4-39 最強の片鱗
「なんだあれ何だあれなんだあれ……!」
どうしてこうなった。
俺、リッテル・バーリトンは困惑の中、半泣きになっていた。
俺は千納鋏アディルナの能力を使い、ずっとジンラ様の動向をうかがっていた。
未だ見たことのない表情で、演算の魔王だけなく人間ですら皆殺しにすると宣言したジンラ様。
別にあの人の正気を疑っているわけじゃない。その実力と人柄、経歴から考えるに、ジンラ様がそう判断したのなら、きっとそれが正しいのだとも思う。
だがどうしても不可解な事が多すぎた。まずもって最大の謎は、ジンラ様が銀眼をスルーしていることだ。
そして惜しむこと無く、えっちゃん……演算の魔王と思われる一行に大量の矢を振らせたりもしていた。「もし銀眼が戦闘に気がついて駆けつけてきたら」とは考えなかったのだろうか?
そもそも、あんな大規模な攻撃をして消耗してしまうのは悪手のはずなのに……。
ジンラ様は俺に「ここから離れろ」と言った。
つまり戦闘には参加せずに、銀眼の動向を探り続けろという命令だ。
だが、しかし。戦力を分散させてどうする。
もし銀眼が迫ってきたら、俺だけで対処出来るはずもない。絶対無理だ。秒で死ぬ。こちとら未だ一体の魔王も討った事が無いサポート役でしかないのだ。
考えられる限り、俺の正しい使い方は、共闘して演算の魔王を討つこと。
いいや、もっともっと正しいのは、演算の魔王なぞ無視して銀眼を討伐するための軍備を整えるべきなのだ。
だけどジンラ様はそうしなかった。
何故だろう。
どうして共闘しないのだろう。どうして銀眼を無視しているのだろう。
なぜそこまでして演算の魔王に執着しているのだろう。
俺は何を求められているのだろう……?
そんな疑問が、命令を遂行するのを妨げていた。
そして何より――――銀眼の魔王が怖いから、俺はジンラ様と一緒に行動していたかった。
千納鋏アディルナで、腕に傷を付ける。
無骨な刃が俺の血をすすり、恭しくアディルナが起動する。
今回使用する能力は「姿消し」
見えなくなるだけなので、足音や気配なんかはちゃんとある。攻撃に巻き込まれたら普通に死ぬ。そんなささやかな能力なのに、相変わらず容赦無くアディルナは俺の血を持っていった。
アディルナは血液を消費する聖遺物だ。
血を一定量捧げることによって、様々な能力を引き出すことが出来る。空を飛ぶ、高速で移動する、攻撃力を高める、視力や聴力を強化する、足音を消す、魔王の位置を探ったり、相手の力量を量ったり……ついでに言うなら他者の肉体を強化させる事も多少は可能だ。
アディルナに収められた無数の能力。それは万に届かなくとも、千には届くであろう。使えば即死しかねない強大な能力もある。
だが悲しいかな、それは他の聖遺物と比べるとささやかである。
例えば「すごく足が速くなる聖遺物」なんてものがあったとして、俺がアディルナでそれの真似事を行おうとすると、性能的に相当な差が出てしまう。しかも血を使う。
いわば、千納鋏アディルナとは、無数の聖遺物の……劣化版なのだ。
器用貧乏という表現がまさしくピッタリである。
集中して使えばほぼ同時に複数の能力を使うことも可能であるが、血の消費量がとんでもないことになる。
現状アディルナの最も効果的な使い方と言えば、他の英雄をかかえて空を飛ぶことぐらいであろう。迅速に戦場に向かい、そして俺では無く他の誰かに戦ってもらうのだ。
俺が魔王とサシでやり合うなんてもっての他だ。ザコですら危うい。きっと俺は生涯、魔王を殺せない……つまり、英雄にはなれないだろう。
だけど俺はそれでいいのだ。
心も体も弱い俺だが、血を使って、命を懸けるだけで、誰かの役に立てるのだ。
クソザコな俺が、王国騎士団の一員として働ける。弱くたって構わない。いつか無駄死にしたとしても厭わない。無価値なはずの俺は、千納鋏アディルナを握っている時だけ、この世に居場所が出来る。
だから他人に何を言われようとも、苦しくても、辛くても、俺はアディルナに感謝している。
(アディルナ。お前のおかげで、俺はようやく一人前だ)
語りかけても返答は無い。だがそれでいい。
そんな相棒を駆使して、俺は森へ入っていったジンラ様の後を追った。
銀眼には遠く及ばないとはいえ、相手は殺戮の精霊・演算の魔王。
何かあった時は、それこそこの身を盾にしてジンラ様を護らなければ……!
