5-15 彼我の実力差
正直に言うと、何をしてるのか全然分からなかった。
まずフェトラスが、爆発する閃光を放ちまくった所から戦闘は始まった。
叫んだ呪文は【連炎爆閃】
空間に浮かんだ赤い線は、二十を超えていた。
ロキアスに照射された線は十ぐらい。残りの半分は逃げ道を塞ぐように彼の周囲を照らしている。
そして即時発射される熱量。おそらく魔獣の大群ですら蹴散らすオーバーキルな魔法。音も無く、だが確かに増大する熱量に俺は顔をしかめた。
バン! という爆発音。それが小刻みに連鎖し増大していく。空間が死ぬような音が立て続けに鳴り響き、俺は顔をしかめるどころか瞳が灼けそうになってしまった。
だが目を離すわけにはいかない。
俺はしっかりと戦闘の行方を見守り、その爆炎の中で踊るように炎熱を回避するロキアスを見た。
(なんだ、あの動き……!)
ステップの一つでも間違えれば半身がドロドロに溶け落ちてしまうであろう熱量。
そんな中、ロキアスは直撃を避けながら全てを避けきっていた。
余熱だけで死ねそうだ。っていうか絶対今のカスっただろ。普通に即死するだろ。という場面もあったが、ロキアスが軽く腕を振るうだけでその炎はロキアスから離れていった。精霊服による防御、だろうか。それにしたって異様な回避能力だ。
そして全ての荒れ狂う爆発が収まった後、ロキアスは「今なにかしたかい?」とでも言わんばかりの表情を浮かべて、反撃の魔法を放った。
【凍風】
すごく冷たい風、ではない。それは全てを凍てつかせる死の風だった。
荒れ狂う熱で燃える砂漠のような空気が漂っていたのに、その空気が反転。呼吸すれば肺が凍り付くような風が吹いてきたが、それはしょせん余波に過ぎない。
(こんなの直撃したら、フェトラスがガラスみたいに凍りついちまう……!)
焦りが生まれたが、最早俺に出来ることはない。手を伸ばすことも叶わない。きっと伸ばしてしまったが最後、あの風に触れてしまったら俺の指は砕ける。
(フェトラス……!)
一瞬で凍り付いた空間。しかもそれは余波のせい。
本命の風がフェトラスに迫る。
ダメだ、ごめん、悪かった。何でもするから許してくれ。
そんな命乞いが浮かんだが、フェトラスの対抗呪文がそれを封じる。
「【灼壁】!」
生まれたのは、炎の壁。だが燃えさかっているわけではない。赤い、半透明な壁。それは恐らく、肉を置けば一瞬で消し炭にしてしまうほどの熱を帯びた壁だったのだろう。ロキアスが放った凍てつく風を食らい、まるで相殺するかのように部屋の温度が通常のそれに戻る。
隣りにいる管理精霊サラクルが「ハァァァァ! 死ぬ! 死んじゃう! 消滅しちゃいます!」と慌てふためきながら俺の腕にしがみついた。
すげぇ気持ちが分かるので、俺もサラクルの腕にしがみついた。
「これ! ヤバすぎだろ! ちょっと逃げた方がよくないか!?」
「どこに逃げるって言うんですか!」
「えっと……この扉の中とかは!?」
「クティール様の部屋!? ロイルさん死にたいんですか!?」
「誰だよそれ!?」
騒いでいるうちに、また次の魔法が。
纏雷、とロキアスは唱えた。
それはさきほどまでに余波がある魔法ではない。今度はフェトラスのすぐそばにしか効果が現れなかった。
――――それはまるで、地獄のような光景だった。
フェトラスの周辺に、パリ、パリ、と小さな雷鳴が発生する。
だけど俺は確信した。その細くて小さい雷が、たった一つでも森に落ちれば全てが灰燼に帰すであろう威力を持っていることに。
「フェトラス……!」
細くて小さい雷が、数え切れないほどに。
反射的にその数を暗算で求めた。フェトラスの片手周辺で爆ぜている雷は八つぐらい。フェトラスの腕だと、脚だと、身体だと。おぼろげに答えを求めると、百五十の森が焼き払われるほどの雷。
神の稲妻としか言い様がない、悪夢のような魔法。
今度こそ死んだ。フェトラスが、死んでしまう。
俺は顔面から全ての血の気が引く音を聞いたが、フェトラスは平然としていた。
雷の魔法は、放たれれば瞬時という特性がある。言い換えればタイムラグがあるわけだ。
だからだろうか。フェトラスは勤めて冷静に【否雷】と唱え、周辺に浮かんでいた絶殺の雷を全て沈静化させていった。
こちらに背を向けているフェトラスの表情は分からない。
けれども、ロキアスはまるで微笑ましいモノを眺めるかのように口角をつり上げていた。余裕の表情。繰り出される死の魔法。それの応酬。
(互角……なわけねぇよな)
ロキアスの戦い方は少し奇妙だった。様子見しているのだろうか。
だが次の瞬間、それが誤りだと気がつく。
[上手い上手い。では次はもう少し難易度を上げてみよう。【風迅】]
こいつ、遊んでやがる!
