4-13 当然の末路
不可解な音が聞こえた。
硬いものが砕ける音。
液体がぶち撒かれる音。
それらが同時に聞こえた。
その後に訪れる静寂。森の息づかいさえ聞こえない、空白のような、無音という圧。
……空から、愛しい娘の声が聞こえたような気がした。
まさかな、と苦笑いしながら身体を動かし、仰向けになる。
全身が痛い。遠慮無くボコってくれやがって。きちんと防具を着けていたのだが、ダメージを負った箇所が多すぎて、防具の下まで痛むような気がする。
結局一匹も殺せなかった。それは悔しいというよりも、無念であるという気分が強い気がする。
足りない。届かない。......こんなもんかよ、俺。
息を吸うのも面倒だったけど、呼吸を止めることは出来ない。俺は淡々と呼吸を続け、意味も無く空を仰いだ。
そこには、俺の娘が、フェトラスが浮かんでいた。
飛んでいるわけじゃない。ふわふわと浮かんでいる。まるでおとぎ話に出てくる天使様のような。
「……………………」
幻覚。
な、わけねぇよな。
「………………チッ」
今度こそ俺は悔しくて舌打ちした。
天使が舞い降りて、俺の顔をのぞき込む。
その眼差しは、未だかつて見たことが無いぐらいに冷徹な銀眼。
「………………」
「………………」
言葉が出なかった。
「お父さん、大丈夫?」
だってそう呼んでくれる彼女は変わらず愛おしいのだが、それでも容赦無く、完全に、魔王にしか見えなかったから。
俺は深呼吸のようなため息を一つ吐いた。
「すまんフェトラス。負けた」
「………………」
「……ザークレー、ザークレーは生きてるか?」
彼女はこくりと頷いた。だけど視線は俺から外れない。
それはまるで値踏みするかのような視線だった。
俺が誰なのか。コレが何なのか。世界は「**」に値するのか。
そんな観察だった。
酷く痛む身体を起こし、魔族共はどこに行ったんだ? と首を動かしてみる。
ソレはすぐに視界に収まった。
黒と、血。
そこには死体などと形容出来ない、生き物の残骸しか無かった。
――――ただの言葉遊びだとは、重々承知している。
だけど誰かに聞きたかった。
なぁ、俺の娘は、俺を守ってくれたのか?
それとも、殺してしまったのか?
ああ、きっとそれは同じことなんだろう。
だけど違うんだ。きっとこれは、取り返しの効かない事で――――そして、どうしようも無いことだったんだ。
俺が書き込むはずだった、魔王という文字。
それをフェトラスは、自分自身で書いてしまったんだ。
フェトラスは何も言わなかった。ただじっと俺を見つめるだけだ。
俺は立ち上がって、フェトラスの様子を伺う。目がばっちり合う。銀眼が鎮まる気配は無い。
「……どうして来た?」
「最悪だと判断したから」
「……そうか」
ならばきっとそうなのだろう。責める気にもならない。
俺は魔族だったモノをちらりと一瞥して、改めてその痕跡に胸が締め付けられた。
どうやって殺したかすら分からない。ただ、頭上から何か凄い力でペシャンコにされたように見える。
正しく、次元が違う。
生まれ持った才能も、天性の肉体も、過酷な訓練も、魔王は気まぐれに唱えた呪文一つで殺戮してしまうのだ。
「ごめんな」
「いいよ、別に」
「助けてくれてありがとう」
「うん」
ようやく彼女は瞳を閉じた。そしてそのまま天を仰ぎ、深く息を吸い込む。
「…………ふぅ」
浮かべた表情は、憂いを表している。
銀眼の魔王は何かを言いかけたが、結局何も言わなかった。
「ザークレー、起きろ。生きてるか」
「――――む」
それりに防戦していたザークレーだが、更に手ひどくやられたようだ。恐らくこの後に高熱が出て数日は寝込むことになるだろう。軽く検分してみたが、派手に骨が折れたり内臓が破裂しているという様子は無かったので安心する。
「――――ここ、は……」
「終わったよ」
「――――倒したのか?」
「……フェトラスがな」
グッ、と。息を吸おうとして同時にツバを飲み込んでしまったような音をさせてザークレーは目を見開いた。そしてこちらに背を向けている彼女の姿を確認して、かろうじて起こしていた半身を地に落とす。
「――――フェトラス」
りーん。りーん。りーーん。
同時、手にしている翠奏剣ネイトアラスが綺麗な音を奏でた。
「………………ねぇ、ネイトアラス」
りーん。りーん。りーーーん。
「それが貴方の遺言でいいのね?」
り……りーん…………りーん……。
「そう。そうなんだ。じゃあ……貴方の断末魔を聞かせてもらう」
「やめろフェトラスッ!」
思わず静止した。彼女が何をしようとしたのかは分からない。けれども、それだけは絶対にさせてはいけないと、反射的に身体が動いた。
こちらに背を向けているフェトラスを抱きしめる。
そして、声が震えないように気合いを入れてから、告げた。
「もういい。もういいんだ。終わったから。大丈夫だから」
「誤魔化すのは止めて」
「な、何を……」
「まだ敵は残ってる。だから、ネイトアラスの干渉は邪魔なの」
敵?
