15 「卵から産まれる、死」
「ただいま戻りました」
話しの一段落が付くと同時に、カルンが帰ってきた。
「おう、おかえ……? ……なんでそこに突っ立ってるんだ?」
「酷く濡れていますからね」
とカルンは微笑んだ。
「家の中が汚れます。とりあえずコレを」
カルンは玄関先から、卵をいくつか差し出してきた。
んん!? たまご!? すげー久しぶりに見たな!
「本当に見つけてきたのか。すごいな」
「言ったでしょう? コツがあるのです」
卵は全部で四つあった。これだけあれば、色々な料理がつくれるだろう。しかし。
「ところで雨だから火が使えない。家の中は論外だ。さて、どうする?」
「…………………………………………」
カルンは「あっ」という顔をした。
「そういえば、雨でしたね……」
なんだコイツ。フェトラスの事となると、バカになるのか?
「火が使えない今日は飯抜きか?」
「……ま、丸呑みなどいかがでしょうか」
「待てぃ。お前は俺より賢いのにバカなのかよ。何が悲しくてせっかくの卵を丸呑みせにゃならん!」
「わたしは丸呑みでもいいよ!!」
「お前はもっと待てぇぃッ!」
なんだ。さっきはそれらしいこと言ってたくせに、卵は丸呑み出来るのか。あっ、そうか。フェトラスは卵がどういう存在なのかを具体的に理解していないのか。
どう説明しようか迷ったが、雰囲気的に違う気がした。しょうがないので、別の言葉を用意しよう。
「フェトラス。卵は焼いた方が美味しいし、面白い」
「面白い? それってどういうこと?」
「まず料理次第では、見た目が綺麗だ。色合いが素晴らしい」
「そういえば応用が利く食材だって言ってたっけ。どんな料理が作れるの?」
「コイツさえあれば、そうだな…………森で集められる食材と合わせれば百種類くらいの料理が作れる」
「ひっ、百!?」
「おおまかには八パターンくらいだけどな」
「それでも凄いよ! なにそれ、本当に食材!?」
フェトラスはカルンから卵を一つ受け取り、しげしげと見つめた。
「なんか変な模様……」
「フェトラス。そいつは壊れやすい。そっと扱えよ?」
「壊れるの? 壊れたらどうなるの?」
「食えなくなる。握らずに手の上で転がせ」
「う、うん……分かった」
卵。
「これが美味しいご飯になるのかぁ……初めて見た……」
卵。それは。
「ところでお父さん、卵ってなぁに? 果物?」
卵。それは、命の器。
「それは鳥の卵です。フェトラス様。そこから鳥が生まれるのですよ」
【 穏火 】と魔法を唱えたカルンが家の中に入ってくる。
(今の魔法で服を乾かしたのか。……どんだけ魔法のストック持ってんだ)
俺の胸の内など誰も知らない。
「鳥が生まれる……?」
「はい。親鳥はそれを暖めてひな鳥を孵すのです」
「生まれる…………死ぬの反対?」
フェトラスは茫然とした感じでカルンを見つめた。
「じゃあこれは、生きているの?」
「そうであり、そうではありません。その卵はまだ孵っていない。つまり生まれる前の状態なのです」
「それはつまり、死んだ後の反対?」
「…………同じこと、と言えるでしょうな」
急に哲学的になったフェトラスはしつこくカルンに問い続けた。
「ねぇ、この卵は生きてもなくて、死んでもないんだよね。だったらこの卵は何なの?」
「虚無でございます。ゼロであり、エンドである。切断された世界の紐の端でございます」
それは魔族の哲学だろうか。俺が思っている卵という存在とは少し違う説明をカルンはした。
俺、つまり人間の解釈はこうだ。卵は内部が黄身から鳥へ変化する。命のスープは温めることで煮詰められ、形を成す。卵は形を成していない鳥なのだ。つまり生きている。ただ非常に弱く、脆いだけだ。
しかし、あえて俺はそれを口にしなかった。今はカルンが話している。その腰を折るのは失礼にあたるし、カルンは別に間違った事を教えているわけではない。コレもまた、真実の一つだ。
卵とは、生まれる前の命がくぐる世界へのドア。
フェトラスはカルンに質問した。
「どうして生まれるの? 何のために生まれるの?」
「鳥は飛ぶために生まれ、花は咲くために生まれます。その全ては生きるということに収束され、つまりは生きるために生まれるということになります」
「……だったら、わたしは?」
(なんて……なんて重たい質問をする娘だ)
「わたしも鳥やお花みたいに何か出来るの?」
カルンは少しだけうつむいて、その一瞬、ちらりと俺を睨んだ。
「フェトラス様は、魔王様でございます。魔王とは、莫大で絶大な力を行使し、我々を導く者。全てをまとめ、世界の一体化を図る究極の存在です」
