最初の終わり
大魔王という呼称がある。
その者は歴史において突如台頭し、世界中を一色に染め上げた。
彼は世界を塗りつぶした。――――絶望の色で。
殺戮の精霊・魔王。
それらの頂点にして、究極にして、完成形。
大魔王テグア。
彼は世界を、月色に染め上げた。
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「ひっ……ひっ……ひぃぃぃぃぃ!!」
男は半狂乱になりながら部隊の本陣へと向けて走っていた。
いいや、実際少しばかり発狂していたのだろう。彼は自分が見たモノを伝えるためではなく、ただ逃げるために走っていた。
進む時は三十名いた王国騎士も、今では彼一人。
他二十九名は全て腰を抜かし、泣き出し、笑い出し、己が死を受け入れた。死んだ方がマシだと、その場で全てを諦めたのだ。
たった一人逃げ出した彼の手には聖遺物が握られていた。聖槍である。
「あはっ……あはははは!」
彼が発する悲鳴は、いつの間にか笑い声に変わっていた。
「伝令! ドルフ小隊長が帰還しました!」
「もうか? 予想より早かったな」
伝令を持ってきた騎士の顔色を見て、バーゲスはため息をついた。
「どうやら良くない伝令らしい。して、どのような報告だ?」
「そ、それが……ドルフ小隊長は……錯乱しておりまして……」
「錯乱。あの男がか」
ますます嫌な予感が募る。
バーゲスは居住まいを正し、騎士の顔をしっかりと見つめた。
「詳細に話せ。ただし私感はいらん」
「はっ……ドルフ小隊長はたった一人で戻ってこられました。大変疲弊しており、ここにたどり着いた時には呼吸が止まりそうな程だったそうです」
「疲弊……戦闘でもしたのか?」
「いえ、どうやら一昼夜走り抜けたような状態でして……外傷等はありませんでした」
「ふむ。錯乱していると言ったが、どのように?」
「控えめに言いまして支離滅裂です。主に『つきが、つきが』とうわごとを繰り返しています」
「つき? ……なんだそれは。他の者はどうなのだ?」
「そ、それがドルフ小隊長は一人でご帰還されまして……」
「一人?」
バーゲスはますます怪訝な表情を作り、席を立った。
「どうやら直接会った方が早いらしいな」
「ですが……ろくに会話が成立しない有様でして……」
「ならばなおさらだ」
そう答えた王国騎士団・大隊長バーゲス・カミッドは傍らに置いてあった聖剣を手に取りテントを出た。
バーゲスが医療テントに出向くと、テント内は騒然としていた。表に立って居た騎士の一人が敬礼をする。
「バーゲス大隊長どの!」
「ドルフの様子はどうだ」
声をかけながらテントの内部に入ると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。
「くるな! 誰も、誰も俺に近づくんじゃねぇ!」
ドルフが、棚を背にして聖槍を人に向けていた。威嚇している。
「ドルフ。落ち着け。何があった」
大隊長たるバーゲスが声をかけると、ほんの一瞬だけドルフの目に理性が戻ったように見えた。
「ば、バーゲス様……あああ! あああああ! 来るな! お前でもダメだ!」
「何があったのだ……」
「月だ! 月が、いたんだ!」
「つき?」
バーゲスは眉をひそめた。つきとは何の事だろうか。
「月だよ! げ、月眼がいたんだ!」
「落ち着くのだ。げつ眼とは一体なんの事だ?」
「見れば分かる……あんたも、アレを見りゃ一発で理解出来る……この星はもう終わりだぁぁぁぁ! あはははははは!」
ドルフは聖槍を振り回し、テントの布地を引き裂いた。
「ドルフ! やめよ!」
「もうダメだァァァァ! お終いだぁぁぁぁ!」
「ドルフ!」
完全に正気を失ったのだろう。ドルフは切り裂いた箇所から飛び出して行き、そしてすぐに転んだ。立ち上がったかと思いきや、聖槍すら投げ出して彼はそのまま走り去っていく。
誰もが呆然としていた。
ドルフは英雄である。聖槍使いであり、名前持ちの魔王を何体も屠ってきた歴戦の猛者だ。そんな偉大な男が、まるで子供のように泣きじゃくり、暴れ、とても正気とは思えない変貌を遂げてしまった。その様子はテント内にいる騎士達全員に嫌な予感を押しつけた。
「一体、何があったのだ……おい、ドルフの部隊は誰も戻ってきていないのか?」
「はっ……ドルフ小隊長だけであります……」
「まさか……全滅したとでもいうのか……?」
ドルフの部隊は、全員が聖遺物を所有する英雄であった。
個は魔王を殺し。
集ともなれば銀眼すら討ち滅ぼす、世界でも最高戦力。
通称「抹殺集団」
そのリーダーであるドルフの錯乱っぷりは、緊急事態という言葉では足りないくらいの危機感をあおった。
バーゲスは襟を正し、動揺する騎士達に「傾注!」と叫んだ。途端、訓練された騎士達がその場にて敬礼を果たす。
「各員、緊張感を最大にしろ。これは危機的状況だ。件の魔王は、これまでに討伐してきた銀眼を超える可能性が高い」
言われるまでもなく、騎士達の緊張感は最高潮であった。しかし、バーゲスの言葉によって各自は動揺を収め、正しく緊張し直す。
