5-31 本当に、ごめんなさい。
イリルディッヒは完全に沈黙したが、月眼を他の者に見せるわけにはいかない。まだ早すぎる。なので俺はシリックを呼んで、フェトラスと少し遊ばせておくことにした。たぶん意識がそれれば鎮まるのも早いだろう。
「さて、グランツ君。なんの話しをしてんだっけ」
「眼中に無いにも程があるでしょう……ついさっきまで話してた内容なのに」
「さっき、ね。まぁそうだな。悪気があるわけじゃないから許してくれ。ええっと、そう。イリルディッヒの作戦は失敗した」
「それは見れば分かります。……イリルディッヒ殿に何をしたんですか? 魔獣があんなメソメソ泣くなんて、かなり衝撃的なんですけど……」
「聞いてやるな。あいつはとても頑張り屋さんなんだ」
「……というか彼女が魔王フェトラスなんですか?」
これを隠しきるのは無理だな。普通に魔法使って見せたし。
(大丈夫だろうか。やっぱり隠しておいた方がいいんじゃないだろうか。どうにか誤魔化せないだろうか)
そんな躊躇いがちょっとだけあったけど、俺は真剣に考えた上で、彼女の正体を明かすことにした。グランツ君が上級騎士で、アースレイだからだ。
こいつを説得すれば、千人を説得したに等しい結果を得られる。
そう踏んだ俺は、真っ直ぐにグランツ君を見つめた。
「そうだ。あいつが魔王フェトラスだ。……と言っても無害だぞ。絶対信じてくれないだろうけど、無害だぞ。本当に」
「………………」
「どのぐらい無害かと言うと、さっきまでそこのレストランで仲良く飯を食ってたぐらいだ」
「はぁ」
「ちなみにザークレーって王国騎士の名に覚えは?」
「えっ、ええ。もちろん。大変有名な方ですし、面識もあります」
「おー良かったよかった。あいつも中にいるんだよ。ちょっと呼んでこよう」
「……は。えっ、あのザークレーさんが中に!?」
「さっきまで一緒に飯食ってたぞ。なんならずっと一緒に旅をしてたぐらいだ」
そう言うと上級騎士のグランツ君は死ぬ程深いため息をついたが、ようやく肩から力を抜いたように見えた。
ザークレーはこの騒動の中、普通に食事を続けていた。誰も彼もが避難した無人のレストランで、ゆっくりとスープを飲んでいる。上級騎士の正装を身に纏ったグランツ君を見て、ようやくスプーンを置いた。
「――――これはこれは、グランツ様ではございませんか。お久しぶりでございます」
「うわぁ……本物だよ……えっと、なんでザークレーさんがここに?」
「――――この者達と浅からぬ縁がございまして」
「……イリルディッヒ殿の、魔獣の咆吼は聞こえたはずでしょう? 中で何をしていたのですか?」
「――――見ての通り、食事ですな」
ものすごく堂々とザークレーは異様なことを言った。『化け物が襲ってきたのに飯を食い続けるとか頭おかしくなったのかよ』とグランツ君の顔に書いてある。
「………………ええと、その。ザークレーさん」
「――――ちなみに魔王崇拝者に墜ちたわけではありませぬので、ご理解を。ただ全てが無駄だということを知っていましたので」
「無駄と言いますと?」
「――――フェトラスには誰も勝てません。魔獣が百万体現れたとしても、その差は覆らない。英雄が百人いればかろうじて……もしかしたら……いや、無理ですな……」
淡々とザークレーはそう言ったあと、俺の方を向いた。
「――――イリルディッヒが英雄と結託して、フェトラスを討ちに来たということか?」
「話が早くて助かるな」
「――――何名だ?」
「えーと、全部で九人だな。一人は可哀相だから逃がした」
「――――なるほど。たった九人か」
ザークレー立ち上がって、レストランの外に出た。そして周囲をキョロキョロと見渡して、どんな英雄がいるのかを観察したようだった。
そして結論を述べる。
「――――恐らく遠方から監視されている。グランツ様を含めて、ここにいるのは実力者が多いようだ。だがそれでも、銀眼討伐に九名というのは余りにも少なすぎる。おそらく作戦の立案者であるイリルディッヒを捨て駒にして、その実力を計りに来たということだろう」
「おいおい。上級騎士のアースレイを派遣しておいて、前哨戦だったってのか?」
