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我が愛しき娘、魔王  作者: 雪峰
第四章 All for the one
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4-15 伝言



 銀眼と相対して覚えた感情は「恐怖」だけだった。それ以外には何も感じられなかった。けれど、あの妙に寂しそうな表情を見た瞬間、俺は何故か「似合わない」と思ってしまった。


 それからは芋づる式だ。恐怖で一杯だった頭の中。そして沸いて出た「お前にその表情は似合わない」という感覚。


 お前って誰のことだ?

 似合わないって、どういうことだ?


 自分の内からでた感想なのに、自分でも意味が分からない。


 その分だけ思考に隙間が出来て、それが薄れ去ったら、空いたスペースに次の感情が芽生える。


 恐怖から始まり、困惑し、混乱し、認識して、またそれを疑って。


 だけど思考とは別に、俺の口は勝手に正解を紡いだ。


「フェトラス……?」


 馬鹿な。あり得ない。あれは銀眼の魔王だ。史上最悪の存在だ。けれども、一度知覚してしまったらもう止まらない。この銀眼の魔王はフェトラスだ。あり得ない。けれども、事実だ。フェトラスがそこにはいた。


 別に呼びかけたわけではないのだが、俺がその名を口にすると彼女はゆっくりとこちらに近づいてきた。恐怖は止まらない。けれども、俺の脚は止まったままだった。


 一歩、二歩、三歩。かろうじて意識を繋いでいた守衛の二名が気絶した。俺はというと、既に諦めの境地だった。守衛五名を犠牲にして逃げる? 全くもって度しがたい。意味がなさ過ぎる。山を三つ越えて逃げても無駄だ。俺は死ぬ。


 だけど銀眼の魔王は、絶妙な距離で立ち止まって弱々しく微笑んだ。


「……こんにちは、ムムゥさん」


「……………………マジかよ」


 その声は。その気配は。その姿形は。疑いようも無くフェトラスだった。あの天真爛漫な女の子だった。


 だが、俺の膝の震えは止まらない。


「な――――なんで? なんでだ?」


「………………」


「お前、フェトラス。なんで。なんで魔王なんだ?」


 自分でも何を言っているのかよく分からない。現実味が無いとか、白昼夢だとかそんなレベルじゃない。世界がひっくり返った方がまだ理解出来ただろう。


「………………」


 彼女は何も答えない。戸惑いが膨れあがって、そして、俺の思考は俺の中の「最重要事項」に至る。


「マーディア!」


 そうだ。俺の世界で一等大切な人。愛している女。フェトラスはマーディアと一緒に馬車に乗ったはずだ!!


「お前、魔王! まさかマーディアに手ェ出してねぇだろうな!」


 戦意など沸いてくるはずも無い。だが、俺は激情に包まれて銀眼の魔王に問いただした。


「クソ、何が目的か知らんが、マーディアに傷一つでも負わせてたら許さねぇぞ!!」


 そう叫ぶと、銀眼の魔王は……フェトラスは哀しそうに微笑んだ。


「大丈夫。マーディアさんは馬車に乗って安全な所に逃げているよ」


「………………」


「ずっとムムゥさんの心配をしてた」


「………………」


「でもマーディアさんはすごいよ。辛いのに、怖いのに、苦しいのに、それを我慢してわたしを励ましてくれてた。わたしも……お父さんのことが心配だったからよく分かる。でもね、わたしは他の人を気遣う余裕なんてなかったのに、マーディアさんは優しかった。本当にすごい。わたしの百倍は強い」


 嫁が褒められて悪い気はしない。だが、そこに言及するよりも前に俺はもっと気になる点があった。


 お父さん。その言葉が指し示す者。


 お父さんて。そうだ。色々おかしすぎる。ロイル。あいつは、なんだ。


「…………お前、フェトラスだよな? あの、俺が知ってるフェトラスだよな?」


「うん」


 彼女は目を閉じたまま、つぶやいた。


「わたしはお父さんロイルの娘。――――魔王フェトラスだよ」


 一瞬で脳みそが茹で上がる。魔王の父? ロイルも人間じゃないのか? というか魔王という名の「殺戮の精霊」は発生する現象・・であって、親なぞいるはずもない。なんだ。一体何なんだ? これはどんな類いのドッキリショーだ?


