13 「カウトリアとギィレス」
引っ越してからそれなりの時間が経ったある日のこと。
太陽が昇って、やがて沈む。これが一日。
だけどそれを何回繰り返したのかなんて覚えちゃいない。記録も取ってないしな。
暖かな春が来て、次に暑い夏が来る。
涼しげな秋が到来し、あっという間に冬になる。これが季節。
しかしこの大陸は季節の変化があまり感じられない。
なので、俺の時間に対する感覚はかなり曖昧になってしまっている。
だから引っ越してから何日経ったとかは分からないけど――――とにかく、季節がたぶん半分くらいズレた頃。
雨が降った。この大陸に来てから初めての本降りだ。ちょろっと降ることはあったとしても、ここまでの大雨は珍しい。
そしてその次の日も雨だった。
雲は見たこともないくらいブ厚く、そして雨量も激しいもので。
二日続けての雨に俺はぼやいた。
「雨期に入ったのかなぁ……」
「うき?」
楽しいの? と首を傾げるフェトラス。
「お前はいつでもウキウキしてるからなぁ」
ってバカか。と俺は笑う。
「雨が降るシーズンのことだよ」
「ふーん。……ところでなんで空から水が降ってくるの?」
「さぁ? 考えたことはあっても、答えは持ってない。神様が降らせてるとか、空中庭園からこぼれた水だとか、風で巻き上げられた水だとか、色んな説がある」
「お父さんはどれが本当だと思う?」
「……そうだな、雨が降るときは必ず灰色の雲がある。だから、灰色の雲の中には水を降らせる何かがいるのかもしれない。精霊かもな」
「そっか。じゃあそれが本当のことだね」
「は?」
「お父さんがそう信じてるんでしょ? だったら、それが正解でいいよ」
「ふぇ、フェトラス……」
なんだか胸の中がジーンとしてきた。未だかつて得られなかった類の幸せだ。感無量というか、なんというか。
全幅の信頼とはここまで心地よいものか。これが父親の特権か。うきうき。
その幸せに水を差すヤツがいた。
「フェトラス様、違いますよ。雨は雲の中から降る物ではなく、雲が雨に変化しているのです」
カルンだ。今日は雨が降っているので、こいつも家の中で待機している。
「雲が雨に? どういうこと?」
「そもそも、雲というのは水が変化したものなのです。今からする例えは、厳密には真実ではありませんが、水を煮ると、湯気が出るでしょう? あれを雲の一種だと思ってください。そして湯気を何かに集めて冷やすと水に戻る……。それと似たようなモノなのです」
「へぇ……」
「ほぉ……」
俺とフェトラスは同時に感嘆の声をあげた。
「コップに満たされた水は、長い時間をかけて蒸発します。それと同じく、海の水が蒸発して、その蒸発した湯気のような物が集まって出来たのが雲です。その雲が水に戻ったのが、つまりは雨。灰色に見えるのは下の部分だけで、雲の上に出れば白いのですよ」
「そうだったのか。知らなかった」
「カルンさんすごーい」
二人で褒めると、カルンは皮肉の笑みを浮かべた。
「まぁ人間が知らないのも無理はないでしょう。なにせ、人間は空を飛べない。フェトラス様もどうか先ほどの物言いはせず、常に何かを疑い、盲信だけは致しませぬように」
先ほどの物言い。
アレか。俺が幸せを感じたフェトラスの言葉か。チクショウ。本当にお前はハピネスブレイカーだな。
「他にも何か分からないことがあれば、どんどん私に尋ねてください。どんなことでも即座に真実をお伝えします」
「う、うん……じゃあ、なんでこのお家は天井から雨が降ってくるの?」
あらやだ。それは私のせいよハニー。
「それはお父上殿の工事が完璧ではなかったせいかと……」
「すまんなフェトラス」
そう、この家は雨漏りがするのだ。
ポタン、ポタンと。即席のバケツに水が溜まっていく。その数五つ。
「雨が止んだらどうにかするから、今は我慢してくれ」
「ううん。別にこのままでいいよ」
フェトラスはそう言って、穏やかに笑った。
「ほら。ぽちゃん、ぽちゃんって……なんか音が可愛いし、楽しいよ」
雨の音楽に耳を傾けるフェトラス。カルンが言っていた『殺戮の精霊』とはほど遠い純真な子だった。
「…………………………」
カルンの無言のプレッシャーを感じた。ああ、お前の言いたいことは分かる。
だが俺はこう言うぜ。
