5-17 対価
神様の声は、あまり感情を匂わせるものではなかった。
抑揚の少ない、淡々とした声。男性のようであり女性のような。
[はははははははは!]
そんな中、ロキアスの哄笑が止まない。
両手を広げたまま、天を仰いで動かない。
《ロキアス。遊びならまだしも、本気になられては困る》
《そうとも。コレは大切な十三番目なのだ》
《観察がしたければ、正しい手順を踏んでほしい》
[ははははは! ……は? 邪魔するつもりか?]
ロキアスの瞳は狂気的に輝き、口元は悍ましくつり上がる。
[おいおい。冗談じゃないぞ。僕のおかげで収穫出来た月眼は何体だ?]
《然り。それは否定しない》
《ただ、少しだけ手心を加えて欲しい》
《焦るなロキアス。時間はあるのだから》
[ん……五月蠅いな]
『秒で興味を失った』。そんな雰囲気を一切隠さず、ロキアスは気だるげに片手を大きく突き上げた。
《警告。ケースBと判断》
《緊急遮断シークエンス開始》
《ロキアスを隔離せよ》
抑揚の無い声が、何か言っている。
[黙ってろ。【尊罪解紋序証】]
《ロキア
音が途絶えた。
光が途絶えた。
「ツッ!?」
一瞬で俺達は、扉の外にはじき出されていた。
月眼の間の外。天も地もなく、ただ闇が広がり扉しか無い場所。つまりは俺達が最初にいた地点だ。
管理精霊サラクルもいない。俺達だけ瞬間的に移動させられたらしい。
「こ、ここは……」
[あそこはカミサマ共が五月蠅いからね。ここなら安心だ。さぁ、続きをしようフェトラス]
「待て待て待て! 落ち着いてくれ!」
[邪魔するなロイル。こんな、こんなご褒美が存在するなんて思ってなかった。完全に予想外の出来事だ。夢にまで見た未知だ。理解不能であればあるほど、面白いッ……!]
先ほどまであった余裕が、ロキアスからは完全に失われていた。
美味しそうな獲物を前にした獣、なんて生やさしいものではない。
これは、砂漠で長期間遭難した者がオアシスを前にして浮かべる表情に近い。
渇望。邪魔立てするのならば親兄弟であろうとも殺す覚悟を伴った、狂おしいまでの渇望。
(交渉は不可能か!? っていうか今更だけど、こいつ六単語呪文使いやがった!)
フォースワードが「地形も変える大惨事」を引き起こすなら。
シックスワードは「十万都市を一撃で踏み潰す」にも等しい。
俺の知ってる歴史でも三回しか唱えられたことの無い、絶望魔法だ。
俺が狼狽を極めていると、フェトラスはスッと俺の前に立ち塞がった。
「続きをしてもいいけど、条件がある。聞いてくれる?」
[そんなもの聞いてやる道理はない。黙って僕に全てを見せろ]
呼吸は荒め。ロキアスは姿勢を低くして、今にも飛びかかりそうな構えを取った。
[でなければロイルを殺す」
[……はぁ?]
フェトラスの返事は、殺意に満ちあふれていた。
軽く反響するような音。ああ、これは、月眼の音色だ。
そして彼女は、魔王の威厳を伴いながら次の言葉を奏でる。
[――――私を怒らせるのが本当に上手い。お父さんを、殺す? なるほど。じゃあそうなる前に殺すしかないね]
[ククク……ククク! そうだとも! さぁ、遊びは終わりだ! もっと、もっと本気を見せてみろ! なんなら僕を殺してみせろ! それぐらいの価値を示せ!]
