5-5 願いという魔法
思い出の中のフェトラス。
ちっこくて、動きが細やかで、表情がクルクル変わって、賑やかな女の子。
だが目の前の月眼の魔王は違う。
極大の存在感、微動だにしない佇まい、表情は固定されており、静謐な魔王。
今しがたこの子が見せた破壊の術は、人間の想像すら超えた領域の一撃だ。
一撃。たった一つの魔法。殺された火山。おいおい、火山を殺すってなんだよ。そんなに気軽に環境を破壊してくれるな。
俺の人生の中で、最強の敵といえば魔王ギィレスだ。
俺が弱かった、というのもあるにせよ、あれは間違いなく死闘だった。
そんな魔王ギィレスが、例え千体いてもこの月眼の魔王を倒すことは出来ないだろう。
というか、倒せるかこんなもん。
怖い。普通に怖い。
なので、俺は素直にその言葉を口にした。
「怖いな、お前」
だけどそれは断絶の言葉じゃない。
だから俺はこう続ける。
「まさしく無敵だろう。誰もお前には勝てないし、そもそも挑もうとするヤツの方が珍しい。あれ、なんか似たような台詞をどっかで言ったことあるな」
[そうだね。覚えてるよ。そういえばお父さんはこうも言っていたよ。私に勝てるようなモノは、存在しちゃいけない――――って]
「おお。そんなこと言ったか俺」
いつだ? お前が初めて月眼になった時とか?
「まぁいいや」
どうでもいいのだ、そんなことは。
「とにかく、別にわざわざアリを踏み潰すようなマネはせんでもいいだろ。放っておけ」
[私は無敵でも、お父さんはそうじゃないもの]
「……あー」
[さっきから言ってるじゃない。私の敵は、あなたの敵。私を倒すことは不可能だとしても、私の心を殺すことは可能だよ。――――お父さんが死んじゃったら、私はもう自分でも何をするか分からない]
重い。
人間が受け止めきれるプレッシャーではない。
軽く論破された俺は、頭をかいた。
「そうは言ってもな。俺はただの人間だ。いつか必ず死ぬ。怪我で、病気で、寿命で。それは避けられないことなんだよ」
[――――そんなこと言わないで]
少し表情を曇らせた月眼の魔王は、下唇を噛んだ。
[私は全ての願いを叶える存在。不可能が無く、常識を覆し、法則をねじ曲げるモノ。だから私ならきっとどうにか出来る]
「……俺を不老不死にするってのか?」
[私の願いの一つだし、もちろん挑むよ。まだとっかかりもないし、どうやったらいいのかも分からないけど……それは私の限界じゃなくて、まだ私が知らないだけの余白。手を伸ばせば必ず掴めるはず。そもそも下準備はもう済んでるしね]
「下準備?」
[既に私は、その魔法を知っている。即ち【死なないで】という願いを]
あ、となった。
ドグマイア達とやりあった後に、彼女が唱えた効果不明の魔法。
死なないで。
きっと誰しもが当たり前に抱く、死を遠ざけたいという祈り。
「あれって、成立してるのか? 俺はもう不死ってんのか?」
[残念ながらまだ。あれは……そうね……稚拙な魔法だったけど、効果としては運命力の補正、かな? 分かりやすく説明すると、流れ矢に当たらなくなる魔法]
「運が良くなる、みたいな感じか」
[不運を殺す魔法だよ]
そういう割には、普通にカフィオ村で魔族に殺されそうになったけどな。
……でも、確かに。結果的に俺は死ななかった。生きている。そういうことだろう。
もしかしたら、あの変態オールバック野郎の矢が一発も当たらなかったのは、その魔法のおかげだったのだろうか。いや普通にザークレーの奮闘のおかげってのが一番大きいんだが。
そんなことを考えていると、月眼の魔王の肩が少し上下した。
[願う力が強かったから成立した、超高等であるはずの運命操作魔法。ふふっ、今ならもっと上手に出来そう……]
嗤う魔王に、俺はため息を見せつけた。
「じゃあ皆殺し云々は置いといて、そっちに取りかかれよ」
そっちの方が建設的だ。
しかしまぁ、そうは言っても。
「……別に不老不死になりたいわけじゃないけどな」
えっ、と月眼の魔王が驚いた。
「お父さんは……死にたい、の?」
「いや死にたくねぇよ」
[……???]
