4-30 集い始める宿命
「ねぇロイル。どうして戦争は起こるんだと思う?」
「そりゃ、お前……色々だろ。これだ! っていう理由じゃなくて、小さなものが積み重なっていって、それが崩れた時に戦争は起きるもんだ」
「そうだね。戦争は一人でするものじゃなくて、みんなでするもの。だからみんなに理由が必要になる。でも今回の、ワタシとフェトラスのケースにおいてはちょっと違う」
「…………魔王と、魔王」
演算の魔王・カウトリアは暗い笑顔を浮かべた。
「戦争はね、どっちかが『勝てる』って思った時に始まるの」
「…………」
「逆に実力が拮抗していたら、戦争は中々始まらない。だって誰も負けたくなんてないんですもの」
「……そうか? 誇りを汚された小国が、大国に戦争を仕掛けるってケースもありそうなもんだが」
「それは戦争で勝つことが目的じゃなくて、誇りを取り戻すことが目的だもの」
確かに。
俺は「話しの腰を折って悪かったな」とジェスチャーで示し、彼女の言葉の続きを待った。
「もし今のワタシがフェトラスと戦ったら、戦争をしたら。勝率はどんなものだと思う?」
「う、うーん……お前等が戦う姿なんてあんまり想像したくないんだが……控えめに言って、二割ぐらい?」
「ゼロよ」
清々しいまでの断言だった。
絶対に勝てない。そう口にしたカウトリアの表情は、事実を語っているようにしか見えなかった。
「なにせフェトラスは銀眼なんでしょう? 無理むり。勝てるわけないわ。それぐらい銀眼は特別なの」
だから、と続けたカウトリアは小さな拳を握りしめた。
「少なくともワタシも銀眼にならないと、フェトラスとの戦争は回避出来ない」
「…………」
「だって向こうからすれば、気に入らなければ殺してお終いなんですもの。そしてロイルの願いは、フェトラスを娘のまま取り返す事なのよね?」
「そうだ。俺はお前達を戦わせたくなんてない…………だから、実力を伯仲させなければならない、ということか」
「そういうこと。まぁ、銀眼になる方法なんて知らないどころか、見当も付かないんだけど」
「……銀眼って、そもそも何なんだ?」
『そういうものだ』と言われるかと思ったけれど、カウトリアは律儀に答えてくれた。
「殺戮の精霊・魔王の……うーん……なんて言ったらいいのかなぁ……上手い表現が見つからないんだけど、羊の群れにまじった狼、みたいな」
「なんだそりゃ」
「そもそも種族が違うと言っても過言じゃないわ。規格外なのよ。綺麗なケースに収められた宝石。だけど特別大きなダイアモンドは、綺麗なケースじゃなくて王様の懐に収まるもの」
「なんだその例え……あ、もしかして頭痛案件なのか?」
「基本的に魔王に関するデータは全部頭痛案件だと思っていいんじゃないかしら」
「参ったな。全然分からんのだが……とにかく、銀眼には勝てない、と」
「勝てるとしたら、相性有利な聖遺物か、圧倒的戦力によるリンチしかないわね」
「ふむ。頭痛案件と知りつつもう一つだけ質問を。野良の魔王と魔王は戦ったりしないのか?」
「どうかしら……それはよく知らないけど、普通はしないんじゃない? だって意味がないもの。ロイルは雨が鬱陶しいからって、雨雲とケンカしようなんて思わないでしょう?」
「例えが分かりにくいんだが……」
「少なくとも、魔王同士が争うなんてことは無いと思うよ。そもそもエンカウントする事が無いんじゃないかな……。それはさておき、銀眼に勝てるかどうかだったわね」
カウトリアは少しだけ目を閉じた。
「――――ワタシは発生から間も無いただの魔王。相手は銀眼。やっぱりどう考えても無理。ケンカを売られたら、きっと普通に負けるわね」
カウトリアはパンと両手をたたき合わせて、ため息をついた。
「それで、話しは終わりよ」
「そうか……」
「フェトラスがどんな子かは知らないけど、魔王っていうのは基本的に攻撃意思の塊だしね……」
しょんぼりとうなだれる。
知っていた事なのに。改めて他人から言われると、フェトラスのことがどんどん遠くに行ってしまう。
殺戮の精霊。銀眼の魔王。我が娘よ。
お前はいま、どこでどんな表情を浮かべているのだろうか……。
そんな事を考えていると、カウトリアがぎゅっと俺を抱きしめてきた。
「どうした」
「……悔しくて」
「なにがだ?」
「ロイルにそんな顔をさせてしまっている事が、よ」
その抱きしめ方はとても優しかったけど、その言葉はとても苛烈だった。
「ロイルはフェトラスを取り戻したら、どうしたいの?」
「とりあえず一緒に飯を食うかな。きっとお腹を空かせているだろうし。あとは新しい家を作らないとな。山奥の一軒家。人間社会から離れて、静かに、そして少しだけでいいから豊かに暮らしたい」
おぼろげな夢だ。最早俺は、フェトラスと人間領域に留まるつもりがなかった。
カフィオ村が魔族に襲われたのは。
シールス一家が食われたのは。
だから、そこはもう諦める。
二人で静かに暮らせるのであれば、もうそれで十分だ。
「ヒトから離れる……そうね。それがいいかもね。なにせ魔王が二体も一緒に暮らすんだもの」
カウトリアが俺の夢に割り込んでくる。
そうだったな。お前もいたな。
シリックはどうだろうか? 俺とフェトラスだけならまだしも、カウトリアが一緒だと厳しいか?