[だがロキアス。残念ながら、こうなってしまった私は、先ほどのような魔法は多分使えない]
それはとても静かな、冷笑だった。
[……どういうことだ]
[そのままの意味だよ。この状態の私は、先程のようなユニークな魔法は使えない。ああ、時間をかけてもいいのなら出来るけどね。どれ、一つやってみよう。――――【黙ってそこで死んでおけ】]
沈黙強制。空間固定。死の誘い。
そんな意味合いの言葉が放たれる。
だが(俺の想像だと)魔法を封じられたはずのロキアスは、事も無げに闇に沈んでその魔法を回避してみせた。
[ふん……やっぱりダメか]
想定内、と言わんばかりのフェトラス。そして、まるで沼から浮き上がってくる亡霊のように、ロキアスが姿を現した。
[口内だけで呪文を発生させた、か。中々に器用な真似をするね]
[……今のは、なんだ?]
[私の本気だよ、ロキアス]
[……今のが、本気だと? 確かに効果も複雑で、威力も相当だった。特筆すべきはその呪文構成だ。デタラメ過ぎる。お前の放つ魔法は、ルールから逸脱している……だが]
[まだ対応出来るレベル、でしょう?]
「……その通りだ。サイレンス・エアーロック・クリティカルデス。その圧縮性は異様だし、十分観察に値する未知だ。なんなら今まで僕が見たモノの中でも最高峰に珍しい。――――ああ、だけど、物足りない]
ロキアスの表情が曇る。お菓子を取り上げられた子供のように。
[さっきまでの理不尽はどこに行った? あの、訳の分からない食べ物の名前を連呼するだけで魔法が発動していた不条理の方が、もっともっと珍しい。僕はアレをもっと見てみたい]
[残念ながら無理だな。お前が望んでいるモノは、私が本気でお前を殺そうとするのなら、見られないものだ]
[…………何故だ? 銀眼なら可能で、月眼だと不可能なのか?]
[無理だな。お父さんを殺すなんて口にした相手に対して、遊び心を持てるほど私は大人じゃない]
[…………………………ああ、そういうことか]
魔法に関することなので、さっぱり分からない。
だけどロキアスは何かに納得したようだった。両手を上げて降参のポーズを取る。
[……なるほどね。要するに銀眼状態の君は、子供なのか。そりゃ予測不可能だね。対して月眼であるのならば、僕の敵たり得る。なるほど。…………いや、なんじゃそりゃ。自由すぎる]
たはは、とロキアスは苦笑いを浮かべた。
[僕が悪かった。ロイルを殺すだなんて言ってしまってごめんよ。絶対にそんなことしないから、許してほしい]
[――――――――。]
[本当だ。僕の生きがいは観察すること。喋るネズミがいたとしたら、じっくりと観察するだけだ。究極的には解剖もしてみたいが、そうすることで失われるモノがあるのならば、僕はそうしない]
[最低の見解だな]
[いや本当だって。喋るネズミが本当にいるのなら、その最後の言葉を聞いてみるほうが興味深い]
その言い方は、先ほどとうって変わって理性的なものだった。少しおどける風の、俺が知っているロキアスの喋り方。
[……まぁ、いい。ところで交渉に乗るつもりはあるのか、それとも無いのか]
[いいとも。といっても口約束だけでは物足りないだろう。お詫びと証拠をセットで差し上げよう]
ロキアスはそう言うと、ようやく肩の力を抜いた。
[とりあえず……そうだな……【幻証投映】]
ブゥンッ、と。まるでロキアスの部屋にあったような窓が一つ現れた。
そこそこ大きな窓だ。その中には、呆然と空を眺めるシリックが移っていた。
[シリックさん!」
