敬意を表するよ。……だからというわけじゃないが、時々は息抜きも必要だとは思わないか?」
そう言うとイリルディッヒは上機嫌に笑った。
《そうだな。ただの作業では面白くもなんともない。あやつの反応を見て楽しむとしよう》
「どんな反応するかな。俺は普通に嫌がると思う」
《嫌がって、悩んで、結局は嫌がるだろうな》
「賭けが成立しねぇな。まぁいいや。行こう」
そう行って俺は頑強に作られた籠に乗り込んだ。
イリルディッヒがそれを掴んで空を舞う。
色々慣れたとは言ったが、毎回この瞬間だけはちょっと怖い。
空を飛ぶこと一昼夜。俺は目的地――――俺とフェトラスが初めて出会った無人大陸――――に到着した。カルンは現在ここを根城にしているのだ。
「さて、ここに来るのもかなり久しぶりだな……どうやって呼び出す?」
《適当に魔法を打ち込めば出てくるだろう》
「クソ強引だな」
呆れたように言ってみるが、返事は無い。
イリルディッヒが大音量で鳴き声を張り上げて、それから空中に大きな爆発を引き起こした。なんとも派手な魔法だ。これだったら普通の魔王でも倒せるんじゃないか?
実際イリルディッヒはかなり強い。初めて出会った時よりも数倍は強い。聞くところによると、かなり厳しい修行を行っていたそうだ。……赤子だったフェトラスを見逃した責任を負うために。
まぁいい。今の所関係は良好だ。それどころか俺の仕事上でのパートナーでもある。コイツがいないとロクに移動も出来ないからな。
しばし待つと、遠くの方で黒い影が空に昇って来るのが見えた。
カルンだった。
「えっ、なんであいつ飛んでるんだ? 魔法か?」
飛翔魔法は相当に高レベルのはずなのだが。そんな疑問を口にすると、イリルディッヒは小さく否定した。
《いや……違うなアレは》
黒い影改めカルンが俺達に近づいてくる。距離が狭まるにつれてその表情がはっきりしてくる。カルンは死ぬ程イヤそうな顔をしていた。
「ようカルン。一年ぶりぐらいか? 元気にしてたか」
「……お久しぶりです」
ふよふよと浮いている。そして意外というか、珍しいというか。彼は黒いコートを着込んでいた。
「イメチェンでもしたのか……って、それ聖遺物じゃねーか!?」
観察眼を駆使して情報を読み取る。それは非常にレアな聖遺物であった。
「…………何しに来たんですか。イリルディッヒの咆吼でピッタン達がすごく怯えてるんですけど」
「いや無視すんな。なんだそのコート。飛空衣……ティリアス? すげぇ。空飛ぶ聖遺物って実在してたんだな」
「絶対に貸しませんからね!? っていうか消却杖! オビオン返してくださいよ! あれはロキアスが私に授けた物なんですから!」
「はははは」
「笑って誤魔化すなァッ!」
「ところでカルン。里帰りしたいとか思わないか?」
「は?」
「俺の次の仕事先が、お前の実家っぽいんだよ」
「サヨナラ」
カルンは自由落下するみたいに逃げていった。逃がさんぞ。絶対に逃がさんぞ。
空はイリルディッヒに任せて、俺は大地を走る。
「待てまてー」
「ちょぉ! カウトリアをそういう風に使うのは卑怯ですよ!」
「待てまてー。はい捕まえたー」
「グアアアアア! 誰か助けて! ここに悪魔が! 最低最悪の悪魔がここに!」
カルンが割と本気で悲鳴を上げると、周囲に隠れ潜んでいたモンスター達の気配が一瞬で変わった。警戒心から、敵対心へ。そして殺意へとスムーズに移行していく。
それに焦ったのはカルンだった。
「ま、待った! すいません、待ってください! この人間に攻撃することは禁じます! 殺されますよ!」
モンスターを操るという魔物繰りの言葉。周囲の殺意が、敵対心にまで引き下がる。
「あ、危なかった……変なまねしないでくださいよロイルさん」
「いやお前の悲鳴のせいだろ」
「悪魔め」
「天使ですぅー」
俺がニッコリと笑うと、カルンは諦めたように肩を落とした。
少し場所を移動して、カルンの屋敷へ。
様々な人に協力してもらって造り上げた、カルンハウスだ。入り口が大きくて、かなり豪華。
「それで、何の用ですか」
「その飛空衣ちょうだい」
「お前いつかブッ飛ばしてやるから覚悟しとけよ。……普通にお断りです」
チッと舌打ちで返事をすると、カルンもまた舌打ちを返してきた。俺達は仲が良いのだ。
「っていうか何だよそれ。またロキアスからもらったのか?」
「……あの魔王、ことあるごとに私に聖遺物押しつけていくんですよね」
「へぇ。いま何個くらい持ってるんだ?」
「言いません。気に入ったのがあったらまた強奪するつもりでしょ?」
「すごいなお前。心を読む聖遺物まで持ってるのか」
