4-4 三魔襲来
クラティナと会話した翌日。
目が覚めた後、いつものようにひっそりと槍の練習をしていると、違和感に気づいた。
「……?」
それはただの違和感でしかなかった。
ただ、何かが変だ、という感覚。
なんだろう。そう思って素直に感覚を研ぎ澄ませる。
人の動き? 誰かの視線? ……焦燥? 隠匿された危機感ではなく、何か状況が進展したかのような緊張感。それが僅かだけど伝播しているような。
やがて耳を澄ませるまでもなく、通りの良い声が聞こえてきた。
「ファーランドはまだ見つからないのか」
「……はい」
「本当にどうしようもないなアイツは」
ため息を吐きながら、物陰の角を曲がってくる三名の男達。
そんな彼らは、家屋の裏でこそこそと練習していた私を見て一瞬硬直した。
二人の王国騎士。そしてその真ん中を歩いている英雄が一人。
初対面だし、名前すら知らない。ただ、私は彼が身につけている「聖弓」に目が行った。
現在、このザファラで弓の聖遺物を持つ者は一人だけのはず。私は「弓の聖遺物が欲しいなぁ」なんて事を考えていて、その情報だけは押さえていた。
たしか強くて有名な英雄だったような気がする。ぴったりとしたオールバックが特徴的だ。そんな彼が口を開く。
「……ああ。ザークレーの代わり、だったかな」
「は、はい」
「こんな所で何をしているんだい?」
「槍の練習をしていました」
「たった一人で? 鍛錬ならその辺に都合の良いヤツがゴロゴロしてそうなものだが」
「相手の都合はよろしくないでしょうから。特に、私のような未熟者を相手にするには」
「フッ。謙虚だと褒めるべきか、あるいはそんな未熟者は戦場に来るなと怒るべきなのか」
英雄は静かに笑った。そこには、侮蔑や嘲笑は含まれていない。
(見た目もしゃべり方も、爽やかな人だなぁ)
私はそんな場違いな感想を抱いた。
「まぁ丁度良い。あのザークレーの代打だ。自称・未熟者とて何かあるのだろう。そんなキミに一つ聞きたいことがある」
「なんでしょうか」
「確かその聖遺物、魔槍ミトナスだったか。魔王を目視しないと発動出来ないらしいが、事実かね?」
思い返す。確か私はあの最果ての地でこの魔槍ミトナスと出会い、意思疎通を試みて……魔王テレザムの事を想い、そして、そこには魔王フェトラスがいた。ならばきっと「魔王を目視しないといけない」というのは、ある程度の事実なのだろう。
そんな複雑な内心は口に出さず。私はただこくりと頷いた。
「そうか。報告書には目を通したが……なるほど、確かに追跡槍だな。対象を認識しなければ発動しない……発動への条件。自己解除不可能。そして代償系。なるほど、その聖遺物はさぞ強いのだろうね」
興味深そうに彼は呟いたが、その感嘆は私の胸に突き刺さる。
「……魔槍ミトナスは強いのでしょうけど、私が弱いので話になりません」
「では未来のキミに期待するとしよう」
そよ風のようにそっと微笑んで、英雄達は再び歩みを進めはじめた。どこを目指しているのだろう。
「すいません、何かあったんですか?」
「ああ。少し動きがあった。これから慌ただしくなるから、多少の心構えはしておきたまえ」
それはつまり。
「魔王が見つかったんですか」
「……ふむ」
英雄は立ち止まり、少し考えるような仕草を見せた。
「大丈夫だよ。キミが戦うことは無いはずだ」
それは爽やかで嫌味の無い、優しい言葉だったけれども、意味は「すっこんでろ」だった。
結局、その言葉は事実だった。
一日と経たずに情報が駆け巡る。
曰く、ザファラの魔王……個体名リーンガルドは、倒されたらしい。
討ったのは聖拳使いのファーランド。
強く、強引で、強欲で、豪快な英雄だったらしい。過去形だ。ファーランド氏は魔王リーンガルドと相打ちになったとか。
「……終わった?」
何ともあっけないことだ。
幾多の英雄が集められて、結局はたった一人の英雄がこのザファラの問題を解決してしまった。