そんな意気込みと共に、俺は森へと侵入した。
ややあって、少し離れた所で戦闘音がする領域まで俺はたどり着いた。
あまり近づくのは良くないと判断して、俺はアディルナの能力を解除しつつ息をひそめていた。
演算の魔王は発生したばかりのはず。見てくれもかなり幼い。
なのに、あのジンラ様とここまでやり合っているのだ。
そんな危機感から、まずは情報収集を務めたわけだ。
そこで見たのは、まるで悪夢だった。
哄笑するジンラ様。
あの冷静で、規律を重んじていて、他者を思いやり、優しく、優雅にして洗練された人格者であるジンラ様が、ひどく……汚く、嗤っていた。
「えっちゃん! 実は君の外見、死ぬ程好みなんだよ! 私の初体験の子に似てる!」
――――アレは、誰だ?
戦況を見守っていた俺だが、ジンラ様のその言葉を耳にした瞬間、素直に逃げ出した。
とてもじゃないが自分が見た光景が信じられなかった。
あれほどの猛攻をしのぐ演算の魔王も相当だが、ジンラ様の異様な様相が怖ろしかった。
クールで、スマートで、インテリジェンスが豊かで、時にはウィットなジョークを飛ばすジンラ様。――――では、あれは誰だ? あの邪悪としか呼べないニチャっとした笑みを浮かべていた男は一体何者だ?
いいやそんな事はもうどうでもいい。あのまま戦場にいたら、姿を隠しているとはいえ俺は確実に死ぬ。アレはまるで、毒を撒き散らすモンスターだ。それと対峙した時に匹敵する危機感を持って、俺は逃げ出した。
戦略的撤退などではない。普通に怖いから逃げ出した。
恐らくジンラ様は勝つだろう。それは疑いようも無い。人類が誇る最高戦力の一席、天瀧弓ライアグルのマスターであるジンラ様。
だけど、何だろうかこの不安は。
俺は姿消しを解除し、木陰に身を潜めて息を整えた。
「なんなんだ……一体、何が起きてるんだ? ジンラ様が演算の魔王をえらく警戒していた事に何か関係があるのか……?」
息を整えて冷静さを取り戻そうとする。だが、どうしても思考が乱れる。
「仕方ない……」
俺は腕に再び傷を付けて、千納鋏アディルナに血を吸わせた。使用する能力は「精神安定」
「ふ、ぅ…………」
勿体ない使い方とは思わない。脆弱な俺は、こうでもしないとまともに動けない。
そして俺は安定した精神を更に鎮め、自分がどうするべきかを考えた。
「ジンラ様の様子は確かに妙だった。しかし、それでもジンラ様の勝利は間違いない。だが――――不確定要素が多いのは事実だ。演算の魔王。ザークレーの反抗的態度。クラティナの事も気になるが……何より、銀眼がこの近くにいるというのが一番不味い」
俺は何をするべきか?
気持ちが落ち着いた今だから分かる。俺は演算の魔王をジンラ様に任せ、急ぎ銀眼への対抗策を考えるべきなのだ。
となると、この場からの離脱が最も優先される行為だろう。
「ジンラ様が演算の魔王の執着する理由は分からないが……俺は、王国騎士は、人類は、まず銀眼の討伐を急務とすべきだ」
結論は出た。
ならば、あとはそれに向けて行動するだけ。
ジンラ様の動向の行方は気になるが、どうせ勝つ。だったら、俺は今すぐ最寄りの王国騎士の支部に出向いて情報を共有すべきだろう。
「いけませんね」
不意に、声が聞こえた。
「いけませんよ、それは」
やや疲れた様子の声。視線を動かすと、離れた所に魔族がいた。
「なっ……!?」
「貴方、フェトラス様の敵なんですね」
緑色の魔族は、とても真面目な顔をして。
「つまり私が殺すべき敵なのですね」
俺と敵対する意思を示した。
頭の中にはクエスチョンマークが沢山浮かんでいた。
何故魔族が?
単体か? それとも群れか?
実力はどれほどだ?
演算の魔王の手勢か?
――――フェトラスとは、誰のことだ?
そして最も重要な疑問。
俺はこの魔族に勝てるだろうか?
