4-18 演算の成長
“時間が戻って。シリック一行。人里の港にて。”
「ねぇねぇ、フェトラスって誰?」
地獄の質問だと思った。
答えてはいけない質問。
かといって、黙っていてもダメな質問。
私の身体が完全に硬直して、だけど脳内ではドタバタと走り回り続けて。その間に演算の魔王はため息をついた。
「……まぁ、いいか」
「………………」
「…………って、言うと思った?」
その星空の瞳。まるで空の果てのよう。
人が、命が耐えきれずに絶える場所。
もうダメだ。
ここで死ぬ。
私はそんな覚悟を決めた次の瞬間、山賊のような男……ドラガさんが答えた。
「フェトラス? ロイルの娘だよ」
「……むすめ?」
「おう。嬢ちゃんは会ったことないのか?」
「しらない」
「そうか。んんん? なんかよく見ると、嬢ちゃんはフェトラスにどことなく似てるな……」
「そうなんだ」
「……もしかして、あれか? 嬢ちゃんも、その、ロイルの子供だったりするのか?」
「ちがうよ」
「そ、そうか。あぶねぇ。なんか余所様の家庭問題に、どえらい無神経に踏み込んだ気がしてビビったぜ……」
「だいじょうぶ」
演算の魔王の返答は、どこか空虚だった。
私は息をするのも忘れて、二人の会話の行く末を見守る。
「ねぇねぇ。そのフェトラスってどんな子なの? 本当にロイルの娘?」
「食い意地の張ったヤツだったなぁ。あと、なんか柔らかい雰囲気を持つ子供だった。あー。うん。まぁ……良い子だったよ。ロイルとも仲が良さそうでな」
「ロイルの娘…………奥さんは? だれがロイルと子供を作ったの?」
「つくっ!? おいおい、だいぶおませさんだなお嬢ちゃんは。たしか嫁はいないって言った気がするが……おい、シリック。俺はこんなホイホイ答えて大丈夫か」
「うえっ、えっ、あ、その、へ?」
知らない人に名前を呼ばれて、いきなり会話に混ぜられて、私は少し動揺した。
「なんだそのキョドリかた。こぇーよ」
ドラガは怪訝な表情を浮かべつつ、よいしょっと腰を降ろして演算の魔王と視線を合わせた。
「嬢ちゃんはロイルに会いたいのか?」
「絶対に会うの。そして二度と離れない」
「……そうかい。嬢ちゃんはロイルのことが大好きなんだなぁ」
「わかる!?」
花が咲いた。
「え、やだ、言葉にしてないのに分かっちゃう!? うふふ。そうなの! ワタシね、ロイルのこと大好きなのよ! 大大大大大好きなの!」
笑顔の花が、咲き乱れる。
急に可愛らしい少女の振るまいを見せた演算の魔王に、ドラガはポカンとした表情を浮かべたが、やがてはフフッと微笑んだ。
「そうかい。事情は知らねぇが、早く会えるといいな。嬢ちゃんならフェトラスとも仲良くやれるだろうさ」
「……フェトラスと、ワタシが?」
「おう。お前ら二人とも、ロイルが好きだろうからな。仲良く取り合え」
「いやよ。ロイルはワタシのなんだから」
笑顔は引っ込み、鋭い顔つきになった演算の魔王。私はそれを見ただけで卒倒しそうになったけれども、ドラガ船長は鷹揚に笑ってみせた。
「はっはっは。そうか。じゃあオッサンから一つだけアドバイスをしてやろう。お前さんとフェトラスが仲良くしてくれると、ロイルはきっと喜ぶぞ」
「…………そう? ロイル、喜んでくれる?」
「ああ。間違いない」
「…………そう」
少しだけしおれた演算の魔王。
だけど彼女はニッコリと笑ってドラガにお辞儀をした。
「色々と教えてくれてありがとう。えっと、お名前……ドラガさん、だっけ」
「おう。ドラガだ。船長をやっている」
「分かった。じゃあドラガ船長にお礼をしなくちゃ。あなたの人生に災禍が訪れませんように」
演算の魔王は。
「 【犯射】 」
ドラガ船長に、何かを施した。
「ん? んん? 今のはなんだ!?」
「おまじない。それじゃあ、本当にありがとう! 行くよ、シリック!」
「えっ、あ、はい?」
意気揚々と私を引きずる演算の魔王。
元気でなー、ロイルによろしくなー、とドラガ船長のノンキな声が港に響いた。
人里から離れ、私達はイリルディッヒと合流した。
「集合」
先ほど港で浮かべた笑顔は何だったのか。冷徹な表情で演算の魔王はイリルディッヒとカルンを呼びつけた。
「あなた達、フェトラスという人間を知っている?」
《――――。》 (無表情)
「!?」 (なんでバレた!?)
