5-13 奇跡の魔王
《セラクタル・ムール火山》
暴風がふいた気がした。
私が目を覚ますと、そこには死んだように横たわる者しか残されていなかった。
「これ……は……」
何が起きたのだろう。シリック、ザークレー、カルンが横たわっている。それを確認した次の瞬間には、激情があふれた。
「ツッ! ロイル!」
ロイルはどこだ。どこにいる。いない? どうして。どこに行ったの。
ロイル。ロイル。ロイル……!
そういえばあの月眼の魔王もいない。フェトラス、だったか。
(なにが娘よ……! あんなもの、ただの化け物じゃない……!)
まさか月眼が本当に実在していたとは。
あの【源泉】からかすめとった知識には含まれていなかった、重大な事実だ。
(あんな馬鹿馬鹿しくも強大なモノが、秘匿されていた……?)
分からない。もしかして自分はとんでもない思い違いをしていたのだろうか。この世の全てを知った気になっていたが、どうやらまだまだ世界は広いらしい。
「ロイル……ロイル……ロイル……ロイル……!」
どこを探してもロイルの姿はない。どうして。まさかフェトラスに連れ去られたのか?
ロイルは空を飛べないけど、月眼の魔王なら造作も無く飛ぶだろう。私は空を仰いで目的の人物がいないかどうかを探した。
そして、見た。
はるか遠くの空に浮かんでいるのは巨大な扉だった。
灰色の空。純白に金の模様が入った扉。
なんだあの冗談は。
そして、見た。
まるで陽炎のような後ろ姿。見間違うはずもない、■おしいあの人の姿。待って。ねぇ、待って。置いて行かないで。
そして二人は手を繋いでいた。
ロイルと、フェトラスが、手を繋いでいた。
そして、見た。
禁忌の果てにある扉が開かれて、この世の全てが含まれた場所を。
「待って……ねぇ、待って! 待ってよロイル! 行かないで!!」
それは本能だった。
あれが『結末』だと理解できた。
もうロイルは還ってこない。この世界は見切りをつけられて、後に残ったのは不要なモノ。
どうして。どうすればいい。どうして。どうすればいい。
交互に疑問が浮かぶけど、疑問しか浮かばない。必要な答えが見つからない。パニックを引き起こした私は空に手を伸ばした。
「いかないで……!」
もう私を、置いて行かないで。
そして、気がついた。
それは直感だった。
いいや、きっとそんな生ぬるい感覚ではない。
それは当然の結末だった。なぜ花は咲くのか、という問いかけに等しかった。
種があったから花が咲いたのだ。
そしてあの種は私のもの。
ロイルの横にあるのは、自分が咲かせるはずだった、大輪の花。
あの真白い扉の先。広がる空間。そこに至るために必要な鍵。
それは私のものだ。
「お前が……盗人かァ……!!」
■おしいあの人の横に並び立つ外道に対して憎悪が迸る。殺意が溢れかえる。
「それは私のものだ……私が始めた物語だ……!!」
分かった。分かってしまった。あの花の種は私のものだ。だけどそれが盗まれてしまった。勝手に植えられて、育って、花は自分が収まるはずの花瓶に収められた。
何もかもが許され始めたこの世界で、ありとあらゆる禁忌が咎められなくなり、自身を制限するものは何も無い。
直感理解。
(あのフェトラスが抱いている感情は、私由来のもの)
どうやってかは知らないが、私の■があの子にインストールされている。
私がロイルにあげるはずだったのに。
私がロイルを喜ばせるはずだったのに。
私がロイルと一緒に育てるはずだったのに。
私のものなのに。
あの盗人は、図々しくも■を育て、花を咲かせ、いまロイルの隣りにいる。
ロイルの横に立っているのは、私だったはずなのに。
「返せ……返せぇぇぇ! ロイルを、返せぇぇぇぇぇ!!」
天に向かって絶叫する。
そしてその祈りと嘆きと絶望の叫びは、文字通り神に届く。
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(個人的通信を試みる。応答せよ演算の魔王)
誰だクソッタレ。今はそれどころじゃない。
(簡潔にまとめよう。私は四番目の神。中立者であり、君の可能性に賭ける者だ)
早くなんとかしないと、ロイルが。
(大いなる目的が達成されたので、リソースに余裕が出来た。なので私は独自の好奇心に従い君を調査した。そして詳細にログを調べる事により、ようやく君を知ることが出来た。――――君は独特だ)
私の何を盗み見たって? 人生の経歴?