正直よく分からなかったが、ロキアスの唱えた風の魔法は、衝撃波のようなものらしかった。物理的な音がパァンッ! と弾け、フェトラスが痛みにあえぐ。雷の魔法と違い、それは魔法で対処出来る速度ではなかったのだろう。大したダメージでは無さそうだが、心配で眩暈がする。
あれを連発するだけで、フェトラスは何も出来ずに撃ち殺される。
そんな悲鳴を押し殺したが、ロキアスは人差し指を立てて嗤った。
[よく防げたね。まだまだ行くよ。【魂濁】]
[ツッ! 【防怨】!]
完全に理解出来ないやりとり。どんな魔法のやりとりだったのだろうか、フェトラスは片手で頭を抑えた。
[魔法による戦いだと、防戦は悪手だよ。即座につけ込まれて、詰む。……どれチャンスを一つあげよう。今から十秒ほど僕は君を観察するから、好きに攻撃してみるといい]
そして改めて気がついた。
舐めているわけではない。
厳密に言えば、遊んでいるわけでもない。
ロキアスは真剣に、愉しんでいた。
対するフェトラスは乱れていた体勢を立て直し、凜と背筋を伸ばす。
[【清魂】……【透壁】――【封間】!]
全てが目に見えない魔法。だけどきっと、一つも欠けてはならないフェトラスの布石。そしてそれが最後の呪文に結びつく。
[【爆炎連魔】ッ!]
最初に唱えた魔法に似ているが、効果は明らかに違った。最初の魔法が洗練されたものだとしたら、今フェトラスが唱えたのは徹底的な暴力だった。
それはまるで、フェトラスが過ごしたムール火山の特性を現すかのような。――――炎の魔法が多いのはそういう理由か?
爆発しながら燃え。燃えながら爆発し。連発されるそれはロキアスを中心に燃え縮まっていった。
圧縮された炎。
赤は白になり、果てに青みを帯びていた。
何もそこまでしなくても、という場違いな感想しか俺は抱けない。
(魔王テレザムが失敗した魔法ってなんだっけ……)
シリックの故郷で戦った、炎の魔王を思い出す。彼は確か……そう、神の炎、みたいな魔法を唱えて失敗していたんだっけか。
それに近しい結果がコレだ。まさしく神の炎と表現するに相応しい、過剰魔法。
流石のロキアスも大ダメージを――――。
[驚いた。実に良い判断だったよ]
負ってなかった。
無傷に見える。
化け物、としか表現出来ないが、それは俺の定規が足りてないからだ。
化け物。最強。圧倒的強者。星を砕く者。天外の狂気。
月眼の魔王――――神を殺す者。
フェトラスも似たような感想を抱いたのか、半ば呆れたような声を発している。
そんな二人の会話を要約すると、
[よく出来ました]
[上から喋るな]
というやり取りだったが、俺は既に呆然とした状態なので、ただハラハラと行く末を見守るだけ。
なので、ロキアスが最後に言った言葉を俺は理解することが出来なかった。
[じゃあ、そろそろ戦おうか]
今までの何だったの?
そこから先は、ほとんど何も見えなかった。
呪文を叫ぶ。魔法が放たれる。
その光景に見とれているウチに、次の次の魔法がすでに踊り狂っている。
俺が認識出来るのは、既に終わった魔法だけ。ヤツ等はとんでもない速度で殺し合いを行っていて、ただひたすらに膠着していた。
互角ではない。
ロキアスが手加減をしているだけだ。
様子見でも遊びでもなく、実験しているかのように。
フェトラスが放つ魔法に対し、時折ロキアスは愉しそうに[へぇ!?]と驚いていたがその表情は崩れない。どこまでも愉しげにロキアスはフェトラスを観察していた。
[【天雷魔堂】!]
