5-32 和解までに必要なもの
多少の誤解はあったが、フェトラスが無害であることは証明された。……『ただし今の所は』という注釈は付くが。
「この火山は絶対に爆発しませんよ。安全です」と言っても、それが真実なのかどうかは誰にも分からない。隣りの火山はドカンドカンと爆発を続けているようなシチュエーションなのだから、そう簡単には受け入れてもらえないのも当然だろう。
それにフェトラスは無害でも他の魔王はそうじゃない。新たに産まれる魔王にも殺戮の資質は自動的に付与されるし、現存する魔王だって引き続き危険な存在なのだ。
だから『人類に敵意を持たない銀眼の魔王がいる』という情報は、人間にとって不要な情報であるとすら言える。逆に危ないっつーの。
というわけで、その辺の情報をすり合わせるために俺達は全員レストランのテーブルに着席したのであった。
レストラン。
相変わらず村の人達は全力で避難中なので、俺達以外には誰もいない。
俺。フェトラス。シリック。ザークレー。そしてグランツ君をリーダーとする英雄達。あとついでにカルンも呼んだ。話し合いをするってんならコイツも関係者だし、あんまり放置すると可哀相だしな。銀眼の魔王が現れた事に比べると些細なことだ。
英雄達は「ま、魔族……!?」と最初ザワついたが、カルンが「あー。どうも」と普通に挨拶をしたので戸惑っていた。
「ろ、ロイルさん……この魔族は本当に我々に敵対しないのですね?」
「こいつ魔族っていうよりも、フェトラスの信奉者だからなぁ。とりあえずフェトラスの前じゃ妙な動きはしないさ。ちょっかい出さなけりゃ安全だよ」
「そ、そうですか……」
しかし俺の言葉だけで魔族に対する警戒が解けるはずもない。なので英雄達の誰しもが緊張感でピリピリとしていた。
だけど最終的にフェトラスが、
「カルンさんはわたしの大切な……なんだろう……とりあえず大切なヒトだから乱暴しないでね」
と言って強制的に納得させる事になったので、たぶん大丈夫だろう。
ついでに言うならフェトラスの『カルンが大切』という言葉に反応して、カルンが泣き崩れた。
「もっ、もっだいないおごとばでずぅぅぅ!」
その様子を見て英雄達は魔族への敵対心よりも「なにこいつ」という好奇心が勝ったように見えた。まぁ最近のカルンはあんまり魔族っぽくないし、そりゃ珍しくも思えるだろう。
そして最後の関係者であるイリルディッヒだが、彼は泣き疲れて眠ってしまった。檻は解除してあるが、もう暴れたりはしないだろう。というわけで放置。
さて、話しの続きだ。
フェトラスの存在、つまり「無害な銀眼」という情報をどう扱うべきだろうか、という問題。
既に銀眼が出現したという情報は王国騎士達には広がっているので、少なくとも彼等にはフェトラスが無害であることを知ってもらわないといけない。でなきゃ襲撃され続けることになるからな。
個人的にはフェトラスが無害で愛くるしい存在だと全人類には知ってもらいたけど、きっとそれは不可能なのだろう。イリルディッヒのように、魔王に身内を殺された者がフェトラスだけを見逃してくれるとは思えない。銀眼ってだけでたぶん普通に決死の覚悟で襲ってくる。
数百年の時間をかければ和解も可能なのかもしれないが、俺はそんなに長く生きられないのだ。
「なので、フェトラスの存在はグランツ君たちの胸の中だけに仕舞っておいてほしい。銀眼の魔王はここで討たれた、という展開の方がお互いに都合が良いはずだ」
「……そうですね」
「ただ証拠というか、説得力が必要なんだよな。この辺の建物全部ブッ潰したり……クソ正直に言えば、犠牲がいるよな。誰も死なずに銀眼を討伐したとか言っても、誰も信じてくれないだろ」
「…………そう、ですね」
「しかし俺達はあんたらを殺したいわけじゃない」
な? とフェトラスを見る。彼女はあきれ顔で頷いた。