お前が全部……あ。
「……そうだな。あと三匹残ってる」
「――――鎮まれ、ネイトアラス」
ザークレーは子供をあやすようにネイトアラスを撫で、優しく声を出した。
「――――もういいんだ。いつもありがとう。でも、もういいんだよ」
りーん。
最後にそんな悲しい音色を響かせて、ようやくネイトアラスは沈黙した。
たよりない静寂が訪れて、そしてすぐに終わる。
「わたしにとって最悪の定義は、『あの時こうしていれば』とか『何か出来たんじゃないか』って後悔すること。だから村のみんなと馬車の乗った時、魔法を使ったの」
「……魔法?」
「天に座する視点。空の上に自分の視界を移して、お父さんを探した。大丈夫かな。心配だな。何か出来ることは無いかな、って。……そしたら、敵がいたの。お父さんを傷つける、わたしの敵が」
「…………」
「わたし、言ったよね?」
「……何をだったかな」
「お父さんを傷つける者は、神でも殺すって」
フェトラスはそっと俺の腕に触れ、キュッと袖を掴んだ。
「ああ、世界中のみんなにそれを教えてあげなくちゃ。今後一切、かすり傷だろうと、どんなにささやかな悪意だろうと、それをお父さんに向けた瞬間に命が終わるということを。わたしに……私に殺されるということを。みんなに教えてあげなくちゃ。警告しなくちゃ」
そう言いながら、彼女の髪に隠れるほどに小さかったはずの双角が、ずるずると、止めどなく伸びていく。
「フェトラス……」
「わたしは誰の正義で、誰の悪なのか。分からない。きっとそこに絶対性はない。だけどわたしはお父さんの味方だから。――――即ち」
フェトラスはそっと俺から離れて、今もなお冷たく輝く銀眼で俺を見つめた。
「あなたの敵が、私の敵」
「ツッッッ」
声を出そうとした。身体を動かそうとした。考えようとした。愛してる。
だけど、そのほとんどが叶わなかった。
あなたの敵は私の敵という、魔王による壮大な愛の告白に、俺は全身全霊を魅了された。そして同時に、それが世界にとって致命的なモノであるということも悟った。
「敵を、殺してくるね」
「まっ」
待ってくれ。その一言が、あまりにも遅い。
【天視】。呟く呪文一つで、彼女の意識は空へ飛ぶ。
【超躍】。呟く呪文一つで、彼女の姿が空へ飛ぶ。
残された俺に出来ることと言えば、力尽きて這いつくばることだけだった。
フェトラスは視た。
森の手前、三つの黒い影が地面に転がっている守衛の死体を喰らっている光景を。
彼女はすぐさまそこに降り立ち、警告を発することすらせず、三匹をまとめて【炎閃】で灼き貫いた。
「…………ん?」
だけど魔族は死ななかった。燃え焦げ付く肉体。絶叫しながらも、煙を上げながらも、その傷がゆっくりと塞がっていくのが確認出来た。
「コレじゃ死なないんだ。……【鉄墜】」
先ほどの五匹と同じく、三匹をまとめて圧殺する。かつて創造した【魔人】のようなカラーリングをした歪な球体が、地面に大きな血染みを作る。
守衛の死体ごと押し潰してしまったのだが、フェトラスはそれに何の感慨も覚えなかった。……顔が、確認出来なかったからだ。
他にはいないだろうか。いちいち探すのも面倒だから、そういう魔法を造った方が速いのかもしれない。彼女がそんな事を想った次の瞬間。
新たな二つの影がフェトラスの前に現れ、跪いた。
「ま、魔王様ぁぁぁぁ!」
「ああ! ああ! なんということだ! その麗しき双眸に宿るは、まさしく銀眼!」
ボロボロと、嬉しそうに泣いていた。二匹の魔族は頭を垂れたり、御尊顔を仰がんと面を上げたり。しかしながら涙で視界がぼやけるので、再び頭を垂れたりしていた。
「魔王様、よくぞご無事で……!」
「いいえ、いいえ。きっと最初から何か事情があったのでしょう。銀眼の魔王様……ああ、是非、是非ともお名前を我らに!」
