4-27 ジンラ・バルクと天瀧弓ライアグル
千納鋏アディルナは、ハサミの形をした聖遺物である。
およそ武器とは呼べない形状であり、サイズも一般的なそれとほぼ変わらない。
けれども千納鋏アディルナは聖遺物だった。
リッテル・バーリトンは聖遺物遣いである。
だが、英雄ではない。英雄とは魔王を屠りし者に与えられる称号だ。リッテルは、いまだ魔王を直接討伐したことがなかった。
しかし、リッテル・バーリトンの名は広く知られている。
彼には特定の二つ名が無い。人によって呼び方は様々だ。
便利屋のリッテルに始まり、サポーター、支援特化、ドーピング野郎、悲観者、救援者、根暗のリッテルと呼ぶ者もいた。
彼は英雄ではない。
だけど彼は、戦い続けた。
「相変わらず慣れへんな、この移動方法」
クラティナは紫がかかった長髪を振り回し、まとわりついた小さな汚れをふるい落とした。場所はザファラのど真ん中。人通りもにぎやかな大通りだ。
クラティナとリッテルは、千納鋏アディルナの能力によって、空から落ちてきたのだ。
着地の衝撃はほんど無い。けれどもリッテルはそのまま重力に従って崩れ落ちた。
「おーい。生きてるかリッテルー」
「……ああ」
地面に倒れ込んだリッテルは青白い顔をしながら、なんとかまぶたを開いた。
「すまない。少し無茶をしすぎた……」
「ほんまやで。ちゅーか、この移動速度が出せるんなら、えっちゃんにもサクっと追いつけたとんと違う?」
「……その結果、こんな無様を晒して戦えなくなって、あっさりと死んでしまっていただろうな」
「まぁ、せやな。敵がおらんと分かってるからこそ、か」
「お前とのデートが楽しみすぎて、はりきってしまったよ」
「はいはい。おーい! だれぞ、この童貞を治療したってやー!」
クラティナが大声をはりあげると、なんだなんだと集まってきていた住人の数名が慌てて駆け寄ってきた。
先頭を切って走ってきたのは、王国騎士の甲冑を身に纏った女性だった。
「お。ツヴァイス。あんたまだこの街におったん」
「り、リッテル様は童貞なんですか!?」
「いまそれ聞くぅ?」
ツヴァイスと呼ばれた王国騎士は、倒れているリッテルの介抱をしつつ、クラティナに向かって叫んだ。
「とても重要なことなのです! ついでに理由も教えていただけると助かります!」
「理由って言われてもなぁ。別にウチ、リッテルとそこまで親しくないし……直接聞いたら?」
「リッテル様、リッテル様には、恋人がいないのでありますか!? 今までもこれからも!?」
「……ツヴァイス。俺を助けに来てくれたのか? それともトドメを刺しに来たのか?」
半泣きになりながらリッテルは、ツヴァイスの肩を借りながらなんとか立ち上がった。足下が震えているのは、出血のせいだけではないだろう。
「ああ、こんなに傷が……すぐにベッドに案内しますね」
「頼む。正直、今にも意識が飛びそうなんだ」
「どれだけの無茶を……魔王討伐、お疲れ様でした……」
「いや、倒してないんだよなコレが……」
「ええっ! そんなに疲弊しているのに!? クラティナ様がいらっしゃるのに!?」
「うん……あんまり耳元で叫ばないでほしいな……」
そんな風に大騒ぎしながら、様々な人の手を借りつつリッテルは医療所へと運ばれていった。
その様子を半笑いを浮かべつつ見送ったクラティナは、自身も休むために歩き始めた。
「さて。ザファラの魔王の後始末はどないなったやろうな」
この街にどれぐらいの英雄が残っているだろうか。あまり期待は出来ないが、数名の有力者の名前を思い浮かべる。「誰か一人でもおったらええなぁ」と呟いたクラティナは愛刀テレッサを撫でた。
「まぁ、おったらラッキー。おらへんかったらウチがまた強くなるだけや。なぁ、テレッサ?」
多斬剣テレッサは何も答えない。
クラティナは疲れていたが、宿を目指すのを中断。疲れているが故に、騎士団の詰め所を目指した。
「ご苦労だったクラティナ。首尾はどうだ?」
「……なんであんたがまだ残ってるん?」
報告よりも先にクラティナは質問をした。彼女の眼前にいるのは聖弓使い。彼女が期待していた「残ってたらラッキー」のリストのトップランカーであり、先の魔王リーンガルド討伐隊のリーダーでもあった男であった。