カルンはどうする? あいつも、何だかんだ言ってフェトラスの側にいようとするんじゃないか?
一番古い「思い出」を思い返す。
あの島流しの舞台。始まりの場所。
俺とフェトラスが出会ったあの島で、みんなで幸せに――――。
「今すぐフェトラスの位置を特定出来るか?」
俺はカウトリアの肩を掴んで、そう尋ねた。
「いま、すぐ……ごめんなさい、少し時間はかかるかも。なにせワタシはフェトラスに会ったことすらないのだから」
「カウトリア。頼ってばっかりで悪い。でも、頼む。あいつが何かとんでもないことを仕掛ける前に、俺をあいつの所に連れて行ってくれ」
「了解」
返答は極めて簡潔だった。
魔王。銀眼。実力差。会ったことも無い人物を探すこと。
そんな困難な状況で、カウトリアは俺の頼みを了承した。見返りすらも求めずに。
カウトリアは無造作にテーブルの上にあったパンやハムを手に取り、乱暴に食いちぎり始めた。それをゴクゴクと水で腹の中に押し込み、呼吸を一つ。
二つ目の呼吸すら惜しい、と言わんばかりの勢いで、彼女は魔法を唱え始める。
「フェトラス。ワタシの知らない子。ロイルの娘」
それは呪文の欠片だったのだろう。彼女はそれを完成させるために、様々なことを呟いていく。
「探索……捜索……検索……索敵……索捜……」
真白い髪。そこから生える双角がズル、ズル、と伸びていく。
精霊服の色こそ変わらなかったが、瞳を閉じた彼女はまさしく覚悟を決めた魔王。
やがて呟きの意味が聞き取り辛くなっていく。ブツブツと、ヴァベル後ではあるものの、まるで魔王の独自言語に似た響きが広がっていく。
俺は自然と跪き、祈り、その答えが出るのを待った。
〈一方その頃〉
馬を操り始めてどれぐらいの時間が経っただろうか。
クラティナ・クレイブは順調にイラつき始めていた。
(なんやの、なんやの。けったくそ悪いわぁ。イライラが最高潮過ぎて、絶好調やわぁ)
まずあの童貞万能バサミが離脱したことが面倒だ。自分の言うことを聞いていれば、少なくとも確実に物事は進められた。だけどヤツは確実な結果ではなく、スピードを求めた。なるほどそれは確かに。リッテルが倒れるまで千納鋏アディルナを使ったおかげで、自分はこうして魔王捜しに邁進できる。しかし面倒だ。奴の復帰よりも早く見つけられたら儲けものだが、もしこれで魔王が見つからなかったら、逆に大損だ。
次に面倒なのは、あの無限に弓を撃てるオールバック野郎である。あいつとリッテルが組んだら、おそらく演算の魔王とやらは即日で討たれるだろう。これは最悪の大損である。
(演算の魔王はウチの獲物や……ふふっ、ここまでため込んだウチの一撃……ブッぱなした時の快感は、そりゃもう、たまらへんやろなぁ……想像するだけでキュンキュンするわぁ……)
思考ですら、なんだかねっとりとしてしまう。自分が本気でイラついている証拠だ。
馬を乗り換えつつ、村や町を巡ること五つ目。
どこもかしこも空振りで、時間の無駄を重ねていく。道中で魔族の敗残兵に襲われたという村があったが、既にどこぞの英雄が始末をつけたらしい。カフィオ村だったか? まぁ興味も無いので即座にスルー。今更そんな些事に構ってられないくらい、クラティナは焦っていた。
リッテルとジンラが組んで、演算の魔王を、自分の獲物をかっ攫うイメージがリアルになっていく。
その焦燥感。その灼熱感。その発狂しそうな、渇望。
(このあたりはザファラ近辺……つまりリーンガルド亡き今、魔王といえば演算の魔王しかおらへん……ウチの溜めに貯め込んだ、真っ黒いタールみたいな、ドロドロの愛……それを【優先順位・最高位】の【異常な魔王】にぶつけられるなんて……)
クラティナは、初恋の人を想う少女のような微笑みを浮かべた。
