4-5 カルンさん大フィーバーの巻
空を舞うこと数時間。
抵抗することにも疲れ、私は魔獣のかぎ爪の中でぐったりしていた。
ミトナスの鎧は強固なので、肉体的なダメージはあまり無かったけれど、恐怖と疲れで私は相当に消耗していた。
(ねぇ、ミトナス……何が起きているの……?)
魔槍は何も答えてくれない。機能が停止しているというか、気絶しているというか。
なので自分で考えるしかなかった。
あの少女は、魔王だ。
それを視認したから、魔槍ミトナスが励起した。
だが代償系聖遺物であるはずのミトナスは正しく機能しなかった。
人生を捧げることによって、初めて発動するはずの聖遺物。
初めて魔槍ミトナスを握ったあの日。私は彼に説明を受けて、それを了承し、自分の人生を捧げると契約したのだ。まさか魔王テレザムじゃなくてフェトラスちゃんに反応したとは思わなかったけど。
だが今回は、そもそも契約してない。
だったら何故発動したのだ?
分からない。
魔王の目的は何だ? ミトナスに話しが聞きたい?
魔族は分かる。だけど、なぜ魔獣と一緒に?
答えが出ないまま、ようやく魔獣が口を開いた。
《そろそろ追っ手も撒いただろう。降りるぞ》
ブワッ、と身体に受ける風の種類が変わる。
豪快な羽根音を響かせて、魔獣はゆっくりと地面に降り立った。
そっと解放された私。
だけど疲労感で立ち上がることは難しかった。
イモ虫のように地面に転がって、なんとか眩暈を押さえる。
《生きていてくれたか。良かった》
「どの口が言うんですか……」
《多少は気を遣ったぞ?》
なけなしの抵抗のつもりで、魔獣を睨む。
どうやらここは山の中腹らしい。広場のようになっていて、自然が豊富な一角だ。
そんな確認をした次の瞬間、私の身体を覆っていた鎧が散った。
「あっ……」
疲労感が三倍増し。突然襲ってきたそれに、私はうめき声を上げた。手の平からミトナスが零れ、地面に転がっていく。そのままうなだれていると、上から声がした。
「カルン。降りるから手伝って」
「はいはい……」
「よいっしょっと。あれ? ミトナスの発動が解けてる?」
その声は、よく聞けば可愛らしい声だった。
なんとか顔を上げると、少女の魔王がこちらをじっと見つめていた。
「……こんにちは。貴方のお名前は?」
「…………シリック。シリック・ヴォールです」
「うわ。本当にミトナスから解放されてる。何故かしら。もしかして壊れた? 何の力も感じられない……でも壊れるような事してないわよね?」
私の名前を尋ねた魔王。けれども彼女は私のことなんてこれっぽっちも気にしてはいないようだった。少女は視線を頭上にあげ、魔獣に問いかける。
「無茶苦茶な力で握りつぶした、とかじゃないわよね?」
《であるのならば、その人間が生きているわけがなかろう》
「そりゃそうだ。では何故ミトナスは沈黙しているのかしら。力尽きた? いやいや、そんな子じゃない。......ああ、もしかしたら耐久力の限界だったのかもしれないわね。防御に力を割きすぎると、発動条件に矛盾が生じて……いえ、でもそれだとそもそも本懐を果たせない。聖遺物が停止するような極限状態で、ただの人間が生き延びるわけがないじゃない。────担い手を見捨てての自己保存、とか? それもありえないか。単独で敵前に残された聖遺物なんて、その辺の虫よりも無害。では何故? よし、答えは出ないわね」
流暢に「疑問とそれに対する見解の言葉」を立て並べた後に、彼女は仮説を生み出した。
「叩いたら起きないかしら?」
彼女は転がっているミトナスを拾い上げ、まじまじと検分した。
コンコンと叩いてみたり。
ドンドンと石突きを地面に突き刺してみたり。
挙げ句の果てには、こうなった。
「雷の子なんだから、エネルギーを与えれば起きるかしら? ん……【充雷】」
バヂィッ! と、暗黒色をした稲妻がほとばしり、魔槍ミトナスを震わせた。
中々に衝撃的な光景だ。もしかしたら破壊されたかもしれない。私は反射的に「ミトナス……!」と彼の名を叫んだけど、返ってきたのはブツブツとした独り言だった。
「ダメか。うーん。今のこの子の発動条件って何なのかしら……聞きたいことがあるから早急に起きてほしいんだけどなぁ。――――あ。まさかそれを狙って? 起きたら殺されるとか思ってるのかしら? やだわ。ワタシを何だと思ってるのよ。正解だけど」
よく喋る魔王だ。
いや、ちょっと違うか? ……テンションが高い、のか?