 目の前の娘が魔王である、という事実以外、何も信じられなくなる。


 俺が言葉を失っていると、魔王フェトラスは祈るように両手を組んだ。


「ムムゥさん。お願いがあるの」






“ロイル視点”


 魔族の残骸に森の小虫がたかり始めたころ。


 俺はようやく立ち上がれる程度に回復した。正確には気力を振りしぼって立ち上がった。


「……おい、ザークレー。どんな具合だ」


「――――今ならウサギにも負けるだろうな」


「冗談が言えるなら優秀だ」


 俺はボロボロの身体を引きずって、もっとボロボロのザークレーの上半身を引き起こした。


「行こう。ここにいても仕方が無い」


「――――フェトラスは……」


「言うな。もう、どうしようもない」


 不安だった。怖かった。泣きたかった。でも、ここにいてもどうしようもないのだ。ここには死体しかない。


「とりあえず村の方に戻ろう。最低限の治療ぐらいしたい」


「――――フェトラスを追った方がいいのではないだろうか。きっと今頃、彼女は」


 ああ、そうだな。


 でも。


「……最低なことを言うぞ。恐らく、まだ村人にはフェトラスが魔王だということはバレていないはずだ。どんなシチュエーションであんなザマ・・・・・になったのかは知らんが、今が治療を受ける最後のタイミングだ。時間が経てば経つほど、俺達の……いや、俺の生存確率は下がる」


「――――それ、は」


「魔王の父だぜ? 異端すぎる。縛り首どころじゃない。問答無用で斬り殺されるだろ」


 そう言いながら、俺はすっかり冷徹になってしまった頭で考え続ける。


 本当なら今すぐフェトラスの所に行って、彼女のそばに居てやりたい。きっと哀しい気持ちになっているはずだ。辛いし、怖いし、不安なはずだ。俺以上に。


 だけど、だからこそ、俺は治療を受け、回復し、気力を取り戻さないといけない。こんな折れた心で彼女に何を伝えられるというのか。


 ――――誰かを救うためには、強くなくてはならない。


 今のザマでは、フェトラスにかける言葉も思い付かないのだ。


 駆け寄って抱きしめるだけで解決するような問題ではないのだ。


 だから俺は一旦フェトラスの事を置いておく・・・・・


(ああ、本当に……最低だな……)


「おら、行くぞザークレー」


「――――いや、私はまだ動けそうにない」


「死ぬ気で頑張れ。これまた最低なことを言うが、万が一の状況になっても、英雄であるお前と一緒にいれば俺の立ち位置が多少はマシになりそうだからな」


「――――」


 そんな冷たい言葉こそが、ザークレーにとっての活力になり得た。彼は心底辛そうに立ち上がって、ズルズルと歩き始めたのだった。

  



 普通に歩くスピードの五倍以上の時間をかけて、俺達は森を抜けて見慣れた街の街道に出た。周辺に家が三つほどあったけれども人の気配は皆無だ。


「避難は十全に行われたみたいだな。もう誰も残っちゃいない」


「――――そうらしいな。もはや脅威は残っていないだろうが」


 脅威の排除。


 そりゃそうだ。五匹の魔族を瞬殺したフェトラスだ。もしアレと同タイプの魔族が百匹いても造作も無く蹴散らす事だろう。


「……どうする? とりあえず適当な家に言って、治療薬でも探すか?」


「――――正直、治療しても無駄だろう。なにせ我々は骨折したり出血してるわけではない。ただひたすらに暴力にさらされただけだ。ベッドを借りて寝るぐらいしか施せる治療はあるまい」