「何故と言われてもな。お前の帰還を待っていたんだが」
「いやいやいや。ジンラ様ともあろう御方が、何をこんなとこで油売ってらっしゃるんで? っていう嫌味やで今のは」
ジンラ・バルク。聖弓使いであり、クラティナよりも英雄歴が長い猛者である。討伐した魔王は数知れず。名前持ちどころか、国を持つ魔王ですら倒した経歴の持ち主であった。
そのような男が、残務処理なぞするはずがない。この男がいるのは常に戦場であるべきだ。そう感じたクラティナだったが、ジンラは涼しげに微笑んだ。
「面倒なので一度で済ます。演算の魔王は殺せたか?」
その名称は、未だ人の世には出ていない物。管理者しか知り得ない情報。そして漏洩してはいけない情報。
「…………禁忌も恐れぬ阿呆とは」
「別にこの程度の禁忌、私の蓄えからすれば微々たるものだ。無駄に消費したくはないが、煩わしい腹の探り合いはそれこそ時間の無駄だろう?」
ぴったりと押さえつけられたオールバックを撫でながら、ジンラはクラティナに着席を進める。
「確かにな。あんたの一言のおかげで、手間はだいぶ省けた」
「ではさっさと済まそう。殺せたか?」
「いいや。まだや。っていうか追跡先におらんかった。リッテルが調べてくれたんやけど、どうやらまだこの辺におるみたいやで」
「なんと。それは追跡の不備か? それとも特殊な事案か?」
「追跡の不備……なんやろうなぁ。いきなり消えたというか、急に目的を得たような印象や」
「ふむ」
「それとは別に、特殊な事案の報告もある。聞きたい?」
「無論だ」
クラティナは不吉に嗤ってみせた。
「詳しいことは何も分からんけど、銀眼が発生したみたいやで?」
さぁて、どんな反応を示す? とクラティナは密かに微笑んだが、ジンラは表情を一つ変えただけだった。即ち、困ったなぁ、と。
「銀眼か。なるほど」
「……そんだけ? 銀眼やで?」
「タイミングというのは往々にしてそういうモノさ」
やれやれ、と。ジンラはそう呟いた。そこに悲壮さや、動揺はあまり見えなかった。
「……なんやの。もっと右往左往慌ててみせんかい。張り合いのないこって。あーつまらん」
「慌てた所でどうしようもないからな。ところで銀眼の場所は特定出来ているのか?」
「まだや。取り急ぎこっちに帰ってきたってだけ。あとはリッテルの回復次第やろ」
「では、銀眼のことは一旦置いておこう」
「ハァ!? 正気かアンタ!? 銀眼やで!? うちらがここに集った理由……ザファラの魔王なんざ銀眼と比べると鼻クソみたいなもんやろ! とっと総力戦の準備した方がええんと違う?」
「物事には優先順位というものがある」
優先順位。そして今現在、我々管理者が与えられた任務とは演算の魔王の討伐。
そして天が命じたそれは、【優先順位・最高位】である。
「……なるほど。あんたは王国騎士である以前に」
管理者なんやね、と。言葉にはしなかったがジンラはその意図を正しく読み取った。
「そういうことだ。まぁ何もしないわけではない。一応、そちらの方の対応も視野には入れておく」
「さよか……」
恐らくだが、ジンラは自分よりも上位の管理者だ。そう判断したクラティナはそれ以上何も言わなかった。
まぁいい。報告は済んだ。話しを戻すとしよう。クラティナは綺麗に意識を切り替えて、ジンラに尋ねる。
「じゃあ、本来のターゲットの話しに戻すけど、どないする?」
「まだザファラ周辺にいると思われるのだろう? ならば捜索して、討つだけだ。こうなると残って良かったと言うべきか」
「あ。そういえば。あんたが管理者ってのは分かったけど、なんでわざわざココに残ってん? 件の魔王がこの辺におるってのは結果論やろ」
「別に、他にすることも無いからな」
「……この世には、まだまだぎょうさん魔王がおるで」
「雑魚魔王を狩っている間に、突発的な事件が起きたら誰が対処する? 私ほどの戦力になると、多少は他の英雄に足並みを揃えなければ逆に効率が悪い」
俺ってば超強いから、戦うべき相手が出るまではゆっくりさせてもらうわ。そんな意味合いにも取れる台詞だったが、ジンラが口にしたそれには嫌味が含まれておらず、ただ事実を述べているだけのようだった。
「まぁ、実際銀眼が出たぐらいやしな……しかし……」
それを耳にしたクラティナは露骨に顔をしかめる。
