4-8 幸せな時
昨日の夕方。俺によって気付き……新たな着想を得て、シリックの無事を確認する魔法を習得したフェトラス。彼女は朝の仕事を終えた俺にこうねだってきた。
「わたしも久々に、村の方に行ってみたいな」
「ん。何か欲しいものでもあるのか?」
「ううん。でもたまにはセーヌおばさんとか、バリンおじいちゃん、あとマーディアさんにも会いたいし、リリムくんとも仲良くしたい!」
ぴょん! とフェトラスは両腕をかかげた。だっこ! と言っているのに近いポーズ。
大変に可愛らしい。なのでそのまま抱き上げた。
「わわっ」
「そうだな……たまには息抜きするか! 散歩したり、買い物したり、なんか美味しいものでも食おう」
「わーい! お父さんも、我慢してるお酒とか飲んだら?」
「我慢というか……えっ。いや待て、なんで俺が酒を我慢してるって分かった?」
「え。お父さんお酒好きなのに、いつごろからか、ぜんぜんお家で飲まなくなったじゃん」
「いやそうなんだけど……お前が酒に興味を持たないように、こっそりとしか飲んでなかったはずなんだけどな」
そう。俺は酒断ちをしていた。
寝る時は寝るし、戦う時は戦う。そして飲む時は酔う。そんな事を戦友は言っていた。そして今、フェトラスが戦っている。本当なら即座に攻勢に出られるはずの彼女が、俺のために我慢してくれている。
娘が我慢して戦っているのに、酒なんて飲めるか? 俺は飲めない。きっと溺れちまう。フェトラスに隠している不安とか恐れを、洗いざらい、滝のようにゲロってしまう。きっとそれを聞くのはフェトラスではなく誰かの幻影なのだろうが、うっかりフェトラスに俺の嘆きなんて聞かせたら大変なことになる。あいつは盗み聞きの魔法が使えるしな。
そもそもシリックが大変な時に、ノンキに酔っ払うのは難しいというものだ。
酒は楽しい時にしか飲まない。
俺の場合、気持ちが辛い時に飲むと辛さが増すだけだから。
……とまぁ、こんな本音をフェトラスに聞かせるわけにはいかない。フェトラスを抱き上げたままグールグルと回ってみせて、彼女をそっと地面に降ろした。それでこの会話は終わりだ。
「ねぇねぇ、なんでお家でお酒飲まなくなったの?」
終わらなかった。
「金が無いからだな」
だから、こんな嘘をつくしかなかった。
「お、お金無いんだ……じゃあ、お買い物も止めておく?」
「バカヤロウ。酒は無くても生きていけるが、飯を食わないと人は死ぬんだぞ。そしてお前の笑顔が見れないと、お父さんは死ぬほど悲しいんだぞ。だから買い物にはちゃんと行く」
「………………」
「さっきの言葉を少しだけ訂正しよう。不必要な物を買う金は無い。だけど必要であるのならば、金は惜しみなく使う。それが正しい金の使い方だ」
「そうなんだ……」
「おう。だからお父さんは、お前のために、美味い物を買うぞ。なぜならそれが俺のためになるからだ」
「……ん」
そこまで言ってもダメだった。優しいこの子は、俺の言葉の真意を、そして更に深いところを探ろうとする。
本当はお金が無いんじゃないかな? 何か別の理由があるのかな? と。
彼女の持っている情報では、そんな疑惑が一番存在感を放っていることだろう。
それを打ち消すには、新たな情報を、即ち本音を語るしかあるまい。恥ずかしいからたまにしか言いたくないんだけどな。
「俺は死なないために生きてるんじゃない。俺は、お前の笑顔を見るために生きてるんだ。分かったかコラ。……お前が大人になったら、その時は一緒に飲もうな」
「……ん!」
ようやく納得したのであろう。フェトラスは再び両手を突き上げて、だっこを再要求したのであった。
そんなわけで、二人で手を繋いで下山した。
今までにも何度かフェトラスと村をブラついたことがある。
もちろん精霊服ではないフードをしっかりかぶせて、けれども表情は見えるような。そんな出で立ちでデートをしたことがある。基本的には買い物ぐらいしかしないのだが、綺麗な景色、農作業や酪農といった人々の営み、通りすがりの民家から香る食事の気配なんかを俺達は楽しんだ。
「きょーおは楽しい村デート~とっても久々村デート~」
