5-8 アダムとイブ
それは最初から暴威だった。
発生直後、それは周囲の生き物を、精霊を、環境を殺戮した。
後に残った残骸すら殺戮されて、何も残らない有様だった。
他の精霊と同様にヴァベル語が使えるはずのそれ。しかし誰も意思疎通を行うことは出来なかった。
殺戮の精霊。
当然のようにそれを排除するために、様々な者が戦いを挑んだ。
そして殺された。
それは段々と大きく、そして更に強くなっていき、やがては全ての者が思った。
「これは、一過性の試練なぞではなく、我々を終わらせる者なのでは?」
【源泉】は何も答えない。何も示さない。
殺戮の精霊という共通の敵を前にして、今までの諍いや、軋轢は水に流された。
様々な者が入り交じった世界。そして今度は、文化が混ざり始める。
すべてはアレを殺すため。
協力が始まり、相互理解が深まり、助け合いが行われ、思いやりが産まれていく。
世界から争いが激減して、残ったのはたった一体の敵。
殺戮の精霊を抹殺するために、本当に様々な研究が行われた。
人間だけでなく、魔族も、精霊も互いを認め合い、ありとあらゆる方法が模索された。
人間は数で対抗し、魔族は魔法で対抗し、ほとんど全ての精霊が彼等に力を貸した。それほどまでに殺戮の精霊は世界にとって異物であった。
そして世界は統べられる。
全ての者はとある魔王の旗印の下に集い、協力して殺戮の精霊を討つことが決められた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……ん?」
今何か、おかしな展開が差し込まれたような。
「魔王を討つために……魔王が? ん? なんだって?」
[ああ、そういえば言ってなかったね。魔王ってのは、殺戮の精霊の代名詞じゃない。――――魔王とは、受肉した精霊を指す言葉だ]
ロキアスの言った言葉を受け止める。
魔王=受肉した精霊。
は? なんだそりゃ。というのが正直な感想。
「って言っても……俺は殺戮の精霊以外の魔王なんて知らないぞ……俺が知ってるどんな歴史書にも、子供向けの絵本にすら出てこない」
[君が知ってるのはたかだか数百年程度のことだろう? 僕が語ってるのは数億年単位の話だ]
「スケールがデカすぎて何の感慨もわかねぇよ」
俺が降参のポーズを示すと、ロキアスは薄く笑った。
[まぁそうだろうね。これは人間が理解出来る範疇を超えている話だろうさ]
その笑みは、どことなく狂気を孕んでいるように思えた。
[光の精霊、森の精霊、剣の精霊……多種多様な精霊がいて、高等精霊になれるのは極一部だ。そして更にそれを突き詰めて産まれるのが、魔王]
「……じゃあ例えば、光の魔王とか、風の魔王……雷の魔王とか、いっそ酒の魔王とかダンスの魔王みたいな変なのもいるのか?」
[ははっ、流石にダンスの魔王はいないと思う。面白い発想だねロイル]
「知らんがな。つーか酒の魔王は否定しないのな」
[詳細は知らないけど、いたみたいだね]
「待て。ちょっとイメージを整える」
精霊がいて。高等精霊がいて。その上が魔王。
兵士見習い → 王国騎士 → 英雄……みたいな感じか?
……だめだ。字面を思い浮かべると理解は出来るが、実感が出来ない。
俺にとって魔王とは殺すモノであり、【酒が受肉する】なんて面白ワードはただの冗談にしか聞こえないのだ。
俺がうーんと唸っていると、ロキアスはじっとその姿を観察しているようだった。
「なんか愉しそうだなお前」
[めちゃくちゃに愉しい]
変なヤツだ……。
「まぁ、いいや。しかしだとしたら、なぜ今の世界には殺戮の精霊しか魔王がいないんだ? 他の魔王とやらはどこに行った」
[その話をロイルが理解するためには、もう少しだけ原初の殺戮の精霊に関して語らないといけないかな]
「……全然設定を知らない演劇を見せられてるみたいな気分なんだよな。そうだったのかー! って全くならん。むしろ段々と思考放棄みたいな感覚に陥り始めてるぞ」
[ふむ。休憩でも入れるかい?]
