5-28 七色の魔王
ケース・カウトリアとやらの計画は永久に凍結させられた。
再現しようかな、と思った瞬間に神様達は死ぬ。
だが正直に言ってしまえば、その凍結には何の保証も無い。フェトラスに内緒で計画が実行される恐れは普通にある。だが、もしもフェトラスに続いて十四番目の月眼が現れた時に、その者からわずかでもカウトリアの気配が感じ取れたのなら、彼女は本気で暴れるだろう。
[絶対にしないで]
〈……了解した〉
そんなやりとりが行われた後、神々は沈黙した。
もしかしたら内緒話でもしているのだろうか。そう思うぐらい、辺りには不自然な沈黙に包まれた。
まぁ彼等にも落ち着く時間も必要だろう。
そんなわけで俺はチョイチョイと管理精霊サラクルを手招きして呼んだ。
「な、なんでしょうかロイル様」
「あの……いきなりで申し訳ないんだけど、何か食べ物とか無いか?」
「えっ」
「俺達、普通にお腹空いてるんだよね」
「ああ……そういう……ええと、ええと、どうしましょう」
管理精霊サラクルは少しオロオロとして、その青いドレスを揺らした。そして、両頬に手を当てながらこう言った。
「ここには食べ物らしいものが無いんですよ。何か召し上がりたいのでしたら……どうしましょう……」
「マジか。ロキアスのクッキーとか余ってない?」
「私は食事を必要としてませんので……。一応食べ物を用意する方法はあるのですが、少々難しい手順が必要なのです……」
「難しい手順ってなんだ?」
「ええと、あちらの……包丁とお鍋が書かれている扉をご覧ください」
指し示された方向を見てみる。そこには剣と、全ての生命が押し込まれた空間のような絵が描かれた扉があった。印象としては「万物と死」。――――っていうかあれ包丁と鍋なのかよ。そんな身近な言葉が連想出来ないくらい重々しいぞアレ。
「あの扉がどうかしたか?」
「あの先には月眼・暴食の魔王ヴァウエッド様がいらっしゃいます」
「暴食の魔王ってなんだ。……食べる事を愛する魔王、みたいな感じか?」
「少し違います。あの御方は、お料理が大好きなんですよ」
エプロンを着けた魔王を想像した。
いや、なんだそれは。そんな魔王までいるのか。
「ありとあらゆる食材を……いいえ、例え食材でなくとも調理し、食らう。そんな御方です。元々は『混成の魔王』という肩書きだったのですが、殺戮の資質を凌駕した際に、暴食の魔王と呼ばれるようになったんですよ。本当になんでも料理して食べてしまうので……」
よし、意味が分からん。
と反射的に思ったが、同じくらい反射的に思考してしまう。
(○○の魔王っていうのは……酒の精霊が、酒の魔王になったとして。殺戮の資質を与えられてそれを凌駕……月眼化、つまり何かを愛した時に……名前が変わる? 酒の魔王がダンスを愛したら「踊りの魔王」って名乗るのかな)
いや、どうでもいいんだそんな事は。ロキアスは「観察の魔王」って名乗ってたけど、本当は全然違う属性の魔王なのかも、いや、だからどうでもいいんだってば。
暴食の魔王ヴァウエッドだったか。
「そのお料理大好き魔王様がどうしたんだよ?」
「ヴァウエッド様は大変お料理上手でいらっしゃいまして。それに研究熱心でもあらせられます。なので時々試食を任されることがございまして」
「へぇ。仲が良いんだな」
そう言うと管理精霊サラクルは死ぬ程微妙な顔をした。
「決して仲が良いというわけでは……色々と問題のある方ですので」
詳しい事は言いたくないらしい。
「と、とにかくヴァウエッド様の楽園に行けば、食事を摂ることは可能です。ですが先ほど申し上げました通り、難しい手順が必要なのです」
「月眼の楽園にお邪魔しろってだけで俺にとっちゃ既に即死案件だが、一応聞いておこう。どんな手順を踏めばそいつの手料理が食えるんだ?」
「まず、自身が食材としては不適切であるということを熱弁します」
あ、ダメだなこりゃ。
「続いて、何か料理のレシピを提示します。独自性があったり、複雑なモノほど好まれますね。ここで、会話の流れ次第では料理が提供されます。そしてそれを食べた後に、良い点と悪い点を適切に表現します」
「月眼相手に欠点の指摘とか……」
「そして満腹であることを伝え、最後にもう一度自分が食材には向いてないことを熱弁して、逃げ去る。以上です」
「ちなみに、対応を一回でも誤るとどうなる?」
「食べられます」
「そうか。…………で? 俺達にどうしろと」
「…………それ以外に食事を用意する方法が思い付きません」
命がけで月眼の手料理を食えと。いやすぎる。っていうか無理だ。
「大変だフェトラス。このままじゃ腹ペコで死ぬぞ。さっさと帰ろう」
そう娘に言い放つと、彼女は苦笑いを浮かべた。
[それは大変。というわけで神様、もう帰っていい?]