「うん。その『なんでも殺せば解決』みたいな考え方はどうかと思うよ」
「――――しかし早急に草案をまとめないと、援軍が来てしまうな。グランツ様、監視の任についていた第二陣はどのような規模なのでしょうか」
ザークレーがそう問いかけるとグランツ君は両手を挙げた。全部正直に喋ります、というポーズだ。
「私達が出撃した段階では、あまり戦闘向きではない英雄が五名と、騎士が三十名ほど控えていました。――――ですが、ロイルさんが見逃した英雄がおります。彼女から『魔王がいた』『変態的な制圧力を持つ男がいた』という情報は既に共有されているはずなので、兵力は続々と集結するでしょうね」
「変態的って」
「実際そうでしょう。その聖遺物……聖剣ですよね。一体どんな能力なんですか?」
俺はにっこり笑って誤魔化した。
「とりあえずその第二陣が来る前にグランツ君達が勝ち鬨をあげて帰還すれば、少なくとも追っ手はかからないよな」
「……ええ。ですが…………」
言葉を濁すグランツ君。そしてその濁した言葉をザークレーが引き継いだ。
「――――とてもではないが、お互い信用出来る状態ではないでしょうな。グランツ様達には『フェトラスが本当に無害なのか?』という疑念が。そして我々には『英雄達がそろって口裏を合わせてくれるのか?』という確証が無い」
確かに。自己紹介は済んでいるが、アレじゃ『銀眼こわい』という印象しか残せていない。お互いを信用するには色々と不足している。
全員が黙り返ると、カルンが口を開いた。
「どうも。しがない魔族です。『誤解しないでくださいね』という前置きをしつつ、意見を述べます。――――フェトラス様はどうかと思うと仰っておりましたが『死人に口無し』というのは確実な手段ですよね」
英雄達の表情に色々な感情が浮かんだ。死への恐怖と、魔族から侮蔑されたという怒りだ。
しかしカルンは英雄達が一言も発さないのを見届けてから微笑んだ。
「みなさん大変お行儀がいいのですね。結構。誤解しないでくれてありがとうございます。ではもう一段階上の提案を。正直言って途中から参加した私は全ての状況を把握しているわけではありません。だからこそシンプルな提案が出来るかと思います」
「もっていぶらずに言えよカルン。どんな妙案があるって言うんだ?」
「要するにフェトラス様と人間たちの間で落とし所がはっきりしてないんでしょう? でしたら必要なのは時間です」
「…………その時間が無いからちょっと焦ってるんだが。第二陣がいつ来るか分からない」
「その第二陣を蹂躙なさればよろしい」
事も無げにカルンはそう言った。
「え……それ不味くないか……」
「そうは仰いますが、時間が必要なら作るしかないでしょう。表でイリルディッヒがのんきに寝ていましたが、叩き起こしましょう。そしてフェトラス様と共に空を駆けて、この辺一体の大地をひっくり返して見せれば良い。……そうすれば、抵抗する気も起きないはずです」
めちゃくちゃ乱暴な意見だった。実に魔族的である。
グランツ君は顔を真っ青にしていた。
「こ、この辺一体の大地って……いや、銀眼ならばそれぐらい成せるかもしれないですが……」
「第二陣を黙らせれば、確実に時間が稼げます。そして第三陣が来る前に、ここにいるメンバーで意見を揃えればいいのです。お行儀の良さから見るに、ここにいる英雄達はそれなりに優秀な方々なのでしょうね。ですがフェトラス様のご威光を示せば、確実に死んだも同然になります。抵抗はおろか、喋る気も失せるというもの。ある意味での『死人に口無し』の完成です」
再びシーンと静まり返るレストラン。実際に銀眼を見てしまった英雄達は、反論する気にもなれなかったようだ。
俺はその間に、ちょっとだけ思考を加速させた。
