5-9 大魔王テグア
それとなくフェトラスの気をそらしながら話しかけて、彼女の集中力を誘導。
その結果、俺はフェトラスに全てのクッキーを食べさせることに成功した。
やりかたは簡単だ。
「なぁ、結局ロキアスは俺達に何をさせたいんだろうな?」
「分かんない……でも不思議と、悪い人じゃないように思えるんだよね」
「そうだな。あいつは月眼なのに、なんていうか」
死ぬほど真面目な顔をして、ひょい、とフェトラスの口元にクッキーを運ぶ。
「もぐもぐ」
「あいつは、殺戮の精霊っぽくないんだよな」
「もぐ」
「なんていうか、ヤツを知れば知るほど別の精霊に見える気がする」
「……なるほど。さっき言ってた、殺戮の精霊以外にも魔王はいる、ってやつ?」
「多分だけどな」
あいつはもしかしたら殺戮の精霊ではなく、別の精霊が魔王化したモノなのかもしれない。
再びフェトラスの口元にクッキーを運ぶと彼女は思案顔のまま「あ~ん」と言った。
――――今のフェトラスはデカい。完全に大人のスタイルになってしまっている。
精霊服もその成長に合わせて大きくなっており、デザインも少し変化しているようだ。白地のジャケットには黒のラインが以前よりも力強く現れている。
脚部。かつては素足がさらされていたが、今や完全に黒地のズボンにおさまっている。ブーツに至っては見た目が全然違う。なんというか、洗練されている感じだ。
脚が長くて、指先が細くて。顔つきは端正だ。はっきり言って美しい。しかし美人というよりも、どちらかと言えば芸術品のような、宝石のような。完成された美という言葉がしっくり来そうだ。
どんな男も虜にするだろうが、よく観察してみるとそれだけじゃない。
この娘の美しさは、まるで果てしなく澄み渡った大空のようだ。
しかしそれはそれとして、クッキーを「あ~ん」と待ち続ける彼女の仕草はとびきり愛らしい。キュートの極みかよ。くそ、絶対嫁になんてやらん。
「もぐもぐ」
とまぁこんな感じでクッキーは全部フェトラスが食ってしまったわけだ。
絶食が解除されたようで、お父さん一安心。
「なぁサラクル。お前は魔王か?」
青いドレスを着た管理精霊サラクルに問いかけると、彼女は首を横に振った。
「いいえ。私は高等精霊です。この身体は受肉したわけではなく、管理に必要な措置として与えられた疑似体です」
「与えられたって、誰に?」
「神様です」
……そういえば、この月眼の間には神様がいるとか何とか。
「その神様はどこにいるんだよ」
スッ、と管理精霊サラクルは天上を見上げる。
「神は、そこに」
同じ様に視線を上にやる。高い天井だ。光源が無いのに明るい。全てがはっきりと見える。だけど神様の姿は無かった。比喩的な話なのだろうか。
セラクタルが滅びるまで、五年から千年とか言っていたっけな。
とりあえずシリック達はまだ呆然としているのだろうが、速攻で死ぬというわけではなさそうなので今は一旦置いておくことにする。危機感の薄くなった俺はぼんやりとそんなことを考えた。
「俺達をどうする気なのか、改めて聞いておこうな」
「うん」
しかし、いつまで経ってもロキアスは戻ってこなかった。
管理精霊がサラクルが水をカップに注いでくれる。なにか食い物はあるか、と尋ねてみたがそれは叶わなかった。
「この空間には扉しかありませんので」
「扉。そういえばアレって何なんだ?」
「あの扉の向こうには、それぞれ月眼の魔王がいらっしゃいます」
「…………むぅ。超こわい。本当に十二体も月眼の魔王がいるのか?」
「ええ。歴代の全てがここにはいらっしゃいます。故に月眼の間」
「なんだって月眼の魔王達は大人しくここに収まっているんだ?」
「快適、だからでしょうね。あの扉の向こうはそれぞれの楽園が広がっております」
「楽園って……」
「例えばあの扉」
管理精霊サラクルが指さした扉。そこには整った幾何学模様が浮かんでいた。
「あの扉の先には、図書の魔王メメリア様がご滞在中です」
「と、図書の魔王?」
どんな魔王だよそれ。
「あの中は広大な図書館になっております。数え切れない程の書架があり、その数千倍の本が収められている世界。フィクション、ノンフィクション、エッセイから料理本、学術書から絵本まで。ありとあらゆる本がございます」
「どんだけ広いんだよ……」
「正確には不明ですが、星の半分ほどのサイズはあるかと」
俺達は目を丸くした。あの扉の向こうに、星の半分と同じ量の本が?