フェトラスが天井に向かって問いかけると、苦渋の表情が伝わってきそうな、忌々しそうな声が響いてきた。
〈α・…………本気で、セラクタルに戻りたいのか〉
[最初からそう言ってるじゃん。あ、それと……色々言ったけどさ、あなた達には感謝もしてるんだよ]
〈F・感謝とは?〉
[あなた達のおかげで、私はお父さんと出会えたんだよね。だから、ありがとう]
ぺこりと、彼女は頭を下げた。
先ほどまでの恫喝は何だったのか。まるで別人のように清々しい感謝を表明したフェトラスに対して、神々は呆然としたようだった。
そして躊躇いの後に、〈C・ああ、そうか……虹の精霊、か……なるほど……〉という言葉が聞こえた。
思わずその言葉を拾ってしまう。「なるほど」って勝手に納得されてもなぁ。セラクタルに帰りたいのは山々だが、我が娘のことだ。その辺の質問はしておくべきだろう。
「虹の精霊。ええと、極虹の魔王だったか。それって結局なんなんだ?」
〈B・それに関しては私が説明しよう。フェトラスは虹の精霊である。虹。明と暗の共存。七色の光。現象としては空気中の水分が――――〉
「いや虹ぐらい知っとるわ。フェトラスは……レインボーな精霊さんだったんだな」
虹、か。あの空に浮かぶ美しい彩りが、フェトラスの弟妹みたいなもんなのか。
そう考えると少しだけ嬉しくなった。
――――綺麗な虹が嫌いなヤツなんて、いないからだ。
「しかしそれにしても、極虹ってなんだ?」
〈B・極光という現象を知っているだろうか〉
「オーロラ……なんだそりゃ?」
〈B ・極めて簡潔に表現するのならば、夜に見える帯状の虹だ。色彩としては緑が強いが、多色である〉
「はぁ……それで?」
〈B・虹とはつまるところ、光に属するもの。フェトラスは光の精霊の亜種であり、その上位個体と言える。彼女は単なる虹ではなく、極光すら体現するもの。すなわち極虹だ。――――フェトラスの殺戮衝動が薄かったのも、それが理由だな〉
「は? こいつがそういう性格だった、ってわけじゃないわけ?」
〈B・殺戮の資質は、性格どうこうで抑えられるものではない〉
「えぇ……? でもこいつ、小さい時からそんな様子無かったぞ?」
〈B・虹の精霊が魔王化するのは珍しい現象だ。銀眼に至ったケースは皆無だな。それはさておき……虹、それは七色の存在。赤、橙、黄、緑、青、紺、紫。その存在は多様性の象徴とも言える〉
七色。多様性。
そのキーワードだけで俺は答えに至ったが、せっかくなので模範解答を聞いておこう。俺は黙って続きを促した。
〈B・人間にも理解出来るように説明すると、少々正確さが欠けてしまうが……フェトラスには七つの性格があるはずだ。思い当たる節はないか〉
「うーーん? どうだろう。七つの性格って言われても、普通は色々な面があるもんだろ」
〈B・いいや。こと魔王という存在は、割とシンプルな性格をしているものなのだよ〉
「さようで」
〈B・カミノ様由来の文献によると、人間には七つの大罪が存在する。怠惰、嫉妬、色欲、大食、傲慢、強欲、そして憤怒だ〉
「聞き覚えのない考え方だが……それってようするに欲望のことだよな? 人の欲望を表現するには、七つじゃ全然足りないと思うぞ」
〈B・特徴を表すだけならば十分であろう〉
「はぁ」
〈B・以上のことを踏まえて――――魔王というコインがあるとする。表にはその魔王独自の性格が刻印されている。そして裏側に、我々は憤怒という感情を刻み込むのだ。それこそが殺戮の資質である〉
「……魔王の性格を『全てを殺したくなる』ように仕向けているということだよな」
〈B・そうだ。殺戮の意思という強大な力。そしてそれをコントロールする、後天的な『愛』という感情。それこそが月眼を産むために必要な要素だからだな〉
――――改めて聞くと、マジでこいつら人でなしだと思う。
月眼を再現させるために、魔王を改造しているだなんて。
そしてその結果、たくさんの人が死んでいるというのに。
そこまでして天外の狂気を抹殺したいのだろうか。
