5-7 月眼の間ー世界発生ー
月眼。
上手い例えが見つからないが、それが発生する確率は、セラクタルに巨大隕石が激突して星が丸ごと滅びるのと同確率だ。
発生したら死ぬ。全てが。
そんな月眼が、にこやかに片手を振っていた。
[とりあえずそこにいても何も始まらないから、中においで]
さて、ロキアスと呼ばれた月眼を見た俺だが、何故か恐怖は感じなかった。
「……本物か?」
[うん? それはどういう意味かなロイル君]
「お前は本当に月眼の魔王なのか?」
[それ以外の何に見える?]
疑いようも無く月眼だ。それは見て分かる。
だが、あり得ない。
何故なら世界は滅んでいないのだから。だからこいつが月眼であるはずがない。しかしどう見ても月眼だ。
混乱しそうになった俺は、とりあえず一つ一つ疑問を潰していくことにした。
「そもそも三代目ってどういうことだよ……]
[そのままの意味さ。観測史上三体目、ってこと]
「お前の他に二体も月眼がいるのか?」
[全部で十二体いるよ]
もう笑うしか無かった。
「あははは。そら凄い。この世界は意外とタフなんだな」
[――――ふふっ。とにかく中へおいでよ。僕、ここがあんまり好きじゃないから]
「……中に入ったら、俺達はどうなる?」
[さぁ? とりあえず幸せになるんじゃないかな]
ちらり、とフェトラスの方を見る。
彼女は興味津々といった様子でロキアスを見つめていた。
「フェトラス。どう思うよ」
「よく分かんないけど、入るしかないんじゃないかな」
「……月眼からの招待、か。まぁ確かに断るのもゾッとしないな」
「大丈夫だよお父さん。何があっても、私が護るから」
まるで宝石の煌めきのように、一瞬だけ濃密な銀眼が浮かぶ。
そんな娘の言葉を疑うのは、自分でも中々に難しかった。
「しゃーねぇな。いっちょ飛び込んでみますか」
[オーケー。それじゃ、中で待ってる]
ロキアスが引っ込むと、音も無く扉は閉まった。
俺はやれやれと、管理精霊サラクルに向き直った。
「それで、なんだっけ。俺達一緒じゃないと入れないって?」
青いドレスを着た精霊はこう答える。
「そうです。手をつなぐといいですよ」
「そうかい」
さっきはビクともしなかった扉。
俺達が二人で鍵だという言葉。
そしてそっとフェトラスは、俺の手を取った。
「行こう、お父さん」
「ん」
二人で手を繋ぎ、そっと扉に手を添える。
音も無く扉は開き始め、その中身を俺達に示した。
そこは、蒼白い空間だった。
白い壁。蒼い光。混ざり合って、とても清廉な色合いをしている。
埃一つ存在しない、美しい広間だった。
どことなく、かつてフェトラスが創り出した幻想の世界に似ていた。
ティリファが好きだと言っていた色を淡くしたような。柔らかさを基調とした、優しい蒼色。
広間はだだっ広く、天井も高い。ただし光源は見当たらない。
舞踏会でも余裕で開けそうな具合だ。
そして壁には、規則的に扉が並んでいた。
数えてみると十三。扉の模様はそれぞれ異なり、様々な印象をこちらに与えてくる。
無垢、静寂、狂乱、混沌、秩序、壮麗。その他、多種多様だ。
一番目を引くのは、何やらとても楽しそうな雰囲気を放つ扉だった。まるで全ての生き物が誘い込まれたくなるように仕向けたような、強い誘惑を感じる。
逆に無地の扉もあった。「完結」という言葉が最も相応しいと思える、余地無き終焉。
どれもこれも、見ていると胸がザワつく。俺は視線を切って、広間の中央に顔を向けた。そこにロキアスは立っている。
彼は仰々しく両手を広げ、俺達を歓迎した。
[ようこそ、【 月眼の間 】へ!]