「全ての真実と、ありとあらゆる間違いと、それを産み出す多種多様な感情が本に記されております。メメリア様はそれをこよなく愛しておられます。……きっといつかは星のサイズを凌駕するんでしょうね」
「そんな大量の本、管理仕切れるのかよ……というかどこからそれだけの本を……」
「新作の蒐集と、保護。メメリア様は魔力のほとんどをそれにあてておりますので、不備はありません」
サラッ、と伝説級の話が語られる。
「そうか……そんなに凄いなら、ちょっと見てみたいな」
「おやめになった方がよろしいかと」
「やっぱり?」
「ええ。月眼・図書の魔王メメリア様。あの御方は穏やかな性格をしておりますが、読書を邪魔されることを憎悪しております。極めて静かに行動すれば害はないでしょうが、物音一つ、気配一つでもメメリア様の集中力を阻害してしまえば、対象者は即死することになるでしょう」
予想よりも苛烈だった。
「運良く、本を読み終えた一瞬のタイミングを掴めるのなら、多少は会話に付き合ってくれるのでしょうが……次の本に手をかけるまでの本当にわずかな時間だけでしょうね」
「や、やめておこう……」
ちらっと他の扉も見てみる。多種多様で、個性的な扉を。
月眼の魔王の楽園。
完成されたその場所に、異物が入り込んだらどうなるか。考えるまでもない。
「ちなみに、他の扉だとどんな感じなんだ?」
「――――そうですね。ロキアス様がお戻りになるのも時間がかかりますでしょうし、解説してあげてもよろしいのですが……」
「じゃあ頼むよ」
「……しかし、それだとロキアス様が機嫌を損ねてしまうかもしれません。あの御方は観察を愛し、それを誰かに伝えることを至上の喜びとされている御方です。なので、これ以上の解説はあまり好ましくありませんね」
メメリア様の件に関しては、私からの予習という形でご納得されるとは存じますが、と管理精霊サラクルは静かに言い足した。
「…………あいつが機嫌を損ねると、どうなる?」
「さて。それすらも[ふぅん?]と言って愉しむかもしれません。しかし、逆に本格的にすねてしまったら……あまり想像したくは無い結末になるでしょうね」
「オーケー。危ない所には近づかない作戦を採用しよう」
とすると本格的にすることがない。
ならば管理精霊サラクルの言葉に従い、予習の次は復習するとしよう。
「えーと? なんだっけ? この世界を創ったのが虚無の精霊とやらで。殺戮の魔王アダムと、愛の魔王イブが今の社会を造ったと。そしてセラクタルは月眼を産むための牧場。魔王は殺戮の精霊の他にもいるが、今は存在しない。――――それは何故か、というところから話が続くわけだな」
「一番最初の問いかけは、どうしてセラクタルが滅びることになるのか、だよ」
「そんでそれを説明するには、俺達の知識レベルじゃ全然足りない、ってか」
なんかアレに似てるな。なぜ人は酒を飲むと酔うのか、っていうのに似てる。
一言でまとめれば「そういうものだ」で終わるけど、きちんと理解しようと思ったら色々と専門的な知識が必要なのだ。
まぁいい。さっき自分でも口にしたが、理解は後回しだ。
あっさりと復習は終わってしまい手持ち無沙汰の予感がしたが、タイミング良くロキアスが戻って来た。
[やぁ、お待たせ。ちょっと目を離した間に色々と面白いことが起きてて時間がかかったよ]
「面白いこと……?」
[歓喜とか、絶望とか。極端かつ曖昧な反応が多々起きてる。まぁ今の所は想定内のことしか起きてないけどね。いやぁ、一番興味深かったのはデザイアスという魔王だね。とある上級管理者と交流があったんだけど、中々に面白い事になっているよ]
一体何が起きたんだ、と聞いてみたい気持ちはあったけど。そこにまで言及するともっと話が長くなりそうだ。俺は「覚えてたら後で聞こう」と思いつつ、ロキアスに質問を投げかけた。