俺は椅子に深く座りなおして、テーブルに肘を置いた。
死にたくない。
傭兵時代。俺の周りの人間は大量に死んでいったが、あんなクソみたいな戦場に自ら訪れておきながら、死にたいと思っていたヤツはたぶん一人もいない。
死ぬだろうな、という予想はもちろんしていたし、実際死んだが。
『ロイル……死にたくねぇ、な……』
『隊長……!』
思い浮かべるのは今は亡き隊長。俺の親友、トールザリア。
『あいつが……待ってるんだ……あいつに……会いたい……』
『だったら帰ろうぜ! お前、散々俺に自慢してたじゃねーか! 久々に子供にも会うんだろ!?』
『おお……そうだとも……可愛いんだぞぉ……たぶん、もうでっかくなっちまって、彼氏の一人でもいるんだろうが……』
『よし、その彼氏とやらを俺達で査定しようぜ! カス野郎だったら殴り飛ばす!』
『ふ、っふっふ……ガフッ、ゴホッ! 思えばお前も、ずいぶん良い男になった……』
『……隊長?』
『彼氏かぁ……ロイル、お前みたいなヤツだったら……良かったんだがなぁ……』
『何を過去形にしてんだ! 錯乱してんじゃねーぞトールザリアッ!』
『死にたく……ない……まだ……まだ……我が子の成長を……』
『逝くなトールザリア!!』
なぁトールザリア。
今なら分かるよ。あんたの視線の意味が。あんたの優しさが。
人間なんて微塵も信じられなかった俺の、一番近くにいた男。
知らなかったよ。今、はっきり理解できたよ。
『すまん、ロイル……お前の成長も……見届けて……やりたかった……』
あんたが、俺の親父だったんだな。
はてさて、順番的にはどっちが正しいのやら。
あんたが親父だったから、俺も父親になれたのか。
それとも俺が父親になったから、あんたが親父だと理解出来たのか。
『こまけぇ事は気にすんなロイル』
そうだな。――――ははっ、見ろよトールザリア!
今俺の目の前に、死が溢れかえってる!!
俺が育てた娘だ!!
クッソ怖ぇ!
ああ、だけど! 俺達はいつもそんな戦場で戦ってきたし、帰る理由があるからあんたは鬼のように強かったッ!
今の俺はどうだ! きっと、あんたと同じ気持ちだ!
あんたと同じ理由だ!!
だから、俺も、めちゃくちゃ強いはずだ!!
俺は腰に下げていた多斬剣テレッサを、テーブル上に置いた。その代わりに、トールザリアのネックレスを手に取り、首に付ける。
いまさら親父、って呼ぶのは抵抗があるけどよ。トールザリア。あんたの力を貸してくれ。
そして真っ直ぐに、何でも願いを叶えるという月眼の魔王を見つめた。
俺の愛しい娘を、取り戻すために。
「いいかフェトラス。生き物はいつか必ず死ぬ。だからこそ、生きているこの時間が貴重なんだよ」
[私はそれを永遠にしてみせる]
「それがお前の願いか?」
[少し足りない。きっと私の願いは、途方もないもの。言葉ではまだ表せない]
「そうかい。だけど一つだけ言っておく。俺達は永遠じゃないし、無限でもない。いつか必ず終わるモノだ」
[……なんでそんなこと言うの?]
「お前が分かってねーからだよ」
[なにを]
「毎日牛肉食ったら飽きるだろ」
[――――は?]
「たまにはサシミも食いたいだろ? 素朴なスープとか、良い香りのする米とか」
[何言ってるのお父さん?]
「まぁ聞け。もしお前が毎日牛肉でも構わんと言ってもだ、食べられる量には限界がある。胃袋もそうだし、そもそも牛を絶滅させる勢いで食ったら二度と食えなくなる」
[あの、話がズレてきてると思うんだけど]
「ズレてねぇよ。お前の願いの正体が分かった。お前は言葉で表せないと言ったが、俺が代わりに教えてやろう」
[――――じゃあ、教えて? 私の願いってなに?]
「お前の願いは、繰り返すことだ」
そう思ってくれたのなら、俺は少し誇らしい。
今までの人生が楽しかったのだと、幸せだったと、だから終わらせたくないのだと。
「お前の願いを叶えるには、二種類の方法がある」
[――――。]
「あー。今からかなり妄想チックな事を言うぞ。お前が神様に匹敵するくらいの能力があるとして、だ」
[うん]
「このまま生きて、いつか死ぬ。そしてお前は時間を戻す。俺達が出会ったあの日に。そして楽しく過ごす。何度でも。飽きるまで」
本気でメチャクチャな事を言っている自覚はある。
「まるで読み終わった本を、最初から読むようにな」
そう言い足すと、フェトラスは微妙な表情を浮かべた。
[――――悪くないけど……あまり魅力的には聞こえない、かな]
「だろうな。そしてもう一つの方法は、さっきもお前が口にしていたな。俺を不老不死? とやらにして、毎日楽しく過ごすって寸法だ」
[うん。だいたいそんな感じ]
「終わらない日常。楽しい毎日。俺達がずっと親子を続けていくこと。決して終わらないこと――――即ち、繰り返すこと」
[――――うん。そうだね。【それが私の]
「前者ならともかく、後者は成立せんぞ」
フェトラスは目を見開いた。
[な……んで?]