変な歌だ、と苦笑い。
きっとフェトラスは無理矢理テンションを上げているのだろう。シリックの事を忘れたわけではないが、そればかり考えて煮詰まってしまっているのが現状。だからフェトラスは意識的に「息抜き」をしているようだった。
「荷物になるから、買い物は後だな。まずどこに行きたい?」
「美味しいものは先に売れちゃうかもしれないから、取り置きをお願いしておけばいいんじゃないかな」
「なるほど」
子供らしからぬ意見だが、フェトラスっぽい意見だ。
「そんじゃ、バリンじいさんの所に行って肉を選ぶか」
「うん!」
手をつないだまま、ブンブンとそれが振られる。俺達はのんびりと歩き続けた。
「このカフィオ村って、どんぐらいの人がいるのかな」
「うーん……正確な人数は知らないが、たぶん、お前が初めてステーキを食った村の三倍ってところじゃないか?」
「おお。結構いるんだね。でもそんなにたくさんの人は見かけないよ?」
「領地が広いんだよ。あの村の十倍はあるはずだ」
「ふえぇぇ。広いね。人間って、狭い場所に集まるのが好きなんだと思ってた……」
「虫の習性じゃあるまいし……まぁ、でも、間違いじゃないかな。人と協力して生きる場合は、近くにいた方が便利だ」
「じゃあ、なんでここの人達はお家が離れてたり、領地が広いの?」
「ここの人達は協力というか、大自然と戦うことがメインだからな。収穫物を狙う害獣、害虫、水不足とか陽差しとか病気とか。なんていうかな……俺は学がないから説明が難しいんだが……」
んー、と改めて考えてみる。
人は群れる動物である。しかし群れない個体も必要不可欠だ。それは精神的にではなく、物理的に、という意味で。農家と町の役人。畑一つと、机一つ。その仕事、あるいは営みに必要な土地は規模が異なる。
「ここの人達は、他の誰かが協力して生きていくために、そのお手伝いをしてるんだよ。みんなが農作業してたら、人は他のことが出来ないからな。……つまり、言い換えればこれも協力だな。ついでに言うと、この村もやがて人が増えて、いつかは町になって、都会になる。そのための準備をしているのがこのカフィオ村なんだよ」
ここは開拓地だ。まず人が豊かに暮らせる土壌を作り、やがて家と家の隙間を新たな住人で埋めていく作業中。ここの人達は未来を作っているのだ。
そんな説明も加えてみたが、フェトラスは力一杯拳を突き上げて叫んだ。
「……難しい!」
「まぁ、そうだよな。とにかく、この村の人達は一人一人が頑張ってる、ってこった」
「もの凄く大きな畑を、みんなで管理すればいいんじゃないかな? そしたら風邪引いた時とか、怪我した時に助けてもらえるじゃん」
「色々あるんだよ。例えば農作物が病気になったら、その畑は全滅しちまう」
「あー。なるほど」
(収穫物を盗む輩もいるだろうしな)
今のフェトラスにコレは伝えてもいいのだろうか。そんなことを一瞬だけ考えたけど、今日は楽しい親子デートなのだ。暗い話題は避けちまおう。
「そっかぁ。町の人は、みんなのために生きて。ここの人達は野菜とか果物のために頑張ってて、それが巡って誰かのためになるのかぁ」
スムーズな理解に「ほぅ」と内心で感心した。
フェトラスの視野がまた一つ広がったようだった。
個人。家庭。村、町、大きな街。独立しているそれらが繋がっている、ということをわずかならがに理解出来たようだ。
(こういう事を繰り返して、気付きが増えて、呪文って増えるのかなぁ……)
そう考えると、フェトラスの魔法は、どんな魔王よりも異質なのかもしれない。
闘争の人生を送る魔王。俺はソレを彼女から奪った。
魔女ならばいざ知らず、魔王の使う魔法とは全てが戦闘用だ。魔王が一万体いたとしても、蒼い世界を眺めるだけのフォースワードなぞ、誰一人として使えないだろう。
魔王。殺戮の精霊。フェトラス。
――――魔王フェトラスは世界を滅ぼす資格を有している。
その恐れは、俺の胸から消えることはない。消してはならない、と言ってもいい。今は平和だから余計な事を考えてしまいそうになるが。
それでも俺の娘が魔王であるという事実は、変わらないのだから。