「仮眠でも取るか?」


「――――この状況で眠れるヤツがいるとしたら、それは精神に問題があるヤツだけだろう」


「違いねぇ。ただ、お前はちょっと横になった方がいいな。眠れなくても気絶くらい出来るだろ」


 ザークレーの言う通り、俺達に必要なのは休養だ。これまた前述の通り、こんな状況で眠れるはすもないのだが。 



 その後。俺達は手頃な家に入り、飲み物やちょっとした食料を拝借した。どうせ住人が帰って来るころにはダメになってるんだから罪悪感もない。


 ザークレーをベッドに放り込んで、俺は近場の椅子に腰をおろし、ぐったりと背もたれに身体を預ける。


 フェトラスのこと。魔王のこと。魔族のこと。シールス一家のこと。今後の生活のこと。考えることが多すぎるのに、身体の痛みと疲れが思考をまとめてくれない。


 よし、開き直って現実逃避だ。時々はそういうことも必要だ。


 とりあえず脳みそ空っぽにして、ため息でもつくか。


「ふぅ…………」


 身体がめっちゃ痛い。


「くそう……痛ぇ……」


 こんなに痛いのはいつ以来だろうか。ああ、ミトナスに「見えない刃」で切り裂かれまくった時か。あん時は出血多量で死ぬかと思ったっけな。


 フェトラスが上手に凍らせてくれたから、治療が間に合ったんだ。


 攻撃魔法で、俺の怪我を塞いだ。改めて思うがとんでもない発想だと思う。


 この世界に回復魔法はない。一部の魔女が研究しているという噂はあるが、成功するはずがない。一応「時間を操る魔法」に成功すれば、傷の回復を早めたり、いっそ怪我をする前の状態に戻せるのでは、という仮定が立てられたらしいが、時間を操るだなんて高等かつ複雑な魔法、フォースワードでも足りないだろう。


(時間……時間が巻き戻せるとしたら、どこだ? どこから俺はやり直す?)


 この村に来た時か?

 湖の街セストラーデで、ザークレー達にバレた時からか?

 シリックと一緒に旅を始めた時か?

 魔王テレザムとやり合う前か?

 魔槍ミトナスを手に入れた時か?


 カウトリアを魔女に奪われた時か?

 ギィレスを倒した時か?

 トールザリア隊長が死んだ時か?

 傭兵になった時か?

 あのゴミ溜めに生まれ落ちた時か――――?