俺がそう問いかけると、グランツ君は両肩をすくめた。
「流石はザークレーさん。ほとんど正解です」
マジかよ。
驚きはあったが、それはまぁどうでもいい。とりあえず俺はザークレーに軽く注意をした。
「覚悟を決めてる騎士達はともかく、流石にイリルディッヒを捨て駒とは呼んでやるなよ。なにせ誇りを捨ててまで人間を頼る魔獣だ。敬意を持たねば」
俺がそう補足すると、グランツ君は目を見開いた。
「……そういえば、まだ貴方のお名前をお伺いしてませんでしたね」
「ロイルだ」
「ロイルさん。……貴方は何者ですか?」
何者。俺って何者なんだろう。
元英雄です――カウトリア取り戻したし英雄で良いのかな。
島流れの刑に処されてた罪人です――わざわざ言うことじゃない。
天使です――頭がオカシイ人だと思われる。
フェトラスの父親です――処刑されそうだなぁ。出来るもんならやってみろって感じだが。
だめだ。全部微妙だ。
そう考えた俺は、肩書きではなく自分の目的を語ることにした。
「俺は、この世界の平和を願う者だよ」
「……人類に悪意は無い、と?」
「あのなぁ……。俺も一応は人間だからな? 変な目つきで俺を見るのはやめてくれ」
「ですが、だったらどうして銀眼を護るような真似を……」
「そりゃお前、当たり前の話だろ。フェトラスはこの世界の誰よりも強い。だけど無害だ。敵じゃないし、話しが通じる。ついでに良いヤツだ。だったら仲良くして当たり前だろうが」
極めて普通のことを言ったつもりだが、グランツ君は顔面を真っ青にしていた。
「どう考えても魔王崇拝者の言動なんですが……なのに理路整然としてる風に見えて、逆に怖い……」
「グランツ君は正直だな」
しかし分からんでもない。魔王は人間の敵だし、本能的に敵対心を抱かずにはいられない存在なのだ。それを護るとあっちゃぁ、人間失格としか言いようが無い。
日が沈みつつある。薄暗くなっていく街並みの中、俺はシリックに手を振ってみせた。
返ってきたのは『大丈夫でーす』とのハンドサイン。どうやら月眼も収まったらしい。
「フェトラス! 悪いがこっちにも自己紹介の時間だ!」
そう声をかけると、フェトラスが「はーい!」と元気よく返事をしてきた。
瞬間、周囲で無気力をさらしていた英雄達に緊張が入る。全員聖遺物は取り上げているが、それでもこいつらには戦闘技能がある。
(破れかぶれで突撃されると、フェトラスが驚くよな)
俺はグランツ君に声をかけて、全員を整列させることにした。よく考えると一人逃したのは不味かっただろうか……まぁ、いいや。
レストランの軒先。グランツ君を先頭にして、残りの者達を地面に座らせる。
ちなみにさっきから街に人はいない。全員がはるか彼方に逃げていった。
そして俺とフェトラスは、レストランの短い階段の上に立って、お行儀良く並んでいる騎士達を視界内に収めた。
「わー。……こんなにたくさんの人に注目されることって無いから、緊張しちゃう……」
「まぁまぁ。普段通りに自己紹介してくれればいいよ。それで八割は伝わるだろ」
「ホントぉ? イリルリッヒさん、泣き止んでくれないんだけど……」
「イリルディッヒな。とにかくだ、普通に自己紹介をしてくれ。それと話がややこしくなるから、俺達の関係についての説明は一旦後回しにする」
「……そう? 後でなら言ってもいい?」
「もちろんだ。仲良くなったら、あいつらにも教えてやってくれよ」
「分かった。なら頑張る」
「おう」
打ち合わせなんてない。このやり取りだって目の前で見せてる。
そしてフェトラスは居住まいを正した。
高い身長。細身だが、力強さを感じさせる肉体。
白を基調とした精霊服に黒いラインが七本走っている。時折見える袖口の水色は鮮やかで、なんだか清楚な印象すら与えてくる。
流れるような黒い長髪。艶やかなそれが双角を隠している。
そして彼女は明るい表情で、美しい声で謳う。
「みなさーん、こんにちはー!」
子供の挨拶かよ。
『………………』
「わたしの名前はフェトラス! 魔王でーす!」
