16 「死銀」
断末魔は無かった。
「えっ」
「…………」
俺は突き殺したひな鳥をフェトラスから離れた所に打ち捨てた。
雨の音だけが、辺りに響いた。
闇の中。ひな鳥は数秒にも満たない生を終えた。
「な…………なんで……?」
いかようなショックか。フェトラスは半笑いで俺にそう尋ねた。その笑い顔を受け止めた俺は、言いようのない怒りを覚えた。
「カルン、貴様…………!」
魔族の表情にはどんな感情も浮かんでいない。だが、その薄皮の下にある醜い笑顔を俺は感じ取った。
「カルン―――!」
ひな鳥の血が付いた剣を魔族に向けると、その瞬間にすごい力で家の外に吹っ飛ばされた。
(魔法。玄関がムチャクチャだ。フェトラスか。誤解か)
なんとか受け身をとるが、衝撃を殺しきれずに手の平を派手にこすった。おそらく血まみれになっただろう。死んだひな鳥を抱いたフェトラスが、ゆっくりと家の外に出てきて俺と対峙した。
「なんで……?」
「フェトラス! その鳥に触れるなッ! その鳥はディリアっていってな、猛毒を持っている! そいつは獲物に食らいついた瞬間に相手を絶命させる、死の鳥なんだ!」
「そんなの関係無いよ……ねぇ、なんで? なんで殺したの?」
「フェトラスッ……!」
言葉が届く様子ではない。
だが幸いなことに、ディリアの遺骸を握りしめているわけではなく、手の平にそっと乗せているだけなので、毒を含む牙に触れる危険性は低そうだ。
「どうして殺したの? どうして生きさせてあげなかったの?」
ディリアの毒はとてつもなく危険だ。ありとあらゆる可能性を考慮した俺は、最も安全な選択をしたつもりだった。だが、その選択は安全ではあっても正解ではなかったらしい。
「……危険だと判断したからだ。もし噛まれたら、お前は死んでいた」
「だから、そんなの関係ないってば―――!」
顔を上げたフェトラスの顔を、
……いや、瞳を見て俺は戦慄した。
黒かったはずの目が、色を失い銀に澄んでいる。
資格ある魔王が“敵”を前にした時に見せる、銀眼だ。
「ふぇ、とらす……」
「なんで殺したのっ!?」
剣を握りしめた俺は、すぐさま左に跳ねた。
だが、足りない。フェトラスはデタラメに魔法を解放させて辺りの一体を爆風であおいだ。それはただの癇癪。彼女にとってそれは攻撃ですらないのに、対応を誤れば死に至る。
(チッ……明確な殺意があれば避けやすいんだがなぁ……!)
地面を転がりながらも、俺は決してフェトラスから目を離さなかった。
カルンは表に出てこない。おそらく、家の中で高笑いを押し殺しているのだろう。最初からこうなることを見越していたっていうのか……。だとしたら、相当な策士でありゲス野郎だ。
死の鳥、ディリアは希少種だ。滅多に見れられる鳥ではなく、見たら逃げるか殺す必要がある。まるで魔王と同じような扱いを受ける害鳥。この辺にも生息していたとは到底信じられない。
(別の大陸から卵を持ってきた? 雨の中? それとも以前から所持していた? いや、あれは孵る寸前の卵だった。つまり、この辺にディリアが生息しているという……そんな気配感じたこと無かった! ディリアは旅する鳥でもあるから、産卵のために最近住み着いた? 分かるわけない。そこまで鳥図鑑なんて読み込んでねぇ! ただ、危険だから特徴を覚えさせられただけだ!)
……信じられない。だが、いた。見た瞬間に体中が警告を発した。テキストで見た死の鳥の特徴と一致した。だから“確認した瞬間”に殺した。それ以外の答えを俺は持っていない。卵の状態で気がつけば良かったのだが、流石にテキストには卵の絵は載っていなかった。
(生まれそうな卵を見繕って持ってきやがったな、カルン!!)
孵らずとも、毒は既にその身に宿っている!
思えば、ヤツは何と言っていた? 「卵を採ってくる」だ。つまり以前から見当を付けていたということに他ならない。俺は卵なんて、この大陸に来てから見たこともないのに!
何故、なぜ俺はその違和感に気がつかなかった!
(俺がディリアを知っていたことは意外だったかもしれんが、何にせよ、どっちに転んでもお前の望むべき展開に持っていくつもりだったのだろう。クソッたれ。そもそも魔王に毒って効くのか? 知るかよそんなこと!)
衝撃を殺し、傷む左手でまた地面を掴んだ。そこでようやく転がる状態から抜け出す。
(何のためにッ……! なぜディリアの卵なんて危険な物をフェトラスに! 毒に冒させておいて、解毒魔法を使用し、更に信用を得ようと自作自演でもするつもりだったか? あわよくば俺も毒殺するつもりで? ……くそ! 動機なんて分かるわけがない! 情報がない! ただ、とにかくヤツは、現状に一石を投じやがった!)