そんな涙でグチャグチャの見苦しい笑顔を眺めながら、フェトラスははっきりと舌打ちをした。
「チッ……」
まるで爆ぜるように、二匹の魔族の身体が緊張で跳ね上がる。
「な……何か、不愉快なことがございますでしょうか」
「我らに命じてください。すぐさま、魔王様のご希望に沿って……」
「死ね」
間髪入れずにフェトラスはそう命令した。
死ねと。ただそれだけの命令。
だがいかに魔王と魔族といえど、コミュニケーションを取るためには言語を介するしかない。故に、その命令を解しきれなかった魔族は呆然とした。
「し、ね?」
「……我らに、死ねとおっしゃいましたか?」
「すぐさま希望に沿うんでしょう?」
ああ、ダメだ。そんな事を呟きながらフェトラスは片手で顔を覆った。
「あまりにも情けなくて、つい喋ってしまった……ああ、もう。ヴァベル語が通じる相手とは戦わない、っていうささやかな約束さえも、あなた達は守らせてくれないのね」
「ま、魔王様……?」
「一体何を……?」
ふと、フェトラスは気がついた。
その瞬間に彼女の血の気が引く。
「……………………」
フェトラスは下唇を噛んで、そして一つの覚悟を予感した。そしてそれを確認するために口を開く。
「あなた達、ここに住んでいた……シールスさん達を、どうした?」
「シールス?」
「シールスとは……」
分からないのか? 理解出来ないのか? そんな苛立ちを押さえながら、フェトラスは尋ねた。
「ここに住んでいた人間達を、どうした」
「…………」
「…………」
魔族はその質問に答えられなかった。
銀眼の魔王の不興がそこにあると、ようやく理解したから。
そして容赦の無い命令が下される。
「答えろ」
「…………喰い、ました」
「…………大人を二人と、子供を一人……」
「――――そう」
その二文字に、フェトラスは感情を込めることが出来なかった。
「も、もしや魔王様の、その、お召し上がりになる予定の……」
「もう喋るな」
「はっ、ははー!」
魔族達は焦った。
新たな主君がついに現れた。しかも銀眼である。自分たちはなんと幸運なのかと狂喜していたのに、気がつけば不興を買ってしまっている。
死ねという命令の重みを今更理解した。
自分たちは失敗してしまったのだと、ようやく理解した。
そもそもこの銀眼の魔王は、我らの同胞を、殺したのに。
なぜ飛び出してしまったのだろう。そんな小さな疑問が浮かんだが、そんなものはすぐに焦りという感情によって消失してしまった。
魔族が畏れで震え上がっている頃、フェトラスは心の中に湧き上がる空虚な気持ちと向き合っていた。
(シールスさん。優しかった。お母さんもすごく優しかった。リリムくんは、とってもとっても可愛くて、ふわふわで、傷つけないように抱くのが少し怖かったくらい)
温かな思い出が、今を凍り付かせる。
(そんな素敵な人達を、この魔族は、喰ったと。喰ったのだと。なぜそんな事が出来る? 喰いたいなら、野菜でも魚でも、牛でも鳥でも食べればいい。なぜわざわざ人間を襲う)
たった今自分が殺した者達を見る。何の感慨もわかない。
でも、私の大好きな人達も同じ末路を既に辿っているという事実は胸を締め付ける。
「リリムくん……」
もう会えない。もう成長しない。未来が無い。
それが死ぬということ。
そして、それらを奪うのが、殺すということ。
フェトラスは理解した。
誰かを殺すということは、その人にまつわる未来や、好意や、愛の行き場を消し去ってしまうことなのだと。
(私がリリムくんを失って悲しいのと同じなのかな……お父さんは、誰かが悲しむから、殺すなって言ってたのかな……)
きっとこの魔族達を殺しても、リリムは何も思わない。だってもう死んでいる。もう終わった事なのだ。何か出来たかもしれないが、もう何も出来ないのだ。
「最悪ね……」
その一言で、魔族達は自分達が殺されることを確信した。