彼女は不敵に笑って、今度こそ私を見つめた。
「やぁやぁ。ごめんなさいね、乱暴な手段を取ってしまって。えーと、シリック、だったわよね」
「あなたは……一体……」
「ワタシ? ワタシは演算の魔王。よろしくね?」
それは名前ではなく、呼び名だった。
「ちょっと聞きたいことがあるのだけど。あなたはロイルを知っている?」
「!」
意外な名前が出て、身体が反応した。
その反応を、魔王は見逃さなかった。
「しっているのね!」
それはとても不思議な瞳の色だった。
まるで夜空だ、と私は思う。
黒を基調に、星が瞬くような色が差し込まれた。
「ロイルはどこ? こたえろ。すぐに。いますぐに」
そしてゆっくりと夜空に飲み込まれる。
今から私は、拷問される。
そんな確信を私は抱いた。
《落ち着くがいい、演算の魔王よ》
「邪魔するなら殺すわよイリルディッヒ」
《その前に、そこの人間が発狂するぞ。あるいは心臓が止まってしまう。大切な情報源を失うのは本意ではあるまい》
「ツッ! ああ、ごめんごめん! そうね、人間って脆いものね。驚かせてごめんなさい人間。イリルディッヒもありがとう。ナイスアシストよ」
《それは何よりだ。……お前はしばらく、あちらで深呼吸でもしておけ。我とカルンで話しを聞いておく》
「何秒ぐらい? ワタシ、もうこれ以上我慢するの難しいんだけど」
《……やれやれ。カルン。お前の番だ。精一杯頭を回せ》
呼びかけられた魔族は、深々とため息をついた。すごく嫌そうに。
「演算の魔王サン……あのですね、魅力的な振る舞いというものには優雅さ、あるいは慎み深さが必要です。焦ってガツガツと食事を摂るのと、マナーに則った食事の仕方では味の感じ方も変わるというもの」
「話しが長い」
「今しっかり我慢すれば、ロイルサンと情熱的な再会が出来ます」
「合格」
演算の魔王はスッと私から視線を外し、ミトナスを持ったままふらふらと丘の向こうへと歩いていった。
「ミトナスが起きるかどうか実験するついでに、ご飯食べてくるわね。その間に話しをまとめておいてちょうだい」
「ごゆっくり」
緑色の魔族、カルンと呼ばれた彼はヒラヒラと手を振って演算の魔王を見送った。
「さて………………マジ、どうしたものですかねこれ……」
《我が思うに、まずはそこの人間を通常の状態に戻すべきだろう。気丈というか、存外腹は据わっているようだが、それにも限界があろう》
「ですよね」
まるで被害者のような顔をしてカルンは膝をつき、私の顔をのぞき込んだ。
「では世間話でもして落ち着きを取り戻してもらいましょうか……私の名前はカルンです。願わくば忘れてほしいのですが。えーと、シリック、で良かったですかね」
「ええ……」
「まず前提として、あなたは下手さえ打たなければたぶん殺されません。せっかくですので『生き延びる事を目指す』といいでしょう」
「……????」
なんか魔族が、人類の敵が変なこと言ってる。
「まぁそんな顔にもなりますよねぇ」
そして頭に浮かんだ疑問符を感じ取ったのか、カルンは苦笑いを浮かべた後に、祈りを捧げるような顔つきでこう言った。
「貴方は、ロイルのことを知っているご様子……ならば…………フェトラス様のことも、ご存じですか?」
「ツッ!? なぜ魔族があの子のことを……!?」
「ああああああ神様ありがとうぅぅぅぅぅ!!!!」
隠されていたカルンの胸の「ドキドキ」は速攻で決壊した。被害者面? 穏やかな喋り方? 親近感すら沸かせる魔族、という異常性? そんなものは全て消し飛ぶ。彼はずっとその質問がしたくてたまらなかったのだろう。
つまり、カルンはフェトラスちゃんのことを聞きたくて聞きたくてしょうがなかったのだ。
カルンは両膝を地面に突き、両腕を高くかかげた。
「マジかよ生きてるのかよヒャハァァァァァァ!」
「えっ、なに怖い怖い怖い! 何なのこの状況! 誰か説明して!」
「あの子! 貴方は今、フェトラス様の事を『あの子』と言った!! その表情には恐怖なぞなく、ただ驚きがあるのみ! 人間が! 魔王を! あの子と! 親愛の籠もった感じで!? つまり! つまり!! フェトラス様は未だに魔王ではなく花の如く可憐なフェトラス様であああああああ! 言葉も無いッッ!!」
ありがとー! と、魔族は再び片手を天に突き上げ、反対側の手でガッツポーズを取った。
「生きてて良かったー! 私が! 私が生きてて良かったー! っしゃーーー!! 生き延びてやったわぁぁぁぁ! そして生きてて! よかった! そもそもフェトラス様が死んだなぞとは毛ほども思った事がねぇぇぇぇぇ! うぇぇぇぇぇい!! マジでビビるわ! こんなことあるんだな!! 生きてるってサイコーー!!」