(うち、気持ち良ぅなりすぎて、今度こそ死んでまうかもなぁ……♪)
嗤いがこみ上げる。
馬が恐怖を覚え、その脚を早める。
「あら、あら、そんなに急がんでもええんよぉ……?」
馬は恐怖で嘶いた。
〈マミー、マミー、ボクの背中に乗っているのは、一体何?〉
馬は泡を吹きながら、逃げ続けた。背中に乗っているものを早く降ろすために。
「ん……? なんやこの道。先に村がありそうやなぁ。行ってみましょ」
地図なんて持ってない。クラティナは軽く舗装された道を見つけ、その谷間を突っ切って行く。
祈りは朝まで続いた。
正直に言うと『トイレ』に行きたくて行きたくてしょうがない。いやマジで。本当に。
こんなに時間がかかるとは思ってなかったんだ……!
しかし、カウトリアがずっと呪文を唱えてるので何となく行きづらい。
(流石にベッドに寝転がるつもりはないけど、なんか今更動いたらカウトリアの集中力が途切れそうで怖い)
何時間跪いているのだろう。身体はあちこち痛いし、トイレ行きたいし、喉も渇いたし、何なら腹も減った。
だけど、断続的に呪文は続いている。
確かに長い詠唱ではあるが、それはかつてフェトラスが唱えたものとは毛色が違う。あの時のフェトラスは十秒間に百単語ぐらい呟いていたようなものだが、今のカウトリアは一時間で五単語ぐらいしか口にしていないようなものだ。
だけどそろそろ限界である。
ごめんカウトリア。ちょっとトイレ行かせて。
「――――命―存在―――」
ちら、とカウトリアの様子をうかがうと、ばっちり目が合った。
ニヤニヤと、エヘヘと、イタズラっぽく笑っている。
「……すいません、トイレ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
普通に返事出来るのかよ!? と思ったら、カウトリアは薄い、凄く薄い闇の波紋をいきなり拡大させた。
「 【輝致格……ツッ、キャンセル、再詠唱、【巨影証銘】!」
波紋が走り出す。それはテーブルやベッド、建物すら透過していって、地の果てを目指す。
「ふむ……意外と数が多い……けれども、やはり別格ね」
「み、見つかったのか!?」
「たぶん、というかほぼ間違いなく……なにこのバカみたいな存在量……ヤバすぎるでしょ……流石はロイルの娘ね……?」
ドサっ、とカウトリアは地面に倒れ込みながら荒い息をついた。
「な、難儀だったぁ……攻撃魔法の応用ってレベルじゃないわよこれ……魔女じゃあるまいし、魔王が唱える呪文じゃないわ……」
「お、お疲れ様……」
「あ。ロイルトイレ行きたいんでしょ? 行ってきていいわよ」
「引っ込んだわそんなもん! 大丈夫かお前」
俺はカウトリアを抱き上げ、ベッドに横たわらせた。
「おみずが欲しい」
「おう。すぐに飲ませてやる」
「起き上がるの面倒……口移しで飲ませて?」
「トイレ行ってきます」
「あん、いけず」
クスクスと笑いながら、カウトリアは水の入った革袋を受け取ってそこに口をつけた。
「ごめん、ちょっと寝る……」
「…………ありがとうな、カウトリア」
「えへへ。頑張ったよ。トイレから戻ってきたら、一緒に眠りましょう? 頭をなでてね」
「分かった」
俺はダッシュでトイレに向かい、早朝の宿に足音を響かせる。
空の色が少し変わる頃、俺は手がかりを得たのだった。
部屋に戻ると、カウトリアは既に寝入っていた。
だが約束は約束だ。俺は彼女の隣りに身を置いて、その頭をなでた。
凶悪なフォルムの双角。ちと撫でづらいが、約束を遂行する。
「……ん……ふふっ……ろいる……」
寝言ですら俺の名を呼ぶ彼女。
小声で「ありがとうな」と口にして、俺も目を閉じる。
フェトラスに会える。フェトラスに会えるんだ。
そう思いながら、俺は、数年ぶりにフェトラス以外の者を抱きしめながら眠りについたのだった。