「こんちわー! バリンおじいちゃーん!」
「おおう! フェトラスちゃんか!」
軒先で大きな声を出すと、家の奥から背筋の伸びた老人がササッと飛び出してきた。
「一週間ぶりぐらいかのう? 元気しとったか?」
「うん! 今日はお父さんとデートなの!」
「カッカッカ。そりゃいいのう」
どうも、と俺は頭を下げた。
バリンじいさん。見るからに老人、という外見なのだが、背筋は曲がらず、喋り方もハキハキしているじーさんだ。息子に酪農業の大半を任せ、本人は自宅兼販売所で商品を売っている。
「えっと、今日はちょっと良い肉を買いに来ました」
「良い肉。なにかのお祝いかい?」
「まぁ、そんな所ですかね」
ふむ。とバリンじいさんは顎に指を当てて思案した。
「そうさな……牛と鳥、どちらがいいかね?」
「牛肉ー!」
「……だそうです」
「カッカッカ。そうか。それでは時間をもらってもいいかね? ちょうど一頭バラす予定の牛がいての。それを分けてやろう」
「うん! ありがとう!」
「新鮮な肉が手に入るのはかなりラッキーですけど、こんな時間からバラしにかかるんですか?」
「ディットンのとこで、夜にちょっとした集まりがあるらしくての。そこで大盤振る舞いしたいそうじゃ。さっき入った急な依頼での」
「じゃあ夕方ぐらいに来たほうがいいですかね」
「そんなにかからんよ。まぁ、昼過ぎぐらいに来るとええ」
「りょーかーい!」
「分かりました。じゃあ後でまた寄らしてもらいます」
以前来た時は買い物しかしなかったのだが、その時のわずかな会話でバリンとフェトラスはだいぶ打ち解けたようだった。
「ウチの孫よりべっぴんさんじゃのう」と呟いて、息子の嫁に呆れたような顔をされていたのをよく覚えている。
次に目指したのはセーヌさん、そしてディルの家だ。
目的の場所に近づくと、畑に人影が見えた。
「セーヌさーん!」
「あれまぁ、フェトラスちゃん」
雑草でも抜いていたのか、セーヌさんは「よっこいしょ」と言いながら立ち上がった。
「今日はどうしたの?」
「お父さんとデート!」
「うふふ。楽しそうねぇ」
セーヌさんは柔らかく笑って、こちらに手を振った。
「どうも。ディルはまた出かけてるんですか?」
「ええ。今日もザークレーさんと見回りに出てるわよ」
ディルは、俺よりも(たぶん)年下なのだが、農業の師匠でもある。そしてこの村の守衛の一人でもあった。
農業に関して全く知識の無かった俺だが、色々あって、様々なことを教えてもらっている。これは現在進行形だ。農作業で困ったり悩んだりしたらとりあえず俺はディルに相談するようにしている。口数が少なく、なんだか冷たくも感じるのだが悪いヤツではなかった。ザークレーと気が合いそうだな、と思ったら実際その通りらしい。
今日はそんなザークレーと見回りの日らしいが、そうじゃない時間はセーヌさんと畑にいる事が多い。そういうタイミングでかち合えば俺はその畑仕事を手伝いつつ、仕事のイロハや作物の特性なんかを教えてもらうのだ。そしてセーヌさんはフェトラスの面倒を見てくれる。たぶん、この村でフェトラスと一番時間を過ごしているのはセーヌさんだろう。
「息子になにか用だった?」
「いえ。ただ、近くに来たもんですから」
「セーヌさんに会いたくて!」
「嬉しいわねぇ」
セーヌさんはそう言って再び笑った。ふくよかな女神様が年を取ったら、こんな笑い方をするんだろうな、という表情で。
「お茶でもどうかしら」
「作業中なのでは?」
「雑草なんて、どうせまた生えてくるわよ」
そう言いながら既にエプロンを外しているセーヌさん。俺達はお言葉に甘え、お茶と菓子をいただきつつ、のんびりと過ごした。
「あら……そろそろお昼ね。ご一緒にいかがかしら?」
「ああ、長居してすいません。そこまでご迷惑になるわけには。さ、もう行こうかフェトラス」
そう声を掛けると、俺の娘は渋い顔をした。
「…………はーい」
「あら。残念ね」
「次は手土産持ってきますので、その際はよろしくお願いします」
「別にいいのに。ただその時は、フェトラスちゃんも一緒に来てね?」
