4-25 証明出来ない愛の定義
走馬灯の中の隊長は、防御創をこしらえつつ笑っていた。
何の役にも立たない記憶だ。
しかし、記憶の中で生きている隊長……トールザリアの笑顔を見て、俺はフッと笑った。
(死んでだいぶ経つってのに、未だに濃い人だ)
『ガハハハハ! 死んだくらいで俺の存在感は薄まらんぞ!』
(うるせぇよ)
そんな妄想的な会話が、俺の冷静さを獲り返してくれる。
「あのな演算の魔王」
俺は中腰になって、その怖ろしい瞳を真っ直ぐに見つめた。
「当たり前のことを聞くな」
まるで猫のように彼女の瞳孔が開き、砂漠のように乾いていく。
「当たり前……」
慎重な声だった。言葉の真意を探ろうとして、きっと彼女は今フルスピードで思考している。だから俺はそれに情報を与えていく。
「俺とお前は違う所ばっかりだ。同じ所を探す方が難しい」
「それは、つまり、ロイルは、ワタシはロイルが好きだけど、ロイルは」
その言葉の続きを遮って、俺は苦笑いを浮かべた。
「お前の考える『同じ気持ち』ってのは……少し、意味が強すぎる。ああ、先に言っておくな? 安心しろ。俺は別にお前が嫌いじゃない」
あの閃光のような地獄……カウトリアの異常とも言える愛を体感していた俺は、彼女の言っている「同じ気持ち」という言葉の重みを世界中の誰よりも理解していた。
彼女の愛には、わかり合うという行為が含まれない。もっと正確に言うのならば、そんなモンはとっくに超越している。
同じ気持ち。
ワタシは貴方が好き。以上、証明終了。
だからそれ以上は無い。
彼女が口にしているのは、不完全なまま完結してしまった、行き止まりだ。
愛以外に何も要らない。綺麗な言葉だと思う。
だけど。
なぁ、カウトリア。
愛ってのは、不完全で、完結しないから、挑み甲斐があるんだよ。
俺は彼女の頬を、両手で包んだ。そして顔を近づける。
今度は瞳を見るためではなく、俺の瞳を見せるために。
「小難しい説明がほしいか? それとも結論だけ聞くか?」
「っ……」
即答されなかった。あの神速演算と謳われたカウトリアが。
(そうか、こいつ……魔王と化したせいで、かつての「速度」を失っているのか……)
割と重要なことだが、今はどうでもいい。俺はかみ砕いて説明してやることにした。
「自己紹介しよう。俺の名はロイル。お前は誰だ?」
「ワタシは……演算の魔王」
「そうだな。俺は俺で、お前はお前だ。もう一つ付け加えてやろう。俺はお前じゃない」
「…………」
「目をそらすな」
頬を包む手は、あくまで優しく。
カウトリアは恐る恐る俺の瞳を見返した。
俺はそっと微笑んだ。
「もし俺とお前が同じ気持ちだったとしよう。完全一致で、不変で、永遠に……俺とお前が同じ思考をしていたとしよう。するとどうなると思う?」
「どうって……それは、とても幸せなことで、満たされてて……」
「違うな。ンなもん、速攻で飽きるに決まってんだろうが」
「なっ! そんな事無いもん! ワタシがロイルに、この気持ちに飽きるなんて絶対絶対絶対無い! 事実、ワタシは飽きなかった! 変わらなかった! あの闇の中で!!」
怒気に染まった表情。
彼女は怒っている。俺に対する愛情をけなされたと思って、憤っている。
重い。確かにクッソ重いのだが。
それでもこの胸が感じるのは、押し潰されるような重さではない。
それはこの胸を貫く、切ないぐらいの鋭さだった。
怒った表情。その額に、優しくデコピンする。
「えっ……な、なに?」
「例え話だが。俺がお前のためにケーキを作ったとしよう。甘くて、果物が入ってる美味しそうなヤツだ」
「う、うん……」
「だがもしも俺とお前が、お前の考えるレベルでの『同じ気持ち』だったとしたら。俺はきっとそもそもケーキなんて作らない。何でかって? 作り甲斐がねーからだよ。どんな顔をするか、どんな感想を抱くか、どんなことを言われるかとか、全部予想出来ちまう。……結末の分かりきった物語を読んで楽しいか?」
「そ、そんなことないもん。きっと楽しいもん」
「つーか、俺がそばにいるだけで満足なら、俺はわざわざケーキを作ってお前を喜ばせようとなんてしない。何をしたって同じなんだから」
「あっ……ううん、それは、違う。そうじゃない。ワタシが言ってるのは」
俺は分かってる、と片手を上げた。
「今のはただの例え話だ。真実じゃない」
「……」
「ヴァベル語で俺達は意思疎通をしている。だけど言葉はいつだって不完全だ。そもそも人間ってのは感情自体が不完全……不安定と言ってもいいかな。今日食ったステーキが、明日も美味いとは限らない。美味いかもしれんが、毎日食ってりゃ絶対に飽きるもんさ」
諭しながらそう言ったつもりだったのだが、カウトリアは悔しそうに表情を歪めた。
「ロイルが、何を言いたいのか分からない……ワタシの聞きたいことは、そういう事じゃない……!」
「俺だってどう伝えたらいいのか分からん」
