4-38 得た物、失う物、消えたモノ
ジンラは久方ぶりに吼えた。
それは彼の英雄としての来歴からすると珍しく、だけど彼の性根としては当然のことだった。
ジンラ・バルク。彼は生粋のゲス野郎である。
彼の人生は、彼自身によってコントロール出来ないものであった。幼き頃から弱者を蹂躙する事に悦びを感じ、そこに理由や原因はなかった。あったのはただ自己満足。彼は生来、アリを踏み潰して笑い、虫の足をもいで笑い、近所の子供に石を投げつけて笑っていた。
もしかしたら、その程度の事は当然なのかもしれない。誰しもがそんな経験を得たのかもしれない。そして当然のように誰かに叱られ、反省や後悔に導かれたのだろう。
だけどジンラ・バルクは違った。
親の叱責も、被害者の身内からの仕返しも、正義感にかられた者の処罰にも、ジンラには何の感慨も与えなかった。
そうする事以外、楽しいと思えなかった。
そしてその元々は小さな、矯正されるべき歪みを誰も直せないまま、ジンラは成長してしまった。大きくなった。身体も、心の歪みも、彼の行動範囲も。
だから被害もそれに比例して増大していった。
弱者を蹂躙することに悦びを覚え。
貧しい老人を踏みつけることに悦びを覚え。
動物の足をもぐことに悦びを覚え。
赤ん坊に石を投げることに悦びを覚えた。
やがて少年の狂気は近所の幼女に向けられ、大人ですら目を背けるような惨事を引き起こした。
そこで成人男性としての機能を得た彼はそれを活用し――――そして街を出て――――それを繰り返し――――やがて、ジンラは当然のように逮捕された。
その時彼が覚えた感想は「もう終わりか」という悲壮感ではなく「なんで俺が愉しんだらダメなんだよ」という憤りであった。
「みんな幸せになるために生きてるんだろ? なら、俺だって幸せになったっていいじゃねぇかよ」
とても十歳の少年が吐く言葉ではない。彼を捕縛した男は、ジンラを「この殺人鬼は、今すぐ、ここで殺すべきだ」とすら考えたそうだ。
だがその男は立派な人物であった。否、普通の人間だったと言うべきか。
男はジンラの行く末を個人的な感情――人間の正義感による抹殺ではなく、法による断罪に委ねた。
ジンラが引き起こした被害は甚大であり、被害者の魂は何をしても回帰しない。最早年齢なぞ関係無い。下さった裁定は『拷問による処刑』
それがジンラの末路だった。
そのはずだった。
「だけどねぇえっちゃん! 死臭のする拷問部屋に訪れたのは私の死ではなく、圧倒的な破壊だった! 魔王さ。魔王が私の街を破壊してくれたのさ! その名も迅風の魔王テラトス!」
「ツッ!」
繰り出した【炎帝】は名前負けするほどに脆弱だった。
自律稼働する炎。ワタシを護り、同時にあのクソ野郎を殺すために動く殺意。
しかし込められた魔力は微々たるもの。ワタシの炎帝は、弱い。
既にそれは看破されているのであろう。無意味に矢を撃つのではなく、ジンラはライアグルそのもので炎帝に攻撃をしかけていた。
「魔王、嗚呼、魔王よ! ある意味では私も魔王崇拝者なのかもしれないな! だってとても感謝しているのだから! あの牢獄をブチ壊した魔王テラトスは、私の命の恩人さ! 私はからくも逃げだし、走った! 次なる愉悦を求めて、混乱と悲鳴と絶望が渦巻く街を駆け抜けた!」
ジンラとか呼ばれていたライアグルの担い手は何やら大きな声で演説を打っているようだが、ワタシの耳には届かない。聴く価値がない。
(残りの魔力は……軽い魔法なら三発。中威力なら一発。大火力の魔法を放つにはまだ時間がかかりそうね……)
戦力差で言えば絶望的だ。しかし時間を稼げば何とかフォースワードを放てるかもしれない。
どうせこの英雄も破綻している。時間の稼ぎようによっては、
――――ヤツのお愉しみに付き合えば、その間に三度殺せるはず。
(……無理無理! 絶対無理! 気持ち悪すぎて死ねる!)