純粋な恐怖を私は感じた。死の気配とか未知とかそんなんじゃなく、なんというかコレは、噂に聞く「魔王崇拝者」の行動に酷似しているような。
「かみさま……! ありがとう……!!」
そう呟いて、カルンは涙をこぼした。
その様子を見た魔獣が、なんとも情けないため息をつく。
《やれやれ。どいつもこいつも熱狂的すぎて困る……》
私はボロボロの身体を引きずって、カルンから離れた。そして魔獣に助けを求める。
「なんなんですか、一体」
《……分かった。我が説明してやろう》
カルンは片腕を掲げたまま、ピクリとも動かなかった。
燃え尽きていた。
イリルディッヒは、満足に動けない今度は優しく私を掴み上げて、少し離れた所にあった柔らかい草の上に降ろしてくれた。
《さて話しをしよう。まずはこんな状況に陥ったことを同情する》
「……どうも」
《最初に聞いておこう。それはお前の立ち位置だ。お前とロイル、そしてフェトラスはどういう関係だ?》
「どう、と言われましても……」
《警戒する必要はない。あいつらはともかく、我はお前の味方だ》
人間の味方をする魔獣。
ワォ、このイリルディッヒもどうやら変な思考回路をお持ちらしい。
魔王、魔族、魔獣。この三魔は本当に異質だ。変だ。本当に自分が狂ってしまったんじゃないかと心配になる。そんな困惑が理由となり、私はイリルディッヒの言葉を受け入れることが出来なかった。
「味方? それを信じるに値する根拠が、私にはありません」
《当然だな。しかし先ほどのあいつらの狂乱を見たであろう。恐らく冷静に会話が出来るのは我ぐらいだぞ》
「うっ……」
《お前には本当に同情しているのだ。先ほどのカルンの言葉ではないが、お前が生き延びるための方法を、我と考えようではないか》
「なぜですか? どうして私を……その、助けようと? してくれるのですか」
《繰り返しになるが、同情だ。哀れだからだ。理不尽だからだ。見捨てるのは夢見が悪い》
魔獣が人間に同情? そんなことあり得ない。
私は初めて魔獣と出会ったが、こんな生き物との実力差なんて、推測するもの馬鹿馬鹿しいほどにかけ離れている。
「アリの行列を踏める子供は悪夢を見ない、という言葉をご存じですか?」
《人間の言い回しか? 初めて聞いたが……価値観と罪悪感に関する教訓であろうな》
私はまばたきをした。イリルディッヒの言っていることが、正解を通り越して真理だったからだ。
叡智。世界最強の生命体、魔獣。
私は彼のポテンシャルに慄きながらも口を開いた。
「その通りです。子供はアリを殺すことに罪の意識を持たない。だからソレを教える必要がある、ということわざです。転じて『人は本質的にアリに同情出来ない』という事でもあります。――――ですので、魔獣が人間に同情する、ということは中々に信じがたい」
《語ってくれおるわ。お前はアリに説教されたらどう感じる? ……まぁいい。だが本当に同情しておるのだ。それに強いて言うのならば、お前は聖遺物を有している。……魔王を殺す同胞として、思う所があって当然であろう?》
英雄とは呼ばれなかった。それが少し嬉しかった。
うっすらと笑いを浮かべると、イリルディッヒもまた微笑みを浮かべた。
《……ふっ、面白い。人間、お前の名は?》
「シリックです。シリック・ヴォール」
《そうか。よい気質を持っておる。お前は逃げることが嫌いなのだろうな》
やばい。流石は魔獣と言ったところか。思考速度と観察眼が人間とは段違いだ。
《ではなおさら、お前の前提を知っておきたい。ロイルとフェトラスとはどういう関係だ?》
「……ロイルさんは戦友です。そしてフェトラスちゃんは私の娘です」
そう告げると、イリルディッヒの表情が変わった。
ぽかーーん。って感じの表情。
《お、お前もか》
「?」
《何なのだ。フェトラスに集う者は、ことごとくが壊れておる。カルンの口癖を少し借りるが、マジですごいな》
からかうような口調。楽しそうな声色。だけど視線だけは笑っていなかった。
《……ロイルとフェトラスは元気か?》
「ええ。元気ですが……えっ、お二人とはお知り合いなんですか?」
《ああ。フェトラスがまだ赤ん坊の頃に一度会ったことがある》
「ええええ!? え、あの、こんなこと私が聞くのは変ですけど、魔獣が、幼体の魔王を見逃したんですか?」
いや待て、ロイルさんから聞いたことがある。
たしかフェトラスちゃんと出会った大陸で、魔獣に会ったとか……それがこのイリルディッヒ!?
