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我が愛しき娘、魔王  作者: 雪峰
幕間 管理者
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管理者A



 ひそひそ、ひそひそ。


 街中の往来。明るい通りに暗い話題。


「ジョーセフさんが……」

「あんなに素晴らしい人だったのに……」

「まさか……あのジョーセフさんが……」


 魔王崇拝者になるなんて。






 ジョーセフは「靴屋さん」だった。


 腕は確かで、人柄は朗らか。


 たまに思案に没頭しすぎて、なめしていた皮をすり切らせるのが玉にきず


 そんなジョーセフはみんなに愛されていた。



 ある日、ある瞬間までは。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 ジョーセフは子供の頃、神童と呼ばれていました。


 一を教えれば十を知る、では生ぬるいほどに彼の知力は鋭いものでした。


 一を教えれば、銀貨を一枚稼ぐ。


 それほどまでに彼は卓越していたのです。


 だが数奇なことに、彼はその才覚に対して無頓着でした。


 本気を出せば稀代の詐欺師か、あるいは崇高なる学者……いっそ賢者とも呼ばれたはずの彼は、世のことわりを紐解くよりも尊敬する父の仕事を見学することを好んだのでした。


「ねぇねぇパパ」


「なんだいジョーセフ。俺は仕事中なんだが」


「靴を磨くだけじゃなくてさ、飲み物を提供したり、役立つ情報……たとえば街の流行とかを教えたりした方がお客様がたくさん来ると思うんだけど」


 それはとても三歳児の発言とは思えないものでした。


「は?」


 父が目を丸くするのも当然。


「いや、だからね」


 それからジョーセフは、父に「お客様を喜ばす方法」を提示しました。


 この時に父が感心したのは、ただの客を「お客様」と呼んだ事。


 繰り返します。この時、ジョーセフは三歳でした。



 ジョーセフは学舎に通わないことになりました。


 無理をして入学させる必要性がほとんど無かったからです。


 文字を覚えた彼は、本を読むだけで十分な知力を得ました。分からないことがあれば両親に質問し、納得し、それを繰り返す度に質問の難易度が上がっていく。


 やがて両親がジョーセフの高度な問いかけに答えられなくなった頃、ジョーセフは勉強を止めました。本を読むのを止め、友達と無邪気に泥団子をぶつけ合うようになりました。


 そして時々、父親の仕事を手伝うようになっていました。


「ジョーセフはお勉強が嫌いになったのかい?」


「ううん。ただ、これ以上は必要無いんじゃないかなぁ、って。勉強出来なくても生きていけるよね?」


 その答えを聞いた時、父親は一瞬だけ自分が馬鹿にされたような気持ちになりました。


『だってお父さんはもう僕の質問に答えられなくなったけど、普通に生きてるじゃん』


 そんな侮蔑を受けたような気持ちになったからです。


 ですが父親は苦笑いを浮かべました。だってジョーセフの瞳は無邪気なままで、本当に「勉強とかいらなーい」と顔に書いてあったからです。


「勉強が出来れば、将来なりたい仕事に就くときに有利なんじゃないか? お前なら町役場でも、いっそこの街の大富豪の執事にでもなれるぞ」


 父が提示したのは安定した高給取り。


 だが六歳のジョーセフは首を横に振りました


「僕はお父さんと同じ靴屋さんになりたいなぁ」


「……どうしてだい?」


「だって楽しそうだもん! 汚れた靴がピカピカになると気分が良いし、壊れかけた靴を直してるとすごく優しい気持ちになれる。僕じゃまだまだそのレベルに達してないけど、もしも自分が作った靴が売れたら……どんな気持ちになるんだろうね!? 絶対ぜったい最高の気分だと思うんだ! しかもお客様は毎回違う! ということは毎回違う楽しさや嬉しさがあるはずなんだ!」


 ジョーセフはキラキラとした笑顔でこう続けます。


「似たようなお仕事だとコックさんとか、金物屋さん、あとは農家とかもアリだけど、靴屋さんのお仕事だったらお父さんが教えてくれるでしょう? その有利性・・・ももちろん考えてるよ! えっへん!」