なんだその怖すぎるワードは。
ロキアスが片手を振るうと、部屋の中央にテーブルとソファーが生み出された。聞こえなかったが、何か呪文でも唱えたのだろうか。
[さぁて、さっき言った通り焼き菓子でも食べようじゃないか。実は僕の手作りなんだけど、けっこう美味しいよ]
ロキアスは終始友好的な様子で語りかけてくる。
俺としては断る理由も無かったので、誘われるがままにソファーに座り込んだ。
(うっわ、なんだこのクッション……王族御用達かよ……)
ふっかふかだ。しかしそれなりに堅牢さもあって、実に座りやすい。これなら一日中座っていても、どこかが凝るということはあり得ないだろう。
俺に並ぶようにフェトラスもそこに座る。手はずっと繋いだままだ。
椅子に座ったまま、魔王ロキアスを観察してみる。
少年だ。
髪には赤味がかかっていて、爽やかな印象を与えるカットが施されている。
着ている服は精霊服なのだろうが、デザインに凝っていた。暗い色合いのズボンに、赤いシャツ。そしてブラウンカラーのジャケットを着用している。
見慣れないスタイルだが、その幼い顔つきと相まって、よく似合っている。
彼は懐から小さな包みを取り出し、それをテーブルの上に並べた。
[さ、食べなよ。味は保証付きさ]
そう言うと、音も無く管理精霊サラクルがお茶を入れ始めた。いつの間に。そしてどこから用意したのだろう。
並べられた焼き菓子は、真っ白な……クッキーのようだった。俺が知ってるクッキーと比べると、あまりにも美しい。
思えばムール火山に突入してから、まともな物を食べてない。俺は大して警戒もせずに、そのクッキーを一つ口に放り込んだ。
「……うっ!?」
目がグァァッ! と開く。
「お、お父さん!?」
毒でも食らったかのような反応を示した俺に、フェトラスが焦ったように詰め寄る。そんな彼女を俺はゆっくりと片手で制して、クッキーの感想を口にした。
「う……うめぇ……美味すぎる……」
「え」
「いや、すごいぞフェトラス。これ、めちゃくちゃ美味い。なんだこれ。すげぇ」
[気に入ってくれて何よりだ。そのレシピは僕も気に入ってるやつでね。たくさんあるから遠慮無く食べるといい。ああ、美味い以外の感想も欲しいかな。何に合いそうだとか、足りない風味なんかを教えてくれると嬉しい]
「すまん。このクッキーは完璧だ。お前の望む感想は言えそうにない」
[そっかー。まぁ、感想の代わりにその賞賛を受け取っておくよ]
ロキアスは楽しそうにカップに手を伸ばした。
ふわり、と。特徴的な香りが鼻に届く。
「まさかそれ……珈琲か?」
[そうだよ。サラクル。ロイル達にも淹れてあげてよ]
「かしこまりました、ロキアス様」
まるでメイドのように管理精霊はふるまう。彼女は優雅な手つきでティーポットの中身をカップに注いだ。そしてそれが俺の目の前に置かれるやいなや、ぶわり。香りが空気を切り裂いて、俺に幸せの予感を与えた。
「これまた、すごいな……本物の珈琲だ……いや初めて見たし、飲んだ事もないんだが、これが本物なのか」
[そうだよ。熱いから気を付けてね]
スッ、と管理精霊が小さなカップを別に差し出す。その中には真っ白い液体が入っていた。
[ミルクを入れると飲みやすさが増すけど、どうせならブラックで飲んでほしいという気持ちもある。――――すごく高い珈琲だから]
「ははは。珈琲の値段を気にする月眼の魔王とか」
軽口を叩きながら、その真っ黒い液体を口に含む。
苦み。熱。香り。奥行き。飲み終えた後の吐息には、旨味が存分に含まれていた。
「やべぇ」
語彙が喪失した。
「すごいぞフェトラス。お前も食ってみろよ。クッキーも珈琲も最高の味だぞ」
笑いながらそう伝える。
だけどフェトラスは、表情を硬くしていた。
「あれ? フェトラス?」
「……わたしはいいや。お腹空いてないし」
「またまた」
「いや、本当にいらない」
彼女は寂しそうに笑った。
「……どうした? 具合でも悪いのか?」
「…………あのね」
彼女は言いづらそうに、苦笑いを浮かべた。
「わたし、お父さんとカフィオ村で別れてから、何も食べてないんだ」
「……………………は?」
「水しか飲んでこなかったの」
「なんで」
「…………だって」
俺はカップをソーサーに置いて、少しばかり真剣な表情を浮かべた。
「どうした。言ってみろよ。ちゃんと聞いてやるから」
「………………世界に対して殺戮を仕掛けてたわたしが、何かを食べるだなんて傲慢だと思えて。だから、我慢してた」
「ツッ」
俺は寂しさと、悲しさと、怒りを覚えた。
「幸い空腹感はあっても、食欲は無かったから。雨水だけで十分だったよ」
「……栄養もなしに、そんなに身長伸ばしたのかよ」
「今まで食べた量がすごかったからじゃないかな」
それは哀しい笑顔だった。
クッキーを食べて浮かれていた自分がバカみたいだ。
飲む気が失せた珈琲をそっと遠ざけて、俺は魔王ロキアスに向き直った。
「美味かったよ。ごちそうさん。それで、ちょっとばかり質問があるんだが」
[どうぞ。それに答えるのも僕の役目だ]
「セラクタルが終焉を迎えるって、どういうことだ」
そう。俺には、浮かれている余裕は無かったはずだ。
シリックの安否はどうなった。それは確かな心配の気持ちなのだが、焦りはあまりない。
(この空間のせいなのだろうか……危機感が、薄すぎる……)
まるで強制的に安心させられているようだ。その異様な感覚に、俺は戸惑った。
そんな様子を隠さずに披露する俺対し、ロキアスは両手を広げて尋ねた。
[結論から話すのと、順序立てて説明するの。どっちがいい?]