私が驚愕を隠そうともせずにいると、イリルディッヒは口角を上げた。
《見逃したとも。――――どうだ? 我がお前の味方であるという言葉を少しは信じる気になったか?》
「あ、赤ん坊の時のフェトラスちゃんは可愛かったですか?」
《まず出た言葉がそれなのか……。まぁいい。とにかく我はフェトラスにそのような感情は抱いておらんよ。まぁ、ロイルにはよく懐いているようだったな》
「わぁ。見てみたかったなぁ……っていうか、どうして見逃したんですか?」
《正直に言うと、興味本位だな。人間に懐く魔王がどのような道を辿り、何者になるのかを知ってみたかった。実際のところ、今のフェトラスはどうだ?》
「素直で明るくて可愛くて、無邪気ですよ」
《念のため確認するが、我々はいま魔王について語っているのだが》
「言葉を足してもう一度言いましょう。殺戮の精霊である魔王フェトラスちゃんは、素直で明るくて可愛くて無邪気ですよ。――――未だに何者も殺さず、ロイルさんにとても懐いていて、彼のことをお父さんと呼んでいます」
《ル》
「る?」
《……ルールッルッル!》
爆笑だった。
《想定外だ! というよりも、可能性がゼロだった期待通り、と言うべきか? ロイルめ、やってくれおるわ!》
大きな身体をブルブルと震わせながら、魔獣イリルディッヒもまた、魔王と魔族のように狂乱の一面を見せつけた。
《素晴らしい。本当に、素晴らしい。確認するが今の言葉は真実だな?》
「ええ。あんまりにも可愛いから、私もフェトラスちゃんのお母さんになりたいぐらいです」
《嗚呼。なんということだ――――魔王フェトラス、か》
懐かしむような、穏やかな表情だった。
すとん、と私の身体が緊張感が抜ける。
だから魔獣イリルディッヒが真剣な眼差しを浮かべても、私の身体は硬直しなかった。
《次の確認だ。お前は、フェトラスの眼の色を知っているか?》
その言葉が指し示すのは銀眼。即ち、極上の魔王であることの証左。
「銀……なぜ貴方がそれを知っているのですか」
《凄まじいな。お前もまたフェトラスの銀眼のことを知っているのか。知っていてなお、母になりたいと言うのか……ふふっ、人間。お前の名をもう一度教えてくれ》
「シリックです。シリック・ヴォール。名前はさておき、どうしてあなたがフェトラスちゃんのソレを知っているのですか」
《カルンの話しは聞いていないのか? あそこで石像みたいになってるアイツは、かつてフェトラス達と共同生活をしていたそうだぞ》
「聞いたことあります! えっ、あの魔族があの魔族なんですか!?」
《そうだ。銀眼のことは、カルンから聞いた》
船旅の途中で、ロイルさんから聞いたことがある。無人大陸でのアレコレ。あまり語りたくない部分があったようで、詳細をぼやかされた感はあるが、確かに聞いたことがある。魔獣がいたと。魔族と出会ったと。そして別れたのだと。
なんということだ。まさかこんな所で、というか、こんな展開で話に聞く魔獣と魔族に出会うとは。それならばフェトラスちゃんの事を知っているのも当然か。
「すいません、一気に情報が増えて、ちょっと戸惑ってます」
《我もだよ……お前とはまだまだゆっくりと話してみたいところだが、あの演算の魔王が戻ってくると面倒だ。手短に打ち合わせをしておこう》
そしてイリルディッヒは簡単に状況を説明してくれた。
何故私が誘拐されたのか。
それは、演算の魔王が魔槍ミトナスを欲したからであった。
説明を受けたが、超常的すぎて全然理解出来なかった、というのが本音。