「そう。二人とも知っているのね」
魔獣と魔族の、恨めしそうな視線が私を貫いた。
《……話したのか、シリック》
「話したというか、私達のことを知ってる人と出会ってしまったというか……」
演算の魔王は近場の岩に腰を降ろし、その短めの白髪をいじった。
「ねぇねぇ。なんでそんな大事なことをワタシに黙っていたの?」
精霊服の色は、変わってない。薄い黄色。どうやら真剣に怒っているわけではなさそうだ。
イリルディッヒと、カルンと、私の視線が交差する。
誰がどうやって説明をしたものか、と一瞬でアイコンタクトが完了する。
(お願いします……)
(お願いします……)
《……やれやれ》
イリルディッヒが一歩前に出た。
《では我が説明しよう。それはな、演算の魔王。我らはお前が恐ろしいからだ》
「恐ろしい……?」
《お前のロイルに対する感情は、大きすぎる。きっと『世界で一番、お前がロイルのことを想っている』だろうな》
なんというヨイショだろうか。見え見えすぎる。相手は演算の魔王。演算なのだ。その思考速度は魔獣のソレすら超えるというのに。そんな安いおだて方が通用するはずない。
……だが!
「ええ~!? 分かる? あなたも分かっちゃうのね~!」
演算の魔王はチョロかった!!
(嘘でしょ!?)
(通じるのかよ!?)
驚きのあまり、カルンと目が合う。
その瞬間、アイコンタクトを超えた意思疎通が出来た気がした。
互いの苦労が見て取れた。
互いの苦悩が共有される。
互いが、互いにシンパシーを感じる。
(カルンとは、トモダチになれるかも……)
(こんな気持ち初めて……同士よ……)
状況が許せば握手の一つでもしたい所だが、私達は魔獣と魔王のやりとりを見守った。
《お前はロイルを追っていた。だが、その側に別の者がいると分かれば狂乱する可能性があった。故に黙っていたのだ》
「狂乱。狂乱ねぇ……ふぅん?」
《経緯は知らん。発生して間も無いはずのお前とロイルがどんな関係なのかも不明。ただ、お前のロイルに掛ける気持ちは間違い無く本物だ。……そうであろう?》
「……そうね。そういえばワタシ、以前あなた達と初めてあった時にちょっとやらかしてるものね。そういう懸念は正しいと言わざるを得ないでしょう。だってワタシの気持ちはイリルディッヒの言うとおり、本物なんだもん」
何をやらかしたの演算の魔王。
……カルンの表情を伺うと「あれはヤバかった」と顔に書いてあった。
《お前の情緒が安定した頃を見計らって伝えるつもりではあった。結果的にそれはロイルの利にも通じるだろうから、謝罪はしない》
「うーん。強気ね、イリルディッヒ」
《いい機会だから尋ねておこう。お前のソレが一方的な愛ならば、ロイルはいつか悲しむ事になるだろう。答えよ演算の魔王。お前はロイルだけでなく、ロイルを取り巻く環境も大切に出来るか?》
数秒、演算の魔王は顔をしかめた。
「ちょっと言ってることの意味が分からなかったけど……ロイルを取り巻く環境を大切にする、というのは、ええ、そうね、あんまり頭になかったことだけど、大切なことよね」
むぅ、と声を漏らす魔王。
「独占したい気持ちと、自由にありのままに振る舞ってほしいという矛盾……そうね。こういうのは両立させる事に意味があるのよね。各々が、都度都度に」
《……ふむ。演算という名は伊達ではないな。この短い旅でも、思考形態に成長がうかがえる。出会った当初のお前は、壮絶に危険だったぞ》
「あの時にアタシには、ロイル以外に何も無かったから」
《今は違うのか?》
「そうねぇ。ロイルと、それ以外のどうでもいいもの、って感じかな」