カルンはカチャカチャと義手……伸縮拳ゼスパ……を鳴らして、またため息をついた。
「そんな物があったら、私はこうしてあなたの前に立ったりしません。厄介ごとしか持ってこない悪魔め」
「酷い言い草だ……俺達、友達じゃないか……」
「パン五個で売られた私の気持ちが分かるか?」
売ったのは神様なんだけどな。そう思いつつ俺は両手を挙げた。
「まぁ元気そうで何よりだ。問題は無いか?」
「……そうですね。たまに人間の船が近くを通りますが、魔法で脅して終わりです」
「そっか」
「そろそろピッタンにもお嫁さんが出来そうなんですよ。最近は彼の恋模様をひっそりと応援するのが楽しいです」
「魔物繰りなんだし、お前が命令すれば……いや、すまん。失言だった」
カルンがツバを吐きかけてきそうな酷い表情を浮かべたので、俺は素直に謝った。
「そうだな。愛は自然な営みによって育むものだよな。うん」
「もういいです。ロイルさんと話しているとただ疲れるだけです。……何しに来たんですか? 私の実家がどうこう言ってましたけど」
「そう、それ。次の仕事先がお前の実家っぽいんだよ。なんで里帰りも兼ねて手伝ってくれないか?」
「絶対イヤです……」
「なんで。会いたい人とかいないのか?」
「会いたいけど、どのツラ下げてって感じがしますよ」
カルンは深いため息をついて、窓の外を見た。
「魔王の片腕になると故郷を飛び出し、今じゃこの大陸の管理人。挙げ句の果てに月眼の魔王にストーキングされてるんですから……」
「……ロキアスか」
「あのヒト、本当にロクデナシですよ。どうせこの会話も聞いてるんじゃないですかね」
「ロキアスー。俺にも空飛ぶ聖遺物くれー」
返事は無かった。
三年前。突然現れて一緒に飯を食うことになった観察の魔王ロキアス曰く。
カルンは魔族でありながら、その枠を飛び越えてしまったらしい。
「カルンは凄いんだよ。魔族として生まれながら、現在の彼は半分精霊化している。魔王っていうのは精霊が受肉した者のことを指すけど、命が精霊化することはカミサマすらも想定しなかった事だ。その希少性は計り知れない」
「カルンが魔王になった、ってことか? ……それ神理案件じゃねーの? 」
「いや、彼は仕組みから完全解放されているから神理が適用されない。もうこの星の住人とは呼べないんだよ。――――かなり語弊があるけど、天外の狂気の亜種と呼んでも差し支えがないかもしれないね」
化け物じゃねーか。殺した方が良いのではないだろうか。
俺は素直にそう思ったが、カルンは友達だ。黙っていよう。
「そういえば、観察眼のおかげで気がついたけど、あいつ普通に聖遺物使ってるもんな。目が壊れたかと思ったわ」
「適合性があるとかそういうレベルじゃない。大半の聖遺物も使えるだろうし、何より複数の同時使用が可能ときた。はっきり言って月眼よりも珍しい」
「……魔族のくせに聖遺物使うってなんだよ。しかも同時使用とか非常識すぎるだろ」
「そうだね。魔の者は聖遺物を使うことが出来ない。……だからカルンはもう魔族とは呼べないかな。どっちかって言うと聖遺物に近い在り方だ。特異すぎて適切な名称が存在しないぐらいさ。暫定的に付けるなら……超越者……The One……究極存在……ダメだ、イイ感じのが思い付かない」
「天外の者とか」
「安直だしダサい」
割と真面目なアイディアだったんだけどな。俺はこっそりと落ち込んだ。
「まぁとにかく、空前絶後すぎて笑うしかない。準備さえしっかりしていれば、たぶん銀眼の魔王とも渡り合えるはずだよ。――――しかしどうやってそこに至ったのかが分からない。僕たちが感知出来なかった月眼フェトラス=カウトリアに何かされたのは間違い無いんだけど……。ログを調べようにも、完全にスタンドアローンの状態だからね。カミサマ的に言うと、カルンはもう死んでるのと同じなんだよ。管轄外すぎてどうしようもない」
結構な早口で言われたから、俺は半分ぐらいしか理解出来なかった。
「……別にあの時、なにか魔法をかけたりはしてなかったと思うんだが」
「これはちょっと想像が入った仮説なんだけど、たぶんカルンは月眼に冒されたんだと思う。感染というか、同調というか……。そして彼は神理を感じ取った。理解ではなく、実感したんだ。そして奇跡的に0.00001%だけ、本当にギリギリのラインで踏みとどまって、生還した。生還のために変異した。その変異が何によって引き起こされたのかを調査するのが、今の僕の生きがいと言えるね」
俺達の前から逃げ去った後、か。
何かに目覚めた……何かが起きた……何かに出会ったとか……?