(カルンの言ってることは正論だ。実際そうするのが手っ取り早い。……だが、この不安定な世界で『銀眼の魔王が現れた』と表明するのは悪手じゃないだろうか。大地をひっくり返せば時間は稼げるだろうが、じゃあそんな強い魔王はその後どこに消えたんだ? って話しになる。――――実力を示す前に、ここで討伐されたという事にしておいた方が混乱は少ないんじゃないかなぁ……)
難問だ。影響力が計り知れない。
(フェトラス自身はどう思ってるんだろう)
そう思って娘を見てみると、彼女は真剣な表情を浮かべていた。
だけど。
「ちらっ」
真面目な顔をしながら。
「ちらっ」
フェトラスはちらちらと、隣りのテーブルに残った料理を盗み見ていた。顔に「もったいないなぁ……」と書いてある。
「いやちゃんと聞けよフェトラス。お前の話しだぞコレ」
「き、聞いてるよ! でもお料理冷めちゃう……」
「…………頼むからそんな貧乏くさいこと言わないでくれよ……」
「でももったいないよ!? せっかくのお料理なのに! このままじゃ腐っちゃう!」
本当に話聞いてたんかお前。
「…………お前らさぁ、これが世界征服をもくろむ殺戮の精霊・魔王に見えるか?」
グランツ君は苦笑いを浮かべて、数名の英雄はそっとうつむいた。
そしてフェトラスが俺の言葉に反応した。
「世界征服っていうか、私達の方針って『世界を平和にしようぜ!』みたいな感じじゃなかったっけ。髪を切ってもらうために」
そう言われるとしょうもない理由に聞こえるな、と笑いつつ俺は返事をした。
「その方法って、実はめちゃくちゃ時間がかかるんだよ」
「どれぐらい?」
「方法によるな。多分カルンが言った世界征服による世界平和が最速だ。でも世界中の強い英雄とか、別の魔王とも戦う必要が出てくる」
「……ふむふむ」
「そうじゃないプラン、つまりのんびり世界平和を目指すっていうのは、実はちょっと難しい」
「そうなんだ」
「現実的に言えば……そうだな、どこかの村でひっそりと暮らして、その領域だけ平和を保つ、っていうのが素早くて確実だな」
「世界の全部じゃなくて、目に見える範囲だけってこと?」
「そういうこった。世界中に愛されて欲しいというのは間違いの無い本音だが、世界はあまりにも広い。何年かかるか分かったもんじゃない。――――そして、お前と一緒にのんびり楽しく過ごしたいっていうのも、俺の大切な本音だ」
「うーん……それは、まぁ、そうなんだけど」
歯切れ悪くフェトラスが相づちを打ってくる。
「お前は何でも出来るぐらい強いが、全部の願いを叶えるには時間がなさ過ぎる。主に俺の寿命という意味で」
「………………」
「……まぁ、難しい問題だってのは俺も重々承知してるよ。だけど優先順位を決めなきゃならないんだ。俺達が一番したい事は何なのか、ってことを」
俺がそう言うと、フェトラスは苦笑いを浮かべた。
「わたし達、まだ苦労しなきゃいけないの?」
「仕方ないだろ。これが俺とお前の人生だ」
「そっかぁ……なんかもう、全部終わった気分になってたんだけどなぁ」
「楽園に行ってりゃそうだったかもな」
俺達以外には誰にも理解出来ない会話。全員がきょとんとした表情を浮かべている。だからというわけではないが、俺は両手をパンと打ち鳴らして、話しのまとめに入った。
「現状に対しての選択肢は二つ。第二陣を蹴散らすか、あるいは銀眼の魔王が討たれ事にするか。ここまではいいな?」
フェトラスだけがこくりと頷く。あとは全員沈黙している。
「第二陣を蹴散らすことによるメリットは、時間が稼げること。もう少しこの話し合いを煮詰めることが出来る。他にもいいアイディアが出せるかもしれないな」
まさしく時間稼ぎ。それ以外の何物でもない。
「しかしデメリットが大きすぎる。『あんなもん倒せるかよ』という絶望と混乱を人間側に強いることになってしまうからだ。これはちょっと取り返しが付かない事になる可能性が高い」
「……あまり採用したくはないですね」