少し悩む。
たぶん結論とやらを聞いても意味不明だろう。
だがシリック達が危ないかもしれないのに、悠長に構えている自分自身に対して危機感を覚えたので、俺はスピードを求めた。
「結論から頼む」
[あの星はもう用済みだから、終わる。それだけだよ]
「用……済み……?」
[そうだよ。あの星は役目を果たした。だからリセットされるんだ。今までと同じように、これからも同じように]
「役目ってなんだよ」
[セラクタルという星は、月眼を産むために造られた牧場だ]
あまり理解出来なくて、素直に首を傾げる。
「月眼を、産むために……造られた……?」
[…………えーと、やっぱり順序立てて説明しようか?]
「待て。とりあえず、そのリセットとやらを食い止める方法を教えてくれ」
[なんで?]
「俺の産まれた星だぞ。大切なモノとか、まだ知らない事とか、たくさん置き去りにしてる」
[教えたところで、ただの人間である君にはどうしようもないと思うんだけど]
嘲笑を浮かべる月眼の魔王ロキアス。俺はグッ、と歯を食いしばって、沈黙という肯定を選んだ。
確かに。魔法の使用はおろか、聖遺物すら所有していない今の俺はとんでもなく無力だ。きっと何も出来ない。救うことはおろか、何が起きてるのかさえ知るよしも無い。――――だけど、この右手は温かい。
「ロキアスさん。お父さんには、わたしがいるよ」
[そうだね。月眼の魔王フェトラス。君なら可能かもしれないね。だけど……君の別名は何かな?]
「別の名前? そんなものないよ。わたしはフェトラス。お父さんの娘。ただ、それだけ」
[おや]
ロキアスは「ふぅん?」という表情を浮かべて、人差し指を立てた。
[ではせっかくだ。ゆっくり、順番にこの星のことを語ろう]
「……何故だ?」
[これが僕の仕事であり、生きがいの一つでもあるからさ]
ロキアスは珈琲をそっと飲み終えて、神々しく嗤った。
[我が名は観察の魔王ロキアス。この世の全てを知覚し、それを愛おしむ者なり]
君たちの初々しいであろう反応を、観察したくてたまらないのさ、と言って、彼はとびきりの笑顔で嗤った。
[なにせ、きちんと事情が説明出来る人がここに来たのは初めての事だからね。誰も彼も話しを聞かないし、大して興味も無さそうなヤツ等ばかりだったから]
「……今までもここに、誰か来たことがあるのか」
「まぁね。ちなみに人間は、君で二人目だよ」
ふっ、とロキアスは笑う。
[ああ――――愉しい。なんて愉しいんだ。僕はこの時のために生きている――――]
観察の魔王ロキアス。
彼は、そんな観察結果を発表出来ることに、とても幸せそうな笑顔を浮かべた。
[では始めよう。この世界の成り立ちを、君たちの意味を、君たちの未来を語ろう。そして大魔王と呼ばれた、殺戮の精霊テグアの話を――――]
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
最初は虚無しかなかった。
空間は存在せず、だから時間もありえなくて、観測する者もおらず。ただの虚無。
だけどその虚無には、虚無ではないモノを創り出す力があった。
原子のような、それでいて似て非なるナニカが揺蕩う世界。
虚空としか観測出来ない、是空の一点。
だけどある日、途方も無い時間をかけて、虚無はとある偶然を創り出した――――虚無には何も無い。時空という概念はおろか、何をしようという意思すらない――――だから結局、それは偶然だったけど、いつか至るはずの必然だったのだろう。
原子のようなナニカの衝突。衝突。衝突。衝突。衝突。
やがて世界は開闢するだけのエネルギーを得た。
大いなる虚無に抱かれて、小さな世界が始まった。
そんな小さな宇宙の、更に小さなとある空間。
それはある意味で模倣だったのだろう。その空間には、一体の精霊がいた。
虚無の精霊。実体も意思も力もない、存在しない精霊。
だけど存在を生み出す虚無にして、母なる精霊。
それが【源泉】と呼ばれる存在だった。
全ての精霊の源であり、全ての精霊が還る場所であり、全ての精霊が再び産まれるために活用されるエネルギーの集合体。増えることはあっても、決して減ることのない、森羅万象そのもの。