フェトラスの声が元に戻る。
「シリックさん! シリックさん!」
[残念ながらこちらの声は届かないよ。だけどこの映像はフェイクじゃない。こちらとあちらの速度は同じじゃないけど、今は同一化してある]
「??? よく分からないけど、シリックさんは無事なんだよね?」
[無事のように見えるね。少し疲れているみたいだけど]
「ほっ……良かった……」
フェトラスはそう言って胸に手を当てて一息。そしてちらりとロキアスの方を見たと思ったら、彼女はじりじりと俺の方まで後退してきて、ギュッと俺の左腕を抱きしめた。
「ねぇお父さん」
ヒソヒソと、小声で話しかけてくる娘。
「なんだ」
「じ、実はめっちゃ怖かった……ロキアスさん……」
「そ、そりゃそうだよな。頑張ったがんばった。ありがとうなフェトラス」
「別にお礼が言われたかったわけじゃないけど、どういたしまして」
ニッコリと、大きな花みたいにフェトラスは笑った。
ロキアスは[ふーむ、参ったな]などと言いながら、その場に座り込んだ。どうやら本当に戦う意思は無いらしい。
俺としてはずいぶんと置き去りにされているので、恐る恐る声をかけてみる。
「えっと、ここは最初の場所だよな? なんでまた急にこんな所に」
[さっきまで月眼の間は、カミサマ共が煩わしかったから移動した。いちいち五月蠅いんだよねあいつら]
「……ちょっと前から思ってたんだけど、お前と神様ってどういう関係なんだ? なんかお前の方が上から目線というか……」
[強いて言うなら大家さんと店子、かな。あいつらは僕に場所を提供する。僕はその家賃を払う。どっちが偉いのかって質問は、見る側によって変わるよ]
集合住宅の持ち主と、その入居者……なるほど。まさしく契約関係にあるというわけか。
[とりあえずヤツ等は僕に退去してほしくない。でも、あんまり暴走するようなら僕を排除する権利がある……ってところかな。まぁ僕はほかの月眼と違ってカミサマに協力的だから、パートナー的な意味合いが強いけど]
「そうなのか……」
[別にカミサマが好きだからやってるわけじゃない。僕はただ、色々なものを観察したいだけ。そういうわけで手出し口だし、趣味と実益を兼ねて色々と観察実験してるってわけさ]
ふ、と。ロキアスは遠い目をした。
[ここは月眼の間の外。何も無い場所。何もなさ過ぎるからここは好きじゃないんだけど、暴れる分には最適だ。カミサマもここには干渉してこれないし]
「だが、フェトラスとやり合うのは、もう……」
[それなんだけどさ、ねぇ、フェトラス]
ご指名である。フェトラスは俺の腕をさっきよりも少しだけ強く抱きしめた。
[後で改めてじっくり観察させてもらうとして、だ。それでも僕の興奮は収まらない。どうだろう、もう一度だけ、君の理不尽を見せてほしい]
「……そんなにわたしの魔法って変なの?」
[変だよ。めちゃくちゃ変だよ。変を通り越して、頭がおかしいよ]
「ものすごい言われようだ!?」
[なんていうのかな……例えるのが難しいけど……絵を描くのにはペンがいるよね。だけど君の場合は、泥とか草とかをキャンバスに投げまくって絵を描き上げる感じ。普通描けるわけないのに、ちゃんと絵になってる]
何となくその光景をイメージしてみた。
『たくさんの絵の具を使って、下手なりに一生懸命シリックを描いたぞ』
『お父さん見てみて! 泥団子投げたらシリックさんの似顔絵になった!』
『しかも俺より上手い!?』
理不尽以外の何物でも無い。
しかし、何故だ?
何故フェトラスだけがそんな荒技を可能にしているのだ?
