4-40 世界の全て
俺達はシリック達と合流し、とりあえず慎重に馬車の元へと戻った。
ジンラ・バルクは完全に再起不能だが、あのハサミ使いの事が気になったからだ。どんな能力を有しているのかは分からないが、あの不気味な戦い方は違和感が強かった。
だがしかし、開けた場所にたどり着いてもハサミ使いの姿は見えなかった。
空でも飛んでいるのかと上空をうかがってみるが、曇り空が広がるばかり。
「本当に逃げたのかもしれんな」
「そうかもね。でもとりあえずは警戒しておきましょう……」
俺の呟きに答えた演算の魔王。戦闘直後はハイテンションだったのだが、途端にエネルギーが尽きたのか、自分で歩くことすらままならない様子だった。なので、俺は彼女を背負って歩いていた。
「体調はどうだ?」
「ん……正直に言うと、眠りたい……」
「いいよ。寝てろ」
「ダメよ。まだ何が起こるか分からないんだから。意識を途絶えさせるわけにはいかない」
そうは言っても、耳元でささやかれる声は弱々しい。
(ゆっくり運んでりゃその内に寝入るかもな)
俺は演算の魔王を背負い直して、歩き方を変えた。優しく、振動が伝わないように、眠りを拒否するのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、ゆっくりと。
俺の意図を素早く読み取ったのか、シリックもザークレーも黙り込んでいた。お互いに聞きたいことは山ほどあるが、緊張感を解くにはまだ早すぎる。お喋りは後だ。
程なくして馬車の元へ到着。襲撃は無し。敵影無し。
俺は立ったまま、ジンラの矢に貫かれた馬を見ていた。
(馬よ……もしかしたら俺は、お前に何か出来ていたのかもしれないな)
例えば、多斬剣テレッサの使用を早々に決意してたりとかな。
だがそんな事は口にしてもしょうがない。
これはきっと「最悪」の一種なのだ。
(……許せ)
埋葬してやりたい所だが、そんな自己満足と引き換えにするのは貴重な体力と時間だ。気持ちだけ捧げておくことにする。
俺は馬車に乗ってあった荷物を手早く回収し、置いて行くものと持っていく物の選別をザークレーと済ませた。
その内に演算の魔王が寝息を立て始めたので、俺はようやく口を開く。
「ところでザークレー。久々に全力で身体を動かしたんだろうけど、具合とか悪くなってないか? 灼き塞いだ肩の傷、治療しておこうぜ」
「――――そうだな。リハビリをしていたとはいえ、流石に少し疲れた」
「私もです。なんか、一気に力が抜けました……」
「なんか全員ボロボロだな」
五体満足で生き残れたことは幸いだが、思わぬ戦闘のせいで消耗してしまっている。
俺はフェトラスが滞在している山を見上げてため息をついた。
「……山に入ったらまず休息ポイントを探そう。森でもいいが、あのハサミ使いの動向が気になるし」
「――――そうだな。山の方が多少はマシかもしれんな」
「演算の魔王は寝ちまったけど、モンスター避けの効果はあるはずだ。例の群れるとヤバいモンスターってのは中腹以降でしか見られないんだろ?」
「――――絶対とは言えないが、まぁそうだろうな。単体ならまだしも、群れと遭遇することはないだろう」
そんな会話をしていると、森の方からカルンが歩いてくるのが見えた。
「お。カルンも戻って来たか」
「はい。どうやら無事に撃退出来たようで何よりです」
「無事でもないし、撃退しきったわけでもないけどな……。ザークレーが怪我しちまったし、演算の魔王も見ての通りだ。それにもう一人英雄と思われる男がいた。ハサミ型の聖遺物を持ったヤツで、そいつの動向が不明なんだよ」
「ああ、それなら倒しておきました」
「………………はい?」
俺はカルンをまじまじと見た。
怪我をした様子は一切無い。疲れてるようにも見えない。普通にいつものローテンションなカルンだ。
「倒したって、英雄を?」
