17 「“永い夜”と“永い戦闘”」
色を失った瞳。銀眼。
螺旋状の双角。練り込まれる魔量。
そして繰り出される強烈な魔法。
そもそも成長した魔王というのは、最強の存在である。勝てる者はこの世にいない。
人間は大昔に神が与えたとされる武器を流用して、魔王を狩っているだけだ。だからテキストには「魔王」と、「英雄」と、「英雄が使っていた武器」という三点セットが必ず書かれている。兵士の座学試験でもよく出たものだ。正しい組み合わせを選びなさい、みたいな。
降りしきる雨の中、俺は森の中を徘徊していた。
疲れ、寒さ、痛み、苦悩に葛藤、疑問にイライラ。
「ああ……面倒くさい……」
トホホなため息をつきながら、俺はひたすら森を彷徨った。
俺が持っている袋の中にはディリアの卵が。あと三つある。
フェトラスの手を離れたというのに、彼女の魔法――――闇のクッションはまだ機能していた。通常のフェトラスなら脂汗が滲み出るほどの集中力を要するはずであろう、繊細な魔法。しかも持続力が桁違いだ。というか持続する魔法なんて初めて見た。螺旋を通った魔力によって構成された魔法とは、そこまで段違いのレベルになるのだろうか。
俺は卵を巣に返すために、森の中を歩き回っている。しかし。
「ない……無い……あるわけ無い……どこにも無い……」
死の鳥、ディリアの巣はどこにも無かった。
そもそもディリアなんてこの大陸じゃ見かけたことがない。本当にいるのだろうか。実はカルンが用意した偽物なんじゃないだろうか。
「…………いや、殺したしな」
殺した感覚なんて残してないから分からないけれど、結果は残っている。俺はひな鳥を埋葬したのだ。
本当に、どこで採ってきたのだろう。
カルンの言葉を思い出す。
「コツがある……か。どんなコツだよ。お前は職人か。卵探しのプロなのか」
どんな心理か知らないけど、何故か俺は独り言を口にし続けている。
歩きながら考えた。
これからどうすればいいのか。
フェトラスは怒っていた。カルンはそれを喜んでいた。俺はそれを悲しんでいる。
魔の字を持つ二人はどこかに飛び去っていった。戻ってくるのだろうか。それとも、もう永遠に会えないのだろうか。現実味が無さ過ぎて受け入れることが出来ない。
「殺した……ああ、殺したさ。今までもそうやってきた。モンスターなんて数え切れないくらい殺したし、動物だって殺した。人間だって、ああ、殺したことあるさ」
だけどそれは殺戮の結果じゃない。生きるための、正しい行為だ。
先ほどのひな鳥もそうだ。魔王フェトラスに通常の毒が効くとは考えられにくいが、可能性はゼロじゃない。後悔もしてない。
「……でもやり方、間違えたかなぁ」
叩き落とす。警告する。卵を奪い取る。
たしかに、方法はいくつかあったかもしれない。だけど俺は確実な方法を選択した。殺される前に殺すという、生き物として当然の選択をした。
「なんで分かってもらえないかな……」
フェトラスが命の価値を学んだというのは、とても良いことだ。しかし、どうにもやりきれない。俺が悪いのか?
「…………………………」
どう頑張っても、いつもの口癖は出そうになかった。
「面倒くせぇ……」
代わりにそう呟いてみたけど、効果は無かった。誰にも通じるヴァベル語なのに、誰にも届かない独り言。虚しさだけが増幅され、救われない気持ちになる。
「…………巣。巣はどこだ」
子は親の元に返すべきだ。いつかは巣立ってしまうけど、生きるために殺すかもしれないけど、子供は親の元にいるべきだ。たとえソレが、死を運ぶ鳥だろうが殺戮の精霊だろうが関係無い。それが自然なことなのだ。正しいことなのだ。
現実逃避だとは分かってる。――――現状、闇雲にフェトラスを探し回るのははっきり言って不毛だとしか思えなかった。けれど家でジッとしていることなんて出来なかった。
だから俺は、卵を巣に戻すという矛盾した行動を言い訳にして、こうして外をウロついている。そう、これは矛盾だ。
もしこの卵を無事に返せたとして、そして成長したディリアがフェトラスの前に現れたら、俺は確実にそれを殺すのだから。
でも、やっぱり、子供は親の元にいるべきなんだ。親の居ない俺だから、それが分かる。親になった俺だから、それが分かる。この感情はきっと正しい。そして誰しもが、正しいと思うことを遂行するために生きている。
「キルキルキル……」
コイツも、突然俺の前に現れたモンスターだって、
「キ―――」
「お前も、正しい事をしているんだろう……?」
胴体を真っ二つにされたモンスターは何も答えてはくれなかった。
灰色の雲が真っ黒に染まった。もう夜だ。雨に濡れた闇。虫の音も当然のように聞こえない。雨音が全てをかき消す。俺は真っ黒な世界をトボトボと歩き、家を目指した。
「今夜は無理だな……」
もう何も出来ない。そう判断してのことだ。俺はまだ冷静なのだ。
全身ズブ濡れで、空腹で、かなりの疲労が溜まっていて、それでも俺は冷静だ。袋の中に手を入れてみると、まだ魔法が機能していた。温かい闇が袋の中にある。卵を取り出して様子を確認した。
「まだ孵らないか……ま、そっちの方が都合がいいんだけどな」
呟くと同時に、気配が生まれた。敵意だ。
(左右、前方……いや、上か)
剣を構えて、近づく気配を待ち受ける。どうやら真っ直ぐこちらに向かってきているらしい。集中していた俺はその羽音を聞き取った。
(―――鳥?)