「そうしたいのは山々なんだが……あのさ、セラクタルがリセット? されるのっていつになるんだ?」
[最短でも五年かな? 長いと千年とか]
俺は馬鹿馬鹿しくなって、ほんの少し残っていた危機感を全部投げ捨てたのであった。
「もういいや。別に聞き流すわけじゃないけど、頭ゆるくしておく。とりあえず理解は後回しにして、知るだけにしとくよ」
[そうかい。では、再び話を戻そう]
ロキアスはスッと脚を組み替えて、語り部に戻る。
[時代は全てと、殺戮の精霊との戦争に突入する。戦争が起こると、文明は凄まじいスピードで進化するんだ。何せ生き残るために必要だからね。武器、防具はもちろん食べ物も、戦術や戦闘技術という目に見えないもの、兵士を癒やす娯楽ですら発達していく。いつか誰かが言った言葉だけど、戦争は金を産む、というヤツに近い]
分からなくも無い。現に俺も傭兵として金を稼いでいた時期があった。
[そして進化したのは、殺戮の精霊も同様だった。彼は殺戮するために力を求め、やがては受肉。魔王へと至る]
「…………史上初の殺戮の精霊か……それはどんな魔王だったんだ?」
[ただ殺すだけのモノだよ。殺すために存在して、殺すことが生きがいだった――――殺戮の魔王。名をアダム]
【殺戮の魔王】。
すとんと、その言葉は胸の内に収まった。
ラベルもボトルの中身も完全に一致した、完成形。
「世界全部と戦争、か。……まさしく化け物だな」
[様々な魔王が挑み、殺され、殺戮されていく中。やがては独立した存在であってはずの彼等がまとまっていく。そしてリーダーが産まれる]
「全てを統べる……魔王……」
[彼女の名はイブ。愛の魔王だ]
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
総力戦の結果、殺戮の魔王アダムは滅ぼされた。
そして生き残ったわずかな者達は、愛の魔王イブの庇護の元、徐々に世界を修復させていく。
だけど時間が流れて、世界が再び繁栄を取り戻していく最中、再び殺戮の魔王アダムは発生してしまう。
過剰な命に対するカウンター。
雨漏りを受け止めるバケツがあるとして、それが一杯になった時、中身を空にしようとする者。
自然発生する精霊を止める手段は無い。
愛の魔王イブの行動は早かった。成長してしまう前に殺戮の魔王アダムを討ったが、それは意味の無いことだった。
バケツは溢れかえっている。――――殺戮の魔王アダムは何度でも蘇った。
その度、殺して、殺されて。
やがては殺戮の魔王アダムの亜種が発生する。
魔王に至らぬ殺戮意思。
殺戮の精霊。
もう誰にも止められることができない。
毎日殺して、殺されて。
そんな世界はまるで、殺戮を繰り返すために存在しているようだった。
そして、そんな世界が延々と延々と延々と続くさまに、愛の魔王イブは疲れ切ってしまった。
もうヤダ、と。ため息をついて諦めた。
「やぁ、アダム」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「元気そうで何よりだ。君は何億回殺せば、この世界から永久退場してくれるんだろうね」
「殺す。殺す殺す殺す殺す殺す。殺す」
「そうだね。この満たされた世界が有る限り、君は消えてくれないんだろうね」
「殺す……殺す殺す殺す、殺す殺す殺す」
「光と闇、命と死、愛と憎、繁栄と殺戮」
「殺す殺す? 殺す殺す殺す殺す殺す」
「だけどこの世界はコインのように表裏一体じゃない。多面的に、全ては繋がって、連なって、見る角度が変われば輝き方も変わるものさ」
「殺す殺す殺す。殺す殺す殺す殺す」
「ねぇ殺戮の魔王。わたしはもう疲れたよ。無限も永遠もこの世にはきっとない。いつかは全て虚無に還る。その時まで君と殺し合うのは、もう飽きた」
「――――殺す」
「ねぇ、アダム」
「――――」
「わたしを殺戮していいよ」
「…………」
「その代わりと言っちゃなんだけど、わたしは君を愛するよ」
「殺す」
「……何万年生きたのかも分からない。わたしは全てを愛してきた。だけど、そうだね。君だけは愛することが出来なかった。だって君を愛するということは、他の何も愛さないと同じことだから。……ごめんよ。愛の魔王失格だね」
「……殺す……」
「でももう大丈夫。どれだけ長い付き合いだと思ってるの? いい加減この現状にはうんざりだ。だからさ、先に進もう?」
「殺す?」
「わたしを殺戮するといい。そしてわたしは君を愛そう」
「殺す殺す殺す」
「未来永劫、全てが虚無に還るその時まで。そうとも。わたしは――――」
「イブ」
「君だけを愛するよ」
そして、殺戮の魔王は消えた。
殺戮の精霊だけが残った。
そして、愛の魔王は消えた。