「フェトラスは繊細だな。そういうところは大切にしたほうがいい」
「そう?」
「ああ。そういう感性っていうのは、人生を楽しく生きるコツだからな。実際お前がこの音をウザイと感じたら、その分だけ人生を損するわけだろ?」
「そっかぁ……でも、そういう損得みたいな事は考えたくないかな。いまはとにかくこの音が好き」
「ああ、俺も好きだ。なんていうか、落ち着くよな」
「……しかし、雨漏りは家の老朽化を進める。早々に対処した方が良いと思われます」
「まぁカルンの言う通りでもあるな。それについては俺も同意しよう。雨が止んだら、すぐに修理する」
フェトラスは「そっか」と呟いて「じゃあこの音は今しか聞けないんだね。じゃあ今日だけはずっとこの音を聞いていたいかな」と笑った。
彼女はバケツに溜まった水を玄関先にブチ撒けるのも好きだった。バッシャー! って。曰く、「気分爽快♪」だそうだ。繊細なんだか大味なんだか。まぁ、情緒豊かであることは間違い無い。
俺達は雑談したり、簡単なボードゲーム(制作者、俺)をして朝の時間を潰した。
しかし雨はずっと上がらず、俺達は段々と腹が減ってきてしまった。もう昼過ぎだろう。雨は引き続きバシャバシャ降っている。
「参ったな……まだ果物は残ってるけど、足りないよなぁ」
二日続けての雨と、三人の食いぶち。食料が足りない。全然足りない。もっと食べたかったらこの豪雨の中、森に出向いて食料を調達するしかない。
「やっぱ干し肉とかも作る必要があるよなぁ」
家庭菜園というのも、あながち冗談ではない。どうにかして食料の安定供給を目指したいところだ。
「干し肉ってなぁに?」
「一時期はお前の主食だった食いモンだ。牛の肉を乾かして」
「牛っ!?」
「煙でいぶしてな……」
「伝説の牛肉をわたしは食べたことがあるのっ!?」
「そして水分を……」
「どこ!? どこにあるの!?」
「人の説明を聞けっ!」
俺はフェトラスの顔面を掴んだ。
「ちなみに干し肉は幼き頃のお前が全部食ったわッ!」
「全部食べた!? わたしが!? う、うそだ!!」
「嘘なもんか! お前ときたら、ろくに噛まずに、そのまま飲み込んでたぞ! あれじゃ味なんて分からなかっただろうな!!」
「も、もったいなッ! 何で止めてくれないの!?」
「お、お前なぁ! 俺のせいにするのかよっ!! 食ったのはお前じゃねーか!!」
「ひ、一口分くらい残してくれたっていいのに!」
「だから、お前が……!」
カルンがスッと立ち上がり、そのままドアの方に向かって歩き始めた。
「っ、と。どこにいくんだ?」
「フェトラス様がお腹を空かせているようなので、食料調達に言って参ります」
「え、あ、いや……べ、別にお腹が減ってるわけじゃないんだよカルンさん」
途端にフェトラスはしゅんとなった。
対してカルンは事務的だ。
「ですが……失礼を承知で申し上げれば、今のフェトラス様は空腹で気が立っているように見えます」
「うう、違うんだよカルンさん。少しジャレてみただけだよ。お腹空いてないよ」
「フェトラス様。牛の肉を御用意することは出来ませんが、鳥の卵を採って参ります。確か卵はまだ食されたことが無いとか」
「たまご! うん。食べたことない」
「では、それを御用意いたします。しばらくお待ちできますか?」
「い、いいよ。カルンさんが濡れちゃう」
「構いません。では、行って参ります」
忠実なしもべと、それを思いやる魔王。見慣れた光景だ。
――――だから俺は、違和感に気がつかなかった。思い至らなかった。
カルンは大雨のなか、テクテクと外に出て行った。まるで雨を気にしていない、とても自然な感じで。そしてその背中は遠くなっていった。
「なんか悪い気がする……」
「そうだな。カルンが帰ってきたらちゃんとお礼を言えよ……さて、カルンが戻ってくるまで何をする?」
気まずい顔をしていたフェトラスだが、俺が尋ねると途端に顔を明るくさせた。
「遊ぼう!」
「何をして?」
「んー? お父さんが決めて」
「何がしたいとか、リクエストはないのか?」
「う~ん…………じゃあ、お歌かお話しして」
「よし、歌は苦手だから昔話をしてやろう」
俺達は床ではなく、ベッドに「わーい!」と移動して寝っ転がった。