「俺もそう思う。……だから次のプラン、銀眼の魔王がこのまま討たれた事にするって方針だ。これのメリットは平穏無事にコトが終わるということ。めでたしめでたし、って奴だな」
これが達成出来れば、一番良い結果を導き出すだろう。
「そしてデメリット……というか、不安要素は『フェトラスが本当に無害なのか』という疑念があること。そして俺達にとっちゃ『周到に準備された追っ手が来たらどうすりゃいいんだよ』という面倒くささがあること」
何度目かの静寂。
答えは一つしか無かった。だがあえて俺は問う。決めるのは俺じゃない。
「グランツ君。もう一度言うぞ。俺達にとっちゃ、面倒臭いだけだ」
聖遺物をもった英雄がたくさんやってくる? そうか。ご苦労様としか言いようがない。ただひたすらに無益だ。誰も得をしない。
「最高の結果だけを求めるのなら、俺達が取るべき行動は何だと思う?」
「…………それは」
「詳しくは言えないが、これから世界は荒れる。絶対に勝てない銀眼の魔王に構ってるヒマはすぐに無くなるぞ」
「………………」
「そしてフェトラス。みんなの前で言ってやれ。どうしてお前は人間を殺さないんだ?」
「え。だって理由が無いもん。グランツさんだって、意味も無く誰かを殺したりはしないでしょう? それと同じだよ」
フェトラスは自然な様子でそう言ったのだが、グランツ君は身体を固くしながら、声を絞り出した。
「確かに私は意味も無く人を殺したりはしません。ですが、それは私自身が人だからです。……そして私は、意味も無くアリを踏み潰すことが出来る」
勇気のある言葉だった。
「フェトラスさん。あなたは銀眼の魔王だ。人間をアリのように、意味も無く踏み潰すことが出来る存在なのです。だからあなたの性格や信念はさておき、あなたの魔王としての性能が私は恐ろしい」
「なるほど」
フェトラスはようやく合点がいった、という顔をした。
「わたしじゃなくて、魔王が怖いんだね」
「……怖くない魔王なんて、この世にはいませんよ」
グランツ君の言葉を聞き遂げたフェトラスは、にんまりと笑って俺の腕をツンツンしてきた。
「ねぇねぇお父さん。自己紹介の続きをしてもいい?」
「続きって。何か特別なことでもするのか? あまり時間は残されてないと思うんだが」
「大丈夫。すぐに終わるから。えっと……黙って見ててね?」
口出しするなと。そういって聖女のような微笑みを浮かべたフェトラス。まぁ信用しても大丈夫だろう。俺はゆっくりと頷いてから「どうぞ」と片手を差し出した。
「では」
フェトラスは椅子から立ち上がり、颯爽と隣りのテーブルを目指した。
「これと、これと、これもー。えへへ」
「何してんのお前」
「だまって見てて! うふふ。仕方が無いの。これは自己紹介なの。あの時は意味が分からなかったけど、そもそもコレはお父さんが発案したんだから」
フェトラスは隣りのテーブルに残っていた皿をひょいひょいと自分の腕に乗せて、たっぷりと俺達のテーブルに運んできた。
「わぁ、あっちにシチューがある。こっちにはデザートが」
そう言って意地汚く他のテーブルまで回りだす始末だ。
「ドグマイア式説得術…………はぁ……何をするのか見当はついたけど、マジかよお前……それ自己紹介じゃなくて、お前の欲望だろ……」
「ち、違うもん! お腹すいてないもん! 仕方なくこうするんだよ! もったいないし!」
「…………まぁ、いいけどさぁ……せめて手つかずのヤツだけにしてくれよな……」
フェトラスは各テーブルに置き去りにしてあった料理を集めた。
そしてそれを食べた。感想を口にしながら、笑顔をほころばせながら、楽しそうに嬉しそうに、ただ飯を食い続けた。
食らえ必殺『飯を食ってる時のフェトラスは可愛い』だ。
聖遺物にも英雄にも効いた実績ある技だが……いや流石にどうよ。
あの頃のフェトラスは小っこくて愛嬌があったけど、今じゃ完全に成体の魔王だぞ?