「うん!」
俺達が次に目指したのはレストラン、ではなく、マーディアさんの家だ。
彼女には料理を教わっている。ご飯時に行くと食事を分けてくれつつ、様々な調理法やレシピを教えてくれるのだ。今のタイミングで行けば、そろそろ調理を開始しようかと考えている頃合いだろうから、迷惑にはならないはず。
ちなみに対価はきっちりと払う。レストランというよりはお料理教室というのが俺の正しい印象だ。
マーディアさんは美人なので、二人でキッチンに並んでいると、あ、いや、すいません、何でも無いです。本当に何でもないです。どうでもいいけど旦那さんめっちゃ怖いんです。
道すがら歩いていると、その旦那さんと遭遇した。
「あー! ムムゥさん! こんにちは!」
「……ああ。ロイルの所の娘か」
お前本当に農家かよ。絶対傭兵だろ。そんな佇まいの大男がニコリともせずに言った。
「娘と一緒とは珍しいな」
「たまにはな」
「どこに向かってるんだ?」
「ムムゥさんのお家だよ! マーディアさんに会うの!」
「あ?」
『この野郎、また俺の嫁んとこで飯食う気かよボケ。しかも娘連れかよ。もしかして俺を暗殺して、マーディアに取り入ろうって腹か? やってみろやカス、ブッ殺してやらぁ』
という激烈な感情を向けられた気がしたけど、気のせいだろう。
そんな大男に、フェトラスは無邪気な笑顔を向ける。
「わたし、マーディアさんのお料理大好きなの! お父さんが作るのも美味しいんだけど、マーディアさんのは温かくて、バランスが超いいの!」
「お、おう。そうか」
「マーディアさんの所に行くたび、お父さんの料理のレベルが上がるのってすごいよねぇ。お父さんが一生懸命で、マーディアさんの教え方が上手だからかな? とにかく、いつもありがとうねムムゥさん!」
「あ? なんで俺に礼を言うんだ?」
「えっ。だって、マーディアさんはムムゥさんの、えーと、旦那さん? でしょ? だからマーディアさんのご飯が美味しいのは、ムムゥさんに食べさせるためで……だから、ありがとう?」
あまり上手な説明ではなかったが、ムムゥにはきちんと届いたのだろう。彼は目をパチパチと瞬かせて、頭をかいた。
「そうか。お前もあいつの飯が好きか」
「うん! だからお父さんにお願いして、お料理の先生になってもらったの!」
次にムムゥは、俺の方を見つめてパチパチと瞬きをした。
「他にも料理が美味いヤツならゴロゴロいそうだが」
副音声『嫁を狙ってるわけじゃない、のか?』
「……いや、別にこの村の全員の食卓にお邪魔したわけじゃないんだが、フェトラスが一番気に入ったのがマーディアさんの料理だったんだよ」
「そうか」
「というかこの説明、前にもしたんだけどな。……フェトラスの言うとおり、マーディアさんのムムゥへの愛情がすごく大きいから、すごく美味く感じるんだろうな」
副音声『お前の嫁はお前を溺愛してるから。付け入る隙なんて無いし、お前が怖くて誰も手を出そうとはせんだろ』
「そうか」
ムムゥは軽くうなずいて、俺達を先導した。
「今日は弁当じゃなくて、俺も家で食うつもりだったからな。ちょうどいい。このまま向かうぞ」
「わーい! 今日はムムゥさんも一緒だー!」
わー! と両手を振り回しながら駆け出すフェトラス。あっという間にムムゥを追い越して、視線の先にある家を目指す。
置いて行かれた俺とムムゥ。
会話は無かったが、気まずい空気ではなかった。
突如現れた俺とフェトラスだったが、マーディアさんはにこやかに対応してくれて俺達の分の昼食も用意してくれた。俺はキッチンに並び立ち、彼女の説明や手際を観察してふむふむと頷く。たまにメモを取ったりもした。
その間、ずっとムムゥの視線が突き刺さっていたような気がするけど、これも気のせいだろう。時々フェトラスがちょっかいをかけて、彼女は空に放り投げられていた。
「フンッ!」
「きゃー!! たかーい!!」
抱っこ、からの垂直ブン投げ。フェトラスは天井にワンタッチして、ムムゥの腕の中にまた収まるという遊びを気に入ったようだった。何度かその行為を繰り返していたようだが、それに気がついたマーディアさんがたしなめる。