笑ってみせる。
「ただ一つだけ言えることがある。俺以外の何も要らないだって? そんな退屈なこと言うなよ」
すっ、とカウトリアの目が細まる。
「俺しかいない真っ白な部屋。そこに閉じこもってどうするよ。愛を語り合うなら、そんなシケた場所じゃなく、星空の下でやるほうがロマンティックだろ?」
ここでカウトリアは首を傾げた。
「……ん?」
「分かりにくかったか? ううむ、というか我ながら恥ずかしいことを口走ってしまったな……」
つーか、俺はカウトリアと愛を語り合うつもりはないのだが。
いかん。こいつの気持ちに引きずられてしまったらしい。反省反省。
しかし今更取り消すわけにもいくまい。何故ならコイツは真剣だからだ。
だったら俺も真剣に考えよう。そして答えよう。
俺はフェトラスのことを想い、口を開いた。さぁ聞くが言い。死ぬ程恥ずかしい、俺の愛の定義、その一端を。
「俺とお前は違う。だから、わかり合うために、分かち合うために、色んなことをするんだ。好きな時は仲良くして、嫌いな時にはケンカして。そして次の日にはまた笑い合う。――――こういうのは、ゴールにたどり着いて終わるもんじゃない。ゴールの先を目指すのが、いいんだ」
「ゴールの、先……」
ふわりと、カウトリアの精霊服がなびいた。
「……この、ワタシの気持ちには……先が、あるの?」
「探せばあるんじゃねぇの? ただ、今のお前みたいに自己完結してたら見つけられないだろうな」
「もっと……もっと、ワタシはロイルを好きになれるの?」
「…………まぁ、可能だろうな」
「うそ」
ポカンと、カウトリアは俺の言葉を疑った。
「えっ、うそ。そんなの嘘。だって、ワタシよ? 永遠を耐え抜いた、自分でも言うのなんだけど不屈の猛者よ? 世界一ロイルを想ってるよ? これ以上無いってくらい、ロイルが好きよ? でも、この先があるの?」
この先。
カウトリアは何度もその台詞を繰り返した。とても大切な物を探すかのように、何度も、何度も。
その目の煌めきは、まるで神様の背後に広がる世界の果てを想像するかのように、キラキラと輝いている。
「言ってしまえば、ここで俺が死んだってお前の気持ちとやらは変わらないだろ」
「変わらないわよ、絶対に」
「でも俺が生きていたら、俺とお前は一緒に湖のほとりで本を読んだり、歌を聴くことが出来るかもな」
それはカウトリアが口にした「ロイルとやりたいことシリーズ」の一つ。生きているからこそ。相手がどんな気持ちになるのかを想像するからこそ。
分からないからこそ。
「な? 同じ気持ちじゃないものを、同じ気持ちにするのが楽しいんだ」
「う、うん!」
「もっと簡単に言うとだな、レストランに入って見知らぬメニューを頼んで、なにこれなにこれと大騒ぎするのって楽しそうだと思わないか?」
「うん! それ楽しそう!」
「もちろん、ケンカする時だってあるだろうさ。というかしないとダメなんじゃないか? お互いの譲れない部分を、譲り合う。どうだ。聞くだけでも気高い行為と思えるだろ。これ、神様だって推奨してる生き方だぞ」
「神様なんてもういないけどね!」
頭痛に近い、眩暈。
カウトリアは屈託無く笑って、鼻息を荒くした。
「そっか。そうか。そうなんだ! この先があるんだ! へぇ。ふぅん。そうなんだ! あは、全然想像出来ない。ロイルの言う通り、ワタシはこの気持ちの大きさに満足してた。世界で一番大きくて強くて、後にも先にもワタシのこの気持ちが最強だと思ってた。でも、違うのね。この最強の気持ちを超えるのは、明日のワタシが抱く気持ちなのね! うん、分かった!」
輝かしい微笑みを浮かべて、カウトリアは理解した。
「ワタシ、明日にはもっとロイルを好きになる! そのためには――――ワタシとロイル以外にも、スパイスや引き立て役が必要なのね!」
「…………うん?」
「考えてみればその通りよ! ワタシは発生してから、ロイルと会えない長い時間を過ごした。だからこそ、再会した時の喜びは大きかった! 無意味で必要の無い時間だと思ってたけど、違うのね! 無意味にも意味はある! 分かった。理解した。邪魔者がいるからこそ、それを排除した時の喜びが生まれる! 二人っきりじゃない世界だからこそ、二人きりの時間が貴重になる! そもそも価値とは相対的であるべき! 故に、この気持ちを世界で一番大きいと証明するためには、二番目も三番目も、果てしない序列の末にある最底辺の気持ちも重要なのよ!!」
やべぇ。
カウトリアが何を言ってるか理解できない。
というか俺の言った言葉があんまり通じてない。
「ありがとうロイル! あなたのおかげで、ワタシの気持ちはまた進化したわ! やっぱりロイルは予想以上にロイルね!」
ふと、我が身を振り返る。
走馬灯を見るほどの恐怖を覚えて。
ヤケクソ気味に愛を語ったら。
なんか魔王に最悪の気付きを与えていた。
ふぉぉぉぉぉ!