「……? ごめんなさい、よく分からない。もっと簡単に教えてくれない?」
「魔王とはこの世の頂点に立つ者なのです」
「……そのために、わたしは生まれてきたの?」
「はい」
「いや、そうじゃないだろ。そこまで言われた口を挟むしかねぇよ」
二つの視線が俺に集まった。
「フェトラス。何度も言っただろ? お前はフェトラスだ。魔王でも精霊でも何でもない。お前はお前なんだ。自分が何を出来るのかと、何をしたいかは別物だ」
「何を馬鹿なことを。鳥は飛ぶために生まれ、花は咲くために生まれる。魔王は統べるために生まれた。それが摂理だ」
「あいにくだが、俺はそう思わない。だったら魔族は何のために生まれた。何が出来る。人間はどうだ」
「この世界を我らの色で統一すること。それが我々の存在意義だ。この強靱な肉体と深遠な知識があればそれは可能と言えるだろう。人間の存在意義などは語るまでもない。お前等はただ己を満たすために……自己満足のためだけに生きている。故に、お前等の存在意義は、お前等の中にしかない。そんな小さな価値観に大義なぞ、ましてや摂理や崇高さがあるとは到底思えんな」
「自分の種族を誇りに思うのは大切なことだが、それが全てじゃないだろう」
やや早口に言葉を立て並べたカルンに、逆にゆっくりと語りかける。
「あとついでに言うなら、そんな種族単位みたいなスケールのでかい話しはしてねぇよ。俺が話してるのは人間や魔族のことじゃなく、俺やお前は何が出来るのか、って事だ。どうなんだ? カルン自身は何が出来て、何がしたいんだ?」
「それは……様々だ。大いなる目的のために……」
「途端に言葉が濁ったな。つまりはそういうことだ。フェトラス、お前も魔王なんて肩書きに踊らされるな。魔王っていうのは単なる種族名にすぎない。――――フェトラスが王様になる必要なんて一切無いんだ」
「それこそ間違いだ! ただの種族名に、王などと冠するはずがない! ヴァベル語が、神の与えし言語自体がそれを示している! この世界で、王という種族名を冠するのは魔王だけだ!」
「だからなんだ? 絶対に王にならないと、フェトラスは魔王失格か? この世には、王であろうとしない魔王も存在する。っていうか、もう魔王失格でいいよ。フェトラスはフェトラスなんだから」
「貴様は―――」
「ま、待ってよ! ケンカしないで!!」
議論が白熱し、視線だけで殺し合いを始めた俺とカルン。どちらも少々冷静さを欠いていたようだが、フェトラスの叫び声で我にかえった。
「……そうだな。ケンカはよくないよな」
「そうだよ! わ、わたしが原因なの? ねぇ、みんな仲良くしようよ……」
「…………フェトラス様」
「カルンさんも、もう止めてよ……」
フェトラスは泣き始めてしまった。
次々とこぼれる涙は雨よりも少ないけど。俺とカルンは初めて見る種類の涙に酷く動揺した。――――はっきり言うと、無茶苦茶に動揺した。すんげぇ動揺した。フェトラスの何倍も生きた人間と魔族が、おろおろした。しかも、それがどんどん強くなってくる。やばい、これはもはや狼狽レベルだ。
うろたえた俺達は思わずフェトラスから視線を放し、二人でアイコンタクトをした。
(カルンさん、助けて)
(こっちの台詞だよぉ)
「お、おう! これはあの伝説の卵か!」
「え、ええ! そうですとも! これが卵です!」
「フェトラス! これ卵だ! すごく美味いぞ!」
「美味しいですよフェトラス様!!」
「ひっく…………ひっく…………」
俺達は肩を組んだ。生理的な嫌悪感が浮かんだけど、彼女の腕が涙で濡れるよりずっとマシだ。
「そうだカルン! 歌でも唄おう!」
「い、いいっ!? いいアイディアですね! 仲良く歌いましょう!」
「ららららぁぁぁぁぁ~!!」
「ぼわあわあわあわあ~♪」
適当すぎる歌に、俺達は顔を見合わせた。
(この下手クソが。俺に合わせろ)
(殺すぞ、この腐れ音痴人間)
「ひっく……ひっく…………」
「ら、ららららぁぁぁぁぁぁ~!!」
「ぼ、ぼわあわあわあわあわあ~♪」
その時、フェトラス異変が起きた。
「………………?」
フェトラスが不思議そうに手の中の卵を見つめる。
「ど、どうしたフェトラス」
「…………これ」
フェトラスは涙声なのだが、不思議そうにつぶやいた。
「これ…………動いてる」
「はい?」
俺はカルンから腕を離し、フェトラスから卵を慎重に受け取った。
こつ、こつ、こつ。
弱々しくて、酷く間隔があいているけど、確かに卵は内側からノックされていた。
「これ……もうすぐ生まれるな」
「えっ…………」
「鳥になるんだ」
こつ、こつ、こつ。
卵はその時を待っていた。
結局、卵は食べなかった。