「こらムムゥ! 危ないでしょ! フェトラスちゃんに乱暴しないの!」
「お、おう。ごめんマーディア」
美人嫁の前では、大男もシュンとなる。
俺としてはフェトラスの双角がばれないか心配だったのだが、フェトラスのあの類いの笑顔は俺には中々作れないもの。遊具で遊ぶ的な笑顔だ。なので、心配こそしていたが止めるに止められなかった。
(まぁ、あんな風に笑う魔王がいるなんて誰も思わないだろ)
今のフェトラスなら、魔法を目の前で行使しても「魔女なの?」と誤解されるだけで済むような、そんな安定感があった。
人の家の食事なので、流石にお代わりをするわけにはいかない。
俺は講習代というか、食材分の金額を支払ってマーディアさんとムムゥの家を出た。今日の収穫は、野菜の下ごしらえの際に、栄養が逃げないようにしつつ見た目をよくする技だ。あと肉の焼き方についても再講習を受けた。
「美味しかったねー」
「だな。あの味に近づけるように頑張るさ」
「今もお父さんの料理美味しいけどね!」
「ありがとよ。でも、我ながらレパートリーが絶望的に少ない事がちょっと気になってるんだよ」
「ご飯の量が多いから大丈夫!」
「その励まし、全然嬉しくない」
それから俺達は商店で甘い果物を買って、川沿いで並んで食べることにした。
デザートだ。人に会うことが多い日だが、やっぱりこんな風に二人で過ごすのが落ち着く。
「良い村だよね」
「そうだな」
風がそよそよと吹いていて、気分がいい。
俺達が出会った大陸と、ここでは季節感が少しズレている。
今の気候は夏の終わりかけ。
ただ高所であるため基本的には涼しかった。
川のせせらぎも穏やかだが、この辺りは水源が豊富で、耳をすませば別の川の音も聞こえてくるようだった。
昼食を取って、デザートを食べて。そろそろ牛の解体も始まっている頃だろうか。
「どうする。ちょっと遠いけど、最後にリリムくんの様子でも見ていくか?」
「もちろん!」
リリムくんとは、フェトラスと同い年くらいの男の子だ。
つまりはまだ赤ん坊に近い。
俺と同じく新米農家であるシールス家の長男として、すくすく成長中だ。
シールス家の親父とも俺は仲が良かった。新米同士、苦労が似ているのだ。
……まぁ俺はフェトラスのおかげで多少のズルをしてしまってはいるが。
突然の来訪にもかかわらず、シールス夫人は快く対応してくれた。「遠い所をわざわざ」と逆に労われたくらいだ。
親父は畑で作業中らしい。というか、流石にみんな仕事熱心だな。俺は朝と晩ぐらいにしか様子を見てないっていうのに。
「ウチが取り扱ってるのはデリケートな作物が多いからじゃないかしら? すぐに痛んだり、虫がわいたりするのよ」
「そうなんですね。しかし何故? もっと簡単に育つものもあるでしょうし。少なくとも俺はそうしてますよ?」
「リリムのために頑張って稼ぐんだ、って。だから少しでも高く売れるものを選んだみたい」
「……いやぁ、見習わないとなぁ」
「でもロイルさんは狩りもするんでしょう? だったら、おイモとかを育てるほうが安全だと思うわ。ウチの人は狩りなんてからっきしだからねぇ」
シールス夫人は上品に笑って、そっとリリムくんの方に視線をやった。俺もそれに釣られて、リリムくんをあやしているフェトラスに視線をやる。
「あぶぶぶぶぶぶ」
「キャッキャッ」
どっちが子供か分からん。ちなみにキャッキャッしてる方がフェトラスだ。
フェトラスは子供が好きなようだ。しかしあれで同い年とは到底思えない。
俺は改めて、じっくりとフェトラスを眺めた。
黒い長髪。澄んだ瞳。
最近では表情に丸みが取れて、少し大人っぽくなったようにも見える。シュッとしてるのだ。
今朝抱っこして思ったが、体重も増えたご様子で。
普通なら服のサイズが合わなくなったりして成長を実感出来るのだろうが、ヤツが着ている精霊服は自動でサイズが変わる。なのでフェトラスの成長は「あれ? デカくなってる?」とある日突然気がつく事が多かった。
今はローブでそれを隠しているが……ああ、そうだな。ローブで比較すると、なんとなく成長がうかがえるか。