何やってんの俺ぇぇぇぇぇ!
目の前にいるカウトリアは完全に暴走状態だ。止め方が分からん。というか止めようとしたら引き千切られそうだ。
これは困った。
俺はフェトラスのためにカウトリアを利用するつもりですらあるのに。
俺は救いを求めようと、周囲を見渡した。
カルンは両手で顔を覆っていた。何かを嘆いている。
シリックは目を閉じて「えぇ~……」と困惑している。
ザークレーは顔面を真っ青にしていた。
頼りのイリルディッヒ先生は空の彼方。
つまり、この状況で俺を救えるのは。
俺だけである。
「えっと……まぁ、とにかく。みんな仲良くしような」
「分かった!」
カウトリアが元気いっぱいに返事をする。
そうか。仲良くしてくれるか。それならいいや。
俺はそんな風に思考放棄して、飛びついてきたカウトリアを受け止めた。
それから、ずっとカウトリアは俺にべったりとくっついて甘えてきた。
かと思ったらスーっと離れて、シリックと会話したり。
そして速攻で俺の元に戻ってきては「むぎゅ」と俺の胸元に顔を埋めた。
「……なにしてんの?」
「ロイルと離れて寂しかったから、ロイルを補給してるの」
「いや、三分も離れてないんだが? というか同じ馬車の上だが?」
すー、ふー、すー、ふー、と俺の匂いを嗅ぎまくるカウトリア。
だめだコイツ。何か間違った方向に育ってしまっている。
「ええい、いい加減に離れろ」
「あぁん。どうしてなのぉ」
引き離すと哀れな声を出したが、直後にクスクスと笑い出すカウトリア。
「あー。楽しい。なんか肩の荷が下りた気分」
「……肩の荷って?」
「なんだかんだ言って、焦ってたのかも」
苦笑いを浮かべたカウトリアは、俺の正面に座り込んだ。
「色々不安だったの。ロイルがワタシのこと忘れてたらどうしようとか、嫌われたらどうしようとか」
「そんなこと考えてたのか」
「うん。だって……ほら、ワタシは、以前のワタシとは違うし」
もうワタシは聖遺物じゃないから。
「殺すべき敵がいないと、ワタシはただの役立たず」
寂しそうに笑ったカウトリアだったが、空を見上げて目を細めた。
「でもロイルは、ロイルだった。そしてこうやってお喋りが出来る……思い描いていた幸せな光景通り。そして、この先がある――――ああ。いいお天気」
聖遺物。カウトリア。魔王。
目の前にいる者は誰なんだろう。少なくとも殺戮の精霊には見えない。フェトラスとはまた違う意味で、こいつは殺戮者には見えない。
「ねぇ、ロイル」
「なんだ?」
穏やかな笑みを浮かべて、そして少し困ったように、カウトリアは笑った。
「フェトラスはどこにいるの?」
馬車の空気が凍り付いた。
景色を眺めていたカルンが固まる。
馬を操っていたシリックが固まる。
横になっていたザークレーが固まる。
「唐突だな」
そう返しながら、俺は静かに覚悟を決める。
遅かれ早かれ、されていた質問だと諦めながら。
一方その頃。
「で、ザファラやったか。どうやって行く?」
「かなり距離が出てしまったからな。馬では遅すぎる。初動の時のように、アディルナを使おう」
「そないホイホイ使うなや。任務的にはアレかもしれへんけど、最速での始末する必要はないやろ」
「いや、デートが楽しみでな。最速でケリをつける」
「分かったで。あんた、ウチをからかっとるやろ? はー、しょうもな。やめや止め。デートなんてしまへーん」
「いいや。絶対にしてもらう。するというまで土下座してついて回る」
「アホか! そげなみっともない男と出歩くなんてウチはごめんやで!」
「そうか。ではどうやって誘えばいい?」
「そういうとこやぞ! んなもんテメェで考えろや!」
「ふむ。では……そうだな……お前がうんと言うまで花を贈ろう。時には愛のバラを。時には希望のストレリチアを。時には真心のコスモスを」
「きっしょ! あんた、ウチが花で喜ぶような人間に見えるんか?」
「喜ぶかどうかは知らないが、似合うだろうな」
「うわああああ! こいつ怖い! 吹っ切れすぎや! 別人みたいに見えるから止めぇ!」
「……ふふっ」
「あっ!?」
「…………さぁ、行こうクラティナ。飛ぶからしっかり捕まっていろ」
「くそ……発動させんなや……そんなハイペースで使こうとったら、あんた失血死するで」
「なに。会敵までの距離を詰めるつもりはない。一度ザファラに戻って、戦力を整えよう。まだ幾人かの英雄が残留しているはずだ」
「……時間がもったいないから、とっと行くで。そんで、しっかり休むんやぞ」
「了解した。さぁ、目的は示した――――俺を導いてくれ、アディルナ」