俺はすぐさま木陰に移動した。
相手は魔族。白いコート。緑色の肌。額に一角。肌に刻み込まれた紋様。体格。
そんな見て取れる情報から、相手の実力を推測。恐らく魔法をメインとして戦うタイプの魔族だろう。つまり、この千納鋏アディルナにとっては最も狩りやすい獲物だ。
(まず相手の出方を見て、幾度か対処する。そうすればいつものパターンで殺せるはず)
この手のタイプの魔族とはよく戦ってきた。他の英雄が戦うサポートして、露払いとして、ザコ魔族の相手なんて何度も体験してきたことだ。
だがしかしここは戦場。そして最前線。
(どうせここも地獄だ。俺の想定なんて軽く飛び越えてくるはず)
そんな危機感、そして経験則。俺は油断することなくアディルナに血を吸わせ、自身のあらゆるパラメータを強化した。
(本気を出せば瞬殺出来るんだろうが、演算の魔王、そして銀眼が控えてる。あまり無駄遣いはしたくない所だが……)
だがしかし、死んでしまっては意味が無い。色んな意味で出し惜しみはほどほどにしておこう。
手早く準備を済ませた俺は、相手の出方を探る一環として魔族に声を掛けた。
「何故ここに魔族がいる!」
「……ふむ。交渉の余地があるのなら乗っておきたい所ですが」
その言葉に、違和感を覚えた。
「何故と問われるのならば、こう答えるより他ありません。私は偉大なる魔王、フェトラス様の忠実なしもべ。彼女のために生き、彼女のために殺す。それが魔族である私の基本行動だ」
「……フェトラスとは誰だ! 演算の魔王のことか!」
「ははっ、あのような者とフェトラス様を同列に見るとは」
ふわりと、軽やかに殺意が風に乗った。
しかし魔族は穏やかに言葉を続けた。
「交互に質問するとしましょう。交渉の第一歩としては基本でしょう? どうです? 貴方は私とお喋りする勇気をお持ちかな?」
「……いいだろう! 何を問う!」
「貴方は私と戦うつもりですか?」
違和感が決定的なモノとなった。
この魔族は、魔王に隷属しながら、戦闘行為を肯定していない。
「……必要とあらば戦おう!」
「では必要が無ければ戦わないと。それは僥倖。私も無駄にエネルギーを消費したくはないですからね」
そう答えた魔族だが、殺気は――――瘴気は、変わらずに漏れ出している。錆びた鉄の香り。魔族が示す本気の証。
不思議な魔族だ。間違いなく俺の敵なのだろうが、どういうわけか魔族とも思えない。
俺はありったけの勇気を出して、木陰から身を乗り出した。
柔らかに視線が合う。
「…………」
「…………」
外見から読み取れる情報は先ほどと何ら変わりは無い。
「…………」
「……次は貴方が質問する番ですよ?」
そう声を掛けてくる姿には、余裕があった。
「……では、問おう。お前の目的は何だ」
「フェトラス様の障害を全て排除すること。助力となること。そして――――叶うならば、殺してもらう事、でしょうねぇ……」
「殺してもらうこと?」
「……私は罪を犯したので」
魔族は苦笑いを浮かべた。ひどく人間臭い……多種多様な感情が含まれた苦笑いだった。
「では私の番ですね。同じ質問をしてみるとしましょう。貴方の目的は何ですか?」
「…………ジンラ様のサポートだ。演算の魔王を討伐することが、当面の目的と言える」
「ほう。それは素晴らしいことで。しかしながら、それが貴方の目的ならば私になぞ構わず演算の魔王と戦えばよろしいのでは?」
「お前のような不確定要素を放置出来るわけがないだろう!」
「然り。今のは愚問でしたな。一手無駄にしましたが、順番は順番。次の質問をどうぞ?」
「………………何が目的だ? どうして俺と会話しようとする」
「簡単なことですよ。だって、貴方は私と争うつもりがないのでしょう? 私だって出来れば貴方と争いたくなんてない」
魔族はさも当然のように変な事を口にして。
「……しかし、私と貴方。魔族と人間。このまま『はい、さよなら』とは出来ないのが道理」
と、今度こそ当然のことを口にした。
魔族の殺気は変わらず穏やか。俺は少しだけ木陰から身を乗り出した。魔族はそんな俺の姿を見ながら、変わらない様子で言葉を続けた。
「――――でしたら落としどころを探すのは交渉の基本では?」
「……なるほどな」
どうやらこの魔族は、変な魔族らしい。
「演算の魔王とはどういう関係だ?」
「えっ、順番無視するんですか。次は私の番では?」
「あ。ごめん」
思わず、片手で口を塞いだ。
…………!?!?!?
なんだ今の!? 俺、魔族に謝ったのか!?
