4-28 魔王とは、聖遺物とは
ようやくたどり着いた村は小規模な物だった。
ここもいわば農作地。特産品である果実をメインに生計を立てている、小さな村であった。しかし宿は存在していて、旅人だからと言って怪訝な顔をされるわけでもなかった。
先だってシリックが用意した、カウトリア用の衣服……まぁ、大きめのローブだ。古着しかなかったので少しボロいが、村の外から宿までの往き道でしか使わないし、カウトリアも全然気にした様子は見せなかった……それを着込んで、まずは宿屋へ。
「部屋を頼みたい。えっと男二人、女一人、子供が一人なんだが……どんな部屋が空いている?」
「どんな部屋でもあるぜ。全員がまとめて寝れられる部屋もあるし、全員個室も可能さね。ああ、ルームサービスなんてシャレたもんは期待するなよ。うちは素泊まり用だ」
「構わない。それじゃあ、えーと……」
「ワタシとロイルは同じ部屋がいい!」
「……全員相部屋はダメなのか?」
「だめよ。二人きりになるの。絶対に。譲らない。この日のために生きてきたんだから」
「返しが重い。……え、えっと。それじゃあ三部屋でお願いします」
「あいよ。二人部屋と、一人部屋が二つだな。先払いになる」
提示された金額を俺は支払いつつ、自己主張を控えるようにカウトリアが着ている服のフードを深くかぶりなおさせた。
「ロイルロイルロイル! さっそくお部屋に行きましょう! ゆっくりしましょう! お話ししましょう!」
無駄だった。犬を躾ける方がまだ簡単だ。
「いや、先にすることが色々とあるから……お前は部屋で待っててくれ」
「すること? なに? 何をするの? ワタシも行く」
「......よーし、その辺も含めてまずは部屋でお話しするかー」
秒で抵抗を諦めた俺は、まずカウトリアを説得することにした。
宿主から部屋の鍵を受け取り、俺達の部屋の鍵をカウトリアに手渡す。
「これが鍵だ。先に行って部屋で待っててくれ。少しこの親父から聞き込みをしたい」
「なんで? 終わるまで待ってるわよ」
力強い返答だった。むぅ。わずかな打ち合わせの時間も取れないか……。
後ろに控えていたザークレーとシリックにヒソヒソと声をかける。
「すまんな。聞いての通りだ。……後で呼びに行くから、部屋でゆっくりしていてくれ。どれぐらいかかるか分からんけど、なるべく早く行く」
「……いっそのこと、今日はもう諦めて彼女に付き合ってあげた方がいいんじゃないでしょうか?」
「――――私もそう思う。アレは欲求不満というか、ロイル成分が不足すると何をやらかすか分からん。私もベッドで休みたいから、諸々は明日するとしよう」
「あ。素泊まりの宿ですし……ちょっとした食料を私が買ってきますね。みなさんはお部屋でゆっくりされててください」
シリックの提案はありがたかった。魔王を連れて歩くわけにはいかないし、今のザークレーに買い出しを頼むのは酷だろう。
「分かった。みんな、苦労をかけるな」
「――――お前ほどではない」
そんな言葉と共に我々は解散。各々の部屋へと歩き始めた。
部屋は極めて簡素なものだった。
ベッドが並んでいて、その間に小さなテーブルが一つ。椅子なんて無かった。飯が食いたきゃベッドに腰掛けろ、という事なのだろう。掃除は行き届いているようだが、部屋の空気が少しよどんでいる。俺は窓を全開にして、換気をすることにした。
「静かで平和な村、というか……ちょっと寂しい感じがする所だな」
村の大通りに面しているのだが、あまり活気が無かった。まぁ農民主体の村だから、こんなもんだろう。
「さて」
と言いながら振り返ると、カウトリアは早速俺の胸元に飛び込んできた。
「ロイル、ようやく二人きりになれたね」
「お、おう……そうだな」
「たくさん、たくさん話したいことがあるの。一方的に言いたいことがあるの。絶対に伝えたいことがあるの。分かって欲しい気持ちがあるの。ねぇロイル、大好きよ」
「…………」
永遠を過ごした少女。
