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我が愛しき娘、魔王  作者: 雪峰
最終章 月の輝きが照らすモノ
194/286

5-22 私は貴方に憎まれたい



 フェトラスが崩れ落ちる。


 思わず俺の口から小さな悲鳴がこぼれた。それと同時、フェトラスが張っていたシールドが消失。俺はバランスを崩して膝をついた。


「ふ、フェトラス!」


 演算の魔王が倒れているフェトラスに近づいて、そっと頭をなでる様子が見えた。


 なんだ。いったい何をしている。俺の娘に、一体なにを。


[……どうやら終わったようだな]


 ロキアスはその場に立ち尽くしており、ひっそりとため息をついた。


[まぁフェトラスが勝てるはずもない。演算の魔王こそが、今回の勝者だ]


 淡々とした感情を浮かべる月眼が、じっと俺を見つめてくる。


[さぁロイル。次は君の番だ]


「な……にを……」


[フェトラスと演算の魔王は君のために戦い、そして決着がついた。今こそ彼女の愛の告白を聞いてやるがいい]


 決着? なんの決着だ。うちの娘は最強だぞ。優しくて可愛くて賢くてユニークで、表情がクルクル変わる俺の宝物だぞ。そんなあいつが負けるはずない。このまま倒れているだけなんて、あり得ないじゃないか。あいつは勝つ。きっと勝ってくれるはずなんだ。


 だけど構図は変わらない。勝者は立ち、敗者は這いつくばる。


 俺は無言で立ち上がって、そのまま駆け出した。


 フェトラス。待ってろフェトラス。いまお父さんが助けてやるぞ。


 走る。その距離は短く、時間にして一分も必要ない。


 だけど俺の疲労感は秒で高まっていく。フェトラスに近づけば近づくほど、それはイコールで演算の魔王に近づくということなのだから。


 きっと俺は殺されない。だけどあそこにいるのは、伝説の大魔王級の化け物。


 俺の娘をくだした、かたきでもあるのだから。



 様々な不安と戦いながら駆け寄ると、演算の魔王はフェトラスの頭をなでていた。何か魔法を使っている様子も無く、いたぶってるわけでもない。


 彼女はただ、優しくフェトラスの頭をなでているだけだった。それこそ愛情を込めた様子で。


「…………何を、している」


[……何なのかしらね。でも確かなことが一つ。私はこの子のことが嫌いじゃないわ]


「……俺の娘から、離れろ」


[仰せのままに]


 スッと立ち上がった演算の魔王。間近で見ると、彼女の美しさは息が止まるほどだった。


 整った顔立ち。すらりとした体躯。微笑めば花のようだろう。だけど彼女は微笑まない。


 ロイルが近くにいることが、嬉しくてたまらない。

 だけどロイルがフェトラスのことばかり気にしているのが悲しい。


 そんな矛盾した感情を持てあます彼女が浮かべる表情は、見てるだけで息が苦しくなるくらい痛切だった。


 そしてそんな彼女を意図的に無視して、俺はフェトラスに駆け寄った。そしてその身を抱き起こす。


「!」


 フェトラスは重たかった。体重のことじゃない。この重さは、意識を完全に失ったもの特有のそれだ。


 だらりと、全身の力が抜けている。口は半開きになっており、その瞳からは輝きが消えていた。


「フェトラ……ス……」


 まだ温かい。呼吸もしている。だけど、抱き上げたその身体からは何の反応も返ってこなかった。


「フェトラスに何をした……!」


[……私がかつていた場所へ送ったわ]


「送った……?」


[ロイルと別れたあの日から、私が置かれていたのは無明の闇。本当に何もない場所。泣いても叫んでも出られない、ここよりも暗い、絶無の虚空]


 なんだそれは。どこのことだ。フェトラスはここにいるのに。


「返してくれ。フェトラスを、返してくれ……!」


[その子は私にチャンスをくれたわ]


 演算の魔王は跪いて、俺に視線を合わせた。


[私が落ち着く前に殺せば良かったのに。私に愛を教えなければ良かったのに。だけどその子は私を導いてくれた。真っ正面から戦ってくれた。本当に感謝しかないの。だから――――殺せなかった]