ピース。と指を二本立てたフェトラス。花のような笑顔が浮かんでいて、とっても可愛らしいぞ。うんうん。
だがそんな幸せな気持ちはすぐに吹き飛んだ。
「食べる事と、遊ぶ事と。それとお父、あ、違う。えっと……この人が好きでーす!」
そう言いながら、フェトラスがガッツリと俺を指さしたからだ。
「関係性については後回しと言ったはずだが!?」
「だ、だって自己紹介だもん! これを語らずして何が自己紹介かと!」
「お、おう……それは、とても嬉しいが……」
『………………』
英雄達の目が怖い。
大半が目を丸く見開いており、全身と一緒に硬直している。
そんな中、グランツ君が勇敢にも手を挙げた。
「…………き、君は……何者なんだ?」
「さっき言った通り、魔王だよ?」
「魔王。確かに魔王なんだが…………あまりにも、天真爛漫すぎる……」
「てんしん、らんまん? なぁにそれ?」
顔だけこっちに向けて、更に首をかしげるポーズを取ったフェトラス。俺はそのほっぺたを突いて、顔を元の位置に戻した。
「可愛いってことだよ」
「……えへへー。褒められちゃった」
その横顔の破壊力はヤバかった。両手に頬を沿えて、嬉しそうに笑っている。パッと見は美人さんなのに、言動がキュートとはどういうことだ。
そしてそんなフェトラスの笑顔を真正面から向けられたグランツ君の表情が『呆』となる。その後『焦り』になって、最後には『照れ』が浮かんだ。おいなんだその表情は。今から恥ずかしいことでも口にする気か変態め。フェトラスに近づくな。まぁ冗談だ。お前も冗談ですませておけ。
「わ、わたっ、私の名は、グランツ・アースレイ。……フェトラスさんとお呼びしても?」
「うん。わたしもグランツさんって呼んでいい?」
「ええ。もちろんです」
自己紹介は順調に進んでいる。とりあえず名乗り上げは無事に済んだようだった。
そしてグランツ君が、あごに手を当てる。
「魔王であるフェトラスさんに質問があります。貴女は先ほどロイルさんのことを好きと言っていましたが、実際ロイルさんは貴女にとってどんな人なのでしょうか。好きと言っていましたが……まさか恋人ですか?」
「こいびと」
フェトラスはまたこっちを向いた。そうだな。お前の人生には登場しなかった単語だな。
「恋人ってのは……むぅ、なんて説明すりゃいいんだ……。結婚したいくらい好きってことかな?」
「あ、結婚は分かる。ムムゥさんとマーディアさんみたいな人達のことだよね」
「そうだな」
「っていうか、わたしとお父、あう。……ねぇ。なんて呼んだらいいのか分からないんだけど」
「別に悩むことじゃないぞ。ロイルって、普通に呼び捨てにすりゃいい」
「そっか。じゃあ、ロイル」
「なんだ」
「わたしとロイルって結婚出来るの?」
場が凍り付いた。
フェトラスだけが笑っている。
「できませんよ」
俺は静かにそう答えた。
「なんで?」
「なんでって」
「わたしロイルと結婚したい」
「しねぇよ!?」
「なんでなんでなんでー!? こんなにも愛し合ってるのに!」
「嫁には絶対やらんと誓ったが、別にお前と結婚するつもりはねぇよ! っていうか結婚が何かもよく分かってないのに、滅多なことを口にするな!」
俺が両手を大きく上下に振りながら力説すると、フェトラスは少し驚いたようだった。
「えっ……け、結婚って……なんかわたしの思ってるのと違う感じ……?」
「違う。断じて違う。……後で詳しく説明してやるから、今は黙ってろ」
「り、りょうかい」
――――少し離れた所で、シリックがクスクスと笑っていた。
「えっと、話しがそれたようでそれてない。とにかくコイツが魔王フェトラスだ」
「どうもどうもー」
「見ての通りの魔王だが、こいつの言葉を聞いての通り、無害な存在だ」
俺がにこやかに紹介を進めると、フェトラスが一瞬だけ顔を曇らせた。
「……どうした?」
「……えっと、みんなに言っておかないといけない事があるなぁ、って。……あのね、わたしは無害じゃないよ。だって人間を殺したことは無いけど、魔族を殺したことがあるんだから」
『……!』
それは罪の告白だった。
自己紹介で口にする話題ではない。だが、彼女はそれをはっきりと人間達に伝えた。自分は何かを殺せる存在なのだと。