虚無に浮かぶ、美しい菱形。
源泉は様々な色を持ち、様々な輝きと闇を孕んでいた。
やがて空間は意味を持ち、時間という概念が活かされだし、やがて【源泉】が産み出したモノは塊となり、後世においてセラクタルと呼ばれる星が始まった。
そこは精霊が覇権を握る世界。
炎の精霊は猛々しく燃えさかり。
水の精霊は気まぐれに循環し。
金の精霊はあらゆるものを創造し。
風の精霊は自由に舞い。
土の精霊は様々なモノを芽吹かせる。
そして光であり闇である精霊は、世界を二つに分けた。
雲の精霊が産まれ、稲妻の精霊が産まれ、嵐の精霊、清流の精霊、沼の精霊、波の精霊、虹の精霊、四季の精霊、様々な精霊が産まれた。
そうして世界中に精霊が満ちていく。
様々な精霊が混ざり合い、別れ、変異し、やがて世界は満ち溢れ――――そして、気の遠くなる時間が流れて、必然的に精霊でないものが産まれた。
それはきっと偶然だったのだろう。
だけどその偶然は、爆発的に連鎖した。
精霊でないもの。それは、『命』と呼ばれるものだった。
精霊はただ在るもの。
増減に意味は無く、どこで踊るのも自由。
だけど、命には維持が必要だった。
生きるためにはエネルギーが必要で、エネルギーを摂取出来なければ、消えた。
命が産まれた。
だから当然のように、死の精霊が産まれた。
死の精霊は猛威をふるい、ありとあらゆる命を刈り取っていった。
そして命はそれに対抗。死の精霊から身を護るために、それぞれが様々な手段を用いだした。
脆弱なエネルギー創造力では足りない。命は他者を食らうことを覚え、奪うことを知り、分かち合うことを知り、やがて死の精霊と上手く付き合えるようになった頃、命は「戦うこと」を知った。
命は増えた。
命は進化した。
やがて、命は精霊を産みだした。奇跡のような必然だった。
草の精霊が産まれた。木の精霊が産まれた。森の精霊は、山の精霊となっていった。
ある日、命から産み出された精霊達は「もっと上手に戦う方法」を考えた。
それは知性と呼ばれ、精霊達は「自己」を得る。そして彼等は「情報」「蓄積」「伝達」その果てに「言語」を、ヴァベル語と呼ばれるモノを得た。
だけどそんな宝物はあっさりと命に模倣され、収拾がつかなくなった。
こうしてセラクタルは、精霊と命の星になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……なんのおとぎ話だよ」
[さてね。その辺は直接観察したわけじゃないから何とも言えない]
「この世界は神様が創ったんじゃないのか?」
[だったら、創造主……つまり、その神様は誰が造ったのかな?]
「…………」
[ついでに言うと、ありとあらゆるものが同じ言語を扱っているという事実は、通常の文明体系ではあり得ないらしいよ]
「は? なんでだよ?」
[文明というのは派生するものだからね。つまり枝分かれするものだ。そうして便利なもの、適したもの、好まれるものが生き残っていく。――――たとえばさっき君が食べたクッキー。あれだって、最初はただの麦が原料だった。そこから試行錯誤が行われ、色んな作り方が発生する。だからクッキー以外にも焼き菓子は色々な種類があるだろう? 様々なレシピが考案されて、たくさんのクッキー、マフィン、パイ、クラッカー、マカロン、ドーナツが作られた]
「……マカロンってのは食ったことねぇけどな。それがどうした」
[だけどこの世界には、クッキーしか、ヴァベル語しか無いんだ]
魔王ロキアスはにっこりと笑った。
[そもそも【源泉】由来の言語だ。学習する必要もなく、初期設定で命にも備わったそれがある限り、他の言語なんてのは極めて限定的にしか存在しない。まぁ暗号みたいなものだね]
言語を学習する、という(俺にとっては)意味不明な考え方に、賛同も否定も出来ない。だが確かに、特異な言い回しや、ことわざなんかは学習が必要か……と俺はひっそりと納得した。
[さて、そんな事実から考えてみても、僕の話に嘘が無いこと、たんなるおとぎ話ではないという事は分かってもらえたかな?]