「はぁ。ハサミを使った……パッと見では根暗そうな男ですよね? 確か名をリッテル・バーリトン。中々に強い男でしたよ」
「た、倒したってどうやって?」
「普通に殴り飛ばしてきました。証拠はこちらに」
カルンは袖からハサミを取りだした。
「一応言っておきますが、殺してませんよ」
「マジかよ。お前そんなに強かったっけ?」
「何と比較して強いのかは知りませんが……まぁリッテルは弱ってたようですし。この聖遺物もロクに使ってきませんでしたから」
「そ、そうか……」
「というかロイル、貴方……テレッサを使ったんですか?」
俺が腰にブラ下げている聖遺物を見てカルンは驚いた様子を見せた。
「演算の魔王がよく許しましたね……貴方が戦うことをとことん嫌っていたはずなのに」
「こいつが嫌ってるのは、俺が武器を持つって事なんだけどな。まぁそれはいい。とりあえず緊急事態だったんで使ってみた」
「使ってみた、ってそんな気軽に……流石ですねぇ」
カルンは呆れた様子で苦笑いを浮かべた。
「ということは、あれですか。ここにいる全員が聖遺物を所持しているわけですか」
確かに。
多斬剣テレッサ。
翠奏剣ネイトアラス。
追跡槍ミトナス。
そしてハサミ型だ。カルン曰く千納鋏アディルナ。
消費型らしいが、能力はよく分からなかったそうだ。
「…………なんか、アレだな」
「……そうですね」
聖遺物が四つ揃ってる。まるで強大な魔王を倒しに向かうパーティーみたいだ。
「ということは、このアディルナは私が持っていた方が良さそうですね」
「えっ。でもそれって……」
「聖遺物って普通の人間が二つ持つと、反発するんでしょう?」
事も無げにそう言ったカルンだが、俺は目を見開いた。
「よく知ってるな。聖遺物は人間用の、しかも魔王に対抗する武器。だから色んな意味で魔族には聖遺物の情報が伝わらないはずなのに」
そう言うとカルンの表情が「無」になった。
「…………マァ、世界広しといえども聖遺物を二つ扱う人間なんて、聞いたことが無いですからネ。少し考えれば分かることですヨ。それに同時使用不可の噂は魔族間でも結構普通に流れてまス。裏付けを取ったわけではないですが、どうでもいいことでス」
なんだその棒読み。
「……棄てるのも禍根を残しそうで怖いですし。それなら、私が持ち歩く方が合理的でしょう」
そう言ってカルンは袖口にアディルナを放り込んだ。なんかコートに穴が空きそうな入れ方だな。
「えっと、魔族的にどうなんだそれ? 魔王の天敵だぞ?」
「少なくとも私が所持していれば、これがフェトラス様の敵に回ることはあり得ませんから」
「なるほど。そういう考えか……」
まぁいい。どうせ魔族には使えない武器だ。カルンが持っていても害は無いだろう。
「消費型か……後で少しだけ調べさせてもらって、いざと言う時は使用を視野に入れておこう」
そう呟くとカルンは少しだけ変な顔をしていたが、ふい、と視線を山に移した。
「もうここに用は無いでしょう? さっさとフェトラス様の元へ向かいましょう」
「……そうだな」
もうすぐだ。もうすぐ、フェトラスに会える。
改めて俺は全員の顔を見渡した。
シリック・ヴォール。
ユシラ領における領主の五女。自警団所属。自覚の無い英雄。フェトラスにとって、そして俺にとっても大切な人。
ザークレー・アルバス。
王国騎士団所属。英雄。戦う事が嫌いなくせに、きっちり戦う男。フェトラスは「変な人」と評していたが、大切に思っていることは明白だ。俺にとっては頼りがいのある、そして信頼出来る戦友である。
カルン・アミナス・シュトラーグス。
元敵。フェトラスが友達になりたがった魔族。俺にとっては多少複雑な気持ちもあるけれど、今となっては……うん。きっと今のカルンだったら、友達になれそうだ。
思えば、ここにいる全員はフェトラスのおかげで縁が繋がれた者達だ。