俺は彼女に、何を与えられるのだろうか。
「……とりあえず、座ろうか。やっぱ会話の基本は相手の顔を見ながら、だろ」
「いや。離れたくない。この温かさを二度と失いたくない。足りない。もっと、もっとロイルを感じていたい」
「お前が飽きるまで?」
「きっと永遠に飽きない」
「んじゃ、どっかで落とし所をこしらえないとな。ずっとこのままじゃ、いつか俺達は干からびて倒れちまう」
「ふふっ、それもそうね」
パッ、と俺の胸元から顔を上げてみせたカウトリアは俺の腕に両手を回して、ベッドへと誘導した。そのままトスンと、並んで座る。
「二人きりね、ロイル」
「うん? そうだな。っていうかさっきもそれ言ったぞ」
「…………だから、いまワタシ達は二人きりなのよロイル?」
「おう。……それがどうした?」
疑問を呈すると、カウトリアは少し不機嫌そうな表情を浮かべた。
「もう。ロイルの意地悪」
「ええっ!? なんで!?」
彼女はぷくーと頬を膨らませて、何かを待った。
え、なに。なんなの。意味が分からない。
「い、一体どうしたんだよカウトリア」
「……えへへ」
うわ、急に上機嫌になった。なんかニヤニヤし始めた。
重ねて言うが、意味が分からない。
しかし、ま、いいや。機嫌は良くなったみたいだし。
「さて、これからどうするかね」
「ねぇロイル。キスをしましょう」
「またえらい勢いでブッ込んで来たなお前!?」
ん~~と口を突き出してきたカウトリアを引き剥がしつつ、俺は冷や汗をかく。
「ま、待て。落ち着け。先に言っておくがキスなんかしないぞ」
「ど、どうして!? 嫌なの!?」
「嫌っていうか……あ、あのなカウトリア」
「してみたいの! だって人間はキスで好意を表明したりするんでしょ?」
「そりゃ、するかもしれんが……」
だがしかし、キスて。こんな小さな女の子とキスて。
「そ、そういうのは、お前がもう少し大きくなってからだな……」
「大きく? それは身長の話し?」
「そうだ。……絵面が悪すぎるだろ。犯罪だ犯罪」
「でも今は二人きりだよ? 別に誰に見せるわけじゃない。ワタシ達だけの、秘密の行為よ。誰に遠慮する必要もないわ」
「俺が嫌なんだよ……」
「なんでなんでなんでー! じゃあ、一回だけ! 先払い! 二回目は身体を大きくさせてからにするから!」
「この野郎。たまには折れろ」
「あ! 身長だけじゃなくおっぱいも大きくするから! それならいいでしょ? ロイル、巨乳の子が好きだったよね!」
「やっ、やめろ!!」
『不屈の魔王』と改名させたろか。何てことを思いながら俺はそれでもカウトリアを引き剥がした。
「ええい、このすっとんきょうめ。小さい子とキスするなんてのは、俺の中のモラルが許さん。もしお前がそれでも、と言うのなら、それを上回る何かを提示してみせろ」
そう言ってのけると、カウトリアはスッと目を細めて笑った。
「ロイルの事が好きすぎて、永遠を耐えたわ。ご褒美をちょうだい」
勝ち目が無かった。
……だがしかし、簡単に受け入れるわけにもいかない。いいや、勝ってみせる。俺にも譲れないポリシー的なものはあるのだ。
俺のモラル VS 彼女の愛。
いまここに聖戦が始まった。
さて。キスしたかしてないかはさておき、俺達は話しを進めた。
「とりあえず二人きりだから、俺達以外に聞かせるわけにはいかない話しをしよう。早速だがあの変な頭痛は一体何なんだ?」
条件が揃うと発動する頭痛。呪いの類いなのだろうか。
「ワタシもあんまり理解してないんだけど……たぶん、人が知ってはいけない事がこの世界にはあるんだと思う」
「人が知ってはいけないこと、か」
「現状で最たる物は、魔王と聖遺物の関係かしら。ああ、あんまり核心めいたことは口にしないでね? 既に知ってるからオッケー、なんて理屈は通らないかもしれない」
カウトリアが口にしなかった事実。魔王と聖遺物が、同じ素材で出来ているということ。
魔王は精霊だ。ならば、聖遺物も精霊なのか?