だが、そこには新たな問題もあった。
第一に、聖遺物ゼスパがロストしたこと。
第二に、本当に魔王リーンガルドが倒されたかどうか、その絶対の確証が無いこと。
聖遺物のロストは王国騎士団、ひいては人類にとって相当の痛手だ。それが有用な聖遺物ならば殊更。
ファーランド氏も、性質的にはアレだったが、実績のある英雄だったため彼の死は悼まれた。
そして魔王リーンガルド。
魔王軍勢は瓦解。残党も散り散りに逃げ出してしまったらしく、それも順次王国騎士団が討伐に当たっている。魔王リーンガルドが生存している可能性は(状況証拠を鑑みるに)限りなく低いが、もしも生き残っていた場合が恐ろしい。
手負い状態の、強大な魔王。
なので、複数名の英雄がザファラに残ることになった。聖遺物ゼスパと、魔王リーンガルドの捜索だ。
それはきっと恐らく不毛な事なんだろう。
というか後者の任務に関しては不毛であってほしい。
災厄の芽なぞ、残してはいけないのだから。
そしてようやく、私はザファラにて居場所を得た。
魔槍ミトナス。それの交換に挑むことがようやく許されたのだ。
「ちゅーわけでぇ、お手伝いさせていただきますクラティナです。改めてよろしゅうな?」
「……く、クラティナさんがわざわざ手伝ってくださるんですか?」
初めて会ってから数日。私は彼女がいかなる英雄なのかを知った。
彼女はもしかしてこの辺で最強なんじゃ? と思うくらい、壮絶なる凄腕だった。経歴がエゲつないのだ。名前持ちの魔王を何体も屠っているらしい。
そんな大英雄はシニカルに微笑んだ。
「うん。面倒臭いから、手伝ってあげる」
……ん? いま、何か聞き間違えたかな?
だけど確認を取るまでも無い。クラティナという有名人が手伝ってくれる、なんて。私には有り難い話しだ。
「それに上から魔槍ミトナスを逃がすな、って命令されたんよねぇ。性能がピーキーな聖遺物はそれだけで強い上に、しかも魔王殺害特化型ときとる。徴収したろ、って意見も出とったんやけど、あのザークレーの代行やし無碍には出来へんって事になってなぁ」
「そ、そうなんですか……」
「んー。でもまぁ、実際交換出来るかどうかは微妙なとこやな。うちが紹介しようとしっとったんが、例のゼスパやし。けどロストしてもうたからなぁ」
「ファーランドさんの使っていたという?」
「そそ。あいつなら『戦わずして成果を得られるとか最高だな』とか言いそうやってんけど。……まぁ、死んでもうたし。せやからもしゼスパがめっかったら、あんさんが引き継げばええ。魔槍ミトナスの代わりにな」
「…………見つかるでしょうか?」
「まぁ現実的に考えてブッ壊されとるやろな。でも探さへんわけにもあかんからなぁ。ちゅうことで、捜索任務にあたりつつ、色んな英雄に声かけてみましょ」
クラティナは魔剣テレッサをひょいと肩に背負いながら、こう続けた。
「ちなみにこのテレッサはうちのやから、あげません」
「は、はぁ……というか……クラティナさんほど強くて有名な方の聖遺物なんて、私ごときが使ってはいけないと思うのですが……」
クラティナはふるふると首を左右に振った。
「有名とか強いとかって、英雄には全然関係あらへんよ。要は魔王をブッ殺せるかどうか。必要やのは才能でも覚悟でも無く、ただの巡り合わせ――――運だけや」
幾多の魔王を屠ってきた大英雄が語る結論。「運が一番大切」。それは何だか、命を賭けて戦うにはあまりにも心許ない勝因だった。
「運、ですか」
「そう。例えば、そうやねぇ。銀眼の魔王が出たとして、それを倒せるかどうかなんて『聖遺物と魔王の相性』次第や。うちのテレッサじゃ勝てん相手だったとしても、うちより弱い英雄がそれを討つかもしれん。そういうもんや」
「……そういうものなのでしょうか」
「子供のころに遊ばんかった? ほら、色違いのカードを使った遊び。赤と緑と青の」
「ああ、懐かしいですね」