「優雅やな。羨ましい限りで。こっちは常にイライラしとかんとあかんってのに」
多斬剣テレッサ。
上位の適合系聖遺物。持ち主のストレスを攻撃力に変える武器である。
多斬剣の名の通り、一振りの攻撃が複数に行われる。簡単に言えば、右から斬りつけると同時、左からも斬りつける聖遺物だ。
応用すれば自身の足裏を切りつけて跳ね飛ばし、空を渡ることも可能とする。
クラティナは常にストレスを得るために自身の生き方を制御している。その独特の喋り方もその為だ。
そんな事情を知っているであろうジンラは、少しだけ気まずい顔をした。
「そうは言ってもだな。私のライアルグも結構難儀なんだが」
「はいはい。さぞかし難儀なんやろね。お疲れさん」
「…………」
ジンラは語らない。己の聖遺物の情報を、誰にも明かさなかった。
「矢を無限に撃てる、天瀧弓ライアグル。なぁ、せめて適合系なんか、消費か、あるいは代償なんか。それぐらいは教えてくれてもええんちゃう?」
「こればっかりは言えないんだよ」
「王国騎士団の聖遺物管理課にも言ってないらしいやん? なんなん。情報漏らしたら死ぬんか?」
「………………」
完全黙秘である。ジンラは爽やかに笑うだけだった。
「まぁええ。あんたが強いのは周知の事実や。話しを戻そか。えっちゃんについてや」
「えっちゃん?」
「件の魔王。えろう難儀な魔王、の略や。他意は無いで」
「……ああ。なるほど。演算ちゃんね」
クスクスとジンラは笑って、同じく話しを戻した。
「ザファラ周辺にいるとのことだったが、正確な位置は分かっているのか?」
「リッテルがダウンしたから、詳細はまだや。おおよその方角しか分からん」
「ふむ……なにか異変があれば早馬が飛んでくるようにはしていたが、流石にこの辺だとは想定しなかったからな……情報が遅れているのかもしれん。リッテルには早々に位置だけでも把握してもらわねばな」
「あれはしばらく使いモンにならへんで。だいぶ使こうたからな」
「血を消費する千納鋏アディルナか……追跡はそこまで困難だったのか?」
「いや……なんちゅーか……ここに戻ってくるために結構多めに消費したというか……」
「なるほど。リッテルはまず情報を届けてくれたのだな。流石だなあいつは。後で見舞いに行っておこう」
クラティナは「自分とデートしたいって大はしゃぎしたから」とは口にしなかった。すれば気恥ずかしさからまたストレスが得られたのだろうが、流石にしなかった。ストレスは多斬剣テレッサの力になるが、あんまりストレスを溜めすぎると精神が崩壊してしまうからだ。
「状況は理解した。えっちゃんは早急に始末を付けなければいけないが、まずは戦力を整えるためにここに戻ったのか」
「整えるもクソも、あんたがおればほぼ解決やん? あれはまだ発生したばっかりみたいやし」
「しかし魔族と魔獣を従えていた、というのが危うい。もしかしたら人心掌握に長けているのかもな。そういう魔王は国家建設も速い」
「どっちにせよリッテルが復帰するのを待つしかないか……まぁええ。うちはこの辺りを見回ってくるわ。遭遇したらそのまま狩る」
「では私は、リッテルから情報を得てから動くとしよう。どちらが先に始末をつけるか、勝負だなクラティナ?」
「ウチが速いか、あんたが速いか……ええで。何を賭ける?」
「お前の」
と言いかけて、ジンラは黙った。
「いかんいかん。戦いを予感してしまって昂ぶってしまった。賭けか。そうだな……負けた方が次に討伐する魔王を指名する、というのはだうだろうか」
「指名するぅ? なにそれ。なんでもええの?」
「ああ。監視中の魔王が少し増えたからな。そのリストの厚みを少し減らさなくてはいけないんだ。我々クラスが志願するのは、騎士団としても喜ばしい事だろう」
「ま、せやな。脅威度が高まる前に殺すのは基本やし」
「というわけだ。負けた方は名前持ちの魔王の倒すことにする。遠かろうが強かろうが、指名された魔王は身命を賭けて討伐しなければならない。しかしまぁ、しょせんは討伐を様子見されている連中だ。緊急要請がきた場合は、そちらを優先して構わない」
そう言ったジンラだが、ふと人差し指を立てた。
「まぁ、どちらにせよ発生したという銀眼を始末してからの話しになるだろうからな。我々は高確率で戦死すると思われるが、なに、生き残った時の事を考える事はとても重要だ」
