4-34 正しい倒し方
光が辺りを照らしている。
赤が見えた。血の色だ。
それが地面に降り注いだ。
冗談では許されない量が、ぶち撒けられる。
後に残されたのは、大量の、肉の切れ端だった。
原形を留めていない。
そこに居たはずの演算の魔王は、カタチを変えていた。
「な――――」
にが起きた?
「ど――――」
うしてこんな事を。
他の言葉は何も出なかった。
ただ目の前の光景が理解出来なくて、俺は停止した。
「あひゃ……ひゃひゃひゃひゃひゃ!! やった! やったわ! 倒した! 殺した! 私こそが、英雄クラティナ・クレイブ様だ! へひゃひゃひゃひゃ!!」
空からの強襲を果たしたクラティナは、受け身すらとらずに地面から落下。したたかに全身を打ち付けたようだったが、彼女は狂ったように笑っていた。
「イギィィィィィ! 世界が! 輝いてみえる! 祝福だ! なんて、なんてことなの! 今までで一番! 一番ヤバい! だってそうでしょう!? 優先順位、最高位! 幼くも完成された魔王! テレッサの事も知っていた! 強かった! だけど殺した! 他ならぬ、私が! この私がブチ殺してやった! あはははははははは!」
地面をイモ虫のように這いながら、クラティナは演算の魔王だった残骸にすり寄った。
「ああああ。なんて、なんて綺麗なの。ありがとう。私に殺されるために産まれてきてくれてありがとう。ふへっ、ふへへへへへ!」
彼女は狂乱のさなか、失禁していた。血ではない染みがあたり一体に広がっていき、おぞましさを加速させていく。
気がつけば俺は膝から崩れ落ちていた。
演算の魔王。
カウトリア。
残されたのは、まるでフェトラスがかつて殺した魔族のように、一見しただけでは何とも判別がつかない残骸。
……死んだ?
殺されたのか、カウトリア?
未だに信じがたい。だけどクラティナは延々と哄笑をあげつつ、手にしていた多斬剣テレッサを愛おしそうになでた。
「ヤバイ。ヤバイよテレッサ。長い。今回のは長い。どうしよう。死にそう。楽しくて嬉しくて気持ち良すぎて死にそう。ヤバい。止まらない。終わらない。絶頂に、果てが無い!」
怖い嗤い方だった。
クラティナの世界は、いま、完結している。あれがきっと彼女のゴールだ。彼女はきっとアレ以上幸せを覚えることが出来ない。
そんなことを予感させる、狂ったザマだった。
誰も何も言えない。ただクラティナが嗤い続けていた。
やがて、周囲の明かりが消えた。
音も無く闇が訪れ、視界が黒一色に染められる。
木々の合間を縫って星明かり。か細いそれでは、誰の表情も分からない。
そして地面に倒れていたシルエットがフラフラと立ち上がった。
「はぁ…………もう、最高…………」
一瞬、誰の声か分からなかった。
声色が違う。イントネーションが違う。闇に紛れたソレが、俺にはクラティナだと認識出来なかった。
だけど俺は、思わず尋ねた。
「お前……な、なぜこんなことを……」
「何故? なぜって……魔王を殺したこと……? 逆に聞きたいけど、どうしてそんなこと聞くの……?」
ずり、ずり、と。全身を引きずるかのような歩き方でクラティナのシルエットが近づいてくる。
「だって、魔王だよ……? 殺さなきゃ。そのために普段から頑張ってたんだもん……というか、あなたはだぁれ……?」
「お、俺は……」
俺は、なんだ?
俺は演算の魔王にとっての何だったのだ?
逆もそうだ。演算の魔王は俺にとって、何だったんだ?