「歴史上……つーか、お前が観察してきた者の中に、フェトラスみたいなヤツは一人もいなかったのか?」
[いなかった。空前絶後だ。その理由も非常に興味深いが、まだ考察したくない。とりあえずは味わいたい。あ、ダメだ。我慢が利きそうにない。頼むよフェトラス。さっさと銀眼になれ。僕に全てを見せろ]
話しながらどんどん仄暗いテンションが高まっていくロキアス。
殺し合いの雰囲気ではないが、やることは実質殺し合いだ。
そんな俺の緊張感が正しく伝わったのか、フェトラスはおずおずと尋ねた。
「全力って言うけど……ロキアスさん、死なない?」
[対応を誤れば死ぬだろうね。ああ、というかむしろ殺す気で来たまえ。それぐらいでないと意味が無い]
「いやだから、本当に殺すつもりなら出来ないんだってば」
[…………本当に、君は何の魔王なんだろうね…………資質が、殺戮衝動がほぼゼロじゃないか……]
やりづらいなぁ、とロキアスは素朴に呟いて、パッと両手を打ち合わせた。
[それなら、僕と全力で遊ぼう。思い付く限り何でもやるといい。全部受け止めてみせる。たまに攻撃するけど、それは君の対応が見たいだけで、殺すつもりは無いから安心したまえ。……まぁ、あんまり気を抜きすぎると危ないだろうけど]
どうかな? と提案を示すロキアスに俺はため息をついてみせた。
「正直なヤツだな、お前。……対価はなんだ」
[おお。月眼の魔王相手になんて強欲な。色々な意味でロイルも興味深いんだよなぁ]
「俺は超常の存在に興味を持たれるような人間じゃないぞ」
[あっはっは。何を言ってるんだか。君もまた、空前絶後の人間だよ。殺戮の精霊・魔王の父親を名乗る、けれど破綻者ではない、冷静な異端者。挙げ句の果てに神理にまみれた君はもう貴重すぎて再現が不可能だ]
「後半のはお前のせいだけどな」
[君たちが大人しく楽園に収まってくれてたら、何の問題も無かったよ]
「……俺達のワガママで、お前達に迷惑をかけたことは何となく認識してるが」
[ああ、いいよいいよ。生き物ってそういうもんじゃん。ワガママなのは基本前提だ]
さ、て。そう言ってロキアスは会話を一度打ち切った。
[対価だっけ。何がいいかな?]
「俺達をセラクタルに戻してほしい。元の状態で」
[元の状態に戻すのは無理だ。あの星はもう滅びに向かっている]
「……どうにもならないのか?」
[ならないね。ベーコンに加工された豚は、もう二度と動かない]
残酷な事実を示すロキアス。
そしてフェトラスがおずおずと片手を上げた。
「じゃあ、せめてシリックさん達だけでも……どうにかならない?」
[どうにか、というのは正確にどういう状態のことを指すのかな?]
「……一緒に楽園に住むとか」
[無理だねぇ。あれは基本的に『月眼の魔王専用』だ。多様性を受け入れる仕様じゃないんだよ]
「そこを何とか」
[僕が嘘をつける身なら、君たちの楽園に全員招待しよう、と言いたいところだけど……言ったろ? それは不可能だ]
「と言いながら実は?」
[びっくりするぐらいしつこいな!? しかし食い下がられても無理だ。楽園に入れるのは、月眼の魔王と、その愛の対象だけだ。…………ねぇフェトラス。君はシリック達を愛している?]
「……それ、は」
[よしんば愛しているとしても、だ。ロイルとシリックが殺し合う程に憎み合ったとしたら、君はどちらの側に立つのかな]
「………………二人はそんなことしないもん」
[するんだよ。いや、この言い方は少し違うか。正しく言い直そう。どれほど深い愛があったとしても、それが憎しみに反転する可能性は誰にも否定できないのさ]
「………………」
[月眼の間は、言い換えれば依存の場所だ。君たちの場合だと共依存と言う方が相応しいか。――――それしかない、それさえあればいい。他のモノなんて必要無い……そうやって完結させないと空間が安定しない]
あ、と思った。
「もしかして、さっきの月眼の間で、緊張感とかが薄かったのは」
[ご明察。あそこでは一番大切なものさえあればいい、という感覚を強制的に高めている。招き入れた新規の月眼の魔王が暴れると困るからね]