そこまでして、カミノの願いを叶えたいのだろうか。
絶滅したと思われる脅威に対して、いつまでも怯え続け。
そして月眼を産むためだけに、魔王という悲劇を繰り返す。
「…………」
[――――。]
フェトラスと目が合った。
彼女も同じ気持ちなのだろう。
俺が頷くと、彼女も頷いた。そして訝しげな表情を浮かべた。
[ええと、やっぱりあなた達生きてたらいけないタイプの存在なんじゃ……]
〈B・…………だが、我々がいなければセタクタルはとうに塵と化していたぞ〉
[それはそうかもしれないけど……]
〈B・その件に関しては議論してもしょうがない。――――話を戻す。フェトラスの殺戮の意思が薄い理由だ。君は虹そのもの。多様性の具現体。君はコインではなく、七つの顔を有している。だから相対的に殺戮の意思が薄かったのだ〉
誤魔化すように、と言ったら失礼かもしれないけど、Bは口早にそう説明した。
[んん……どういうこと?]
「すまん。もうちょい分かりやすく説明してくれ」
〈B・通常ならば、魔王は二面性だ。そのパターン数は7つ。殺したいが怠けたい。傲慢だから皆殺しを望む。快楽のために殺す。全てを欲するが故に壊す。幸せそうな者達が妬ましいので全てを消し去る。何もかもを喰い殺したい。そして憤怒。――――殺したいから、殺戮する。おおむねそのような精神性を有している。だが、フェトラス。君は違うのだよ〉
少しの間をおいて、神は結論を述べる。
〈B・繰り返しになるが、通常の魔王は二面性だ。しかしフェトラスは七面性。その在り方はコインというよりも、ダイスに近い〉
なるほど。転がしても簡単には「殺す」って目が出ない感じか。
ちらりとフェトラスを見て、そして先ほど聞いた七つの大罪とやらに当てはめてみる。
・怠惰――うん、ゴロゴロするの好きだよなこいつ。
・嫉妬――あまり感じたことは無いが、演算の魔王とのやり取りの際にヤキモチを焼いたっけか。
・色欲――皆無だ。でも俺の膝の上に座ったりするのは好きだな。あとハグされるのも結構好きみたいだ。
・大食――言うまでも無い。ごはん大好き魔王だ。
・傲慢――己の強さに自負はある。傲慢というよりも、プライドがあると言うべきか。
・強欲――「左上から右下まで全部のメニュー!」と叫んだ時は内心笑ったなぁ。
・憤怒――プンプンと怒ることはあるけれど。
「……与えたはずの殺戮の資質が、七分割されて薄まったってことか」
〈B・その通りだ〉
「通りで魔王っぽくないわけだよ」
[なんか自分の心の中をのぞき見されてるみたいで落ち着かないんだけど……]
「要するにお前は、自由ってこった。魔王っていうよりも人間に近い精神性なんだとよ」
[うーん。よく分かんないや]
「まぁいいじゃねぇか。虹は綺麗だろ?」
[うん。おっきな虹を見るとワクワクするよね]
「あれがお前の源泉なんだとよ」
[そっかー]
あんまり自覚が、というか興味が無いらしい。まぁいずれにせよフェトラスはフェトラスだ。それでいい。
ふと思った。セストラーデで、ティリファが好きな色の世界を魔法で創った時。あそこには光と水が溢れていた。虹を作るのに必要な材料が揃っている。
(だから好んだ…………いや、違うな。普通に綺麗だと思っただけか)
いくら考える時間があるとはいえ、なんでもこじつけるのは良くない。
俺は再び「ま、いいや」と呟いて、両手を打った。
「んじゃ! 気になることも解消したし、そろそろおいとましますか」
[うん。それじゃあ神様、さようなら。お父さんがおじいちゃんになったらまた来るから、その時はよろしく]
〈α・待て。……もしもその間にロイルが〉
〈Ω・アルファ。お前説明が直接的すぎるから喋らない方がいいと思うぞ。代わりに私が聞いてやろう〉
〈α・……頼む〉
〈Ω・では、最後に二点だけ確認する。真面目な話だ〉
[はい]
〈Ω・一つ。考えたくも無い事だろうが、きちんと考えてほしい。――――生命体としての人間は弱いのは先ほど説明した通りだ。そして、もしもロイルが旅立ってしまったら、その時お前はどう振る舞うつもりだ?〉