協力者か? 元・相棒か? 友達ではない。仲間かもしれない。同胞ではない。パートナーだと彼女は言っていたけど、それを了承した覚えも無い。
胸に突き刺さったのは後悔だった。
俺はカウトリアを利用しようとした。彼女の気持ちを踏みにじろうとした。
だけど、けれども。何も出来なかった。良くも悪くも何も出来なかった。あんなに一生懸命だったカウトリアに、俺は何も返せていない。
全員が沈黙した。
少しずつ目が慣れてきて、シルエットの輪郭がはっきりしてくる。
「まぁいいわ……久方ぶりに、気持ちが良いの。このまま眠りたい。あなた人間よね? 見れば馬車もあったし、少し休ませてくれないかしら?」
クラティナが口にしたそれは、当然の要求だった。
人類の守護者。聖義の使者。王国騎士。英雄。断るわけがない。誰だって諸手をあげて歓迎し、それを労い、敬うことだろう。
だけど、どうにも、そんなことを許容する気持ちにはなれなかった。
この気持ちは何だろう。
クラティナは魔王を討った。それは偉業であり、当然のことであり、何も間違っていない、正しい行いだ。
だけどどうしてだろう。
俺は馬車の荷台に転がっていた、ザークレーのリハビリ用の剣を手に取った。
「………………」
「……ん? なぁに。どうしたの」
「分からん。分からんが、俺はお前と戦わなくちゃいけない気がする」
「……は? なんで?」
「ロイルさん……!」
クラティナが首を傾げるのが見えた。シリックの制止が聞こえた。
「えっと、あなたが誰かは知らないけど、どうしてかしら? 一応、魔王を倒した英雄のつもりなんですけど」
クラティナの喋り方は、戦闘中の奇妙なものではなく、普通のお嬢さんが使うような言葉遣いだった。暗闇も相まって、目の前の影が誰なのか分からない。
きっとクラティナ・クレイブは俺の敵じゃない。
だけど、何故か、本当に自分でも説明出来ないのだが『戦うしかない』と思っている。
「あ、もしかして魔王崇拝者?」
「……そうかもな」
「…………ああ。きっとあなたは、演算の魔王に何かされちゃったのね。なるほど。意図的に人間を壊すのか。たしかに異常だわ。ま、もう死んだからどうでもいいけど」
「…………」
「さて、困ったな。テレッサはもう力を使い果たしたし、私もそんな気にならない……困ったな……困ったなぁ……ほんまに、どうしようもないなぁ……!」
目の前の影が、壮絶に嗤ったような気がした。
「ま、これも後始末の一環や。それに人間……魔王崇拝者殺すぐらいやったら、半日もあれば十分やろ。というか最高の気分に水を差されたみたいで、ごっつ具合が悪いわ。今すぐでもいけるか? いやいや。せめて、もう少し余韻に浸りたい」
影は一歩、後ずさった。
「しゃーなしやな。おい、そこの魔王崇拝者。きっちりカタつけてやるさかい、せいぜい短い余生を楽しむとええで?」
「なんだ。逃げるのか」
「後で必ず、殺してあげる」
それがクラティナの、最後の言葉だった。
彼女は飛ぶように後退し、木々の影に消えた。
と思ったら。
「その前にワタシがあなたを殺すんだけどね」
闇の中、黒い、とても黒い気配が辺りを包んだ。
「なっ――――」
「飛んで沈みなさい。【昇底】!」
それはおそらくきっと、物理的な魔法だったのだろう。
悲鳴すら上げずにクラティナは夜空に舞って、地面に落下すると同時に「グフッ!」と血の混じったような声を発した。――――そしてそれきり、静かになった。
「えっ」
「ロッ――――ロイルぅぅぅぅ!!」
「ええっ!?」
闇の中、小柄な影が俺に向かって猛ダッシュしてきた。両手を突き出しながら。
「こわい!」
「ええっ! このタイミングで避けるの!?」
俺が回避した影は立ち止まって、魔法を一つ唱えた。周囲が明るくなる。
そこにいたのは、五体満足の幼女だった。
「えっ……演算の魔王!? お前、生きてたのか!?」
「当たり前じゃなーい! このワタシが、テレッサ如きに遅れをとるわけないじゃない! というかロイル、大人しく抱きしめられなさいよね!!」
改めて突進してきた演算の魔王を、俺はしっかりと受け止めた。
「うふふふふふふ!」
クラティナに似た、不気味な笑い方をしながら彼女は俺の腹に頬をすり寄せた。
「ロイル、ロイル! ワタシのカタキを討とうとしてくれたの? 英雄相手に? あんなイカレ女相手に? なにそれなにそれ! もう、好き! 大好き! 超好き! ボロ剣使おうとしたのは微妙だけど、そんなの関係ないくらい幸せよ!」