シリック。最初はフェトラスと人間の共存のための「実験台」だった。
ザークレー。最初は完全に敵だった。殺そうとすら思った。
カルン。こいつも敵だったな。殺し合った。
でも、今は違う。
俺達は戦い、話し合い、共に過ごし、互いを理解した。
全員に俺の背中を預けることが出来るぐらいだ。
ここにいるのは俺の大切な、仲間だ。
「ありがとう、みんな」
思わずそう言ってしまった。照れくさくも何ともない。俺の心からの本音だ。
「みんなのおかげでここまで来られた。俺の娘のために……いや、この言い方はちょっと違うか」
みんな俺の娘のためにここに居るんじゃない。
みんなはフェトラスのために、ここに居るんだ。
「こんな世界なのに――――フェトラスの事を大切に想ってくれて、嬉しい。ありがとう」
頭を下げた。
「別に礼を言われるようなことじゃないですよ」
「――――その通りだ。それに言うにしても、今ではない」
「全てはフェトラス様のために。だから、こちらこそありがとう、ですよ」
帰ってきたのは気持ちの良い返事ばかり。多様な感情が混ざり合い、感謝の気持ちの純度が上がっていく。
(フェトラス。みんながお前の事を大好きだ。今お前がどんな気持ちでいるのかは分からないが……胸を張って迎えに行くぜ)
そして顔を見ることは出来ないが、最後の仲間。
背中に背負いしは演算の魔王。
俺にとっては、家族だ。
思えば色々あった。
辺境の地に島流し。奇妙な生態系を保っていたあの無人大陸で、俺はフェトラスと出会った。殺戮の精霊。銀眼。そして言葉以上の意味で全てを殺戮する月眼。
そして俺はそんな彼女を丸ごと愛し始めた。
シリックと出会い、ザークレー達とやりあい、そして農家もやってみた。
積み重ねた時間。語り合った夜。いつの頃からかフェトラスへの愛を確信した。
親を知らない俺は、はたしてちゃんと彼女の父親になれているのだろうか?
正直に言うとそこに絶対の自信は無い。だけど彼女は、フェトラスはいつも微笑んでいてくれていた。
『愛してるよ』
ああ、俺もそうさ。
だから、お前と一緒にいたい。
「よし――――行くぞ、みんな!」
応、と返事がある。
気持ちは一つ。
人間も、英雄も、聖遺物も、魔族も、魔王も。なんならきっと世界ですらも。
全ては彼女のために。
フェトラス。
世界を滅ぼす資格を持つ者よ。
俺の最愛の娘よ。
お前と美味い飯を食うために、お父さんは頑張るぞ。
喉が渇いたから、雨雲を作った。
天候を操作して、局所的に降らせる。
誰も近づけない溶岩地帯に雨が降る。すごい勢いで雨は蒸気に変わっていく。私はそれを操作した。
蒸気・集結・冷却・圧縮・空中固定。
高密度の水球を口元に寄せて、するっと飲み込む。
ため息すら出ない。
お腹がすいた。
でも何かを食べる気にはなれない。
それでも、みしりみしりと、身体が音を立てて成長している気がする。
食べなきゃ大きくなれないなんてウソ。
私はただ、必要に応じるだけ。
身体の成長に合わせて精霊服が大きくなっていく。
白いロングジャケット。脚を覆う、黒く染まったズボン。
袖口の美しい水色は、綺麗な思い出。
(そうだ。この精霊服に名前をつけてあげるんだった)
一瞬で感情が、思い出が爆発する。
きっと今の私は銀眼になっているのだろう。
集中力が途切れた私は立ち上がった。
周囲の警戒が必要の無いこの場所は、命が立ち入れないこの領域は、私にとって絶好の場所だった。
何も無い。生も死も、どちらも存在しないこの場所。在るのはただ自然の営みだけ。
世界の全てをこの状態にすることが、私の理想と言えるだろう。
何人も介在出来ない、けれども虚無ではない、終着点。
――――だけどそれは、楽園じゃない。
私の理想は不完全だ。こんな場所、愉しくも何ともない。
私に出来ることは殺戮だけ。
では何を殺戮すればいい?