〈一方その頃〉
「体調はどうだ、リッテル」
「ジンラ様」
見舞いに訪れると、リッテルは以前よりは顔色が良い様子でこちらに笑顔を向けた。
「すいません、わざわざ」
「他にする事もないからな。お前の復帰が、次の行動基点になる」
「……場所だけなら、もう調べられそうなのですが」
苦笑いを浮かべながらリッテルがそう言うと、側にひかえていたツヴァイスという少女騎士が片手を上げた。
「まだだめです! そんな短期間でほいほい血を使っていたら、取り返しがつかなくなります! さぁ、リッテル様。今日のおやつは馬の生レバーですよ!」
半焼けですらない。まだ血が滴っているような物体を見てジンラは眉をひそめた。
「おやつが生レバー……朝食は何だったんだい?」
「豚レバーの卵とじです。昼食は牛のレバーの煮込みで、夕食は羊のグラタンレバーですよ」
ジンラにしては珍しい事だが、彼は口元を押さえて具合が悪そうな顔をした。
「レバーばかり……」
「ええ。リッテル様は血を失いすぎです。そして古来より『貧血にはレバーが効く』という言い伝えがあります。ささ、リッテル様。お口をお開けください」
「いや、自分で食べれる……というか、自分のペースで食べたい……」
「ダメです! リッテル様ってば、ゆっくり食べ過ぎてすぐにお腹いっぱいになるじゃないですか! そんなものは錯覚です! 急いで食べれば、たくさん食べられます!」
「いやだよぅ……もうレバーは嫌だよぅ……」
「大丈夫です! 今日は特性のソースを持ってきたので、味わいもまた違います! 治療とは長く続くもの……そこに飽きさせない工夫を差し込む私! まさに嫁としての資質アリ!」
そう口にしたツヴァイスは少しだけ顔を赤らめた。
謎のヒートアップを見せている彼女をたしなめて、ジンラはリッテルを見つめた。
「どうやら治療は進んでいるようだね。いましばらくはツヴァイスに任せるので、お前はまだまだゆっくりするといい」
「そ、そんな! ジンラ様! 場所を探すぐらいなら出来ます! どうかお慈悲を!」
割と真剣に頼み込んでくるリッテルを見て、ジンラは微笑んだ。
「場所を探すだけでは足りないのだよ」
「し、しかし! クラティナから既に報告は受けていると思いますが、あの魔王とは別に、銀」
「それ以上は口にしてはいけない」
ジンラは真剣な表情で、唇の前に人差し指を立てた。そばに立っていたツヴァイスが「?」と首を傾げる。
「その情報は、まだ開示してはいけない。この大陸がパニックになる」
「ですが……」
「大丈夫だ。心配するな。……安心してレバーを食べるといい」
イタズラっぽく笑ったジンラとは対照的に、リッテルは心底嫌そうな顔をした。
「ジンラ様の言う通りです! リッテル様は、早く元気になるために沢山食べなきゃダメなんです!」
「食事時に邪魔したな。また見舞いに来る」
「そ、そんな! ジンラ様ー!」
「ほら、リッテル様! 新鮮なレバーがダメになってしまう前に! ほら、口を開けてください!」
部屋を出たジンラ。
彼は「来る時間を間違えたな」と思った。
あの顔色を見る限り、千納鋏アディルナは既に使用可能にあると見ていいだろう。
ツヴァイスの献身……というよりは、多少利己的な治療は、リッテルを回復の一助に間違いなくなっている。
「今夜動くか」
いいや。
「……晩ご飯のレバーを食べる前に、助けてやるか」
ジンラはひっそりとリッテルに同情し、彼を連れ出す準備を開始した。
「演算の魔王と銀眼か……演算が銀眼化したというのが、一番シンプルな展開なのだが、さて……」
ロイルと演算の魔王達。
多斬剣テレッサと、英雄クラティナ。
ジンラ・バルクと、リッテル・バーリトン。
そして灼熱の地で憂うフェトラス。
全ては、たった一つのために。