色々考えてみるが、ロキアスが分からんと言っている以上俺が分かるはずもない。そしてロキアスはこう続けた。
「とにかく彼は逸材だ。性根も良い。あとついでに半精霊化してるから寿命が無い。一生観察出来る愉快な存在だ。おお、なんてパーフェクトな……。というわけで、今から口説いて来るつもりなんだけど、仲良くなるための良いアイディア無いかな?」
(仲良くなりたいんだ)
少し意外に思ったが、まぁいい。問題はそこじゃない。
思い浮かべるのは『月眼の魔王ロキアス&カルン』というコンビが誕生した未来だ。
どう考えてもカルンが酷い目に合う。
「えっと……あいつ繊細なヤツだから……あんまりお前が関わるのは良くないというか……可哀相というか……」
「――――へぇ。アレを間近で観察するなとこの僕に言うのかい。すごくいい度胸。ウケる」
すまんカルン。強く生きてくれ。
ちなみに今となってはどうでもいいことだが、ロキアスとの雑談のおかげで俺の疑問が一つ解決された。
ある日のカルンが飛行型モンスターを手懐けて「ピタマルという友に会いに行く」と言って向かった先、つまり俺達が出会った無人大陸。
あそこは実は『魔王のための食料保管庫』だったらしい。
異常な数のモンスター達。テリトリーや群れという概念が極めて薄く、ほぼ全てが弱いという奇妙な地域。――――それは発生した魔王のための豊富なエサ箱。
『魔王の誘い』によって大陸のモンスターは召喚され、魔王に食われる……ということらしい。
流石は魔王のための世界。サービスが行き届いている。貴方の波長に合いそうなモンスターをすぐにお届けしますってか。
そこのモンスターは完全にエサである。なので、神様直々に調整が施されているらしい。動物とは違う種類の殺意を持つ、改造された命。
ちなみにモンスターが不味い理由は、人間や魔族が積極的に狩らないようにするための配慮だとか。聞けば魔王が食えばそこそこ美味しく感じるらしい。魔王優遇が過ぎる……!