かいつまんで言うと、演算の魔王はロイルさんを探している。そしてその手がかりとして、魔槍ミトナスを探していた。
演算の魔王は追跡槍ミトナスを、逆に追跡したそうだ。うーん。意味が分からない。
そしてザファラにたどり着き、私ごと攫ったと。
そんな演算の魔王の究極的な目的はロイルさん。
ロイルさんに会ってどうする、というのは不明だが、とにかく彼女はロイルさんと会うために全ての情熱を注ぎ込んでいるらしい。その様子を《まるで恋人を追いかける故郷の幼馴染みのようだ》とイリルディッヒは語った。
カルンの目的はフェトラスちゃん。
ケンカ別れのようになってしまい、とても反省したらしい。
会って謝りたいそうだ。
そして魔獣イリルディッヒの目的は。
《我の目的は、銀眼の魔王の討伐である》
「それは……つまり……」
《その通りだ。我の当初の目的は、フェトラスの抹殺だった。たったいま事情が変わった》
「変わった?」
《フェトラスが魔王としてではなく、ロイルの娘として生きているのなら、それを邪魔する必要もあるまい。今ならむしろ、あの演算の魔王を討つべきであろう。ヤツは無用な争いを産みかねん》
正直、素直には信じられなかった。
魔獣。それは魔王すらも狩る生命体。
聖遺物を用いることなく、魔王と戦える生き物。
イリルディッヒほどの叡智の持ち主であるのなら、銀眼の魔王という脅威を捨て置くことは考えにくかった。
幼体の魔王を見逃すのとはワケが違う。銀眼の魔王は生き物だけでなく、環境すら殺戮するのだから。
故に、私は知った。
魔獣イリルディッヒは、私をまだ侮っている。
イリルディッヒは今、演算の魔王・カルン・そして私……この三者の思惑を知りつつ、自分の目的を、つまり銀眼討伐を遂行しようとするだろう。
きっと地獄絵図が展開される。
おそらく演算の魔王はロイルさんと接触する際、フェトラスちゃんとモメるだろう。なにせそれは『魔王同士の邂逅』なのだ。何が起きるかなんて想像も出来ないけれど、穏やかに話しが済むわけがない。
そして、下僕としてフェトラスちゃんを護ろうとするカルン。
戦うロイルさん。
そして、フェトラスちゃんを殺そうとするイリルディッヒ。
しっちゃかめっちゃかだ。まさに地獄絵図だ。
かろうじて状況を整理。
想像出来るのは『演算の魔王&イリルディッヒ』VS『フェトラス・ロイル・カルン』という構図。
そんな時、私の立ち位置は?
魔槍ミトナスを使って、演算の魔王を屠るのか?
……ならば、わざわざロイルさん達の所にたどり着かせるまでもないのでは?
私は自分の思惑を隠した。
イリルディッヒ──あなたにフェトラスちゃんは殺させない。
演算の魔王──なぜロイルさんを追い求めるのかはまだ分からないけれど、あの二人の親子の平穏を壊させるわけにはいかない。
カルン──は、まぁ……別にいいか……なんか単純にフェトラスちゃんの事が好きなだけみたいだし……。
しかし相手は魔族。共闘が出来るとも考えられにくい。
フェトラスちゃんの事が好きでも、ロイルさんのことは、人間のことをどう思っているかなんて伺い知れない。
ならば?
不意にクラティナさんの言葉を思い出した。
『――――必ず殺してやるから、生き残れ!』
…………。
……………………。
はっはっは。
あっはっはっはっは。
その前に私がやってやりますよ。
こうして、イモ虫のように転がっていたシリックは覚悟を決めた。
魔王を殺して英雄になろう、なんて発想は欠片もなかった。
ただ彼女の胸にあったのは、フェトラスの安寧を脅かす者の、徹底排除だけであった。