4-6 嘘だらけの旅と、再会
「ダメね。何しても起きやしない」
戻って来た演算の魔王は、口元にべったりついた血を精霊服でふきながら帰ってきた。
どうやら本当に食事を済ませてきたらしい。
ぽい、と無造作にミトナスを投げ捨てて私の方によこした。
「まぁ情報源は他にもあるようだし、寝ぼすけは捨て置きましょう。……で、話しはまとまった? ロイルはいまどこ?」
血塗れの視線。何度恐怖にさらされても、一向に慣れることはない。私は震える身体を鎮めるために、キュッと自分の体を縮こませた。そして見かねたようにイリルディッヒが声を発する。
《聞くところによると、この者はロイルと別れて相当な日数が経っているようだ》
「は。何ソレ?」
食事の、戦闘の昂ぶりの名残か。演算の魔王の空気が醜く歪む。
「じゃあどこにいるか知らないの?」
《行き先は不明瞭だが、進んだ方向は分かるらしい》
「…………へぇ。じゃあ、まずは別れた地点とやらに行きましょう。そしてロイルの足取りを追うの」
冷静に、そんな結論を出して、演算の魔王は深呼吸と共にプレッシャーを収めた。
「シリック。貴方にも情報収集への協力をしてもらうわよ。ワタシ達が人里に行くとただ面倒なだけだから」
「…………」
「協力する理由が必要? そうね、あなたを殺さないでいてあげる。どう?」
「…………」
「なによ。喋れなくなったの?」
「……いえ。ただ、どうして魔王がロイルさんを追うのか、と」
「そんなこと、彼が大好きだからに決まってるじゃない!」
演算の魔王は突然目を輝かせてそう言った。
魔王が、人間への好意を謳っている。
「そうだ。そうだった! あなた、ロイルと会ったことあるのよね? 元気だった? 怪我とか病気とかしてない? ああっ、やだ、聞きたい! でも聞きたくない! なんて不思議な気持ちかしら! ぞくぞくしちゃう! ねぇ! ――――そういえばあなたはロイルとどういう関係?」
最後の質問に含まれていたのは、殺意寸前の激情。
意味は「お前は罪を犯したか?」だった。
ゾッとした。
なるほど。確かに、下手をうてば殺されるわね。
「……戦友です。共に魔王と戦いました」
「そうそう! ロイルがミトナスを使ったのよね! ん……そうか、なんか妙な流れかと思ったけど、色々納得。まず最初の担い手、つまりあなたがミトナスを使って、その魔王に負けた。そしてロイルが颯爽とその魔王をブッ殺したのね! キャー! 素敵! ……というか、ああ。そうか」
キャピキャピとしていた演算の魔王は、次の瞬間表情を激変させた。
「オマエのせいで、ロイルはワタシ以外を頼ることになったのね」
あ。死んだ。
だけど何らかの魔法が炸裂するよりも速く、イリルディッヒが叫んだ。
《演算の魔王! この者は生かしておけば、ロイルとの再会の日を早めてくれるぞ!》
「やだ、イリルディッヒったら。ワタシの扱いが上手くなったわね」
コロリと殺気を収めて、演算の魔王は嗤った。
「ま、いいか。そもそも、あなたのせいじゃなくて、正確にはミトナスのせいよね。うんうん。八つ当たりしてゴメンね?」
「い、いえ…………」
こわい。とてもこわい。涙が出た。
魔王テレザムの時の恐怖とは違う。今、私は殺戮の精霊から特別な殺意を向けられたのだ。無作為の殺戮ではなく、私個人を殺害するという、そんな刃の切っ先のような意思。
身体どころか魂がブルブルと怯える。命乞いをしたくなる。
けれども、覚悟を決めた私は、覚悟に殉じると誓ったのだ。
こぼれてしまった涙は仕方が無い。それをぬぐって、歯を食いしばる。
「き、協力するにあたり、いくつか聞きたいことがあります」
「へぇ。何かしら。ワタシがロイルを好きな千の理由とか?」
「……ロイルさんとはどういうご関係なのでしょうか?」
「どういう」
演算の魔王は眉をひそめた。
「考えたことなかったわね。ワタシとロイル。ロイルとワタシ。ただそれだけよ。これ以上に説明するのは無駄というか野暮というか……ふむ。でもまぁ、良い機会か。世界中の生き物に説明する際、まず分かりやすさというのは大事よね。この星を巨大な一つの岩だと認識するのは難しいのと同じこと。まずは大地という名を付ける必要があるみたいに、この関係性にも、バカでも分かるくらい明瞭な、別の表現方法を持っていたほうが良いわよね」
少し会話して分かったが、この演算の魔王の思考形態は独特だ。
話しているうちに、一人で疑問を抱き、解決策や結論を見いだし、終了する。
他者との会話よりも、自己との対話時間の方が圧倒的に長そうだった。
やがて彼女はポンと手を打ち、微笑んだ。
「ワタシとロイルはねぇ、空前絶後のパートナーよ」
......人間と魔王が、パートナー?