「ちょ、落ち着け! というかどうやって蘇った!?」
「そもそも死んでないってば! っていうか、そんなことどうでも良いの! だいたいワタシはロイルが敵討ちをしようとしてくれた時、嬉しすぎて死にそうだったんだから! そっちの方がよっぽど致命傷よ!」
ワケがわからん。
ただ、幽霊でも死にかけでもなく、演算の魔王は確かに無事なようだった。
クラティナは気絶していた。
死んだわけではないが、綺麗さっぱり意識が消失していた。
「やーテレッサ。今回の担い手も元気いっぱいだったわね。まぁワタシを狙ったのが運の尽きよ。そう思わない?」
演算の魔王は多斬剣に話しかけながら、それを馬車の荷台に放り投げた。
「とりあえず貴方を壊すか、あるいは封印するかは未定。まぁせいぜい来世に期待しなさい」
俺は戸惑いつつ、演算の魔王に話しかけた。
「えっと、クラティナは置いて行くのか?」
「え? 殺した方がいい?」
「いやいやそういう意味じゃなく! このまま森の中に置き去りにして大丈夫なのか、って話しだよ」
「ロイルが何を心配してるのか分からないけど……一緒に連れて行くわけにもいかないし。隙あらばテレッサを奪還しようとしてくるわよ? すごく面倒だと思うけど。あ、やっぱり殺していこう。後腐れ無いし」
「よーしよしよし! 置いて行こうな!」
野生動物やモンスターに襲われるかもしれないが、その辺は仕方が無い。どういう人物なのかは知らないが、彼女は負けたのだ。生殺与奪は天に任せるとしよう。
そして馬車は走り出した。
クラティナから十分に距離が出来たことを確認して、ザークレーが口を開いた。
「――――一体全体、何がどうしてこうなった。演算の魔王。お前は、一体なんなのだ」
「何、と聞かれても……あなたは既にワタシが誰か知っているんじゃない?」
「――――そうだな。ロイルのために生きて、ロイルと共に死ぬ者よ」
「そうそう! えっと……そう、ザークレー! あなたは話しが分かる人ね!」
こいつ、ザークレーの名前うろ覚えだったのかよ。
「――――話しが分かる、と評価はされたが分からない事がある。どうやって……どうしてクラティナに勝てたのだ?」
「は? あなた、何も見てなかったの? 普通にブッ飛ばしたんだけど」
「――――そうではない。クラティナ・クレイブ……彼女は、英雄の中でも別格だ。異様に強い、と言っても過言では無いくらい、その戦歴は華々しい」
「まー、そうね。あれほどテレッサを使いこなせてたわけだし、そこら辺の魔王じゃ太刀打ち出来なかったでしょうね」
「――――だが、お前は勝った。何故だ。どうしてだ。分からない。お前の強さは、一体なんなのだ。まだ発生して間も無いはずのお前は、どうしてそこまで強い」
「ふむ」
彼女は顎に人差し指を当てて、少し迷った様子を見せた。
ちらり、と俺の方を見てくる。その顔には「頭痛案件」だと書かれていた。
対して俺は何も言わない。どうせ口を挟めることじゃない。だから俺は少しだけ肩をすくめるだけにした。
「……ワタシは、別に強いわけじゃないわ。見ての通り、肉体も貧弱。魔法だっていくつかは使えるけど、器用貧乏っていうのかしら? 特に何かに秀でてるわけじゃないもの」
「――――だが」
「ワタシは弱い。でも、ワタシは勝てる。それだけよ」
「――――答えになっていない」
「答える気がないもの。なーに? ワタシと戦うつもり? ネイトアラスで?」
「――――勝てる気がまるでせんな」
「正解よ。それさえ知っていれば。ワタシの強さなんてどうでもいいでしょう? 別にワタシからあなたを襲ったりしないから、安心なさい? そして重々、気を付けなさい。――――ロイルに迷惑をかけた瞬間、あなたはワタシの敵よ」
「――――了解した」
ふぅ、とザークレーは全身の力を抜いた。尋問を諦めたのだろう。その代わり、俺に向かって視線を一つ。それは『お前から情報を聞き出せ』という旨のものだった。
ザークレーの言葉と同じく、了解の意をひっそりと示す。
俺は後方の暗闇……クラティナがいた方を向きながら、演算の魔王に声をかけた。
「実際、あいつは何だったんだ? クラティナ。どうしていきなり襲ってきたのやら」
「ザファラで一瞬戦ったのよ。シリックをさらった時ね。それを機に、ずっとワタシを追いかけていたんじゃない?」
「……なんで俺達の場所が分かったんだろう」