 殺せなかった。フェトラスは生きている。だけど。


[だからチャンスを与え返した。もしも彼女の意識があの虚空から戻ってこれるのなら……もう一度戦ってあげてもいいわ]


「虚空……」


[辛かった。不安だった。怖かった。許してほしかった。苦しくて悲しくて切なくて、終わりが無くて、貴方が愛しくて、何も無かった]


 地獄。


 そう呼ぶしか出来ない所に、フェトラスがいる。俺は恐怖を自覚する前に叫んだ。


「今すぐフェトラスを解放しろ!」


[方法は二つあるわ]


 演算の魔王は泣きそうな目をたずさえて、一歩下がった。


[一つは、フェトラスが自力で帰還すること。私は出来たけど、彼女はどうかしら]


「…………」


[そしてもう一つは、とてもシンプルな方法――――私を殺せば、フェトラスは戻ってこれる]


 演算の魔王はウエディングドレスの裾を掴み上げて一礼し、泣きそうな顔でこう言った。



[ロイルは私を殺せるかしら?]



 それはどちらの意味なんだろう。


 月眼という化け物を殺せるのか、という問いかけなのか。


 それとも『家族とまで呼んだ自分を殺せる程、フェトラスへの愛は強いのか』という確認なのか。


 いずれにせよ、どちらも難しい。


 それが俺の正直な感想だった。


 果たして俺は、演算の魔王を殺せるのだろうか。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 ロイルには選択する権利がある。


 私を愛するか。それともフェトラスを愛するか。もちろん、私達二人をまとめて愛するという選択だって彼は許される。


 だけど、最後の選択は確実に惨劇へと至る。


 私はフェトラスの事が好きになれたが、それでも無理だ。ロイルには勝てない。この愛は抑えきれない。私はフェトラスが彼の寵愛を受ける様を見て嫉妬し、憤怒し、傲慢に狂う。


 不意に思い出したのは、とある街で出会った人間。確かドラガ船長、だったか。


『はっはっは。そうか。じゃあオッサンから一つだけアドバイスをしてやろう。お前さんとフェトラスが仲良くしてくれると、ロイルはきっと喜ぶぞ』


 きっとそうだろう。私とフェトラスが仲良くすれば、ロイルは喜んでくれる。


 私がフェトラスを解放するだけで、ロイルにこんな顔・・・・をさせずにすむ。


 ――――だけど正直、私は我慢出来ないだろう。ロイルにこんな苦しそうな表情をさせているのが悲しくて辛くて泣きそうになってしまうけど、それでも私は、ロイルが私だけ・・・を見てくれないという事実に絶対に耐えられない。


 フェトラスだったら……そうね……ロイルが喜ぶことを最優先にするんでしょうね。だからきっと私とロイルが抱き合って眠っていたとしても、優しく布団をかけ直してくれると思う。


 だけど私は違う。私はそうじゃない。ロイルとフェトラスが抱き合って眠っていたら、彼女を蹴飛ばしてその場所を奪いたくなる。


 私とフェトラスどっちが好き? と聞けば「お前だよ」と言ってほしい。


「どっちも好きだよ」じゃ嫌だ。


「フェトラスの方が好き」とまで言われてしまえば、死にたくなる。――――殺したく、なる。


「お前だけを愛してる」と、言ってほしい。


 私はそのためならば何でも出来るが、そうじゃないのなら、何も出来ないのだ。


 これが私の愛なのだ。


 もしかしたら、時間が経てば、この感覚も変化するかもしれない。優しくなったり寛容になったり、心に余裕が出来るかもしれない。


 中立の神Dから少しだけ聞いてはいるが、楽園に行けば永遠が約束されている。そしてロキアスが先ほどロイルに提示していた「楽園に一人招待しよう」という言葉。そして「全ての欲望のレベルを引き下げさせてもらう」という誓約。それを上手く活用出来れば、私はいつかフェトラスを受け入れられるかもしれない。