「どうでもいいが、布団も作らないとな。一枚しかないし、コイツもいいかげんボロボロだ」
そういえば結局、ずっと一緒に寝てしまっている。お互いが抱き枕状態だ。コレはいかん。早々に布団を作ろう。材料は確か森の中で見かけた。作り方は知らんが、材料だけは知ってるのだ。材料を手に取れば作り方も何となく分かるだろう。
「布団なんか本当にどうでもいいから、お話しして」
謎に圧力を感じる。
「お、おう。んじゃあ…………そうだな。英雄の話しをしよう」
「英雄?」
「ああ。では始めよう。むか~し、むかし。あるところにギィレスという魔王がいた」
「魔王。わたしと同じだね」
……しまった。この話は失敗かもしれない。
だけど、伝える必要がある話でもある。魔王と人間の物語だ。
「フェトラスと違って、この魔王ギィレスは悪いヤツだった」
「わたしは、良い魔王かな?」
「お前は良い魔王じゃなくて、良いヤツだ。魔王って呼び名を気にする必要は無い。話しを続けるぞ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ギィレスは強く、そして賢い魔王だった。多くのモンスターを従え、多くの魔族が側にいた。
そして彼の魔王は、世界征服を目論む。
まぁ一般的な魔王の習性だな。
ギィレスが最も長けていたのは統率力。ギィレスは王ではなく、まるで教祖のような存在だった。そして、そのカリスマ性は病的なほどに高く、人間すら支配下に置くことさえあったそうな。
そしていつしかギィレスは国を構える事になった。その近くには人間の国もあった。
この二つの国はお互いを敵視していたが、やがて大したキッカケも無く戦争に突入する。
人間は統率された魔族やモンスターの軍勢に酷く手を焼いた。
軍勢の構成員の種類は雑多。素早いヤツや力が強いの、体が大きいものから指先ほどのモンスターまで。多種多様を極めた一団であった。
そして混戦になると、人間は戦闘スタイルを敵ごとに変える必要があった。それぐらい敵の数は多かったのだ。本当に戦い慣れた者以外は、すぐに死ぬこととなった。
人間の国は滅びそうになった。兵士の数がどんどん減って、戦えない者の方が多くなり始めた。
そんな時、学者がこう言った。
『多すぎるモンスターを殲滅するのではなく、魔王ギィレスを滅した方が話しは早い』
通常の戦争は、互いの戦力の削り合いだ。兵と兵を戦わせて、相手の数を「その国の限界まで」減らした方の勝ち。やがて負けた方のトップが首をはねられて、そこでようやく戦争が終わる。
だけどその時の戦争は人間と魔王だ。ギィレスさえ倒せば戦争は終わる。
モンスターが混在している部隊が維持出来ているのは、ギィレスの魔力的なカリスマのおかげだから、ギィレスさえ倒せば、ギィレスの国は崩壊する。人間達はそう目論んだ。
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「魔王って、他の魔族とかモンスターを仲良くさせるの?」
「……そういう見方もあったか。うん。そうだな。確かにそうだ」
「じゃあわたしも、いつかモンスターに襲われるどころか、お友達になれるの?」
「……期待してる所悪いが、正直に言っておこう。モンスターを軍勢に置くのは珍しいケースだ。一部の魔族がモンスターを調教出来る、ってのが正しい言い方かな。その魔族を魔王が指揮しているわけだ」
「そっかぁ」
「まぁ、『仲良くさせる』って言い方は間違いじゃないよ」
みんな仲良く世界征服―――。人間がいなければ、魔王達は既に世界を掌握していたかもしれない。
絶対の王が君臨し、それ以上は争う必要もない、それが魔王の世界。
だが、人にとってここは人間の世界であった。
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ギィレスを倒すために様々な作戦が立てられた。
暗殺者をギィレスの巣に送り込む。
勇猛な武将を集めた最強のパーティーを前線に送る。
当代無敵とされた魔女に力を借りる。そんな風にして、色んな作戦が立てられた。
その中でも魔女は大きな力を発揮したと言われる。
彼女は魔法が使える人間で、とにかくデタラメだった。たった一人で戦況を左右し、皆を一喜一憂させた。