効いた。
マジで効くとは思わなかった。
「…………ぷはぁ。美味しかったです……」
だらしなく口を開けて幸せなため息をついてみせるフェトラス。俺とグランツ君は思わず目を合わせた。
「……えっと、まぁ、こいつはこんな感じだ」
「…………そうですね。説得力はありました」
「というと?」
「フェトラスさんにとって人間とは、美味しい料理を作る存在だから殺さない方が便利だ、みたいな……そういう、実利があるから殺さないという……なんていうか……」
やや苦悶の表情だったが、フェトラスを受け入れつつあるグランツ君。そんな彼にザークレーが声をかけた。
「――――私もグランツ様と同じような気分になった事があります。その時にロイルに言われた言葉ですが……魔王は怖いが、フェトラスは怖くない。つまり別々に考えるべきなのですよ」
「ザークレーさんはそれを受け入れたのですか?」
「はい」
力強い即答だった。フェトラスがザークレーの方を見て、にっこりと笑顔を浮かべる。――――おいよせザークレー。その表情は止めろ。下手に隠そうとするから逆に誤解が生じる。お前はそんなヤツじゃないよな。いくらお前でも嫁にはやらんぞ。
「…………ロイルさん。最後に一つ、質問があります」
「なんだ」
「なんでフェトラスさんはロイルさんの事を、お父さんって呼んでるんですか?」
最終的に「ロイルが一番ヤベェ」という結論が下された。
というわけで、第二陣が来る前に俺達はグランツ君達と一旦別れることにした。
シナリオ的には「英雄達は謎の魔王崇拝者に妨害されたが、最終的にイリルディッヒが銀眼の魔王を討った」という感じにしてもらっている。
そして後日改めて面談をするという形になった。英雄達の中には「色んな意味で、こいつら全員頭がおかしいのでは?」という表情を隠さないヤツもいたんだが、真摯にお願いして何とか矛を収めてもらった。
俺の目が第二陣が動き出したことを捉える。そろそろ出発しないと危ないだろう。監視の目を避けるためにレストランの裏口からコソコソと逃げ出す準備をしつつ、最後にグランツ君と握手をした。
「それじゃ後は手はず通りに。俺達は近隣の村で大人しくしておくからよろしくな。あ、路銀ありがとう。ぶっちゃけあんまり金持ってなかったから助かった」
「いえいえ。それで安心が買えるのなら安い物です。……ではまた近いうちに。我々はこのチームを維持して、謎の魔王崇拝者を追うという形でロイルさん達に合流するつもりですので」
「ああ。報告書だったり関係者への説明で忙しくなるとは思うが、頼むよ」
「些末なことです。一週間以内には合流してみせます。ただそちらに不測の事態が起きた場合は、ザークレーさんを通じてコンタクトを取ってもらってもよろしいでしょうか」
「のんびり飯でも食って待ってるから大丈夫だよ。でも了解した」
「ええ。それでは」
「……ちなみに念を押しておくが、たとえ英雄を百人を集めても無駄だからな?」
「…………ッ」
「フェトラスには指一本触れさせない。例え世界中が敵に回っても、全部俺が倒す」
「……ははっ。過保護なパパさんだ」
グランツ君は微妙な表情を浮かべていたが、やがて力強くきびすを返し号令をかけた。
「偽りの凱旋だが、決して真意を悟られるな。行くぞ!」
その上級騎士の命令に異議を唱える者はもう誰もいなかった。
とっくに日は沈みきっており夜が訪れている。人がいないのでかなり薄暗い。俺達は建物の合間をぬって、イリルディッヒの所に向かった。
「起きろイリルディッヒ。朝だぞ」
《…………ハッ。ここはどこだ》
ビクッと痙攣しながら跳ね起きたイリルディッヒに、フェトラスが片手を振ってみせる。
「おはよー」
《ギャァァァァァァァァァ!》
「しー」
《ァァァァァァ……ぁぁ……嗚呼……世界の終わりだ……》
「あのねイリルリッヒさん。お願いあるの。聞いてくれたら何でもするよ」