三色・七つの絵柄のカードを使った、三すくみの相性ゲームだ。カードを出して、それに優位のカードを重ねていくゲーム。相性が悪いカードでも複数枚出したり、カードの模様に規則性があれば役が成立して、優位カードに勝てたり出来る。
「あれと一緒よ。そもそも勝てるかどうかは運。あとは、数で押し切るか、工夫するか。相手の手札を読み切り、正しい判断を下せるかどうか。……それでもやっぱり最終的には運、ってね」
「魔王と聖遺物にも相性ってあるんですね……」
「そらそやろ。炎を好む魔王には、それに相応しい戦い方をせなあかん」
そんなことよりも、とクラティナは続けた。
「あのゲームの正式名称なんて言うんやろな……うちらは『ディール』とか呼んでたけど」
「私の故郷では『サッセッ』と呼んでいました。ゲーム名というか、カードを出すときのかけ声なんですけど」
「へぇ」
クラティナは興味なさそうに微笑んで、言った。
「面白いねぇ」
全然面白く無さそうに、そう言った。
クラティナと行動を共にし、ゼスパと魔王の捜索に当たる。
そしてその際、チームを組んだ他の英雄に交換を持ちかける。
彼女は他の英雄が恐縮するほどの傑物だったため、交渉のステージには割と簡単に上がることが出来た。
「仮設本部から話しは聞いとるな? この子の持っとる魔槍ミトナスなんやけど」
「え、ええ……」
「交換してくれる人を募集中なんやけど、あんたどない?」
「…………」
反応は概ね三つ。
今の聖遺物が相棒だと言う者。
代償系の聖遺物を使うのが怖いという者。
そして、魔槍ミトナスに適合出来ない者。ついでに言うなら私も彼らの聖遺物には適合しそうにもなかった。
要するに、誰も交換してくれなかった。
交渉のステージには上がれても、成果を上げること能わず。
都合二週間ほど。
六名の英雄に声をかけて、全滅だった。
「難航するとは思っていましたが、全然話しになりませんね……」
「まぁ想像通りやねぇ」
ズドーンと落ち込んでいる私に、クラティナは淡々とした様子で声をかける。
「あの短剣の彼とかは良さげやったけど、流石に『はい、いいですよ』とはならへんか」
「ど、どうしましょう?」
「普通に諦めて、献上したら? というかうちらはそれが狙いでもあるんやけど」
あんまりな物言いに思わずギョッとすると、クラティナは片手を振って見せた。
「あー。ちゃうちゃう。談合なんてしとらん。誰かが魔槍ミトナスとマッチすりゃそっちの方が万々歳やった」
「そ、そうですか」
「ただ現実的に、早々適合なんてせぇへんからな。たぶん交換はアカンやろうから、そん時は徴収で話しを進めましょ、と。そんな予想を立て取っただけや」
クラティナは自分の顎に手を添えた。
「んー。しかしこうなると……どうしたもんかねぇ。このザファラに残ってる英雄なんてあと一人しかおらへんけど、あいつも交換には応じそうにないしなぁ」
「どんな方が残ってるんですか?」
「暗い男や。あんまり人と会話したがらん。使こうてる獲物は斧」
「斧、ですか……」
「あんたの細腕じゃ使いこなせそうにないなぁ」
苦笑いを浮かべたクラティナだったが、すぐに表情を切り替える。
「ちゅーか、あんたがその魔槍ミトナスをちゃんと使いこなす、っていうプランは無いん?」
「この子をですか……」
「あんたは不満が残っとるみたいやけど、別にええやん? そこまで詳しく聞いたわけでもないけど――――魔王を倒す、って行為に自己満足を挟み込んだらアカンよ」
「ツッ」
「……まぁ、言うてもしゃーないか」
彼女は本当に、心の底から『面倒臭い』という表情を作りつつ、こう言った。
「うちだって、今じゃ多少の自己満足というか、魔王を倒す以外の目的でこのテレッサを使こうとる節があるしなぁ」
「えっ。そうなんですか?」
「うちの目的はな、魔王を倒すこと。そして――――戦う事。それ自体に意味を見いだしとる。まぁ依存とか中毒に近いんやけどな。あえて名付けるなら、カタルシスのため」
「カタルシス、ですか……」