だけどある日――――理由は分からないけど魔女はいなくなった。
暗殺者は殺されて。勇猛な武将達はみんな戦死した。魔女も消えた。だから、新しい作戦が必要になった。そこで登場するのが、神の血で作られた武器だった。
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「神様の血?」
「そう呼ばれてるだけで、真偽は定かじゃない。人間では作れない、人間用の武器。聖剣とか神槍とか……魔弓とかだな」
「それってなに?」
「大昔に神様が人間に与えてくれたらしい。詳しいことは知らん。とにかく、魔法みたいな武器だ」
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神の血で作られた武器。通称「聖遺物」。
大昔の武器だから、あまり数が残ってない。現存してても半壊だったり、別の国の国宝だったりするから貸してもくれない。
実在するおとぎ話。それは、夢物語に近いものだった。
だが他に対抗策はない。人間の国は死に物狂いで神の武器を、聖遺物と呼ばれるソレを捜索した。
そして、とある国で召還という技法を知って、その技術が国に持ち帰られた。多くの失敗。無為な時間。愚かな犠牲。それらを乗り越えて、ようやく聖遺物の召還は成功した。
聖剣カウトリア。
それが召還された聖遺物の名前だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「前置き終了。本編に入るぞ」
「わくわく」
無邪気に話の続きをねだるフェトラス。
かわいい。
しかし、この顔が曇ってしまうことは確定している。
俺はすこしだけ「嫌だなぁ。仕方ないけど、嫌だなぁ」とひっそりと嘆いて、口を開いた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
当時の王はこう言った。
「おお、これが我らが救い手、神なる聖剣。さて――――これの担い手はいずこに?」
「王よ僭越ながら私めが」
名乗りを上げたのは麗しの美剣士。騎士団のエースでした。
女王がその剣士の堂々たる態度にウットリしていることを王は知っていましたが、自らの嫉妬を押さえ込み「お前なら出来るだろう」と言いいました。そうして剣士にカウトリアを授けたのです。
人間達はこれがギィレスとの最後の戦いだと叫び、全戦力をもって魔王の城を目指しました。
死んでしまった暗殺者が残した秘密のルートを使って、人間達は静かにギィレスの国内に侵入。
その侵入に参加したのは普通の兵士や騎士だけではなく、靴職人や農家。中には戦う女性もいました。つまりそのくらい、大規模な最終戦争だったわけです。
多くの犠牲を払い、ついにカウトリアの剣士は魔王の座にたどり着きました。
「魔王ギィレス。お前は私達の同胞を殺したな」
「何を言う人間。お前達こそ私の同胞を殺した」
魔王と剣士は戦い前の口上を述べ始めました。
「これは聖なる復讐だ。神と人間の怒りを思い知れ」
「馬鹿な。私はただ、領地を拡大しただけにすぎない。部下達の生活を保護し、平和にやってきた」
「五月蠅い! お前達は人間を殺したではないか!」
「それは逆だ。お前達が私達を攻撃したから、反撃しただけだ」
魔王は静かに、まるで剣士を諭すように言い続けました。
「お前達は『殺した』と叫ぶ。しかし、テリトリーの中に入ってきたのはお前達だ。魔獣の巣に乗り込んでおきながら、喰い殺されたと怒るのは筋違いだろう?」
魔王の言葉に兵士達は黙り込んでしまいました。それくらい、魔王の言うことは正しいように思えたのです。しかし、美剣士だけは違います。
「最初にテリトリーに入ってきたのはお前達だ」
「それは誤解だ。私はモンスターのテリトリーを広げただけで、人間のテリトリーには近づいていない。それともなにか? この世の全てが人間の領土だ、とでも言うのか?」
お互いがお互いを罵ります。
剣士は、近隣の村の周辺にモンスターが現れ、商人がたくさん殺されたと言いました。
魔王は、商人が拡大されたモンスターのテリトリーに侵入したせいだと言いました。
ラチがあきません。魔王は冷静なままでしたが、やがて美剣士は激昂し、