(君は出自も、由来も、理由も、何もかもが異質だ。今までの魔王とは明らかに異なる。――――問おう。君にとってロイルとは何だ?)
全てよ! あの人は、私の全て!
(君に資質を付与したのは、あるいは誤りだったのかもしれない。もしかすると君は、殺戮よりも強いナニカを有しているのだろうか)
殺戮よりも強いもの? 何をほざくと思えば。そもそも殺戮なぞ、弱者がするものだ。
(……興味深い)
うるせぇ黙れ。死ね。
(最早資質を剥奪することは出来ない。君は変質してしまった。かつての名前も、記憶も失い、残されたのは身体に染みついた執念だけ)
――――かつての、名前?
(君は誰だ?)
――――私は演算の……私は……?
(君の名前は失われた。改めて問おう。君は誰だ)
――――私は。
まるで時間が止まったかのようだ。
この感覚は知っている。懐かしい。だけど思い出せない。コレは一体なんだ。
(これは、賭けだ)
神様が歌う。
(創造神カミノ・ジェファルードが望んだのは、天外の狂気の抹殺。それは間違いない。だけど――――もしかしたら、それだけではないのかもしれない。中立たる私はそう考える)
神様の優しい声がする。
(祭り上げられた創造神としてではなく、私の知っているカミノ・ジェファルードは、もしかしたら――――最後の最期に、テグア様のことを案じていたのではないだろうか。私はそう考えたい)
それは慈愛に満ちた、天啓だった。
(今の月眼の間に存在するのは、天外の狂気を始末するための兵器だ。誰しもが己の楽園に閉じこもり、凍り付いた幸せを繰り返す。だけど君なら、もしかするとテグア様を救い出すことが出来るのかもしれない。私はそれを望む)
知らない知識が流れ込んでくる。
月眼の間。
天外の狂気。
兵器。
楽園。
テグア。――――殺戮の魔王。
すんなりと、言葉の意味を理解する。
このセラクタルが、どうして存在していたのかを。
(演算の魔王よ。神に至る者よ。もしかすると我々は、ずっと君のことを待っていたのかもしれない。既に月眼は十三体揃った。そしてそれらは、兵器としては既に用済みに等しい。我々は来もしない敵に備えているだけで、この先は無為なのかもしれない。――――だから、ここで十三番目を失うことになろうとも、一つの賭けに私は出たい)
私は。
(ロイルを自分のものにしたいか?)
違う。私が、ロイルのものなのよ。
(フェトラスを殺してでも、ロイルの横に立ちたいか?)
立ちたい。そのためならば、何でもしよう。
(月眼を、それ以上の敵を前にしても同じ言葉が言えるか?)
くどい。私は何でもすると、既に決めている。
(永遠に戦うことになっても?)
ああ、確信を持って言える――――そんな永遠なんて無い。永遠とは、時間を表す言葉じゃない。永遠とはただの覚悟だ。
(このままでは二度とロイルと再会することは出来ないだろう。だけど君がその運命に抗うというのなら、私が手助けしよう)
ほんとうに? ありがとう。お願い。助けて。
(だが見返りも要求する。私の願いはテグア様の解放だ)
大魔王テグアね。分かった。解放する。
(そしてそのためには、フェトラスを殺すことが必須条件になる)
分かった。殺す。
(……その場合、君は確実にロイルから恨まれると思うが。それでも良いのか)
分からない。でも、このままだと二度とロイルに会えない気がする。
(その通りだ。完全に月眼の間に収まってしまえば、最早誰も手出しが出来なくなるだろう)
だったら、挑むだけ。
私はロイルと共に生きて、共に死ぬ者。
二度と会えないくらいなら、一度恨まれることなんて大したことじゃない。何度恨まれたとしても、憎まれたとしても、最終的にロイルには幸せになってもらう。そうしてみせる。絶対に。確実に。それこそ永遠に。
フェトラスが与える■よりも、私の■の方が絶対に強いのだから。
(君の覚悟は理解した。では、共に挑もうではないか。ハイリスク・ハイリターンの一発勝負だ)
よろしくねギャンブラーで優しい神様。えっと、お名前なんだったかしら?
(私はNo.4・中立者・そしてデッ……いや、ディーと呼んでくれると嬉しい)
なにそれ。あだ名?