「これ以上は内緒。どうしても知りたかったら、うちが死んだ後にテレッサを使ってみるとええ」
それはきっと、魔剣テレッサの適合条件に関することなのだろう。
「ま、うちよりテレッサを使いこなせる人間なんておらんやろうけどな」
絶対の自信を持って、英雄クラティナはニヤリと笑ってみせた。
そして後日。ダメ元で「斧使い」に話しをうかがって見たのだが「お断りだ」と一蹴されてしまったのであった。
これにて、完膚なきまでの全滅。
ごめんなさいフェトラスちゃん。ロイルさん。ザークレーさん。私は全くの役立たずでした。
そして、失意のまま眠りにつき。
行く当てを失った私の前に、転機が一つ。
王国騎士達の怒号で私は目を覚ました。
『魔獣だ! 魔獣が出たぞ!』
最初は夢かな? と思った。
聖遺物と魔王を探していたはずなのに、魔獣? なんで? あ、寝ぼけてるのね私。
しゃんとしなさい。ここはザファラ。人間の街。魔獣なんて来るわけないでしょ。
『総員、戦闘態勢! 使用可能な聖遺物を持つ者は、隙を狙え!』
『『うおおおおおおおお!!』』
「…………は?」
嘘でしょ。冗談でしょ。なに、演習?
そう思いつつ、耳に届くのは裂帛の声。
私は軽装のまま寝床を飛び出して、街の様子をうかがった。
いた。王国騎士があの一角に集まっている。
皆が見上げているのは空。そして空には大きな影。
「なっ!? 本当に魔獣!?」
馬のような体躯の魔獣が、大きく羽ばたいていた。その堂々たるシルエットに、眠気が吹き飛ばされる。
何故だ。魔獣が人里に現れるなんて、ほとんど無いのに。
……しかしどうやらまだ戦闘は始まっていないらしい。
武器を構えるもの、街の住人を逃がす者。屋根の上で弓をつがえる小隊。事態は切迫しているようだったが、まだギリギリで人々は魔獣の動向を見守っていた。
「ちょ、とりあえず私も準備しなきゃ!」
逃げるという発想は無かった。
住人の退避に手を貸すという案は採用しなかった。
ただ私は、愚かにも戦地を目指してしまった。
防具をバタバタと着込み、ミトナスと弓を手にした私は王国騎士達が隊列を組んでいる広間に駆け込んだ。
瞬間『何しに来たんだコイツ』という視線にさらされたが、彼らはすぐに意識を魔獣に戻した。
魔獣はゆるやかに羽根を上下させ、滞空していた。生き物に出来る動きではない。恐らく魔法による制御が働いているのだろう。
だが何のために?
様子をうかがう我々の前に、魔獣の背中から飛び降りた者が一人。
それは緑色の肌を持つ魔族だった。白いコート。額には一角。肌の紋様。片手にはサイズ感の合ってない黒い手袋……というか、グローブを身につけていた。
「まっ、魔族!?」
ざわめき。動揺。屋根の上にいる騎士が、より一層強く弓を引き絞る。
一気に衆目を集めた魔族は、両手をよろよろと上げた。
「え、えーと……少し話しを聞いてほしいんですが」
なんか妙に、やつれた声だった。
だがそれに返事をする者は一人もいない。
「クソぅ……死んだら恨むからな……えーと! この中に! ミトナスという聖遺物を持ってる方はおりますか!」
ヤケクソのように張り上げられた声。
それを耳にした全員が、自分の耳を疑った。
「我々は戦いに来たのではありません! いや、本当に! この辺にいたリーンガルドとも無関係です!」
「魔族が魔王の名を呼び捨てにした……!?」
ざわめきが大きくなる。緊張感も混沌感も、何もかもが爆発寸前だ。もしちょっとした大きな音でも発生すれば、すぐさま矢の雨が降るだろう。
それでも緑色した魔族は声を張り上げ続けた。
「この中にー! ミトナスという聖遺物をお持ちの方ー! 少しだけ聞きたいことがあるのですがー! というか持ってなくてもいいから冷静に話しが出来る方を募集中でーす!」
必死の声だった。
一生懸命というか……嫌々やってるんです、もう勘弁してください、ホントやだ、マジむり。そんな心の声がひしひしと伝わる訴え方だった。
なぜ魔獣が?