俺が死んだら、どうするのか。
[……分からない。悲しくて、泣いて、泣いて……そのまま死んじゃうかもね]
〈Ω・その時の君は既に楽園なぞ必要としないだろう。ロイルがいないから当然だな。そして君が十三番目の役目を放棄するとなれば、我々はそれこそ直接介入してセラクタルをリセットしなければならない。リソースを極めて大きく割くので、あまりしたくはないのだが〉
「質問なんだが、管理をしなくなったセラクタルからは月眼が産まれないのか?」
〈Ω・発生難易度が極めて高くなる。――――ある程度の期間が経つと人間は文明を進化させることが多い。凄まじい兵器を造り出し、魔族も魔王もあっさりと根絶してしまうのだ。そして最後には決まって自滅する。だから管理者によって、そのような事態にならぬようコントロールしていたのだ〉
「人間が魔王を根絶させる、か……イメージ出来ねぇなぁ……」
〈Ω・投石機ぐらいは知っておろう。あれの数億倍のダメージを人間は生み出せるようになる〉
「聖遺物は関係無いのか?」
〈Ω・無い。技術だけでそれをやってのける〉
「……そりゃすげぇ」
〈Ω・我々が管理を放棄するのは、楽園作成に大きなリソースを取られるためだ。だから、月眼を生み出したセタクタルに手間暇をかける余裕が無くなる〉
「お前等でも限度ってもんがあるんだな」
〈Ω・当たり前だ。……第一フェーズが月眼の発生。第二フェーズがその管理と、天外の狂気への戦略作成とシミュレーション。ついでに我々のメンテナンス。そうこうしている間に人類は自滅するので、第三フェーズとしてセラクタルの再生を執り行う。流れとしては以上だ〉
「なるほどね。ロキアスが言っていた、滅びまで五十年から千年と言っていたのは、そういうことか……文明の進化による自滅。そりゃタイムラグが長いわけだよ」
〈Ω・最速のケースだと、人間が魔族と魔王に滅ぼされるパターンがあったな。それが確か、五十年程だったと記録している。そして聖遺物を扱える人間がいなくなるので、最終的には魔王が全てを滅ぼす。――――我々が管理を手放すということは、あまりにも強大な魔王が放置されることを意味するからな。バランスは、一瞬で崩れる〉
「そう、か。……話の腰を折って悪かったな。本題に戻ろう」
〈Ω・では改めて。フェトラス。ロイルがいなくなったら、どうする〉
[……分からない。でも答えを出さないといけないんだよね。………………うーん]
フェトラスは悩んだ。
だけど悩むということは、言い換えるまでもなく「答えが出せない状況にある」ということだ。決断を下すには材料が足り無さすぎる。
だからというわけではないのだろうが。フェトラスはこう尋ねた。
[逆に質問なんだけど、例えばロキアスさんは観察を愛してるんだよね。他の月眼達も、何かを愛してる]
〈Ω・その通りだ〉
[彼等は、他のモノも愛せるの?]
どくん、と心臓が高鳴った。
『フェトラスがいつか世界中を愛して、世界中に愛されてほしい』というのは紛れもない俺の本音ではあるが、目の前で「わたしはお父さん以外を愛せますか?」みたいな事を聞かれると、けっこう心がモゾモゾする。ぶっちゃけて言えば、少し寂しさを感じた。うーん。我ながらエゴイスティックな心情だなぁ。
そんな内心はさておき、オメガさんが質問に答える。
〈Ω・楽園にいる限り、それは無理だろうな。彼等の愛は劣化せずに保たれている。他のものを愛する必要性が無いのだ〉
[じゃあ楽園に住まない月眼は? ロキアスさんとか、結構自由に出入りしてるみたいだけど]
〈Ω・ロキアスだけが例外で、特別なのだ。ヤツが愛するのは観察という行為だからな……ふむ……。そんなあいつが、もしも君のように、行為ではなく誰か個人を愛する可能性……うーむ……前例が無いのでなんとも言えないが……愛に近い感情を覚えることはあるかもしれないが……〉
言葉を濁すオメガさん。その言葉を受けて、フェトラスは首をかしげた。
[近いだけで、同じじゃない?]