なお魔王の発生はランダムのため、エサ箱に直接魔王が発生するケースもあるそうだ。しかしモンスターの数が多すぎるため普通は生き残れないらしい。……俺とフェトラスが出会うのがあと三十分も遅れていたら、と考えると恐ろしい。
とにかく、あの無人大陸は魔王のための場所。そんなわけで部外者である人類や魔族が大量にあの地域を目指すと『上級管理者』に皆殺しにされるそうだ。俺が無事だったのは、俺が独りぼっちだったからに過ぎない。
そして今や、この世界に管理者は存在しない。
あの地域のモンスターは遠からず駆逐され、大陸は開発されてしまうだろう。
そんな大陸だったが、何故かカルンが好んでそこに向かう習慣があったので、俺はおずおずと「あの大陸なんだけど、実はヤバい場所だった」と説明してやった。今までは未開の地だったが、これからは変わっていってしまうだろう、と。
彼は少しだけ呆然とした後に強い意志を瞳に宿した。
「あの地には私の友が、そして友の息子もいる。だからあそこは私が護る」
空前絶後と呼ばれたカルンは、自主的に管理者になることを選んだのであった。
「じゃあそれを手伝うから、満足したら僕に付き合ってくれるよね。いいよね。うん。オッケー。拒否権は存在しないから、契約成立だ」
「うおおおロキアス!? 急に出てくんなビックリするだろうが!!」
「誰ですかこのヒト!? ロキア……えっ、魔王!?」
「こんにちはカルン。三代目月眼にして、観察の魔王ロキアスです」
そんなこんなで、ちょいちょいロキアスはカルンに接触するようになった。
嫌われたくないので、彼なりに適度な距離感を保っているらしいが、カルンが言うには「至上最悪のストーカー野郎」だそうだ。頑張れカルン。負けるなカルン。影ながら応援してるぞ。
きっとこれからカルンは、俺やフェトラスとは関係の無い事件に巻き込まれたりするんだろうが、彼ならきっと大丈夫だろう。サラッと「寿命が無い」とか言われたけど、あまり羨ましくない。彼がこの先たどり着くのは楽園ではなく、ロキアスの愉悦に延々と付き合わされるという苦労地獄だからだ。せめて楽しんでほしい。
さて。ロキアスに目を付けられてしまったカルンだが、大陸の管理人としては割と平穏に暮らしているようだ。生態系にはあまり関与せず、しかしこの大陸の『王』としてモンスター達からは慕われているらしい。俺がカルンをイジメていると判断するなり、俺に対して殺意抱く程度には。
事あるごとに「この聖遺物も使ってみなよ」とロキアスにおちょくられているらしいが、彼のコレクションはいまどんな風になっているだろう。主に武器ではない聖遺物が集められていると聞くが。
それを聞いた時は「非戦闘用の聖遺物とか実在するのかよ」と突っ込んだものだ。今までは管理者によって秘匿されていらしいが、少数ながら存在はしてたとの事。理由は「魔王のための世界を乱すから」だとさ。秘密主義が徹底してやがる。
ちなみに消却杖オビオンは性能を聞くなり問答無用で強奪した。絶対に返さんぞ。
「まぁとにかく、今更実家には帰りません」
「そう言うなよ。家族の絆って良いものだぞ」
「そういう貴方はどうなんですか? たまにはフェトラス様の所に帰ってあげてくださいよ。先日お会いしたんですが、とても寂しがっていましたよ」
「……まだ帰れねぇなぁ」
「……どれぐらい会ってないんですか?」
「もう一年は会ってない気がする。まだ月眼のコントロールが完璧じゃないんだよ。去年会った時なんて大変だったんだぞ?」
「……もういいじゃないですか。ずっと月眼でいても」
「それだとレストランで飯が食えない。コックが逃げ出すからな」
「………………」
「まだ片手分も生きちゃいないが、あいつはもう立派な大人だ。一度くらいは親離れを経験しておくべきだ」
「嘘ですね」
心の中だけで(まぁな)と返事をする。
フェトラスに会いたい。本気でそう思う。いつも思ってるし、想ってる。だけど俺は、そこまで強い人間じゃなかった。
――――フェトラスと離れている間、俺は相当数の魔王を殺した。
ザコ魔王ではない。王国騎士では対応が難しい「完全成体の強大な魔王達」だ。
どいつもこいつも殺戮の意思に染まっていて、和解は無理だった。墓場まで持っていく秘密だが、とある「銀眼の魔王」を殺したこともある。解放した演算剣カウトリアを全力で使っても普通に死闘だった。
俺はフェトラスのためにこの世界を平和にすると誓った。
彼女が生きやすくて楽しい世界を作って、それを保つために。
そんな世界に魔王はどうしても邪魔な存在だった。フェトラスの同族であるにも関わらず、魔王はこの世に存在してはならないのだ。