なぜ魔族が?
ミトナス?
分からない事だらけの中、分かる事が一つ。
魔槍ミトナスを持つものは、此処に。
ザッと周囲の視線が私に、私の手に収まっている魔槍ミトナスに注がれた。
それとほぼ同時。一人の英雄が前に出た。
「……さて、冷静に会話が出来る者を募集中とのことだけど。それは僕でも構わないのかな?」
聖剣を携えた英雄。私が三番目に交渉した人だ。
「ええ。もう会話してくれるなら誰でもいいです。あー良かった。問答無用で攻撃されてたら、どうなっていたことやら……」
魔族は安堵のため息をついてみせた。
「とりあえず、こちらに害意が無いことを示します。……イリルディッヒ! 降りてきてください!」
その声に反応して、滞空していた魔獣が少しずつ高度を下げていく。
それに合わせて、屋根上の小隊が弓の照準を下げてく。剣や槍を構えた王国騎士達が緊張感を増していく。
そして緑色の魔族は、そんな戦力に囲まれているとは思えないほどに平然とした声を放った。
「改めまして。私は名乗りたくないので名乗りませんが……こちら、見ての通りの魔獣。イリルディッヒです」
紹介された魔獣はぶわりと一度だけ翼を広げ、畳んだ。
《うむ。イリルディッヒだ。とりあえずこちらに害意は無い。武器を降ろせ、とは言わないが少しだけこの茶番に付き合ってほしい》
聖剣使いは首を傾げた。
「茶番……そう表現するには、いささか演出過剰なんじゃないかな? 魔獣が人里に現れるなんて、普通に大事件だよ? しかも魔族を連れてるだなんて…………目的は何かな?」
《魔槍ミトナスに用がある。別に破壊や奪取が目的では無い。ただ、聞きたい事があるそうだ》
「聖遺物に話しを聞く……?」
確かに魔槍ミトナスには自我がある。しかしそれを知っているというのは、どういうことだ? もしかして前の使用者絡みか?
そんな想定をグルグルとしていると、どよめきが起こった。
「お、おい! あの魔獣の背中!」
「女の子……?」
「大変だ! 魔獣が女の子を!」
スッ、と。魔獣の背中の上で少女が立ち上がったのだ。
まだ年端もいかない女の子だ。フェトラスちゃんの半分くらいの身長だろうか。
髪は短めの白髪。淡い黄色の服を着ていた。その表情には恐怖も焦りもなく、まるで魔獣を乗り物として認識しているかのような、自然体のそれであった。
(というか、なんかフェトラスちゃんに似ている……?)
「カルン。降りるから手伝って」
「名前を呼ばないでください」
「いいから、ほら」
「いやマジで。困るんですよ」
ぶつくさと言いながらも、緑色の魔族は両手を伸ばして少女を受け止める仕草を見せる。そしてその子は、ひょいと魔獣から飛び降りて、魔族の腕の中に収まった。
「大変だ! あの子供を助けなきゃ!」
「いやでもちょっと待て……なんか様子が変だ」
「……仲間、なのか?」
「っていうか魔獣と魔族と女の子の組み合わせって何だよ。意味がわかんねぇ」
戦意に「困惑」という感情が交ざる。
少女に当たっては大変だと、屋根上の小隊の弓が臨戦態勢から、警戒態勢に移行する。
人々のどよめきが収まらない中、その少女は手を上げた。
今から喋るから、黙りなさい、と。
そんな風に高貴な仕草で命令した。
「初めまして。ごきげんよう。突然の来訪失礼するわね。早速だけど、こちらの要求はただ一つ。ミトナスに聞きたいことがあるから、少しだけ彼を貸してほしいの」