手足が長く、機動力が高い。反射神経も良い。獲物は剣が似合うだろう。絶対持たせないけど。
表情の種類も増えた。笑い方にも、多様な色が浮かんでいる。
「そういえば、フェトラスちゃんは何歳ぐらいなのかしら?」
「えっ」
ぼんやりとしていると、質問が投げかけられた。
何歳。何歳て言われても、リリムくんとほぼ同じですが。
今の彼女は、周囲の人間から見ると何歳ぐらいなのだろうか。
俺の常識から当てはめると、十四歳ぐらいの感じなのだが。
「……当ててみてください」
「そうねぇ。九歳ぐらいかしら?」
「えっ」
「……あら? 違った?」
「九歳ぐらいに見えますか?」
「ええ。あの子ぐらいの身長だと、そうかなぁ、って。本当は何歳なの?」
俺は焦りつつも、多少誤魔化してみた。
「…………十一歳です」
「まぁ。そうなのね。でも小柄でもいいじゃない。あんなに可愛らしくて優しい子ですもの。きっと将来モテモテになるわよ」
「あんまりモテられても困るんですけどね」
そんな苦笑いを浮かべながら、はて、と思った。
俺の知っている限り、あの身長はどれだけ低くても十二歳ぐらいのものだ。
と、ここで気がついた。
そういえば、俺の知ってる子供ってのは、みんな地獄のような環境で――――。
フェトラスはまだ、十歳にも満たない外見なのか。
俺の知っている常識は、やはり普通とはズレているらしい。
でもそれは嬉しいことでもあった。
俺は普通とか常識を知らなくても、ちゃんとフェトラスを育てられているんだ。
それはあの、赤子をあやすフェトラスの表情を見ていると実感出来る。
あんな子供の笑顔、俺の記憶の中には一つも無いのだから。
作業をある程度終えたのであろう。シールスの親父が帰ってきてからもしばらく談笑した。シールスの親父はイイ奴だ。大男ムムゥと違って、警戒心も威圧感も覚えさせない。紳士的で柔らかい男だった。農家よりもカフェのマスターをやっている方が似合いそうな。
やがて遊び疲れたのだろう。リリムくんが寝てしまったのを頃合いに俺達は辞去した。
帰り道すがらにバリンじいさんの所に寄って肉を受け取とり、他の食料や必要品を買い込んで、夜はパーティーだ。名目は何にしよう。
……そうだな。思い付いた。
正確な日付なんてもう覚えてない。カレンダーがあるわけでもなし。季節もズレてしまっている。でも、今日でいいだろう。今日みたいな、普通の一日が良い。
今夜はフェトラスの誕生日だ。
俺はそう決めたのだった。
……念のため、守衛の方々にザークレーへの伝言を頼んでおいた。
「今夜はフェトラスのお誕生日会をサプライズで仕掛けるから、よろしくな」と。
義理堅いヤツの事だ。きっと甘いお菓子の一つでも買ってきてくれるだろう。
家に帰ったらフェトラスはまず、シリックの状況を確認した。
色んな意味で「頼むから無事でいてくれ」と願いつつ、結果は今朝と同じのようだった。
「困ってるが薄くなって、悩んでる、ってのが増えた感じ」
「うーん……本当に動向が知れんなぁ」
「わたしも、もうちょっと魔法の勉強頑張るね。今より精度の高いのを目指す」
「おう。頑張ってくれ。まぁクラティナっていう英雄とどっちが早いか競争だな」
「負けないもん。いざとなったら、全力だもん」
「……ほどほどにな」
「ほどほどの全力って、矛盾してない?」
お前の全力は世界を滅ぼしかねないんだよ。
もちろん言えなかった。
農作業を終え、調理をし、ザークレーが帰ってきた。
ヤツは俺と目が合うと、妙に気合いの入った顔で頷いてきた。
「ザークレーさんお帰り~」
「――――ただいまフェトラス」
彼を見ると、少し服装が汚れていた。
「何かあったのか?」
「――――モンスターの動きが妙でな。そこそこ強いのが紛れ込んできたのだが、脇目もふらずに隣の山を目指していったよ。途中で人が遭遇すると危ないので追跡したりしていた」
「強いモンスター、か」
「――――この村の人間が出会うにしては、というレベルでしかないがな」
そう言いながらザークレーは荷物を部屋の隅に置いた。なるほど。自室ではなくそこに置くということは、その袋の中にプレゼントがあるんだな。