何も変わってない気がする。そんな言葉を投げかけたかったが、次の瞬間に殺されるかもしれないので言えない。
《何も変わってはおらんではないか》
イリルディッヒ、あなた勇者ですね。
「これはワタシの価値観よ。でも、ロイルは違うんでしょうね。ワタシがどうでもいいと思うものでも、ロイルにとっては大切かもしれない。なら、ワタシもそれを大切にしないといけないんじゃないかなぁ、って」
なんとも健気な発言だった。
少しだけ、気が緩む。
そして当然の如く、次の瞬間には台無しになるのだが。
「――――ま、あんまり目につくようならブチ壊すけど」
まるで肌がひっくり返ったような感覚を覚えた。
鳥肌を通り越して、全身が麻痺するような。
そんな極寒の言い方だった。
誰も何も言えなくなり、思考が逃避を始める。
けれども魔獣イリルディッヒは、踏みとどまった。
《重要な問いかけをする》
「どうぞ」
《お前は、フェトラスという人間をどうするつもりだ?》
あえて強調したかのような言葉。人間。
あっ! となった。
そうだ。意識から飛んでいたが、まだ演算の魔王はフェトラスちゃんが魔王だと知らない――――!
人間が人間といることは、別におかしな事では無い。
少なくとも、演算の魔王と同じ存在がそばにいるよりかは、きっと何百倍もマシだ。
(流石! 流石よイリルディッヒ! 魔獣様! 短い言葉の端々から、よくぞ状況を見抜いてくれた! 更にフェトラスちゃんが魔王であることも見事に隠した! 偉業! 最高! ありがとう! 本当にありがとう! ……で! これからどうするの!?)
ごくりとツバを飲み込む。それぞれの異なる緊張感が、伝播していく。
「そうねぇ……フェトラスをどうするか、かぁ……」
演算の魔王は短い白髪を揺らしながら、岩の上に立ち上がった。
「ロイルの娘ということは、ワタシの家族に等しいものね。……まぁ、仲良くやってみるわよ」
それはセーフだったのだろうか。
それとも、決定的なアウトだったのだろうか。
誰も真実を口に出来ないまま、演算の魔王による緊急集会は終わりを告げたのであった。
「それで、これからどうするんです?」
全員の前でカルンは遠慮がちにそう言った。
確かに。ドラガ船長の情報により、演算の魔王はロイルさんの足取りの一端を掴んだ。このままではやがてたどり着いてしまうだろう。
「もちろんロイルを追い続けるわ。シリック、さっきの人間が言っていた場所なんだけど、分かるかしら?」
「……ええ。品質の良い地図と正しい方位さえ分かれば、それなりに正確な場所が」
「地図か……ん。じゃあシリック。あなたは街に戻って地図を入手してきて」
「それなりに値の張るものなんですけどね……」
「なぁに。お金がいるの? だったら奪ってきなさい」
「出来るわけないじゃないですか……」
「あらそう。じゃあ、ワタシが自分で獲ってきましょうか? ワタシは別に構わないけど、どうする?」
悪魔だ。
「…………自分でどうにかします。でも、少し時間をください。中古の地図を手に入れるにしても、少し働かないと」
「あなた女性でしょ? 一時間もあれば十分でしょうに」
「いやそれは流石に」
そんな静止の声を発したのは、なんとカルンだった。
「…………」
「…………」
《…………》
「あ、いや、その……」
ゴホン、とカルンは咳払いをした。
「演算の魔王サンは、一応魔王なんですから。そんなゲスな発想は高貴な者が口にするものではありませんよ」
「ねぇねぇカルン。いま人間を庇ったわよね」