彼女は周囲をぐるりと見渡しながら、幼いながらもしっかりとしたしゃべり方でそう『要求』した。その姿にノイズのような違和感が走る。
そして、我々の先頭に立つ聖剣使いは少女に目線を合わせたかのような声で尋ねた。
「ミトナス、ね……どうして君はその聖遺物の事を知っているのかな?」
「ちょっとばかりお世話になったことがあるから、そのお礼も兼ねて、ね」
ちらちと少女は聖剣使いのことを眺めた。
「ふぅん……あなたは…………。ま、いいか」
興味はすぐに失せたらしい。
彼女の視線は群衆に戻る。
「もう一度言うわ。この中に、ミトナスを持ってる人がいたら出てきなさい」
皆が困惑していた。
どうしよう。
何が起きてるんだろう。
どうすればいいんだろう。
魔獣が現れた。大変だ。
魔族が一緒だ。異様だ。
少女もいた。わけがわからない。
彼らに敵意がないことは何となく分かった。
だけど、徹頭徹尾意味が分からない。
分かる事はただ一つ。そう。
魔槍ミトナスは、此処に。
私が一歩踏みだそうとすると、ゾッとするような殺気に晒された。
「!?!?!?」
まるで見えない剣先が眼球の寸前に添えられたかのようなプレッシャー。
瞬きも出来ずに硬直していると、すぐそばにクラティナが立っていた。
「あんた、何考えとるん?」
「く、クラティナさん……」
「あれどう見てもヤバいやろ。何で行こうとすんねん」
「いやだって呼ばれましたし……」
「アホか。というか……そうか、誰も気がついてないのか……情けなくて涙が出るわね。いくら不毛な任務に就かざるを得なかった三流ばかりとはいえ、ここまでセンスが無いとは。ハッ。面白い」
そう罵倒した彼女のしゃべり方は、いつもの変なしゃべり方ではなかった。
「シリック。あんたの人生で一番大切なモノはなに?」
「娘を愛しいと思う、自分の心です」
即答してやった。
ようやく視線を動かすと、クラティナが「にたぁ」と笑うのが見えた。
「…………さよか。あんた最高やな。よっしゃ。付き合ったる。ここまで面倒臭い案件は久々で燃えるわ」
とん、と背中を押さえる。
「行ってもええよ。何か起きたら、このクラティナ・クレイブが何とかしたる」
「わぁたのもしい」
彼女の言動が意味不明だったので、相づちレベルで感謝を伝えてから私は一歩目を踏み出した。
「おーい。ミトナスー。いるのは分かってるのよー。出てきなさーい」
そんな風に語りかける少女の前に、私は姿をさらした。
「あ」
少女の視線が、私の手の中に収束する。
「ミトナスだ」
それは道端で友達を見かけた時のような、気軽い声色だった。
(外見だけで看破……やはり、この女の子はミトナスの事を知っている?)
心臓がドキドキしている。不安だろうか、緊張だろうか。分からないけど、知っている。私はこの心臓の鳴り方をどこかで体験している。
少女は魔槍ミトナスを視認した後に、私の顔を見つめた。
「あなたがミトナスの担い手?」
「ええ。私です。私が、魔槍ミトナスを所有しています」
「素直に出てきてくれてありがとう」
可憐な微笑みが一つ。
「……久しぶりね、ミトナス?」
次に浮かんだのは酷薄な笑み。
目の前の光景がキュッと縮まった。少女が遠のいたような。
まるで、私の意識が後ろに逃げたような。
そして理解した。
「理解出来ない」という事を理解した。
目の前に居る少女は、魔王だ。
〈――――!?〉
かつてない程、クリアに魔槍ミトナスとリンクが繋がる。
(ねぇ、ミトナス。アレは一体何?)