「……精霊ってなんだ? 魔王以外にもいるってのは知っているが」
「精霊は、同じ星にいながら、命を持つ者とは住む世界が違うもの。見えないもの。感じられないもの。語弊はあるけど、人間にとって精霊は『存在しない』ということになるわね」
「ぜんぜんわからん」
「観測出来ない物は存在しない、とも言えるかしら? 観測して初めて実体を得るのが、ロイルが口にしている意味での精霊ね」
「まったくわからん」
「……えーと、じゃあ、ロイルは高等精霊で何か知っているモノはある?」
「王国には光の高等精霊がいるって聞いたことがあるな。王国に伝承されている精霊服に袖を通して、魔力を補充してたりするらしいが」
「王国にいる光の高等精霊ね。じゃあそれで例えましょう。光の高等精霊……まぁ仮に個体名をブライトとしておきましょう。ブライトは夜には観測出来ないの。何故なら夜には光が無いから。この場合の光とは太陽から発せられるものというより、人間が『光だ。明るい』というイメージが大量に必要になる。ブライトが夜に顕現しようとしたら、相当に存在量を削られるでしょうね」
「ごめん。もう少し分かりやすく」
「…………難しいわね。でも、分かった。すごく簡単に説明するね。えっと……」
カウトリアは俺レベルにまで知能を下げたあとに、こうまとめた。
「精霊は、見えるのと見えないがいるの。それで見えるのが、高等精霊」
「おう」
「ロイル。手をこうやって組み合わせて……手の中に空気を溜めてみて?」
カウトリアが『商人が手もみをするようなポーズ』をしたので、それを真似る。
「空気は見えないけど、こうすると空気を感じるでしょう?」
「……ふむ。確かに。見えないけど、手の中でこねると風が出るし音も出るな」
「こうやって見えないものを、見えるように人間が感覚を合わせる。そうやってようやく精霊は人間達と出会えるの。光の精霊なら、たくさんの光の中で。炎の精霊は、やっぱり炎の中で。水の精霊も同様よ。精霊はいるとかいないとかじゃなくて、在るものなのよ。だから人間が知覚することの出来る高等精霊は、人間が召喚してるとも言えるわね。住む世界が違うっていうのはそういうこと」
カウトリアが言ったことを何度か頭の中で転がす。
「そこに居る……そこに在ると信じるから、産まれるのか?」
「感覚としてはそれに近いかな。そして産まれたら、見えるようになったら、召喚されたら、実体を得たら――――この中のどんな表現でもいいんだけど、とにかく精霊として形を得たら、みんなに見えるようになるの」
「なんだその存在……」
「まぁ今の説明はあくまで人間向けの説明って感じかな。精霊には段階と種類があって、それを全部理解するのは難しい……というか、やめておいたほうがいいと思う」
「相変わらずよく分からんが……まぁ、なんとなく掴めた気はする。要するに毒蛇にかまれたら『この草原には毒蛇がいる!』って立て札がかけられて、みんなが気を付けるようになる、みたいな感じか」
「……そうそう」
微妙に的を外していたのだろうが、カウトリアはうんうんと頷いた。
「まぁいいや。とにかく精霊はそんな感じなんだな。それじゃあ……魔王は? 魔王は何なんだ?」
「例外、としか言いようがないわね」
カウトリアは自分の精霊服をつまみ上げた。
「魔王は、殺戮の精霊。この世に蔓延する殺意の塊。弱肉強食、適者生存、その葛藤の狭間に産まれる殺害意思。――――生き物はみんな、何かを殺して生きている。それは基本的で当たり前のこと。生き物は産まれた瞬間に、生きようとする。即ち殺そうとする」
「………………」
「チューニングを合わせる必要もない。見ようとするまでもない。全生物が殺戮の精霊を……なんて表現するのが正しいのかしらね……みんな、殺戮の精霊がいるって識っているのよ。本能で」
「……観測するまでもないから、勝手に発生するのか」
「その通り。他の精霊では獲得出来ない自動性ね」
「でも魔王だけなのか? それ以外にも、勝手に発生する精霊はいそうなもんだが」
「生き物は殺意って感情が一番強いのよ。そして一番強いからこそ、それを否定したくもなる。動物だって家族は守るでしょう? 敵は殺すけど、味方には死んでほしくないでしょう? そういった諸々の、自動発生しそうな精霊は全て――――殺戮を止めようとするために、産まれる」
「あ――――」
「冷たい水が美味しいのは何故かしら。炎が全てを焼いたり、料理に使えたりするのはどういう仕組み? 陽の光が温かいのは何のため? 時に闇が安寧をもたらすのはどうして? 命ある者はそこに精霊を見いだす。そして、そんな具体性を持たない願いは、どうしたって最強である『殺戮』の対極に位置しようとする。だから――――ここから先は、口にしない方がいいのでしょうね」
言葉もなかった。
ただ、理解した。
そうか。聖遺物とは、精霊の一種なのか。
「ここから先は独り言。返事をしないでね。……とても大きな、ひし形の容器があるとして」
そう言ってカウトリアは空中に図形のような物を表現した。◇だ。