「思えば、噂だけを頼りにここまで我らはやってきた。そしてこの地に至り、我らは知った。異様に活性化した魔族達。そして軒並み姿を消したモンスター達。最後にはドルフのあの様子だ。――――抹殺集団全員の聖遺物がロストした可能性すらある」
「ま、まさか……それは流石に……」
「あのドルフがあそこまで恐慌状態に陥っているのだ。見れば、戦った様子すら無かった。あいつは単純にここまで逃げて来ただけだ。あの偉大なる英雄ドルフが」
ごくり、と全員がツバを飲み込んだ。
それを確認したバーゲスは、ひっそりとため息をついた。
「……全員を集めろ。気合いを入れ直す」
「ハッ!」
どうやら強い魔王が発生したらしい。
尋常ではない速度で、国を巨大化させているらしい。
はるかなる遠方から魔族が集結し、その規模は歴史上でも追随を許さない程の脅威度を、今もなお成長させている、らしい。
そんな噂話が世間に出回り始めた。
そして噂話は、徐々に正確な輪郭を抱き始めた。
「あの土地には、とても強い銀眼の魔王がいる」
人類は速やかに決断し、行動した。
大討伐である。そのため、世界中から戦力がかき集められた。
……しかし、王国騎士の上層部は「抹殺集団」だけでも十分だと考えていた。
彼等が今まで討伐してきた魔王は数えきれず。
銀眼の魔王ですら二体も滅ぼしてきたのだ。
彼等は人類にとって神よりも具体的な救い手であった。
「――――そのドルフ達が、全滅した可能性が高い」
広場に整列していた王国騎士達の間で動揺が走る。だが、誰一人として口を開かない。そこには強固な秩序があった。
「ドルフの帰還以降、半日待ったが誰一人としてここには戻ってきておらぬ。故に我々は最悪のケースを想定する必要がある」
『――――。』
「我々の選択肢は二つ。一度戻り、もっと戦力を集めるか。あるいはこのまま打って出るか、だ」
『――――。』
「私は肩書きこそ大隊長だが……戦場に立てば、私より強い者などゴロゴロいるわけだ。というかここにいる大半は私よりも強いのではないだろうか?」
緊張感の合間。バーゲスが口にした皮肉に騎士達はフッと笑みを浮かべた。
「故に私は諸君に聞きたい。英雄ではなく、王国騎士でもなく、ただ一人の戦士に問う。我らは絶対に勝たなくてはならない。どれほど被害が出ようと、どれほど時間がかかろうとも、絶対に勝たなくてはならない。だから私はこう問おうと思う――――ここで引くか、あるいは今すぐ死地に赴くか」
冷徹なバーゲスの視線が、整列した百名以上の騎士達を奮い立たせる。そして誰しもが理解していることをバーゲスは口にしていった。
「ここで引く場合のメリットは、確実に戦力を増強出来る点だ」
静かに、誰しもが頷く。
「そして死地に赴くメリットだが……ドルフ達はただやられただけではあるまい。今なら件の魔王も疲弊しているはず。その傷が癒える前に討つ」
先ほどよりも大きく、騎士達はうなずいた。
「……ふむ」
それを見たバーゲスは、子供っぽく笑ってみせた。
「お前等すごいな。みんな勇敢だ。――――では今一度問おう! 戦力を増強すべきだと考える者は今すぐ身支度を開始しろ!」
誰も動かなかった。
「では、今すぐ死にに行く覚悟があるヤツは吼えろ! 武器を掲げよ! 死の覚悟を、必殺の誓いに至らせろ!」
一秒の沈黙。
そして、怒号が辺りを響かせたのであった。
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「ひっ……ひっ……ひぃぃぃぃぃ!!」
男は半狂乱になりながら走っていた。
いいや、最早完全に狂っていたと言うべきか。彼はただ走っていた。
進む時は百名以上いた王国騎士も、今では彼一人。
全員が、死んだ。
たった一人生き延びた彼の手には聖遺物が握られていた。聖剣である。
「あはっ……あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
彼が発する悲鳴は、いつの間にか嗤い声に変わっていた。
「あれが月か! あれが月眼か!! ははっ、あひゃははははは! なるほど! ドルフ、確かにお前の言う通りだったよ! この星はもうお終いだ!」
男の名はバーゲス・カミッド。
人類最強と呼ばれた聖剣使い。
彼の末路は。
「私は真実を見た! 神の理を知った! この世界は、あの御方のためにあったのだ!」
魔王崇拝者と呼ばれるソレだった。
こうして人類は初めて「月」を知った。
魔王を超えた殺戮の精霊。
その者は大魔王と呼ばれた。
テグア、という名前を人類が知ったのはもう少し後のこと。
人類の数が復興不可能領域に突入するのはもう少し後のこと。
そして最後に、分身剣シルベールが、大魔王テグアを討った。
世界が滅んでしまった、その後に。
そして歴史は再開され。
その度に何度目かの最期が訪れる。
世界が一回、二回、三回、四回……。
月眼が一体、二体、三体、四体……。
そして十三度目のこの世界。
終わりは近い。