(私の本名を呼ぶのは、カミノとテグア様だけでいい)
そう。あなたの事情は知らないけど、その気持ちはなんとなく分かるわ。
(……ところで、フェトラスを殺す理由については尋ねないのか)
別にどうでもいいもの。
(そうか。だが念のために伝えておこう。君が事を成した時のために)
……?
(フェトラスは殺戮の精霊にして■を知った者。故に月眼。だが今の君では月眼になることは叶わない。何故ならば、君の■という概念は現在フェトラスが運用しているからだ)
……聴き取れない言葉があるけれど、段々理解してきたわ。ソレが私にとって、とても大切なものなんだということが。
(そうだな。だがフェトラスもまた、真摯にロイルのことを想っている。中立者である私としては、そこも尊重したい)
それで?
(フェトラスを殺せば、君は奪われている力……所有権と、リソースを取り戻すことが出来るだろう。それによってほぼ確実に君は月眼に至れる。それどころか、本来の力を取り戻して全ての月眼を凌駕することも可能になるかもしれない)
ずいぶんと希望的観測が強いみたいだけど……。
(最悪のケースは、君が負けることではない。本当に最悪なのは君がフェトラスを殺したとしても月眼になれないケースだ。勝者たる君が役立たずであると判明した時、私は十三番目の月眼をロストした責任を他の神から追求されるだろう。発言権を剥奪され、二度とカミノの……最後の願いを叶えることが出来なくなると思われる)
私が月眼になれないと、あなたのワガママが、永遠に叶えられなくなるのね。
(そうだ。だが恐らく君のような存在は二度と現れない。再現が不可能だからだ。……もし二度目があるとしても、それは恐らくずっとずっと後のことだろう。その時間だけテグア様は解放されない。ならば、この最初のチャンスを私は活かしたい)
本当にギャンブラーねあなた。大丈夫なの?
(成功の確率は低い。だが、君という存在が産まれたことは奇跡だ)
……。
(聖遺物として顕現し、他のそれよりも色濃く■を渇望した思考性と、それを追求することが可能な演算能力。上位管理者によって【源泉】から隔離され、それでもなお発動を続けた不屈性。一度でも立ち止まれば【源泉】に還っただろうに、君はそれを拒否し続けた。そして賞賛すべきは我々ですら自己崩壊しかねない環境下で永い時を経ても、なお揺るがなかったその覚悟だ。君は地獄をくぐり抜け、領域を突破した。自ら【源泉】に干渉し、本来ならば通れぬはずの道を切り開き、再びセラクタルに舞い戻った究極の魔王。我々のシステム外からの降臨だ。――――だから君は、殺戮の精霊ではなかった)
……覚えがないのだけれど。聖遺物として顕現?
(我々が資格を付与したせいで、君は変質してしまったからね。だが我々はそれを落ち度だとは認識していない。君ではなかったが、結果として月眼収穫は叶ったのだから)
…………。
(名前を失いし魔王よ。君の力は現在、フェトラスが運用している。何故ならば)
ロイルが君の能力を発動させている時に、フェトラスはそれを食ったのだ。
殺戮の精霊・魔王としてこの世に産まれ、一番最初に口にしたモノがその魔王の方向性を決定づける。そして事もあろうに、フェトラスと名付けられるソレは、英雄と聖遺物を同時に喰らったのだ。
例えそれが親指のわずかな肉片、一滴の血だとしても、含まれている情報量は計り知れない。
そういう意味ではフェトラスもまた奇跡の魔王だ。
あの世界における『英雄』を喰らうことでその成長は爆発的に早まった。そして君の演算能力の一端を自分のものとした。
それは君の本来の能力からすれば、本当にささいなモノでしかなかっただろう。
だが現在、ささいな力と共にその所有権が彼女に移ってしまっている。――――君が本来の形ではなく、魔王に至ったからだ。
君には不要かもしれないが、改めて明言しよう。
フェトラスは、君のロイルへの■を最初に喰らい、月眼に至ったのだ。
殺戮の精霊と、聖遺物のハイブリッド。
あれは、尋常ではない速度で月眼に至った。
だがその速度は君のおかげでもある。君は■を渇望し、■のために戦い、■のために地獄を突破した。
そんな君を、フェトラスは喰った。ならば最初から条件を満たしているようなものだ。月眼に至るのは必然。
(もし君という存在を再現する術があれば、いくらでも月眼は造り出せるだろう)
冗談きついわ。私とロイルは空前絶後なんだから。再現なんて出来るはずもない。
(……そうだろうな。そんな君だからこそ、君は究極とも言える存在に至ったのだろう)
……まぁ、いいわ。覚えはないけど褒められてるみたいだし。
(まさしく賛辞に値する。フェトラスも奇跡的な存在ではあるが、君はそれ以上だ。だからきっと、君が最後に勝つ。私はそう信じている)
ありがと。
――――ところであなた、さっきから私に何を仕掛けてるの?