 父親は「末恐ろしい子だ」と思いつつ、この子がこのまま育ってくれたらどんなに素晴らしいだろう、とも思いました。


 この(異様に)賢い子は大金を欲するわけでもなく、他者を貶めて我欲を満たすこともせず、ただシンプルに誰かの笑顔を欲している。


 この才覚は恐らく、険しくも正しい道のりを歩めば人類の宝となるだろう。


 だけどそこに対するモチベーションがジョーセフには無い。息子に必要なのは世界ではなく、手の届く範囲の日常なのだろう。


「分かった。好きなように生きるといい。ただしこれだけは覚えておいてくれ」


「なーに?」


「お前がその気なら、俺は喜んで協力するが……お前はまだ子供なんだから、別にやりたい事が出来たらちゃんと言うんだぞ」


「……なるほど。修行は厳しいから簡単に投げ出しちゃだめだけど、どうしてもという何か大切な事が出来たら、僕はそれを選んでもいいんだね。人生の岐路ってやつだ」


 そこまで深く言ってねぇ。


 父親はいよいよ破顔し、ジョーセフの頭をなでたのでした。



 そして順当に時は流れ。


 靴屋の見習いは、異例の若さで自分の店を出すことになりました。


 神童は、靴屋の名人・・・・・になったのです。


 靴作りにおいて天才、つまり靴職人という意味ではありません。


 彼は「靴屋」を運営する天才になったのです。



 ジョーセフは若い身の上で街一番どころか、大陸で一番の靴屋になりました。


 弟子が増え、従業員が増え、たくさんの街に「ジョーセフの靴屋」という看板がかけられる勢いでした。


 しかしジョーセフは大都会に移り住んだり、豪邸に住んだりはしませんでした。


 むしろ大陸中の、自分の靴屋の全てを見て回るようになりました。


 実際に靴を磨き、修理し、一足こしらえてはまた次の街へ。


 どうして安住の地を定め、優雅に暮らさないのか? と弟子に問われるとジョーセフは事も無げにこう答えました。


「優雅に暮らすってことは、あんまり歩かないって事にも似てるよな。でも俺は靴屋さんだぞ? 人が歩むのを手助けする仕事だ。だったら自分も歩かないと、どんな靴が良い靴なのか分からなくなっちまう気がするんだよ」


「もう十分なのでは? 今だって膨大な新作の図面をスラスラと書かれているわけですし……」


「俺的には旅をしてる方が新しいアイディアを思い付きやすいんだよ。どんな道があるのか、どんな靴がその土地に適しているのか……ってね。君は氷の上を歩くのに適した靴がどんな靴か想像出来るかい?」


 そんなストイックな生き方から、彼は二十代でありながら「世界一の靴屋」と賞賛されるようになりました。


 山賊と遭遇した時も「おや。俺の作った靴を履いてくれているんだね。ありがとう。ところで履き心地はどうだい?」と尋ね、逆に山賊から「貴方のような方を襲うなどとんでもない」と頭を下げられる程でした。



 ――――そう、彼は有名になりすぎた。


 ――――だから、見つけられてしまう。


 ――――その過ぎたる才能を。






 とある夕方。


 ジョーセフが野営の準備をしていると、どこからともなく現れた黒いローブを身にまとった男に声をかけられました。


「やぁ、こんばんわ」


 まるで突然その場に発生したような現れ方にジョーセフは少し驚きましたが、相手の様子を観察すると同時、すぐに気持ちを切り替えます。


「こんばんわ! えっと俺と君は……初めまして、だよね? ――――もしかしてお金が欲しい人かな? それならあげるから持っていくといい。俺に危害さえ及ばさないなら、財布ごとあげるよ。ちなみにちゃんとそこそこ入ってる。金貨十二枚だ」