「ちょっと前提的な事を聞きたいんだが、俺達はこれからどうなるんだ?」
[ん? ああ、そこから聞くのかい。さっきも言ったけど、簡単に言ってしまえば君たちには幸せになってもらう]
「なんとも魅力的な提案だな」
[まぁね。だから安心して過ごすといい。君たちはもうゴールにたどり着いている。ハッピーエンド確定だ]
「………………」
[ふふっ。まぁ、そんな顔にもなるよね。――――では話の続きに戻ろう。君たちがどうして楽園に至れるのかを理解してもらうためにも]
少し奇妙な言い回しだった。しかし、どこがおかしいのかと問われても答えようがない。
妙なキナ臭さはあったが、俺は黙ってロキアスに話の続きを求めた。
[では続きだ。アダムとイブが混ざり合って、殺戮の精霊と、聖遺物が対になる形で産まれるようになった世界。命が満たされ、殺戮の精霊によって減らされて、聖遺物がそれを討って。終わりのない戦いが日々繰り返される世界]
まるでおとぎ話を紡いでいるようだ。ロキアスの喋り方はゆっくりとしていた。
[そこかしこに魔王と人間が暮らしていた。仲良く共同生活をしたり、逆に敵対関係に身を置いた者達もいた。共通の敵がいなくなった人間と魔族は再び戦いだして、その両陣営に魔王がついたり。時々は共闘して殺戮の精霊を倒したり。――――それはある意味で安定した、揺らぎの少ない世界だった]
神話の世界。それは、俺の知っている現実とはまだまだ乖離しているようだ。
[繰り返される世界。何もかもが飽和していく世界。開拓され、解明され、やがて新しいものがどんどん減っていって、模倣や類似品ばかりが増えていって。それでもなお繰り返された。飽きるほどに繰り返した――――そして、繰り返してはいけないものが繰り返される]
「まさか」
[その通り。アダム以来初の、殺戮の魔王が誕生する]
「二代目、か」
[それこそが大魔王テグアと呼ばれる者。史上初の月眼だ」
史上初の月眼。
大魔王テグア。世界を滅ぼしかけた者。
大英雄ジェファルードが、分身剣シルベールを使って打倒した者。
――――いや、待て。少しおかしい。
あれは、数百年前の話だ。当時の文献は今もなお人類に遺されている。だけど、そこには殺戮の精霊以外の魔王、なんて情報は残されていない。
眉をひそめながらロキアスを見つめると、彼はニヤリと愉しそうに嗤った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
飽和した世界。
とある殺戮の精霊が上位精霊に至った。それは割と珍しいことではあったが、特筆するようなことではなかった。
だがしかし、なぜかその上位精霊は受肉した。
殺戮の魔王アダムの再臨ではなく、別の個体として。
強いて言うのならば、アダムとイブの子が、殺戮の魔王に至ったのだ。
彼が、テグアがどうして魔王になれたのかを知る者はいない。
しかしどうしようもない現実として、殺戮の魔王が現れたことは事実だった。
ゆっくりと、そして静かに、ひっそりと。魔王テグアは殺戮を遂行し続けた。成長していった。幾多の聖遺物を返り討ちにし、その正体が広まらないように慎重に行動し続けた。
何かを恐れるように生きて、そして生きることは殺すことだった。
そう、魔王テグアは極めて地味に生きていたのだった。
だけどそんな彼にも様々な事件が起きたのだろう。
彼は銀眼として覚醒し、更なる力をつけた。
そして転機があったのだろう。
彼は存在しないはずの力を手に入れた。
月という、見えない力を手に入れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ちょっと疑問があるんだが」
[なんだい?]