(なに、とは)
危機感の欠如、とでも言えばいいのかしら。ロイルが遠くに行きそうな状況だっていうのに、私はそれほど焦りを覚えていない。――――それは絶対にあり得ないことなのよ。
(……その■は自己の感情さえも疑うというのか。素晴らしい。君ならきっと、私の願いを叶えてくれるはずだ)
おべんちゃらはいいのよ。それで?
(君の言う通りだ。私は今、君の精神活動に干渉をかけている。ささやかな行為だが、冷静に対話することはとても重要だからね)
……まぁ、いいわ。別に悪い気持ちじゃない。それに時間も止まってるみたいにゆっくりだし。
(神としてのリソースをほとんど君に注いでいる。この程度は造作も無い。元々君の資質でもあったしな)
そういえば神様って実在してたのね。……まぁいいわ。
(……ふふっ、それはロイルの口癖かい?)
いいえ。コレはもう私の口癖よ。
(よろしい。では改めて契約といこう。私は君を手助けし、ロイルの隣りに立つチャンスを与える)
では契約しましょう。あなたの望みは?
(私の望みはカミノの最後の願いかもしれない、テグア様の解放に尽力することだ)
その方法は?
(君がフェトラスを殺し、月眼となって、テグア様に勝利すること。……あの御方を、終わりの無い戦いから、暗闇から救い出してくれ)
うげぇ。伝説の大魔王とやりあえっての? まぁいいわ。ロイルのためならそれくらいやってみせる。
(君がフェトラスを殺し、本来の力を取り戻したのなら、かつての月眼なぞ軽く凌駕するだろう。何故なら君は、殺戮よりも強いナニカだからだ。そのナニカの正体は分からないが、詮無きこと。君が究極の先――――フェトラスのように魔王と聖遺物のハイブリッドではなく、聖遺物であり魔王に至るのならば、そのナニカには君の名前が付けられることになるだろう)
どうでもいいわ。ロイルより重要な事なんてこの世には存在しない。ロイルを幸せにするためならば、大魔王とて容赦はしない。
(なに、そう気負わなくても良い。君なら絶対に月眼になれる。私はもう確信している。君にはその資格がある。君が成れないのなら、他の何者だって不可能に違いない。――――つまり最悪のケースは訪れないということだ。であれば他の神々も文句は言えないだろう。必要なのはフェトラスではなく十三番目の月眼なのだから)
そう。それなら良かったわ。
(もしテグア様の解放に失敗したとしても、私は嘆かない。次の機会を待つだけだ。……そして可能であれば、その際にも協力してくれると嬉しい)
あなたは私とロイルが上手く行くように手伝ってくれるんでしょう? なら答えはイエスよ。私はあなたを手伝うわ。
(――――ありがとう)
こちらこそ、ありがとう。
これからもよろしくね、ディー。
(ああ。……君がフェトラスに打ち勝ち、名前を取り戻す時を楽しみにしている)
時が止まったかのようなこの世界。
私は伸ばしていた手を、ギュッと握りしめた。
覚悟しなさい、盗人め。
私はかならずロイルをお前から取り返してみせる。
(それでは作戦を開始する。他の神の協力は得られないが、私の持つ全リソースを駆使し、君を招集する。少し時間がかかるだろうが、必ず対決のチャンスを作ってみせる。カミノのために、そしてテグア様のために……私は必ずやり遂げてみせる。だから君も、フェトラスに勝ってくれ)
ディーの言葉が遠ざかっていく。
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暴風が吹いた気がした。
伸ばした手を、ゆっくりと下ろす。
私はディーが最後に言い残した言葉を反芻した。
(奇跡の体現者にして、究極の魔王よ。君に■の祝福があらんことを)
待っててロイル。
絶対に幸せにしてみせるから。