解説が終わったのか、ロキアスは今度こそ話しを詰めだした。
[僕もそろそろ本当に我慢の限界だ。対価を示せ]
(思い付くわけねぇだろ)
こちとら人生のクライマックスだ。楽園とやらに入ってしまえば、そりゃ楽しく幸せに暮らせるんだろうさ。でも俺達は色々と取りこぼす。今の気持ちを。二番目以降を。可能性を。
しかしそこまで考えて、俺は自分がとんでもない思い違いをしている事に気がついた。
気がついてしまった以上、情けなくてため息が出るのが止まらない。
「ど、どうしたのお父さん」
「いや…………ほら、欲しいものを言えってさ」
対価を受け取るのはフェトラスだ。
俺じゃない。
何様だ。勘違いすんな。俺は徹頭徹尾役立たずなのだ。
「……戦うのはお前なんだから、お前が欲しいものをねだれ」
「そう言われても、思い付かないんだけど……」
「だよなぁ。じゃあさ、とりあえず普通に遊んでこいよ」
「一歩間違ったら、どっちかが死ぬんだけど」
「あいつ強いから大丈夫だろ。お前も、な。――――遊ぼうって誘われてるんだから、遊んでこい。普通の友達みたいに」
そう言うとピョコンと小さくフェトラスは飛び跳ねた。
「それだ!」
「なにがだ」
「ロキアスさん! わたし、対価決めたよ!」
[いいとも。待ちきれない。はやく言え]
「わたしとお友達になって!」
パチパチ、と。月眼が瞬いた。
[おともだち]
「うん! 一緒に遊んで、一緒にご飯食べて、困ってたら助け合ったり、時々ケンカしたり、最後には仲直りしたり!」
[………………それは、あれかな。相互利用の契約ということでいいのかな]
「そんな小難しい話は知りませーん! 観察が好きって言ってたのに、お友達が何なのかも知らないの?」
[小癪な]
ククク、とロキアスは笑った。
[そうか。友達か。ふふっ、いいよ。仲良くしよう]
「よし! そんでもっと仲良くなったら、もっと協力してもらうんだー!」
[は。っはっはっはっは! やっぱり相互利用じゃないか!]
「違いますー! ただのお友達だもん!! 何で分かってくれないのかな……あっ……もしかしてロキアスさんって……お友達いない……?」
「お前バカやめろそれは触れちゃいけない所だ!」
「あびゅ」
慌ててフェトラスの口を塞いだが、遅かった。ロキアスは静かに肩をふるわせていた。
「いや、その、なんだ。うちの娘が大変失礼なことを……」
[大丈夫だ。怒ってない。っていうか失礼なことを、ってなんだよ。その言い方の方が失礼だろ。友達がいないことは事実だけど]
ロキアスは朗らかに笑ってみせた。あ、あぶねぇ。
[……ただ、大昔にここに招いた人間のことを思い出したよ。そうか――――他の活かし方があったんじゃないか、と思ってたけど、僕と彼は友達になれたかもしれなかったのか]
「?」
[なんでもないよ。ただの独り言だ]
そう言ってロキアスは佇まいを整えた。
[では、遊ぼうフェトラス。友達らしく]
「よーし。頑張るぞ。……重ねて言うけど死なないでね?」
[やれるもんならやってみろよ、子娘]
「上等。……と言いたいところだけど、実はあんまりモチベーションがなくて。銀眼も鎮まっちゃったし。なんかやる気出るようなこと言ってくれないかな?」
[君が口にした食べ物は後で全部食べさせてあげるよ。それでどうだい?]
「【山のようなドーナツ】!」
[うおおおおおお!? いきなりすぎる!?]
そして戦い(?)が再開されたのであった。
[いきなりデザートとは恐れ入る!]
「じゃなくて、これはオヤツだよ! 前菜ですらない!」
[は。――――はははは! 愉しい! 愉しいぞフェトラス! これがもっともっと理不尽で不条理で意味不明で荒唐無稽でめちゃくちゃになっていくだなんて、ワクワクが止まらない!]
「その余裕、どこまで持つかな! 【冷たいオレンジジュース】!」
[前菜ですらないのに、この馬鹿馬鹿しさは何だ!? ああ、ああ! 僕はいま人生で最高の時を過ごしているッ!]