それは質問ではなく「答えろ」という命令。当然カルンは逆らえるはずもなく、うなだれた。
「………………はい」
「…………ふふっ、変な魔族ね、カルンは」
面白いモノを見る目つきで、演算の魔王はカルンを観察した。
カルンは慌てふためきながら、言い訳を口にする。
「いえ、別に人間を庇ったわけではなくてですね。これは、えっと、そう、ロイルサンのためですよ。聞けばこのシリックはロイルサンの戦友だとか。ならばそのような者を無碍に扱ったとなっては、ロイルサンも気に病む事でしょう。いえ、演算の魔王サンと再会する事こそがロイルサンの人生にとって最重要事項なのでしょうが、その」
「あっはっはっは! 分かった、分かったからもういいわカルン。ワタシは別に気にしない。シリックも、さっきのは冗談だから気にしないでね?」
嘘つけこのヤロウ、と私は思ったけど、苦笑いを浮かべるだけにとどめた。
「あーあ。笑ったらなんかお腹すいちゃった……ああ、そうだ……この辺の獣の皮でもはぐか……それを……うんうん……」
ブツブツと何か言いながら、演算の魔王は山の奥を目指し始めた。どうやらお食事タイムらしい。
その姿が見えなくなったことを確認して、私とイリルディッヒ達は顔をつきあわせた。
《おそらく致し方ない状況だったとはいえ……肝が冷えたぞシリック》
「そうですよそうですよ! フェトラス様のことがバレたかと思って、めちゃくちゃ焦りましたよ!!」
「ごめんなさいごめんなさい! でも、本当に仕方なかったんですってば! ……あと、さっきはありがとうございますカルンさん。おかげで最悪な事にならずにすみました」
「いや、別に……」
カルンは頬をかいて「それよりも何があったんですか?」と話しを戻した。
私は人里で何があったかを話した。
思い出しながら語ったせいか、今更ながらに腰が抜けてしまう。
「本当に、死んだかと思ったんですよ……」
《う、うむ……記憶が無い時に会った人物か……それは、確かに……》
「…………まぁ、何事もなくて良かったですよ」
「それなんですけど、本当に良かったんですかね……フェトラスちゃんの詳細がバレたら、その……何が起こると思います……?」
一同、黙する。
それはそうだ。
イリルディッヒの目的は、演算の魔王、そしてフェトラスの両者を殺すこと。
カルンの目的は、フェトラスの安寧。
私の目的は、演算の魔王の抹殺と、フェトラスちゃんの保護。
微妙に食い違う私達が、思い描く理想の結末はバラバラだ。
《とにかく、待つしかあるまい。幸いにして時間はまだ残っておる》
「そうですね……とにもかくにも、この状況を打破するためには」
二者の視線が、魔槍ミトナスに降り注ぐ。
「この子が起きてくれること……」
そして当然のごとく、魔槍ミトナスは何も答えないのであった。
全員でふぅ、とため息をついて、なんとなく解散する。
それぞれが食事を摂ったり、休憩したり。
私にとっては魔槍ミトナスの起動実験の時間である。
魔王を認識している、という最大の条件を満たしているにも関わらず、ミトナスは相変わらず沈黙を守ったままだ。
演算の魔王もたまに「ミトナスに聞きたいことがある」と言ってアレコレ試しているようだが、ミトナスはウンともスンとも答えなかった。
今日も色々と試してはみたのだが、結果は不毛そう。
別に壊れたわけではないと思うのだが……。
あの日、イリルディッヒ達に誘拐された日のことを思い出す。魔槍ミトナスはあの時、慌てていた。恐怖していた。絶望していた。混乱していた。
(ミトナス……一体あなたに何が起きたの……?)