すぐさま立ち上がった俺は、娘に向かって叫んだ。
「聞け、フェトラス! ああするしかなかった!」
「…………………………」
「…………フェトラス」
彼女の黒髪に隠れているはずの双角が、ずるり、ずるり……と、少しずつ伸び始めていた。魔力を練ると言われる螺旋状の双角。それに魔力を通すことにより、魔王という存在が操る魔法は完全なモノになる。
(マズイな。今のフェトラスが全開で魔法を放ったらこの辺一体が穴だらけになっちまう)
それはさすがに避けきれない。
銀眼と螺旋の双角を携えた、正真正銘の魔王は涙を流しながらこう言った。
「お父さん……ねぇ、どうして殺したの? 生まれてくるはずだった命を、広がるはずだった世界を、どうして閉じたの?」
「………………」
「なんで……? 食べるためじゃないよね。だったらそれは、正しいことじゃないよね」
「……身を守るためにやった。だから正しいことだ」
「あんなに小さかったのに、身の危険?」
「そうだ。お前はあの鳥の恐ろしさを知らない」
「だったら、あの卵を温めてたわたしって何?」
不味い。詰まれそうだ。
彼女はそっと抱いていたひな鳥と卵を玄関先に置き、魔法を呟き、そして創り上げた闇のクッションにうずめさせた。
「わたしはこの卵達を殺すために、生かそうとしたの?」
「そうじゃない……そうじゃないけど……」
「わたしはあの鳥に殺されるために、あの卵を温めていたの? 違うよね?」
「違う、違うんだ。だけどなフェトラス……」
「鳥は飛ぶために、花は咲くために……あの卵は? 殺されるために生まれたの? それとも、死の鳥になって誰かを殺すために生まれようとしたの? それを殺したお父さんは、なに?」
「……俺は」
「身の危険って言ってたよね。じゃあ……」
「今のわたしも、お父さんにとって殺すべき敵なの?」
波紋のように闇の輪が広がった。
今度こそ、これは俺に対する攻撃だ。
(範囲確認。想定。回避実行)
避けきれるか!? そう自問するヒマなんて無かった。ただ全速力で俺は駆けた。
恐らくフェトラスは暴れているだけだ。俺を殺すような真似はしまい。「攻撃するけど、返り討ちにする?」……俺はそう問われているのだ。
だが、今の彼女は魔王だ。彼女が扱ってきた従来の魔法とは繰り出される衝撃が違う。直撃すれば、その瞬間に俺は消滅するだろう。
あとで「そんなつもりじゃなかった」とか言われても命は帰ってこない。そう、さっき俺が殺した命未満の存在のように。
フェトラスになら殺されても構わないが、彼女がそれを後悔するのは間違っている。
俺が三歩目を踏み出すと同時に、カルンが軒先に現れた。
「フェトラス様、どうか落ち着いてください」
「カルンさん……」
俺は駆けるのを止めない。闇の輪から脱出するまであと八歩。
「私が真実を教えましょう。お父上殿のお心を」
「お父さんの……? いいよ、自分で聞く」
「今のフェトラス様ではあの方を殺してしまいかねません」
「…………そんなことないよ」
「いいえ。はっきりと言わせてもらいます。もしフェトラス様が思いのままにその力を行使されたら、私までも死んでしまいます」
「だから、そんなことないって」
「フェトラス様」
俺が安全圏まで抜け出すと、カルンはこちらを見て、すぐに視線をフェトラスに戻した。
「よろしいですか? フェトラス様は一度、私を打ち落としました」
「……………………」
「あの時の魔法と、今組まれている魔法は完全に別のモノです。先の魔法が炎なら、今のフェトラス様が使われようとしているのは太陽です。全てを滅するでしょう」
「そんなに……?」
「はい。ですから一度、どうかそのお力を鎮め下さい」
濡れた地面にも構わず、カルンは魔王にひざまずいた。
ざぁざぁと、雨が降る。目に入る。涙と違って、それは目にとって異物だ。
「…………うん。分かった。すこし頭を冷やす」
いつものように慌てふためきながらカルンの行いを諫めることさえせず、彼女は銀眼を閉じて雨降らす天を仰いだ。
今すぐにでもフェトラスに駆け寄りたかったが、そうしても彼女は興奮するだけだろう。俺は歯を食いしばりながらカルンの背中を憎悪の視線でにらみつけた。
「フェトラス様。貴女は間違っておりません。命を祝福しようとしただけです」
「うん……」
「ですが、同様にお父上とて間違ったことはしておりません。あのお方はフェトラス様を守ろうとしただけなのです」
カルンのフォローは意外というより、きな臭さを感じた。
(お前がそういうつもりじゃないことくらい、すぐに分かる)
思い描いた絵を作るために並べられた色の欠片。
このフォローもカルンが描く絵の一ピースなんだろう。