冗談キツ過ぎる。
しかしフェトラスちゃんの存在が、その冗談を冗談ではないと思わせる。
「…………ロイルさんとはどういういきさつでお知り合いになられたんですか?」
「ワタシとロイルの出会いは、爆炎の中だったわ。実はワタシ*************……あら?」
イリルディッヒ、カルン、そして私。全員が頭を押さえていた。突然、凄まじい痛みが襲ってきたからだ。
「みんなどうしたの? 頭蓋骨の中にネズミを入れられたような顔をして」
「いや、急に頭が……」
「なんですかコレ……」
《ぬぅ》
「へ? 大丈夫? 急に死なないでね? カルンは割とどうでもいいけど、イリルディッヒと貴方はまだ役に立ってもらわないと困るし」
そんな声に、カルンは情けない声を出した。
「私の扱いヒドっ」
「いやいや。カルン、酷いって言うけど、あなたのワタシに対する態度も大概よ? そもそも魔王に対してそこまでフラットに喋れるなんて、相当に異常事態なんだから」
「はぁ……まぁ色々と慣れたといいますか……」
「まぁワタシは別に配下とかいらないし、そういうの気にしないからどうでもいいんだけどね」
そう言って彼女は耳にかかった髪をさっと後方へ流した。そして全員の顔を見渡す。
「そんなことより、早く出発しましょう。シリックがロイルと別れたって場所を目指すのよ」
質問が打ち切られた。
ただ分かったことは、演算の魔王が本気でロイルさんを好いているという事だけだった。
なんなんだ。
ロイルさん。あなた一体、何者なんですか。
いったい何をどうしたら、魔王から好かれるんですか。
こうして、ろくに説明もないままに私達の旅は始まった。
最初に私が提示した「ロイルさんと別れた地点」は、もちろん嘘の場所。
絶対にロイルさんとフェトラスちゃんをこの演算の魔王、そして真意を隠しているであろうイリルディッヒに合わせるわけにはいかないからだ。だから嘘の場所を案内している。
この嘘は多分バレていないはずだ。「魔王に嘘をつける人間」なんて、彼らは想像も出来ないだろうから。
『時間稼ぎをしつつ、隙あらば演算の魔王を討つ』それが私の本心だった。
演算の魔王が食事に行く度に、私とカルン、そしてイリルディッヒは協議を重ねた。
即ち演算の魔王の抹殺についてである。
これに関しては、割と早々に話しがまとまった。
イリルディッヒにとって魔王討伐は当然の行い。
カルンは「フェトラス様以外はどうでもいいし、ロイルと再会した際にフェトラス様に迷惑がかかることは良しとしない」という理由で私達の案に乗った。
私にとっての戦力。つまり頼みの綱は魔槍ミトナス。
しかし、彼は沈黙を守ったままだった。
魔王を目視し、それを恐怖しながらも討たんとする勇気と覚悟はこの身にあるはずなのに。
こそこそとイリルディッヒとカルンが何やら話すこともあったようだが、別にそれは構わない。ここは敵地のど真ん中だ。そして全員の思惑がズレているのに行動を共にしている、不協和音のコンサート会場だ。下手に首を突っ込んでいたら、何が起きるか分からない。
《ボソボソ……英雄……ボソボソ……》
「やめてください……ゴニョゴニョ……」
どうせ私の実力はこのメンバーの中じゃアリに等しい。
だけど私にはまだ利用価値がある。だから殺されない。
そんな状況下なのだから、余計なことはしない方がいいだろう。ただ私は隙をうかがい続けた。
魔槍ミトナスに語り続けた。
せめてフェトラスちゃん達から離れられるように、嘘に嘘を重ねながら。
ミトナス。早く起きてよ。
一緒に戦おう?