「さぁ? 見たところ単独行動だったけど……移動したり、ワタシの位置を捕捉したり追跡出来る英雄がサポートしてたのかもね。ザファラにはたくさん英雄がいたようだし」
「ふむ……」
じゃああいつは、完全に正義の味方……いいや、聖義の使者なんだろうな。
人間をさらった悪い魔王。それを討伐に来た、勇気ある実力者。英雄。
(それを返り討ちとか……完全に人類に対する反逆行為だな……)
だが口封じのために、戻って殺す気にはならない。何故なら彼女は(常軌を逸していたけど)人類の味方なのだ。今までたくさんの魔王を屠ってきたであろう、功労者なのだ。
仕方が無い。とりあえず、この結果を受け止めよう。
英雄に襲撃されて無事だった。それだけでいいじゃないか。つーか暗闇だったから俺の顔とか見えてないだろうしな。クラティナには演算の魔王しか見えてなかったはずだ。
ふと、荷台に転がっている多斬剣テレッサが目に入った。
今は鞘に収まっているが、確か片刃だったな。どれどれ。
と、検分しようとしたら凄まじい勢いで演算の魔王に腕を捕まれた。
「…………ロイル? 何をしようとしているの?」
「えっ。いや、別に。ちょっと見てみようかと」
「そんな変態に触れちゃダメ」
「へ、変態!?」
「…………いいから。ロイルは武器なんて触っちゃだめ。あなたが触れて良いのはワタシだけ」
鬼気迫る笑顔だった。なので、俺は素直に手を引っ込める。
すごい武器だったよなー。強かったよなー。どんな能力なんだー? そんな質問さえ遮られる。
しかしながら、聖遺物。そう、聖遺物なのだ。
俺が欲してやまない、娘を護るための力がそこにある。
そりゃ借りパクなんてしたら指名手配待ったなしだが、演算の魔王はコレを壊すか封印すると言っていた。だったら有効利用させてもらってもいいじゃないか。
俺に使わせる気はさらさら無いようだけど。
しかし、だからといって諦めるのもどうだろうか。
少しモヤモヤしたけど、とりあえず俺は会話を続けることにした。
「っていうか、どうして無事だったんだ? 何か凄い攻撃で、お前が肉片に変えられちまったかと思って焦ったんだが……」
「ああ。あれね。途中から幻影を使っていたのよ」
「幻影?」
「そう。限りなく実体に近い、幻覚、投影、合わせて幻影。あのクソブス思い出すからもう使いたくないけど、まぁまぁ便利な魔法ね」
クソブス。ああ、幻影の魔女エイルリーアか。俺からカウトリアを没収した魔女だ。
「しかしなんでそんなマネを?」
「テレッサに勝つための、本当の攻略法って言ったところかしら。あの聖遺物はね、持ち主のストレスを力に変換、貯蔵する武器なの」
「ストレスを力に変える……」
「多斬剣テレッサ。性能はさっき見たわよね? 斬るという行為を、一度に複数発生させるの。右から斬ったら、左からも同じ剣閃が飛んでくる厄介な武器よ。使いようによってはその攻撃はまさしく多斬。百でも千でも飛んでくるわ」
「ふむ……上位の適合系だそうだが?」
「そうね。使うだけなら誰でも使えるんでしょうけど、強力に運用しようとするなら、持ち主は常に胃に穴が空くようなストレスを抱えなくちゃならなくなる。テレッサは人の不幸とか苦しみとかが大好き変態だから」
ザークレーの視線が痛い。
『――――なぜ、そこまで詳しいのだ』と。
すまん。説明出来ない。本当すまん。
俺はザークレーを無視して、続きをうながした。
「じゃあクラティナが空から降ってきた時、あいつのメンタルがヤバそうだったのは、テレッサを使うためにわざとそうしていた、って事になるのか。……まぁ、お前を殺したと思った後の狂乱っぷりも異常だったが」
「意図的にストレスを抱えるような生き方をしていたのでしょうね。そして、その後の狂乱だけど、あれはテレッサの副作用よ。ストレスが枯渇して、頭がおかしくなるの」
ハッピーハッピー、ってね。と演算の魔王は頭の横でピースサインを並べた。
「倒したと思ったけど、クラティナにそんな様子が無かったから『ああこいつ、死んだふりしてるな』ってすぐに気がついたわ。だから、幻影でも斬らせてスッキリさせてやろうかと思ったのよ」
「なるほど……」
気がつけば、多斬剣テレッサの性能を俺は教えられていた。
「だから、ロイルはテレッサを使おうとしちゃダメ。ストレスを抱える生き方? 冗談じゃないわ。絶対にそんなことさせないんだから」
「お、おう。分かった。そもそも武器に触るのも嫌なんだろ? もう知ってるよ」