「お父さん、ご飯できた? 運ぶの手伝うよ!」
「あー。今日はいい。テーブルに座ってろフェトラス」
「え。なんで? お手伝いするよ?」
「いいんだ。ここに座れ」
俺はテーブルの近くにある椅子を引いて、彼女を促した。
「いつもと違うお席?」
「そうだ。ここに座って待ってろ」
「はーい」
いわゆる一つのお誕生日席に彼女を座らせて、それから俺は黙々と給仕を務めた。台所で盛り付けを済ませ、それを一つずつ運んでいく。
「わぁ! サラダに鳥肉が乗ってる!」
「えっ、なにこの野菜炒め? 色がすごく綺麗!」
「お肉だぁぁぁぁ! ブ厚い! すごく大きい!」
「スープまで具だくさんだ!? 何が起きたの!?」
テーブルに料理を並べる度に、フェトラスが大声を放つ。
なんだか嬉しくなってしまい、俺はニヤニヤとしながら告げた。
「食後にはデザートもあるぞ」
「なんで!? 今日はなんの日!?」
着替えを済ませたザークレーも席に着く。
俺はいつもよりもランプの灯りを増やして、コホンと咳払いをした。
「えっとだな。まず謝る。すまん。正確な日付は分からないんだ」
「なんの日付?」
「人間には、産まれた日を祝う習慣がある。お誕生日、というやつだ」
「ふむふむ」
「俺とフェトラスが出会ってどれくらいの時間が経ったのか。正確な日時は正直もう分からん」
「あ……」
「ちょっとばかり早い気もするが……でも、ま、そろそろ一年ぐらい経ったんじゃないか?」
ぽん、と彼女の頭に手を置いて、なでくり回す。
「だから今日をお前の誕生日にすることにした」
「!!」
「お誕生日おめでとうフェトラス。この料理は俺からのプレゼントだ」
想像したパターンは二つ。
『わーい! ありがとう! いただきます!』 と言って料理に飛びつくか。
あるいは照れて『えへへ、ありがとうお父さん!』と笑顔を浮かべるか。
現実は違った。
フェトラスは俺を見つめながらポロポロと泣き出したのだ。
「お、おう。どうした」
「……なっ、なんっ、か。胸が、ギュー、って」
よろよろと立ち上がった彼女は、ふらふらと俺の胸に飛び込んでくる。
彼女は力強く俺を抱きしめて、肩をふるわせ続けた。涙が止まる気配はない。
どうしよう。
こんなつもりじゃなかったのに。
動揺のあまり視線でザークレーに助けを求めると、彼は慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、軽く頷いた。まるで「お前しか出来ないことがあるだろう」と言わんばかりに。
俺は跪いて、フェトラスに視線を合わせた。袖で何度も涙をぬぐう彼女だったが、口元が笑っている。
嬉しそうに、喜びの涙は流星雨のように止まらない。
それを見た時、ああ、なんでだろうな、俺は自分の子供時代を思い出した。
俺の知っている現実と、フェトラスが生きている現実。
あんなクソみたいな所から、こんな綺麗なものが産まれるだなんて。
唐突にそれは来た。
んぐっ、と変な音が出たかと思うと、俺の涙腺は決壊していた。
ボタボタと、フェトラスとは違う意味の、だけど同じ様に温かい涙があふれ出る。
「ありがとうフェトラス。次の一年もよろしくな。……お誕生日おめでとう」
フェトラスが返した「ありがとう」の言葉は、もうろくに聞き取れるレベルではなかったけど、俺はしっかりと彼女を抱きしめて、ありったけの感謝と愛を伝えた。
「湿っぽいのは終わりだ! 飯が冷める! さぁ野郎ども、食うぞぉぉぉぉ!」
「おおおおお!!!!」
「――――おー」
食事は大好評だった。
たぶん、それは俺の料理の腕とか、食材の質とか、いつもより多い量とかではなく。
空腹以外の調味料が、十分に効いていたからだろう。
「――――さて、私からもプレゼントがある」
「プレゼント?」
「――――誕生日には贈り物をするものなんだ。さぁ、受け取ってくれ」
「わー! いいの!? ありがとうー!」
フェトラスは包みを受け取って、いそいそと開け始めた。
(細長い……あのサイズだと、焼き菓子かな……あるいはベーコンの燻製?)