《………………》
「あのね、世界を滅ぼしたりしないから、ちょっとだけお話しを聞いてほしいの。いいかな?」
《………………》
魂が抜けたご様子のイリルディッヒ先生。
「お、おい……こいつまた気絶してないか?」
《……しておらぬ》
「お、おう。そりゃ良かったよ。まぁなんだ。積もる話もあるからさ、とりあえずここから離れたいんだよ。ちょっと山の中腹まで行かないか?」
《なぜ我が》
「お願いイリルリッヒさん」
《………………》
お前となんか喋らないぞ、という意思表示の沈黙ではない。まるで「一体なんのつもりだよ……」という怯えがひしひしと伝わってくるようだった。未だにイリルディッヒの名前を言い間違えている事は関係無い。
「とりあえずあわたし達に付いてきてね。それじゃあみんな飛びますよー。せーの【飛翼連理】!」
夕日もほとんど沈んだ空の上。俺達は鳥のように舞い上がって連隊を作る。
イリルディッヒは最初動こうとしなかったが、やがては諦めたのか、ゆっくりと翼をはためかせて俺達の後を追って来てくれた。良かった。もし逃げられたらちょっと面倒くせぇな、と思ってたんだ。
やがて人間では訪れようもない山の奥深くに俺達は着陸した。
イリルディッヒもそれに合わせて、少し離れた所に舞い降りる。
《………………》
「あー。お前の言いたいことは分かる。分かるんだが、とりあえず受け入れて欲しいことがある」
《…………なんだ》
「フェトラスの月眼は見たな? だけどな、うちの娘は相変わらず無害なんだよ」
《…………そうか》
「……い、意外とあっさり受け入れたな」
《最早それに縋るしかないのだから、仕方ないだろう……》
ふとイリルディッヒは視線を動かした。
《演算の魔王はどうした?》
「俺が倒した」
《……アレを倒せたのか?》
「相棒のおかげだよ」
鞘に入れたままのカウトリアを見せると、イリルディッヒは少し目を見開いた。
《かつてお前が失ったと言っていた聖剣か。取り戻せたのだな》
「まぁ色々あってな」
《……聖遺物を手にしても尚、お前はそれをフェトラスに向けなかったのだな》
「大切な娘に剣を向ける馬鹿がどこにいるってんだよ」
この手の問答はそれこそとっくの昔に終わらせている。俺はふと思い出したことがあったので、イリルディッヒの緊張を解くためにも会話を続けた。
「そうそう。お前との約束はちゃんと護ってるぞ。お前の羽根、まだ大事に持ってるんだ。正直使い道は無いけど」
《……そうか。食わせなかったのか。まぁ今更どうでも良いことだ…………》
「約束だしな。てか羽根を食わせるとやっぱりパワーアップしてたのか?」
《そうだ。あの頃のフェトラスが欠片でも口にしておれば、お前という庇護者を必要としない完璧な魔王に至っていたであろう。傲慢に振る舞い、いずれは破滅していたはずだ。違う未来が、あったはずなのだ》
「そうか。結果オーライというか何というか……」
やはり約束は守るべきだな。うん。
「あ。ついでに聞きたいことが。あの時お前、『いつかフェトラスはロイルを食わない』みたいなこと言ってたけど、アレって結局何だったんだ?」
《……殺戮の精霊・魔王は、他者を食らうことで成長する。特に珍しい物ほど効果が高いと聞いている。そういう面で見れば、ロイルは究極の非常食と言えるであろう。人間で、英雄で、更には父親として振る舞おうというのだからな》
「ひ、非常食!?」
《故にフェトラスが何らかの理由で大ダメージを負った時、その本能と衝動に従っていればお前は食われていたはずだ。生き残るためには当然だな。しかし……もしもおとぎ話のような結末が訪れるのであれば、フェトラスはお前を食わないかもしれない……そんな夢を見たが故の戯れ言だ》
「お、おう……そうか……」
《実際のところはどうなのだ?》