「ま、魔王……様……」
喋るなと言ったのに。フェトラスは敵意をもって魔族を睨み付けた。
そしてフェトラスは更に理解した。
世界から争いが無くならない理由の一つを。
「この気持ちが、復讐という炎なのね」
「ま、魔王様……」
「ええ、そうよ。私は魔王。……魔王フェトラス」
銀眼。
フェトラスがソレを抱いた時、彼女の思考は形態を変える。
より強く、より速く、より確実に。呪文の構成に悩む必要もない。全ては彼女の思うがままだ。彼女は望みを達成する。難易度の差とは、つまり時間がかかるかどうか、という程度でしかない。
別に人格が分離したわけではない。フェトラスはフェトラスのままだ。
けれど、その思考の速度は別者と評していい程に差がある。
今まではよく分からなかったこと、考えも及ばなかったこと。それらに手が届くようになる。そしてロイルの娘として過ごした長い時間が、経験が、全て魔王というフィルターを通して思い起こされる。
きっと全ての事象は、本質的には何も変わっていない。
けれども見方が変わった。受け取り方が変わった。価値観が、変わった。
(お父さんの敵が、私の敵……)
でも目の前で哀れに震えている魔族は、敵には見えなかった。
正確には、敵にすら見えなかった。
――――敵じゃないけど、殺す。
――――――戦わない。ただ殺すだけ。
すなわち。
こいつらは、ただの殺戮対象だ。
「ふ、フェトラス様」
彼女はもう、何も答えなかった。
対象を認識。数は2。死ににくい。だがそんな特性に興味もない。潰せば死ぬ。
人の価値観で例えるなら。
こいつらは、虫を食べる、小鳥だ。
彼女は三度目の【鉄墜】を唱えなかった。その必要すらなかった。
「 【空放】 」
次の瞬間、魔族達は空を見た。
「えっ」
雲よりも高い場所にいた。
恐ろしい風圧がかかり、そしてそれは加速していく。
「なっ」
それ以上言葉も出なかった。
……魔族達は気がついていなかった。実は多少踏ん張ったり、抵抗すればこのフェトラスの呪文には抗えたのだ。それほどまでにフェトラスの魔法は弱かった。
けれども銀眼の魔力は、その抵抗を超えればどこまでも通ってしまう。
結果、彼等は尋常じゃないほどに空高く投げられてしまった。
再生能力もクソもない。墜落すれば、まさしく大地に押し潰されるのと同義だ。
別にフェトラスは魔力を節約したわけではない。ただ、シールス家の前にこれ以上血溜まりを作るのが嫌だっただけ。
こうして、二匹の魔族は。
《アリセウス視点》
二階からその一部始終を見ていた。
身体の震えが止まらない。僕の頭の中は「恐怖」でいっぱいだ。
「なんで……なんで……!」
なんであんな恐ろしいものに、あいつらはすり寄れたんだ!?
見れば分かる。あんなの、リーンガルド様よりもヤバい。
銀眼? ああ、確かに銀眼だ。
だけど見た瞬間に無警戒で飛び出してどうする。その直前に、僕たちの同胞が殺されてしまったのに!
あれを見た時、僕は思い出してしまった。
兄が殺された時のことを。恐怖を。理不尽を。抗えない超常を。
魔王の誘いによる効果は僕を酔わせていたが、そんなものが消し飛ぶほどだ。
酒で酔っ払ってベロベロなのに、悪魔的な度数の酒が差し出されてしまったのに近い。
僕と彼等の違いはそこにある。
僕はそれで痛い目を見た。だから遠慮した。
彼等は知らなかった。だから美味そうな酒を見て「わーい!」と飛びついた。
ただそれだけだ。
結果、僕の友達と古参の魔族は消えた。正確に理解できたわけではないが、いきなり姿が消えたのだ。生きているとは到底思えない。
まぁ死んでしまったものは仕方が無い。この世界はそういうところだ。
問題は僕の今後だ。
どうする。どうすればいい。
新たな君主? 我らの魔王様? いいや、あそこにいるのは「僕を殺すかもしれないモノ」だ。
(逃げる……逃げるしかない……!)