 友好的な様子で命乞い・・・を始めたジョーセフに、黒衣の男はきょとんとした表情を浮かべます。


「僕がお金を欲しがる人に見えたのかい?」


「実はちょっと違う。お金で済めばいいな、って思ってる」


 黒衣の男は少し考え込んだ様子を見せましたが、やがて「あははは」と笑い始めます。


「いや、違うよ。僕はキミに対して害意を持ってない。ただ野営の準備をしてるように見えたから、ご相伴にあずかれたら、と思ってね」


「ふむ……本気の物盗りなら黙って斬りつけてるか……ううん……もしかして、お金以外に何か欲しいものがあるのか?」


「あっはっは! 違うけど――――もしもそうだとしたら、何だと思う?」


「俺の身体……いや、俺の命とか。ぶっちゃけて言うと俺の工房以外の靴屋の差し金かな、とか思ってる」


「全部外れさ。僕は本当に、キミの野営にちょっと参加させてほしいだけ。ああ、でももっと本当の事を言うと……キミと少し、お話しがしてみたいかな。ジョーセフ・ボフト」


「…………ふむ。俺の名前を知ってるのか…………」


 長い観察。鋭い観察。


 その視線に気がついた黒衣の男はおどけた様子で両手を広げ「隅々まで見るといいよ」と言いました。


「だったらそのフード外してくれないかな。逆光のせいもあって、顔があまりよく見えないんだ」


「いいとも」


 男は言われた通りにフードを取り払います。現れたのは、まるで少年のような顔つき。


「おや。予想よりも若い。その上……うん。極悪人には見えないな」


「試験は合格かな?」


「君はどうやら話しが通じるタイプの人みたいだけど、まだちょっと怖い。だってよく知らない相手だからね。そしてココには人目が無い」


「じゃあこのまま夜が訪れるまでお喋りを続けるかな?」


「そもそも俺は君の名前すら知らないんだよね」


「ああ、これは失礼を。僕の名前は――――」





 それから少しの質疑応答があって。


 やがてジョーセフは黒衣の男……少年を招き入れ、野営の準備を再開したのでした。



「少し話したら慣れたけど、最初はもの凄く危険な人に見えちゃったんだよな。大人げない対応して悪かったよ少年」


「まぁこんな人里離れた所でいきなり声をかけられたら、そう思えても仕方ないと思うよ。でも断っておくけど、僕は少年って歳でも無いんだけど……」


「まぁまぁ。それでも俺ぐらいの年齢からすると君はまだまだ少年レベルさ」


「むー。なら敬語とか使った方がいいかな?」


「尊敬は年齢で産まれるものじゃない。君が敬語を使いたくなった時に使えばいいさ。ちなみに俺はどっちでも全然気にしない」


「そっか。なら普通に喋るよ。だって僕はまだジョーセフの事を名前と噂しか知らないからね」


「噂。噂ねぇ……どんな噂なんだ?」


 ジョーセフは適切な距離を保ちながら、かまどの準備を進めました。


 少年はそれを手伝うわけでもなく、適切な距離で眺めています。


「噂の量が凄すぎてなんとも言えないんだけど……まぁ要約すると、靴屋のジョーセフは人間を逸脱している、と」


「どんな噂を耳にしたのやら」


 ジョーセフは笑いながらそう言って、少年の顔を見ました。


「俺はただの靴屋だよ。他の人と違う点があるとするなら、そこにめちゃくちゃ情熱を注いでる、ってだけで」


「ふぅん」


「まぁその情熱とやらも、俺にとっちゃ当たり前の事なんだけどな」


 さて、と言葉を置いてジョーセフは微笑みを浮かべました。


「少年は辛い食べ物は平気かな?」



「辛っっっ! ジョーセフ、これ辛すぎるよ!」


「ははは。やっぱりそうか。じゃあ香辛料と一緒に煮込むのはやめておくか」


 いくぶん打ち解けた様子のジョーセフは悪戯小僧のように笑いながら、少年の手から器を受け取りました。


「前に居た街の名産品でね。俺としては身体が温まるから気に入ったんだが」


「それにしても限度があるよ……あ、こっちのは普通に美味しい」


「なら今夜はこれでいくか」


「ごめんねジョーセフ。気を遣わせて」


「いいさ。今となっちゃ命乞いしてた自分が馬鹿馬鹿しくも思える」