そして俺が取れる手段は一つしかなかった。並みの英雄では対応不可。フェトラスにやらせるなんて言語道断。どう考えても俺がやるしかない。だから俺はフェトラスには内緒で魔王狩りを続けた。
そして俺は、魔王を殺してフェトラスの元に帰る事に耐えきれなくなったのだ。
魔王を殺して家に帰り、フェトラスに笑顔で出迎えられる度に(あの魔王も、もしかしたらフェトラスのようになれたのかもしれない)と思って悲しくなった。……かつてユシラ領で暴れ回った魔王テレザムと戦った時と同じような感傷だ。
悲しくて辛くて苦しかった。魔王達の断末魔が俺を呪い続けた。フェトラスが笑うたびに、俺の人間性が蒸発していくような気がした。俺の全身はフェトラスの同族の返り血で真っ赤に染まっている。――――そんな思いが俺に作り笑いを覚えさせた。気持ちを切り替えていこう。ただいまフェトラス。今夜はごちそうだぞ。楽しいな、幸せだな。
秘密と作り笑いと葛藤の日々。
正直言って――耐えきれなかった。
だから俺は、現存する強大な魔王を全て始末するまでは家に帰らないことにした。
「月眼が制御出来るまで、お父さんは家に帰らん。これは試練だ」と嘯いて、魔王狩りに没頭することにした。悲しくて辛くて苦しい思いから逃げて、一心不乱に強大な魔王を始末し続けたのだった。
……まぁそんな事情もあって俺は長らく家に帰っていない。おかげさまで魔王狩りの仕事はほとんど完了している。
この世に残っている魔王は、そのほとんどが英雄達で対処可能なレベルだ。そりゃ戦えば当然死人が出るだろうが、そこは冷酷に割り切らせてもらった。それが正しい摂理だからだ。むしろ俺がやった魔王狩りの方こそ、理不尽な行為と言わざるを得ない。
だけどこれは誰にも相談出来ないことだ。シリックとザークレーは感づいているが、俺は自分の内面を口にしない。
魔王狩りの任務が終わった今日このごろ。
消却杖オビオンが無かった頃は神理に犯された者を殺すしか出来なかったが、今では殺さずに治療出来る。そんなわけでモチベーションが高まり、その結果残る神理案件もあとわずか。
しかし……慣れはしたが、実際のところどうなんだろうな?
フェトラスに会ったら、一気に魔王達の断末魔が蘇ったりしないだろうか。俺は上手に笑えるだろうか。フェトラスに色々なこと――同族を殺しまくっていた事。内緒で危険なことをしていた事。実は辛い気持ちを抱えていた事――がバレてしまったらどうしよう。
そんな恐怖があるため、俺は中々家に帰れないでいた。
「まぁ、なんだ。これは俺達がずっと一緒にいるために必要な事なんだよ。安全な村で暮らすだけじゃなく、あいつには広い世界を見て欲しいって思うようになったんだ。だからあいつが月眼の魔王としてではなくフェトラスとして生きるためには、月眼の制御は必須だろ?」
「ですが……フェトラス様は本当に痛ましいご様子で……」
「……まぁ、俺の仕事もそろそろ片付きそうではある。潜在的に神理に至る可能性があるヤツはほとんど潰してきた。だから……することがなくなったら、ぼちぼち考えるよ」
俺がそう言うと、カルンはスッと立ち上がった。
「分かりました。私の実家に帰省しましょう。そしてオモチャになってあげます。私がおじいちゃんにイジられまくるのを見て存分に楽しむといいです」
「どうやって俺の本音を読み解いた。……っていうか、どんな心変わりだ?」
「同行する条件は一つ。その仕事が終わり次第、フェトラス様のところに向かってください」
「………………そう来たかぁ」
「我が名はカルン。フェトラス様を愛する者」
そう断言したカルンは、透き通るような笑顔を浮かべた。
「彼女の幸せのためならば、私は何でもするのですよ」
奇遇だな、俺もだよ。
そう答えて、ついでに「やれやれ」と口にして。
俺は目の前の友人と固い握手を交わしたのであった。
フェトラス。元気にしてるか?
ちゃんと月眼のコントロールを身につけたか?
一生懸命我慢してたけどさ、カルンもこう言ってることだし。
――――お父さん、そろそろお前に会いに行くよ。
その時に取り乱したらごめんな。
ずっと会いにいけなくてごめんな。
本末転倒としか言い様がない生き方をしてしまった俺だけど、お前ならきっと正しく俺を怒って叱ってくれると信じてるよ。そして、こんな俺を許してくれると嬉しいな。
カルンに背を押されて、俺はようやくフェトラスに会いに行ける。
「よし。最短で終わらせよう。覚悟はいいかカルン? 腹筋が壊れるまで笑ってやるから、お前もせいぜい故郷を楽しめ」
「言い方が最悪すぎる」
現存する強大な魔王はいない。
神理に届きそうな者もほとんど治療した。
俺の仕事はもう少しで終わる。
あとは、フェトラスと楽しく愉快に幸せに暮らすだけの余生が俺達を待っている。
そう信じて俺はカルンと共に大陸を後にしたのだった。