こいつはもう人間ではない。ただの獣だ。殺した方がロイルのためだ。
「さっそく路地裏に向かった私は、すぐさま獲物を見つけたよ! 今もよく覚えてる、可愛らしい男の子だった! オトコノコかぁ。まぁ関係ねぇや! そうやって狂喜しながら飛びかかった私だったが、次の瞬間にはブッ飛ばされてひっくり返ってた! 何が起きたと思う!?」
(炎帝を強化するか……あるいは、接近戦に持ち込む? その方が手っ取り早いかもしれない。……いいえ、ダメよ。一秒でも早く殺すべきだけど、求めるのはスピードではなく勝率……!)
「そこで出会ったのがこのライアグルのマスターさ! 前任者だよ! 今思えば、彼もまた私と同じクソ野郎だったのだろうが、その時ばかりは恐怖したさ! ああ、こんなにも凛々しい人間がいるのだな、と! 私の方がこの世界にとっては異物なのだろうな、と!」
隙さえあれば中威力の魔法をブチ込む所だが、ジンラの腕前は確かだ。攻撃、牽制、間合いの取り方。全てが上手い。
「彼は突如襲撃してきた魔王テラトスの軍勢と戦っていたらしく、血塗れだった! だけど、彼は少年を救うために私に時間を割いたのだ! 戦場で! 死にかけの身体で! くぅ~~!」
(時間をかければ回復するけど、それはヤツも同じか。しかしとんだ絶倫野郎ね。間髪無く矢を放っているのに、あの気持ち悪さ。恐らく数分後には高威力の一撃が放てるようになるはず……)
「彼は何を思ったのだろう。それは今も分からない。だけど結果として、瀕死だった彼は私にライアグルを託した。その瞬間から、私はライアグルの奴隷であり動力源となった! まぁ後悔はないよ! 子供の頃に好きだったお菓子が、大人になるとマズ過ぎて食べられないのと同じさ! 私の欲望は根こそぎライアグルに食われ続けている――――今更それについてはどうとも思わない。ただ、気持ち的には、少し寂しくて残念ではあるかな! だってあんなにも愉しかったんだから! ああ、そうそう。その可愛らしい少年は魔王テラトスの魔法によって切り裂かれてしまったんだ。それが俺の最後の後悔かな! 何もかもがあと五分早ければヤれてたのに!」
(……殺さなきゃ。ロイルのために殺さなきゃ)
「魔王テラトスはまぁまぁ強かったのだろうが、まず最大の特徴として素早かった! スピードが売りみたいな魔王でね。風の属性である魔法を放ち続け、誰も近寄れなかった。しかし! しかしだよえっちゃん! 私はたったの十歳だったにもかかわらず、ライアグルと出会ってばかりだったのに、魔王テラトスを殺してみせたのさ! どうやったと思う!?」
(……ホント耳障り…………嫌悪感で精神にダメージが来る……)
「まず私は街から逃げ出したのさ! はははは! 何故だと思う!? 幼い頃から私は『獲物に警戒されると面倒だ』という事を知っていたのさ! だから逃げた! そのまま逃げても良かったのだが、前任者の遺言もあったからな。即ち魔王を殺せ、だ。彼に対する最大級の敬意として、私はライアグルに力を込めた。自然と、使い方は理解出来たよ! まぁ戦おうとした一番の理由は遺言のせいだけじゃない。拷問部屋から脱出できた事はさておき、結果的にあの少年とヤれなかったのは魔王テラトスのせいだと憤慨していたからなんだけどね!」
「う……」
「おっとそこかい!? ははは! この炎の魔人もそろそろ消えてしまいそうだが、大丈夫かな!? 次の手は考えてるかな!? いいよ、いいとも。是非とも抵抗してくれたまえ! それを踏み潰し、詰って、舐って、事が終わったら十数年ぶりにライアグルを手放してみるとしよう! えっちゃん、君なら、きっと君なら私の最後の後悔を果たしてくれるはずさ!!」
「う……うるせぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ワタシは耐えきれずに、叫んだ。