 少しずつ警戒心を解いていったジョーセフは、改めて少年を観察しました。


 真っ黒なローブ。武器を携帯しているようには見えない。まだ若いのにどうやって街道を行き来しているのだろうか。


「少年は護身用の武器を持っていないのか?」


「ちゃんと持ってるよ。ほら」


 そう答えて少年はローブの懐から中途半端な長さのナイフを取り出しました。持ち手の部分が少し独特です。


「なんだ、その使いにくそうな武器は……」


「とある有名な剣士が使ってた武器の模倣品なんだけど、慣れると意外と便利だよ?」


 こうやって、と言って少年は焚き火から離れ、演舞を披露しました。


 動きは流麗で、ジョーセフはまるで少年の視線の先に敵の幻影が現れたように思えました。それくらい、少年の動作はレベルが高かったのです。


「――――なるほど。少年は結構強いんだな」


「まぁ戦うことなんて滅多にないけどね」


「それがいい。敵からは逃げるもんさ」


「というわけで、これが僕の武器だよ。あ、まだ僕が怖いなら武器を預けようか?」


「ん……まぁ、それだと少年が不安になるだろ。見える所に置いててくれたらそれでいいよ」


「なるほど。了解」


 少年は言われた通りに、ナイフを焚き火から離れた所に放置しました。



「それで、少年はどうして旅をしているんだい? しかもたった一人で」


「旅ってほどでもないよ。ちょっとしたお使いみたいなものだし。用事が終わればそそくさと自分の家に帰るだけさ」


「ふむ。それにしても軽装だな……いや、待て。えらく品質の良さそうな靴を履いてるな? ちょっと見せてくれないか?」


「あー。やっぱ靴屋としては気になる?」


「すごく」


「じゃあ、ちょっと近づくけど大丈夫?」


「構わん。今すぐ見せてくれ」


 宣言通りに近づいたジョーセフは、地面に膝をついてしげしげと少年の靴を眺めました。


「なんだこれは……革? いいや、もっと強い素材だ……普通の革じゃない……造形も、色も、見事だ。傷一つ付いていないのに、新品とも思えない……」


 ガバッと顔を上げたジョーセフは、少年に懇願しました。


「教えてくれ。これほどの靴を、一体どこで?」


「お父様からもらった靴だよ。詳しくは僕も知らない」


「なんて事だ……なんて事だ! 俺には少年が履いている以上の靴を見たことがない。造れる自信もない。なぁ、素材について詳しく知りたい。少しだけでいいから、目立たない部分を切り取って分けてくれないか!?」


「それは流石にお断りしたいんだけど……」


「クッ……! なら、せめてちょっとだけ舐めさせてくれ!」


「ヒッ」


 少年は怯えたような声を発し、ジョーセフから距離を取りました。


「ご、ごめんジョーセフ。それは切り取られるよりも嫌だ」


「うぐぐ…………す、すまない。ちょっと興奮し過ぎたようだ……」


 ジョーセフは胸に手を当てて深呼吸を繰り返しました。


「世界は広いな……なぁ、その靴について詳しく知りたいんだが。父親からもらったと言っていたな? 少年の家はどこにあるんだ?」


「割と近いよ。すぐに帰れる距離」


「明日にでも案内してほしい。頼む」


 必死な様子のジョーセフに、少年は引きつった苦笑いを浮かべたのでした。



 やがてジョーセフが落ち着きを取り戻して。


「……というか、もしも俺がいなかったら、どうやって夜を過ごすつもりだったんだ?」


「普通にそこら辺で寝てたと思う。別に危なくないし」


「……まぁ、確かにこの辺はモンスターも出ないけど……野犬とか危なくないか?」


「大丈夫だいじょうぶ。慣れてるし」


 少年は朗らかに笑いながら、料理を口に運んでいきました。そして美味しそうに最後の一口を胃に納め、彼は満足気なため息をはきます。


「いやぁ、美味しかった。ご馳走様ジョーセフ」


「お粗末様。マジで大したもんじゃなかったけど」


「いやいや。素朴だけどしっかりした味付けで僕好みだったよ。......しかしご相伴というには、施されてばかりで申し訳ないかな。ジョーセフ、デザート代りと言っちゃなんだけど、良かったらコレ食べる?」