しかも羽音は二つある。それでも位置は知れた。剣を振るうと、手応えがあった。だけど別の気配がまだ空に残っている。しかし何も見えない。即座に剣を戻し、構えをとり続ける。そしてこちらに飛来してきたもう一つの気配も俺は切り捨てた。
静寂にはほど遠い、雨音。
かろうじて鳴き声が聞こえた。
「く、く……ククゥ……」
「お前……」
特徴のある低い鳴き声。
「なんだよ……お前らがいなくなったら、誰がコイツらを育てるんだよ……」
俺が斬り落としたのは死の鳥ディリアだった。こんなにも暗いというのに、真っ直ぐに俺を……いや、袋から取り出された卵めがけて飛んできた。
「……………………」
もう断末魔は聞こえない。
「なんだよ……お前ら。この卵の親か……?」
「……………………」
「コイツらはどうすればいいんだよ……」
雨音が全てをかき消す。我が子らを救おうとする慈愛ある死の鳥は何も答えない。ここにあるのはただの死骸だ。
「俺はどうすればいいんだよ…………」
元々、俺がどうにか出来る話ではなかった。
雨で闇が滲む。
俺はそっと手にしていた三つの卵を、死の鳥の近くに安置した。
毒を含んだ食べられない卵。何もかもが悲しかった。
「…………なんでこんな事に」
この大陸に送られて。孤独に耐えて。フェトラスを拾って、育てた。
毎日毎日、ハラペコ魔王に飯をあげて、代わりに笑顔をもらっていた。思えばあの頃が一番幸せだったのかもしれない。だけど昨日だってかなり幸せだった。間違いなく俺は満たされていた。今日は、どうだろうか。
「この雨のせいか……?」
雨が降って、俺の大切なモノが消えて。
「……もういい。帰ろう」
なんとか家にたどり着いた俺は、濡れていた服を脱ぎ捨ててベッドに飛び込んだ。ベッドの上にはフェトラスとひな鳥に食わせようと思ってた果物と小虫たち。
俺は果物を食い、虫の入った瓶は窓から投げ捨てた。貴重な瓶の割れる音。これで彼等は元の生活に戻れるだろう。
家中のバケツは溢れかえっている。溜まった水を捨てるべきなのだろうが。
「………………面倒くせぇ」
俺は数ヶ月ぶりに独りで眠った。泥のように。死体のように。布団を抱きしめて眠った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
室内を照らす陽差しと、空腹で目が覚めた。
「………………ああ、そうか」
フェトラスがいないことに激しく動揺したが、すぐに落ち着いた。
どうやら雨は昨日で尽きたらしい。青空が遠く澄んでいて、雲は真っ白だった。脱ぎっぱなしにしていた服はまだ湿っている。数少ない服なのだから大切にしないといけないのだろうが、今はそんな場合ではない。
別の服を着込んだ俺は剣を握りしめ、外に出た。
世界は今日も輝いている。
深く息を吸って、肺に留める。――――ゆっくりと息を吐くだけで、心労が増大した。
「…………こりゃマズイな」
どうやら相当に参っているようだ。何でもない風景が、いつもより無価値に見える。そして同時に、ものすごく切ない。
「フェトラス……」
あいつがいないからだ。
テンパってた俺を笑わせてくれて、次から次にモンスターを寄せ集めて、ギャーギャーうるさくて、いっつも腹減ってるくせに「へ、減ってないよ!」なんて誤魔化して、そしてすごく美味そうにメシを食って、いっつも笑ってるか間抜けな顔してる、俺の大切なヤツがいないからだ。
完璧な世界の中に、アイツがいない。
俺の娘がいない。
知らず、剣を握りしめていた。さっきとは違う目的のためにもう一度、息を深く吸う。