〈嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! あり得ない!!〉
(アレって、魔王だよね)
〈――――逃げるぞ!!〉
極上、ともまで呼ばれた一振り。魔王殺害特化型の聖遺物。そんな彼が選択したのはまさかの逃亡であった。
「えっ、ちょ、ミトナス!?」
〈うわああああ何で何で何で! チクショウ、怖ぇぇぇ! 色んな意味で怖ぇぇぇぇ!〉
赤と黒の槍から、銀色の刃が生えてくる。それはあっという間に私を包み、鎧と化した。話しには聞いている。これは、魔槍ミトナスの発動状態。
だけど、あれ? おかしいな。
私の意識は続いている。
「み、ミトナス! 落ち着きなさい!」
静止の言葉を投げかけるが、ミトナスの動揺は収まらなかった。まるで室内で混乱した猫のように、しっちゃかめっちゃかに意識が走っている。空回りしている。逃げたいのなら、私の意識を奪えばいいのに。
私が突然聖遺物を発動させた事に、周囲は驚きを隠せないようだった。
そして、理解する者が少しずつ出てくる。
「あれって確か魔王がいないと発動出来ないんじゃ……」
「どういうことだ? 何が起こってるんだ……」
「…………おい、ちょっと待て。あの女の子…………」
「……ああ!? えっ、でも、いやそんなまさか」
「……間違いない! あいつ、魔王だ!」
九割以上の人間が、後ずさった。
そして残りの少数が飛び出した。
「必ッ殺ッ!」
「魔王、覚悟……!」
「死ね」
狂気的な顔で飛びかかる聖斧使い。
一瞬で覚悟を決めた聖剣使い。
淡々と距離を詰める短剣使い。
三人の英雄による同時攻撃。
そしてその殺気にさらされた魔王は。
「貴方達に用は無いの。【鈍獣】」
一つの呪文を口ずさむ。
すると、飛びかかろうとしていた英雄達の動きが見るからに遅くなった。
振り下ろされる斧をひらりと躱し。
水平に放たれた聖剣の軌跡を踊るように避けて。
突進してくる短剣の切っ先を、腕ごと軽やかに跳ね上げる。
「怖いこわい。イリルディッヒ。行くわよ」
少女の魔王はステップを刻み、近くに控えていた魔族に跳び蹴りして、その勢いのまま魔獣の背中に飛び乗った。
「痛ぁッ!」
「そんなに痛くないでしょ。グズグズしてたら置いていくわよカルン」
「本気で置いていくからイヤなんですよねぇ! 【逆天】!」
魔族もまた呪文を唱え、ひらりと魔獣の背中に飛び乗る。
『放て!』
魔獣、魔族、魔王。三魔の位置が重なった瞬間に、全ての弓矢が放たれた。
雨のように降り注ぐ矢。
《ルーーールゥッ!!》
ビリビリと空気を震わせる魔獣の咆吼が、それらの軌道を狂わせる。弓兵達の狙いは正確だった。正確であるが故に、乱されるのも容易だった。
「イリルディッヒ。回収しなさい」
《……やれやれ》
瞬時。巨体が私の目の前に迫った。
「えっ」
《すまんな》
この魔獣
かぎ爪が
すごく大きい
「グッ!?」
何が起きたのか分からない。私の視界はいきなり空を舞った。
「キャアアアアア!」
思わず叫ぶ。なに、なんなの。
魔槍ミトナスごと、私は魔獣によって地上から連れ去られたらしかった。
「は、放して! 放して!!」
《ほう。意外と頑丈なのだな。良かった良かった》
「放し……なさいッ!」
渾身の力を込めて暴れるが、びくともしない。焦った私はミトナスに相談を試みたのだが、彼もまた〈ギャアアアア! 捕まったァァァァ!〉と混乱しているようで話しにならなかった。
ヤバい。
何がどうなったのか分からないけど、ヤバい。たぶん死ぬ。
信じがたい絶望に眩暈がする。地上が段々遠くなる。
そして、上からクラティナの叫び声が聞こえてきた。
「多斬剣奥義――――エアリアルソードッ!」
「!」
「わわっ!」
《ほう――――》
何が起きた? ここはもう空の上。何故クラティナが上から降ってくる?
「でも、軽いわね! 【防閃】!」
「チィッ! 流石にこの高度じゃキツいか!」
何かしらの攻防の後、落下してくるクラティナと一瞬目が合った。
「あっ」
「えっ」
「……必ず殺してやるから、生き残れ!」
それは「魔王ブッ殺すのに夢中であんたの事をすっかり忘れとったわ。堪忍な」とでも言いそうな、戦闘狂の顔だった。
魔獣が高度を上げる。
クラティナは落ちていく。
たぶん言っても無駄だろうけど、一応言っておこう。
「た、助けてー!」
こうして私は、三魔に誘拐されてしまったのでした。