答える様子は相変わらず無い。
本日で何十回目かのため息をついていると、イリルディッヒが側に寄ってきた。
《カルンも狩りに行ったぞ》
「そうですか……」
《……ふふっ。先ほどは驚いたな。まさか魔族であるカルンがあのようにシリックを庇うとは》
「ええ。実はついさっき、友達になれるかも、って感じちゃいましたよ」
《ルールッル。愉快な話だ。――――叶うことはないだろうが》
「――――ええ」
《いつかお前とカルンは敵対するだろうからな。……何にしても状況は少し動いた。早めにミトナスが起動してくれるとありがたいのだが》
「そうですね。魔王を殺すためには、それしかありませんから」
私は嘘を口にする。
「演算の魔王。そして――――銀眼の魔王フェトラスを討つために」
もちろん大嘘だ。
だけど私は、その嘘をイリルディッヒに繰り返す。
仲間だと思わせるために。土壇場で裏切るために。
全てはフェトラスちゃんのために。
「イリルディッヒの言う通りです。演算の魔王ですらあんな風。魔王っていうのは本当に手に負えない。……それが銀眼ともなると、想像も及びません」
《ふん……だが、先ほどのフェトラスのことがバレた時。お前の動揺は真に迫っていたように思えるが? まるでフェトラスが害されることを恐れるかのように見えたぞ》
なるほど。だから私に近づいてきたのか。それを確認するために。カルンがいなくなったタイミングで。
私は作り笑いを浮かべて、つぶやいた。
「そりゃ動揺もしますよ。だって大惨事が起きるじゃないですか。魔王と魔王が戦うだなんて。余波だけで死ねそう」
《………………》
「正直、フェトラスちゃんのことは好きですよ。でも……」
こんなこと言いたくない。
――――でも、私は嘘をつく。
「可愛らしい風貌の野ねずみが病原菌をまき散らすと分かった時、人間はそれを駆逐しないと気が済まない生き物なんですよ」
《然り。よい表現だ》
この魔獣は叡智の権化ではあるが、それ故に、私の下心を理解できない。
《魔王を殺す魔王……いつか語ったが、それはある意味でとても魅力的な存在と言えるだろう。だが、銀眼なのがいけない。強大すぎたのがフェトラスの罪だ》
「どんなに愛おしい者でも、罪は罰さないといけない……ええ、分かってます。分かってるんです。でも、やっぱり、本当は……つらい」
《……シリックよ。我が名を覚えし者よ。フェトラスの母になりたいというお前の希望は、かつての我ならば尊重した事であろう。だが――――我は安易な好奇心でに絶望を生んでしまった。そしてお前はヤツの親しい者として。……我々は責任を果たさなくてはならない》
「分かって、ますよ……」
辛そうに答える。実際つらい。
それを聞き遂げたイリルディッヒは無言のまま立ち去った。
そして周辺に誰もいなくなったことを確認して、頭の中で大声で叫ぶ。
(まぁ! いま言ったこと全部!! 嘘ですけどね!!!)