誰しもが本音を隠しながら、旅は続く。
“演算の魔王”
ロイルに会える! ロイルに会える! いつになるか分からないけど、ロイルに会える! まさかワタシと同じくこの大陸にいるなんて! まさしく運命ね! どうせなら彼の胸元で発生したかったけど、是非も無し! どうせならもっとちゃんと成長して、彼を全力でアイせるようにならなくっちゃ!
でも中々追いつけないわねぇ。イリルディッヒを移動に使っているから、もっと早く会えると思ってたんだけど…………。
……まさかこの女、嘘ついてたりしないわよね?
嘘、虚偽、欺き、間違った方向への誘導。そうか。そういうこともあるのか。
やっぱりきちんと理解してもらった方がいいのかしら。
手足をもいで、達磨状態にしてみるとか? それだったら嘘つく余裕も無くなりそうだけど。
ああ、でもダメね。何故かは知らないけどミトナスがまだ起きてない。
あのガキにも話しがあるから、やっぱりまだ適合者には手を出さないでおくか。
なんなのよミトナス。早く起きなさいよ。機嫌が良い時だったら、ギリギリ殺さないでおいてあげるから。
“英雄カルン”
はぁ。早くフェトラス様に会いたい。会って謝りたい。
まさかロイルが生きているとは思ってもなかったし、今もなおフェトラス様が可憐でいらっしゃるということにはマジでビビったけど、そんな驚きは「フェトラス様のあの笑顔をまた見られる」という歓喜には勝てない。
シリックから色々と話しを聞きたいという気持ちはあるが、下手に演算の魔王に聞かれるとまずい。
何故なら、我々は演算の魔王に『フェトラス様のことを語っていない』からだ。
ロイルの近くに、別の魔王がいる。
そんなことを情熱的で熱狂的で狂気的な彼女に伝えたら、八つ当たりで殺される可能性が濃厚だ。そして何より、フェトラス様を害される可能性が高い。
初めて演算の魔王と邂逅した日のことを思い出す。そしてため息をまた繰り返す。
――――あんな狂気、刺激しない方がいい。
なので、私の目的は『フェトラス様の安全確保』である。
銀眼を目覚めさせた責任? 知るかそんなもん。私はフェトラス様にお肉と果物を用意してそれを召し上がる様をニコニコと見守る係になりたいのだ。うわぁ、なにその係。超楽しそう。絶対なる。
フェトラス様の居場所を確認出来ると同時にこのメンバーから離脱するつもりだ。そして即座にフェトラス様に事情を伝えて……うーん。あの御方の実力ならば問題なく演算の魔王も倒せるだろうが、戦ってほしくはないしなぁ……やっぱり逃げるかぁ……。
私がこのメンバーに同行している理由はただ一つ。これが最速でフェトラス様と再会出来る道だからだ。どうにもその方法は二転三転してしまっているのだけれども。
最初は、イリルディッヒがフェトラス様の波動とやらを追った。だけど結局たどり着いた先は演算の魔王という別の魔王だった。
次に演算の魔王が魔槍ミトナスを追った。その傍らにはロイルが、即ちフェトラス様がいるという話しだった。
だけど魔槍ミトナスのそばにはフェトラス様ではなく、別の人間がいた。この人間がフェトラス様の元へと案内してくれるそうだが……まだまだ時間がかかりそうだ。
(手がかりを追えば追うほど、遠ざかっているような気がするけど……一人で探すよりは確実に早いだろうな)
イリルディッヒはフェトラス様を殺そうとしているようだが、そうはさせるか。どうせ彼はフェトラス様を追えない。逃げてしまえばこっちのものよ。
魔力だか波動だかを検知とかいいながら、結局たどり着いたのが演算の魔王なのだから大したことはないだろう。
シリックは魔槍ミトナスを有していて、私は(シリックには内緒にしているが)聖拳ゼスパを有している。イリルディッヒも強い。
だからもしも魔槍ミトナスが使えるようになったら、演算の魔王は割と簡単に討てるだろう。
というかそれが一番いい。
だからミトナスとやら。事情は知りませんが、早く起きてください。
一緒に戦いましょう。いえ、本音を言うと私は魔王となんて戦いたくはないのですが。
“魔獣イリルディッヒ”
我は現在の状況に対して、複雑な想いを抱いている。
状況が混沌としているのだ。
それぞれの思惑が異なりすぎていて、四六時中何らかの嘘をつき、そして嘘をつかれるこの状況は正直に言って面倒であった。