 ふっ、と笑みがこみ上げた。


 戻れるワケねぇし、戻っても大してやる事は変わらねぇよ。


 ぼんやりと過ごしていると、気がつけばザークレーが死んだように動かなくなっていた。どうやら気絶したらしい。呼吸が確かな事を確認して、俺は家を出た。


 回復してからフェトラスの元へと向かうつもりだったが、何てことは無い。今更ながらに俺は気がついたのだ。



 そもそもフェトラスがいないと、俺は元気になれないのだという事に。




 もし魔族の生き残りがいたら、絶対に殺されるなぁ、という危機感はあったのだが、俺はずるずると歩き続けた。向かう先はシールスの家だ。


 どうせ魔族は全滅してる。百体いてもフェトラスを止めるのは無理だ。


 村は避難が完了していて、とても静かだ。放牧されてる動物の鳴き声や、風の音ぐらいしか聞こえない。なんとも平和だが、とても寂しい光景だ。


「……放牧されてる牛とかは大丈夫だろうけど、鶏舎とかペットはどうすりゃいいんだ……二日ぐらい食わなくても平気か? いや、水が無いのは流石にヤバいか……」


 どうしようもなかったら、俺が一件一件回るしかあるまい。きっと数名の守衛は情報伝達のために残ってるだろうから、そいつらにも協力してもらおう。


 そんな事を考えながら進んでいると、街道に人影が見えた。


「…………ムムゥ?」


 村で一番の巨漢。遠目でもその存在感は大きかった。


 けれども、その姿には覇気が無かった。


 あんな所で何をしているのだろうか。


 声をかけようと思ったが、大きな声を出せるような状態じゃない。俺は足を引きずるようにしてムムゥに近づいた。


 そしてある程度近づくと、ムムゥがこちらに気がついた。


「…………………………」


「…………よう、ムムゥ。こんな所でどうした」


「…………………………」


「…………ムムゥ?」


「おまえ、は」


 絞り出したような声。


 絶望に染まった表情。


 俺は悟った。


「…………参ったな。そうか、そうなのか・・・・・



 ムムゥは狂人を見る目で、俺を見据えていた。



「おまえは、何を考えてやがる。ロイル」


「……さて、何のことだろうか」


「この裏切り者が……お前、自分が何をやっていたか、本当に理解しているのか?」


 周囲を見渡す。誰もいない。人が潜んでいる気配もない。


 きっと無意識だったのだろう。ムムゥは腰につりさげた剣の柄を握りしめた。


「ムムゥ、落ち着け」


「落ち着け? ははは。そうだな。もう全部終わってんだもんな。今更どうこう出来るもんじゃない。はっはっは。落ち着け? じゃあ教えてくれよ。どうやったら落ち着く事が出来るってんだ!?」


 今度こそムムゥは怒りの表情を浮かべて、俺に詰め寄ってきた。



「お前は、マーディアの横に銀眼の魔王・・・・・を立たせたんだ! それがどういうことか分かるか!? ほんの些細なことが切っ掛けで、フェトラスはマーディアを殺したかもしれないのに!!」



「――――」


 言葉が出なかった。


 だけど、言葉以外に出せるものは何も無い。


「ムムゥ……何を見たんだ?」


「銀眼の魔王フェトラス! この狂人め! あんなものを娘と呼ぶお前は、史上最悪の魔王崇拝者だ!」


 以前にも言われたことのある蔑称だった。


 果たして今のムムゥに俺の言葉は届くのだろうか。


 俺はどさりと地面に腰を降ろして、ムムゥに求めた。


「話しをしよう。座ってくれ」


 真摯にお願いしたつもりだった。


 ムムゥはずっと剣の柄を握っていたが、まるで何かに怯えたように周囲に視線を送る。その先には誰も居ないし、誰かが潜んでいる気配もない。最後にムムゥは大空をキョロキョロと見渡し、両手で顔を覆ってしまった。