「それも、一人じゃない。たくさん殺しました」
「フェトラス……」
「……わたしは、11人もの魔族を殺した。虫も、動物も、魚も、モンスターも。たくさん殺して生きてきました」
「……フェトラス、もういい」
「ううん。ちゃんとわたしが怖い魔王なんだってことを、みんなに言わなくちゃ。嘘のわたしを教えてたりしたら、誰もわたしの事を分かってくれないと思うんだ」
「…………」
俺は言葉を失った。だけど彼女からは離れない。そっと隣りに並んで、背中に片手を当ててやった。
それが勇気になったのだろうか。フェトラスは強がりの笑みを浮かべて、言葉を続けた。
「ロイルに手を出すのなら神様だって殺してみせる。そう誓ってるし、そうすることが出来るぐらいには強いつもりです。だからわたしは11人も殺してしまった、魔王です。――――だけど、こんなわたしだけど」
俺の娘は凜と背筋を伸ばして、堂々と言った。
「みんなと仲良く出来たら、嬉しいです」
そして後に残されたのは、静寂だった。
「……いきなり自己紹介しろって言われたから、理由も分からず自己紹介したけど、こんな感じでいい?」
「いい。完璧だ。文句がある奴は前に出ろ」
俺がそう凄むと、グランツ君が再び手を挙げた。
「文句なんてありませんが……質問があります」
その真剣な眼差しを受けて、フェトラスがうなずいた。
「いいよ。何でも答えてあげる」
「本当に人間を殺したことが無いんですか?」
「無いよ」
「……魔族を、たくさん殺したと言いましたよね」
「……そうだよ。ロイルに手を出したから……11人も殺しました」
「フェトラスさん……貴女は……」
「…………」
「貴女は、たった11人の魔族を殺しただけで、そんな顔をするのですか……」
あ、と思った。
だけど俺は何も言わない。
「……たった? たった11人って何? 11人も殺したんだよ? まさしく殺戮じゃない」
「私の知っている魔王は、何人殺そうとも嗤っていましたよ」
「……だからなに? それでわたしのやった事が無くなるわけじゃない」
「………………失礼。無礼な口を聞きました。どうかお許しいただきたい」
「別にいいよ。何でも答えるって言ったし」
そう呟くフェトラスの表情は暗かったが、逆にグランツ君の瞳からは恐怖が薄れ、本来の輝きが戻っていた。
そして背後に立っていたザークレーが一歩前に出る。
「――――王国騎士団所属、ザークレー・アルバスだ。もしかしたら名を知っている者もいるかもしれんな。いまフェトラスが言ったことは事実だと、私からも証言させてもらう。彼女が魔族を倒した時、ロイルだけではなく私も助けられたのだから」
『!?』
「――――君たちの心境は理解出来る。彼女の言うことを全て信じろと言っても、それが無理な事だというのは私にも理解出来る。だが全て事実だ。分かりやすい証拠を提示してやろう。君たちは銀眼の魔王に武器を向けたのに、まだ生きている。それが何を意味するのか、よく考えてみてほしい」
そう。俺達とこいつらは価値観が違いすぎるのだ。
彼等にとって魔王が奪う命は、11人じゃ少なすぎる。
魔王はその気になれば、一晩で百人でも二百人でも容易に殺してみせる。だけどどう見ても成体の魔王であるフェトラスが「人間を殺したことがない」「魔族を11人だけ殺した」と言っても信じられないのは当然だろう。
グランツ君はもう手を挙げなかった。ただ身を前に乗り出して、勇気を振り絞った。
「フェトラスさん。あなたは本当に銀眼なのですか?」
当然の疑問だろう。そして重要な確認でもある。ただの魔王と銀眼の魔王には、計り知れないほどの差があるのだから。
そしてそんな質問をされたフェトラスは静かに問いかけた。
「……見てみたい?」
とても、とても静かな意思確認。だけどその言葉に含められた重みはグランツ君にプレッシャーを与えている。彼は「クッ……」と小さくうめいた。
だけど彼はただの人間ではなかった。
英雄で、上級騎士で、アースレイで、男の中の男だった。彼は改めて魔王フェトラスと対峙する。