でもどうやって? 突然現れた魔王。しかも銀眼。追われたら、などと考えるのもおこがましい。視界に入った瞬間に僕は殺されてしまうだろう。
(ここでやりすごすしかない……)
僕は音を立てないように、家具の影にかくれた。
このままじっとしていよう。音を立てるな。気配を断て。呼吸すらも控えめに。
どくん、どくんと心臓が五月蠅い。ここから逃げ出してしまいたい。でも現状ではきっとここが安全だ。だから動いてはいけない。僕はいま、身体を動かさないという逃走劇の真っ最中なのだ。
口元を押さえていると自然と涙が出てきた。
兄さん。ねぇ、兄さん。僕も兄さんみたいに強かったら、あの魔王の横に立てたのかな。こんな風に怯えずに、堂々と家臣として振る舞えたのかな。
嗚咽しそうになる。思い出が走馬灯のように高密度で脳裏を駆け巡る。
ダメだ、違うことを考えよう。いいや、無心になれ。僕は家具と一体化する。
カチャリ。キィ……。ドアが開いた音がした。
トッ、トットッ、トット……。誰かの足音。
カチャリ。キィィィ……。そして立ちすくむ気配。
トッ、トッ、トッ、トッ。階段を上る音。
ガチャリ。この部屋の扉が開く音。死の足音。
「リリムくん…………」
その声は、震えていた。まるで泣いているかのように
「せめて綺麗に」
その言葉には、悲哀と思いやりに溢れていた。
「【清炎】」
僕が隠れていた家具。それはベッドと呼ばれるモノで、赤ん坊が眠っていた場所だ。
そこには喰い散らかした残骸が乗っていた。
そしてベッドが、青い炎に包まれる。
不思議と熱くは無い。けれども燃えている。僕は驚きのあまり、物音を立ててしまう。
「…………出てこい」
それは絶対に抗ってはいけない命令だった。
僕は震えながら、泣きながら立ち上がる。
そこにいたのは、とても美しい魔王だった。
黒い精霊服。白いラインが流れている。
艶やかで黒い長髪。
まだ幼さの残る顔つきの、小さな魔王。
そしてその瞳に宿るのは、涙で濡れて、殺意で凍り付いた銀眼。
「た、たすけて……」
「リリムくんは、その言葉を発する事も出来ないほどに、小さかったの」
愛らしい声だった。きっと歌えば、誰しもが聞き惚れるだろう。
「ちょうど良かった。他には何匹いるの?」
「……ぼ、僕の他には……あと十、いや二人死んだから……あと八体……」
「私が知っている数とは合わないわね。なんで嘘をつくの?」
「ぜっ、全部で十三体です! 僕を含めて、十三体でこの村に来ました!」
「……ああ、お父さんかザークレーさんが倒したのか……」
そう呟いて、魔王は青く燃えるベッドに視線を戻した。
「少し黙っていて」
はい、と返事をすることも出来ない。
僕は音も無く泣きながら、その場に立ち尽くした。
やがてベッドは燃え尽きた。他に燃え移ることもなく、ベッドとその上に乗っていた人間の赤ん坊の残骸と共にこの世から消失した。
「あなたが、最後の一匹ね?」
「……はい」
「…………ここは嫌。外に出るわよ」
「……はい」
魔王は振り返りもせず階段を降りていった。
どうしよう。着いていかなくてはいけないのだろうか。もう今すぐに逃げ出したい。なんだよあの銀眼。魔王の誘いなんてレベルじゃない。
アレは酔う間もなく死んでしまう、毒だ。
だけど僕はその背中を追った。
きっとおそらく、自分の末路はここだ。
魔王なんて存在に近づこうとした僕の、当然の結末だ。
だけどどうせ死ぬのなら、最後に何か意味が欲しい。
階段を先に行く魔王の背中はとても小さくて、頼りなくて、哀しそうで。
ほんの数秒、胸を締め付けるような切なさを僕は覚えた。