 悠久の時の中、「別にフェトラスがいてもいいかな」と思えるくらいには、なれるかもしれない。


 だけど、やはり怖い。私以外を見つめるロイルだなんて、耐えられない。


 私はフェトラスに勝った。


 だけど私は勝者じゃない。本当の勝負はここからだ。


 ロイルが「私だけを選んでくれる」ことこそが、私の願いなのだから。



 きっとこれは独りよがりな愛なんだろうけど。


 それでも。



 ロイルはとても苦しそうな顔で私を見つめている。


 その腕の中にいるのはフェトラス。


 今すぐ殺してしまいたい。その場所を奪いたい。


 だけど分かってる。分かっているのだ。そんなことをしてしまったら、ロイルは私を嫌いになる。憎悪する。


 それを解きほぐすのにどれくらいの時間がかかるだろう。絶対に、死ぬまで許さないと言われたら一体どうすればいいんだろう。


 殺したい。でも殺したら、手に入らない。


 楽園とやらに行けば、どうにか出来るだろうか……?


 でも永遠の中で、ロイルに許しを乞い続けるだけの楽園だなんて……。


(あら――――)


 ロイルと、二人で、永遠に過ごす。


(――――それはそれで、悪くはないわね・・・・・・・


 そんな事に気がついてしまったから、私の思考はまた変化した。



 憎悪の視線で――私だけを見つめてくれる。

 武器を片手に――ずっと私のそばにいてくれる。

 必ず殺してやると――私の事だけを思ってくれる。


 なんということでしょう。


 愛と憎悪は、よく似ているのね。




 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 演算の魔王はじっと俺を見つめている。


 そして彼女は小さく首を左右にふった。


[……もしも彼女が帰ってこれたら、私が勝つのは難しいでしょうね。フェトラスは私の戦い方を経験した。もうさっきみたいに私のからめ手は通用しないと思うわ。……この子の圧縮魔法はほとんどルール無視みたいなものだし、しかも魔法属性が豊かで応用力がとても高い。単純な力比べだと、ちょっと勝てる気がしないわ]


「……帰ってこれると、思うか」


[分からない。私だって、どうやったか分からないくらいだもの。ただ必死で、がむしゃらで、全身全霊を賭けただけ。最初の頃はロイルと繋がってる感覚があったから、まだ耐えられた。絶対に帰れるって自信があった。だけど――――]


 暗闇の空を、演算の魔王は仰ぎ見る。


[あの日、私とロイルの繋がりが切れてしまった日。発動は続いていたけど、供給がゼロになった時、私の心は折れかけた。そして…………ああ、そうか……私は愛の代わりに殺意で……憎悪で発動していたのか……]


「憎悪、で?」


[フェトラスが私の能力を勝手に使っていたことに腹が立ったのよ]


 彼女は少しだけ苦笑いしてみせた。だけど言っている意味がよく分からない。この期に及んで、俺には分からないことだらけだ。


[高まる憎悪。殺してやる、アイしてる。そんな言葉をずっと繰り返して、私はロイルと再会した。ロイルが私のことを呼んで・・・くれたからだよ]


 魔王テレザムの時のことだろう。


 呼ぶ。求める。招く……そうだった。演算剣カウトリアは、召喚という技法でこの世界に現れたんだっけか……。詳しいことは知らないが、想像するに「召喚」とは【源泉】から聖遺物を呼び出す技法なんだろうか。


 そんな疑問もあったが、今はどうでもいい。俺が呼び、彼女は応えた。それだけだ。


[残骸になりかけたミトナスを介して、私はセラクタルに一瞬だけ舞い戻った]


「そう、だったな」


[いったい何百年、何千年ぶりにロイルに会えたのか分からない。あの瞬間に私は満たされた。アイも殺意も、十分に潤った。そしてその力を存分に駆使して、一瞬だけリンクしたミトナスの『追跡』の能力を解析した。虚空はどこにも続いていないのだろうか。何かを追跡出来ないだろうか。魔王でも聖遺物でもなんでもいい。とっかかりさえあれば、絶対にどうにかしてみせる。そんな気持ちで、戦い続けた]