「ここから命が生まれるんだ……」
食事で得られる力よりも、フェトラスは経験の方を選んだ。その選択に満足した俺と、不満そうなカルン。対照的な二人だが、どちらもフェトラスの選択を肯定した。
四つの卵のうち、反応があるのは一つだけ。他の卵が孵るにはまだ少し時間がかかるのだろう。
「どうすれば鳥が生まれるのか」という問いに、俺は温めるという答えを教えた。だが、鳥を孵すには鳥の温かさが必要だ。そして鳥の温度は人のそれよりも高い。
やがて彼女は魔法を使いはじめた。彼女は脂汗を垂らしながら、卵を闇で包んでいる。フェトラスは果物を食べながら四つの卵を暖め続けた。
「フェトラス様……」
「せっかく取ってきた卵だけど……ごめんなさい、カルンさん。でもわたしはこうしたいの」
俺とカルンは何も言えなくなり、押し黙った。
フェトラスは必死で魔法を制御しているようだ。彼女が本気を出せば、たちまち卵は溶けて無くなるだろう。その爆熱を研ぎ澄まし、親の温かみに変えている。
まるで森の中で虫を踏みつぶさないように、足先を針に変えているみたいだ。
こつ、こつ、こつ。
こつ、こつ、こつ……
こつ……こつ……こつ……ぱり。
やがて卵が割れた。雨も止まぬ夕方だった。
「お、お父さん!」
「……もうすぐ孵るな」
「孵る……生きるの? これから、命が始まる?」
彼女は脂汗を滲ませた顔を、無邪気な顔に変えた。
雨は止まない。だが、それでも必要なモノがある。俺は手早く道具を集め、カルンに告げた。
「カルン。森に行くぞ」
「何故ですか?」
「俺達と、ひな鳥のメシを集めにだ」
カルンは凄く嫌そうな顔をこっそりとしたけど、
「………………了解しました、父上殿」
そう言って、魔法で乾かした服を再び濡らした。
フェトラスは再度魔法に集中し始めて、俺達の事など見えていなかった。
家の前で、即座に二手に分かれた。特に話すこともないからこれでいいのだろう。
不思議なものだ。さっきまで自分が何をしていたのか、それが全く分からない。
「果物……動物、モンスターに……小虫か」
カルンが何の鳥の卵を持ってきたのかは分からないが、鳥なんだから虫でいいだろう。
「食える虫といえば、あの両手が鎌のヤツが手っ取り早いし数も多いが……さすがに強烈すぎるか」
あいつらは毒を持ってる。どっちかというと、落ち葉の下にいるウネウネした虫の方がいだろう。
前、上、葉の下。
雨が降っているからだろうか、虫の動きは分かり易かった。
果物の木にたどり着くころには小さな容器も雑多な虫でいっぱいに。
「さて……」
果物に手をかけようとすると、不意に気配を感じた。
(モンスター。動物。カルン)
三つの可能性。こちらが剣に手をかけるやいなや、反応があった。
どろりとした世界。
モンスターが襲いかかってくる姿が見えた。正確にのど笛を切り裂く。そうしてモンスターは襲いかかってきた勢いを保ったまま、濡れた森に突っ伏した。
「…………ふぅ」
ひくひくと、少しだけ身震いしたモンスターは動かなくなり、やがて動くのは雨で溶けた血が作る薄い紅川だけになった。
少しだけ迷ったがモンスターは持ち帰らなかった。
命の誕生の際、死の気配は祝福の妨げになる。それに、これはフェトラスのフェロモンに惹かれたモンスターではないから、食うためではなく自衛のために殺したから、この命は他に分け与えよう。
家に戻ると、既にカルンがいた。
「よぉ。収穫は?」
「火が使えない、とのことでしたので果物を」
不本意ですが、という聞こえない言葉をこの目が捕らえた。
「そっか。俺もだ。果物と虫だけ」
お互いに戦利品を見せつけ合う。二人揃ってズブ濡れだ。
「…………【 穏火 】」
聞いたことのある魔法。俺の服がわずかな時間で乾いてしまった。
「……ありがとよ」
「……いいえ」
そっと室内に入りフェトラスの様子をうかがうと、彼女はまだ卵を闇で包んでいた。
すでに何時間も同じ魔法を行使しているということになる。それは道具を造る際の魔法とはケタが違った。卵は幾重にもヒビを重ねており、今にも生まれそうだ。
「あっ!」
フェトラスが大きな声を上げた。
「く、く、くち、くちばしが見えたよ!」
「そこまでやったんなら、少し手伝ってやれ。ひな鳥も疲れてるだろうしな」
「い、いいの?」
「少しだけだ。入り口を広げてやれ」
「うん!」
フェトラスは恐る恐る、闇に包まれている卵に手をかけた。
音もなく殻が破られる。
そうしてひな鳥の姿が見えた。
はっきりと。その姿を。俺達に見せつけた。
「わぁ……!」
フェトラスは感嘆の声を上げている。
その瞬間、俺は左腰に下げていた剣でひな鳥を正確に突き殺した。