「…………まぁ、なんとなく」
完全に理解することは求めてなかったのだろう。ただ魔王ロキアスはそんな確認を一つした上で、両手をパンと打ち合わせた。
[では話を続けよう]
魔王ロキアスが喋っている間、フェトラスはじっとしていた。
話しを聞いていないわけではないのだろうが、黙って聞いているだけのようだった。
[セラクタルは精霊と命の星になり、やがて動物が生まれて、殺し合い、色々な種類が淘汰されていった。弱肉強食。適者生存。――――そうして勝ち残ったのが、人間だ]
「………………」
[そんな人間に対抗すべく、精霊達は何を創り出したと思う?]
「対抗? ……そもそも、対抗する必要なんてあるのか? 共存出来てたんだろ? っていうか、これは例えだけど、風と殺し合う人間なんていないだろ」
[その辺も人間には分かりづらい感覚だろうね。じゃあせっかくだし、同じく風で例えよう。いいかい? 人間は風を殺せない。当然だ。だってただの精霊……実体の無い現象なわけだし。そもそも殺すべき命が無い]
「そりゃ、まぁ……でも、水をかければ火の精霊は殺せそうな気がする」
[消えるだけだよ。いつでもどこでも、手順さえ踏めば火の精霊は再現される」
「ああ。そういう考え」
[話を戻すよ。――――人間は風を殺せない。そして同じく、風は人間を殺せない。強風で吹き飛ばされた人間が死ぬのは『風に煽られたから高い所から落ちて死んだ』という二次的な理由でしかない]
「…………火の精霊は……人間を殺せるんじゃ……」
俺がそう呟くと、魔王ロキアスは[どんだけ火の精霊が好きなんだよ]と笑った。
「いやそういうわけじゃないんだけどな。ただ、なんとなく」
[火の精霊は人間を殺せるけど、別に殺そうとしてるわけじゃない。ただ、燃えさかっていたいだけだ。そう在るしかないし、そう在りたいだけだ。たまたまそこに命があったとしても、彼等はそんなこと気にしない。何かが燃えた結果、人が死んだ。これもまた二次的な話だよ]
「口を挟んで悪かったよ。その辺の話はもういい。それで、精霊は何を産みだしたって?」
[精霊が創り出したものこそ、魔族だ]
「!」
[炎は燃えるために。水は流れるために。風は舞うために。土は世界を形作るために。金は造り出すために。光と闇は、ただあるがまま。彼等の活動に命の必要性は皆無だ。だから、目障りな彼等を排除するために、魔族は産まれた]
「排除って。別に精霊とは普通に共存出来るじゃねぇか……」
[もちろん共存は可能だよ。だけど、その必要性がなかった。精霊にとって、命は自分達の活動の場を制限する邪魔者だったんだよ――――まぁ、大して気にしていたわけじゃないけどね。本当にちょっとだけ目障りだった、ってだけの話]
「……誰が、というか。どんな精霊が創り出したんだ?」
[特定の精霊はいなかったそうだよ。ただの総意だ。あるいは【源泉】の気まぐれか。……ありとあらゆるモノがごちゃ混ぜだった時代だったし、組み合わせによる自然発生と言っても差し支えないだろうね]
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
創り出された魔族は、命に精霊のエッセンスを加えたハイブリッド存在だった。
ヴァベル語を核とし、精霊にしか通用しない法を掛け合わせる。そんな精霊の力を借りる方法を彼等は可能としていた。
魔法と呼ばれるソレは、人間達では抗いようのない攻撃手段だった。
しかし、魔族の数は少ない。そして精霊と命を掛け合わせるということは、二倍の寿命を消費することにも等しかった。なのでいきなり魔族が人間を淘汰することは出来なかった。
けれども地道に、そしてひっそりと魔族達は数を増やし、種類を増やし、やがて人間と魔族は敵対関係の道を進んだ。
戦うことが、命の基本的な行動原理だったから。
そしてまた再び長い時が流れて、人間と魔族は互いに戦いながら文明を発展させていき、やがてそれが飽和状態に近づいていった。
この頃になると精霊の新種も中々産まれてこなくなり、ある意味で世界は完成した。
そして人間と魔族の戦いが激化するころ。
一体の精霊が発生した。
殺戮の精霊。
増えすぎた命を殺すために産まれた、必然だった。