 簡単にそう言う演算の魔王だったが、その解析とやらにどれだけの時間をかけ、どれ程の苦労したのかは推し量れない。だけど確信を持って言える。きっとその時、彼女は血反吐を吐くような思いで戦い続けていたのだろう。


[完全に切れたと思っていたロイルとのパス。だけどそれは糸が切れたというよりも、水路が干上がっていた、という表現の方が正しかった。縁は続いていた。そう自覚することで、私の活動領域は拡大。虚空に果てはなくても、扉があることを知ることが出来たの]


 河が干上がってしまえば船が出せず、向こう岸に渡れないのと同じ……ということだろうか。とにかく俺と演算剣カウトリアは繋がりが切れたわけではなかったらしい。


[私はその水路に、アイじゃなくて憎悪を満たした。あの頃の私は、愛の何たるかがよく分からなくなっていたから。――――だから、より強くて確実な憎悪で、ロイルと繋がる方法を模索した]


「……ああ、そうか。そうだったのか」


(俺がセストラーデで、魔王並みの殺戮衝動を抱いてしまっていたのは、お前のせいだったんだな)


 自分が魔王になったような気分だった。


 そしてそれはある意味で正解に近かったのだろう。俺は彼女によって汚染されていた。


 演算剣が現世に帰ってきたと確信すると同時にあの殺意は消えてしまったが、それは彼女が演算の魔王として確立したから、ということか。


 ――――だけどわざわざ伝えることでもない。


 俺はひっそりと納得して、演算の魔王の言葉の続きを待った。


[最終的にミトナスの『追跡』能力を応用して……やがて、私はアレ・・にたどり着いた]


 空中に◇のマークを描く演算の魔王。


[綺麗で汚い。明るくて暗い。キラキラしてて、ドロドロしてる、全ての源。距離という概念がなく、物理的に存在しているのかどうかも怪しいアレに、私は自ら飛び込んだの]


 彼女が口にしているのは【源泉】のことだろう。


 それを追跡した……なるほど、演算の魔王は、フェトラスと同じことをしたのか。


「お前は、魔槍ミトナスを装備したのか」


[模倣のつもりだったけど……そうね。そうとも言えるわね。不思議な感覚だった。ギィレスがいるような、テレザムがいるような、その先に貴方がいるような――――]


「…………」


[そして私はアレの最下層に至った。自分が溶けて消えてしまうような感覚。薄らいでいく自我。代わりに世界の真実を見たような気がする。大量の情報で、自分が塗りつぶされそうにもなった。だけど貴方への想いは、誰にも汚せなかった。そうして……私は、魔王になった]


「……そうか」


[アレから這い出る直後、私は神様の領域に触れた。ずいぶんと堅牢なシステムのようだったけど、私と相性の良い思考ルーチンだったから、ハッキングして改造することも出来た。そうして私は産声をあげた。貴方に会うために。貴方に愛されるために]


 愛されるために。その言葉にはいったいどれほどの感情が込められているのだろう。


 一つの言葉に、無数の意味。まるで魔法のような感情の名前。


 俺はフェトラスをそっと横たわらせて、立ち上がった。


 ロキアスは言った。彼女の告白を聞いてやれ、と。


 たぶんそれは今なんだろう。


 演算の魔王も俺にならい立ち上がる。


 そして彼女は自然な様子で微笑んだ。


 まさしく、可憐な花のようだった。


[ロイル。貴方を愛しています]


「…………」


[世界中の誰よりも。永遠の先でも。時空を隔てたとしても、貴方だけを愛してます]


「…………」


[……ロイルは、私を愛してくれる?]