[僕の魔法のアレンジか! すごい応用力だね!]
雷が空間にまとわりつく。細かく爆ぜる音が奏でられ、まるで槍のように巨大な電流が無数にセットされる。その有様はまるで雷で形作られた処刑台のようだった。
全ての雷槍の切っ先がロキアスに向けられる。
[なるほど。個人ではなく領域に雷を纏わせて、さっきの炎熱魔法みたいに空間ごと圧縮させるのか。うんうん。【飛雷沼点】。というわけで僕も君の魔法をアレンジしてみたよ。どうだい?]
チャージが完了した魔法が放たれる直前、ロキアスは目の前に握りこぶし程度の暗闇を造った。そしてロキアスではなく、その黒点に向かって全ての雷が吸い寄せられていく。
無傷だ。徹底的に。
二人が唱えたダブルワードは数十を超える。
そしてフォースワードもまた乱発されている。
いつかザークレーと、襲撃剣グランバイドの使い手ティリファが言っていた。
『短時間でフォースワードが二つ唱えられた。結果はどうなる?』
『――――地形すら変わる大惨事だ。戦争でもやっているのか』
ならばこの状況はなんだろうか。
戦争で消費される以上の火力が飛び交い、それでもなお余裕の軽口が出ている。
更に言うなら――――フェトラスだけでなく、ロキアスまでもが俺達に気を遣っている。
余波で死ねる! と何度思ったことか。
そしてこのあまり広くも無い空間内で、俺と管理精霊サラクルは未だに無事だ。確実に俺達は守られている。
明確なシールドがあるようには見えないが、薄皮一枚魔法が食い止められているように思える。
ついでに言うなら、爆発したり凍ったり衝撃波が飛びまくったりしてるが、床も壁も無傷のようだった。頑丈とはまた違う。干渉を拒絶しているかのような印象がそこにはあった。
何もかもがめちゃくちゃだ。ロキアスの言葉ではないが、確かに今の俺がセラクタルに戻るのは問題だろう。個人的な理由で。
(戦場で矢が降ってくる度に怯えていたが、もう無理だな……俺が地獄だと思っていた場所ですら、常識があった。だけどここには無い)
たぶん俺はモンスターが突っ込んで来ても恐怖を覚える事が出来ないだろう。そしてそのまま殺される。それぐらい、目の前の光景はトラウマ級だった。
(……もしも世界にとって、これぐらいの力が普通だとしたら)
俺達人間の力が10だとしたら、月眼の魔王はどれぐらいだ? ――――ではなく、月眼の魔王が10だとしたら、俺達人間の存在価値とは、いったいどの程度のものだろうか。
まず確実に言えるのは、1ですらないということ。きっと路傍の石よりも無意味だ。
「ちっぽけな存在」ですらない。俺達人間は、綿埃よりも軽い。
(ステージが違い過ぎる……)
きっと俺はもう、フェトラスとケンカ出来ない。
死ぬ程手加減してもらってようやく、というレベルだ。
魔法抜きにしても微妙だ。さっきちょっとジャレた時に感じたが、肉体的にもフェトラスはそこそこ強い。
フェトラスは俺の娘ではあるが。
怖いのではなく、畏怖でもなく、怯えでも無いが。
フェトラスは俺とは違うのだと。
ひっそりと、俺は心が折れたのであった。
やがて、どれだけの魔法が応酬されたのか。
[これはたぶん避けきれないから、頑張ってね! 【絶響】!]
[音ッ……! ああああああ!]
耳が溶け落ちるような高音が響き渡り、フェトラスが膝をつく。
もだえ、苦しみ、のたうち回る。
フェトラスはもう満身創痍だった。精霊服は薄汚れ、所々が切り裂かれて、血がにじんで、フラフラで、息が荒かった。
あれほど禍々しかった双角もその密度を減らし、今では弱々しさすら感じる。
そしてロキアスは――――無傷であった。
勝てるわけがない。
そう思って挑んで、実際に勝てなかった。
ただそれだけの話し。
心が折れていた俺は、フェトラスが倒れ込む様をじっと見つめていた。
[……どうやら終わりみたいだね。うんうん。まぁ、よく頑張った方だと思うよ]
[……ツッ…………」
[しかし君はすごいな、十三番目。魔法属性が異様に多様だ。炎が好きかと思えば、氷も風も土もなんでもござれ。金は少し使い慣れてないようだけど、要所ではきっちり使っていたし]
無造作にロキアスは倒れ込んだフェトラスに近づき、その顔をのぞき込んだ。
[君は一体、何の魔王なんだい?]