「なんてことを……ロイル……お前は……」


「……頼むよムムゥ。話してくれ。一体何があったんだ?」


「…………」


 ムムゥは生気を失ったような、いっそ十歳は老け込んだかのような表情を見せて、やがては崩れ落ちるように地面に座り込んだ。


「……銀眼の魔王と遭遇した」


「……ああ」


「あれは、フェトラスだった」


「…………そうだろうな」


「なぁ、ロイル」


 すがるように、ムムゥは懇願の表情を浮かべた。


「お前は、何が目的でフェトラスの側にいたんだ……?」


 目的。目的って。そんなもん一つしかない。


「こう答えるとお前は怒るかもしれんが」


 俺ははっきりと言った。


「ムムゥがマーディアさんと一緒にいるのと同じ理由だ」


「それは」


「俺はフェトラスを愛している」


「…………」


「あいつの笑顔が見たい。ただ、それだけだ」


「…………狂ってる……」


 ムムゥが更に老け込んでいくような気がした。


「お前等、二人とも、狂ってる」


「……二人とも?」


「銀眼の魔王も、お前も、自分達が何を口にしているのか理解していない......自分達がどれだけ異常だと思っているんだ......」


「......フェトラスはいまどこに?」



 すっかり弱り切ってしまったムムゥは、それからポツポツと話し始めた。


 街道で銀眼の魔王と遭遇してしまったこと。


 その際の証言通り、魔族が全滅していたこと。



 そして――――銀眼の魔王が、空を飛んでどこかに消えてしまった、ということ。



「消えた?」


「飛んで行っちまったよ。鳥よりも速く」


「ど、どこに行ったんだ?」


「知るかよ。ただ、伝言を預かっている」


「伝言……」


 ムムゥは絞り出すように答えた。


「俺は銀眼の魔王に、お願いと言う名の脅迫をされた」


「脅迫って」


「……銀眼の魔王の頼み事だぞ。断れるわけがない」


「そ、そうか」


「正直に言って、俺は………………もし、この世界にマーディアが居なければ、大義のためにお前を殺したと思う」


「ツッ」


 咄嗟に戦力分析。俺、ズタボロ。ムムゥ、五体満足。勝ち目は一切無い。


「だけどマーディアが俺の帰りを待っている。だから、俺はお前に手出しが出来ない」


「…………そうか」


「順番に伝えよう。まず俺がされた脅迫おねがい。それはロイルに危害を加えないこと。銀眼の魔王との遭遇を無かったことにすること。お前達二人のことを誰にも言わないこと。以上だ」


「…………守ってくれると、ありがたい」


「守るしかねぇだろうが。クソッタレ……」


 ムムゥは虚ろな目で空を仰いだ。


「聞きたいことはあるが、聞く気にはならん。好奇心よりも恐怖に怯えろ、という格言しかりだな。俺はもうお前達と関わりたくない。どこか遠い場所で、死んでくれ」


「………………フェトラスの伝言というのは?」


「その前に、俺のささやかな願いを聞いてくれ」


「分かった」


「話しを聞いたら、すぐにこの村から出て行ってくれ。見たところお前は傷だらけのようだが、知ったこっちゃない。馬ぐらいはくれてやるから……頼むから、すぐに出て行ってくれ」


「…………分かった」


「その代わり俺は約束守る。マーディアを護るために」


「最高の保証だな」


 へっ、と嗤ってみせる。


 そして自覚する。



 ああ、俺はこの村での生活を失ったんだな、と。


 そしてすぐに身構える。


 フェトラスの伝言。それは――――。








「お父さんに伝えて欲しいことがあるの」


「……なんだ」


「ごめんなさい、って」


「そいつは何の謝罪だ?」


「いろいろ。助けるのが遅くなったり、不安にさせたり、わたしがこう・・なってしまった事に対する謝罪。それと――――約束を破ったこと」


「約束?」


「そう言えばきっと全部分かってくれると思う。わたしの気持ちも、何もかも」


「……そうか」


「そして別の謝罪を。出来たらこれは私の言葉通り、そのまま伝えてくれると嬉しいかな。本当ならお手紙でも書きたいところだけど、わたしまだ字があんまり上手じゃないから」


「……分かった。伝えよう。だが銀眼の魔王。お前も約束を守るんだ。決してこの村には、マーディアには害を及ぼさないと」


「わたし、ここが好きだからそんなことしないよ。――――信じてはくれないだろうけど」



 そして銀眼の魔王は語る。



『ごめんなさいお父さん。私は、約束を破りました。そして気がついてしまったの。私に出来ることが何なのか。どうすれば、お父さんが幸せになれるのか。ううん……どうすれば私達の幸せを邪魔されないのか、ってことに』


『私は銀眼の魔王。そして殺戮の精霊。私はこれから・・・・・・殺戮・・します・・・。それが正しいことなのか、悪いことなのかは分からない。でも私は後悔したくないから、全力を出そうと思います』


『何を殺戮するのかって? ムムゥさんには言っても分からないだろうけど……この世界の仕組み、かな』


『でも、もしもお父さんに会ったら、きっと私は立ち止まっちゃう。甘えちゃう。危ないから止めなさいって怒られちゃう。だから、ズルいけどこのままお父さんには会わずに行きます。ごめんなさい』


『帰りは遅くなるかも。でも必ず帰るから待っててください』


『出来たら……あのアイスが美味しかった街で待っててください。ううん。安全な場所ならどこでもいいの。どこに居たって必ず見つけ出すから大丈夫。でも、本当に安全な場所にいてね?』