「もう黙れ! 気持ち悪すぎるのよあんた! もういい、もういい……! ロイルのためにじゃなく、ワタシ自身の殺意であんたを殺すッ!」
「いいね! とてもいい! 私の自分語りをそろそろクライマックスさ! 私のことが理解出来たかな? 伝わったかな? もう十分かな? では最後にもう一つだけ言わせてもらおう!」
ワタシは【炎帝】を解除した。
もういい。余分な事は考えない。こいつは殺す。
「えっちゃん! 実は君の外見、死ぬ程好みなんだよ! 私の初体験の子に似てる!」
気持ち悪すぎて鳥肌が立った。
何が「外見が好み」だ。世界で一番気色悪い褒め言葉だ。
「あんたみたいな変態、大っ嫌いよ!!」
「ひゃはぁッ!」
想像を絶するほどに嫌悪感を抱かせる身悶え方。冗談じゃない。こんなヤツに関わっていたら脳みそが腐る。
殺す。
殺すしかない。
もういい。本当にどうでもいい。
この瞬間だけワタシはロイルの事を忘れる。
――――このワタシにそんな覚悟を負わせた事を、地獄の底で嘆け。
ロイル。大好きだよ。
星空の瞳が、輝きを増す。
黒は澄み、星は光を放ち。
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だがその瞬間、本来ならば知覚出来ないモノを、ワタシは知覚した。
電光石火。失った知識が励起する。
(Eo109=qual,acq,,,er,inn-dis-inc)
知るか。
そんなものどうでもいい。
(int,,,intervention,,,介入開始。お前は目の前の敵を殺戮したいか?)
当たり前だ。
(異常個体・演算の魔王への介入許可獲得――――ロールバック遂行。資質、付与、完了)
電光石火。再びワタシは知識を喪失する。
(ロールバックにより条件消失。だが我々は君に期待する)
最後に幻聴が聞こえた気がした。
(資格ある者よ。全てを殺せ。そして君に幸あれ)
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黒は澄み、星は光を放ち、そして――――。
世界で一番好きな人の声が、聞こえた。
「演算ッッ!」
「!」
瞬間、心に訪れたのは寂しさだった。
作戦は失敗だ。大失敗だ。こんなの、私は耐えきれない。
でも同時に、少しばかりの安堵があった。
最低最悪の結末だけど、どうあれ、この変態野郎はブチ殺せる――――!
目の前のジンラは「ひゃは」と嗤い、ロイルの姿を探した。
「ロイル氏ィ! 今更何の用かなァ!? 邪魔立てするつもりかなァ!? いいとも、いいとも! さっきの続きをしよう! ライアグルを使いすぎたせいで、私のタガも外れかかっている! こんなに消費したのは初めてかもな! ――――そこか!」
ジンラは樹の合間を縫うような一矢を放ち、反応を伺う。
「今のは当たったかな? 当たったと思う。当たったはずだ。どこに当たったかな? まぁどこでもいい。えっちゃんで愉しんだ後は、その傷口に私のイチモツをブチ込んでやるとも!」
気持ちが切り替わる。
最早こいつの死は絶対だ。これは殺意じゃない。殺戮するという意思だ。最優先すべき本能だ。
だから私は残りの魔力を、惜しみなく全て使い切ることにした。
「もういい。お前を燃やすことは諦める。闇の中で迷え【暗天】」
ジンラごと、周囲一帯を闇色で包み込む。
逃走用の魔法じゃない。確実に殺すための魔法。
「ロイル! あと三手!」
まるで暗号のような指示を放ち、ロイルからの反応が無いことを確認。迷うことはない。今の短い言葉で、ロイルには全てが伝わっている。
私はすぐさま迎撃魔法の構築に入った。
生き残るための魔法じゃない。飛んでくる矢を殺すための魔法だ。