「変わるからだ。俺も、お前も。何もかも」
[…………]
「そもそも、もし俺が不老不死とやらになったら、それはもう俺じゃない」
[そんなことない]
「いいや。違うね。もし俺が死ななくなったら、きっと俺は二度と口にすることが出来ないことがある」
[それは、なに?]
「お前にも教えた、とても大切な……俺の信条の一つだ」
命は、みんな一つしか持っていない。そして一つの命を繋ぐにはたくさんの命がいるんだ。
[ツッ]
「覚えててくれたか? 思い出したか? そうだ。命は一つしかないから大事なんだ。この世界でお前がたった一人しかいないのと同じだ」
[でもそれは]
「俺が不老不死になって、どう生きる? どう考える? 生き物ってカテゴリーから抜け出しちまった俺は、果たして本当に今の俺と同じか?」
想像も出来ない。
死なない自分だなんて。
出来る想像はせいぜいが「今の自分がずっと続く」という、現在の延長線上だけだ。
現在が続くだけで、未来が見えない。
「――――毎日牛肉食ったら飽きる、って言ったよな」
[……うん]
「じゃあもしも、もしも俺が生きる事に飽きて、死にたいと願ったら」
[!!]
「その時俺は、不老不死とやらの俺は、お前に願うしかなくなるわけだ」
[やめて、言わないで]
「即ち――――フェトラス、俺を殺してくれ、ってな」
[やめ……やめてぇぇぇぇぇぇ!]
フェトラスはその麗しい長髪を振り回しながら、華奢な両腕で自身の細身を抱きしめ、髪の隙間から月光を放った。
[やめて! もう、やめてよ!]
「何をだ?」
[私の言うことを、願いを、お父さんのためにしてることを、否定しないで!]
「おいおい。あのクールな様子はどこにいった。っていうか、否定するなだと? ははは。この程度のケンカ、俺達にとっちゃ日常茶飯事だろ」
[でも、でも!]
「そうだな。お前は月眼の魔王。全ての願いを叶えるモノ。絶対的であり、傲慢であっていい、王様――――俺の知ってるフェトラスとは、だいぶ変わっちまったな」
[う、ぐ……あああああああ!」
瞳の色が目まぐるしく変化してく。月は銀に。銀は月に。またたく星は、混迷を極める。
やがて銀色の娘は、俺に尋ねた。
「お父さんは、わたしのこと、すき?」
「大好きだよ」
そして月色の娘が、俺に告げる。
[……愛してるよ、お父さん]
「俺の方が愛してる」
だから彼女は、自身の願いを口にする。
[私はただ、お父さんとずっと楽しく生きていたいだけ]
「同意だよ。でも生きるってことは、死ぬことだなぁ」
[でもお父さんは、死にたくないんだよね]
「そりゃそうだ。でも仕方が無いことなんだよ」
だって俺は。
「俺はカウトリアを使っていたから、その辺が他の人とは違う。――――死の覚悟なんて、とうの昔に、飽きるほど済ませてきた」
きっと俺は、もう納得してるんだ。
だから彼女は、自身の願いを口にする。
[【私は、お父さんを幸せにしたいよ】]
月色の瞳からこぼれ落ちた涙は、とても透明だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
《全管理者へ通達》
おめでとうございます。
果たして、この世界は役割を終えました。
今までご苦労様でした。
貴方達のおかげでこの世界は維持されていましたが、もうその必要もありません。
この瞬間をもって、貴方達の任は解かれます。
この星はやがて地獄のようになるのでしょうが、それまでは思うように生きてください。
禁忌を恐れる必要はありません。
貴方達は自由です。
繰り返します、貴方達は――――自由です。
その結果はいつも同じですが、月眼の収穫という本懐が成された今、ここから先は貴方達管理者へのご褒美です。
どうぞ好きな様に生きてください。
おめでとう。貴方達は解き放たれました。
そしてありがとう。
それでは、さようなら。
世界が滅ぶまで、我々も余暇を楽しみます。
はいはーい! どうもー!
お疲れ様! 定型文だけじゃアレなんで、僕からも一言!
たぶんみんな混乱してると思うから、僕が分かりやすく説明してあげるね!
なんでって? そのリアクションを観察するのが愉しいから!
あのね、この世界は――――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
こぼれた涙が地面に落ちると同時。
空に、巨大な扉が浮かんだ。
真白く、金色のラインが入った荘厳なる扉。
どこかで見たことがあるような。
いつか開けてやろうと誓ったような。
でも鍵がなくて。ナニカの殺意に呑まれて。
気がつくと俺は鍵を――――フェトラスの手を握って、その扉の前に立っていた。
「は?」
いつの間にか世界は闇に閉ざされていて、ただ扉がある謎の空間に俺達はいた。