 少年は懐から白い物を取り出しました。


「なんだそりゃ」


「保存の利く焼き菓子だよ。甘くて好きなんだよね」


「…………」


「ほい、半分どうぞ」


 少年は焼き菓子を半分に割って、その両方を差し出しました。旅人のマナーです。


「じゃあ、こっちをもらうかな」


「じゃあ僕はこっちを。はむ。もぐもぐ」


 少年が先に口にした事により、それが毒入りで無いことを確認したジョーセフは、それでも慎重に一口かじりました。


「ツッ!? なんだこれ、メチャクチャ美味いな!?」


「でしょー。疲れも取れるよ」


「コレは……酒にも合いそうな……いいや、やっぱり牛乳が一番か……?」


「気に入ってくれて何よりだよ。まだいくつかあるから食べるかい?」


「正直に言うともう一枚欲しい。あとどこで売ってるのかも」


「あ、ごめん。これは僕の手作り。売り物じゃない」


「手作りィ!? このレベルを!? すごいな! じゃあこれまたお願いなんだが、レシピを売ってくれ。適切な値段で買い取る」


「おや。ジョーセフは靴屋の他にもお菓子屋に興味があるのかい?」


「靴磨きをしている間にお客様に出せば、評判が良くなるだろ?」


「――――なるほど」


 少年はレシピをそらんじましたが、それを聞いたジョーセフの顔色がスーっと青くなって行きます。


「……どんだけ砂糖を使うんだよ…………貴族の食い物じゃねぇか……靴といい、この菓子といい。さては少年はとんでもない身分のお人だな?」


「どうなんだろうね。っていうかこのお菓子程度なんて、ジョーセフなら余裕でまかなえると思うけど」


「そうかもしれんが、少なくともウチの店のお客様に出すもんじゃないな。靴磨きは子供でも出せる金額じゃないと意味がない」


「そういうものなのかい? 貴族専用の靴磨きコースとかを用意すれば簡単に儲かるんじゃないかな?」


「身分に貴賤はあっても、靴に地位は無い。そりゃ材料費や手間は全然違うが、靴は靴だ。そして靴磨きの神髄は靴を新品同様に戻すことじゃなく、使い込んだが故の価値を高めるものだ。そこに農家の靴と、貴族の靴に違いはない。せいぜい使うクリームの種類と量が違うぐらいだろ」


「……熱い靴屋魂を感じる言葉だね」


「だから靴以外の要素を用いて料金を高くすることは、靴じゃなくてステータスのためにあるってことになる。そんなのは俺の趣味じゃない。だからこの焼き菓子は……うーん……まぁ、個人的に楽しむ程度にしておくよ」


「そんなにコレが気に入ったのなら、お菓子屋さんも始めればいいのに」


「俺には靴屋しか出来ない。手に余るよ」


 そう言いながらジョーセフは片手を差し出した。


「金なら払うから、もう一枚譲ってくれないか?」


「別にタダでいいけど」


「バカ言え。それだけ砂糖を使ってるってんなら、タダで渡していいものじゃない」


「それなら――――」


 風がふいて、少年の髪がふわりとなびきました。




「少しだけ、キミの人生を変えてもいいだろうか?」




 ジョーセフは眉間にしわを寄せました。


「は? 人生を、変える?」


「うん。僕はキミが気に入った。その才覚や人柄の全てが眩しい。だから少しだけ、いいや、もしかしたら人生が劇的に変わるかもしれないけど……どうだろう?」


「ちょっと怖い質問だな。一体何をするつもりだ?」


「結論から言うのと、順序立てて説明するの。どっちが好きかな?」


「結論だな。結論さえ聞けば、大体どういう話か分かる」


「そういうとこだよ、ジョーセフ」


 少年は困ったように苦笑いを浮かべました。


「でも、結論を話してしまうとキミの人生が変わってしまうわけだけど」


「それは良い意味でか? それとも悪い意味で?」


「さてね。それを決めるのはキミ自身だ」


 むず、とジョーセフの股間が縮みあがりました。


 よく分かりませんが、自分はとても緊張しているらしい、という自覚を得たジョーセフ。やがて彼は黙って片手を差し出しました。


「変わっちまうってんなら……先に報酬をいただいてもいいかな?」


「ははっ、いいとも。一枚と言わずに二枚どうぞ」


「なんとも剛毅なことで……」


 ジョーセフは毒味を必要とせず、ゆっくりと焼き菓子を食べ始めました。


「それで、その結論ってのは何だ?」


「キミ、【管理者】になってみない?」


「…………は?」


「質問は結構だよ。僕はこの手の勧誘をいくつかしてきたけど、返ってくる質問はみんな同じだった。――――すなわち【管理者】とは何か」


「お、おう」


「文字通りだよ。管理する者。そして管理対象は世界そのものだ」


「せ、かい」




 少年はわらいました。



「さぁ、ここから先を聞いてしまったら帰れないかもしれない。今なら引き返せるよ?」



 少年は、嗤いました。





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