闇に包まれて戸惑うジンラ。そして彼が行動に移るまでの短い猶予で、私はなんとかそれを間に合わせる。
「小賢しい! まだまだ私は元気だぞ! 放てライアグル!」
「鋼鉄の風よ、悍ましさを遮断せよ! 【鋼荷】!」
独自言語を持たない私はヴァベル語で呪文を補強し、魔法を狙い通りの結果に導く。
闇の中から放たれる、扇状に広がる矢の群れ。それらは上から吹き付ける鉄板のような強靭な風に機動を狂わされ、ことごとくが地面に突き刺さっていく。まるでカーテンに向かって投げられた紙くずのように。
だけど闇に包まれたジンラにはそれが見えなかったのだろう。彼は愉しそうに嗤った。
「ハハハ! 当たったかな! 貫けたかな! 顔にかかったかなァ!?」
「まだ余裕があるとは驚きね! あんたどんだけよ! でも、これで終わり!」
私は最後の攻撃呪文を唱えた。
脳内に痺れるような恍惚が走る。
私は今から、絶対に許せないことを、許容する。
「貴方に死を。余分なモノは一つもあげない。そんな――――【虚誓】」
堅き誓いは虚ろになり、ジンラが手にしていたであろうライアグルの波動にノイズが走る。ざまぁみろ。苦しめ。いいや、もう苦しむな。
ただ、ただ、死ね。
私は最後の一手を放った。
即ち、【暗天】の解除である。
「それじゃ、後は任せるわロイル」
「承った」
いつの間にか私の眼前に立って居たロイル。かっこいい。本当に素敵。
だけどその右手には、吐き気をもよおす異物が握りしめられていた。
闇が晴れ、そして困惑するようにライアグルに語りかけるジンラがいた。
「ライアグル! どうしたライアグル! 私はまだまだ元気だぞ! なんなら過去最高に昂ぶってるぞ!?」
「だから、よ。あんたは感情が昂ぶってるだけで、もはやエネルギータンクとしてはほぼ使い物にならなくなってる。流石の変態にも限界があるってこと」
「あああああん!?」
「さ、人生最後の一発を放ってごらんなさい。でも言っておくけど――――私のロイルは、世界一よ?」
「……ほざけ!」
顔面をぐしゃぐしゃに歪ませたジンラは、私の挑発通りにありったけの、全精力をライアグルに注ぎ始めた。
「演算の魔王! ロイル氏! 二人まとめて、穴だらけになれぇぇぇぇ!」
私は安心して、地面に腰を降ろした。
「フェトラスがよ、今も独りで寂しがってるって考えると……お前に構ってる時間はねぇんだよ」
ロイルが握りしめている異物――――正しい呼称は、聖遺物。
魔剣テレッサ。
多斬剣の性能は、担い手のストレスに由来する。
「一斉掃射ァァァァ!」
「技名なんてったっけか。えーと……ま、いいや!」
予想を遙かに上回る矢が展開される。だけど、今のロイルの敵じゃない。
「蹴散らせ、テレッサ!」
そんな女の名前なんて叫ばないでよ、ロイル。
無数の矢がこちらに向かって飛来してくる。
しかし多斬剣テレッサの性能は、そんな矢なぞお構いなしに発揮される。
飛んでくる矢を、左下から右上へとなぎ払う。
たったその一撃で、見えない剣閃が連鎖するように展開し、あちらこちらへと矢を弾き飛ばしていく。
「なっ、なっ、な――――!」
五回。たったそれだけ剣を振るっただけなのに、ジンラの矢はほぼ全てが地面へと落ちていった。
「なぜお前がテレッサを使える……! それは、常人が抱く程度のストレスではロクに運用出来ないはずなのに……!」
そんな叫び声に、心の中で返事をする。
(ストレス、ね。特に思い当たらないんだが)
「まだだ! まだイける……! 喰らえッ、これが私の全てだー!!」
再び矢が迫る。
だけど俺はどこか空虚な気持ちで、ストレスについての考察を続けた。
ザークレーは胃痛を患っていた。かなり強めのストレスを抱えていたのだろう。
では俺は? 俺のストレスとは何だろう?