「いえ、別に構いませんけどね。会話がスムーズになってきた証左としましょう。ええと、私と演算の魔王の関係は……うーん……共通の知り合いが何人かいる、って所ですかね。個人的には繋がりを持ちたくありません」
「そ、そうか……」
「ええ。では私の質問です。貴方……このままこの区域から離脱するつもりはありませんか?」
「は?」
「だから、演算の魔王も、銀眼の魔王も、ええと……さっき口にしてた人間のことも無視して、逃げ出すつもりはないか、という質問です」
「………………」
「ちなみにこれは質問でありながら、提案でもあります。そして何より推奨です。貴方はたぶん、ここから離れた方がいい。絶対に長生き出来ます。ここにいたら死にます」
「……俺に、逃げろ……と……?」
「ええ。事情はあるんでしょうけど、単純な話です。死にたくなれければここから離れなさい。――――ここ以外にもやり残した事とか、やらないと死ねない事とか、そういう後悔の種があるでしょう?」
それはとても魔族が口にする台詞ではなかった。
逃げろだって? 長生きしろだって? 天敵同士が会話する内容じゃない。
しかし、この魔族が言っていることは、全てが真実だと思えた。何ならこいつは、俺のことを思いやってすらいる。
魔族が、殺気を抱きながら、俺に、生きろと。
「…………質問に答えよう。お前の言う通りだ。俺にはやり残したことも、ヤりたい事も、ある」
「ではどうぞお逃げください。それがお互いが得をする、一番素敵な結末ですよ」
それはまるで母のように、優しい言葉だった。
とても魔族が口にする台詞ではない。
そしてそれは――――乗ってはいけない、悪魔の台詞だった。
「悪いが魔族。俺はお前を倒すと決めたよ」
「……ふぅん。一応聞いておきましょう。何故ですか?」
「俺は王国騎士だ。そしてそれ以前に――――男なんだよ!」
俺は精一杯吼えた。
「俺がヤりたい事はな……魔族から見逃してもらえるような性根じゃ、到底実現出来ない究極に難しい事なんだよ! だから俺は今、ここでお前を倒す!」
クラティナ。俺は胸を張って、お前を迎えに行く――――!
そんな覚悟と共に、木陰から完全に姿をさらす。
一体一。邪魔は無い。どうせ銀眼の魔王が来たら終わる。どうせ演算の魔王はジンラ様が倒す。ならば、俺の戦場はここだ……!
「最後の質問だ。……魔族! 貴様の名は何だ!」
そう問いかけると、怪訝な表情をしていた魔族が清々しく笑った。
「普通、一番最初に出る質問がそれであるべきなんでしょうねぇ……」
魔族は見事な一礼を果たした。
「我が名はカルン。カルン・アミナス・シュトラーグス。……通常の名乗りならば、この後に色々と宣言することもあるのですが……今の私は、こう述べるとしましょう」
魔族は目をギラつかせた。
「我が名はカルン! ただのカルンだ!!」
殺気を通り越して、瘴気。錆びた鉄の色が空間を歪ませる。
「私の最後の質問は、もうするまでもあるまい!」
「ッ! ……ははは。いいだろう。戦う前に一つだけ言っておくが、どうやら俺はお前が嫌いじゃないらしい。だから野暮な言葉はもう無しだ。お前の質問に答えよう」
俺は魔族を……カルンを見習い、吼えた。
「俺の名はリッテル。リッテル・バーリトン! 王国騎士なりし、聖義の使者! お前を殺す者だ!」
「上等です、リッテル。では――――殺し合うとしましょうか!」
カルンは左手の黒いグローブを外し、水色の籠手を晒した。
「さぁ行けゼスパ! 我が敵を屠れ!」
途端に荒れ狂う聖遺物・聖拳ゼスパ。
俺は真っ直ぐにきびすを返し、逃げ出した。
「なんだあれ何だあれなんだあれ……!」
どうしてこうなった!?
俺、リッテル・バーリトンは困惑の中、半泣きになりながら逃げ出した。
なんで!?
ねぇ、なんで!?
なんで魔族が聖遺物使ってるの!?
しかもあれゼスパじゃん!!
ファーランドの武器じゃん!
魔王リーンガルドとの戦闘の際にロストした、超強い聖遺物じゃん!
なんで魔族が聖遺物使ってるんだよ!! アホか! 幻覚か! いやアレ幻覚じゃねぇ!! マジで使いこなしてた! ぜ、ゼスパの拳が俺に向かって伸びてきた!!