そして再び死地に赴くのだと。やれやれ。聖義の使者は地獄を渡り歩くしか能の無い者共の集まりなのだろう。クラティナはそんな歪んだ人生を少しだけ嘆いたが、ニッとした表情を浮かべた。
「ええで、乗った。あんたには魔王グレイプルをヤってもらうで」
「む……そう来たか。ではお前が負けたら……そうだな、お前には魔王ストムファーを倒してもらう」
「ストムファーって、北の籠城魔王? うっわ。ごっつ面倒臭いの来た。誰もやりたがらんヤツやん」
「ははは。グレイプルも壮絶に面倒臭いがな。――――しかし状況から考えるに、お前の方がやや不利だからハンデをやろう。なにせ私はいずれえっちゃんを補足出来るが、お前は走り回るしか出来ないのだからな」
「ハンデ上等や。うちのテレッサは面倒ごとが大好きやからな」
「……本当に難儀な聖遺物だ。まぁお前がそれでいいと言うのなら」
ジンラは目を細めて笑った。
「まぁ旅立つにせよ、せめて一晩くらいは休んでいけ。疲れが隠し切れていないぞ」
「せやな。さすがに寝るわ」
そう答えたクラティナはひらりと片手をふって、さっさと詰め所を後にしたのだった。
翌日。クラティナは一人で馬を駆り出立した。近隣の村を順番に回って、何か情報が無いか探しつつ走り回る。
千納鋏アディルナの使用過多で倒れたリッテルは静養中。回復には数日かかるだろう。
そして天瀧弓ライアルグを持つジンラは、期を待った。
一方その頃。
「村発見ー! ロイルロイル、宿に泊まったらパジャマパーティしましょう! 二人っきりで!」
馬車を走らせること数日。ようやく新たな人里を見つけた俺達。
はしゃぐカウトリアをなだめつつ、ようやくベッドで眠れるのかとため息をついた。
「二人でパーティーって……というかお前、村に入れるのか?」
「人里にはもう行ったことあるよ? 顔隠してだけど。ああ、その時にドラガって船乗りに会ったわ」
「ドラガって……は? あのドラガ? 山賊みたいな?」
フェトラスにステーキを奢ってくれた船長だ。その後の船旅でも雇ってくれたりして、世話になったっけ。フェトラスの魔王性に気がつきかけた人物だ。
「そうそう! 良い人だったよ! ロイルによろしくって言ってた」
「マジか……世界は狭いな……っていうか、良い人、だったのか」
「うん。大切なことを教えてくれたから、魔法をかけてあげたの」
「人間に魔法をかけた!?」
「オートカウンターの魔法。誰かに強い攻撃を受けそうになったら、返り討ちにする系のやつ」
「なんじゃそりゃ……」
ふと、気がついた。俺も以前フェトラスによって何らかの魔法をかけられている。
【死なないで】というそれは、いったいどんな魔法だったのだろうか。
(オートカウンター……っていうよりは、防御魔法だったのか? いや、それにしちゃ魔族と戦った時、普通に殺されそうになったけど)
死なないで……死んだら発動する魔法……?
いや、なんだそりゃ。怖すぎる。っていうか死んだら意味が無い。
確かあの時は、ドグマイアが「不可能だ! あり得ない!」と叫んでいたが、どういうことだろうか。
「なぁ演算の魔王。その魔法って……なんていうのかな。オートカウンター? どういう性能の魔法なんだ?」
「構成が複雑なんだけど、一度だけ、悪意ある攻撃に対して射出される魔法だよ。有効期間は……あんまり詳しく設定してないけど、数ヶ月は持つんじゃないかしら?」
「ふぅん……魔法っていうのは、そういうことも可能なのか」
「普通の魔王には出来ないかもね。そうだ、ロイルにもかけてあげようか?」
「う……いや、いい。事故が起きても怖いしな」
「事故って?」
「誰かに攻撃されたとしても、俺が攻撃したくない場合だってあるだろう?」
「何言ってるの? ロイルを攻撃してくるバカは皆殺しよ?」
「…………とりあえず、お前を精霊服ごと隠せるような服を調達しなきゃな。可愛いのがあるといいな?」
「うん!」
そんな会話をしていると、おずおずとカルンが手を上げた。
「あの……私はどうすればいいんでしょうか……人里とか、絶対入れませんけど……」
「あ」
こうして、可哀相なカルンは一人で野宿することになりました。暖かかい食事も、柔らかな寝床もないままに……。