 俺は。




 目の前にいるのは演算の魔王。


 薄黄色のウェディングドレスを身に纏った、月眼の魔王。


 俺の元相棒、演算剣。魔女によって離ればなれになった俺達だったが、彼女はずっと俺のことを助けてくれていた。


 フェトラスと出会った時も、演算の魔王のおかげで親子関係が結べたようなものだ。反射的に殺そうと思ったが、思いとどまれたのは彼女が与えてくれた時間・・があったから。


 そして演算の魔王は世界や【源泉】、神様の意図すら踏み越えて、俺のために地獄を通り抜けて、こうやって会いに来てくれた。


 世界中の誰よりも美しいとさえ思える。その心の在り方は、全力で俺のためだけに燃え上がっている。


 そんな彼女が「愛してる」と言ってくれる。


 きっと彼女と過ごす時間は、俺にとって幸福の絶頂とも言えるくらい豊かで満ちあふれているものになるだろう。


 ……魔王テレザムと戦った際、俺は彼女と一瞬だけ再会した。


 その時のことを「刹那の地獄」と呼んでしまったことは、今や俺に激しい後悔の念をもたらしている。


 何が地獄だ。むしろ逆だ。ここまで愛されて、何が不服だというのか。恥知らずめ。彼女がいなければ、俺はとうの昔に死んでいた。


 返しきれない恩義がたくさんある。


 報いたいという感情が確かにある。


 だけど――――。


「……俺のために生きて、俺と共に死ぬと。そう言ってくれたよな」


[ええ。嘘偽り無い、心からの本音よ]


「………………」


[………………]


「…………俺は……」


[……………………]


「………………俺は」


[……………………]



 それでも俺は、お前と共には死ねない。



 俺は真っ直ぐに顔を上げた。


 演算の魔王は深呼吸して、息を止めた。そしてそのまま俺の告白の続きを待つ。


「俺はフェトラスと共に生きたい。だけど、フェトラスと共には死ねない・・・・


[…………それは、どういう意味?]


「単純な話しさ。フェトラスには生きていてほしい。ただ、それだけだ」


[……………………]


「そして俺だけを愛してくれだなんて、思っていない。俺以外にもたくさんのモノを愛して、世界中から愛されてほしい。心からそう願っている」


[……ロイルはこの子の、幸せを願っているんだね]


「そうだ。だから俺はお前のことを……なんて言ったらいいのか分からないけど……お前のことを………………大事に思っている」


 ぐっ、と。彼女が悔しそうに唇を噛むのが見えた。


「感謝もしている。尊敬もしている、だけど、違うんだ。お前にはたくさんのお礼を言わないといけないのに、フェトラスがこんな風になっちまってるのを見ると、怒りがわいてくる」


[…………つまり?]


 俺は深く息を吸った。


 ずっと前から考えていたことだ。


 俺はこいつからの愛を、無残にも踏み散らすのだと。



「俺はフェトラスを愛している。だから、こいつを解放してやってくれ」



 頼む、と頭を下げた。


 本気であることを示すため。彼女の顔を見ないようにするため。


 誠実さと卑怯さの混じった俺のポーズを見て、演算の魔王は声を震わせた。


[……私を愛しては、くれない?]


「……いつかは出来るかもしれない。だけど、俺にとっての一番はフェトラスだ」


[いつかは、逆転出来る? だったら私待つよ]


「……お前に期待をもたせるなんて残酷な行為に、俺の小さな心は耐えきれない」


[それでもいいよ。私、がんばるよ。すごくすごく頑張るよ。今まで以上に一生懸命やるよ]


「………………」


[それでもダメなのかな。ロイルは、私の幸せを願ってはくれないのかな。私を愛しては、くれないの、かな……]


「…………ッ」


 涙の音が、聞こえた。


 そして彼女は、俺の肩にそっと手を置いた。


[フェトラスがいなければ、ロイルは私を愛してくれるのかなぁ……?]