そんな事を考えていたのだが、出てきたのは凄まじく立派なペンだった。
「な、な、な、なにコレー!?」
「――――フェトラスは絵を描いたりするのが好きなのだろう? それで存分に描くといい。インクもペン先も大量に買ってきたから、相当長く使えるはずだ」
のぞき込んでペンをよく観察する。
俺は血の気が引いた。
「い、いやいやいやいや。お前、これめっちゃ高かったろ!?」
たぶんこの村で手に入るペンとしては最高級品の一つだろう。
少なくとも子供に与えるようなものではない。
「――――急に聞かされたからな。慌てて買いに行った」
「お、俺が言うのも何だが……焼き菓子とかで良かったのに……」
「――――フェトラスが喜ぶ物は何か、と考えた時に、まず食べ物を思い付いた。だがありきたりすぎるだろう? サプライズと聞いていたし、何か意外性がありつつ、きっと喜ぶであろう物を考えた」
ガチすぎる。
こんなペン、普通は就職祝いで裕福な者が息子に買い与えるレベルだ。
「た、試し書きしていいかな!?」
「――――もちろんだとも。そのペンはお前のものだ。好きに使うといい」
「ツッ! めっちゃ大切にするね! ありがとうザークレーさん!!」
「――――!」
その笑顔は、本当に心からのもので。
ザークレーは胃ではなく、胸に手を当てて「――――ああ」と頷いた。
このヤロー。俺の料理がかすむじゃねぇか。と半笑いを浮かべつつ、フェトラスが喜んでいる姿が見られて、俺はとても幸せだった。
あと、もう一つ。なんか奇妙な確信を覚えた。いや、違うかもしれないけど、なんかソレっぽいし。まぁ絶対にあり得ないし、俺の勘違いだとは思うけど。それでも。
ありがとうザークレー。
でもお前に娘はやらん。
同時刻。
カフィオ村の外れに、十三の影が浮かんだ。
「魔王……様……! 今すぐに参ります!!」
「いや、待て! ここは……人間の里だと!?」
「どういうことだ……だが、魔王様の気配は確かにこの辺りから……」
「まさか、人間共に閉じ込められているのか!?」
「馬鹿な!? 魔王様が、人間如きに!?」
「だがこの里に戦場たる気配は無い……」
「そうだナ……分からん。これは、どういうことだ?」
「うむ……もし魔王様が囚われれているのなら、我らでお助けせねばならんだろう」
「だったら、こんなズタボロな感じじゃダメだよな」
「しかし急いだ方が……」
「慌てる獣は罠にはまるという言葉もある。まず手近な人間を襲い、英気を養おうぞ」
「そう、だな。まずは回復と様子見だ」
十二の視線が、一つの影に降り注いだ。
それはかつて村八分に近い状態に陥れられた者。
偉大なる兄に比べると、実力が劣る者。
さりとて、敗残兵の中では最強の男。
アリセウスはこう言った。
「次は失敗しない。まずはここの人間共を皆殺しにしよう」
夜は更ける。
ある家族は幸せな時間を過ごし。
ある家族はいつも通りに過ごし。
ある家族は、魔族に喰われたのであった。