非常食て。ひどい扱いだ。しかしよく考えたら、俺はフェトラスにファーストコンタクトの時点で指を食われている。(ちょっぴりだけど)
これは言わなくてもいいな、と判断しつつ俺はただ質問に答えることにした。
「そもそもフェトラスは大ダメージとやらを負ったことがねぇな。戦わせたりもほとんどして来なかった」
フェトラスの戦歴は、俺と、魔族と、月眼が二体だ。――――なにこの戦歴。どう考えても異様だ。
俺はそんな事実を隠しながら「アイツはそういうのに興味が無いんだよ」と言い足した。
それを聞いたイリルディッヒがため息をつく。
《…………そうか。まぁいずれにせよ、結末がコレではな……》
イリルディッヒは薄暗い夜空を見上げた。
《我のせいだ。我があの時、あんな好奇心からフェトラスを見逃していなければ……この星が終わる事にはならなかったろうに……悔やんでも悔やみきれぬ……》
「おいおい。フェトラスは世界を滅ぼしたりしないぞ」
《お前は未だにそんな事を――――む? いや、ちょっと待て。おかしい。おかしいぞ。なぜお前等は平然と月眼の魔王と並び立っているのだ。おかしいではないか。なぜ発狂していない。あんなもの、人間が耐えられるものではなかろう》
おどおどとフェトラスの様子を伺いながら、それでもイリルディッヒは精一杯自我を保とうとしていた。さっき泣き疲れて眠ったのが良かったのだろう。
しかし、だめだこりゃ。話が通じそうに無い。
たぶん事情を説明してもイリルディッヒには理解出来ないし、そもそも信じてもらえない。
「実は演算の魔王も月眼に至ったんだよな」とか言ったら、彼はどんな反応をするだろうか。そんな想像をしつつ、俺は言った。
「なぁイリルディッヒ。この世界を救いたくはないか?」
《…………》
「フェトラスは月眼だ。伝説の大魔王レベルだ。でも、こいつは誰かを傷つけたりするようなヤツじゃないんだよ」
《…………》
「お前の賭けは成功したんだよ、イリルディッヒ」
伝えたのはそれだけだ。これで通じないなら、もうどんな言葉を重ねても無駄だろう。さっきのカルンの意見じゃないが、圧倒的なパワーを見せつけて屈服させるしかない。
――――イリルディッヒはプライドを捨てて英雄を頼った。そんなこいつを放置することは出来ない。また戦力をかき集められたら面倒だからだ。故に仲間になってもらう。理由としてはただそれだけ。
フェトラスが赤ん坊の時に見逃してもらった恩義を忘れたわけではないが、娘の安寧の方がはるかに重要ってこった。
俺がイリルディッヒの返事を待っていると、彼は静かに立ち上がった。
そして一歩、また一歩、ゆっくりとフェトラスに歩み寄っていく。
《………………答え合わせの時間だ》
フェトラスは小さく片手を左右に振って「こんにちは」とアピールをする。
やがて射程距離にたどり着いたイリルディッヒは、大きく吼えた。
「ルゥールルルルルルー!!」
ビリビリと空気が震える。それは本気の威嚇だった。
《月眼の魔王フェトラスよ! 貴様が果たしてどのような魔王なのか、お前に直接聞くことにする! 我が名はイリルディッヒ! 責を負う者ッ! いざ尋常に――――!》
無造作にフェトラスが片手を前に突き出した。
それだけでイリルディッヒが恐怖に縛られる。そして彼女は指を一本立てた。
「一つ」
《クッ……く……》
「二つ」
「ルルルルルルルゥーッ!!」
「三つ」
イリルディッヒの全力威嚇など気にも留めず、フェトラスは指を一本ずつ立てていった。
「四つ。――――そして五つでお終い」
フェトラスの瞳は黒のまま。だけど魔王は五本の指を立てながらこう言った。
「イリルリッヒさん。わたしがその気なら、あなたはもう死んでます」
その言葉を受けたイリルディッヒが、まるで子犬のように腰を降ろしてプルプルと震え始めた。その瞳には恐怖しか浮かんでいない。やがて彼はドシンとその身を大地に下ろした。
え。なに。終わり?