三魔に囲まれた生活。
発狂しそうなシチュエーション。
そんな私が出来る数少ないストレス解消法は『魔王も魔獣も魔族もみんなチョロイぜ』と内心であざ笑うことだった。ずいぶんみっともない発想だという自覚はあるが、それ以外に闘争心を保つ方法がないのだ。
バレたら普通に殺されるんだろうけど。
ものすごく綱渡りなことをしているんだろうけど。
だけど怯えて縮こまって、はいはいイエースとなんでも命令に従うだけだなんて耐えきれない。それは恥ずかしいとかそういう事じゃなくて、私が幸せになれないからだ。つまりフェトラスちゃんを護れない。
故に、嘘をつくことも、セコいプライド保持方法も、全然恥ずかしくない。
思えば私も成長したなぁ。ただの人間が、こんな訳の分からない状況に放り込まれて嘘を連発出来るなんて。
ああ、そういえば大昔は「嘘をつくなんて恥知らずなことしたくない!」とか言って、みんなに迷惑かけまくってたなぁ。ささいな規約違反をした同僚を告発してたりしてなぁ。――――今思えば、だいぶ空気が読めてない子だった。うう、反省。
自分の人生を噛みしめてみる。
(シリックさん……ヴォールさん……)
自分が名を借りている、尊敬する二人の事を思い出す。
(私は、あなた達にみたいにはなれないと、最近は思います……)
以前の私は「足りない」どころか「迷走」していた。
山の頂を目指しているのに、正しいルートを選ばずにただ道無き道を馬鹿正直に直進していたのだ。そんなの遭難して当然だ。
やれやれ、と苦笑いを浮かべる。
魔槍ミトナスを再び布でくるみ、ふぅとため息を一つ。
演算の魔王は怖すぎる。
イリルディッヒには嘘をつき続けている。
だから、カルンが戻って来たら、フェトラスちゃんがいかに可愛いかを語り合いたいなぁ。たまにこっそりやっているんだけど、とっても充実した時間なんだよなぁ。
「……魔族と楽しくお喋りすることだけが生きがいって…………」
私は笑った。
楽しくて、笑った。
――――吹っ切れていた。
やがて演算の魔王が戻ってきた。残念ながらカルンよりも早く。
「ほら、これ」
彼女が放り投げてきたのは、多様な獣の皮。
「これは……」
「剥いできた。これを売って路銀にしましょう」
「なるほど。いい案ですね」
と答えたが、内心では色々なものに怯えた。
こんなに綺麗に皮が剥げるなんて。
皮に価値があるという事を知っているなんて。
そんなにも人間社会に詳しいだなんて。
正直に言えば、人里におりて同じ事をたった一人の人間に行うだけで、全員が逃げ出すだろう。地図を拝借するのもお手の物。路銀を稼ぐだなんてとんでもない。あの街の財産を全て奪うことも可能なのだ。
だけど演算の魔王はそれをしない。
こんなにも怖いのに。それをやって当たり前なのに。それをしない。
「どうして……」
「うん?」
「……いえ、なんでもありません」
どうして奪わないのかと。そんなこと聞けるはずもない。「それもそうね」と同調されたりしたら、目も当てられない。
「早速売ってきます」
「ええ。地図と、それから……そうね、何か美味しそうなものを」
「えっ」
「さっき人里に行った時はロイルのことしか頭になかったけど、多少冷静に考えてみたのよ。ドラガさんやイリルディッヒとの会話のおかげね」
「……どんな事を考えたんですか?」
「ロイルが好きそうなご飯や風景を、彼がまだ知らない喜びを伝えられたら。それはとても楽しくて素敵なことじゃないかしら、って」
ふわりと、演算の魔王は微笑んだ。
魔王のくせに。殺戮の精霊のくせに。全てを統べる権利を有するのに。
ロイルさんの事となると、あんなに狂気的だったくせに。
「どうせジタバタしても、焦がれるだけよ。なら今の時間をもっと有効的に使うべきだわ。どうせロイルとは必ず出会うのだから。そしてその時に彼ともっともっと有意義な時間を過ごすために、ワタシはワタシの魅力を高めるの」
そんな健気な言葉を聞いて、私は「ずるい」と、強くそう思ったのだった。
……何がずるいのかは、具体的に分からなかったけど。
その頃のロイル。
「畑を耕してたら、なんかでっかい岩にブチ当たっちまってよ……」
「ちょっと粉々にしてくる」
「し、慎重にお願いしますねフェトラスさーん!!」