「しかし、それでもお父上には一つだけ失敗がありました」
(ほらな。やっぱり)
フェトラスは目を閉じながら灰色の雲を見つめている。まぶたの奥には何が映っているのだろう。
「あの鳥は確かに危険だったかもしれません……申し訳ありませんでした。あの卵を持ってきた私が全て悪いのです。知らぬ事とはいえ、どうかお許しください」
「カルンさんは悪くないよ……それで、お父さんの失敗ってなに?」
「もちろん、あのひな鳥を殺したことです」
彼女は黙ったまま続きを促した。
「あの鳥が危険な存在だったとしても、なにか別の方法があったはずです。いきなり殺すとは……いくらなんでも、横暴です」
「あの鳥は……」
フェトラスはカルンの言葉を遮って、尋ねた。
「あのひな鳥は……命だったの? それとも、まだ生まれてなかったの?」
「私はあれが命であったと断言いたします。フェトラス様が殻をお破りになられたではございませんか」
「そう、そうだよね。あれは生きてた。だけど」
「殺した」
「お父さんが」
「殺した」
「あの鳥を……」
「ええ、お父上があのひな鳥を殺してしまったのです」
ギリ、と歯を食いしばった。
どれだけこの状況をひっくり返そうとしても、どんなパターンを考えても、フェトラスが落ち着くためには俺という存在が決定的に邪魔だった。もしもいま俺がフェトラスに声をかければ、かなりキツイ反応があるだろう。
弁明は彼女が落ち着いてからの方が得策だろう。
――――俺はそう判断してしまった。
雨は一向に止まない。ここまで長時間降られると不気味ささえ感じてしまう。あの厚い雲の中にはどれだけの雨が含まれているのだろう。
「フェトラス様……しょせん、お父上は人間です。我々とは違うのですよ」
「にんげん。まぞく。まおう。どう違うの? 誰が悪いの?」
「我々からすれば、人間は悪でございます」
「どうして? にんげんはどんな悪いことをするの?」
「さきほども見たではありませんか。人間は自分たちに危害を及ぼそうとするものだったら、たとえ鳥の赤児でさえ躊躇いなく殺してみせる、残酷で臆病な生き物なのですよ」
跪いたカルンは、フェトラスを見上げながら雨に打たれている。それは相手のことを心から思いやる、真摯なポーズですらあった。
「我々は人間以上の力を持っている。つまりは彼等にとっての脅威です。……もしもあの者が我々を殺しうる武器や魔法を持っていたら、我々はとうに殺されているでしょう。人間というのはそれくらい、自分のことだけを考える醜悪な生き物なのです」
どうやらカルンはラストスパートをかけているようだ。次々に人間に対する印象を「悪」の文字で塗り潰していっている。
「でも、わたし達は生きてるよ?」
「それはお父上……いえ、人間が弱いからです。あの者がフェトラス様の父親を名乗るのも、フェトラス様の力を利用しようと企んでいるからでしょう」
集中していた俺は、カルンの言葉に即座に反応した。これは弁解のチャンスだ。
「それは違うぜ。だいたい、俺のことを父親と呼び出したのはフェトラスの方だ。それに、フェトラスの力なんて利用するもんか。俺以外の人間がいないこの土地でそいつの、魔王の力が何の役に立つ。俺は単にフェトラスと……」
「黙れ人間風情が! いまさら弁解するつもりか! 見苦しいわっ!」
「てめぇ、人の話を聞けよ!」
「フェトラス様、いまはまだこの者と話す時ではありません。ここにいてはいつまで経っても落ち着くことなど出来ませんから……一度この場を離れましょう。さぁ、私の手を」
カルンはフェトラスの方に向かって手を伸ばし、フェトラスは銀眼でカルンを捉えた。その瞬間、魔族の身体は緊張に包まれる。だが、フェトラスはふっと視線を地面に移した。
「……うん。今はまだ、お父さんとお話ししたくない」
そう呟いて、彼女はカルンの手を取り、カルンは背中の翼を展開させた後に【逆天】という呪文を唱えて空へ飛び立った。
「フェトラスーーー!!」
剣を掴んだまま走り出すが、いかなる魔法だろうか、魔族と魔王はまるで鳥のような速度でどこかへ飛び去って行った。
「………………………………」
雨の中、俺は茫然と立ちつくした。
右手には剣が。
左手には血が。
俺の周りには誰もおらず、家の中には卵と死骸しかない。
もしも半年前の俺だったらいつもの台詞を口にした状況だ。
だが。
「―――クソっ!!」
受け入れることは出来ず、俺は悪態をついた。
死の鳥。ディリア。
小柄な黒鳥。
渡り鳥のような性質を持つ。
繁殖期には大型の動物を毒殺し、その周囲に巣を作る。
そしてゆっくりと大型の動物を食し、子を育てる。
動物が腐敗しきったら次の動物を狩るか、卵ごと巣を破棄する習性がある。