 その手を取りたいと、本気で思った。


 彼女は俺のために地獄の日々を耐え抜いた。


 ロキアスの言った「報われるべきだ」という言葉が俺の中で意味合いを増す。全くもってその通りだと思う。


 だけど、欺瞞ぎまんは許されない。演算の魔王は本気だ。生半可な気持ちで行動するのは、クソにも劣る卑怯者のすることだ。俺は本音以外口にしてはならない。


「フェトラスがいなけりゃ、俺は生きててもしょうがねぇんだよ……!」


 頭をあげる。


 彼女の瞳からは、ボロボロとたくさんの涙がこぼれていた。


[だいじょうぶだよロイル]


「…………」


[生きててもしょうがないのなら……貴方が死ぬなら、私も死んであげるから]


「…………」


[だから、私を憎んでいいよ]


 演算の魔王が人差し指をフェトラスに向ける。双角が音を立ててその意を示す。


 俺は全身を使ってフェトラスの前に立ち塞がり、盾と化した。


[……どいてロイル。でないと、フェトラスを殺せない]



 初めて演算の魔王はそれを口にした。


 戦う。倒す。勝つ。そんな表現ではなく「殺す」と。


 俺にとって「言ってはならない言葉」を口にした。



「フェトラスを、殺すだと……?」


[……ええ]


「だとしたら、お前は俺の敵ということになる……」


[……そう、だよね]


「俺はお前の存在を、否定するしかない」


[そうだよね。ごめんね。分かってる]


 演算の魔王はウェディングドレスの裾を掴んだ。今度は、悔しさを抑えるために。


[だってロイルが大切にしているものを、私は今から壊すんだもの。でも、でもね、どうしても譲れないものはある」


「それは俺だって同じだ……!」


[どうか許して。ごめんなさい。本当にごめんなさい。貴方が赦してくれるまで、私は永遠に謝りつづける。いつか、ほんの少しでもいいから愛してもらえる日が来るまで、貴方に全部をあげたい]


「頼む……やめてくれ……」


[殺したいの。羨ましくて妬ましくて憎らしくて許せなくて、どうしても殺したいの]


「演算の魔王……!」


 そして彼女は、涙と共に絶叫した。


[――――チャンスをあげるなんて嘘! いや! 絶対にイヤ! ロイルは渡さない。この子になんて盗られたくない! いやだ、いやだ! 私を愛してよロイル!]


「これ以上フェトラスを傷つけたら、俺は絶対にお前を許せなくなるッ!」


[それでもいいよ! 私だけを見てよ、私のことだけ考えてよ、私だけを……私だけを!!]


 ああああ、と。


 薄黄色のウェディングドレスに、昏い色が混ざっていく。


[私のことを愛してくれないのなら、それでもいい。でも哀れになんて思わないで。同情するくらいなら殺して。鬱陶しいだなんて感じないで。敬遠するぐらいなら私をこの世界から消して。好きじゃ足りない。嫌いでも足りないの。離れないでほしい。どこにもいかないでほしい。近くにいさせてくれないのなら、私を虚無よりも救いの無い場所へ送って。――――そうよ。私を愛してくれないのなら、いっそ私は憎まれていたい!]


「なっ……」


[私の事だけを想い続けてくれるのなら、私はそれで幸せだわ]


「それは……そんなのは!」


[愛してるよロイル。だから私は、フェトラスを殺す]


 それは終わりの言葉だった。



 今すぐ演算の魔王を抱きしめたら、止まってくれるだろうか。


 フェトラスが目を覚ましてくれないだろうか。


 そんな寂しい結末は見たくないと、ロキアスが助けてくれないだろうか。


 神様に祈りをささげたら、どうにかしてくれないだろうか。


 シリックが、カルンが、ザークレーが、もしかしたらドグマイアやティリファが、多斬剣テレッサが、追跡槍ミトナスが、名も知らぬどこかの英雄が、突如発生した新たな魔王が、神様が。


 誰か助けてください。


 もう俺じゃあ、どうしようもないんだ。






 チャリ、と。


 小さな音が、胸元から聞こえた。



 戦友であり、隊長であり、親父でもあるトールザリアの形見。


 そしてその音は、俺にとある光景を思い出させた。




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― 新着の感想 ―
[一言] つらい、つらい、めっちゃつらい、もうほんと誰でもいいからなんかよく分からないけどどうにかなったでいいから、みんなが笑ってる結末がほしい。どっちも笑っててほしい。
2022/03/21 22:56 サットゥー
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