「もし可能であれば、銀眼を見せていただきたい。……だけどそれは、見たいというよりは『信じてみたい』という方が近いです。本当に人を殺さない銀眼がいるなんて、我々からするとあり得ないことなのですから」
その言葉を受けて、フェトラスは俺の方に向き直った。
「……ものすごく気分が凹んでるし、どうすれば銀眼になるのかってのが自分じゃまだ分かってないんだよね」
「そうだろうな。いつかコントロール出来るようにならないとな」
「うん。頑張る。ところで銀眼が見たいって言われてるんだけど、どうしたらいいと思う?」
真剣な表情だ。
だから俺は、真剣にその方法を考えた。考え抜いた。
「感情が鍵なんだから…………そうだな、感覚を飼い慣らす訓練と思って一つ実験してみよう」
「じっけん?」
俺は一人の英雄を指さした。俺が指輪型の聖遺物を奪った男だ。
「そこの君。ちょっとこっちに来てくれ」
「は、はい……」
二人で少し離れた場所に立ち、俺はポケットに入れっぱなしだった指輪型の聖遺物を取りだした。
「指輪型の聖遺物なんて初めてみたよ。ほら、お前の相棒だ。返しておく」
「………………」
「さぁ、チャンスだ。俺を殺せばフェトラスは悲しみの余り自殺するぞ」
「……!」
反射的に男の腕が上がりそうになる。
だけど、そこからは誰も動けなかった。
鳥のようにフェトラスが俺と男の間に割って入り、その腕がそれ以上上がらないように押さえ込んだからだ。
「ツッッッッ!?」
男の顔が絶望に染まる。それもそうだ。彼の腕を押さえつけているのはさっきまでのフェトラスではない。そこにいるのは、全ての命の敵だった。
「……………………反射的に飛び出したけどさ。この場合、わたしはこの人じゃなくて、お父さんを怒るべきだよね」
キレ顔で銀眼を携えたフェトラスは、俺のことをお父さんと呼んだ。それを指摘するわけにもいかない。俺は今、彼女にとても酷いことをしたのだから。
「すまない。手っ取り早いかな、って思って」
「あり得ない。許されない。二度とこんなことしないで。誓って」
「誓う。俺はお前を二度と悲しませない。……悪かったよ」
「許さない。ばか。あほ。ぼけ」
「……すまなかったよ。後で何でも言うことを聞くから、許してくれ」
「お父さん忘れてるかもしれないけど、その約束はもうしてるんだよ。魔王テレザムさんの時に、わたしのお願い聞いてくれるって言った。あれどうなったの」
「引き続き有効だよ。踏み倒したりなんてしない。なので二回、なんでも言うことを聞いてやろう」
「じゃあ結婚して」
「んなっ!?」
「ふふっ、冗談だよ」
クスリと笑って、フェトラスは男から手を離した。途端に彼は地面に崩れ落ち、倒れ込んだ。どうやら気絶したらしい。…………あー。やべぇ。漏らしてる……めちゃくちゃ申し訳ないな……っていうか、あんな近距離で銀眼に睨まれるとか、絶対トラウマになるよな…………も、申し訳なさ過ぎる。あとで死ぬほど謝ろう。
視線を後方に移すと、英雄達全員が腰を抜かしているようだった。
身体を震わせる者、涙を浮かべる者、歯をガチガチと鳴らす者。恐怖を示すその眼差し。グランツ君でさえ地面に尻餅をついて、後ずさりをしていた。
大惨事だ。
フェトラスはすぐに瞳を黒色に戻し、夕日の中で苦笑いを浮かべた。
「え、えっとぉ……こ、こんなわたしだけど、みんなと仲良くなれたら嬉しいです!」
誰も返事をしなかった。
それどころか、呼吸さえ殺して静寂を作り上げていた。
「お父さん」
「はい」
「謝って」
「ごめんなさい」
「謝って!! もっと心を込めて謝って!!」
「いやだって銀眼見たいとか命知らずなこと言うから……」
「い、言い訳するの!? 最低。信じられない! 謝って! ごめんなさいして!」
「ごめんなさい!」
「あーもー! みんなに怖がられちゃったじゃん! どうしてくれるの!」
「ごめんなさい!」
「もうヤダ最悪の状況ー!! うぇーん!!」
「ごめんなさい!!!!!」
誰も何も言わなかった。
半泣きで俺の胸を叩いてくるフェトラス。
大きくなった彼女の拳は、それなりに重たかった。
いや、本当にごめんなさい……。