愛は不確かなモノへと変化した。
【源泉】に還った二人は、ずっとそこで殺し合い、愛し合い、寄り添っていた。
大きく、そして小さい。
美しくて、醜悪な。
不定形の菱形。
上層部はキラキラと輝いて。
中層部は溶け合って。
下層部はドロドロと濁って。
【源泉】に還ったものは、全てアダムかイブのどちらかの影響を受けることになる。あるいは両方から。
下層部からこぼれ落ちたモノは殺戮の精霊となり。
上層部からあふれ出たものは、それの対になる形を望んだ。
何かを殺戮しようとする性質と。
誰かと寄り添い、生きようとする性質。
どちらも単体では成立しない。他者がいるからこそ存在できる、多面体の宝石。
誰かを殺すものは、誰かを愛する者と、交差する。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
[……とまぁ、これが殺戮の精霊と、聖遺物のなれそめさ]
理解力は数分前に置いてきた。
ふーん、って感じ。
「頭ふわふわモードだから考察も想像もせずに直で聞くけど、なんだって聖遺物という形なんだ? 殺戮の精霊に対抗する存在なら、別に武器という形じゃなくてもいいだろ」
[殺戮の精霊を殺すための精霊? それは殺戮の精霊とイコールみたいなもんじゃないか。そしてそういう次元の話しは、イブが終わらせた。聖遺物は彼女の愛の具現化だ。だから半物質化しているってわけ]
「……なるほど?」
[あんまり分かってないだろ君。なんて言えばいいのかな……アダムとイブは結婚した。そして、子供達が産まれたってイメージが近いかな。聖遺物が武器の形をしているのは、殺すためじゃなく、愛する誰かを護るため。その意思を遂行する手助けのために存在しているからだ]
「なるほど」
よく分からん。
イメージがまとまらない。
ただなんとなく――――アダムとイブが仲良く過ごしてくれたらいいな、と俺は思った。
[さて、話を戻そう]
「そもそも何の話をしていたのかすら分からなくなってきた」
正直にそう答えると、ロキアスは椅子から少しずり落ちた。
[――――よし、休憩!!]
ロキアスは[ちょっと観察してくる]と言い残し、一枚の扉を超えて出て行った。
シンプルで複雑な、まるで天国と地獄を描いたような扉だった。模様が過密した部分と、空白部分の対比。見ていると謎の情報過多感で眩暈がしそうになる。うああああきぶんがわるいぞ!
変なもん見続けたせいで具合が悪い。俺に癒やしをプリーズ。
なので、俺は横にちょこんと座っているフェトラスに話しかけた。
「さっきロキアスが語っていた歴史、どう思う?」
「ん……」
彼女は少しだけ背伸びをしてから、両手を膝の上に置いた。
「なんとなく実感出来るかな、って感じ。殺戮と愛はセットなんだー、って」
「そうか。俺は全然分からんかった。というか、理解する必要性に疑問を感じる」
「……わたし達、これからどうなるんだろうね」
「そうだよ。重要なのはそこなんだよ」
ここは異世界? みたいな場所。
セラクタルは滅びる。
では俺達はどうすればいい? ここで暮らすのか?
「……まぁ、確かに俺はお前がいれば大体のことはオーケーだが…………」
「そうだね。早くシリックさんの所に戻りたい」
ふと、いつかの思い出を幻視した。
おかあさん、と。
シリックがフェトラスに言わせた言葉だ。
今の彼女にとって、シリックはどういう存在なのだろうか。
…………なんか聞くの怖いから質問しないけど。
「てかお前、マジで何も食わなくて大丈夫か? クッキーもまだ余ってるし、遠慮すんなよ」
「……食欲より抵抗感の方が強いかな」
寂しそうな笑顔。
あまり見たくないタイプの、切ない表情。
「お父さん権限を行使します」
「え? モガッ!?」
俺は無理矢理、フェトラスの口にクッキーを突っ込んだ。
「はいかんでー」
「やめモグお父モグうまぁぁぁぁぁぃ!! なにこれ、メチャクチャ美味しい!?」
「な? 美味いだろ?」
「奇跡だよ! なに、天才!? 上質な小麦と、洗練された砂糖に、少量の塩……モグモグ……味の深みはバターと……たまご、かな? でもそれだけじゃない。この香りは……モグモグ……美味しぃぃ…………って! 何するのお父さん!! 食べたくないって言ったじゃん!」
「さらっと三枚食っといて何をほざくか」
俺は笑った。
心の底から幸福で、笑った。
なんとなく、俺は今後の方針について腹を決めたのであった。
まぁ今更な原点回帰だ。
フェトラスは、俺が護る。
――――それは、なんのために?
決まってる。
会話をするために。
可愛らしい仕草を見るために。
予想外の反応を楽しむために。
心の全てを満たすために。
俺はフェトラスを、幸せにしてみせる。
それが俺の、全ての行動理由だ。