〈Ω・すまない。我々も愛という概念を完全に理解しているとは言いがたい。感情の極地の一種であり、複雑怪奇なパラドクスだと、無理矢理定義づけているだけなのだ。なので君の質問に答えることは出来そうにない〉
[そっかぁ]
〈Ω・代わりに一つ提案をしよう。もしもロイルが失われた場合、君にやってほしいことがある〉
[なぁに? 天外の狂気を探し回れ、みたいな?]
〈Ω・違う。これは私の個人的な願いだ――――いや、今はいい。ロイルが死ぬと決まったわけではないからな〉
「いや、俺はいつか必ず死ぬと思うが……」
〈Ω・その前に楽園に入ればいい〉
「ああ、そういう」
〈Ω・話がそれた。もしもロイルが死んだらどうするか。これに関しては一端保留とする〉
「保留でいいのかよ」
〈Ω・二つ目の確認に関係するからな。では、その二つ目だ。ロイルがセラクタルに戻った場合、【神理】保護機能により、ロイルは発狂する〉
[あ]
「あ」
そうだった。
ど、どうしよう。
〈Ω・というよりも、お前ほど【神理】に侵されてしまっていては、発狂だけではすまぬな。確実に死ぬだろう。――――それを回避するために、ロイルには仕事をしてもらうと思っているのだが、いかがだろうか〉
「回避する方法があるのか?」
〈Ω・前例は無い。試そうと思ったこともない。だが、可能性としてはそれしかあるまい〉
「……なにをさせるつもりだ?」
〈Ω・管理者になってもらう。しかもただの管理者ではない。【神理】の管理者だ〉
なんだそりゃ。説明を聞くたくないぞ。厄介ごとの匂いしかしない。
[それってどんなお仕事なの?]
フェトラスぅぅ……あっさり聞かないでくれぇぇ……俺に覚悟の時間をくれぇぇ……二秒じゃ足りないんだよぉぉぉ……。
〈Ω・【神理】を獲得した者の中には、発狂だけでは終わらず、稀に暴走する者がいるのだ。人々傷つけたり、【禁忌】的な言葉を振りまいたり、世界の欺瞞に気がつき、全てを破壊しようとしたり〉
俺はピンと来た。オメガさんが指しているのは、魔王崇拝者だ。
そうか……あれが神理に関わった者なのか……。
〈Ω・そういう厄介者を処分してもらう仕事になるな。今まではロキアスや我々が直接介入していたが、それをロイルに任せるという事だ〉
「処分って言うと、その、殺す……のか?」
〈Ω・必要であればな。人間、魔女、魔獣、魔族、魔王。知性ある者全てが対象だ〉
「…………。」
〈Ω・だがしかし、別に放置しても構わん。どうせあの世界は滅びるのだから。……しかしそうは言っても、お前達が暮らすというのであれば、多少なりとも治安は必要だろう。そう言った意味で考えると【神理】に犯された者の対処はした方がいいだろうな〉
「まぁ、そりゃそうだな」
〈Ω・重ねて言うが、こちら側が再管理をするつもりは無い。なので自分の住む地域だけを護るか、それとも世界全土を護るのか。判断はロイル自身がすれば良かろう〉
「ちなみにだが、どんなヤツ等が【神理】に引っかかるんだ?」
〈Ω・……そうだな。生まれ持っての天才や、思考回路に異常をきたした者。あるいは上級管理者などが獲得する可能性を持っている。ついでに言うならば【禁忌】に関してはどうしようもない。誰しもが考察や妄想を重ねて、それが積み重なって発狂する〉
「どうすりゃいいんだよそれ」
〈Ω・さてな。想定したことすらない。我々にとっても未知の世界と言えるだろう〉
「お前等の真似事を一人でこなすってのは無理があるよなぁ……」
〈Ω・そうだな。ざっくり言ってしまえば、ロイル。お前には神の手先になってもらう。そのような偉業を人の身で完全にこなすのは不可能であろう〉
困難だ。ものすごく巨大な壁が目の前に広がった気がした。
「……ちなみに、【神理】に引っかかった者だが、殺す以外に方法はあるのか?」
〈Ω・記憶を全て消去すれば命だけは免れるだろうが、それは死と同義だろう〉