(なにしてるか分からない)
別に暗闇のせいではないが。速すぎて全然見えない。
ただ二人とも楽しそうだった。
すごい閃光とか爆音とかしてるけど、あまり焦りは覚えない。
ちらり、と視線をシリック達が映っている窓に送る。
彼女は呆然と空を眺めているようだった。
ザークレーは悔しそうに下唇を噛んでいる。
カルンは大の字になって寝転がっていた。
月眼状態のフェトラスにブッ飛ばされた際に確認はしていたが、それでも生きている姿を見ると安心する。
「…………あれ?」
あいつはどこだ?
「次は避けるだけじゃ危ないかも! 【牛豚鳥の燻製肉三種盛り】!」
[ツッ……!]
「えっと! なんか熱と余波と視界制御と」
[解説すんなぁぁぁ! これは僕のものだ! ヒントなんかいらない!]
「あう。ごめん! 頑張ってね!」
[へ、へへへ……ヤバイなこれは。多重属性なんて言葉がお飾りに思える。こんなもの……あ、そうか。そういうことか]
「ちょ! 速く対処しないと危ないよ!?」
[……そうか。だから、料理なのか]
「ろ、ロキアスさーーん!!」
なんか向こうは向こうでクライマックス気味だが、見てもよく分からん。ロキアスも無事っぽいし。
なので、俺は引き続き窓を観察する。
どこだ?
俺の家族は。
演算の魔王は、どこに行ったのだ。
[少しずつだが理解してきた! 君の魔法は常軌を逸しているが、それでもルールがある! 独自のものすぎて感覚的にしかつかめないが、答え合わせをさせてもらおう! テストだ。これを相殺してみろ! 【獣王霧陣】!]
「霧……!? 相殺って言っても……うわっ、危なっ!! 霧の中に何かいる!?」
[さぁ、対処の方法は無数にあるだろうが、相殺となるとどうかな!?]
「ひ、ひぇーん! 相殺じゃないとダメなのー!? えっと、うわっ! えっと! なら【肉しかないバーベキュー】!」
[ツッ!?]
「ど、どうだー! 相殺したぞー!」
[予想と全然違う方法だなぁ!? ダメだ、やっぱり全然分からない! もっとだ、底の底まで、そして天井まで見せろ!]
「ロキアスさん、お顔が怖いです!」
フェトラスがピンチっぽいので流石に動向を見守ったが、無事だったようで何より。っていうか本当に「遊び」に近いな。やることなすこと無茶苦茶のようだが、二人は合間合間で笑っている。
それにしても演算の魔王。やはり姿が見えない。
まさかあいつ、消滅した……のか……?
シリック達が無事だったのは、フェトラスが手加減したからだ。
しかし演算の魔王は違う。なぜならアイツとフェトラスは初対面だった。
ならば、もしかして。
…………演算の魔王………………。
[そういえばさっき、何やら凄い魔法を唱えようとしていたよね! 夢の宮廷料理だとかなんとか……アレは何だったのかな!?]
「あー、あれはー、えっと……実はお父さんに禁止されてるから、唱えちゃいけない魔法でした! 忘れてください!」
[ロイルゥゥゥ!! 今すぐフェトラスに許可を出せッ!]
すごく関わりたくない。
俺は何度目かの苦笑いを浮かべて、足下の闇に視線を落とした。
ここは【源泉】とやらの外側らしい。
そして全ての精霊は【源泉】に還る。
ならば、俺はもう二度と演算の魔王と会うことは出来ないだろう。
もしあいつが消えていたのなら、そういうことだ。
…………あれ?
……………………んん?
あいつの名前って、何だったっけ。
ただそれでも、俺はあいつのことを知っている。
俺はぽつりと、つぶやいた。
「無事だといいんだが……なぁ、演算の魔王」
ガッ、と。
空間が震える音がした。
視線を上に移すと、闇がズレていた。
濃度が違う? 色合いが異なる? 闇と闇がズレて、そこに隙間が生まれたような。
そして。
名前の無い怪物が、どこでもない場所に、来訪する。