「人間とて領地拡大のために戦争をする。今度の戦争の相手が魔王だっただけだ。正義など、勝った者が叫べばいい。覚悟しろ魔王ギィレス!」
こう叫びました。そして、麗しの美剣士はギィレスに斬りかかったのです。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……………………」
「どうしたフェトラス」
「あ、あの……このお話って、人間が作ったの?」
「いや、作ったというか……史実だな。当時の生き残りが書いた本なんだ」
「でも、なんだか人間の方が悪者に聞こえるよ? たしかギィレスさんって悪いヤツだったんでしょ?」
「悪いヤツだったよ。でも、人間も悪かったんだ」
「そうなんだ……。でも、どうして人間は自分たちの都合に悪いお話を残したの?」
「普通のヤツらは隠そうした。でも、この作者は隠しきれなかった。真実が魅力的に見えたんだろうな。んじゃ、お話しを続けるぞ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「覚悟しろ魔王ギィレス!」
美剣士はカウトリアをかかげ、ギィレスに斬りかかりました。
「 【宝火】 」
それを魔王ギィレスは魔法で迎え撃ちます。
「うわー」
美剣士は体を炎に包ませ、はるか後方に吹き飛ばされてしまいました。
「おのれ魔王、卑怯なり。魔法を使うとは」
「聖遺物を持ち出してきたお前達に、卑怯と呼ばれるとはな。独力ではなく神という不確かな存在にすがりつく、みっともないお前達に」
ギィレスは不愉快そうに笑いました。
それを見た美剣士は歯ぎしりしながらも、優雅に宣言しました。
「次だ――――次の攻撃でお前の首をはねる」
「 【灼音】 」
再度、美剣士は炎に包まれ、
「うわー」
カウトリアをポロリと地面に落として、死んでしまいました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「………………」
思いっきり眉をひそめるフェトラスに俺は言った。
「いや、まだ続きがある」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なんてことだ。剣士様が死んでしまった!」
同行していた兵士達は慌てふためき、魔王に命乞いしました。
「私達の負けです。どうかお助けを」
「――ふん。人間とは実に卑怯な生き物だな」
ギィレスは哀れむように言い、こう続けました。
「ではお前達の中の一名。自害しろ。そうすれば他の者は助けてやる」
この言葉に兵士達は驚き、慌てふためきました。
「あくまで自害だ。他の者を救いたいと思うものは、自ら死ね」
ふはははは、と。ギィレスは高らかに笑いました。
それは魔王の戯れでした。勝者の傲慢でした。
歴戦の勇士達を、魔王は道化扱いしたのです。
そして兵士達は救世主を探すようにお互いの顔を見合わせて、泣き始めました。
まるで子供のように。誰も彼もが、死にたくないと泣きました。
その様を見てギィレスは満足そうに笑います。
「全員、心は折れたか? うむ。それがお前達の正体だ。神だの正義だの綺麗事を謳っておきながら、その本質は徹底的に浅ましい」
「ま、魔王様……どうかお慈悲を……」
とある兵士の懇願を耳にしたギィレスは、悲しそうなため息をつきました。
「……ふん。これだから人間は」
魔王は退屈そうに片手を上げて――――
「魔王ギィレスよ、一つ尋ねたい」
「うん?」
一人の兵士が美剣士の亡骸に近づき、カウトリアを拾い上げました。炎に包まれたというのにその刀身には焦げどころか、傷一つついていません。
「自害、と言ったな。だったら私はこれでお前に戦いを挑む」
「……ほぉ」
「お前にとっては、これもまた自害の一つだろう。なにせ、かの魔王ギィレスだ。人間の挑戦など軽く受けていただけるはず」
ギィレスはとても愉快そうに笑いました。
「素晴らしい。その勇気は私が求めた以上の答えだ。その愚かさだけは好ましく思えるぞ」
兵士はカウトリアを掲げ、こう叫びました。
「どうしてこうなったか、なんて私には関係ない! ただ私は、もう家に帰って眠りたいのだ!」
