19 「むすめ」
[フェトラス視点]
(お父さん……)
わたしが洞窟のなかで考え事をしていると、お父さん達の声が聞こえた。
「よくここが分かりましたね。それにとても素早い」
「はっ……よく言うぜ。ここ以外にねぇだろうが」
「いえいえ、昨日の夜中からですか? それとも日の出と共に動いたのですか? 到着がとても速かった……なんと、しかも無傷なのですか」
「ああ? なんのことだ?」
昨日の夜からずっと、わたしは口にさえしなかったが、ずっとお父さんのことを呼んでいた。聞きたかった。知りたかった。怒りたかった。謝りたかった。一緒にいたかった。
(どうしてあのひな鳥を殺したの? わたしは私……わたしはお父さんの娘……じゃあ、お父さんがいなかったら、わたしってなに? 魔法をぶつけてごめんなさい。独りで寝るのは寂しいよ)
「魔族を恐れず、魔王を恐れず、この地で生き抜く……貴様、実は強いのか?」
「はぁ? なに言ってんだお前。人間舐めてんのか?」
お父さんはずっとカルンと何か話してる。
わたしは居ても立ってもいられず、洞窟から飛び出した。
「まぁ、それもどうでもいい話し。ねぇ、フェトラス様?」
カルンと目があって、不意に昨日の事を思い出した。
この洞窟にたどり着いてすぐのことだ。
「フェトラス様。あの者は、貴女様の力を利用しているに過ぎません」
「そ、そんなことないよ……」
「いいえ。事実、あの者はこの大地で生きております。それが何よりの証拠……ただの人間が、この地で生き延びることなど不可能でございます。全ては魔王様のお力があってこそ」
「……違うよぉ」
「フェトラス様のフェロモンはモンスターを呼び寄せますが、それは今のフェトラス様と同等以下の力を持ったモンスターだけです。逆にあまりにも強いモンスターは寄ってこないのです」
強いモンスターは寄ってこない。それは初めて聞いた。
もしそれが本当なら……カルンさんの言葉は説得力を増す。そして確かに、今までわたしは自分より強そうなモンスターを見たことがない。
でもわたしは一生懸命、否定の言葉を口にした。
「ちが、違う……違うよ……」
だけどカルンさんは聞いてくれない。
「そもそも、何故あの人間はこの地にいるのです?」
「……開拓のためだって、そう言ってた」
「ですが思い返してください。今ではあの者、開拓などしておらぬでしょう? そもそも、開拓とは独りでするものでしょうか?」
「開拓って、そういうものじゃないの?」
「違います。開拓とは、人間が自らの住処を拡大するために行う、動物やモンスター、自然などに対する略奪戦争です。そして戦争とは独りで行うものではなく、種族単位で行われるもの」
「じゃあ、お父さんは、どうして」
「あの男は島流しの刑にあったのですよ」
「島流し……?」
「そう。あの男は咎人なのです。国を追われた、悪人なのですよ。そうでなければ、このような地に独りで捨て置かれますまい。咎人は、罪があるから咎人なのです。あの男の正体はソレですよ」
「……お父さんは、悪い人なの? 悪い人だから、あのひな鳥を殺したの?」
「私はあの卵が死の鳥のモノだとは知らず……」
「それはいいの。ねぇ、どうしてお父さんはあの鳥を殺したの?」
「その疑問が、そもそもの間違いなのですよ」
「どういうこと?」
「魔王様にとって他者の命など、考慮するほど重要ではないということです」
「えっ……。それって……」
「よろしいですか? 魔王様とは統べる者。世界の全ては貴女の物なのです。ですからどうか、たった一羽の鳥ごときの為にそこまでお心を痛めないでほしいのです」
「で、でもお父さんは……」
『とりあえずこの言葉だけは覚えておけ。命は、みんな一つしか持っていない。そして一つの命を繋ぐにはたくさんの命がいるんだ」
『……命は、一つ。その一つのために、たくさんの命がいる……』
『ああ。だから、命は大切なんだ』
「あの男の教えは、フェトラス様のためでなく、あの男の為に教えられたまやかしなのです。しょせんは人間……薄汚く、利己的な存在です。貴女のことを娘と呼ぶのも、保身のためでございましょう」
わたしは、もう何も言えなくなった。
「命の価値。それは『自分』と『それ以外』。つまり最も大切な物と、どうでもいい物。結局はその二つしかないのです」
「……………………」
「今はまだ分かりますまい。だが、あの男は死の鳥を殺した。命に価値があるのなら、せっかくフェトラス様が孵した卵をあのように素早く、しかも簡単に殺せるわけがない」
何かが間違っているとは思ったけど、カルンさんの言葉はわたしの頭のなかで反響した。
素早く。簡単に。
確かにそうだった。お父さんはひな鳥が孵った“瞬間”に、命を絶った。
「……お父さんは、なんなの?」
「人間は全て、魔王様の敵でございます」
「そ、そんな……」
ざわりと瞳がうずいた。
銀眼、確かそう呼ばれていたっけ。
視界がおかしくなったわけではないけれど、でも確かに、何か、ザラつく。
わたしは意識を集中させて「銀眼」という言葉の意味を探った。すると、天から言葉が葉っぱのようにヒラヒラと墜ちてくる。
【銀眼。それは、敵を前に抱く決意】
(本当に? ――――本当にそうなの?)
わたしの葛藤を見つめていたカルンさんが言葉を続ける。
「あの者が魔王様を守り、育てたのもまた事実です。フェトラス様が慈愛の情を抱いたり、恩義を感じる所もあるでしょう。そう考えれば、いくら私が口にするのが嘘偽りの無い真実だとしても、フェトラス様のお心に痛みを与えてしまっているんでしょうね。ですがどうかお許しください。私めは、本当にフェトラス様のためを思っているのです」
分からない。
わたしにはお父さんだけだった。
お父さんが絶対だった。
でも「それは違う」とカルンさんに言われ続けているうちに、その絶対性が揺らいでしまった。
そして本当の絶対は、決して揺るがないものだ。太陽が昇って沈むこと、寝て起きたらお腹が空くこと、一生懸命走ったら疲れること。そんな「絶対」と比べると、わたしの中のお父さんに対する信頼は、――――ああ、こんなこと考えたくない。いやだ。信じていたいよ。お父さん。
「たとえ下心があったにせよ、今までフェトラス様をお守りしてきた事。その点だけは評価するべきでしょう。本来なら私が即座に殺してやるところですが……まぁ、そのたった一つの功績に免じて、命だけは助けてやりましょう。それにあの者が言うには、命というのはとても大事な物のようですしね」
間違った教えで救われて、間違ったまま生きればいい。カルンさんはそう言って笑った。
「魔王様。もうご心配はいりません。今はとても沈痛な気持ちでいらっしゃいますでしょうが、この第一の部下、カルンめが貴方様のおそばにおりますから」
「カルンさん……」
「カルン、と。そうお呼びください」
わたしはもう、考えるのも億劫になってきたから目を閉じて眠った。
(人間は敵だったんだ……)
信じられないのに、受け入れてしまいそうな自分が怖かった。
銀眼が、いつまで経っても閉じない。
『簡単な知識は与えましょう。でも、知恵の実は貴方が育みなさい。そして想いは、貴方が創りなさい』
――――どこかの国の聖書より抜粋。