演算の魔王は「ロイルに会いたい」。ただそれだけだから、まだ分かりやすい。
カルンは「フェトラスに会いたい」。邪魔者は演算の魔王。そして我、イリルディッヒ。
シリックは「演算の魔王を討つ」つもりのようだった。だが魔槍ミトナスが起動しないのでそれが叶わないでいる。
そして我は、演算の魔王と、フェトラスを討つのみである。
フェトラスは素晴らしい方向に伸びているようだが、銀眼の魔王なのがいけない。何かの拍子で爆発されては目も当てられないからだ。
魔王を殺せる魔族がいた。
ならば、我が当初思い描いた「魔王を殺す魔王」も可能なのかもしれない。
だが諸刃の剣だ。そんなリスクを、この星に背負わせるわけにはいかない。
「魔王を殺す銀眼の魔王」
魅力的なワードではあるが、その銀眼はきっと魔王だけでなく全てを殺してしまうだろうから。
どれほどの距離が離れているかは知らないが、シリックの道案内を辿りつつ、我の移動速度があればおそらく十日以内には決戦となるだろう。
思う所は多々ある。
フェトラスの波動を追って、何故か演算の魔王という外れクジに当たったこと。
その魔王がロイルに執着を抱いているという、謎の行動理由を有していたこと。
その魔王に気付きを与えてしまい、聖遺物の検知、及び追跡という魔法を可能にしてしまったこと。
不穏な、そして不気味な運命力を感じる。我はどこで何を間違えたのだろうか。
そもそも何故、この演算の魔王からは「魔王フェトラスの波動」を感じるのだろうか。
そして何故、その魔王がロイルと縁を繋いでいるのだ――――。
演算の魔王は多くを語らない。ただ、ロイルへの渇望を語るのみだ。
気になる点は確かにある。だが、しょせん相手は魔王。いつかは殺すし、殺されるかもしれない。それだけの関係だ。結局のところ我の目的は謎の解明ではなく、世界の安定なのだから、余計な事に惑わされる必要はない。
演算の魔王の「フェトラスの追跡に役立つ」という点を利用していたが、やはり不気味に過ぎる。手が追えない存在になる前に始末するほうが安全なのは間違いないだろう。
しかして、それでも銀眼抹殺の方が優先される。
故に我は演算の魔王とはとりあえず敵対しなかった。
――――そして今となっては、演算の魔王と行動することにメリットはない。
演算の魔王が見つけられるのは魔槍ミトナスだけだった。つまりロイルを、ひいてはフェトラスを追うことは出来ないのだ。
だからさっさと演算の魔王は討つに限る。
我と、英雄カルンであれば始末は可能だろう。しかし、この不気味な魔王を討つためにはやはりもう一押し欲しい。
そしてその一押しの最有力候補。即ち魔槍ミトナス。
三体がかりで攻めれば、例え未知数であっても戦力差の彼我は埋まるはず。
だから早く、起きるがいいミトナスよ。
その本懐を果たせ。
全員の目的も、ついている嘘もバラバラ。
けれども、とある一点においては共通の想いを抱いていた。
魔槍ミトナスの起動。
しかして彼の思惑を知れるものは、まだ誰もいない。
こうして彼らは旅を続けた。
どんどんフェトラス達から離れていった。
新たな人里に着く度に演算の魔王は「ここにロイルがいるのね!」と喜び、いないと知った時は落ち込んだり、八つ当たりでシリックを殺そうとしたりした。
その旅路はそこそこに長く、三種の「魔」と行動するなどという異常事態はシリックにとってストレスで発狂しそうな日々だったが、今回は詳細を割愛しよう。
何はともあれ、ロイルに会えるかと思いきや会えなかった、それを四度繰り返した時、演算の魔王はこう決めた。
彼女の我慢は限界だったのだ。
「次の人里にはワタシも同行します」
それを聞いたシリックは慌てふためいた。
「なっ……危ないですよ」
「は? ワタシが? それとも、周囲の人間が?」
愚問ね、という演算の魔王の態度を何とか無視しつつ、シリックは「人里が戦火に包まれたら、ロイルさんの行き先を知る人が死ぬかもしれない」と苦しい言い訳をした。
もちろん、そんな言い訳は演算の魔王に通じなかった。
「ロイル以外は別にどうでもいいのよ。というかシリック、あなたの聞き方が手ぬるいのではなくて? 持って帰る情報はいつもあやふや。ロイルの移動手段も日取りも確認が甘いのよ。次からはワタシが尋問するわ。もう貴方には任せられない」