その叫び声に呼応するように、カウトリアが閃光に包まれます。
「なに……!? 聖剣を発動させた!?」
それは美剣士が所持していた頃のカウトリアとはまるで別物でした。
輝く宝石が、太陽になったような――――。
驚いた魔王はすぐさま構え、こう言いました。
「お前の言い分を認めてやろう、人間。お前の死で他の者だけは救ってやる!」
「いいや。私はお前の死で、みんなを、国を救う!」
兵士はカウトリアを構え、
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「それから……それからどうなったの?」
「見事兵士はギィレスを倒しました。 第一部・完」
「ち、ちょっと! なんで最後だけそんなに端折るの!?」
「いや、端折ったというか……生き残ったヤツは、最後の戦いを見ることが出来なかったんだ。見えたのは超高速で動く兵士と、ギィレスの魔法による爆炎だけ。炎と埃が静まるころには、ギィレスは胸を貫かれて死んでいた……と、当時の生き残りは証言している」
「あ、そういえばノンフィクションだった……」
「この物語を紡いだのは、生き残りの一人だからな。見えなかった、だから書けなかった、ということだ」
「く、クライマックスのシーンが欠けてるよね……コレって、有名な物語?」
「これが有名たる所以は、この続きにある。じゃあ第二部を始めようか」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ギィレスを倒した兵士は、カウトリアをしげしげと見つめたあと、生き残った者達にこう言いました。
「魔王ギィレスは、美剣士様が倒したことにしよう」
生き残り達は困惑しました。それはクジに当たったのに賞品を他の人にあげるのと同じくらい意味不明な事だったからです。
その兵士は「何故? 名誉が、報酬がほしくないのか?」と問う生き残りにこう答えました。
「私は、家に帰って眠りたいのだ」
答えになってませんが、そう言うと兵士はカウトリア持って、魔王の座から去っていきました。兵士達は慌ててその後ろ姿を追い、その兵士によって倒された敵の死体を股越しながら国に戻りました。
「王様。美剣士様は見事、魔王ギィレスを打ち倒しましたが、残念ながら死んでしまいました」
「おお……なんということだ! 彼は英雄になったが死んでしまったのか」
「はい。カウトリアも役目を終えると消え去ってしまいました」
「おお……なんということだ! 国宝として永遠に奉ろうと思っていたのに」
「それと一人の兵士が負傷し、療養しております」
「そうか」
王様はこう言って、美剣士の死と、カウトリアの喪失を深く嘆きました。
そして王様は言いました。
「よくぞ報告してくれた。そなたたちに褒美をやろう。大臣。それぞれに金貨を」
こうして生き残った兵士達は、たくさんのお金をもらう事になりました。一年は遊んでくらせます。
『これは、あの勇気ある英雄に渡そう』
命をかけて魔王に挑み、自分たちを救ってくれた兵士にこそ全ての褒美は与えられるべきだ。生き残った、誇り高き者達はそう考えたのです。
そのころ、カウトリアの担い手となった兵士は自宅でグースカ眠っていました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「めでたしめでたしだね」
「いや、まだ第二部は終わってない」
「…………」
「そんな顔するな」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
さて、こっそりとカウトリアを持ち帰った兵士は、これまたこっそりとカウトリアを使い続けました。その聖剣さえあれば野党もモンスターも、それこそ魔族だって簡単に倒す事が出来ました。
「これは凄い」
兵士はカウトリアの力に夢中になり、どんどんカウトリアのマスターとして実力を付けていきました。
「これさえあれば、何でも出来る。そうだ。魔王だって倒せたんだ。この世に敵はいない」
兵士は考えました。
どうすればカウトリアを最も効率良く使えるかを。
この聖剣に相応しい、次の敵はなんだろう……と。
「そうだ。国を倒そう」
彼は今の国に満足していませんでした。