(俺は一体、何が嫌なんだ?)
自問した瞬間に、激情が溢れかえった。
切なさ、哀しみ、後悔、不安、絶望。
愛しさという器に盛られたそれらの感情が、俺の思考をドス黒く塗りつぶす。
(フェトラスに会いたい…………)
そんな俺の意思を受けた多斬剣テレッサが見せた煌めきは、神域に届く勢いで、全てをなぎ払った。
「ばっ、馬鹿な!?」
俺は無言のままジンラに近接し、たった一度だけ、剣を当てた。
右肩への一撃。
腕へと連鎖し、指先から脚に移る。
両足をズタズタにした後、胴体を切り刻む。たまらずジンラはライアグルを手放した。
そして右肩から入った一撃は顔面に至り、左肩へと伝播し、最後の指先まで切り裂いた。
斬撃は収まり、後に残ったのは血だるま状態のジンラ・バルク。
吹き出す鮮血がオールバックを乱し、彼は白目を剥いたまま地面に伏す。
先ほどまでの激しい攻防の音が途絶え、森には静寂が戻った。
「………………なんじゃ、この武器」
勝利の余韻などない。
俺は多斬剣テレッサの性能にビビっていた。
「むちゃくちゃ過ぎる……相当手加減したつもりだったのに……」
呆れ果てながら、美しい片刃の剣を眺める。すると地面に座り込んでいた演算の魔王が恨めしそうな声を上げた。
「……その剣も壊していいよね。ね。ね。よし壊そう」
「まぁ待て落ち着け。ジンラの様子を一応見てみよう。死んだふりだったら困るしな」
「どう見ても死んでるじゃない」
「いや殺したつもりは無いんだが……」
恐る恐るジンラの様態を確認する。
怖ろしく血塗れであるが、傷はそんなに深くない。そういう風に調整したから当然なのだが、出血量は予想より遙かに多かった。
「まだ息はあるけど……普通に失血死するかもしれんな……」
「は? まだ生きてるの? どいてロイル。トドメは私が刺す」
「いやいやいやいや。まぁ、落ち着いて」
ぼんやりと思う。確か多斬剣テレッサを使うと後遺症でハッピーハッピー状態になるとか何とか。しかし。
(全然なんも変わらんぞ……)
もしかしたら、相性が良いのだろうか。
演算の魔王には悪いが、こいつは実に便利な聖遺物なのかもしれない。
「そもそもこいつ様子がどんどんおかしくなっていったんだが、何だったんだ? どうしてお前を付け狙ってたのか、心当たりあるか?」
「心当たりなんて無いわよ。そして、こいつの様子が変だったのは……ライアグルの担い手の共通事項かしらね。本当に変態なのよ」
とんでもなく嫌そうに解説してくれた演算の魔王だったが、彼女はやがて「あ」と呟いてジンラに近寄った。
「魔力……はもう完全に空っぽか。参ったな」
「どうした。まさか本当にとどめを刺すつもりか」
「いや、もうこいつはどうでもいい。ただライアグルだけは壊しておくべきだから」
「……聖遺物をか」
「だって気持ち悪いもん」
「…………こいつって、どんな武器なの?」
「解説するのも気持ち悪いんだけど……異常なほどの性欲を持つ男性しか使えない、とだけ」
「せいよく」
オウム返しにそう呟く。
「…………………………もしかして、こいつが撃ってた矢の原材料って」
「もうこの話題やめない?」
「……第一印象はすげぇ爽やかそうな紳士だったのにな」
色々と思う所はある。
だけど俺は執拗にライアグルを壊そうとする演算の魔王をなんとかなだめ続けた。
「気持ち悪いかもしれんが、それでも人類を護るために頑張ってくれてるんだよ。俺達の感情でどうこうしていい問題じゃないだろ?」