「いまお前が語ってるのは、お前が産まれる前の話……だよな?」
[そうだね。僕が産まれたのはもっと後のことさ]
「だったらそれ、誰から聞いたんだ?」
[カミサマだよ]
また神か。
[テグアについての詳細が不明なのは、カミサマでも知らない事だからだよ。きっとテグアは自分のことをあまり語りたがらなかったんだろうね]
「神……実在するのか?」
[いるとも。でも彼等は臆病でね。僕の話が終わるまでは出てこないんじゃないかなぁ]
「臆病な神って……何に怯えてるんだよ」
[もちろん、フェトラスにさ]
は? となった。この空間に来て何度目だろうか。
「神が、フェトラスを恐れている? なんでだ?」
[普通に怖いからだろ]
「え、だって神様だろう?」
[んー]
とロキアスは少し唸ってから、にっこりと微笑んだ。
[話が大きくそれるから、後で説明してあげるよ]
「そ、そうか……じゃあついでにもう一つ。銀眼と月眼って、なんだ?」
[銀眼は、受肉した魔王が精霊化しかけた時に発露する現象だ。簡単に言うなら『魔王のパワーアップ版』と考えるといい。魔力が増大する他、様々なパラメーターが上昇する]
精霊が受肉してまた精霊になる。あー、俺が理解出来ない種類の話だなコレ。
「じゃあ月眼は?」
[説明は難しいけど……あえて一言でまとめるのなら全て、かな]
全て。全部。オール。一切合切。森羅万象、有象無象。
[精霊と、命と、受肉と、精霊化と、殺戮と、愛。これら全てが混ざり合った状態になった時、魔王は月を識る。月に至る。月に成る]
ここで俺は、ある意味で最も根本的な質問をした。
「……そもそも【月】とは何だ?」
月ってなんだ。
見たことも聞いたことも無い。
――――だけど俺は■を知っている。その言葉の意味を知らないだけで、存在することは確信している。――――なんだ、この異様な感覚は。
[カミサマが言うには、衛星の一種らしい。星に寄り添う天体。手に届きそうな輝き。万物に影響を与え、時に人を狂わせるもの。そしてロイルに伝わるように表現するのならば、月とは、奇跡の結晶だ]
「全然伝わらないんだが」
[殺戮の精霊は愛を知らない。実感も出来ない。語れない。そもそもヴァベル語としてのソレを聞き取ることすら出来ない。なぜなら殺戮の精霊は殺すための存在だ。何かを愛したら、ソレを殺せなくなる。自己定義への反逆なんてゾッとしないだろ? 産まれた瞬間に自殺を試みる生物はいないのと同じだ。だから殺戮の精霊は愛を理解出来ない]
ちらりとフェトラスを見た。
俺のことを「愛している」と言ってくれる、分類上は殺戮の精霊を。
[――――だけど後天的に彼等は愛を得ることが出来る。アダムがイブと出会った時のように]
「………………」
[殺戮の精霊が愛を知った時、輝かぬはずの星が煌めきを得る]
「ち、抽象的すぎて全然理解出来ない」
正直にそう告げると、ロキアスは苦笑いを浮かべた。
[これはちょっとロマンチックな話でもあるからね。完璧に解説しようとすると、無粋にもなるんだよなぁ]
「…………要するに、なんだ。殺戮の精霊が誰かを愛したら、月眼になっちまうのか」
[そうだね。ちなみにコレはほとんどあり得ない現象だ。確率を論じるのもバカらしいけど、猿にペンを持たせたら美しい文字で聖書を書き上げた、ってのと同レベルかな]
本気であり得ない出来事だな、と俺は目を閉じて頭をふってみせた。
[――――大魔王テグアが現れて、月眼を得た。だけど彼は初代と違って理性があり、言葉が通じ、魔族を従えた。言うなれば完全に人間の敵だ。古今東西ありとあらゆる聖遺物が投入され、何百人もの世界最強が殺されていった]
「……それを大英雄ジェファルードが倒した?」
[いいや。大魔王テグアは――――世界を滅ぼしたんだ]
「む」
それは比喩的な表現だろうか。
[世界は灰になり、真っ白に燃え尽きた。精霊、魔族、人間、聖遺物、動植物、ありとあらゆるモノは大魔王テグアによって殺戮された]
パチパチ、とまばたきをしてみせる。
理解不能。
「……世界が滅んだのなら、俺達が住んでいたアレはなんだ?」
[現存するセラクタルは、再現されたものなんだよ]
「誰が、なんのために?」
そしてロキアスは、厳かに口を開く。
[神が、まだ見ぬ敵を倒すために]
フラッシュバック。
喪失したはずの記憶が、ゴブリと脳内に刻み込まれる。
【他の星の敵を、殺しに行くんだろうな】
【ではそれを永遠に繰り返し、他の生命体全てを殺戮した後は?】
【決まってる。再び産まれた命を、殺戮しに戻るのだ】
【では再び命が産まれない程に殺戮をし尽くした後は?】
【命が産まれるまで待つのだろう。永遠に】
【その時、その個体は何と呼ばれる? 神か?】
【違う。いつか現れる神を殺す、そう、正しく殺戮の精霊で在り続けるのだ】
頭痛は無かった。
だけど何故か、もう手遅れだという致命的な覚悟が決まった。