俺は強化された肉体を酷使しながら、必死で逃げた。
別に魔族が怖いわけじゃない。聖拳……伸縮拳ゼスパが怖いわけじゃない。
ただ『魔族が聖遺物を使う』という現象自体に究極の恐怖を覚えた。魔王と対峙した時より怖ろしい。意味が分からなさすぎる。
「なんだあれ何だあれなんだあれ……!」
疑問に対する解答は出ない。
そしてそんな事はどうでもいい。
俺は今すぐこのことをジンラ様に報告し、この区域から離脱すべきなのだ。戦うなんて論外だ。血が足りない。余裕が足り無い。そして何より覚悟が無い。
あれは関わってはいけない存在だ。
全速力で森を駆け抜ける。
しまった。ジンラ様はどこだ。そういえばさっきから戦闘音が聞こえない。
「…………えっと、たぶん貴方は、ここで死ぬべき人間ではないのでしょうね」
「ひぃ!?」
呆れたようにかけられた声。反射的に飛び出した恐怖の声。
視線を右にやると、ゼスパで地面を突き刺しながら反動で空を飛ぶカルンがいた。よく見たら隻翼なのに、カルンは低空飛行をしながら俺に併走していた。器用すぎる。
「あ」
「…………なんか個人的にすごく思う所あるので、殺しはしません。ですが少し眠っていてくださいね」
「う……うおおおおおお!」
「おやすみなさい。良い夢を。そして、よい余生を」
ゼスパは荒れ狂い、それでも正確にリッテルの身体に迫った。
「アディルナ! 護り討て! 本懐を果たせ!」
まず俺は防御力を強化した。出し惜しみはほどほどに。どんな攻撃に晒されても三撃は耐えうるように。そしてその次はアディルナ自身を強化した。巨大化、鋭利化、軽量化。血を吸う道具を、武器に昇華してみせる。
失血による眩暈を覚えるより早く、自身の限界を悟る。それは喪失感に似ていた。自分の未来が、この先に続く光の道が、どんどん途絶えていくような。
(血が足りない。空を飛ぶのは厳しいな……もっとレバー食べてれば良かった)
そんな愚にもつかない後悔。
正攻法じゃ無理だ。なんなら倒す事も不可能だろう。相手は魔族。人を傷つけることに一切の躊躇いがなく、なおかつ聖遺物を使いこなすイレギュラーの極地。
(とにかく、相手の出方をうかがうしかない。牽制と防御で様子を見て、隙をついて全速力で離脱だ)
そして――――防御力と攻撃力を高めた俺だったが、それが間違いであると気づくのにそんなに時間はかからなかった。
「ゼスパ。あれは……アディルナとやらは非常に厄介な武器のようです。本質が見えない。なので、一番手っ取り早い方法をとりましょう」
荒れ狂っていたゼスパが、途端に大人しくなる。
次に繰り出されたのは正確な一撃。
即ち、俺の機動力と書いて逃げ足の速さを封じる一手。
「うおおおおおお!?」
何をされたのか分からない。だが、結果だけは分かる。
俺は空中に投げ捨てられた。果てしない高さを誇っていた木々よりも高く、森と空の間に放り投げられる。
「しまっ――――!」
「さよなら、強き者よ」
視線を移すまでもない。
俺はまるで分身したかのような速度で繰り出される拳でめった打ちにされて、意識を失った。
「お疲れ様でしたゼスパ」
「しかしこそこそ練習してたとはいえ、想像以上に頼れますね貴方は」
「うーん。このハサミ型の聖遺物どうしましょう?」
「え? 持っていけ? 回収するんですかコレ。使い方も分からないんですが」
「…………ははぁ。そうなんですか。千納鋏、ね。教えてくれてありがとうございますゼスパ」
「でもコレ、誰にも言えませんよね」
「…………お、おう。じゃあこっそりと持っていくとしましょうか」
「しかし何なんですかこの状況。魔族の私が、聖遺物を二つも有するなんて」
「はいはい。分かってますよゼスパ」
「………………貴方も意識があるんですねぇ、アディルナ」
「大丈夫ですよ。殺してません。彼、なんか昔の私に似ているんですよ」
「いえいえ。こちらこそ乱暴してすいませんね」
「は?」
「……は?」
「はぁぁぁ!?」
「いやいやいやいやいや。使いません。使いませんよ!?」
「ゼスパの件だって、誰にも言うつもりが無いんですから!」
「いや、ダメです、いや、よせ、やめろ、やめろってば!」
「私をマスターと呼ぶな!!」
「何笑ってんですかゼスパ!! あ、こら! アディルナも笑うな!!」
誰も知らない話だが。
この瞬間、カルンの「存在価値」は、ある意味で銀眼を遙かに凌駕したのであった。