全てか? 馬鹿馬鹿しい。ナンセンスにも程がある。
では何を残す? 決められない。私はまだまだ世界を知らない。
だけど時間が無い。一つ一つを丁寧に選別するだなんて手間をかけるわけにはいかない。
ああ、いっそのこと「新しい世界」を創れたらいいのに。
でもそんな事は出来ない。
私に出来るのは、殺戮だけ。
私はわたしのために、何を殺すべきなのだろうか。
愛しい愛しいあの人のために、一体何を。
集中力が戻ったらしい。それと同時に瞳の色も黒でも銀でも無く、戻っただろう。
私は再び冷え固まった溶岩に腰掛け、歌を紡いだ。
月眼の詩を、歌った。
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《何百年待っただろうか。この世界はめでたく終わりを迎える。収穫の日は近い。フェトラスの月眼は間も無く満ちるだろう。十三番目の彼女を迎える日が待ちきれない》
《今回はイレギュラーが過ぎたが、このようなケースもあるのだな。おそらく再現は不可能だろうが、中々に楽しめた》
《珍しい物言いだな。だがイレギュラーの極地であったことには同意する》
《だがどうする? 演算の魔王にもその可能性が残されているというのに》
《欲張ってはいけない。確実に手に入れられる方を手に入れるだけだ》
《だがこのような奇跡、きっと二度と巡ってはこないぞ?》
《正直に言うと、悩ましい所ではある。演算の魔王はほぼ確実に月眼に至るぞ》
《だがそれには大きな問題点がある》
「ねー。だって二人とも、同じだからね。ちょっと危うい。両方失う可能性がある以上は、同時収穫は諦めるべきだと思うよ?」
《ロキアスの言う通りだ。これは冗談だが『むしろあの人間の方を収穫すべきなのでは』とすら思える》
「確かに。っていうかスゲーよね。何なのあのロイルって人間。月眼製造機かよ」
《ロイルどうこうではあるまい。ただのタイミングだ》
《惜しむべきは、収穫方法の制限だな。演算の魔王は期待出来る者ではあったが……もっと手軽に干渉出来れば、一挙に二体の月眼を収穫することも可能だったろうに》
《仕方あるまい。今の所月眼の収穫にはこの方法しか無いのだから》
「っていうか今回すごくない? 月眼二体もヤバいし、ロイルもヤバいし、何より個人的にはカルン君が一番ヤバい。あれ超絶レアだよ」
《珍しさで言えば確かに。だが必要性はあるまい》
「そりゃそうなんだけど、あんな現象ってある? 舞台が違ったら、アレは覇王になれるよ」
《ユニーク性は認めるが……だがもう一度言う。必要無い》
《――――それを言ってしまえば、この世界も、仕組みも、何もかもが必要のある事だとは思えないがな。一切が無意味だ。虚しくもなる》
《仕方があるまい。我らはただ繰り返すだけだ。それしか出来ないのだから》
「だからこそ遊び心って大切だと思うんだけどなぁ……まぁ、別に言ってみただけだよ。月眼の収穫が最優先なのは異論無し」
《今は無意味なのだろう。だが、いつか、発狂する程に時間が経てば、我らの行為にも意味が生じるかもしれぬ》
「だといいけど。とりあえず僕は今まで通り、色んなちょっかいを出して世界をかき混ぜるだけさ。一人で楽しんでゴメンね!」
《構わぬ。どうせ我らには覚えられない感情だ》
《……どうあれ、月眼の収穫によって我らが喜びを覚えるのは事実だ。自己満足にすぎないのだろうが、あの達成感のために、今は見守るとしよう》
その言葉と共に、僕がいる玉座は静まり返った。
唯一の外様である僕は、微笑むが止められなかった。
この世界はもうすぐクライマックスだ。
これを楽しめるのが僕だけだなんて、とんでもない贅沢だと思う。
「さて、僕も観戦に戻るとするかな。――――フェトラス。君はどんな風にして、この観測史上三体目の月眼、魔王ロキアスを愉しませてくれるのかな?」
第四部 All for the one
了
長くなりましたが第四部終了です。
ここまでお読み下さりありがとうございました。
次話から少しだけ幕間です。