「どういうこった」
「うーん……ドン引きされるから言いたくない……」
「いや全然分からん。なんだあのイリルディッヒの怯え方。逆にちょっと可愛い感じになってるじゃねぇか」
「こうなったのはある意味予想通りなんだけどね。ずっと探られてる感じがしてたし」
そう呟いたフェトラスは慌てたように両手を振ってみせた。
「あ、言っておくけど本気じゃないからね!? そんなことしないからね!?」
「ル……ルゥ……」
さっきまでの威勢はどこに行ったのだろう。イリルディッヒの心の牙は完全に折れていた。子馬みたいだ。
「マジで何をしたんだお前」
「……引かない? 絶対に引かない?」
「いやそこまで言われたら多分引くけど……」
「じゃあ言わないよ! 自分でもどうかと思うもん!」
「でも気になるから教えて」
「うー」
おねがい、と両手を合わせて見せるとフェトラスは肩を落とした。
「えっと……呪文を唱えず、結果だけをイメージして魔力を編んだの。魔法を発動直前の状態にしたって感じ。たぶんその魔力の流れみたいなのをイリルリッヒさんは感じ取れるんだと思う」
そういえば波動が追えるとか何とか言ってた。その応用だろうか。魔獣の特性……というよりは、イリルディッヒの一族の特技みたいなもんなのかな。
「……つまり、フェトラスがどんな魔法を唱えてくるのか、なんとなく感じ取った?」
「そうそう。なんて言えばいいのかな? 『夜道を歩いてたら誰かに見られてるうような気がした』ってのに近い感覚がずっとあって……。それでイリルリッヒさんは事前察知みたいな事が出来そうだな、って感じがしたからやってみたら成功した」
「あの短時間でそんな駆け引きやってたのかよ。……ちなみにどんな魔法を使うつもりだったんだ? 絶対引かないから教えてくれよ」
「……本当に引かない?」
「もちろんさ」
「……一つ目が翼の切断。二つ目に舌を灼き、三つ目には瞳を凍らせて……あああ! お父さんの嘘つき! 完全にドン引きしてるじゃん!」
残りの魔法は聞きたくない。俺は素直に後ずさってジロジロとフェトラスを見た。
「お前にそんな残酷な発想力があったなんて驚きなんだが。舌を灼くってなんだよ」
魔法潰しの戦略としては正しいけど。
「だ、だって素直に話しを聞いてくれる様子じゃなかったし……それに、イリルリッヒさん強いもん。中途半端に手加減したら、お父さんまで巻き込まれそうだったから」
こいつもコイツで中々俺に過保護だな。
「というわけでイリルリッヒさん! 抵抗は無駄です! 諦めてわたしと仲良くしてください!」
お願いします! と頭をペコリと下げるフェトラス。
完全に戦意を喪失したイリルディッヒは、やがて弱々しい声を発した。
《お前は……本当に、世界を滅ぼす気は無いのか?》
「その気があったら、こんな回りくどいことしないよ」
《――――それもそうだ》
こうして、プライドをかなぐり捨ててまで銀眼の魔王を討とうとした誇り高き魔獣は、ようやく話しを聞いてくれる体勢を取ったのであった。
良かったよかった。
ちなみにシリック達は、最初から最後まで会話に参加しなかった。
何をしてるんだろうと振り返っていると、のんびりと地面に座ってこちらを見ているだけだった。魔王と魔獣が戦いそうになってたのに。
頼もしいというよりも、たくましい。
お前らもう一般人は絶対に名乗れないぞ……。