「…………」
「実はそろそろ貴方を信じ切れなくなっているのよね。貴方もしかして――――嘘をついていない?」
「私は死にたくないので、嘘なぞつきません!」
「……ふぅん。ま、いいか。とにかく次の人里にはワタシも行くから。もう決めたから」
「ですが魔王が人里に現れるとなると、相当な混乱が……」
「顔を隠して歩くわよ。精霊服だけだとバレるかもしれないから、まずは都合のいい服を用意してちょうだい。いいわね?」
「…………はい」
シリックは苦しそうに返事をした。
そして、次の人里。
シリックはいっそこの大陸から離れてやろうと画策し、小さな漁村を目指していた。けれどもその小賢しさは、今となってはシリックを悩ませる悪手でしかなかった。
演算の魔王のための服を用意しつつ、どうやって誤魔化そう、どんな嘘をつこう、絶対に魔王だとバレないようにしなければ、とハラハラしながらシリックは彼女を人里に降ろした。
漁村は小さいながらも賑わっていた。
人々は笑顔で、気さくに相手を罵りながら値引き交渉をしていたり、食材を運びながら片手で子供と手を繋ぐ母親が鼻歌を歌っていたりした。
「へぇ。ここが人間の住む場所なのね」
「……興味がありますか?」
「うん。こんな風に町を歩くのは初めて」
意外と素直に答えた演算の魔王は、キョロキョロとしながら町通りを進んだ。
シリックはその様子からフェトラスのことを思い出す。
「……ご希望なら、食事も取れますが」
「人間の食事? うーん。別にいいかな」
おや、とシリックは思った。演算の魔王は食欲旺盛であり、しょっちゅう狩りに出ていたからだ。ならばフェトラスと同様に食には興味を示すと思ったのだが。
「焼いた魚などは美味ですよ。ステーキとかもあります」
「別にいいってば。お腹が空いてるなら貴方だけで行ってきなさい。ワタシはロイルの情報を集めるわ」
声色は落ち着いている。だが、彼女はロイル以外には何の執着も抱いていないということを改めて暗に示した。
「こういう時は船着き場に行くものよね。もしロイルが別の大陸に渡っていたとなると、少し骨が折れる。もし彼が船に乗っていたとしたら、確実に次の行き先を調べ上げないと……」
ブツブツと呟きながら演算の魔王は進む。シリックは置いて行かれてはたまらないと歩調を速めながら、内心で焦った。
(ここでロイルさんの情報が得られることはない……どうする、どうやってごまかす? ここで足取りが途絶えたと分かったとき、演算の魔王はどんな行動を取る?)
大惨事しか想像できなかった。
シリックは近くに王国騎士や英雄がいないか期待し、裏切られ、最後には片手に収まる魔槍ミトナスに祈った。
(お願いミトナス、起きて……! 私の人生をあげる。だからお願い、この演算の魔王を……殺戮の精霊を止めて!)
祈りは虚しく届かない。
可愛い色合いをしたローブを身に纏った演算の魔王が、漁港を目にする。
「あった。よし、さっそく聞き込みをするわよ。まずはシリック、貴方が色んな人に尋ねてちょうだい。ワタシはそれを後ろから見ている。……いいわね? 後ろから見ているからね?」
シリックは舌打ちをしたい気持ちを抑えて「はい」と返事をした。
どうする。どうなる。
どうすればこの演算の魔王が怒らないようにすればいいのだ。
漁港にたどり着いて、シリックは慎重に質問を重ねた。
『数日前にこの村を訪れた、ロイルという男性を知っていますか?』
『ウチは近隣で漁をしてるだけだから、旅人は乗らないよ』
概ねこの返答が帰って来る。
それを四度繰り返すと、演算の魔王が注文を付けた。
「旅人が乗るような船、っていうのはどれかしら」
「恐らくは今、この村には停泊していないんでしょうね。時間がかかるかと」
「船に乗るには予約や、なにかチケットを購入しないといけないんじゃないかしら。そういうサービスを取り扱う店に行きましょう。乗員名簿が残ってるかもしれない」
シリックは驚愕し、目を見開いた。
なんだこの魔王は。
初めて人里に降りたくせに、なぜそこまで人間社会の仕組みに精通しているのだ。
そんな驚きすら察したのか、演算の魔王は事も無く口にする。