「上はとても澄んでいて、綺麗なの。とってもキラキラしてる。だけど下の部分は黒く濁っている。まるでドブのよう。そしてその最下層。最も濃い闇。そこから一滴の雫がこぼれ落ちる……世界に、生まれ落ちる」
それこそが魔王。
「逆に上からあふれ出るものは、まるで神様が遺した贈り物のよう」
それこそが聖遺物。
「くるくる、キラキラ、ドロドロと。循環するそれ。一体誰が創ったのだろう。答えを知る者はこの世にいない。正確には、いてはいけない」
歌うような独り言は静かに終わった。
「ああ、そうそう。精霊服もちょっと特殊よね。これは精霊の一種ではあるけど、概念的には弱いわ。けれど性能は相当良い。なぜだと思う?」
「え。なぜって言われてもな……」
「だって裸だと、少し恥ずかしいでしょう? 人間が持つ羞恥心と、着飾りたいという遊び心と、身を護りたいという生存本能がコレを創ったのよ。もし人間がいなければ、魔王はきっと全裸で暴れ回っていたでしょうね」
「へ、へぇ……あ、魔王が人間に似てるのって、もしかして」
「それも正解だと思う。人間。この星において最も数の多い、知的生命体。殺意も願いも、ひし形の中に充満してるのは人間のソレが多い。似るのは当然かもね」
少しずつ世界が見えてくる。
なるほど。この星にはそういう仕組みが存在するのか。
「……今更だけど、これって俺が知ってもいい事なんだろーか…………」
カウトリアは苦笑いを浮かべた。
「頭が痛くなったらすぐ止めるつもりだったんだけどね」
「今の所そういう兆しはないが……ええい、こうなったら行けるところまで行ってやる。こんな機会、他にはねぇ。実は聞きたいことはまだまだあるんだ」
「貴方が望むのなら、ワタシは何でも与えましょう。ただし毒以外」
カウトリアは優雅に笑ってみせたが、次の瞬間には子供のような表情を浮かべた。
「だけど、そろそろワタシにも質問させて? ワタシだって知りたいことがい~っぱいあるんだから!」
「ギブアンドテイクは世の中の基本だよな。よし、かかってこい」
「ワタシのこと、どれぐらい好き?」
……答えづらっ!!
そんなやり取りを繰り返していると、控えめに部屋の扉がノックされた。
とっさの反応で剣を探すが、あれはカウトリアに鉄クズに変えられてしまった。
まぁこんな真っ昼間に敵襲も無いだろう。警戒は、ただ染みついた習慣でしかない。
『シリックです。食料を買ってきたので持ってきました』
俺は部屋の鍵を開けて彼女を招き入れた。
「あんまり質の良いものは無かったんですが、とりあえず無難に買いそろえておきました。食事は……二人でとりますか?」
「もちろんよシリック。ワタシとロイルはここでパーティーしてるわ。だからもう下がってもいいわよ」
「演算。まずは礼を言え」
「ありがとうシリック! わぁい、とっても美味しそう!」
俺が鋭く注意すると、カウトリアは瞬時にブ厚い猫をかぶってクネクネと身体を動かした。
「まったく……あー、ちょうどいいや。少し話し疲れた所だ。トイレ行ってくるわ」
「ワタシもついてく!」
「やめれ。ついでにザークレーの様子も見てくるから、お前はシリックと少し話してろ」
「えー。ずっとロイルと一緒にいたぃ……」
と文句を口にしたカウトリアだったが「ま、いっか!」と元気に叫んでシリックをベッドサイドへと誘った。
「会えない時間も大切だものね。シリックシリック。ロイルの素敵な所を教えてあげるわ。あなたもロイルの格好いい所を語っても良いのよ?」
「あ、あはは……ではお邪魔します」
シリックはちらりと俺を見た。
その顔には『私に演算の魔王を見張れと? ええ、ええ、いいですよ。怖いけどいいですよ。せいぜい機嫌を損ねないように頑張りますよ。だから早く戻ってきてくださいね。本当マジで』と書いてあった。
ようやく一人きりになれた。
ふぅ。
俺はトイレで用を足しつつ、なんとなく「カルン元気かなぁ」と思った。
その後、ザークレーの部屋をノックしたのだが応答が無かった。どうやら寝込んでいるらしい。
ここ最近は怪我も少しずつ癒えてきたようだが、旅の疲れは相当に溜まっていたことだろう。馬車は揺れるし、寝づらいからな。
話したかったが、無理に起こすのも可哀相だ。ザークレーには久々の柔らかいベッドを堪能してもらうとしよう。
今の所カウトリア……演算の魔王に危険な兆候はない。むしろ俺の味方でもある。
今夜は彼女と接しつつ、相互理解を深めるに他ない。
それに実際有益な部分も多々ある。世界の裏側とも言える、世界中のどんな学者も知り得ない情報は俺の好奇心を多いに満たしてくれる。
部屋に戻ったら、次はどんな質問をしよう。
そうだ。「何故魔族は魔王に従うのか」って辺りの事でも聞いてみるかな。
俺は少しばかりワクワクしながら、部屋へと戻る。
そして、部屋に入る前に、自分で自分の顔を殴った。
フェトラスが大変なのに、浮かれてんじゃねぇよ馬鹿野郎。
会いたい。
フェトラスに、会いたい。
俺はドアを開いた。