多くの兵士と財力、物資を失った国家は貧しい。市民は苦しみながら生活し、稼ぎ頭を失った一家はとても多い。街には未亡人と孤児が溢れ、まるで年中お通夜のようでした。結局、生き残った者達に与えられた報酬もかなり減額されたものでした。
しかし。こともあろうに王族や大臣、役人などは『国家再建』の名目で税を徴収し、贅沢とは言えませんが三食キッチリ食べてます。兵士は……いや、英雄はそれを許すことが出来ませんでした。
「民を守らずして、何が王か。よし。これより無敵の私は国家を敵とする」
こうして英雄は革命家になりました。
倒れかけた国を一度倒し、新たな国を作ろうと思ったのです。全ては民のために。魔王討伐の際に生き残った兵士達もそれに賛同し、レジスタンスに加わってくれました。
レジスタンス達はまず、役人を脅迫しました。
「民よりも楽な生活をして、何が役人か。民あってこその国。そうであろう?」
「ひぃぃ。分かりました。だからどうかその物騒な剣を仕舞ってください」
次は大臣クラスです。カウトリアの力を駆使し、厳しい警戒網をくぐり抜けます。
「集めた税がどうしてお前達のメシ代に化けねばならんのだ」
「おひょおお……どうか、命だけは!」
無血革命まであと一歩。残すは王族、最後に国王。もうすぐ新しい国が生まれる。
そのときです。英雄の前に魔女が現れました。魔王ギィレスとの戦いで、突然いなくなった魔女です。
「 【送還】 」
魔女は有無を言わさず、カウトリアをどこかに飛ばしてしまいました。
「なにをする! それが無くては民を救えない!」
「いいえ。聖剣はこのような目的の為に使うものではありません……【影葬】」
魔女の魔法により、英雄とレジスタンス達は動きを封じられてしまいまいた。まるで柱の影と自分の影が同化したように、ピクリとも動けません。
「魔女よ。お前の目的は何だ」
「この世界の役割を果たすこと」
「何の事を言っている……?」
「貴方は分からなくていい。知らなくていい。とにかく、聖剣が無くともこの国は救われます」
そう呟いて、魔女はレジスタンス達の動きを解放しました。英雄の影だけがいまだに縛られています。
「この者は聖剣を人に向けるという、最大の罪を犯しました。聖剣は人を殺すための武器ではありません」
「違う! このお方は聖剣で誰も殺していない!」
「ええ、ですが、これからも殺さないとは限らない」
「民を救うためだ!」
「では問いますが、王を失脚させたあとで誰が王になるのですか?」
誰も答えることが出来ませんでした。誰もそこまで考えていなかったからです。正確に言うのなら、誰も王になるつもりなどなかったのです。レジスタンスの目的は民の平穏であり、王の地位では無かったのですから。
ですが、そんなレジスタンス達は魔女の次の言葉に衝撃を受けました。
「無闇に国を倒してしまっては、民が迷います」
その短い言葉には、レジスタンス達の全否定が含まれていました。魔女はこう続けます。
「この英雄は、神を裏切った罰を受けねばなりません。もしも貴方達がなんとしてもこの英雄を救いたいというのなら、神から免罪符を買うために……誰か一人、自害なさい」
それは魔王ギィレスと同じ要求。
だけど言葉の意味が違います。魔女は遊びではなく真剣にそう言ったのです。
「そこまでの覚悟があるのならば、後世への良い教訓となり得るでしょう」
生き残った者達はその言葉に戦慄し、魔法が解除されたのにピクリとも動けませんでした。
それを見た英雄はこう言いました。
「魔女よ。この国は救われると言ったな? 誰が救うのだ?」
「皆で救うのです。私もその手伝いをいたしましょう。この身と名に誓います」
「皆で……みんなで、か。ははっ。いいだろう。私は罰を受ける。だから万事上手く運んでくれ」
「仰せのままに……これでも私は貴方に敬意を払っています。国と民は、皆で必ず救いましょう」
こうして、英雄はカウトリアを失い、魔女の言葉に従ったのです。
こうして、魔王ギィレスから始まった争乱は、終焉を迎えたのでした。
めでたし、めでたし。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
フェトラスは呟いた。
「どこがめでたいの? ねぇ、どこが??」