でもでもだって。
そんな風にだだをこねる演算の魔王に、延々と同じ説得を何度も繰り返して。
――――彼女はやがて諦めたようにため息をついた。
「分かったわよ……ロイルに感謝するのね、ライアグル。お前はこのままここに放置しておく。運が良ければまた活躍することも出来るんじゃないかしら。ただし、もう二度と私の前に姿を現さないことね。次は一切の容赦無くブチ壊す。絶対に」
そして演算の魔王は、そこら辺に落ちていた石を拾い上げた。
「でもジンラはもうダメ。こいつからは資格を剥奪します。死ぬ程気持ち悪かったから」
そして演算の魔王は、息も絶え絶えなジンラの股間に石を振り下ろし――――。
「あいつマジで死んだんじゃねぇか?」
「そうかもね。ま、運が良ければ生き残るんじゃない? 可能性は相当低いけど」
(トドメを刺さなかっただけまだマシなのだろうか……)
だが極限まで譲歩してアレなのだ。
やつらは俺達を殺そうとした、そして殺し合った、まごう事なき敵なのだ。
(……そうだな。演算の魔王は俺に気を遣って、あの程度の処置で済ませてくれたんだ。これ以上ゴチャゴチャ言うのは傲慢だな)
何はともあれ、もうジンラは再起不能だ。それで良しとしよう。
「…………とりあえず、シリック達と合流しようか。予定外の事があったが、俺達の目的はあくまでフェトラスだ」
「あのハサミ使いは?」
「姿が見えなかったんだよな……テレッサを回収するときにやりあう可能性も考えてたんだが」
「空を飛んで逃げたのかしら」
「分からん。ただ、弱っていたのは間違いない。もしかしたら援軍を呼びに行ってるのかもしれないが……」
だがそれに対応してる暇はない。また空を飛んで別の英雄を連れてくるかもしれないが、どちらにせよ時間はかかるはず。それを待ち構えて、本命のフェトラスを逃がすなんて事はあってはならない。
ゴールはすぐそこ。俺達はもう突き進むだけだ。
「……ま、いいわ。というかいい加減にそのテレッサを投げ捨ててくれないかしら。出来れば空の彼方まで」
せっかく相性が良さげなのになぁ。
俺は苦笑いを浮かべて、とりあえず多斬剣テレッサを地面に突き立てた。
「まぁまぁ、とりあえず、ほら、こいつのおかげでジンラを倒せたっていうのもあるし。ブッ壊すのは勘弁してやってくれよ」
両手の平を彼女に向けてジェスチャーでも『お願い』を繰り返すと、彼女は深いため息をついた。
「うぅ……ロイルの言うことにも一理あるし…………まぁ、いいわ」
(ん……? 以外とアッサリ引き下がったな……)
ザークレーの騎士剣は速攻で鉄クズに変えられたが、心境の変化でもあったのだろうか。あの手この手で説得するつもりではいたが、演算の魔王は少しだけ頬を膨らませたまま多斬剣テレッサから視線を外した。
そして改めて俺を見つめてくる。「テレッサなんてどうでもいい。それよりもロイルだ」と言わんばかりに――――その視線には何かを求めるような気配があった。
ああそうだ。何はともあれ俺は彼女に言わなくちゃいけない事がある。
「とりあえず、お疲れ様。頑張ってくれてありがとうな、演算の魔王」
「…………ん!」
彼女は俺の胸に飛び込んでくる。
正直に言えば顔色が悪い。魔力も枯渇し、疲労困憊だろう。
だけど彼女は幸せそうに笑った。
周囲には俺達以外に誰もいない森の中。
演算の魔王は、笑っていた。