「この程度、考えれば分かるでしょう?」
恐ろしさとは別の、畏怖のような感情がシリックを包んだ。
この魔王は、色々とイレギュラー過ぎる。ただ爆発する火薬玉なら対処のしようもあるけれど、この魔王は違う。今はロイルさん全精力を傾けているようだが、これが殺戮のみを目指す精霊になってしまえば……。
きっと、それは人間という種族に対しての、大いなる脅威となるだろう。
シリックは改めて覚悟を決め、そして改めて「どうしよう」と途方にくれた。
だけど次の瞬間、シリックの思案は凍り付く。
「ああ!? ねーちゃんじゃねーか! なんでこんなトコにいるんだ!?」
大きな声。
シリックが思わず振り返ると、そこには山賊がいた。
知らない男だった。しかしその山賊はズカズカとシリックの方を目指し歩いて来る。
「おいおい、ビックリだな。セリアで降ろしたと思ったのに、なんでここに? どんなルート辿ったらこの村にたどり着くってんだよ。ああ?」
セリア。それはシリックが住んでいたユシラ領で、最も近い漁港。
(え、やだ、嘘。ちょっと待って。うそ)
「なんだよその他人行儀な態度! 冷てーな、ドラガだよ! ほら、フェトラスとロイルを乗せて――――」
「ロイル?」
その名を耳にした瞬間、演算の魔王は前に出た。
「あ? 誰だこのチビッ子は。ん? ロイルはどこにいんだ?」
「貴方、ロイルの事を知っているの?」
「おう? あったりめぇーだ。何だ。こいつぁシリックのガキか?」
そう尋ねられたシリックだったが、彼女は停止していた。
(セリア。私の実家があるユシラ領から近い漁港。ロイルさんとフェトラスちゃんの事を、そして私の名前を知っている。何てことなの。この山賊さんは、魔槍ミトナスと会ったことがある人――――!)
停止したシリックなぞお構いなしに、演算の魔王は震える声でドラガ船長に語り続ける。
「ねぇ、ロイルは、ロイルはいまどこにいるの? どこに行ったかご存じでないかしら? お願い。お願いします、教えてください!」
「お、おう? えらい必死だな……ええと、ロイルか。ロイルならセリアで降ろしたあと……何だったかな。俺の知ってる船に乗ったらしいんだよな。柄にもなく、あいつらの事が気になったから聞き込みなんてしちまって」
「どこっ! いま、ロイルはどこなの!」
「おおおっ!? なんだこのガキ。おい、落ち着けって! シリック、何なんだよ。お前からも落ち着くよう言ってやってくれよ」
「――――えっ、あ、その」
急に話しかけられたシリックだったが、彼女はドラガ船長のことを一切覚えていない。当然上手く返事も出来ずに、彼女は右往左往するだけだった。
それを見たドラガ船長は「やれやれ」と頭をかき、腰を落として演算の魔王と視線を合わせた。
「ロイルは~ええっと……なんて名前のトコだったかな。えらいへんぴな所を目指してたんだよな。えーと……ああ! そうだ、確か」
そしてドラガ船長はとある地域の名前を指し示した。
「そこね。そこにロイルがいるのね」
「いやそこは中継地点だろう。おそらくまた別の船に乗って、別の場所に行っているはずだ。そこから先は知らんな。というか、シリックが知ってるんじゃねーのか? お前、ロイル達と一緒にいたじゃねぇーか」
「あ、いや、その……実は私、記憶喪失になってしまって……」
「記憶喪失ぅ!? なんだそりゃ。そんな事って本当にあるのか」
「すいません、ですから正直に言うと……貴方の事も……覚えてなくて……」
「ま、マジかよ。通りで対応が寂しー感じだとは思ったぜ……」
「ねぇねぇ」
演算の魔王は、私とドラガ船長にこう尋ねた。
「ところで、フェトラスって誰?」
シリックは心の中で叫んだ。
(み、ミトナスぅぅぅぅ! 今! 今すぐ起きろ! ほら、魔王だ! 魔王がここにいる! 超絶ヤバい感じの、あなた好みのとんでもない脅威よ! 倒しなさいよ! ほら、私の人生あげるから倒しなさいよ! ダメならもう、せめてこの前の時みたいに鎧になりなさいよ! ミトナス! ミトナスってばぁぁぁぁぁぁぁ!!)
演算の魔王は口角を上げて、笑顔を作った。
「ねぇねぇ。フェトラスって、誰?」
透き通るように美しい、星空の瞳。
その眼だけは、嗤っていなかった。