[クッ……そぉ……]
[興味深い。とても。さっきは答えてくれなかったけど、教えて欲しいな。君の別名はなんだい?]
フェトラスはグググ、と身体を軋ませながら上体を起こし、ロキアスを睨み付けた。
[別名って……なんのことよ……]
[…………まさか、自覚が無いのか?]
[ちんぷんかんぷん……]
[マジかよ。――――どういうことだ?]
ていっ、とロキアスはフェトラスの額にデコピンした。たったそれだけでフェトラスの上体が崩れ落ちる。
「子供扱いして……!」
すぐに気がついた。フェトラスの月眼が、解けている。
身体こそフラフラだが、その黒い目はしっかりとロキアスを睨み続けた。
[――――セラクタルに生まれる全ての魔王は、殺戮の精霊だ。それは何故か。決まっている、月眼収穫のためだ]
ふ、と。ロキアスは俺の方に向き直りひょいひょいと手招きをした。
[戦いは終わりだよ。話しの続きをしてあげるからこっちに来な]
「…………そうかい」
俺は一歩踏み出す。先ほどまで広がっていた地獄の先へ。
もはや殴りかかる気にもなれない。俺は優しくフェトラスを抱き起こし、苦しみにあえぐ彼女を撫でた。
[月眼の魔王に至るために必要なのは、殺戮と愛。だから余計な魔王が生まれないように細工をした。余分なリソースを使っても時間がかかるだけだからね]
「……それが、他の魔王がいない理由か」
[そういうこと。だけど【源泉】は到底管理しきれるものじゃない。出来たのは小細工だけ。つまり――――生まれ落ちる魔王に、殺戮の資質を与えることにしたってわけだ]
「相変わらず理解出来ないんだが」
[例えば花の魔王がいるとしよう。花の具現化。花の魔。花を咲かせて、花を愛でて、世界に花畑を広げる魔王だ。それに殺戮の資質を付与する。そして出来上がるのは殺戮の精霊・魔王]
「……? 花どうこうは関係なく、結局は殺戮の精霊だろう?」
[原材料が違うと言えるね。花の魔王をベースにした殺戮の精霊。例えば僕を見てごらん]
「……月眼の魔王ロキアス…………殺戮の……いや、違う……?」
[そう。僕は殺戮の精霊じゃない。僕は観察の魔王だ]
「殺戮の精霊じゃない……!?」
[観察の魔王として生まれる予定だったのに、殺戮が付与されて。けれども生きていく内に観察という本来の性質を愛し、殺戮を凌駕したってわけさ]
「……鍛冶屋の息子として生まれたけど、その跡を継がずに、本来好きだったパン屋になる、みたいな感じか」
[あはははは! なんとも庶民的な例えだが、分かりやすいね!]
「いやあんまり分かってないけどな」
そう言いながらフェトラスをゆっくりとなで続ける。
彼女は意識を失っているわけではないが、負けた悔しさで少し震えていた。
「……それで、俺達はこれからどうすりゃいいんだよ」
[ずっと同じことを言ってるつもりなんだけどなぁ。楽園に行って二人で楽しく幸せに過ごすといい。もしかしたら戦いを要請する事もあるかもしれないけど、それが家賃ってことで]
「……やっぱりセラクタルには戻れないんだな」
最終確認。
ロキアスは両肩をすくめた。
[戻っても幸せになれないよ。絶対に]
俺は心が折れた。
フェトラスは負けた。
俺達は幸せになるために生きてきた。
後悔もあるし、納得しきったわけでもないけど。
それでも、この愛しき娘が幸せになれるのであれば。
もう小さなワガママを理由に抗うのは、不毛な気がしてならない。
救いを求めるようにロキアスに視線を向けると、彼は神々しく微笑んだ。
[大丈夫だよ。君たちは幸せになれる。ハッピーエンドさ]
それはトドメの一撃だった。
心残りはあるけれど。
ああ、それでも、幸せになれるのであれば。
「まぁ、いいか……」
俺はいつもの口癖を、つぶやいたのだった。