「それでいいの」
むふー、と満足げに演算の魔王は鼻息をならした。
荷台に転がっている聖遺物。
よく考えたら、この馬車すごいな。
聖遺物が三つも乗ってる。
翠奏剣ネイトアラス。
追跡槍ミトナス。
多斬剣テレッサ。
布陣も万全だ。ミトナスで追跡して、ネイトアラスで眠らせて、テレッサで討つ。たぶんどんな魔王にも通用するはずだ。
あと中距離をカバーする聖遺物とかあったら完璧だな。国持ちの魔王も堕とせるかもしれない。
(…………いやいやいや。別にそんな予定ないけどな)
フェトラスはいま、一人ぼっちだ。
そんな戦力は、いらない。
夜の中、馬車はごとごと進む。
改めて知ったのだが、演算の魔王は既に王国騎士から狙われている。最早寄り道をしている暇はないだろう。追っ手がクラティナだけと考えるのはあまりにも危機感がなさ過ぎる。
「しかし、こうなると……フェトラスを回収したとしても、容易には済まなくなるな……」
ふと、俺は演算の魔王を見つめた。
魔王。俺の元・相棒。そして今やお尋ね者。
こいつは俺を助けてくれる。そして同時に、世界中から狙われている。
「なーに、ロイル?」
「ん……まぁ、ちょっと思う所あってな」
俺はさっき、演算の魔王が殺されたと思った。そして、後悔したのだ。
失って初めて分かったんだ。
幸いなことに、その後悔は思い過ごしに終わってくれた。失ってなんかなかった。
だからもう後悔しないように、先に行動しておこう。
俺は次の休憩の時に、この気持ちを伝えることにした。
『じゃあワタシとは家族みたいなものじゃない』
かつて演算の魔王は、フェトラスのことをそう言ってくれた。
俺はその言葉に返事をしていないのだ。
だから言おう。ちゃんと伝えよう。失う前に。希望を胸に。
フェトラスを取り返したら、俺と家族になろう、って。
俺はうすらぼんやりと「やっぱりあの大陸に戻るかなぁ」などと夢想した。
追っ手のいない世界。ゆっくりと、静かに暮らせる場所。
牛肉は無いけれど。そこは諦めてもらうとしよう。
まさか島流しを喰らった先の大地が、俺のゴールだったとはな。いやはや、俺の人生ってのは本当に意味不明だな。
「リッテル、具合はどうだ?」
「正直解放感でいっぱいです」
「そ、そうか」
「ツヴァイスはきっとサディストなんですよ。私の苦しむ顔を見るのが好きなんです。それなのに、『リッテル様のためです!』とか言って、自分の行為を正当化しているんです」
「……そんな事は無いと思うのだが。彼女は献身的だと思うぞ」
「バランスという物があるでしょう!? なんですか、三食レバーまみれって! 野菜とかも食べたいですよ!」
「まぁ、まぁ。もしかしたらアレかもしれんぞ。無茶したらこんな目に合わせるから、あまり無茶をしないでくれという、彼女なりの抵抗なのかもしれん」
「ハッ。あいつがそんな殊勝なタマですか。だいたいアイツは昔から私に対して加虐的というか、口うるさいというか、事あるごとにお節介を焼いてきてですね」
「昔から? なんだ。仲が良いとは思っていたが、旧知の仲だったのか?」
「……幼馴染みですよ。家が隣同士だったんです」
「――――――――。」
「私が王国騎士になると言ったら、自分も付いていくとか言い出すし……まさか本気で王国騎士になるとは思ってませんでしたが……まぁ男女で訓練は違いましたし、私がアディルナと巡り会った事で階級差も生じました。そんなこんなでしばらくは会ってなかったんですが……」
「――――――――。」
「再会した時はもっと酷かったんですよ? 四六時中ついて回ってくるし、ああだこうだと幼馴染み風を吹かせまくって……周囲の目もあるので、そこは諸先輩方にきっちり指導してもらいましたが」
「様付けで呼ばせたり?」
「規律って大事じゃないですか」
「お前は本当に大事なことを見落としている」
「え?」
「……もういい。さて、そろそろいいか?」
「ええ。準備万端です。――――えっちゃんの捜索に入ります」
「頼む。お前の報告にもあった銀眼の残滓は気になる所だが、まずはえっちゃんからだ。くれぐれも頼んだぞ」
「了解です…………ああ、クラティナは今頃どうしているんだろう……」
「――――――――。」
「ん? どうかされましたか、ジンラ様」
「なんでもない」
ジンラとリッテルは、進むべき方向を定めた。
狙いは演算の魔王。
そしてロイル達の狙いは銀眼の魔王フェトラス。
孤独な世界に、人々は集う。