『そして――――もしも、変わってしまった私のことを――――嫌いに、なったとしたら――――その時は――――大丈夫だから』


『ごめんなさい』




 そして銀眼の魔王は飛んで行った、とムムゥは締めくくった。


 彼が口にした、フェトラスの伝言。


 それは別れの挨拶だった。


 謝罪の羅列だった。


 幻視するは、ムムゥには言わなかったであろうあの不完全あい言葉。


 待てと静止する事も叶わず。


 事情を説明しろと詰め寄ることも叶わず。


 ただ、フェトラスは俺の元から去った。


 ただ、安全な所で待ってろと。



 そんなふざけた事を、あいつは抜かしたのだ。



 勝手に決めやがったのだ。


 はは。ははは、ははははは! 流石は魔王サマだな! 傲慢極まるわ! 舐めやがって。お前がどんな覚悟を決めたのかは知らんが、俺を何だと思っていやがる。


 世界の仕組みを殺戮する?


 は? つまりお前の敵は世界ってか?


 上等じゃねぇか。お前の敵は、俺の敵だ。


 即ち、たった今から世界は俺の敵だ。



 あんまりにもキレすぎて、俺は不気味な笑顔を浮かべてしまった。



「へ、へへ……おい、ムムゥ」


「……なんだ、狂人」


「すぐに立ち去れって言ってたけど、すまん。三日ほど時間をくれ」


「な、何をする気だ」


「旅の準備に決まってんだろうが。必要なモン取りそろえて、体調を整えて、そっから全速力でアイツを追う」


「追う? 追うって言ったのか? 銀眼の魔王を?」


「――――ああ、ムムゥ。悪いけど俺も脅迫おねがいさせてもらうわ。すまん」


 俺が嗤いながら立ち上がると、ムムゥはそのまま後ずさった。


「な、なんだ。何をするつもりだ」


「俺の名はロイル。銀眼の魔王フェトラスの父親だ。その意味が、分かるな? お前も銀眼の魔王の不興は買いたくねーだろ」


「グッ……」


「まぁ無理難題を押しつけるつもりはない。まずはさっき言った通り、三日ほど時間をくれ。身支度が必要だ。ちゃんと自分の金で用意するから心配すんな」


「……三日だけだ。それ以上は無理だ。俺の心がもたない」


「悪いな。そしてもう一つ」


 本当に、マジで頼むよ。



「フェトラスのことを銀眼の魔王って呼ぶの、やめてくれ」



「………………」


「思い出してくれよ。頼む。マーディアさんの飯を『美味しいおいしい』って言って、小動物みたいにほっぺたをパンパンにしてたアイツは、別に怖くもなんともなかっただろ?」


「………………………………」


「ムムゥの中に思い出として残ってるフェトラスは、ちゃんと俺の娘だっただろ?」


「…………………………………………」



 俺の必死のお願いに対して、ムムゥは。


 長い沈黙のあとに。


「……無理だ」


 と答えたのであった。



「ロイル。俺も、そこそこの修羅場はくぐってきた方だ。だが無理だ。すまない。無理なんだ」


「……そう、か」


「お前の言う通り、俺は……フェトラスのことを、天真爛漫で可愛らしい子だと思っていたよ。でも無理だ。もう、思い出せない。記憶は怖い気持ちで塗りつぶされちまった……」


 俺は泣きそうな気持ちをグッとこらえた。


「怖いんだよ……もう勘弁してくれ……約束は守るし、三日なら耐える。だから……もう俺の前に姿を見せないでくれ……」


 世界中で自分が一番辛いのだ、という表情を浮かべてムムゥはそう言った。




 こうして、俺はフェトラスと別れることになった。


 彼女の伝言に従うのならば、俺は安全な場所で待ち続けるべきなのだろう。


 だけどな。なぁ、フェトラス。


 お前も自分で言っていたじゃないか。


『何か出来たかも、って後悔する事』が最悪なことなんだろう?





 まったくもって、同意見だよバカ娘が。





  

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― 新着の感想 ―
[良い点] あー、やはり規格外の存在はシステムを壊しに行ってしまうのか
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