「……そうだな」
〈Ω・そしてここが重要なのだが、ロイルを管理者に設定するには、少々リソースを喰う。ありていに言えば、大変なお仕事になる〉
[でも、そうしないとお父さんが死んじゃうんだよね。だったら、どうかお願いします]
フェトラスが再びペコリと頭を下げると、オメガさんは仰々しく軽口を叩いた。
〈Ω・良かろう。ものすごく大変だが、仕方が無い。とてもイヤだが、フェトラスがそう言うのならやってあげてもいい〉
なんだこの異常に恩着せがましい言い方。
〈Ω・だけど一つだけ条件がある。聞いてくれるかな?〉
[お父さんを護るためなら、私は何でもするよ]
〈Ω・よろしい。ではその条件なのだが――――〉
オメガさんはこう言った。
もしもロイルが死んだら、君は十三番目をやめてもいい。
ロイルのことを偲び続けて、そのまま朽ち果ててもいい。
いずれにせよ君が役目を果たせないのであれば、セラクタルは次なる月眼収穫のために、強制的にリセットされる。君がいつか別の何かを愛するとしても、それは失われることになるだろう。
その際、君はそれを止めてはならない。
十三番目をやめるのであれば、次なる十三番目を収穫するにあたり、なんの邪魔もしないこと。これがロイルを発狂死から守るための条件だ。
私はもう十分だと考えているが、それでも、カミノ様の遺志は我々にとって一番大切なことだからな。
というよりも、邪魔をしようとしても無駄だと覚えておくがいい。なぜなら我々には十二体の月眼がいるからだ。フェトラスのことを『それぞれの楽園を脅かす者だと』でも言ってしまえば、君はどう足掻いても始末される。
条件は理解したな?
では、最後にお願いが一つある。
〈Ω・もしも、ロイルのいない世界に興味が無くなり、死んでも構わないと自暴自棄になるのなら、戦ってほしい者がいる〉
[天外の狂気?]
〈Ω・違う。――――テグア様と、戦ってほしい〉
[……初代月眼?]
〈Ω・それが私の願いだ。殺戮の魔王テグア様、カミノ様の最後の友人にして、カミノ様の願いを叶えた者。私は、あの方を救って差し上げたいのだ。きっとカミノ様もそれを望んでいると思うから〉
他の神々は何も言わなかった。
ただどうしようもないくらいに、神々がカミノを愛しているということだけは、確かに俺に伝わったのであった。
〈Ω・無理にとは言わない。ただイエスと言ってくれるだけでもいい。反故にされても仕方が無いとすら考えている。だが――――テグア様をお救いする可能性があるということは、私にとっての希望なのだ〉
他の神々が何か口を開きたがっている気配を感じたが、彼等は口を挟まなかった。
そして神たるオメガが、お願いごとを口にし続ける。
〈Ω・もしも十三番目を失うとしても、カミノ様の心残りを払拭出来るかもしれない。そのためだったら、私は君たちが戻ってくるのを心安らかに待てる。……そんな気がするのだ〉
どうだろうか、と。躊躇いながら確認してきた神に対し、フェトラスは片手を上げた。
[戦うだけでいいの? 勝てとか、殺せとか言わない?]
〈Ω・言わない。戦うだけでいい。そもそも勝てるはずがない。ただ出来れば生きて帰ってきて、彼がどんな様子なのかを私に教えてくれると嬉しい〉
[そっか……お父さんが死んで、私がヤケクソになったら。その時は月眼の中で一番強いとされる殺戮の魔王テグアと…………]
果たしてどんな葛藤があったのだろうか。
フェトラスは長い沈黙の後で、フッと小さく笑った。
[分かった。いいよ。オメガさんがその人を助けたいって言うなら、ちょっとだけ力を貸してあげる]
〈Ω・――――あぁ……いい、のか……〉
[あんまり確約は出来ないけどね]
〈Ω・構わない。希望とは、そういうものだろう〉
オメガさんは〈ああ……良かった……本当に……〉と呟いて、それから祈るように、テグアがいるのであろう「終焉」の扉を見つめたのだった。