(フェトラス。カルン。魔族と魔王。――――カルンはフェトラスを何かに利用しようとしている。障害は俺、そしてフェトラスの性格。昨日事はキッカケにすぎない。再教育という洗脳でも仕掛けるつもりか? カルンにとってフェトラスは金の卵か、それとも絶対の王なのか――――恐らく前者。死の鳥まで利用しようとした策士。潔いくらい魔族。あいつらの現在位置はどこだ? 雨がしのげる場所。フェトラスが落ち着く場所。……浜か? 俺達が最初に澄んでいた洞窟の家。もしくは魔法によって作成した仮宿とか。あるいはいっそこの大陸から既に離れ―――無視。今は朝だ。食事の時間。フェトラスは一人か? 不明。カルンが連れて歩くとは考えづらい。森。卵のコツ。動物……生きたままのモンスター及び動物。昨日は混乱。導き出される解答は、とりあえず果物。妥当だな。時間は無い)
吸い続けていた息を止め、浅く吐く。
「さて、まずはメシでも食うかね」
俺は果物を得るために森に入った。肉を焼いて食べるような、そんな悠長な時間は残されていない。
俺は早歩きで森の中を進んだ。
果物の樹に到着。残りの数は二つ。雨で落ちているのが数個。
俺は止まることなく剣をふり、その二つを手に収めた。
剣は抜き身のまま。果物の一つをポッケにしまって、残る一つは口に入れた。
甘い。美味い。でも小さい。
「クソ……足りねぇっつの」
果物ばっかり食わせやがって。誰のせいだ。肉を食わせろ、肉を。俺は腹が減ってんだよ。
「だああぁぁぁぁ! なんかイライラしてきたっ! 待ってろよフェトラス!」
ポケットの中の果物は、しまったままだ。
歩きながら石を拾う。
そして、それを左方向の林の中に全力で投擲した。
「ケェエルル、ゥッ!?」
「構ってるヒマはねーんだよ! あっち行ってろ!」
久々に全開だ。いっつもこんな調子なら楽なんだが、不完全な今の状況では、生憎そこまで便利な能力ではない。ただ、今日に限っては違った。俺はとにかく必死だった。
焦らず、ゆっくりと、賢明に。
速く走るヤツは転ぶのだ。ゆっくり歩くヤツはいつまでもたどり着けないのだ。
石を拾う。前方に危険な予感。適当に投げたら「ココッ!?」という悲鳴が聞こえた。浜に近づくほど、モンスターの気配が濃厚になってきている。
(チッ……妙だな)
先日フェトラスと森を歩いた時とは段違いだ。まるであの日にいなかったモンスターが今日現れたかのような。
右足。
(まさか―――)
左足。
「クソ……やってくれたなカルン。ちぃと楽観視しすぎたな」
焦る気持ちを消化して、俺は一定のペースを保ち続けた。俺の予感が正しければ、もうすぐ殺し合いが始まる。だから準備体操で疲れてちゃ話しにならない。そして俺はまた石を拾った。今度は少し、大きめの石だ。
森が終わる。そして林が広がる。
「……コイツは、すげぇや」
あまり広くない林にモンスターが五体いた。それは俺の予測の裏付けであり、カルンの警戒の表れでもある。ヤツとしてはこのチャンスを逃すわけにはいかないのだろう。
(どいつもこいつも初見だな。大・中・中・大・大。全て新種。フェトラスの食事はまだなのか?)
モンスターの一体と目が合った。
(甲殻型。普通の剣じゃ捌けないだろうな。間接のつなぎ目を狙うのがベター……いや、折った方が早いか)
恐らく強敵揃いだ。この中の一匹が農村にでも現れたら、とんでもない被害が出るだろう。
俺は林の中を駆け抜けた。
「ヴァアアアアアアアアア!!」
右一閃。
「ドゥル!!」
正面回避。首をはねる。
「シャアアアアアアアア!」
左迎撃。組み付いて首をへし折る。
「――――!」
首を落としたと思ったヤツが生きていたので、急所と思われる箇所を三カ所ほど貫く。
「イリリリリリリリリ……」
この場で最強。毒液。回避。距離を置く。剣、投擲。頭部破壊。
「テトテトテトテトテト!!」
素手で眼窩をえぐる。のど笛を突く。隙。足下の枯れ木で眼球の潰れた場所から脳を破壊。
計五体。殲滅完了。
俺は駆けて、投げた剣を回収した。そのまま走り込み、俺は見慣れた浜辺に躍り出た。
ロイル。
種族・人間
肩書き・お父さん
装備品
鉄の剣(量産品)
汚れた服(量産品)